Q.仕事とアートとどう区別しているのですか。
A.全てに万能であるかのことを求められるようになると、自分の素質や才、あるいは運命というもの、そして、何よりも限界も知っていくと思うのです。その限度をも知りつつ、現実と折り合いをつけていくのが仕事となります。
限界、限度まで目一杯行い、精一杯、可能性を夢見て、精神的に思うがままにやれたとしたら、それはアートであって、仕事にはなりにくいです。クリエイターとしては、制限、制約限界のなかでの勝負となります。
« 2021年12月 | トップページ | 2022年2月 »
A.全てに万能であるかのことを求められるようになると、自分の素質や才、あるいは運命というもの、そして、何よりも限界も知っていくと思うのです。その限度をも知りつつ、現実と折り合いをつけていくのが仕事となります。
限界、限度まで目一杯行い、精一杯、可能性を夢見て、精神的に思うがままにやれたとしたら、それはアートであって、仕事にはなりにくいです。クリエイターとしては、制限、制約限界のなかでの勝負となります。
A.くり返していると仕事や作業になる、つまり、成果の出る確率が上がっていくのです。すると、今度は、新たな目標に向けて挑まなくては興味や意欲が弱まってしまうでしょう。そこで、意図して目標を上げ、成功の確率を下げることをするのです。上達、向上するためです。
より難しくして複雑なことに挑み続けるのは大変なことです。私としては、いつも同じくらい失敗する確率を保てたらよいとも思うのです。結果として、レベルが向上します。
A.失敗しにくくなるということでは、あたりまえのことです。やってみなくてはわからないことがおもしろいのです。そこは、仕事よりも賭けに近いかもしれません。
A.科学的とは、科学とは違いますし、それらしくということでは却ってよくないことも多くあります。その上で、現場を預かるものとして、それを肯定的に使っている例として答えると、ここは複数の人に複数のトレーナーをつけています。そのことによって、実験的に実証的に行っていることは科学的といえると思うのです(「科学的」については、「論点」で多く取り上げています)。
A.自らの身体で実証していくのですから、現場で事実として起こったことや感じたことを元にすることです。本などを読んだり、レポートを書いたりするのは、その後でよいと思います。
A.まれびとは、音とともにオトズレるのです。
鍛冶屋と武器と楽器、軍隊と軍楽隊、戦いと音楽の結びつきは、興味深いものです。
A.呼吸は、大地の風であり、霊魂といえます。上から体内に、天の気、宇宙のエネルギーを入れます。下から地の気、大地のエネルギーも入れます。頭のてっぺんから足の裏までが一つの軸になります。
A.喉が解放されると迷走神経が活性化します。迷走神経は、脳神経で、咽頭、喉頭、気管を支配しています。また、肺や心臓など、自律神経系をリラックスさせるところも支配しているのです。
舌の運動は、とてもよい準備体操となります。硬いままでは自律神経系の緊張や脳の覚醒とつながるのです。
A.一つですが、分岐します。二つとして分けてみるのなら、上気道は鼻腔、鼻咽腔、咽頭、喉頭を含み、下気道は、喉頭より下、気管、気管支、細気管支、肺につながります。一つでも二つでも、命名次第です。
A.小学校や子供の頃に遊んだところへ行ってみましょう。また、そのころの写真をみたり想い出の品に触れてみるとよいでしょう。
A.心地よいのを心地よく感じること、不快を不快に感じることが原点です。その上で、気持ちを切り替えたり、忘れること、快不快がなくとも、その表情を演出、つまり、表現できることが問われるのです。
A.喉をひびかせると自律神経系のバランスがとれるといいます。また、音の共鳴(特定の高さ)で落ち着き、過敏症も改善されると言われています。
A.「ウ」は、非円唇母音といって、唇を突き出しません。これに近いのは、フランス語、トルコ語、韓国朝鮮語などに限られます。
A.日本語では、外来語に対して、単語の最後のb、g、k、pに、ブ、グ、ク、プとウ段を使い、d、tには、オ段のド、トを使うようにしたのです。子音に対して、どのカタカナ語をあてても、小さい「ッ」以外は、母音を含むので、正しくないと言えばそれまでです。
A.日本では、Ⅴは、ヴァで使うようになりつつあります。日本語は、バとヴァを区別しないので、どちらでもよいですが、ヴァを使う方が外来語っぽいのでしょう。ヴをウ濁と言います。
A.今は、ウラル・アルタイ語族は認められていません。
A.言語学では、1文字と1音との対応する体系のことです。a、b、c、…は、ラテン文字、ローマ文字ですが、ギリシア文字のα、β、γやキリル文字のаやヘブライ文字、アラビア文字もアルファベットです。一般的には、アルファベットは、ラテン文字と思われ、その意味で使われてしまっています。
A.「父兄」も、今は使わない方向だそうです。女性への配慮のあまり、バランスが欠けてしまったことは少なくないといえましょう。
A.はい、今は、母語(mother tongue)です。
A.日本人=日本語の感覚で捉えてしまってきたからですね。英語がしゃべれたら何十カ国で通じますね。カナダ語やスイス語とも言いません。公用語が2、3カ国語ある国も多いし、そろそろ「何カ国語」ではなく、「何言語」というようにした方がよいでしょう。
A.外国語も外国人も、国という単位で分けているのは好ましくないと思います。アイヌ語は、外国語とはいえません。外語とつけている専門学校などもありますね。
国と民族と言語は、別のカテゴリーにするときでしょう。
A.カタカナでのスローガンですから、日本での使い方として受け取っておきましょう。
A.「てにをは」は助詞ですね。
A.休みを充分にとると、声がうまく出るようになります。
しかし、休んだことで出たというのでは、その先の向上はないのです。休めなくても出さなくてはいけないのが現場ですから、ヴォイトレも、それに備えておくように考えましょう。
使わない、動かさないというのは、ときに必要ですが、ずっとそのままでは弱っていくだけです。声の病気のときは別として、無理に使ってしまったときも1,2日の休養に留めましょう。
A.ケースバイケースです。声=喉は、疲れたら、休ませたいところです。しかし、体=大きな筋肉の疲れなら、喉と関係ないので、休ませてばかりいると、発声にも支障が出ます。
スポーツでもアクティブレストというように、休めるのではなく動かしておくことで疲れをためないようにしています。クールダウンもそれにあたります。発声もそこは同じです。
A.ストレッチで体をほぐすと、体に力が入りにくくなり、パフォーマンス力は落ちます。ケガ防止にもストレッチは、さほど有効とはいえません。動いて血流をよくしておく方がよいのです。もちろん、どういうことを行うのかでも違うし、個人差や状況での違いもあります。これは、かつてのストレッチ万能の説が否定されての一般論です。
A.立ったままで、背中を丸めるときは膝を曲げることです。両足を開くと、顔の位置は低くもできます。
A.運転するのも、移動するのも、普段の生活でも、リクライニングシートは避ける方がよいでしょう。使わなければ、姿勢がよく保てます。しかも、結果的に、楽になります。腰に負担がかかるから、シートを倒さずに深く腰かけます。シートベルトも締めた方が体のためにはよいのです。
A.昔は、ずい分乱暴なことをしていたものです。下手すると、さらにひどくしてしまいます。唾を飲み込んでみる、うがいする、指で取る、無理なら病院です。
A.フランス人が風邪をひくと、オレンジジュースをたっぷり飲んで汗で出すと聞いたことがありました。汗は、蒸発させなくては熱がこもるので、重ねるのではなく薄着で汗を出しては着替えるのがよいでしょう。毛布などで重ねては、体温も下がらず体力を消耗します。
A.日本でもコロナウイルスへの対策で、ようやく肘の内側や上着の内側、袖で覆うマナーに変わりました。ティッシュやハンカチでもよいです。手では、ウイルスがついている危険があるし、咳の飛沫を防ぎきれないのです。
A.これは、自分の吐いた二酸化炭素を取り入れて、酸素が多く二酸化炭素が少ない状態を緩和させるための方法です。しかし、二酸化炭素を入れ過ぎたり、酸素を減らし過ぎるリスクがあるのです。
今のおすすめは、息を止めたり、ゆっくり出すようにすることです。深呼吸は、過呼吸を促すので、もちろんNGです。
A.タンニンで吸収阻害というのは、今では否定されています。なので、お茶やウーロン茶で薬を飲んでもかまいません。ジュース(特に柑橘類)の方が注意しなくてはなりません。
A.油の酸化は、体に悪いとすぐ捨てる人もいますが、100度以上の高温で分解されるし、過酸化脂質は消化器官で分解され、ほぼ吸収されないので、2、3回で捨てる必要はないのです。
A.日本では、江戸時代まで2食でした。西洋でも19世紀以降にようやく3食です。
排泄が早朝から昼前くらいに適しているそうなので、遅めの朝食がよいのです。
ちなみに、fast(断食)を破るのがbreakfastです。
A.犬歯は4本、肉などを噛み切り、切歯は8本、野菜などを食べるためです。臼歯は20本、これは穀類をすりつぶします。順に、タンパク質、野菜、穀物用ということです。
A.江戸時代くらいまでは、あまり子音につく母音は、はっきりと発音されていませんでした。日本語としては、子音と一体化したものですから、母音のところを強調するのは明治以降の公のところでのことばとして必要とされてきたのです。
A.「痔」くらいしか目にしなくなりつつありますが、戦前まで、たとえば、ラジオはラヂオでした。radioであってrazioではないのですから、それでよかったのです。ダ行のヂ、ヅは、ザ行のジ、ズの変わってしまったのです。
A.ハをパと読んでいたのです。奈良時代まで、ハ行はパピプペポでした。江戸時代までなら、ファ行という方がよいでしょう。
言語変化としては、p(パ)→ph(ファ)→h→消滅となるのが、国際的にも一般的なのです。母はファファ、その前は、パパだった、となります。
A.カ行はk-g、サ行はs-z、タ行はt-dと考えると、そこでの口形と舌の形は同じです。清音―濁音という音韻的対立が成立しています。しかし、hは、喉の奥で発する音ですから、ここでは、パ行p-bがそれにあたります。
A.メラビアンの法則とは、単語、声の調子、映像で印象に残ったものを好意、中立、嫌悪で判断するものです。言語の力より非言語の力が強いという例で使われます。
ここでの言語は、単語であって、そのイメージが音や映像より弱いからと言語内容の影響力の否定になるわけではありません。
A.明治からの流行歌は、四七抜き音階で、ピョンコ節と呼ばれる「タッタラッタ、ラッタラッタ、ラッタラッタ、ラ」の付点音符で、軍歌にも通じていきます。
「もっしもっしかめよ」
「たらったらったらった ウサギのダンス」
「きぃてきいっせいしんばしを」
ピョンコ節は、日本のブギなどにみられます。
演奏をよく聞いて、その勘所を知るとよいでしょう。
A.唱歌は、ことばのある歌です。日本の音楽は、文学との関わりが深く、歌詞がメロディより優先されます。リズムはさらにあいまいで、構成でも、くり返すということは重視されません。器楽、音楽的論理、構成、展開については弱いのです。
A.恋愛歌や逸歌が多いのは、相手がそこにいないからです。歌でコミュニケーションをするのです。
A.曲のつくり方はそうですが、小泉文夫は、「森進一は新内、義太夫、布施明は清元に似ている」と言っていました。
A.音楽にも、華麗で絢爛豪華、壮大、優美、別世界のものとしてあるようなものと日常生活に溶け込んでいるものとがあります。芸術至上主義のクラシック、商業主義のポピュラーなどと言われてもきましたが、個人にとってどうなのかということではないでしょうか。
A.初等教育として、遊里や芝居小屋など、邦楽の演奏者の身分が低かったこともあるのでしょう。
A.目的をもって使うときは、士気を高め、鼓舞するため、元気になるため、一体感を得るためなどがメインでしょう。仕事を効率よく進めるための労働歌や子供を寝かせるための子守唄もあります。舞踏やダンスのための音楽もあります。皆と一緒に歌ったり演奏したり、同じものを聞いて、同じ体験をする意味も大きかったのでしょう。
A.肝臓がアルコールを分解していると脂質を燃焼しません。脂質はケトン体の生成でエネルギーになるのです。糖質に代わり、脳のエネルギーにもなります。
便秘改善MCTオイル(中鎖脂肪酸100%)は脂肪燃焼、ケトン体も生成します。
A.音楽そのものは、独立していることの方が珍しいといえましょう。宗教から環境BGMまで、大体は、何かと組み合わされて使われてきました。その組み合わせをプリファブリケーションといいます。
A.西洋の音楽の音の発展、集約に対し、日本は、すでに音ありきで始まるのです。
19世紀クラシックは、個性重視でした。音楽は、絵画よりも特殊といえたのでしょう。
A.声や音楽は、言語、社会的習慣、自然環境、歴史、風土などと強く結びついているものです。しかし、日本の教育では、西洋のものを導入し、こうした古来のものをなくしていったのです。
子供の音楽教育では、あまりに子供っぽくつくっています。音楽をもたず、歌いもしない民族はいないのです。こうしたありようが、よいはずがありません。
A.私は、過去の作品への敬意と継承への使命感をもって接しています。
A.ことばは、YouTubeでみる動画のように、現実の一部を切り取り、選択し、編集し、加工した断片ではありません。思想を、全体を、関連性を、意味を伝えられます。だからこそ、ことばを使うこと、そこから本質的なことを汲み取ることが求められるのです。
A.努力、忍耐、ときに諦めでしょうか。
A.次のようなものが目的で効果をあげている人もいます。
性格を変えたい
ケガをなくしたい、スポーツ運動能力を向上させる
体型がよくなる、ダイエット、ぜい肉を落とす
A.江戸千家の茶人、川上不白が表したものです。
A.原子や分子が電子を得てマイナスに帯電、つまり、イオン化したものとしても、実際は、イオンは発生しないか、すぐ消えるのです。
A.「平均回帰の法則」といって、よいときには次によくなくなり、悪いときには次によくなるものです。ですから、褒められたり注意されたりしたこととは関係ないかもしれないのです。
A.ここでは、“SMART”を紹介します。
A.不安、ゆううつ、何となくもやもやの感情を確認します。状況を整理して客観的に自分をみることです。何か事が起こったら、それを記入します。そして、次に、
1.考え(認知)、思考、イメージ、記憶
2.気持ち、感情
3.行動
4.身体反応、感覚で状況
の確認をします。
A.ギターを弾いて、客のリクエストに応じ、歌う芸人のことです。ギターだけでなく、バイオリン、ハーモニカ、ピアニカ、ミニハープなど、移動しやすい楽器を使い、演奏したり歌ったりします。
A.歌会始では、和歌に節をつけて詠みあげます。
(披講)
A.和声(ハーモニー)がないことです。
音色、音の表情を好むためか、単音なのです。
また、等間隔は好まれないので、拍のないフリーリズムも多い(「追分節」様式)のです。
邦楽器は、高周波で聞こえない音をたくさん含みます。
A.音楽の効用は「古事記」の岩戸開き、「梁塵秘抄(りょうじんひしょう)口伝集」の今様、歌謡往生あたりでしょうか。
その効用は、貝原益軒の「養生訓」に詳しいです。
A. PTKやカケカナ、タカラベなど、特に、カ行、サ行、タ行、ラ行のトレーニングをしっかりするとよいでしょう。これらを組み合わせると、さらによいです。息が弱いなら、ザ行、ダ行、バ行、パ行を行いましょう。
A.息を吸うスピードと量は、次に声を出すフレーズによって決まります。ただし、トレーニングでは、やや早めに、やや多めに入れておくように心掛けておきましょう。
呼吸が足らないと、支えも崩れ、次に入れにくくなるからです。歌で息を使い切ることはありません。吸うことを、入れるというイメージにしてみましょう。
A.歌は、使うフレーズに応じて吸うことが決まるものです。やや余裕をもって多めに入れておく方がよいのですが、吸いすぎは、コントロールしにくくなります。
トレーニングのチェックや準備体操として、大きく吸ったり大きく吐くことはかまいません。特に、初心者は、全身がうまく動かないので、大きめに大げさにやるくらいの意識で行いましょう。そうでないと大して変わっていきません。
A.立て続けに、何回も大きく息を吸って吐くことをすると、過呼吸になることがありますが、数回、大きく吸ったくらいではなりません。
A.人それぞれに、体力、筋力と声との関係は異なります。まず、10分も同じ姿勢で立つと疲れるというような人は、体力、筋力が、どんな運動をするにも足りません。せりふを言ったり歌ったりするのは、運動のようなものなので、体力、筋力づくりを行うことでしょう。
しかし、基礎体力、筋力のある人には、もはや発声を支える筋力をつけることがヴォイトレです。これは別の目的の運動としてやることになります。
A.違います。トレーニングでは、意識するとお腹に力が入ってしまうことはありますが、息で声を出す、その息を大きく入れたり出したりする感じです。
A.声が豊かで、音色も質感もあり太いと、少しくらい噛みそうになっても、ひびきのなかでフォローでき、間違えたようにみえにくくできます。声が豊かになったベテランのアナウンサーなどは、こういうテクニックを使っています。パワフルな声のあるお笑い芸人などが噛まない(ようにみえる)のも、そのためです。
要は、一つずつ発音するのではなく、声の流れのなかで、ことばを動かし、意味を伝えるという感覚です。歌でも同じといえます。パワーで惹きつける声力がないから、細かなミスがみえるのです。
A.答えるには難しい質問で、個別、ケース別に違うとしか言えません。声帯振動を伴わず、共鳴腔の形でことばを発するので、喉を使わないとは言えます。
しかし、息は浅く、中途半端に声帯の開いているところを通るので、乾燥したり、息の動きで、ハスキーヴォイスほどでないにしろ、喉を疲れさせることもあります。却って、しっかりと声にしたりハミングの方が疲れさせないともいえます。
A.早口言葉は、滑舌がまわりにくい課題での練習なので、慣れていくと、舌が滑らかに動き噛まなくなります。声を出して行うので、これまで、これを行うほどにも出していない人には、声出しの練習になり、よくなるでしょう。
しかし、発声や声のトレーニングには、全くもって不充分です。私としては、「ヴォイトレで声をよくしたら、早口言葉の練習が楽になったり、それをしなくても、噛まなくなる」と言っています。
A.一言でいうなら、そうとしか言えませんが、では、なぜ力むのかということの方が重要です。いろんな理由があります。
トレーニングとして、特別なことをしたら、最初は力んでしまうのは当然です。今の状態でリラックスだけしたら、声は出やすくなります。しかし、この2つのことをよく考えてみてください。人前で話すのにリラックスできないからヴォイトレをするなら、力むのを間違いとすると、何もできないとなり、矛盾するだけで解決しませんね。
最初は、若干、力んでも、少しずつトレーニングで支える力をつけ、余分な力を抜いていく、それまで時間をみて解決していくものです。
A.国歌を比べたら一目瞭然です。「君が代」は11小節です。10秒にも満たない国歌として、クウェート、ヨルダンのもありますが、総じて日本のよりは長く、ノリがよいでしょう。南米のブラジル、アルゼンチン、チリ、ウルグアイあたりのは、長さも日本の4~5倍と長いです。
A.繊細、ていねい、やさしさ、細やかさは、どんな一流の作品にも問われますが、インパクトやパワーは、日本では、さほど問われないようです。むしろ、最近は、問わなくなってきたどころか、嫌われつつあるといえるかもしれません。
A.外国人に霜降りやしゃぶしゃぶのよさが伝わったのは最近のことです。あごの力の強い外国人は、固い肉を好みますが、日本人は、スペアリブなどは好まず、テンダーなレア、または、ミディアムを好みます。
音楽、歌、せりふも、似た傾向があるのでしょうか。ソフトなものを好みます。強弱より高低、リズムよりメロディ、メリハリやパワーより音色や変化を好むのです。
A. 声や歌の実力本位ではなく、有名な人の名前や肩書、経歴で価値づけて拝聴するのが、日本人の客だからでしょう。
A.アノニマスanonymousは、制作者不明で、和歌でいう「詠み人知らず」です。欧米では、作品においての匿名は考えられないのですが、日本人は、よくも悪くも、個人名を出さない伝統をよしとして継承しているようです。
A.藤原義江は、上野でなく浅草オペラの出で、しばしば、正確な歌唱でなく、楽譜も読めずに丸暗記と言われていました。上野(今の芸大)以外の出はいかがわしいという風潮でした。美空ひばりと似ているのです。
歌はコルペティートル(ピアノでメロディを正す人)が教えたのです。ちなみに、初期のヴォイストレーナーは、これと似た役割でした。
A. 明治の初め、西洋音楽が入って間もなくのことです。作曲家は、滝廉太郎、山田耕作と出て、大正末期から昭和にかけて、オペラ歌手は、藤原義江、三浦環と、世界中を回っていたのです。
A.技術とフォームの習得で、合理的に美しい音色を出すだけで、プレーヤーもシンガーも認められるからでしょうか。聞こえているのは、音や声とことばにメロディだけのことが少なくありません。
声の美しい人によい歌手が多いのは当たり前ですが、日本以外では、そうではない声の歌手がたくさんいます。
日本人は、「清く正しく美しく」をアートにも求めるといったことでの弊害でしょう。小さい頃から一芸一筋が多いですが、海外では、オペラ歌手でさえ、別のジャンルからの転向組が多く成功しているのです。
A.三波春夫が、初めて歌舞伎座公演をやったときに、「それまでは、映画館などでしかできなかった」といった説明がありました。当初は、映画は、芸術に値しないような地位だったのです。
A.日本人はヴィジュアルでの効果が高い、というか、音には寛容といえます。音声技術の向上と共に、何よりも制限時間内に納めることが重視されるようになったことからでしょう。
A.昭和の終わりの頃から始まった幼稚園の学芸会を、私は批判したことがありました。プロの歌と伴奏をCDやカセットの再生で代用して振りだけつけるという、実に合理的なやり方です。しかし、目で見た形を優先することに対して、一人ひとりの声の個性とライブ感を切り捨てたからです。
この傾向は、同じころに出てきたPV(プロモーションビデオ)などと共に、大人の世界でも、邦楽、伝統芸能にまで、取り入れられてきました。特に、日本では、ステージのアテレコに寛容です。
A.振動として、皮膚の立毛筋の刺激で鳥肌が立つように、毛穴で体全体で聞くのです。
A.ヴィジュアル系とは、日本独自の存在で、キャバクラ文化、ホスト文化と述べたのは、中野信子ですが、今の音楽シーンでは、確かにそう言えなくもありません。
A. 生物のコミュニケーションは、音、つまり、疎密波、振動で行われていました。これは、空気や水を通っていくので、物質を介さなくてもよいので、遠くに伝わるからです。さらに根本というのなら、神経ネットワークと電気信号(イオン)です。
インターネットは、通話の電話回線がベースでしたね。
A. たくさんあります。たとえば、反論のための理解力、構成展開、理論力、フェアネス、記憶力、粘り強さ、打たれ強さ、我慢強さ、慎重さ、思慮深さ、丁寧さ、マナー、決めつけなくなる、など。
A.今、この瞬間の体験に意識を向け、囚われのない状態で、ただ感じているということです。囚われないというのは、判断をしないということです。ただ感じるというのは、穏やかに受容すると言い換えてもよいでしょう。
A. 2013年、ダボス会議で、国際競争力の高い国は、レジリエンスが高いと評価されてからのことです。粘り強さ、復元力のあるということです。
A.驚きを喜びと誤解する傾向が高いそうです。