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私は10数名のヴォイストレーナーとともに、ヴォイストレーナーにも指導しているため、内外のヴォイストレーナーのアドバイザーやヴォイトレをしている人のセカンドオピニオンもたくさんやってきました。ヴォイストレーナー、指導者、専門家以外にも「ヴォイストレーナーの選び方」などに関する質問が多くなりました。以下を参考にしてください。

「ヴォイストレーナーの選び方要項」 http://www.bvt.co.jp/new/voicetrainer/

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「1.ヴォイストレーナーの選び方」

「2.ヴォイトレの論点」

第7号「知識や理論に振り回されないこと」

○中途半端な知識、理論が邪魔する

 

 昔、私の講演にきた、ある専門家が、「ピアノの真ん中の音は、なぜ人間の話す声の高さと同じなのですか。」と聞くので、「私は人間がつくったから」と、答えました。

なぜピアノが両手で届く幅しかなく、20オクターブものピアノを作られないのかは、わかりますよね。勉強熱心な人は、このように、ものごとの正誤だけを求めて、本質を見失いがちです。これについては、「バカの壁」(養老孟司著)でも読んでください。そこには、個性は、頭でなく、イチローや松井秀喜、中田英寿選手のように、体に宿ることを説いています。

 

 なまじ知識や理論は、実践という見えないものをみる力、聞こえないものを聞く力が問われる現場では、邪魔にさえなります。人間が人間に伝えるために、長い人間の歴史の中ですぐれた表現者は、常に科学で捉えられぬことをやってきたのです。

どうして、頭で一秒に何千回も開閉、振動する声帯をコントロールできますか。

理屈でなく現実の人間の声で、世界中ですばらしい作品を生み続けてきたのです。

 本気で相手に伝えようとしたとき、人間の心から体、息、声、ことば、音色は、もっとも効果的に働きます。つまり、人間が本当に伝えたいときに伝えてきたものを、大切に受け止めてきたDNAに反応したもの、それが結果として目指すべき表現なのです。

 

〇分析は何も生み出さない

 

 よいものの要素分析はできますが、分析からよいものは生まれません。

この例は、正しい発声法をいくらそのしくみから解明しても、万人に効果のあるトレーニングにならないことに、顕著に現われています。間違いを防ぐために使われる科学的な理論などは、正しさを求めるところですでに土俵を間違えています。時代とともにある声は、未来の先取りしたアートと現実の社会の聴衆とともにあるからです。

 

 私はレクチャーで時に実例を見せます。こういう発声、ひびき、歌は、一見もっともらしいけど、嘘っぱちですと。なぜなら、私が伝えたい思いを持たずにやったからです。その結果、テンションは落ち、部分的にしか体が働かず、心が死んでいるからです。この声をとてもよいと思われる人がいるかもしれません。とても大きいかもしれません。でも、大きさとか声質しか伝わらないでしょう。皆さんは、これを技術とかキャリアと思ったかもしれません。しかし、伝わりましたか、感動しましたかと。

 

 ヴォイストレーニングを長くやれば、このくらいは数年で何割程度の人はできるようになります。だからって、これだけでは何にもなりません。

目的や方向を今一度、考えてもらうためです。声楽に学ぶのは有意義ですが、声楽家もどき声を目的にしないことです。イメージすべきことは、一流のプロの演奏レベルの声と歌唱力をもったとき、あなたはどういう世界を作るのか、ということです。

 

 お金があっても、使えない人にはお金は無価値で、お金を得ることを考えるのも、意味がありません。行動したら、お金は動きます。今のお金を最大限に使える人は、また大きく使えるだけのお金も得られるのです。この、お金のところを声に置き換えて考えてみてください。

 ただし、その上で何もわからない場合、数年かけて、声量や声質だけでも他の人に認められるキャリア、技術を先に得るのはムダなことではありません。それこそ、ヴォイトレの基礎なのですから。

 

〇すぐれたアートとハードトレーニング

 

 本当に人の心に働く声は、あなたの内面からしか変わりません。外面から変えるマニュアルや方法は、ただのきっかけか、一時しのぎにすぎません。もちろん、それも使いようによっては有効です。技術やスキルともなります。

 すぐれたアートが出てくるには、あなたの中にすぐれたアートが宿ること、あなたにアーティストがくれたものが、あなた自身とのコラボレーションによって、次代のアートがあなたに引き出されてくる、そこにしか真の可能性はないのです。

 

 昔から、私が述べてきたことがあります。「ヴォイストレーニングだけを考えると、おかしくなる。ハードにやるとのどを壊す。しかし、ハードにやらなくては身につかない。壊れないためには、音楽を入れておき、ギリギリでリスクを回避できるようにしておくこと。」

 これはトレーニングだからです。できたら、10年以上時間をかけて、ハードにやらずに身につけば、もっとよいのです。

声はやるべきことの10分の1に過ぎない。しかし、確かな10分の1は大きい力となる。ということで、

今も同じことを伝えているつもりです。

 

 科学(音響学)、医学(生理学)的な分析や客観的事実の限界は、そのことが真理であっても、人間が感じられたり、心を動かすものにならないということです。たとえば、声の強さは、声量(と人が感じるもの)と違います。

ピアノのダイナミックな表現も、腕力の強さや音の大きさでなく、タッチのメリハリ、速さ、鋭さ、ドライブ感から人の心に訴えかけるのです。

 

 案外と、声のヒントは、現実社会の人間の間に落ちているのです。

正しい発声法で歌えば、人に伝わるのではありません。テノール、ソプラノ、あるいはアナウンサーの発声が正しい発声の見本でしょうか。

 発声は、きっかけに過ぎないのです。心の表現が、発声を高度なところまで、そして完成を求めるのです。そこにヴォイストレーニングが必要なのです。そして、この入り口には、出口が必要なのです。

 

第6号「理論と実際の現場での違い」

○価値あることの演出と鏡のトレーナー

 

 トレーニングの考え方や方法に対し、科学や医学、身体学などの進歩は、マニュアルの誤りや誤解、誤用を解くヒントを与えてくれます。

私は、当初からプロとやってきましたから、自分のできることが必ずしも相手ができるわけではない、相手のできることが、必ずしも自分ができることではないということを痛感してきました。そのために、相手が価値あることができることが、最重要であるということを基本の考えとしてきました。自分と違う相手、違う目的の相手にどう対するかということです。自分と異なる時代や場に出ていく相手に対して、どう把握するのかを考えるわけです。

 

 多くのトレーナーの、自分にできたことを相手に、いかに早く簡単にできるように伝えるかでは、本人の本当の力を引き出すことはできません。少々うまいといわれるところまでもっていけても、そこまでです。第一線の現場に通用しないし、そういうプロを支えることはできません。

 

私自身はもっとも厳しく声で伝わるものを聞く“鏡としての役割”に徹してきました。自らも客観性を求めるため、専門家と声の分析も行なっています。

 とはいえ、いつになっても、私はデータ(仮に真理だとしても)を、自分の感覚よりも信じることはないでしょう。専門家と共同研究を続けながら、私は自分の耳を、これからも世界中をまわり、音や声でもっともっと鍛え続けていくつもりです。

 なぜなら、現場で私に問われることの目的は、声を正しく出すことでなく、結果的に、声で人々に感動を与えることだからです。それを自分の耳で聞き分け、誰よりも厳密に判断し、アドバイスすることだからです。

 

〇指導者の生む誤り

 

 私は単に呼吸法や発声法でなく、音楽や表現として、どう声を捉え、導くかを主にやっています。この分野は、まだまだ未開で人材も乏しいと思います。

 これまでの科学的な説(仮説を含む)や声楽家やトレーナーの指導書、方法論こそが、多くの誤りを生む原因にもなってきました。これもイメージを介しての指導であれば、端から記述されたことで正誤を判断すればよいというものではありません。

 

 声や歌は個人差(民族、言語や文化の違いも含めた上に)体や声帯の差、日常の言語や歌唱で得たものでの差、目的の違いが大きいからです。

さらに、声の発信体としての研究だけでなく、声の受信体(客の反応)としての研究も必要です。(音楽心理学や大脳生理学、音声知覚など)とはいえ、次のようなことが前提として、あるといえます。

 

1.スポーツのように、目的が一定でなく、個別の設定によるため、真似から正しく入りにくいこと。

2.目に見えない音であるため、耳にすぐれた人でないと、難しいこと。

3.指導上の感覚・イメージ言語の誤解、継承、解釈、使用の誤りが必ず起きること。

4.現場と研究との乖離、日常と芸術、舞台との距離があること。

5.音響や舞台装置など応用技術効果の導入で、表現の到達レベル、基準があいまいになったこと。

6.舞台、ショースタイル、客の趣向で大きく左右されること。

7.本人の生き方・考え方・パーソナリティが優先されること。

8. 才能より好みが優先してしまうこと)が優先されがちである。

 

〇常に表現、ことば遣いの修正の必要性

 

 私は、引用していた図表や理論、他書や他の方に教わった方法・用語を新しいものへと、差し替えてきました。私自身が直感的に述べてきたところは、今のところ、大きく変更する必要にせまられていません。それでも、思いがけなく、誤解を与えかねないところをみつけては、表現上の修正を常に重ねています。

 

 私の根本での考えは、同じですが、伝え方は日々変じています。相手により、時代により、違ってくるのです。

 現場と理論では、現場での効果が優先です。アーティスト相手の仕事である以上そうなります。トレーニングにどう対するかは、ケースによってまったく異なります。同じケースで全く逆の対応をすることもふつうにあります。

 

〇早くうまくなることのリスク

 

 たとえば、一時悪くなるけど、あとで効いてくるものと、一時、効果は出るが、大してあとも変わっていかないものがあります。これに関しては、トレーニングとして、前者をとるべきですが、なかにはそれを一時でみて、間違ったとか、下手になったと見切ってしまう人もいます。また、現場では後者をとらざるをえないことがほとんどです。そのため、いつも二段構えで臨みます。トレーナーが、この区別ができているのかがもっとも重要な点となります。

 

 スポーツのように、コーチに言われたようにやったら新記録とか勝ったというように、結果にすぐには還元されないし、試合もないから明らかな結果というのも難しいのです。結果がよければすべてよしという結果が公の場でなく、個人の感覚や好みで判断されるからです。レベルの低い日本では、長期的な成果は、促成栽培的な効果のまえに否定されがちです。結局、声も歌も、所詮、本人が選び、本人が決めるのです。

しかし、アートですから、教えるのでなく、刺激すること、気づかせること、自分の声の可能性を認識させることが、トレーナー本来の仕事だと思うのです。

 

 本人の要望に答えることと、それ以上の深い真理へいざなうことを、矛盾させないためには、神(この場合、一流のアーティスト)の手を借りるしかありません。

そのことのわかるアーティストとのトレーニングを行なってきた実績をもって、私は確信をもって述べているのです。プロは、投資分を必ず回収する力を持つ人です。力のある人はいわずともわかるのですが、それを一般の人にどう持っていくかは、難問です。本当に効果的な方法は、単独にあるのでなく、トレーナーと一体なのです。

 

〇科学的説明の限界

 

 たとえば、いかに高音が周波数で決まるから、そのように声帯の振動をどうこうでしょうといっても、人間が反応する高音は、音響技術のようにはいきません。

私たちは、現実には次のように声を使っています。表現として強めたいとき、息は強く吐かれ、声も強くなり、高くなり、それが強く伝わる、何よりも受け手は、それに反応してきた現実の生活と歴史、つまりDNAがあるのです。

 

 声の高さは、まだ比較的確かなものですが、そこでさえ、声帯の周波数ほか、いろんな要素で決まり、そのしくみも厳密には解明されているわけではありません。

周波数(音高)とピッチ(これは受け手の感覚値)も違うわけです。

倍音や音色などの要素が入ってくるので、複雑です。

 

 しかし、現実に、聴衆は声の高さや大きさ、長さを聞きたいわけでも、それに感動するわけでもないのです。現実の声の効果を聞きたいのです。

それゆえ、声の問題は、総合的に捉えざるを得ません。これをいくら基本的な理論や知識で理解しても仕方がないのです。つまり、声を高く出すため、などという問いは、歌を形(1オクターブ近く、高く出し、メロディと歌詞で歌うもの)と決めたところからきているのです。「高音コンクール」などがあるなら別ですが、それを目的にすることで、すでに本当の目的を飛ばしているのです。

第5号「力をつけるための基礎の徹底」

○効果を出し、力をつけるトレーニング

 

 養成所が与えられるものというのは、本番以上に厳しい場とそこで耐えうる習慣だと思います。伝わる、伝わっていないというのは、否応無しにわかってくるところでなくてはなりません。とことん音声に敏感になれたら、ということです。そうやって、ようやく自分の基準ができていきます。

 

 私のいいたいことは、読むことと実行できることは違います。そのことばの意味することがどういうことなのかということを、レッスンの場から気づいてこそ、効果につながるのです。

 トレーニングをやって何の意味があるのかと考えるような人もいますが、力をつけることで意味が見出せてくるのです。

習いに行かなくとも、それ以上のことをやっていて、それなりのものを作っている人はいくらでもいます。それを前提に考えなくてはいけません。今うまくできないとか、まだやれていないということは、気にすることはありません。

 

○あなた自身の声、そして歌に気づくこと

 

 自分のものがいつ出てくるかというのは、誰にもわからないのです。

続けていくには、手間ひまをじっくりとかけることです。そのことを最優先して生きることです。作品そのものからインスピレーションを得て、トレーニングの方法を自分で発見し、それを実践して、常にレッスンの中で問うていくことです。

 

 レッスンであっても、「その歌」を歌うのではありません。もし「その歌」から学べるものを全て学んだら、「その歌」にはなりません。「あなたの歌」になり、「あなたの声」に「あなた」が現れて、はじめて伝わります。

 

○徹底した基本のマスターを

 

 発声なども、1曲を繰り返し徹底してマスターすれば、ほとんどの問題は解決するはずです。もちろん、何事も発声法だけで解決するものではありません。

複合的なものを入れては出して、繰り返すのです。いつかそれを忘れたときに歌が出てくるのです。だから、発声と音楽たるものの基礎を徹底して、自分に入れておくことです。

 

 曲を本当に聞くことができているなら、一曲の中でリズムトレーニングも、音感トレーニングもできるのです。それが聞けない時期は、トレーナーについて、別の方法で音感、リズム感などを磨いていくこともあってもよいでしょう。そうして自分なりに、自分の方法論をつくってください。

 

○トレーニングで本当にやることとは

 

 トレーニングでやることは

1.長期的に身になること、今すぐ役立つものではないこと

2.やがて過酷な状況でも、のどが耐えられるようにしていく(鍛えてタフに、使い方を知ること)

 そのために、レッスンでは一人では、できないことを気づき、自ら、やりにいくのです。

 

 このように、あとで効いてくることをやることがトレーニングなのです。

 参考までに、中川牧三氏の言葉を引用させていただきます。

聞き手は心理学のオーソリティ、河合隼雄氏です。(「101歳の人生をきく」中川牧三・河合隼雄著 より)

 

河合:合唱団なんかも、ちょっと特別なものと違いますか。一糸乱れぬようにパーッとやって喜んだり、むずかしい曲を必死に練習したりして。

だけど、自分の身体からほんとうに声が出てきて楽しいという感じじゃなくなっているのが多いみたいに思うんですけどね。

 

中川:悪口のようになるから言うのはいやなんですけど、いまのみなさんの勉強のしかたには多くの問題があるように思います。世に蔓延する偽者(技法)に騙されてはいけません。それに近道を望んでもいけません。

レコードを、エンリコ・カルーソーのにしても、レナータ・テバルディのにしても、ほんとうに偉い人の歌をよく聴いてみてください。けっしてみなさんがやっているような声で歌っているわけではない。それがすぐわかるんです。

 

この歌をカルーソーはどう歌うのか。ここまでポジションをもちあげて、その次にここをゆるめて、この場所に入れる。それから曲芸を見せて、ウーッと・・・。真の芸当ができるのは真の力のある人だけです。

それに、この正当なベルカントの発声法は、ただ練習を熱心にしたからというだけでできるわけではないんです。

 

河合:それはしかし、音楽だけじゃなくてすべてに通じることですね。

いまはやっぱりみんな慌てるから。本当の先生は時間がかかるんですね。

 

中川:時間はかかります。

 

河合:パッパーッと真似して、「ここまで」とか「これで」と言うんやったら、これは方法があるんです。そこまで到達するなら、わりと簡単な方法があるんですよ。

それにいまの人たちは、歌だけじゃないですよ。あらゆる世界で、みんなマニュアル方式で「ここまで行きましょう」と。

それでちょっと才能のある人は、それにプラスして勝手にミックスしてやっている。

そういうふうな格好がものすごい多いかもしれませんね。

 

中川:そのとおりです。

 

河合:それをもういっぺん、ほんとうの先生から、人間から人間に、と。これは歌の世界で言っておられるけど、あらゆるところに通じることじゃないですかね。

現代の大問題。それは機械でパッとわかるということと同じで、要するに、要領のよい方法であれば、ここまで行きましょうというのは、ものすごく発達してきているわけです。

 

中川:あらゆる分野で。

 

河合:また、若い人はすぐ、「先生、どうしたらそうなりますか」と訊くんです。

 

中川:よく訊かれますねえ。

 

河合:その問題がすごく大きいことかもしれませんね。で、生の、生きている人と生きている人の関係というのが少なくなってきて・・・。

 

中川:イタリアでも発声レッスンの場合、習うほうにしてみればもの足りないんです。

それらを積み重ねて紙一重の違いを見極めていく忍耐がいるんですが、でもいまの人は、じれったいんでしょう。それから、曲をちっともやらしてくれないから、おもしろくない。それより、一つの曲を二回歌って、克明に直してもらう「曲づくり」のほうを喜ぶ。それでは何にもならないんだけど。

「人生の意味」

質問で、結局のところ、人生の意味とやらいうようなことに関わることを聞かれると、いろいろに答えてきました。わかっているようなつもりで、あまり自分のことでは考えてこなかったように思うのです。

仕事も人の出会いもそれなりに、創ってきたつもりですが、それも与えられたのかと思います。仕事も感情も自分以外の相手に向けられているものであり、自ら、意味を問うまえに、そういうものから問われてきたように思えるのです。

年齢を重ねると、知人の死に出くわすことが多くなります。仕事や親しい人をなくした人にも会うようになります。ときに仕事も関わる人もないところでは、何が自分に問いかけてくるのかと、考えるようになってきました。

これからくる未来へイマジネーションを働かせ、そこに使命や責任を感じ、モティベートの力にすること、そこで、人生の意味が生じてくるのかなと感じています。

第4号「まねすることとトレーナー」

○トレーナーの声や歌手の声をお手本にすることについて

 

 コピーできるのは、あなたが素人なら、素人でもとれるところ、つまり、真似てはいけないところの方が多いのです。感覚と体がプロのレベルでないと、見えないところ、聞こえないところ、つまり肝心なところは盗れないのです。盗れるなら、同じように発声もでき、歌もすぐ歌えるはずでしょう。

 

 トレーナーの声の見本は、声帯や体が違うのですから、参考にとどめることです。もちろん、声楽や邦楽では、徹底的に時間をかけて見本となる人を写しとります。その後、同じようにコピーしても、完全にはとれないところに、個性をみつけていくという方法もあります。

しかし、トップスターのコピー方式は、二代目、三代目と器を小粒にしてしまいます。トレーナーの声を真似るまえに、一流ヴォーカリストの、声の使い方に直接学ぶべきでしょう。

 

〇一声と三つのくみたて

 

 独自の個性で売れているプロのヴォーカリストに声を学んでどうなりますか。ファンは嫌がります。ファン以外はもっと聞かないでしょう。

一アーティスト、一声なのです。真似は、使いようによっては、最短の方法ともいえますが、場合によって、かなりリスキーなやり方といえます。似ている声の歌手やトレーナーほど、真似やすいため、上達したかのように勘違いしやすいのも、問題が大きいです。

 

 プロ歌手は持っている声、発声(声の使い方)、声での音楽の組み立て、少なくとも、この三つで成り立っているのです。歌は応用だから、やり方では教えられないのです。

 すぐれたアーティストがレコードから学んだように、CDからどう学ぶか、耳の力をつけさせることに専念してきました。聞き方が変わって、はじめて声も内から変わるからです。

 

○声域や声量をまねない

 

 特に高音や大きな声の見本をトレーナーがやると、それをマスターできればと思う人が多いのですが、問題です。一般の人がプロらしく聞くような声は、いわゆる、それっぽい声です。伝えたいという気持ちや集中力なしに、体の部分的なところで、片手間で真似られるくらい声が通じるはずはないのに、日本人には、そういうものを声の大きさ、高さだけをみて技術と思う人が少なくありません。(困ったことに、プロやトレーナーにもいます。)

 

 カラオケ上達法としては、高音の歌手を真似るのはてっとり早い方法です。多くの人がやっています。しかし、それでうまくできた人も、プロになれるとは思わないでしょう。できなかった人は、トレーナーに細かく教えてもらっても、さして効果が出ているとは思えません。もって生まれた楽器に性能の個人差と限界があるからです。

 

○トレーナーに似せない、真似ない

 

 私はたくさんのトレーナーとともにやってきました。すると、トレーナーと発声や歌がそっくりに似てくる人がいます。表向きだけ、そうならないように、気をつけています。真似たら、悪いところだけ真似てしまうため、歌が嘘くさくなるのです。あとで伸び悩むタイプは、この傾向が強いのです。これは、ポップスでは、もっとも気をつけなくてはいけないことです。

 

〇自分の見方

 

 集団指導のメリットの一つとして、他の生徒を見て、まねを見抜く目をつけられることがあります。ただし、厳しい環境下で同じメンバーと45年は続ける環境がいります。自分の声に対する判断が、このように難しいことを知れば、トレーナーは必要欠かすべかざる存在です。

 すぐれたトレーナーの判断力を学ぶことで、自分についてもかなりの精度で客観視できるようになります。その判断力を求めにいくのが、レッスンなのです。

もちろん、初心者は、トレーナーの発声がヒントになるし、真似から入るのはやむをえないと思います。実践的で実感できるレッスンを求めているうちは、本質がみえないからです。

 

 一人のトレーナーの見方が全ての基準ではありません。それは一つの見方として見ておけばよいのです。多くの人は一つの見方さえもっていません。自分自身の見方をつくるために、あるトレーナーの判断を一つの叩き台にすればよいのです。トレーナーをもっとも厳しい客として想定するのです。つまり、そのトレーナーに認められたら、世界に通じるくらいの厳しい基準を共有していくことが大切なのです。

 

〇捨ててから創る

 

 選曲なども、今まで自分が歌ってきた曲を全部捨てたときに、自分から何が出てくるのか、何が歌い出すのかということを見ていくことです。自分にしかできないところで勝負するには、どういうメロディ、どういうことばの方がよいのかを追求しましょう。

そういうことを見つけるために、私は、ノートに50音や練習のフレーズなどをつくらせています。それは、滑舌や早口をやるためではありません。自分のことばで声をものにするためです。

体と心が一致してきてはじめて、ことばや音楽も自然に処理できるからです。

 

〇音の感覚と語り

 

 音楽を入れて、そこで歌うのではありません。心から語ってください。これは、プロセスでなく、高度の目標なのです。語るということは高度なことです。ただのおしゃべりではありません。ただ、音楽が入っていないのにしゃべっても、歌にはなりません。

歌をやっていくのであれば、音の感覚の中から勉強していくことです。いったいどういうふうに聞こえるのか、他の人が読んでいるものをもっとていねいに読めるようになることからです。

 

○自ら創る努力を優先にする☆

 

 トレーナーが見本をみせて、「その通りにやりなさい」というのは簡単そうで、実のところ、できることではありません。そこでできていないのに、できているかのように思わせて、ほめていくのが、日本によくあるヴォイストレーニングです☆。

これでは、メンタルトレーニングでしかないのです。

似ていくように思えるのは、基準が甘いからであって、初心者にしか通じません。いえ、完全に似たところで先はないのです。その結果、あなたの本来の活きる力、創造性、アイデアや内容を殺してしまうことになりかねないからです。

 

〇不足と補強

 

外国のトレーナーなら、そういうことはやらせないことを、私は実に多く現場で見聞し、体験してきました。(外国人トレーナーのすべてがそうでありませんし、日本人向きのトレーナーは、ほぼ違ってしまいますが。)

 たとえば、スキャットやアドリブができないということは、それだけ入っていないのだから、入れては出す努力をさせ、待ちます。何でもよいから創る楽しみをもって、たくさん入れて出させます。そのあとに、人々に伝わるものを選びなさいとなるのです。

よくないということではないのです。いつも足りないということです。しかし、この自由度を本当に使えるのに、プロ並の力や思想、感覚がいるともいえます。

 

〇つくる

 

 最初はたくさんつくらなくてはいけません。その中から自分自身で選んで質を高めていくことができるようになることです。その辺の手間ひまを惜しまずじっくりとかけていくようにしてください。

 そこで腰を据えてやっていくのです。そうでないものをつくってみても、その先はやれません。たぶんトレーナーの10分の1の力もつかないでしょう。

 最近は、そういうことがわからない人が多いのが、気になってきています。つくれないからこそ、自らに深くとり、入れる必要性が出てくるのです☆。その必要性に基づいて声も入ってくるのです。

 

〇トレーナーを複数にし、一人は長期的につく★

 

 研究所の中にたくさんトレーナーがいます。また、ここだけで考えているのではありません。ここにいるとか外にいるというように区別した考えではやっていません。というのも、役者や声優などにはWスクールの人が多いからです。

 

 実際にここは続ける人が多く、業界でも在籍年数はトップだと思います。ここを出てからも、会報を5年、10年と購読している方がずいぶんといらっしゃいます。

それは勉強とともに、表現ということへのモチベーションということで続けられていると思います。

研究所の内外ということはあまり考えていないせいか、業界でやっていく人はここを切らないで、何らかと結びつきをとっています。いろんな生き方があり、その選択があると思います。

 

 誰とやるか、何人のトレーナーとやるか、実際には自ら試してよいと思います。ある時期は、このトレーナーでやって、半年か1年で見直すなど、いろんなパターンがあります。半年、1年とやったときに、何が得られた、何が足らなかった、では次の1年で何をやろうというように、見直していくのがよいと思います。

 私のところでは、二人をつけて、そのうち一人は長期的に担当させるようにしています。誰かが継続してみていることを交代や調整を両立させる、もっともよい方法と思います。

第3号「判断力そのもののアップとサポート体制」

〇ヴォイストレーナーやそのやり方での混乱

 

 ヴォイストレーニングの位置づけは、人によってまったく違います。

それぞれの人の求める目的も違います。ヴォイトレをする人の要求レベル、得たいもの、方向性、それに対して今のレベル、今の声、体や声帯などに、かなりの個人差があります。

 

 さらにヴォイストレーナーも、出身畑、経歴やキャリア、得意分野もそれぞれに違います。方法だけでなく、声の見方、判断の基準、めざす方向も違います。まして歌となると、千差万別です。

誰にでもあてはまる唯一のメニュなどないというのは、一流のアーティストのトレーニングプロセスからも明らかです。現実に、私のところでも一アーティストごとに違うし、それぞれいくつもの方法を持っているのです。

 

〇ヴォイトレの発声のテクニックは捨てる

 

 自分の表現のイメージを描き、体や呼吸を鍛え、音楽を叩き込み、内面から変わるのを待つのです。ヴォイトレのすべてはそのためのきっかけにすぎません。

方法やメニュというなら、私は千も一万ももっています。どれがよいというものではありません。相手を知らずに、これは絶対に誰でも通用するよい方法などといえるものはないのです。

 

 できないことができるようになるためには、そのギャップについて、考え、自分でメニュをつくるとよいでしょう。もっとよいのは、他の一つ上のことをやっているうちに、自然とできてくるのを待つことです。そういうトレーナーを求めましょう。そして自分の心のなかに音楽を宿し熟成させることを見つめることも大切なことです。

 

 入っていないものは出てこないのです。気づかないものに気づく、足らないものは補う、入っていないものは入れる、すぐにできる方がおかしいでしょう。発声のテクニックなどは捨てましょう。

それは大体は無理にやって、できたと基準を甘くしているだけです。

できたのでなく、ごまかしてこなしたのです。解決したのでなく、問題に気づく機会を見逃したのです。だから、トレーナーが必要なのです。

 

〇ステージとヴォイストレーニングとは分ける

 

 トレーニングとステージとは、分けてください。トレーニングは、結果として表現に反映されてくればよいのです。この場合、“表現”というのをどう定義するかです。私は、立場上、音声表現は声の応用形の一つとしています。応用(歌やせりふ)は、何も考えず思い切って行い、基本(トレーニング)でチェックするべきだと考えています。

 

 ステージでは、「ヴォイストレーニング?そんなものはないと思え」、ということです。

トレーニングは、そのときの課題と克服を目的として、ある期間、「意識的に、不自然に、部分的に、強化、調整する」ために行います。歌は、「無意識、全体的に統一され、自然」になるようにします。

私は、歌と声を816小節(半オクターブほど5秒~15秒くらい)で徹底してチェックすることで、そこをフレーズとして、歌とヴォイストレーニングを結びつけています。これをオリジナルフレーズでのデッサン練習といっています。

 

〇声や歌の判断力をつけてから放すこと

 

 トレーニングをすれば、上達するのはあたりまえです。常にどのレベルをめざすのか考えてください。それは必ずしも歌のうまさや声のよさを条件にするとは限らないのです。歌のうまさや声のよさと、世の中に出ていけることとは違います。まして、高い声が出る、声域が広がることは、歌がうまくなることと違いますし、声がよくなることとも違います。

 

 歌というのは、まずは自分がもっているもののとおりにしか出てきません。そこは、あなたが自分で判断するしかないのです。その力をトレーニング(レッスン)でつけるのです。

他人の判断に一方的に依っていくと、あなたの歌ではなくなってしまいます。しかし、自分の判断もあるところからは保留にして天任せにするようにしましょう。何かが降りてこられるように我を消し、器だけにするのです。☆

 

〇正しいのは、間違え以前が多い

 

 日本人は、正しい方法で正しい発声での指導を望みます。この場合、正しいというのは、誰か(プロ)のようにというレベルを目的にしがちです。

現実には、誰もアーティストを正しい発声や正しい歌ということでは評価しません。

トレーナーを利用するなら、正しい判断してもらうのではなく、そこで自分の判断基準を学ぶことです。判断などされてしまうくらいのスケール、テンションでは、世の中を切り拓けないでしょう。

 

〇気づいて変える

 

 今のあなたが、思い通りにいっていないなら、その下にあるものを変えなくてはずっと同じです。でも、変えられる人は、とても少ないのです。その気づきや問いを与えてくれるのが、レッスンです。

「自分自身が選んだ」と思ったときでさえ、多くの人のその決断は定まっていません。むしろ、よりすぐれた師や世の中から、自分自身のめざす世界から見限られていることが大半です。まだ、決めるには早ということです。準備がいるのです。

 

 自分で早々に決めるのは悪いことではありません。自分の器以上に望むことは、想像以上の苦労を強いられるからです。やがて多くの人は、そこまでしてそれを成し遂げようとはしなくなります。

それをノウハウや他人のせいにする人も多いのです。そうしないのなら、まだ何とかなるかもしれません。いつも、そこが大きな人生の分かれ目です。それは、才能、努力でなく、決断です。

自分の判断の力、決断、選択の力をアップするために学ぶようにしているのです。

 

〇お勧めできない

 

 世の中には、正解が一つと思う人が多いのには、閉口させられます。正しいやり方、正しい声、正しい歌、正しい人、そんなものの考え方、見方ほど、アーティックなものと反するものはないのです。

 プロとして、世の中でやっていくのには、世の中に出ていない人、何らやり遂げていない人は、私の経験上では、あまり参考になりません。

一つのやり方のみ、正しいという人、誰にも同じようにやらせる人(レベルによっては可ですが)もあまりお勧めできません。

 そういうトレーナーが多いので、私も地方などをよく紹介を頼まれますが、ヴォイストレーナーに関しては、大いに人材不足です。トレーナーが、自分を見本にさせて、相手の本来出てくる力を下げてしまいかねないのです。

 

〇自己実現のための声

 

 私のところには、お笑い芸人だけでなく、若い映画監督や演出家などがいます。ヴォーカルとして声のまねごとの追求する人よりは、求めるレベルが高いのです。やるべきことがあって、それをやるのに声のコントロール力が必要だということに、気づいたのでしょう。

そういう人には、きっと自分の世界を創るのに、声が大きな武器となることでしょう。

「今の人生は自分の選択、判断の結果、正誤を追うな!問いをつくれ!」ということです。

 

〇ヴォイストレーニングで人生好転へ

 

 私は、その人が音楽や舞台を続けようとやめようと、楽器を習う以上に、声のトレーニングは確実に豊かな人生づくりに役立つことを確信しています。

その人が本当に声を磨き、鍛えてきたというヴォイストレーニングであれば、人生が好転しないはずはありません。

 ところが、ヴォイストレーニング、あるいは声や歌の術中にはまりこんでか、うまく世の中に活かしていない人の多いのが残念でなりません。声もよく、歌もうまいのに、それゆえ、プライドにしばられて不幸なままの人も少なくありません。

 

 声は一生使うものです。仕事でも、生活でも、多くの人にとって、声のない人生は考えられません。(声を失った人でも、声を発します。声を伝えるというのが、ただの音ではなく、意志、心という意味で使われているのが、その証拠です。)

 ですから、ヴォイストレーニングに深く親しみ、何よりもそれを活かし、あなたの人生を豊かで実りあるものにしてください。これが多くの方々の声に助けられ、これまで生きてこられた私の真の願いです。

 

〇トレーナーの相性

 

 一人で指導しているトレーナーやカリスマトレーナーのいわれるままに分担しているトレーナーのところでは、伸びない人は文句など言わずやめていきます。その文句は、次に訪れたトレーナーのところで出るわけです。すると、前のトレーナーはうまく教えてない、とみなされるわけですが、実際はそこで伸びていた人もいるから、トレーナーを続けられているのです。どちらの立場もみられるスタンスが必要なのです。私は、複数トレーナーでの個人レッスンプラス、第三者のチェックという体制にしています。

 

 最初は意見があっても、合わなくなることやらの繰り返しもありましょう。トレーナーとは、とても合ってうまくできたといっても、ただ、くせで固めただけのことも多いのです。だから、学んでいることでの問題点をきちっと見ていかなければいけないのです。

 

 問題は、プロセスと結果を第三者をおいて検証していないことです。私が十数名のトレーナーと共に行っているのは、そのためです。養成所などでは、残った人だけができたとなり、やめてしまった人の理由というのは、当のトレーナー本人にも、わからないわけです。それを解消したかったのです。

 

 一人で指導しているトレーナーやカリスマトレーナーのいわれるままに分担しているトレーナーのところでは、伸びない人は文句など言わずやめていきます。その文句は、次に訪れたトレーナーのところで出るわけです。すると、前のトレーナーはうまく教えてない、とみなされるわけですが、実際はそこで伸びていた人もいるから、トレーナーを続けられているのです。どちらの立場もみられるスタンスが必要なのです。私は、複数トレーナーでの個人レッスンプラス、第三者のチェックという体制にしているわけです。

第2号 「ヴォイトレの目的」

2号 「ヴォイトレの目的」

 

○声の先天的と後天的なところ

 

 声には、先天的なところと後天的なところがあります。厳密には、指紋と同じで、一人ひとり“声帯”も喉も違うのです。他人と同じにはなれません。

声帯や発声器官での限界もあります。声や歌は、けっこう加工できるので、それをわかりにくくしてしまいます。特にうまくなろうと思い、早くうまくするという指導をされると、限界が早くきてしまうのです。それで満足できるなら、これも悪くはありません。しかし、その先、深められません。

 

声帯を中心とした発声器官自体もトレーニングで変えられます。変えなくても、声の出し方で変えることもできます。いろんな可能性があるのですが、私は、前者の可能性から考えるようにしています。

 

○目標をはっきりさせよう

 

ここで知ってほしいのは、すぐれた成果をあげたいなら、「自分が持って生まれた楽器をきちんと使いこなすことに目標を絞る」ことです。声はもって生まれたものだけに「可能性があるとともに、制限もある」のです。

でも、心配することはありません。心配することが、発声を一番悪くするのです。

 あなたの目標が、実際に身につけることなら、大切なことは、それを今日から生かすことです。すぐに生かせなければ、どういう形なら生かしていけるかを考えることです。考えられなければ実践すること、です。

迷ったら、行動してください。迷えるのですから、勇気を出して、思うようにやってみてください。

アドバイスはトレーニングで行きづまったら、また読んでください。

 

○わからないことを恐れない

 

 私は、少なくとも、声に関しては、学び始めたころの数百倍もわからないことが増えています。しかし、トレーニングによって自らの声は鍛えられ、このような仕事ができるようになっています。

 大切なのは、「声を、現実にどう生かすのか」ということです。声がわかってもわからなくてもどうでもよいことです。わかるとは、どういうことでしょうか。

あなた自身の問いをつくることです。あなたが、あなたの夢を現実にかなえていく、あなたの答えを追及していくのです。

 

 「ヴォーカリストになりたい」「役者になりたい」「声をよくしたい」

本を読むのも、スクールにいくのもよいでしょう。しかし、わからないことがわかっても、疑問が解けても、何にもなりません。

実は、わからなくても、最高のステージができていったらよいのです。人生でやりたいことが実現できていったらよいのです。

 

○問題にする必要のないこと

 

 よく尋ねられる質問の中には、高音の出し方、声区のチェンジ、ファルセットのかけ方、ビブラートのやり方、ミックスヴォイス、マスケラ、ベルカント、デックング、ジラーレなど、たくさんあります。

 

 ここでは、複数のトレーナーに答えてもらい参考にしています。(「発声と音声表現のQ&Aブログ」の共通Q&A参照)

それ以前に、問題にすることにおいて問題になるものは、問題ではないと思うのです。あまりによく聞かれるので、触れました。

 あなたが、ヴォイストレーナーか弟子をもつ声楽家なら、世界の最先端の研究や言葉の意味、由来を知ること、そういう専門家との知識のやりとりも必要でしょう。

でも、これからヴォイトレをするのなら、まず自分自身に向きあうことです。自分を知るのは、将来の他人を知ることより難しいともいえるからです。

 

○トレーナーのノウハウの大半は不要

 

 アーティスト、ヴォーカリストを目指すなら、現場では、「ベルカント唱法をやっていた」とか、「○○先生のもとに通った」とかはいりません。偉い先生のもとにいたからって、あなたが偉いわけでも、できたわけでもないのです。

 

 こういった技術が習得できた、だからといっても、大して使いません。使うところもありません。

使うというのは、技術とみえなくなるまで、習得しなくては使いようもないからです。ある技術を習得したらプロになれるというのは、日本人らしい真面目さからくる誤解です。

 

 あなたの声が何を表現するかがすべて、です。

問われるのは、あなたの(作品としての)価値がどこにあり、何を補うべきか、そのための手段として、ヴォイストレーニングがどう有効に活かせるのか、ということです。

相手の肩書きや経歴にこだわらないことです。声がみえなくなります。

 

○マニュアルを超えること

 

 私の答えは、いつもとてもシンプルです。複雑で、難しくなるとしたら、おかしいと疑いましょう。それは、歌や表現を声の中でなんとかしようなどと考えるからです。

あなたの表現へのこだわりを徹底して深め、声に込めるのに努めましょう。できたら、詩や音楽の神様の導きの元に・・・。

心と体、呼吸と声は、大きく結びついてきます。そのために学ぶのです。

 

マニュアルは所詮、マニュアルです。トレーナーに教えられたり、直されたりしてしまうような歌や声が、世の中に通用するわけがありません。誰もトレーナーやプロデューサーの出した答えを、あなたに再提出してもらいたいのではない。そんな安易な方法(論)やマニュアルや技術で得たようなものは、それが前面に出てしまうだけ、よくないのです。トレーニングのプロセスとしてのみ是とされることもあるのです。

それは、“声らしいもの”“歌らしいもの”ではあっても、決して真の“声”“歌”ではありません。

 

 あなたは、あなたの答えを出さなくてはいけません。他人のように歌うのでなく、あなたの歌を歌う、いいえ、あなた自身を歌ってください。「発声からでなく、声の使い道から考えること」です。つまり、目的から考えることです。ヴォイストレーニングは、その補強に最低限、必要であると位置づけるべきなのです。

創刊号「ヴォイトレと研究所」

○ヴォイトレのレクチャーにいらっしゃる人々

 

 最近、私のレクチャーには、歌手、俳優志願の人、ベテランの役者、お笑い芸人、プロデューサー、インストラクター、ときどき、ビジネスリーダー、指導者、演出家、映画監督の方などがいらっしゃいます。

一般の人で、人前で話す人、声に関心のある人も増えています。高齢者から、中高校生まで、声に悩んでいる人も増えました。ここにも、最近は何人ものトレーナーが学びにいらっしゃっています。 

そういう人を念頭において、ヴォイストレーニングに関心のある人、全般のために述べていこうと思います。また研究所へ寄せられる多くの質問のうち、トレーナーとトレーニングに関係することを主に取り上げていきます。

 

○ヴォイトレの混乱

 

 いらっしゃる人のなかで、「ヴォイストレーニングがよくわからない」「わからなくなった」といわれることが少なくありません。多くの本やセミナーがあるのに関わらず、逆にそのことが混迷を深めているように思われます。

事実、ワークショップやヴォイストレーナーの研修や、劇団などに話をしにいくと、そこでは多くの人が自らの声についてもですが、他人に声を教えることについて、悩んでいるのです。

どうも声のトレーニングについて、何か根本的に勘違いしているのでは、もしくは声そのものや声に求められるものが変わり、客の好む声も声の役割も変わってきたのではないかということからの疑問も少なくないようです。

 

○体験からの指導での問題

 

 ヴォイストレーニングはカルチャーセンターでも人気講座の一つとなり、ヴォイストレーナーやヴォイスティーチャーを肩書きにする人も増えました。それはうれしいことなのですが、現場で混乱をきたすようになっているのは、なぜでしょうか。もちろん、多くの場では、事なく行われて、効果や実感を得て満足している人が、7割以上と思います。それは、それでよいとして、ここはそうではないケースで相談にいらしたところについて述べています。

 第一には、短期にあいまいな目的を遂げようと急ぐことです。それに対応するかのように安易に自分の体験だけをもとにしたヴォイトレや人のマニュアルが多くなりました。とんでもない誤解や誤用まで引き起こしています。

一言でいうなら、トレーナーが自分一人で指導をやっているために、あまりにも客観的な検証に欠けているのではないかということです。自分を元に考えるのは当然ですが、あまりにも相手の一人ひとりの個人差に無理解のまま、自分と相性のあった人にのみ、あてはまるやり方でやっているためと思います。

それは、私の本を指導に使っていただいていることにおいても懸念していることです。この分野で出版してきた私も、少なからず責任を感じています。是非、直接質問をしにいらしてください。

 

○本やマニュアルの使い方

 

本やブログは、相手(読者)を知らずして、トレーニングを述べることです。そこで、ことばでの限界を知って対処し、誰でも何でもできるようには、私は書いてこなかったつもりです。それでも現実には、誤解、誤用を、まぬがれません。そのため私は510年ごとに改訂版、あるいは新版にて表現を改め続けてきました。    

さらに、こうしてブログなどでも最新に更新しつづけています。新旧両方を比べて読んでいただくと、よい勉強になると思います。

 

○課題を明らかにする

 

 新しい時代に、いろんなトレーニングメニュが公にされるのも、よいことです。何事であれ、いろんな材料はあった方がよいと思うからです。そして、現場での経験を基に、どんどんと本当の力をつけていただきたいと思っています。私自身も安心して、本来の研究や活動を深められるようになるとしたらありがたいことです。

 とにかくも長年にわたり、多くのことを、多くの人と試みてきた私の経験や見解を述べることは、必要とする人にはお役に立つと思います。

 これまで受講を望む人の層が思いの外、広がっていったため、いつも新たに未経験の相手に試行錯誤でやってきました。そのため、いつまでも、課題は尽きないのですが、その課題も明らかにします。

この分野に欠けているのは、声という幅広く深い分野に対して、多くの専門家との協力体制に他ならないと思うのです。

 

○ヴォイトレする人は、ヴォイストレーナー

 

 私は、ヴォイストレーニングをする人は、自らが自分のヴォイストレーナーであるべきと思っています。ですから、私がヴォイストレーナーとして、私のヴォイストレーニングを語るのではありません。

 私にとっては、ヴォイストレーニングとは何ぞやと、ヴォイストレーナーとは何ぞやということは、そう簡単に述べられないものです。

 この分野を私が代表できるものではありません。私自身も一人よがりを防ぐため、医者と音声学者など多くの専門家にアドバイスなどの協力をお願いしています。

 自分についてもっともよく知る自分こそが自分の最良のトレーナーです。一方で自分の声について、完全には知ることのできない自分を補うために参考としてください。

 

○ヴォイトレの体系化としての出版

 

 私は、これまでたくさんのヴォイストレーニングに関する本を出してきました。

今から二十年前に、ギターやピアノの本の棚があるのに、声に関する本はほとんどなかったのです。あっても声楽の本がほとんどで、あとはスピーチ、話し方の本、吃音矯正の本、のどの病気の本などでした。

当時は、発声練習やヴォイストレーニングといわれていました。

 そこで私は、ヴォーカルやヴォイストレーニングという棚ができるところまでは、入り口をつくろうと思いました。幸い、多くの方の賛同を得てヒットを重ね、その後、いろんな出版社がこぞって出すようになりました。

他のトレーナーが職として自立しやすくなったくらいの礎にはなったつもりです。

私の一連の本によって、多くのトレーナーの受講者も増えたとの嬉しい知らせもいただいています。また、私のところのトレーナーなども、ほとんどが10代の頃、私の本の愛読者であったとのことで、並々ならぬ責任を感じています。

 

○量から質への指導とトレーナーとの連携

 

 私は、ヴォイストレーニングの本をもっとも多く書き、世界中を飛びまわり、声やトレーニング法をサンプリングする一方で、日本で最も多くのレッスン生を抱えたヴォイストレーニング専門の研究所を主宰しています。

そこではポップスから声楽家まで、複数のトレーナーを一人の生徒につける方法で、2年から長い人で10年以上みてきました。在籍人数、平均300400名で20年以上ですから、本当に多くの人の声と接してきたわけです。

 

研究誌としての会報(月に1冊、本1冊分)は300冊以上、講演会は150回以上、レッスンは何千回? そこで答えてきた質問は、何千か何万か数えきれません。

そこから、現場での実践のプロセスをふまえ、できるかぎり本質を落とさず、ヴォイストレーニングに対して、何冊もの本をまとめてきました。

 

 一方で、これまでずっと、各専門家と声を科学、医学、身体の面から声というものにアプローチしてきました。現在は他のトレーナーやスタッフとともに、一人に複数トレーナーをつける個人レッスン体制を確立しています。

日本でのトップレベルの演劇、放送、ミュージカル、お笑い、歌手、俳優、声優、芸能歴30年以上のベテランや、ミリオンセラー歌手まで、初心者からいくつかの学校のヴォイストレーナーの指導まで行なっています。一般の方やビジネスマンやVIPのためのヴォイスティーチャーもしています。

 

○ヴォイストレーナーの仕事、私の実例

 

 私はようやく多くをトレーナーやスタッフに任せられるようになりました。そこで、自分でしかできない仕事を中心になってきています。私自身のやってきたことを自問してみました。よくトレーナーの仕事の内訳を聞かれます。その答えにもなっていると思います。

 

1.声のレクチャーで質疑に応答

2.トレーナーの質問に答える

3.ホームページ、ブログ内容への質問に答える(参考:「発声と音声表現のQ&Aブログ」)

4.ヴォイストレーニングのメルマガを発行(7誌を配信、現在1誌、まぐまぐで購読可能)

5.専門学校や大学、カルチャー教室、劇団ワークショップでの講座

6.ヴォイストレーニング専門の研究所を運営。そこでトレーナー陣と多くの人を引き受ける

7.研究所と他のスクールでのトレーナーの選考、管理、レッスン受講生のレポートとトレーナーの報告書のチェック

8.国内外の専門書収集。研究所に声のライブラリーをつくる

9.医者、科学者、言語学者などの専門家、研究生と国内外の声の分析

10.芸人から声優、役者のデビュー前から、プロのベテラン歌手まで指導

11.多くのヴォイストレーナー、指導者の悩みに答える

12.ヴォーカルや役者の養成所を設立協力、トレーナーの講習

13.トレーナーになる人の、それ以前とそれ以後をみる

14.プロとなる人の、それ以前とそれ以後をみる

15.通信教育制作と指導

16.教材制作と指導

17.マスコミ取材(参考:ホームページ「マスコミ掲載記事」)

18.会報やマニュアルの発行

19.トレーナー、プロデューサー(海外含む)にトレーナーに指導を受けたり、プロデュースする

20.さまざまな提言を業界や企業、教育機関などにする

 

○私の音声教育との関わり

 

 私が声とその周辺のことに人生の多くを費やしていることがわかると思います。会報を300号以上、出し続けているので、それを読むと歩みがわかってもらえると思います。(年鑑も刊行予定)

 

 私がこのようなものを書くときには、同じことを何十回、聞かれたくないからということも少なくありません。しかし、それだけ多くの人が同じ問いを発しているのだから、早く伝えたいと思うのです。

 

 もう一つは、今の時代において、ヴォイストレーニングがどういう意味をもつか、というところからヴォイストレーニングを考えてみたいということです。ヴォイストレーニングをしたい人や、ヴォイストレーニングをしている人、特に最近多くなったヴォイストレーナーも念頭において、述べています。

 私も、多くの先達の、方法、考え方も参考にしています。これについては、いずれ、機を改めてまとめたいと思っています。

 

〇自戒をこめて

 

 国際的に、あるいは日本では高いレベルのプロと長年にわたってやってきた私の経験が、ヴォイストレーニングをやっている人やこれからのヴォイストレーナーにも、参考になれば嬉しく思います。

学校の先生向け教育雑誌の連載で、幅広く声の教育に携わる方々と対談できたことも、大きなプラスに

なりました。

これらが結果として、多くの人材を育てられる一助となりましたら、望外の喜びです。

いつもながら、皆さんの忌憚のないご意見、ご批判をお待ちしております。

 

 私自身のやってきたトレーニング、そしてまたトレーナーたちと試行中のレッスンスタイルの変遷を明らかにしていきます。三十年以上、十数名の有能なトレーナーを有しておきながら、未だグラミー賞やアカデミー賞の受賞者すら、出せていない私の痛恨の歩みです。是非、これを叩き台にバージョンアップしてお役立てください。

 

○内容について

 

 内容の中心は、ヴォイストレーニングのチェックや、レッスン指導での注意点です。目的やレベルの違いによるレッスン、トレーニングのそれぞれの是非を述べていきます。

これまでのヴォイストレーニングの功罪にまで踏み込んでみます。ヴォイストレーナーとともに、ヴォイストレーニングを受けたい人、受けている人の注意することや盲点についても触れます。

 

 大きくは、4つの内容を入れていくつもりです。

1.ヴォイストレーニングには何が本当に必要か。

2.ヴォイストレーニングの本質とは、何か。

3.ヴォイストレーニングの目的は何か。

4.ヴォイストレーナーをどう選び、どう使うのか。

 

○ブレスヴォイストレーニング研究の背景

 

 初期の私の本には、私自身は「ヴォイストレーナーでない」と明記していました。

私自身が、声楽家や役者、欧米のヴォイストレーナーと行なってきたメニュを中心にしつつ、しだいにポップス向けに変容してきた方法を、ブレスヴォイストレーニングとして、理論立てて打ち立てたのは、三十年以上、前のことです。

その頃は、ヴォイストレーニングという定義もなく、漠然としていました。そのため、そのことばを経験の未熟な私がストレートに使うのは、ためらわれたのです。

 

 知っておいていただきたいのは、いかなる方法も、その時代の必要とともにあるということです。(その頃は、頭声ばかりが発声レッスンの主流でした)

それに対し、私は言語音声力の強化にベースを置いたのです。

つまり、歌唱発声のそのまえのところです。ですから、役者や声優や一般の人も早くからいらしていたのです。

 

○前提以前の問題

 

 世界的な名オペラ歌手などが発声法などを明らかにしているのに対し、そんな身分でない私には、発声といっても私なりに捉えたものでしか、ありえないとの思いがありました。

もともと生まれ持っている楽器に恵まれている人の多い歌手やトレーナーが、そうではない多くの人を教えていました。ヴォイトレにいらっしゃるのは、発声に困っている人、つまり持っている楽器や状態にも問題があることも少なくないのに、声の使い方だけ指導している人ばかりだったのです。

 

 前提が崩れていては、いかにすぐれた方法でも、役に立たないのです。

私はプロを多くみてから、一般の人と接したので、また今もプロともやっているので、とてもよくその差がわかります。正直にいうと、楽器のよしあしや状態のまえに条件が整っていないということです。

 

○方法の命名の理由

 

 声楽を別にして、一般の人向けや、ポピュラーや役者に対するヴォイトレでは十人十色に全く違うやり方で行なわれています。

これは昔から大して変わりません。そのなかで、私自身が責任をもてるのは、私のやり方にすぎないから、あえてブレスヴォイストレーニングという別名をつけたのです。

 それでも私の願いは、スポーツのように、この方法もある程度一般化されることです。

今のところ、多くのトレーニングマニュアルは、そのトレーナーの名をとって、○○流としか、なっていないように思います。

 私が自分の方法に、自分の名をつけなかったのは、私自身が創案しても、その後、よりすぐれた人が加工、改良して、完成度を高めてもらいたかったからです。すると、いつかはきっとよりすぐれた人が行なっている

トレーニングと同じところに行きつくと信じています。事実、そういう方向になってきたと思うのです。

 

○レッスン形態の変遷と可能性の追求

 

 トレーニングの目的に対して個々に異なる楽器(体や声帯)、感受性、創造性をもって生まれた一人ひとりの人間をいかにうまくセッティングするかということを忘れられてはなりません。そして、そのためにも目的そのものの絞り込みをしていく必要があります。つまり、できることとできないこと、可能性と制限をみていくということです。

 最初、私は、プロの個人レッスンだけでしたが、しだいにより深く声と表現を追求したくなり、一般の方のグループレッスン(全日制養成所―ライブハウス式スタジオ)にしました。(15年ほど)そして、またプロの個人レッスン中心(研究所では、一般の方も個人レッスンに)と、移しました。

 

○私と研究所のヴォイストレーニング

 

 それでは、ここで私と研究所のトレーナーが分担して行っているレッスンの内容を一部お伝えしましょう。

(歌い手の場合)

1. 発声と共鳴のこと(発声ポジション)

2. 表現、歌としてのアドバイス

  自分の作詞作曲の歌

  ヒット曲

  課題曲(カンツォーネ、イタリア歌曲、日本歌曲)

3. デッサン、フレージング

  1)課題曲のフレーズ

  2)音楽を入れ込む(月に1520曲)

  3)フレーズを選ぶ

  4)メロディ、ことばを耳でコピー(外国語も耳で聞いたままとる)(人によっては楽譜を渡す)

  5)テンポ、キー、フレーズでの切りとり、セッティングする

  6)自分のオリジナルデッサンを2本(8本)くらい選び、実践する

  7)評価する

  構成、展開をノートを考えて、整理し、編集する

  レッスン当日に備えます

  メールで、Q&A、レポート提出をします

声楽、発声、ヴォイストレーニング一般、歌唱は、トレーナーが主に担当し、時間を充分に長くとっています。

その他、必要なことは本人との相談の上、最適な材料を与えるようにしています。

 

○レッスンでの実証

 

 私のレッスンは、いつも変化と進化してきました。かつての放任主義的指導の頃の人が一番力をつけたとも思いますが、それでは残れない人の多い現在では、やり方も年々変えています。

共通のこと、人と違うこと、などを私自身、実の経験で何十人もの人を10年以上みることができ、判断できるようになったのは、大きな力となりました。そこで得てきたこと、今も得ていることを受講されている方に差しさわりのない範囲で、公開しています。それによって学べる人も少なくないと思うからです。

 どこにも、絶対的な方法はありえません。だからこそ、自らの目的と自らの資質を知りつくすことが、何よりも大切だと思います。時代を学ぶことも大切です。日本人にとって、大きな弱点である言語音声力をつけることを忘れてはなりません。

 

○ヴォイストレーニングのあり方

 

 一流のアーティストで、ヴォイストレーニングだけでそうなれたなどという人は、いません。

役者は養成所で体験したりしますが、現場で必要に迫られて、声もその使い方がよくなることも多いのです。

 

 今、巷の多くのヴォイストレーニングをみると、調整やケアが主です。のどを守る力になっていても、力をつけるためにはなっていません。そこには声の出る体というのを想定して、体を鍛えてプロの楽器に変えるという発想がないのです。

 

 アーティストは、過酷なスケジュールに耐え、安定した実力でのライブができるように、将来的なことに備えて、ヴォイストレーニングをする必要があります。

ヴォーカルに必要とされる基準と、日本人のヴォーカルへの評価(というより、評価なき対応という)のレベルの低さにあります。役者についても同様、音声表現力において世界の壁はまだまだ破れていないのです。

日本では、デビュー時より格段によくなった人はごく少数です。郷ひろみさんなどは、海外のヴォイトレに行っていました。(海外に著名なトレーナーはいますが、すでに一流の力をもった有名人を扱うので、その力をゼロからつけたとはいいがたいです。そういうプロに信用される力と人柄、プロデュース力など、何の力かはそれぞれです。)

 

○ヴォイストレーニングの錯覚

 

 イチロー選手が、「俺のように打てば4割打てるよ」と子供に教えても無理でしょう。本当に自分が努力して得たことを安易に他人はすぐできるようになるような勘違いを善意であったとしてもさせてしまうのは、よくありません。スポーツのように結果がはっきりしないだけに、始末が悪いともいえるのです。

 

 たとえば、一流のプロのレベルでは、スランプになっても、心身をリラックスして、元の状態に戻せば、通用するわけです。でもそれは、そこまで何年もかかって、体と感覚(筋肉も勘もイメージ)を全部作ってきたからです。

そういう条件が伴っていなければ誰もできません。

 

 その条件(主として感覚と心身のコントロール)のない人が、トレーニングをやれば、すぐにうまくなり、プロの世界で通用するというのは大きな間違いです。

しかし、ヴォイストレーニングのレッスンでは、そういう錯覚があたりまえのように行なわれているようにも思われるのです。

 

〇状態づくりと条件づくりは違う

 

 先生が歌ったり、声を出したり、自分のコンサートによんだりというような時間が中心になっても、その人と共に過ごすことで力がついているような気になる人も多くなりました。ゴスペルや合唱ブームにのって歌を始めた人などが、レクチャーにもよくいらっしゃいます。しかし、そこで先生のやっていることは、その先生個人の実力で実績なのです。そこにいても、ほとんどの場合、不思議なほど声の力がつくこととは関係ありません。

要は、そういう人についているのに、トレーニングが本当の意味で全くなされていないのです。

プロとしての一声、一フレーズ、そして個人の作品のできがどうかという肝心のことが深まっていないのです。場数をふんでリラックスして声が出せるようになること、音程リズムと発音でよくなることと、声が出るように鍛えて条件を変えることは、全く違うのです。

 

○ヴォイストレーニングの定義

 

 「ヴォイストレーニングとは何か」・・・

この質問には定義をしなくては答えられないのです。

そして、定義によってだけでなく、相手によって変わるものなのです。

 

多くの人には、

1.呼吸のトレーニング

2.アエイオウという母音での共鳴練習(ヴォーカリーズ、レガートの発声練習)

3.高低の音階練習(スケール練習、ドレミレドの発声練習)

といった発声練習(声楽)のイメージが強いと思います。

 

 しかし、役者や声優、アナウンサー出身のトレーナーなら、異なってきます。

のどの障害に対する音声医のヴォイストレーニングもあります。

「ヴォイストレーニングとは何か」という問いには、あなたにとって必要なことを知って、自分で定義をしてください。ヴォイストレーニングは何のためにするのかを、決めるのは、あなたです。

 

○ヴォイストレーニングの目的を考える

 

 一般的には声量や高音発声、広い声域づくり、声区のスムーズな切り方(最近はミックスヴォイスという人もいます)を目的にしているトレーニングが多いようです。ちなみに私は、それは目的でなく、副次的に得られるものと思っています。ヴォイストレーニングは「いかにイメージに対して、繊細にていねいに声を扱うかを習得するためのすべて」と考えています。

結果として、声の自由度、柔軟性を得る、声の表現への可能性を広げるためにするものと思っています。

 

 「トレーニングは、常にそれが何のためにやるのかを考えること」です。それを何に使うのかは、それぞれの人の自由です。

ストレス解消、ボケ防止などに使うのも大変に結構です。

「効果が出るのか」に「はい」と答えるのは簡単です。しかし、やってみなくては、何事もわかりません。

これは、まさに「英語を勉強すると外国人と話せるようになりますか」というのと同じような質問です。

その目的も含めて、あなたの状態をみて、対処していくのが、私とここのトレーナーです。

Vol.61

○プロの声に同化する

 

 声のプロというと、声優さんです。しかし、お笑い芸人、アナウンサー、ナレーター、噺家、タレントも含みます。

 憧れのアーティストと同じせりふを言ってみましょう。トップビジネスマンや尊敬する人のことば、そして、その声を練習しましょう。

 

○スピーチの練習

 

 あなたがスピーチを頼まれたとします。しゃべってみる練習をしますか。普通は、原稿を書いたり、メモをつくるでしょう。そして何回か直すでしょう。これで内容はできたわけです。当日、メモをみないとするなら、すべて覚えますね。

 本番では、あがったり、ど忘れしたりすることもあります。原稿があってもスラスラと思う通りいかなかったり、棒読みになることもあります。それでは、うまく伝わりません。

 

 これは、伝え方を考えていないからです。

 内容と伝えることとは、違います。内容は、ことば、伝えるのは、声です。

 原稿を書き直すのは内容をつくるためです。読みながら直すなら、慣れた人です。そこで伝え直す練習は、多くの人はしていません。芝居でいうと、脚本を書きあげて、練習をせず本番を迎えたようなものです。肝心の稽古がなされていないのでは、うまくいくはずがありません。

 

 スピーチは、内容を読みあげるのではありません。相手の心に伝える練習をしなくてはいけないのです。

 

〇内容より伝えること

 

 日本人のスピーチがへたなのは、内容を練ることばかりに時間をかけているからです。原稿をつくれば、あとは読みあげるだけと思っているからでしょう。読みあげるのでなく、伝えるのですから、内容をつくる以上に伝える練習をすることです。

 

 なかにはリハーサルとして、家族や知人のまえで練習する人もいるでしょう。これはすぐれた方法です。伝わりにくいことばを直したり、言いかえたりできます。一人で読むと、内容チェックの予行練習にはなっても、伝わった、伝わらないのチェックはできないのです。

 日本の学校の詩の授業は、棒読みに解釈だけです。間をあける、はっきりという、トーンを変えるなどというような指導は、なされてこなかったでしょう。

 このときに出てくる問題を、どのようにチェックするのか、どのように直すかが肝要です。

 いったい何が直せるのか、そして、直せないことは何かということも、わかってくれば格段に上達します。

 

○声色をまねる

 

 私のトレーナーとしての仕事は、相手の声を読み込みにいくことからです。

 その声色から、どこにどのように触れて、そう出てきたかをたどります。

 何年もやっていると、相手を見ずに自分が声を出さなくても、舌や口の内がどのような動きをとり、相手がどう声を扱っているかを実感できます。そして、それを直した状態とのギャップを埋めるメニュを処方するわけです。

 それでも若いときは、自分と違うタイプの声に乗り移るのは大変でした。

 たとえば、男性にとって女性は声の高さもひびきも違います。でも、ボーイソプラノの頃を思い出せば、少しわかります。幼いとき、男性も高い声を出していたからです。女性の方が男性の声は理解しにくいのではないでしょうか。

 

〇生声に慣れる

 

 顔つき(骨格)から舌の長さ、口の中の大きさ、筋肉と、一人ひとり違うのです。今の私は、かなり条件が悪くても、顔もみなくても、どう声を出しているか、ほぼわかります。

 

 かつての歌声や役者声は、厳しい条件下で使われたため、目的がはっきりしていて、基準が定めやすかったと思います。それで却って身につけやすかったともいえます。厳しいとは、生本番、録画なしとか、外の音も防げない芝居小屋など、環境も含めてです。今は音響技術で何でも加工できるだけに、逆に、生身の声の判断には、大変な難しさを伴うといえるのです。

 

○声は個声

 

 今のJ-popの歌や日常の声においては、基準はその人自身です。業界での一定の基準といったものはありません。

 私は、トレーニングとしては、声の生理的、物理的条件から、可能性をより大きくとれるように発声を優先するようにしてきました。それでも最終的には、私やトレーナーの出せない個性、オリジナリティに注目しています。つまり、オンリーワン、その人にはその人に合った声があるということです。

 長所も短所も含めて、その人の声を探ります。短所をなくすトレーニングより、長所を伸ばすトレーニングにしていくのです。

 それでは長所短所とは何かということになります。舞台でなくても、日常的にもTPOに応じて求められる声、ふさわしい声というなら、それには条件もあります。そこをトレーニングするのです。

 

○第一に、声量

 

 最低ベースの声量は、第一条件です。声が聞こえなくては、届かなくては始まらないのです。声量と音圧です。

 次に声が聞こえても何を言っているのかわかりにくいのも困ります。これは発音です。

 表現として、メッセージやニュアンス(声質での感情や表情など)が通らないのもよくありません。

 そう、本人がどう思おうと、芸やビジネスなら、そうあった方がよいという条件はあるのです。

 

○声の習得順

 

 本人がどう思おうと、本人も思わぬ方向に声が働いていることもあります。それは、暴走したのと同じですから、やはり本人が声の効果を知って、そのときの相手に最適に伝わるようにコントロールしなくてはなりません。

 つまり、声は、状況把握、使う声の選択、使い方、声の認知と修正と学んでいくのです。そして、実際の現場での使用をくり返しフィードバックして磨いていくのです。

 

○声を出すシチュエーション

 

 簡単に声をよくする方法があります。発声とか発音トレーニングではありません。それは相手や状況にかまわず、相手を最愛の人とイメージして、声を出すことです。それを、いつでもどこでもイメージできるようにすることです。

 

 夫には憎まれ口しか叩かなくなったヨン様ファンのオバさんは、ヨン様の前では、好かれるような美声を出そうとするでしょう。奇声、奇矯極まりなくとも、一人の少女に戻るのです。もしかすると、銀の鈴のような声が出るかもしれません。生理的、物理的なものよりも、心理的なもので声の大化けは可能なのです。

 夫の顔にヨン様の写真を貼り付けてでも、その声を日頃から使いましょう。いざというきだけという付け焼刃はなかなか効きません。

 

〇声の幅を知る

 

 特に女性は、男性に比べると、無意識のままでも使っている声の変化が大きい人が多いようです。

 自分の声が相手によってどれだけ違っているのか、その日の気分によって、どれだけ違うのかを知りましょう。そのギャップから自分の声をつかんで欲しいのです。

「何だよ、俺にはこんな言い方するのに、あいつには違う声を使いやがって」、そう思っている男性は大勢います。

 

○気分による声の分類

 声を二者の関係において図式化してみました。

  声 相手の気分 あなたの気分

 Aよい      Dよい  

 Bふつう      Eふつう 

 C悪い     F悪い  

 Aの相手にDのよい気分のときと、Cの相手にFの悪い気分のときとの声は雲泥の差です。ADはよそいきの声、CFは、ふてくされたときの地の声です。人によってはここで1オクターブ近い差が生じることもあります。

 

 ここでは具体的に

 ADAEAF

 BDBEBF

 CDCECF

の九つの声をとり出してみてください。

 あるいは、具体的な状況を設けてから入ってみてもよいでしょう。

 

〇異なる声を使っている

 

 お願いやおねだりするとき

 ふだん、ノーマルな状態

 怒りふっとうのとき

 それぞれ、ずいぶんと異なる声を使っていませんか。

 主婦でも、相手が担任の先生、ご用聞きのとき、子どものときと違うでしょう。子どもでも、よいお友だち、普通のお友だち、悪ガキ相手のときと、まさに千変万化します。先生には裏声、子どもには地声を使う人もいます。

 育ちのよいお友だちには、「やさしくてよいお母さん」、悪ガキには「鬼ババア」って呼ばれてしまうのです。そのように声を演出しているのです。

 

○声は喧嘩のきっかけ

 

 人がカチンとくるのは、言われている内容が嫌なこともありますが、ほとんどは、その言い方によるところが大きいです。

 同じことでも、柔らかく言われたら、「ああそう。」で終わるのに、強く言われたら「なにを!」と「カッ」となるのが人間というものです。わかってはいるけれど、やめられないのです。

 「間のとり方は夫婦喧嘩に学べ」といったのは大弁士であった、徳川夢声でした。日本では珍しく、対話する二者間に絶妙なアウンの呼吸が成り立っている例としてあげたのでしょう。

 子どもでも、「片づけてくれる」と「片づけないとだめでしょ」と言われるのでは、やる気の出方が違います。

 イメージ一つで、声にもいろんなメッセージが込められるのです。誰にもその力のあることを確認してくださいそのトレーニングをしましょう。

 

○声メッセージの込め方

 

 思い切って、やや難問から入ります

 わざと声のメッセージの入れ替えをします。少し極端なところからいきましょう。

 A.怒った声で笑う人 

 B.笑った声で怒る人

 この二つをやってみましょう。昔の竹中直人さんの芸を参考にしてください。

 さらにもう二つ

1.「アイウエオ」を感情で言い分ける

2.「さようなら」を5パターンで言い分ける(シチュエーションをつくってください)

 いかがですか。なかなかうまくいかないことや、ことばの働きをなくしても、感情と声が結びついていることがよくわかるでしょう。

 

○合わない人とは声で解消する

 

 こうしてみると、自分と合わない人がいても、あなたのあいさつの声のかけ方一つで、大体はよい方向にいくものといえます。“仲直りの声”を使えばよいのです。とはいえ、すべて結果を狙って思い通りに加工すればよいということではありません。“わざとらしい声”になると、かえって反感を生みます。奥歯にものをはさんだような“声”もよくありません。ブリッコ声や、つくり笑顔声も、度を超えると、しらけかねません。なかには、同性が好んでも、異性には通じない声もあるのです。

 

○自分のキャラと合わせた声

 

 長嶋茂雄さんの高い声は、昔は、一部で大いに不評でした。いかつい胸の、男の中の男のイメージに、あのカン高い声、カタカナ英語のわけのわからぬしゃべり方、違和感をぬぐえなかったのでしょう。しかし、今になってみると、あの声やことばだからこそ、天性のオーラが入っていたと思います。王さんのしっかりとした実直な声とは対極的でした。それこそ、努力などを人前にみせない華麗なスーパースターを象徴していたのでしょう。そういう天才児は別として、一般的には、その人のキャラに合っていないと、どんな声でも説得力が出ないということです。

「これからのこと」 

このシーズン、学校などに挨拶に伺います。

今春、話したのは、次のようなことです。

 

日本はこのままでは、10年以内に政治、経済、企業も壊滅しかねないこと。

 

DNAで、チンパンジーと1.06%しか差がない人間。

人間中心、個人中心、自分中心、何でもハラスメント、自国ファーストのはびこる時代に己を無とすること。

 

精髄ということば。

 

通学路、いつも歩いている道をいつものように歩くこと、

いつも歩いていた道を思い出し、意味をもたせること、

そして、自信、キャリア、初心、原点とすること。

 

面倒なことを手間をかけてやることが、価値になること。

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