Q.芸事を成就させるための師を選ぶには、どうすればよいですか。
A.人を見る、選ぶのは、自分の責任です。自分の自由勝手でも、結果として親や先生や社会が壁となるのは、未熟なときの特権です。肚がなくては、物事は成しえません。
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A.人を見る、選ぶのは、自分の責任です。自分の自由勝手でも、結果として親や先生や社会が壁となるのは、未熟なときの特権です。肚がなくては、物事は成しえません。
A.引きずらないこと、「莫妄想」です。
どうみるか、そこでわかったなら、もう半分は完了したものです。安心してトレーナーに任せられます。
A.不器用なこともあれば、そうでないこともある、というようにして考えてください。
A.私が次に何とコメントするかが、「すべてわかった」と言う人がいます。何を学べたというかにもよりますが、大したものです。
A.スタンスというのは、立ち位置のことです。いろんな意味で使っています。姿勢、呼吸、発声でも、立ち位置としての軸があります。心にもあれば、表現にもあります。狙い、存在意味、存在理由など…。
A.私の論では、ただの一声に集約されるのです。「ハイ」とか「ララ」「ハイララ」で声が伝わらなければ、歌もせりふも伝わらないということくらいです。とても簡単なのに、受け入れてもらいにくいですが…。声の使い方でなく、声そのもの、器の違いというものです。
A.エネルギッシュにやる気満杯でのやり過ぎはよいことです。過剰は押さえられます。不足こそ補わなくてはいけません。これまでの考えに囚われず、自分なりに追求して打ち破っていくことです。
A.トレーナーのことばを全てわからなくてもよいと思います。聞いておけばよいし、心に留めておくとよいです。あまり大したことと思わないでください。たえず自分で新しいことばやイメージをつくって、使うようにしていくとよいでしょう。
他の人のことばや聞き慣れたことばを頼って行おうとすると、必ず、誰かのようにとか、過去にやったようになってしまいます。
A.そこが違うと言っても、わからないなら、私は何度も言いません。厳しくみたら、ほとんどすべて違っているからです。でも間違いではないのです。直させると間違いになることを恐れることです。ですから、「違う」ということばをあまり使いません。
違っているままでも、そこに本人が気づき、それで決めたら、違っていても通用するようになることもあります。そこだけを取り上げてはいけないのです。深みに落とし込めるようになるまで待つことです。
「違う」に対して「いや合っているはずだ」と言う人には何を言っても仕方ないでしょう。「はい」と受け止めたあと、なぜ違うと言われたのかを研究して自分なりの結論を出せばよいです。
ただ「違う」だけをくり返すトレーナーもいます。それも不親切なことですが、必ずしも悪いことではありません。一体、違うとは、同じとは、どういうことかということです。
A.答えは、そのときその場で違います。聞く人も答える人も時も場も違うのに、同じ答えなら、トレーナーはいりません。私自身も、変化、成長していますから、同じ問いへの答え方も変わるのです。本だけでなく、こうして更新し、最新の答えを出しています。標本、過去の遺物にしないで欲しいと思います。
相手が違えば、同じ質問に反対の解答をすることがあります。あなたも、10歳の子と30歳の大人に同じ答え方をしますか。答えだけでなく、その答え方も違うでしょう。首尾一貫していない、それもよしとします。
A.早くできること、速くでなく効率よくできること、そのために便利な存在がトレーナーで、その手段がレッスンとみなされがちなのでしょうか。便利とは、早くできること、確実にできることです。技術などと言われるのはその対処法の一つです。
でも、人が競って早めてきたからといって、必ずしもよいようになるわけではないのです。高め、深めていくのでなく、ただ浅くなってはいませんか。本質を学ぶように時間をかけられなくなってきたのではないでしょうか。いつもレッスンの本質を問うてください。
A.トレーナーによってですが、レッスンの内容でなく、その存在によって、どう声に接するかからどう生きるべきかまでを学べるものです。
A.私も含め、誰もが未熟です。そのことがわかっているトレーナーの方がよいと思います。それがわからないトレーナーは、私としては使いたくありません。でも、人間ですから、ときに自惚れたり、勉強して自信をもったりして、得意になっているときもあります。過去の事や実績をひけらかすのは好ましくありません。そういうときは、私は、プロや難しい症状の人を任せて、レッスンをゼロから考えさせる機会を設けることもあります。
万能なトレーナーも、完璧なトレーナーもいません。日々、それを補う努力をしていることが大切です。生徒さん以上に学んで成長しているのが、よいトレーナーです。少々器用で声が出てうまくても、日々の記録やレポートを怠るようなトレーナーでは続きません。
生徒よりうまいとか、キャリアがあるとか、先輩だからというのでなく、生徒よりもすぐれた学び方、問題の見つけ方、解決のアプローチを知って対処できる力、日々成長できる力のある人を求めています。
A.強いたり力の入るニュアンスもあり、あまり使いたくないことばです。でも、それだからこそ心身の必要をはっきりとさせるために、わざと使っています。
「朝鍛夕錬」は、宮本武蔵のことばです。五輪書「水の巻」に有名なことば「千日の稽古を鍛とし、万日の稽古を錬とする」とあります。私流に解釈すると、鍛は応用、練は基本です。「仏神は貴し、仏神をたのまず」も彼のことばです。
A.考えることも体力がいるから、運動です。寝ることも運動です。頭ばかり疲れることは心によくありません。考えるよりは動きましょう。声を出していましょう。
A.声でも指導でも、とことん悩むことです。それは、人生や仕事、生活での悩みと変わりません。贅沢なことと思い、楽しんでください。
A.技術を使うのは、それでしかもたないケースの方が多いです。声のテクニックも同じです。ひけらかす必要はないし、それでアピールしないと伝わらないくらいなら大したことではありません。それで伝えられても、大したものにならないです。ものまねやボイパのプロなら別ですが…。
A.メニュをすべて使わなくてはいけない、終わらせるものと考えなくてよいでしょう。本当に必要な一つか二つのメニュがあればよいのです。他は、余分なものを捨てるために使うのです。無駄か有用かも考えなくてよい。考えないために数えきれないほど無駄をすればよいのです。やっているうち、有用になるようにしていく。そうなる感覚を学ぶのがレッスンです。
A.レッスンの目的は、ノウハウを身につけるのではありません。身につけたものがノウハウと呼ばれてしまうこと、ノウハウとさえみえなくなることです。ノウハウとして切り出せるもの、メニュやマニュアルなどは、大して、他の人に通じないのです。わかりやすく使いやすいだけだからです。
A.固定した方法やメニュと、相手によって変わるメニュ
どちらも一長一短があり、その二極の間にもさまざまなスタンスがあります。生徒の対応しやすいのは後者、トレーナーのやりやすいのは前者です。データとしては固定した方が比較しやすいです。
A.ありとあらゆるメニュがありますが、その大半は私は知っています。そのなかには、日常の健康改善に役立つ、その結果、声もよくなるのも少なくありません。メニュや方法として間違いとはいえないが、特別なものでもないレベルのが大半です。
メニュからトレーナーのタイプ、得意不得意や経歴、日常生活、活動などもおよそわかります。それに対して、あなたが自分自身のものとして、使えるようにしていくのです。メニュをただ与えられるのでなく、その使い方、つくり方を必要に応じて与えられていますか。あなたがそれを使えるようにしていますか。
A.それで何かができるということよりも、声やヴォイトレの限界を知ること、ひいては、自分の限界を知るためでした。そのことで、自らの可能性や才能の勝負どころもわかるし、自分の本当に好きなこともやりたいこともみえてくる、近づける。それが大切だと思ったのです。
A.本やレッスンについていうと、碁やサッカーなどと同じです。ルールや成り立ちについて知ることで、初歩的なプレーを楽しむことはできます。本もレッスンも、そのためにあるものでしょう。
「誰でもすぐに、何でも、できるようになる」などと言うところでの習得レベルは、誰でも同一のところ、平均値までです。やっていない人に対してやった人が、それよりはできるというレベルなのです。そのレベルで何でもできても、世の中に通じるレベル、プロとして、ではありません。とはいえ、歌では必ずしもそうもなりません。やらない人でも、けっこうできる人もいるからです。
私のところでも、アマチュアで趣味の人には楽しく、プロには厳しくやっているのです。
A.自分の力と言いたいところですが、自分の力だけで、それなりの物事を成し遂げることはありません。他人の歌を全く聞かずに歌えるようになった人はいません。
しかし、他力本願で自分の努力を怠っていては他の人も認めてくれないでしょう。今あるものを目一杯活かしているうちに、自分の力以上の力、天与の力が働くように思います。
人事を尽して天命を待つ、ということです。この、天命には、認めてくれる人との出会いもあります。相手にとっても、あなたと会うことでプラスになる、win-winになれる関係です。それにも自分の力が必要なのです。
自分も他人も天も神も、それが一体だとわかったとき、物事は成しえているということです。
A.それは生きる力が落ちているのです。神前や仏前で祈り、心機一転、生活を変えてみてください。考え方も、悪いことを引き寄せているというと、占いのように思われるかもしれませんが、多くのケースでは、本人が引き寄せています。そういう表情や振舞いが出てくる、そのまま身につくと、ますます、周りもそうなり、あなたもそうなるのです。それを切る努力をしてください。好きなことに専念して、生きる力を回復、強化してください。ヴォイトレなら、呼吸を変えるのです。考え方は、弱っているときに「強くもて」と言っても難しいです。しかし、呼吸は、強くできます。鏡をみて声を明るく出しましょう。
A.目標がそう簡単に立てば、それはもう実現したも同然ですから、目標と計画が大切でしょう。目標がある方が必要性、優先度、モチベーションなどによいのは確かです。一つは行動することです。目標を決めるという目標でレッスンをスタートすることでもよいでしょう。レッスンが行動です。
もう一つは、でたらめでも、「こうする」と決めておくことです。迷ったら差し替えたらよいのです。自分には不可能だなどというほど大きな目標でもよいでしょう。堂々と目一杯大きくしたらよいです。小さいより大きい方がよいのです。多くのアーティストも最初は「絶対不可能」だったのが「もしかして」となり、「きっと」になっていったのです。
A.声にすぐれていることは次点です。私は、相手に、そのトレーナー本人よりも大きな力をつけさせられる人だと思っています。早く楽に、をあえて問わないことでしょうか。どんなに声や歌にすぐれた人でも、相手が自分と同じ年月や年齢、練習量で追い越せないくらいの上達であるなら、何をやっているのかということです。
A.何でもできる、は素人の中ではすごいのですが、プロの中では、多くの場合、使えないのです。プロの活動はプロ同士のコラボですから、絶対的な強みがないと成り立たないのです。一人ですべてはできません。それがわからない人は参加できません。
A.見本は、手本でなく、一つの叩き台、タッチと言っています。最初は、何かしら基準を与え、まねさせるというのが一般的な教え方です。初心者なら、わかりやすいサンプルとして使うのです。
でも声には、最初も初心者もない。顔に不正解がないのと同じで、それをすぐ変えるとなると、メーキャップのようなものにしかなりません。そのままに徹底すると、整形のように別の顔になります。表情を豊かにすることがトレーニングの目的のはずなのに、そこでなくメーキャップを教えられるから大してよくならない。「魅力的に」を、アラを隠すことと思ってしまうのでしょうね。レッスンでは化粧を剥ぐこと、声でいうなら、マイクを取り上げ、現実の声に向き合わせることなのです。根本的に学んでいないからです。
A.一つしか正解がないと思わないことです。多くのトレーナーが「一つのことを正解と示す」、そのこと自体が私から見ると不正解です。レベルが低いというのでなく、「正解がある」と教えるのは教える側の便宜だからです。
大体は、本で読んだり、人から聞いた方が正しいことというくらいです。せめて「今の段階では、仮によしとする」と伝わればよいのですが。それを言わなくてはならないようでは、混乱と不信を招くので、言えないものです。誰もが断言してもらうことを望むからです。だから、そうしてはよくないのです。
A.私も一部のプロの人の固定観念、安定、保守路線よりは、アマチュアの発想、欲、生きているパワーに惹かれるときがあります。しかし、餅は餅屋です。長くやれている人には、やはり、それだけの理由や実力があるのです。
A.自分のキャリア、既得権、権威、専門にしがみついてしまいがちです。それを守ることに固執してはなりません。本質に入らず、表層ばかりでズレまくるので、そういう論議をするなら、他人の意見は参考にしても、一人でじっくり考えを深める方がよいでしょう。
A.トレーナーは、曲より歌唱を、好き嫌いでなくすぐれているかどうかをみるのが仕事です。甲乙をつけるのはよいということではありません。まして、知っている数などは、どうでもよいでしょう。とはいえ、人並み以上、マニア以下というところでしょう。
常に知らないもの、未知の可能性へどうアプローチできるのかという応用力が問われているのです。
A.その人の生い立ちなどを聞いて、ストーリーを読み取るのは、よし悪しがあります。今や、多くの人が自分について他人に語るためにストーリーをつくっています。本人もつくっているうちに創作が本当のことになり、信じ込み、抜け出せなくなっているのです。そのストーリーをこちらが、そのまま信じるのは丸め込まれることになります。そこで、あっさりと騙されてしまうように未熟では、仕事も務まりません。それは、本人がそう解釈したいストーリーと思えばよいのです。私も、トレーナーから「生徒にこう言われました」と聞いて、それを鵜呑みにしないように注意することもあります。何が本音かは、ことばの裏にあるのです。
A.私の知っていること、できること、全てを学びたいという人もいます。しかし、私が示せるのは、自分の使っている声のところで、そのプロセスとても、同じ年月を経ないと、いや、経たとしても伝わるとは限りません。すべてが伝わる必要もないし、同じ年月をかけるなら非効率です。そこは、あなたの未来なのです。
メニュは、これまで、たくさんありますが、大半は、あなたの必要としないものです。ちなみに、ブログをすべて読むだけでもかなり時間がかかると思いますが、チャレンジしてみる価値はあると思います。是非、徹底的に絞り込んで、ハイレベルに練り上げてください。
A.歌い手は、いつの時代でも預言者です。私には、画家やデザイナーよりも、音やことばを扱う音楽家、歌手、詩人は、その先を行くように思えました。売れなくてはいけないというなかでは半歩先に止まり、つまり、わかりやすくなった分、よくなくなりました。
「歌は世につれ世は歌につれ」で、同時代でということですが、そこは主に歌詞です。世の中の動きに伴った歌ができ、ヒットすると、世の中の人が、それに皆、のる、トレンド、ブームの作り手だったのです。
ヴォイトレも、未来という先に対してデザインして修正していくのです。あるときから、私にとって、歌い手よりもヴォイトレの方が先取した仕事、クリエイティブに思われ始めました。それゆえ、一つの世界観ができてきたのだと思います。☆
A.それは、およそ済んだと思っています。ヴォイトレもヴォイストレーニングも一般の人の知ることばとなりました。これらを説得する努力はしてきたつもりですが、「全てが説明できる」とは思っていません。すべての人に、でなく、すべてのことが、です。
でも、あまりにそう思っている人が多いので、また、それに乗せられているトレーナーも少なくないので、少々老婆心で、経験からあたりまえのことを述べているのです。
こういうあたりまでのことは、いつの時代もいつまでも、くり返し述べられてきたことです。いかに当たり前のことが当たり前でなく、人にわかってもらえないものかも知っています。
同じことをずっと述べているのに、また同じことを聞かれるからです。誰よりも発言して、こうして、いつも説明しています。説得したいとは思いません。何ら検証もせずに正しいとか間違いとか言うのはおかしいことです。そのような当たり前のことを述べているのです。
A.Q&Aは、これでよし、完璧という答えはありません。相手が変わり続ける限り、万能の答えになるときはないから、完成もありません。よりよいものへ一歩でも近づけていくということです。本は、完成品として出したときから、未完成です。出して、直せないなら追加する。ブログはmその役割です。次につながる答えでありたいので、Aが問い、Qは、皆さんの答えとみる方が当たっています。
A.本は、買われたときから、その人にとってどうかということです。本は、原稿の締切り、最終校正の締切り時点で、私の考えは切り取られます。内容が完結するのは、本が刷り上がったり店に置かれる日、読者が手に入れた日ではありません。著者にとっては直しを諦めた日です。真摯に向き合うのなら、できる限り早く手放さない方、公開しない方がよいのですが、市場に預けるのは一つの勝負であり、諦めです。それでは足らないので、ホームページやブログで補って、追加、フォローをしています。
A.声楽や音大のカリキュラムには、ここのトレーナーは、もっとも自信をもって対応できます。そこに専念すれば、音大以上に効果的と思います。育つという意味が違うと思いますが。オペラ、合唱、ミュージカルは大得意です。音大受験対策も行っています。
A.例えば、日本人が英語を学ぶのには、語学力以外のメリットがたくさんあります。発想や考え方、文化の違いを知る、さらに、呼吸、体、共鳴、表情、舌や口の使い方など、です。どちらがよいかでなく、やっていないことや異なることを学ぶことで、日本語の、特に音声について得るところは大きいでしょう。
ここは、声楽をベースにしていますが、オペラ歌手そのものやオペラの歌唱を必ずしも見本にしていません。学べるなら、そのアプローチはとても有効です。日本人のやっていないことと異なることにアプローチして、より必要なことを認識できます。特に本人が独自のやり方でやっていたとか、他のレッスンをずっと続けてきたという人には、さらに有効です。
A.素材がプロで歌えるレベルなら、第一には、その修正力でしょう。よりよいイメージを出して修正していきます。片や、初心者やセミプロにはプラントメニュ、根本的に改革すべきプロのときはプラン作成能力と与えたメニュを使っての修正力でしょうか。
その前に、喉を中心とした発声に関するスキャン能力が必要とされます。その精密さをどこまで細かくもてるかです。動きの中での細かさをみる力、声を出す力より聞く力が問われるのです。
私も、声と歌、例えば、歌詞でいうと、一つのことばどころか、一字だけでも入り方、伸び方、つなぎ方(切り方)と3つ以上の尺度でみることもあります。
A.マリアというのは、maria、つまりハミングのm(nmu)から母音のa、rは特に正しい発音のrでなくてもよいです。r―i、iを入れてi―a、aで収めます。難しければmaiaとかma―でもかまいません。マリアという名前と関係なく、でも切って、マリア マリア マリア マリーア(ミソソ ミソソ ミソファ)、この曲は、ウエストサイドストーリーの挿入歌「マリア」をホセ・カレーラスが歌ったものからの着想です。
A.音楽的なメカニズム、曲の構成、展開を、音程やコードなどとの調和でなく、メロディの単音として伝えられる力が必要です。一つの声の動きなのですから、そこが第一です。次に全体の調子や役割分担としての音楽の構図となりますが、それらをプロレベルに磨くのです。
A.メニュは、声の動きとしての基本のフォーム、これを型といいます、それをつくるためであり、また、それから自由になるための型ということです。これまでもバスケットやボールや素振りなどで説明してきました。
型というのは、形と違ってフォーム、動きの一定というものです。その人にとってシンプルになるようにレベル設定します。難しすぎると、こなすことで精いっぱいになります。第一の目的は感じること、そして認識することです。☆
A.「お前ごときでスランプと言うな」これは、あなたに対してではありません。自分自身に対して思ってきたことです。一流アスリートやアーティストのスランプの話を聞いてみてください。
できたことができなくなったのがスランプですから、私などにはスランプは来ないのです。そんな私が、一流の仕事をしている方々からアドバイスを求められるのは、問われる能力が違うのです。
「一流のオペラ歌手は、生涯、発声法を変え続けています、そして、スランプを乗り越えます」というような例を出します。つまり、スランプは壁なのですから、これまでのプロセスを反省する機会です。次のレベルに行く前の総点検、そして、新たな力を得る機会と思うべきです。
A.歌は歌に学び、ピアノで学ぶものでないと思いますが、「楽譜で正しく」というのと同じように「ピアノで正しく音をとれ」ということなのでしょう。歌の響きは、ピアノという打楽器、打鍵してから響きが伸びるものと、少々違うのです。
歌はビブラートや音の高低の僅かなズレで演奏のなかに埋もれず、くっきりと声の線をみせるべきです。平均律からの脱却を言っています。つまり、合唱のように一つの音に溶け合うのが目的ではないということです。大きく外れる人は合わせなくてはいけませんが。
A.使い道によっては必要ですが、歌い手なら、不要です。あまり、それに囚われてはなりません。理論に対して人はその知識に偏り、伴奏がうまい人はそこにこだわり、もっと大切なことに気づかないことが多々、あるのです。何かをもっているがために、もっと大切なことを見失っていることを恐れるべきです。でも興味があれば、そのくらいマスタ―してみましょう。
A.私のところでは、トレーナーは教えるというよりは、サポートする、支える役割と考えています。効果というのを具体的に目的として掲げていくことにも慎重です。
あまり教えようとか何とかして効果を出そうと考えると、目先に走りがちになるからです。周りの人がちょっとよくなったり、あまりよくならない人がいたりというのは、効果というほどのものでもないように思います。すぐに効果は出なくても、何かが変わっていけばよいからです。普通の人のレベルに足らない人を普通よりも上げるのと、普通の人のレベルの人をトップレベルにするのとは、違うことです。
A.そんなに整然としたものを求めるのは止めましょう。無理無駄を省きたいのはわかりますが、ここは一人ではできない無理無駄をするところとして使って欲しいのです。今の自分のものを限定したらもっと狭くなります。今の声でどの声が使えないなど決めつけるのはもったいないです。ありったけ出し、使い切れるようにして、そこから考えても遅くないでしょう。
A.本質的なことは、言ってもそう簡単に伝わらないけれど、何回もくりかえしていると、感じられるようになります。しかし、接していなければ、避けていては、せっかくのチャンスも活かせません。
誰もが続けていくと固まってくるので、ここでは私がそれをかき回す役をしています。かき回すにも段階や準備がいるのです。
A.どのように相手に勝つのか、あるいは、分け合うのか、争わないかは、大きな違いです。生活での声、問いかけから話しましょう。まずは相手を知ってから言うことです。
A.その人にとっては、心や気というのは一定量使うと減るのでしょう。NARTOでは、忍法で、チャクラから気をたくさん出すと疲れて動けなくなります。しかし、それは自分の気であり、天の気でないからでしょう。人のために行うときは、気は前へ、外へ発します。自分のために行うときは内に向きます。これだけ知っておけば平常心でいられるでしょう。
「今、ここに」心がないとき、ものごとはうまくいきません。常に注意集中するとか、意識することと言いますが、そこまでいかずとも、心配り、気配りの大きさというものがあれば、随分と違うものでしょう。
相手により、場により、条件により、大きく変わる人もいれば、誰にでも同じように対する人もいます。その人によるのです。
A.科学的とか客観的とか言わずに、天から自分も含めて観ることは大切です。私たちは思い込みや固定観念の塊です。常に、自分の五感で、事実さえ自分の思いで色付けしてみています。それが判断を誤る原因です。
でも、誤っていることにさえ気づかないのです。知らずに自己中心になっているから、うまくいかないのです。いや、うまくいかないなら気づくこともあります。うまくいっているかのような人ほど気づかないのです。
声は正直です。ことばでごまかしても本音が出ます。心が声を動かしているのです。そこから、自分の心を知ることができます。
毎日、日常をさりげなく録音した声を聞いてみてください。今のヴォイスレコーダーなら、8時間でもチェックできますね。見事にあなたの今の心身の状態が、声に現れていませんか。
A.喉や声帯だけを部分的にみても、何ともならないということです。その上で応急の処置や限定された対処をするのはやむを得ないとして行うとしても、本当の問題は別にあります。根本的な解決は、全身からと時間的経緯から、両面で考えるべきことです。
オーソリティや専門家の言うことも狭い限定の条件のもとに利用されたり、重用されたりしているようですが、現状回復までのこと、それ以上のことには、元より目指していないし使えません。
A.ウエイトトレーニングのように、部分的な負荷をかけるのは、あまりに荒療法です。ヴォイストレーナーの勧めるものではありません。全身に均等に負担をかけて、呼吸も発声もバランスよく無理せず深めていくことが原則です。
A.南無阿弥陀仏はヨーガの整音オー、ウン(ム)が入っています。解放的なアー、緊張のイー、落ち着くウン、まとめると、namu、ami、da、butsu、ナーム、ンアミィ、ダァ、ブウツウとでもなりますか。
A.かっこわるい、怖い、いい加減になる、つまり、日頃の合目的の行動は力を入れる、力を使うことが求められるのに対し、その逆をすること、意志をもって行うことの逆を強いるからです。力を入れて抜くというアプローチもあります。でも、かっこわるくなればよいということです。力が抜けないとあせると、さらに力は入ります。力が入っていることに気づくだけでも第一歩です。
A.痛みや恐怖で声を上げるときは、反射です。発声は心身の反応、オペラント反応とレスポンス反応です(これをレスペラント反応ともいいます)。呼吸反応や筋反応も、表情や姿勢も同じです。
A.腹から笑っているのが、もっとも無駄なく完成度の高い結果が得られます。へそ下三寸に意識をもっていきます。そこは、多くの人が思うよりもかなり低い位置です。力が入らない下腹部で、臍下の一点と言われます。腹を据えるところ、腹が決まるというところです。腹が太いと声も太くなります。
そこは、今の日本の若い人の失ってしまった感覚、隠れたポイントに思います。声としては、低く太く大きく、胸の中心に振動を感じつつ下げていくのです。喉がなりすぎたら違います。ここは無理をすると、つくり声、喉声になりやすいので注意を要します。イメージとしては、邦楽(長唄、詩吟、民謡など)、あるいは外国人の低音をお勧めします。
A.生物としてみると、人も円柱で真ん中に穴が通っている。上から、口から食道、胃腸、肛門の管のことです。そのイメージで、声を出すという教えもあります。自分の体を樽やドラム缶のようにイメージするのです。オペラ歌手といえば、太っているというのがステレオタイプでした。体を風船のようにしてというのは、上半身を一つにというイメージですね。これは、肋骨で囲んだ円柱のなかに肺がある、というイメージです。重力に抵抗して立つことを支えるのは骨格です。これが骸骨です。そこに筋肉がついて、円柱となるのです。竹組みに紙を貼った提灯をイメージしてください。
A.出る息、吸う息、その一つの呼吸の間に生きるということ、命があるわけです。そこを大事にしなくてどうするのでしょうか。曹洞禅の根本道場、永平寺を訪ねたことがあります。なかなかに活気のある寺でした。
A.結果としては、入らない方がよいのですが、アプローチとしてはいろいろあります。プロセスにおいては、どんなことでもあってよいと思います。世の中には自分と異なるやり方、アプローチ、メニュを頭から否定する人、やってみて自分に合わないからと否定する人がたくさんいます。が、何であれ、そこから何を学ぶかなのです。
やってみて合わないというのを学ぶのもよし、しかし、本当にそうだったのかは、そう簡単に言えないでことしょう。自分のやり方以外にも役立つことはたくさんあります。そのことを認められないのは愚かなことです。腹式呼吸は、どこでも必ず取り上げられているのにも関わらず、本当に使えている人などはとても少ないのです。学んだつもりでも使えていない人がほとんどです。トレーナーでも3割といないでしょう。
どのレベルをもって判断するかということですが、本当は、一声でわかるほど明らかなものです。そうでない人も腹式を教えているのですが、それも否定はしません。体を使う、心を使う、そして体を抜き、心を抜く、静かな呼吸が腹式ですが、息と声が異なります。
表現に大きく使うのには、こうしたリラックス、力を抜くことが不可欠です。高度に集中しているのと正反対のようになることもあります。でも、最低限、声を支えられていたらよしとすることもあります。表現のために呼吸が崩れることもありましょう。
最初に結果を得られるものでない、得られたらよいのです。
腹式呼吸のマスターというようなメニュもあります。それも小さな結果ですが、ちょっとした応用、心身の整わないときは、呼吸も意識もあがってしまうでしょう。10分かけてゆっくりと呼吸に専念しましょう。
A.もとは、腰痛を治すためにつくられた健康法です。特徴は、3秒で一気に吸い、3秒で吐き、手足にも力、さらに下腹部へ力を入れたまま4秒吐き、お腹をへこます。1回10秒で6回(2つのパターンを行う)
私は、他の呼吸法や発声法については、コメントは差し控えています。何でもどう役立つかはわかりませんし、形をみただけで実際はわからないからです。とはいえ、目的やメリット、デメリット、注意点、可能性や限界、うまくいく人やタイプやレベルなどは、およそわかります。もちろん、つくった人の意図する使い方を正しくできる人が、それほどいるとは限りません。本で伝わるもの、DVDで伝わるもの、トレーナーに教わり伝わるものでは、かなり、その比率が違うでしょう。
しかし、一般の人に好評なものは、その許容範囲が広いといえます。荒っぽく雑でも効果が出るというなら、ヴォイトレでも、そのくらいのつもりで取入れてよいと思います。つまり、何もやらないよりは何でもやってみたらよい、ということです。
発声やその呼吸などとは、別の運動と考えてみてはいかがでしょう。健康は全ての基本です。
A.胸式呼吸と腹式呼吸は混在しているのですが、あえて分けて述べます。胸式は、ラジオ体操の深呼吸で、胸を広げて(胸部)息を吸うと、横隔膜と腹横筋でお腹はやや引っ込み、背筋がピンとなります。吐くと、両方の筋肉は働かず前のめりに背中が曲がりますね。それに対して、腹式は、横隔膜が下がり、お腹が膨らみます。腹横筋は、吐くときに補助し内臓を圧迫して横隔膜を戻します。(下げる)姿勢は安定したまま深い呼吸ができます。
A.気が上げるのは緊張状態、浅く速く短い息、胸式、呼気が中心です。気が下がるのは落ち着いた状態で、深く遅く長い息、腹式、吐くのが中心でその逆です。
A.いくつか挙げてみますと、吐息―吸息、胸式―腹式(腹式―逆腹式)鼻呼吸―口呼吸、長い息―短い息、速い息―遅い息、深い息―浅い息など。
A.排気ガスや空気のよくないところでは、自ずと呼吸も浅くなります。そこで深く吸うようなトレーニングは健康上、お勧めはできません。早朝の新鮮な空気の中、ほこりのないところで行いたいものです。
芳香剤、消臭剤、洗剤、漂白剤、殺虫剤なども、影響される人がいます。ということは、そうでない人にも決してよくはないわけです。そう考えると、毎日の食べ物や飲み物にも、気を付けなくてはいけないことも自明でしょう。
A.狭いよりは広い方が、天井も高い方がよいと思います。広さよりは空気です。クリーンさです。外気を入れて、自らの体が気持ちよく取り入れたくなるようにしましょう。呼吸をしやすい雰囲気で行うのが理想です。
A.私は、トレーニングは、一人で静かなところでコツコツと行うのが理想と思っています。しかし、充分にその時間や場がとれないことが多いなら、プラスにはならなくてもマイナスにならないように、トレーニング状態のキープの日常をセットするようにしています。
A.プラーナは、プラー(前へ)とアンー(息する、動く、生きる)から派生したもので、前へ息をする、生命エネルギーというふうに捉えられます。
A.白隠の夜船閑話(やせんかんな)に「真人の息はくびす(踝)を以ってし、泉人の息は喉を以ってす」とあります。声もまた、しかりです。観息し、数息(すそく)する息をみつめて悟る。息を数える修行をするのです。
A.書道も香道も呼吸でしょう。歌を詠む、書いて水に流す、絵に描く、など。
尺八は呼吸の鍛錬になります。とはいえ、不立文字です。
A.円の呼吸、吐気での発声、そのキープ、停止から吸気とを一つの円のようにイメージするのです。急に声にしたり、急に声を切ったりしないということです。ぶつけたり、いきなり断ってはいけません。早く吸うよりも、早く入ってくるように、それも直線的より曲線的に、です。
A.筋力でなく呼吸の力を使いましょう。吸うこと、吐くこと、止めることに意識を持ち、次に解放します。そして心や感情のつながりに意識をもっていくのです。深呼吸して、それをしやすい姿勢をとれたら、意識を離していくのです。
A.「出る息は出る息とよく知りよく覚れ。入る息は入る息とよく知りよく覚れ」(釈迦「大安般守意経」)これは、精神集中のための呼吸法としてですが。
A.「フゥー」は、世界共通の基本の声、リラックスのため息でもあります。
A.目的が違います。速く強い呼吸は、ストレスをかけて呼吸に関する筋肉を強化します。深い呼吸はゆっくりですから、リラックスしてメンタル面を改善し、呼吸のコントロールを習得するものです。真逆のようですが、トレーニングには両方とも必要だと考えています。前者は、リスクを指摘されることもありますが、瞬時に呼気する必要などを満たすのに、また、お腹から強く言い切るのに補助となるトレーニングです。
A.口呼吸は、腹横筋が弛緩して使いにくくなるとか、腰椎を支えにくくなるとか、脳への血液量不足による働き低下、頸の緊張、固有感覚受容器たる筋紡錘に影響し、頸性神経筋症候群などに。これらは、めまい、ふらつき、うつにつながることもあります。
A.頭が前に出ると、舌根が下がり、気道が圧迫されます。口呼吸がしやすくなるのです。個人差はかなりあるのですが、一般的に、ということです。
A.つなげようとする、つながらない、止める、止めてみる、すると、ずっとつながりやすくなる、つながっている。そんな感じで、意識やことばにはなりませんが、それをとることでうまくいく。なるようになることが多いのです。
体から息を吐く、声にならない、だからおかしいのではありません。思いっきり吐く、それがコントロールできないからで、雑、荒っぽい、そこが丁寧にコントロールされるなら歌としてはよくなります。無理なら少し大きさを抑えていけばよいのです。
A.浅い呼吸は、闘争状態で、それが必要なときもあります。これは、外敵や不安のストレス反応で、交感神経優位で副腎からアドレナリンなどストレスホルモンや心拍、血圧が上昇し、筋肉は緊張しているのです。
A.吸えなければ吐く、吐けなければ吸うことです。少し大きめに思い切り、口で難しければ鼻でもかまいません。どちらで吸ってどちらで吐くかは、あまりこだわらないでよいです。
A.大きく吸い過ぎると胸部が大きく広がりお腹がへこみます。そこで少し肩の力を抜いて吐くとお腹が膨らむのです。これを意図的に強調すると吐くとお腹が膨らむ、逆腹式呼吸となります。
A.下腹の筋肉群の使い方の名人は赤ん坊です。下腹部の収縮で内臓が上がり、横隔膜が太鼓の皮のように張る。腸腰筋、錐体筋、腹斜筋、腹直筋などですが、呼気にも体幹を保つ姿勢の維持にも欠かせません。
丹田呼吸法、肥田式強健法の肥田春光の正中心の呼吸法、藤田霊斎の調和息、その他の武道、養生道に下腹、丹田中心は共通しています。鍼灸でいう関元というつぼです。臍下3~5センチとか三寸とか。恥骨のあたりの錐体筋。恥骨から鼠蹊部にかけてのところでしょう。ちなみに、下腹部の筋力で動かしても、そこからへこむ膨らむのでなく、みぞおちがへこんだり膨らんだりするのです。
A.吐けば入ってくるので、思いっきり吐いてください、と言っても、吐けない人が増えました。運動経験や運動習慣が少ないと、筋力、柔軟性に乏しくなります。また、体幹部も硬く、体が使えないのです。無理は禁物です。少しずつ吐けるようになりましょう。
A.脳幹の根元の延髄が命じて、横隔膜が縮み、内膜が下がり、お腹が膨らみ、肺に空気が入ります。吸気です。その命令が止まると、お腹が元に戻り、横隔膜も上に戻り、吐く、呼気です。ぐっすり寝ている人をみてください。話しや歌は、吐気でコントロールするため、腹筋をより使うことになります。胸式は、胸郭を広げて急いで吸気を補うことができます。息が浅いのは、腹式だけでなく、胸式も関係します。胸部の筋肉が硬いと広がらないからです。
A.血流が滞っていると酸素、栄養と老廃物を交換できず、筋肉は硬く縮み、凝ったり張ったりする状態になります。それは、骨や神経を圧迫します。姿勢が悪いから、より血流が滞り、より血流が滞ると姿勢が悪くなるのです。
自律神経の交感神経優位で体の過剰反応が起きます。自律神経は血管や心拍数を司っているからです。必要がないからです。
毒、たばこ、アルコール、大気汚染、食生活の乱れ(量、時間)、添加物、電磁波、低周波、薬、化学物質、有害金属、洗剤、殺虫剤、ホルムアルデヒドなどで、ドロドロ血流になります。
同じ姿勢を避けることです。運転、座り方、席などを変えましょう、スマホ、パソコン、TV、カバンをもつ手を変える、ハイヒール、冷え、へそ出しなどもってのほか、腹巻をお勧めします。
A.踵をつけてから、足の親指中心に、地面を握るようにして歩きます。砂浜で是非、経験してください。
A.骨盤は、前や後ろに固定されず自由に動くので、真っ直ぐな背筋で硬直していないことが]必要となります。胸、横隔膜、お腹の一体感が大切です。肩が縮こまらないように、また、腕が上がらないことがないように、角張らないことです。肩は胸につながっており、呼吸に影響します(肩帯、菱形筋、胸筋、胸骨)。
腕を伸ばしましょう。上半身は下半身の支えで、本来、自由になっていることです。頭は首で体につながっています。支えられているのであり、垂れているのではありません。顎=骨盤の流れで、そこに、眼―性器のつながりがあると捉えてみるとよいでしょう。