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私は10数名のヴォイストレーナーとともに、ヴォイストレーナーにも指導しているため、内外のヴォイストレーナーのアドバイザーやヴォイトレをしている人のセカンドオピニオンもたくさんやってきました。ヴォイストレーナー志願者の人や「ヴォイストレーナーの選び方」などに関する質問も多くなりました。そこで、この件について以前に述べたものを再掲載しておきます。http://www.bvt.co.jp/trainer/buntrn.htm

バックナンバーについて、サイドバーにあるカテゴリーのタイトルをクリックすると、それぞれのバックナンバーが表示されます。

「1.ヴォイストレーナーの選び方」

「2.ヴォイトレの論点」

「呼吸論」

○一人で試みる必要性について

 

ものごとの学び方には、教えられたことを学ぶ以前にしておくこと、できたら、やっておくとよいことがあります。

教えられることは、すでに選択され正しいという形で入ってくるからです。

1.これまでやっていないことをする

2.何でもよしとしてやってみる

3.極端なことをやってみる

何事も、正誤の判断の前に、経験としてあってもよいことがたくさんあります。そして、それは学びのなかで、行き詰ったときに多くの手掛かりをくれます。

それに対し、教えられることは一つの形、体系になります。最初は、これまでにやっていないことをするわけです。そこから形になると、教えられていないことや禁じられていることは、しなくなります。それは無駄を省いているようで、そこで多くのことが落ちてもしまうのです。

やってみて正されることよりも、やっていないことは、ずっと多いでしょう。個性やオリジナリティは、そこに潜んでいるのです。ですから、一人でやってみるとよいのです。

 

○型とイメージ

 

型は、選択され決まった動きのように思われています。それはローテーションとなり、フォームとなります。習慣となり、基本の型となります。

その型をもたらすものにも、自ずと形ができてきます。形は、辿っていると小さくなるので、少しでも大きくするつもりで接しましょう。形は同じでもイメージを大きくしておくのです。

すると、これまでに使っていない脳、感覚、体を働かせることで、これまでの習慣、くせがとれたり、原点に戻ったりするきっかけにもなります。

もたらすものが大切なのに形しかみえず、学ぶことが形をとることと誤解されがちです。型は、形を優先して、本人の自由を失わせることが多いのです。形から動きを感じられるようになると型をふまえて、ようやく自由を得られるのです。

 

○イチロー選手の型と段取り

 

イチロー選手などは、彼の独特のフォームよりも、その前の段取りの方が注目されてきた選手かもしれません。 一連の段取りによって脱力し、心身でも柔軟な構えとします。つまり、リラックス、落ち着き、事に備えるわけです。それは、儀式とさえいわれます。

本番前にトイレに行くなどというのも用足しだけが目的ではないのです。

となると、フォームよりそこまでの段取りにも型があり、その方が基礎ともいえましょう。

 

○声を出す

 

スポーツでよく「声を出せ」といわれます。これは、選手を鼓舞してチームを一体化するのとともに、大きな声を出せば、息が大きく出るのですから、深い呼吸となり落ち着くのです。

とはいえ、他から強制されたり無理に自己に強いたりすると、力の出す方向を間違えかねませんので、ヴォイトレでは、ゆっくりと大きくしていく、深く広くしていくことをお勧めしています。

 

○怒と笑

 

一方が怒鳴ると、他方は怒鳴り返さない限り息が詰まってしまいます。そこで大きな声で笑うことができたらよいのですが。まあ、シチュエーションとしては無理があるでしょう。

たとえば、深刻な状況では、上司が先に笑わないと部下が笑うことはないでしょう。ですから、深刻なときに笑える人は貴重なのです。その状況の外にいて達観することができたら、問題は消えてしまうからです。

 

○完全な呼吸はない。

 

私たちは、肺のなかの全ての息を吐くことはできません。それと同様、完全なリラックスや完全な呼吸法は、目標として目指してもよいのですが、できたなどと思わないことです。常に目指している状態がもっともよいのです。

できたと思うと、そこから浅くなります。呼吸は限界まで深まったら、それ以上に深まりません。でも、もっとを目指していると、深いところに安定してくるのです。その最高値には個人差がありますから、それを目指すよりも最高値に最低値を近づけていく、つまり、安定させること、下振れを防ぐことが重要なのです。

一歩前へ、ポジティブに対する、そのとき、人はけっこうな能力を出せます。しかし、到達したと思ったときには、もう守りに入り、事が難しくなるのです。息も止まり、浅くなるのです。

 

○コミュニケーションにおける呼吸

 

 呼吸は、間を表します。「あの人とは、気や呼吸が合わない」、そういうことはよくあります。それが、いわゆる間、間合いです。

何かを尋ねて何かが返答される、その内容よりも、その間のとり方でコミュニケーションは決まってきます。間合いとは、何とも微妙なものなのです。

そこには、タイミングの他、相性、性格、タイプなども含まれてきます。それが同じ人の呼吸を微妙に変えてしまうからです。

 

○説得と沈黙

 

説得するときには、説得される相手の身になることです。

コミュニケーションには、あえて先読みしない、というのも大切です。ずっと先読みされていると、息が詰まってきます。そこであえて進まず、その一時を楽しみましょう。この間を決めるのは、呼吸なのです。

 「息をのむ」というのは、息を止め、じっとしている状態です。「はっ」と驚いたときなどにも使います。説得の前には沈黙が必要です。

 

○呼吸へのアプローチ

 

横隔膜は、首の前壁の筋肉の変化したもので、吸気筋です。息を吐くのをコントロールする専門の筋肉はありません。

「人」という字を書いて飲む。これはメンタルで人に勝つとともに、空気を飲むことで呼吸に結びついているのです。

1分間の呼吸の回数は、大人は16回~20回(およそ、3秒で1回、1.5秒吐き、15秒吸う)、新生児で3550回(大人の22.5倍)です。

 新生児は、換気量の少なさを回数で補います。大人でも緊張したりストレスを受けると呼吸が浅くなるので回数が増えます。

自分の呼吸数を測ってみましょう。

1分間に吐く 回→ 秒で1

1分間で吸う 回→ 秒で1回

長く吐いてみましょう

普通は720秒くらいです。

長く話す    秒~ 秒

歌って伸ばす  秒~ 秒

 吐くこと、呼気を長くするのには、新たにそれを支える筋力をつける必要があります。それは、呼吸に関わる筋肉です。骨盤底筋肉群まで含みます。

吐くことの反動(圧力差)で空気を入れ(吸う、吸気)、呼気と吸気の循環を大きく安定させていくのが呼吸法の目的です。そのことで、呼吸という発声のエネルギーを増大させ、しかも効率よく使えるようになるのです。

 

○呼吸の観察

 

みぞおちあたりの胸まわりで45㎝広がるのが横隔膜です。普段の呼吸で1.53㎝、腹式呼吸では57㎝も動きます。呼吸量は1㎝の動きで250300㎖といわれています。

1.自分がどういう呼吸をしているかを知る

2.呼吸のくせをなくす

あるいは、くせなどにあまり囚われず、単に呼吸を大きくしてみると考える方がよいでしょう。

呼吸や呼吸法を、どれがよいかとかどういうのが正しいと決めつける必要はありません。最初は意識することで精いっぱいです。少しずつアプローチしていきましょう。

トレーニング中、ため息やあくびが出ることがあります。これは換気の作用があります。出したくなったら妨げないでください。

 

○ヴォイトレのコンディショニング

 

 ヴォイトレで、声の調整をするというのは、整えるというのになるので、ヴォイスコンディショニングと言えばよいと思うのです。

ここで私が述べている調整の声とは、ベターな声のことです。

それが、今のしぜんでベストの声であるというなら、グッドの声でよいのです。元より、グッド、ベター、ベストをどう割り当てるかです。

私の区分では、普通によいのはグッドの声、これは心身がよければ出る声です。ベストの声は、心身をグレードアップして、つまり、鍛えた後にコントロールされて出る声としています。ベターの声は、グッドとベストの間、ベストの声への導入となります。つまり、現状グッド→ベター、将来はベター→ベストとみているのです。

 

○ヴォイトレの弛緩☆☆

 

 世の中、何においても「がんばらない」が、キーワードになってきたように思います。力をいれたがゆえの空回り、無理による無駄を嫌がり、恐れるようになってきたのでしょう。しかし、力が抜け楽になった分、原因のみえないところで表向きの混乱もなっているのです。

それは、当然のことです。トレーニングは意識して部分的に集中したのち、解放させるわけです。厳密には、ある条件のもとに負荷をかけて鍛え、変えて、一時的にアンバランスになるのを許容し、その後に、無意識に全体のバランスを可とするようにしていきます。ですから、無理、無駄を必要悪として、ある時期、許容しないと大きくは変わらないともいえるのです。

 

○肺と呼吸

 

内臓のなかで、肺は、呼吸筋、骨格筋の動きに委ねられています。心臓や胃腸、肝臓、腎臓のように、自らは動きません。しかし、その筋肉を扱うことで自らの意志でもコントロールできるのです。

呼吸が整うと

1.フィジカル面では、エネルギー代謝がうまくいき、うまく体を動かせます。疲労しにくくなり、体重も適正になります。

2.メンタル面で安定します。

2001年、日本呼吸器学会は、「肺年齢」という考えを提唱しました。年齢による肺活量の計算式もあるようですので、参考までに。

 

○首筋と横隔膜

 

 大きく息をすると、お腹の筋肉を動かすことになり、内臓をマッサージすることにもなります。腹圧が上がり腹がへこみ、スタイル改善、ダイエットにもなります。

お腹の前は腹直筋、横は外側から、外腹斜筋、内腹斜筋、腹横筋、後ろは広背筋と脊柱起立筋です。

 胸鎖乳突筋といって、胸骨と鎖骨から乳様突起までつながる筋肉があります。これは、横隔膜と同じ神経系の支配下にあります。その横隔膜は、背骨回りの多裂筋と骨盤下の骨盤底筋肉群と連動します。

横隔膜が下がる(収縮)ということは

1.助間筋が収縮、肋間が開き胸部が広がる。

2.助間筋は、14内助間筋が前に拡がり、5~外助間筋のみ、横に拡がります。

その後、内助間筋が収縮し、腹横筋も収縮し、横隔膜が上がり戻るのです。

 

○呼吸の3パターン

 

 呼吸について、基本の基本を押さえておきましょう。次の3パターンがメインです。

1.鼻から吸い、鼻から吐く

2.鼻から吸い、口から吐く

3.口から吸い、口から吐く

吐く―吸うことでは、鼻からか口からかの全4パターンです。

1.鼻―鼻 通常

2.鼻―口 話すとき

3.口―口 非常時

4.口―鼻のケースは、あまりないでしょう。

 

○呼吸トレーニングの効果

 

背のこり 助骨拳筋 背骨と肋骨つなぐ

肩こり  上後鋸筋 脊柱と肋骨つなぐ

斜角筋  首の横突起と肋骨つなぐ

胸骨のきわ 助下筋

喉の痛み 下後鋸筋 胸横筋

コリ、張り、冷え、むくみをとりましょう。

 

○異なる刺激

 

スポーツなどでは、技の習得にステップを踏むので、くせも同時についてきます。そして、とれないことにもなります。多くの場合は気づかない、とれない、よくないから、くせというのです。

そこで、直接、くせをとろうとするのでなく、あえて異なる環境刺激を与えるのです。他のスポーツや運動、筋トレをすることなどは、これにあたります。

あえて体を不安定にさせてバランスをとるようにしていき、慣れるとリラックス、脱力できるようにする、などという方法があります。片足で立つ、赤ちゃんのまねをする、コアトレをするなどは、そういう面が大きいのです。 

 

○こりをほぐす

 

胸部回り、背骨回り、首回りの筋肉が固い人は多いです。すると、呼吸がスムーズにいきません。息切れの状態になっているのです。そこで、深呼吸することがデトックスにもなります。

 

○意識をはずす

 

 筋肉に意識を向けます。向けると筋肉は収縮し、固くなります。意識を向けると、心身とも緊張するのです。 そこで意識せずに、そこで扱えるようにしていくのが望ましいのです。しかし、トレーニングにハマる人には逆行していく人が少なくないのです。

息を吐くとお腹が固まります。吐き切るとガチガチになります。試してみる分にはよいのですが、このままでは、呼吸をコントロールできるようにはなりません。

何もしていなくても私たちの重力で負荷がかかり、それに対抗して支えているのです。そこで歪みが生じているのは、正したり整えたりしないとなりません。過緊張やくせをリセットして、それで補正できない分は強化します。最終的に、しなやかに、疲れにくくするのです。

それには、

1.無意識に使わないところを知る

2.意識して使えるようにする

3.無意識に使ってみる

この3つのくり返しです。

さらに、

1.使えているところをさらに使えるようにする

2.使えていないところを使えるようにする

2通りをふまえていくいことです。

 

○赤ん坊からの進化☆☆

 

新生児の泣き声は、小さな体で大きく響くので発声の理想として取り上げられることがよくあります、しかし、声は喉声、その姿勢は必ずしもよいとはいえないものです。顎だし肩すくめのポーズですね。もちろん、声域は狭く、発音も歌も不可能です。

しかし、泣くことで、呼吸筋(横隔膜、腹横筋)脊柱周りの筋肉が鍛えられていきます。つまり、完成形でなく、プロセスとしての参考例なのです。

赤ちゃんの発達をみてみましょう。

1.首がすわる(3ヶ月)

2.寝返りをする(45ヶ月)

3.四つん這い(上半身)で体重を支える

4.ハイハイをする

5.つかまり立ちをする

6.立つ

7.つかまり歩きをする

8.歩く

 これらを再体験してみましょう。

 

首がすわるときに、あごを出さないようにしましょう。

寝返り、四つん這い、うつ伏せからハイハイへ、脊柱でバランスを意識します。

おすわりでは、軸と抗重力を感じます。

ずり這い(お尻歩き)

つかまり立ち

 それぞれのプロセスを経て、発声、呼吸ほか、人の基本的な動作で起きていることを知りましょう。

 

○声のためのワークショップ

 

仰向け、横向け、うつ伏せでの呼吸、そして発声へ

1.胸は前 柔らかくする(胸部上部)

2.お腹は、横と後へ胴回りの広がりを肋骨に触り自覚する

3.肩、首回りをほぐしつつ脱力

4.背中で支える

吐くとお腹がへこむというよりは、横に拡がっていたお腹が戻る感じがよいでしょう。

 

○リラックスする

 

刺激して、ほぐし、そして強化し脱力します。

 

1.脱力する

2.揺らしたりさすったりして、緩める

3.押す、圧する

リンパを流すようにしてみましょう。

首の緊張をとるには、首の後ろに両手をあてて、縦にうなづいたり左右に動かします。

筋肉が骨についているところを、その筋肉の両端でほぐしましょう。

肩、小胸筋

腕の旋回

背骨 

イスに座って前屈してみましょう。

強く息を吐きます。息を吐きすぎることで内・外腹斜筋も働きます。

腹横筋を強化します。

体育座りから後傾して腹筋の意識をします。

座禅、瞑想をして落ち着けます。

調身、調息、調心の順に行いましょう。

 

○ラジオ体操の利用

 

ラジオ体操が復活しているようです。運動不足を補い、柔軟性を維持するには、とてもよいことです。

「胸を張って背中を反らしましょう」では、顎が上がり口から肺まで真っ直ぐになるので、呼吸はしやすくなりますが、肺や呼吸筋、横隔膜などは活かされにくくなります。手を上げると背中は、反ります。首や肩での呼吸では、腹式呼吸も胸部も使いにくいでしょう。

 

○効果の判断の難しさ

 

「息を吸ってお腹を膨らませるのが、腹式呼吸」というのは誤解しやすい教え方です。お腹を突き出したり出しひっこめたりするのは、呼吸とは別のトレーニングです。

だからよいとかよくないとは一概にいえません。呼吸そのものとつながっていないから、呼吸トレーニングでないようでも、結果としてそれを補助したり役立っていることもあるからです。

正しい、間違いに関する判断は、その場だけのことでなく、将来に対してプラスを求めるならば、簡単に肯定したり否定できません。あるトレーニングが直接的な効果でないだけで、あるいは一見、力んだりして邪魔していても、その動きが間接的に呼吸をフォローする効果となることはよくあります。☆

固めない、しぜんというのが基本です。とはいえ、より基本をしっかりと身につけるとするなら、トレーニングである以上、意識して固くなり緊張もして行うことになります。それをどこで修正するかということです。

固くもならず緊張もせずに、しぜんであれば変わりません。あるいは、とても長い時間がかかります。

 

○呼気と吸気

 

肺の弾力は「残気量」などから出せるそうです。ともかく、息は出したら入るのです。入れるためには出せることです。最初は、そのために無理、必要悪も承知でトレーニングするのです。

 

○機器を使った呼吸のトレーニング

 

ストローを使ったり、口をつぼめる、鼻先の片方をふさいで出す、などのトレーニングは、出口を狭くして抵抗を感じ、呼気を意識して、またそれに対応する力をつけようというねらいです。

吐くことに負荷をかける、呼吸筋を鍛えるというような器具なども売られています。

使い方や目的によって異なるし、人によって長所、短所もありますから、否定はしませんが、私はお勧めしていません。それで心地よいとか力がつくと感じている人は、よいと思います。

 

○その他の注意

 

過呼吸は、吐きすぎてCO2不足で息苦しくなり、息を吸い過ぎるので、過換気症候群といわれます。具合が悪くなったり、倒れることもあるので、注意してください。

 

○発声トレーニングのメリット

 

呼吸、発声、共鳴には、うまい人と下手な人がいます。

生まれつき、あるいは、育っていくなかでうまくなった人とならない人がいるのです。うまくならない人は、うまくなるためにトレーニングをお勧めしている次第です。

すると、体幹が安定します。歩くこと、走ること、動くこと全般の運動技術や能力が向上します。習慣を改善していくのです。

発声でフィジカルパフォーマンス、メンタル、内臓機能などの改善が期待されます。健康になることも確かです。

 

○現代の呼吸事情

 

姿勢が悪いのは、呼吸によくありません。

赤ん坊、子どもの動きからヒントを得ましょう。とはいえ、子どもも小学校に入り、イスに座ることが多くなると、姿勢が乱れがちです。

昔は、たくさん歩いてたくさん運動して、しぜんと正されていたのです。しかし、その機会が減って声をつかわなくなったのです。それは、子どもから大人になるにつれ顕著になります。

 

○老いと呼吸

 

老いると、床から腰を上げるだけでも一運動になります。疲れがたまったときと同じでしょう。そこにはメンタル面も大きいです。

腹がすわるようにします。腹にすえかねたり腹を立ててはいけません。

正座や瞑想が流行しているのも、そのような背景があると思われます。

 

○チェックプログラムの立案

 

 次の項目をチェックしましょう。

表情 立ち方 歩き方 動き方 しぐさ 気分

1.レッスン時

2.レッスン前

3.レッスン後

4.普段

 

○胸とお腹

 

胸については、胸骨中心に大きく動くことが理想です。肋骨は、柔らかく、胸椎の可動域は大きくというように、です。

お腹は使うのですが、それは力を入れたり固めることではありません。

腹式呼吸、発声、ヴォイトレのトレーニングや鍛錬ということばに、あまり忍耐や我慢のイメージがつくのもよくありません。

力を圧縮するのでなく、解放するのです。ただし、拡散するのではなく、集中するのです。

 

○機能を高める

 

 声の機能を最大に使いたいなら、身体を機能的に使えるようにすることです。

できないことをできるようにするには、すぐに、部分的な目的での完成を目指さないことです。全体を底上げしていくことで結果、解決していくように考えることです。

高い声を出したいなら、高い声を出そうとせずに発声をよくする、整えることをします。つまり、より早く少し先に行くためにでなく、より深くより確実に、ずっと先に行くために、ためることを選べるかということです。

短期プログラムで筋肉をもりもりつけたからといって声が出るわけではないのです。

 

○体と声と呼吸のタイミング

 

スポーツでも体と呼吸のタイミングを合わせるのは大変なことです。陸上や水泳のスタート、相撲の立ち合いと、呼吸が合わないとやり直しますね。声は、その間にあるのでさらに複雑です。しかし、呼吸と声=体となれば、シンプルです。

呼吸と体を合わせるのに間のとり方を得ていきましょう。息は慌ててもため過ぎてもよくありません。でも、ためられるようにはしておきましょう。イメージ、感情にも左右されるので、心身の統一イメージが必要です。

 

○芯と共鳴

 

声=体とは、体についている声、芯のある声をもっているということで、軸、縦の線などと述べてきました。呼吸で声を生じ、共鳴させます。芯と共鳴の2つの条件がいるのに、多くの人は、共鳴だけでコントロールしようとして息詰まるのです。☆

 

○横隔膜のリラックス

 

横隔膜が緊張すると体幹がうまく使えず、しぜん体になりません。

たとえば、声を出して、竹刀面に打ち込むとします。そのときに、息は出ます。素早く吸い込んで、次に備えます。このとき肩で息をしません。肩が動くと乱れるからです。

本番前は、深呼吸でリラックスさせましょう。声を出しながら体操やエクササイズをします。動きのリズムに呼吸を合わせるのでなく、呼吸に合わせるのがよいでしょう。スローモーションでみてみましょう。機能的=美しいとなります。

息を吐いて肋骨が下がるとお腹が持ち上がりませんか。呼吸も横隔膜も、無意識から意識的に使えるのです。胸式呼吸時に首回り、胸、肩のあたりの筋肉が動くのは自立神経も乱れ、よくありません。

 

○筋力維持と腹圧

 

最近は、お腹が少し出ている体型が長生きするといわれ、反メタボの気運もあります。発声には、痩せているよりは少しぽっちゃりがよいといいます。

 理想は、お腹が固くない、背中も柔らかく、筋膜、インナーマッスルも柔らかい、筋肉、関節も柔らかいことです。

横隔膜の筋力の低下を防ぎましょう。使わないと劣化するので使うことです。これを他のところ、胸式呼吸などで補うと使えなくなりかねません。

メンタルとしての過緊張や、姿勢で胸の張り過ぎも悪い影響をもたらします。肺に空気があるのに吐けない、となります。

肩や首がこるのもメインの横隔膜呼吸ができていないために負担がかかるのです。

 

○胸の張りについて

 

横隔膜右下には肝臓があり、右サイドの横隔膜は少し高い位置にあります。右肺は三葉で大きいためです。左サイドはやや押し下げられています。左肺は二葉で上に心臓があるためです。

 胸を張ることで腰が反るなら、楽に続きません。ここで支えるのが腹圧です。上下、左右、前後で圧力がほどよくかかっていればよいのです。腹圧が前腹に偏ると脊柱が安定せずに腰が反るわけです。あごを引いて頭を持ち上げます。頭の上を操り人形の糸でぶら下げられていて、顎だけ引く感じがよいでしょう。首の筋肉では、顎が上がるので、胸椎の筋肉を使います。

無理に胸を張るのはよくありません。しぜんと張れているのがよいでしょう。つまり、腰を反らせてはよくない、ということです。肋骨が持ち上げられて浮くので、吐くときに下がらなくなります。固めてしまうわけです。

お腹は肋骨と骨盤の間にあたります。そこにボールを入れて支えるようなイメージをもちましょう。

 

○その他、肩、首などの注意

 

肩甲骨を脱力します。肩が下がることも大切です。

首に筋が出る人は、頭が前に出ています。すると、胸鎖乳突筋が緊張し、斜角筋も緊張したまま、肩上げ呼吸となります。(これは、特に女性に多いのですが、肩こりの一因です。きちんと空気が深く入らないのです)

どちらも呼吸を助けるときに働いても緊張をし続けなければよいのですが、この助けをメインとしてしまうと、悪影響が出ます。本来、メインとすべき横隔膜に頼らなくなってしまうからです。横隔膜が緊張していて、今度は吐けなくなります。

 

○フォロー体制づくり★

 

アメリカのスポーツ界では、メディカルスタッフとして、アスレチックトレーナー、フィジカルセラピスト(理学療法士)、ストレングス&コンディショニングトレーナーがついています。それに習い、研究所にも、そういう体制をつくりました。どうぞ、ご利用ください。

 

「自在の心身をつくるには」 No.307

○声の重さと力感

 

 声の重心をイメージして、体をボールのように感じてみましょう。これは身体の重心を感じることが元になっています。声を身体化させるのです。芯、線、中心、でも、一つでないかもしれないし、少なくともその一点は不動ではないと思うのです。

 たとえば、剣は、腕だけで打つ手打ちより、体を入れて打ちます。しかも、反らないで打つ、となると、それで3段階のステップアップになるのです。

 力感の誤解は、案外と多いものです。中心と部分(周辺、末端)では、中心が動かず、他が働いて小手先で動くようになるのを避けて、中心に操作を移していくのが基礎です。☆

 首と腰は動きますが、その間の背は固まっています。

 手先より腕、腕より肩を動かす方が楽に大きく動かせます。これも、応用―基礎なのです。手足より胴、そして体幹というのも同じくコアです。

 声も、それを支えるものを同じように感じてみてください。声の重さを感じて使うことです。

 

3つのステップ

 

 声も、喉で出す→頭内で出す→胸で出す、とみてもよいし、あるいは、喉で出す→全身で支える→しぜんに響きが集まる、という方が深いかもしれません。

 これもa応用―b基礎―c応用とします。部分を全体でやるために意図的に全体、まさに体全てを使ってやってみて、身についたら、体はしぜんに使えているので、使っていないようにみえる。でも働いているのです。

 こういう3段階をabcとすると、一見、acは同じにみえます。そこで、aと同じようにcに調整のメニュを使ってしまうのです。bがついたcと何もないcは、明らかに異なるのに、そこがわからないのです。

 なぜなら、声において、abは日常の過ごし方のなかで差がついてきたものだからです。ここに大きな差がある、それを意図的にトレーニングしたのが声楽だから、その基礎を中心に使っているのです。

 こうして区別して述べることは本意ではありません。abcの関係は、abであり、abc、>は含まれるということです。ステップ上で仕方なく、abのように述べていますが、abが分かれているのではなく、説明のために分けているのです。2つでなく1つであるのです。

 ですから、簡単にすると、a(+b)=c、このbが、人によって違うし、必要によっても違うのでみえていないのです。特に、私は、二流と一流のところでcc+αのように区別して使いますが、これは、ab+αのことです。歌唱ではa+αでプロの人が多いので、わかりにくいのです。(ここはわかりにくいので、先に進んでください)

 

○調整のヴォイトレ

 

 私は、リハビリとの関連で、調整のトレーニングを研究してきました。それは、声の弱い初心者や声を壊した人と一流に通じるノウハウといえます。一般の人や、プロを目指す人、さらなる実力をつけるという人にはトレーニングが必要なのです。なのに、ヴォイトレとして行われているノウハウのほとんどが、声においての基礎でなく応用となっているのです。むしろ歌や音楽の基本の練習となっています。それは、教えるのが声よりもそちらに詳しく、それらを学び、実践してきた人たちであるからです。声については、元々あった人かあまり強くない、つまり、トレーニング経験が不足しているわけです。

 

○幅をもつ

 

 理想のイメージは、柔剛兼ね備えていることです。骨は固く筋肉は柔らかく保ちます。そして、筋肉も柔らかいだけでなく、硬―柔に大きな幅があり、瞬時に変化できることが大切なのです。ほぐすだけではだめです。鍛えないと弱ってしまいます。大きな幅をもつこと、それは、普通の人の柔軟さよりずっと柔らかく使えることが理想です。

 

○解放する

 

 叩いたり触ると、そこが意識されて働きやすくなります。声のポジションを触って確認するとよいでしょう。

 赤ん坊や小さな子供のときから心身は固まってくるので、解放していくことです。体が硬くなるのを解放することだけでも、かなり声は自由になります。

 なぜ固くなるのかというと、動かさないから、あるいは、動かし過ぎるからです。目を使い過ぎても、手や足を使い過ぎても、筋肉は固まります。

 

○スマホの害

 

 そこで問題になるのは、スマホ中心の生活です。スマホを正しく打つには、視線を定め、体を固めなくてはなりません。これは、心身に過度の負担を強いています。その時間と作業密度が突出してしまったからです。家に閉じこもってのTVゲームと同じです。

 アスリートや農家の人なら、筋肉を使ってもそれほど一方的に疲労が蓄積しません。スキーやスケートでふくらはぎが固まる、私は、慣れぬうちは高速道路の運転でもそういうことがあり、困りました。でも、それを自覚してほぐすわけです。若いうちからスマホ中心になると、このバランス感覚がないままにのめり込み、偏るわけです。

 

○構造の原理

 

 身体をその構造の原理通りに使うということで能力をアップしていく、でも、どこかに限定があるのです。アスリートは、競技でそこを制限されます。その自由度は、イメージに沿えばよいという、画家、書道家などに比べて低いでしょう。プレイヤーも、肉体と楽器とのつながり、道具の身体化、一体化に尽きるのです。

 もとより、一体化しているもの、体を高度に使いこなすとなると、歌手はアスリートに似ています。役者は、声に全てを負いませんし、日常の拡大をして個性をキャラに演技として使えます。歌手は、音楽を扱える声の楽器としての完成度を高めなくてはならないのです。

 体の動きには、腹直筋と大腿直筋でなく、その裏の腸腰筋を使うことで、達人になれるといいます。一方で、心の動きは、無我、無私、無心の境地を目指します。身体を感覚して余裕をもつことによって、よりよく対処できるのです。

 

○感じとる

 

 どんなにできなくとも、感じとれるなら先があります。感じとれなければ、感じとれるように努めましょう。感じなければ感動もしないのです。感じとれるからできるようになるのです。

 次に感じたことを自らやろうとしても、うまく一致しなくなるから、基礎条件が必要なのです。その一つが声力なのです。「役者の声」と私が述べてきたものです。その下に呼吸、体があります。支えとも呼ばれます。

 感じられる、みえないものに感じていき、みえるようにしていくことが前提です。かつて、私は、レッスンの9割を聴くことに使っていました。それは感じることの絶対量不足からです。音や声から体や支えを感じていくのです。感覚の系の強化が必要なのです。

 

○呼吸

 

 肺は下の方が大きいのです。肋間筋より横隔膜を使うこと、そのために背中を使うこと、腰椎で横隔膜と大腿筋は重なって連動します。 肋骨は、助間筋で、前後、左右、上下に膨らみます。しかし、横隔膜の働きの方が大きいのです。(rf

 

○流れ

 

 流れていて止まらない感覚、たとえば、道路で判断できずに車を止めてしまうのは初心者です。動いているなかにいては動きながら判断しなくては危険です。時速60キロの流れで60キロ出していたらぶつかりません。60キロの車とぶつかっても1キロの衝撃ですが、止まっていたら61キロの衝撃です。止まるときは、終わりなのです。

 

○観戦する

 

 バスケットでの選手の動きとボールの関係、プロ、一流ほど、一体化しつつ、それぞれがバラバラで動いていても、距離も時間も系としてのまま、瞬時に変化し続けます。

 感覚として、ドリブルは、手まりをつくのと、ボールを床に抑えつけるのとでは大きく違ってきます。一流のスポーツ観戦をお勧めする次第です。最大の見せ場で、どう力が最高に発揮されるのかを入れておくことです。

 

○一万回

 

 基本練習、一万回としたら、それは何をくり返すのでしょうか。一曲の歌か、それともフレーズかということです。いくつもの発声がフレーズで一つに絞られるのは、取捨選択でなく、一つに結びつくのです。ここが大切なポイントなのです。

 流れが出てくると力がしぜんと抜けます。うまくいかないときに入るのです。車のハンドルを回しても戻すのは自動的に行われますから、急なとき以外は手を離せば戻るのです。

 

○軸☆

 

 上に伸びるには、根をはることです。広げるか深くします。右手で投げるのに左手で後ろに反動をつける、前にダッシュするのに後ろに蹴る、右に曲がるのに左側に手を振る。反動を受けとめるので、バランスがいるのです。

 軸、後頭部から真っ直ぐ一本の軸を下へ、このとき、股のところでは、肛門でなく、少し前の会陰部になるでしょう。発声のノウハウで、よく「お尻の穴を締める」と述べられています。私は、「締まる」としてきました。実際は、プロセスとして、そのあたりに意識をおくと、うまくいくことや、うまくいった人が多かった、ゆえに、残っているノウハウなのでしょう。ノウハウの効果の個人差と、そのために少し早く少しできても、そのことで先に進めなくなる例として触れてきました。

 

○ツールに頼らない

 

 自由を妨げるものを使うことで力がつく、これがトレーニングの原則です。ですから、自由を広げる補助ツールを使うと力はつかなくなります。

 マイクやカラオケ機器というお助けツールを使うことで、早くうまくなります。それは、そのように見えるだけです。うまく、というのは、うまく欠点を隠したわけです。それでは実力はつかないでしょう。

 逆に、アカペラにした方が、下手になって、それゆえ力がつきやすいのです。欠点をあぶり出すのです。レッスンは、欠点を知ることにあります。それをなくすのでなく、それを長所にしたり、長所でスルーできるようにしていくのです。

 ギャップが本人にもみえるようにするのです。うまいと思うと、それ以上にうまくならず、下手と思うと、それだけでよくなる方へいくのです。

 ピアノの伴奏なども、うますぎると歌手が育ちません。そこで音楽的なセッションができて感覚が磨かれるという見方もありますが、大半は、ピアノの演奏力に歌がのっかっているだけだからです。ピアノの助けで聞かせられているのです。セッションは、ぶつけあうことでの新たな即興作品です。相方によほどの力がないと成り立つものではありません。(rf

 

○言うより聞く

 

 言うことでなく観ること、聴くことがトレーナーの仕事です。見極め、聞き極める、聞き分けるといってもよいでしょう。そして、思ったままに、未消化のままでは言わないことです。

 瞬時に「だめ」とは言えないことが多いのです。一見間違いでも、それはどうして生じているか、その先に何かプラスはないのかを見ることです。アドバイスにはタイミングが必要です。

 聞かれたときに、すべてが答えられる準備は、いつもしておきます。しかし、自分から言うときは、細心の注意を払います。一般論でなく実践は個別なのです。

 

○プラスにする

 

 マイナス面をなくしたり直すことで、プラスもなくしていることが多いのです。だから個性がなくなります。

 教えた相手が自分以上になっているか、とみることです。期間も大切ですが、自分より早く伸びているのはよいのですが、大半は、初めだけ早く伸び、そこで頭打ちでは、何らよくないのです。時間がかかっても、自分の域より上に伸ばすことができるかが、本当は問われているべきなのです。業界や、その分野のレベルが上がっていくのなら当然そうなるものです。

 が、トレーナーにつく人が、その人に憧れて、最初からその人を目標にしていると、到底無理、超えられません。そんな人ばかりなのですから、そこから変えることです。

 一方で、変えさせるより変えないこと、そこでわからせることも大切です。ベストのフレーズを知っていて、それを出させる材料、フレーズを与えられることです。今あるものにプラスしていくということです。

 

○彼のものとわかるスタイル

 

 流派は型の継承であり、スタイルといえます。反復していき、習慣=日常化するのです。

 憧れ、感動に導かれていくのは、悪いことではありませんが、そのまままねるとくせになるから、その間に型をおくといえます。抵抗であり、整理のためのシンプル化です。

 

○憧れの先

 

 憧れた人をよいコーチにするのではなく、よいコーチが憧れているところへ目的をもつ方がよいでしょう。憧れた人を目的にするのでなく、憧れた人が憧れたところを目的にするのです。劇団四季のオーディションを目的にするのでなく、そこのトップスターを目的にする。さらにそこのトップの人が目的にしたものを目的にする、そうでなくては、入れたとしてももたないでしょう。

 

○目的とそれに対するスタンス

 

 基礎でも、部分の基礎と系、つながりの基礎があります。フレーズは、系を含むスタイルです。基礎と応用を経て、出てくるのがオリジナルフレーズであり、そこを求めることです。

 基礎のない応用では世界に通じないのです。くせとまねに陥り、事実、くせかまねか、どちらかだけの歌手が多くなったのです。それで一般の人もわかりにくく、わからなくなったのです。

 

○応用の違い

 

 トレーナーが指摘することから気づいて、取り出す、主観と客観をすり合わせるスキルをもちましょう。イメージと現実の体の動きとの一致を音で判断することです。本人流をみつけるのに、基本の変化の仕方での応用が個性となるのです。基本を踏んでいないのがくせです。すでに応用しているから、本当の応用が効かないのです。☆

 

○ルール、法則、文法、型

 

1. 知ってもすぐ役立たないこと。

2. 現実と結びつけていないこと。

 これらをトレーニングとするのです。経験だけでなく、その方法や気づき方、イメージを知ることが大切です。

 

○経験の限界

 

 人は、すべてを経験できません。早熟で世に出る人などは、生きてきた時間もそのことに接した時間も、長くその道にいる人より短いのです。プロに1万時間が必要といっても、2万時間や3万時間を経たからといって、皆がプロになれるわけではありません。

 レッスンとは、練習を時間として重ねる場でなく、その方法を知ったりチェックしてワープのきっかけを得るところなのです。時間そのものを変えてしまうのです。

 大学は象牙の塔と揶揄されていました。それは現実の世界、ステージでなく、イメージ、あるいは、ことばの世界だからです。そこから実践すると、出てくる矛盾を乗り越えようと磨かれていないからです。

 

○学び方の違い

 

 実践と練習をどう区切るのかは、それぞれに違いますが、本番、試合、ステージで行うことを一時ストップして、それと別のことを練習として行うのです。実践の経験は大切ですが、それだけでは向上はしません。

 誰もが実践的なことを求めますが、実践的なものほど、そのままに通用することを求めます。だから高まり深まることには不向きです。

 型について再三、述べてきたのもそのためです。面倒な作法にのっとるのもそのためです。

 声や歌を聞く、少数の天才は、そこからすぐれたものを見抜き、自らのすぐれたものを伸ばすのに使います。しかし大半の人は、最初は、すぐれたものをすぐれていると感じられず、その本質が何なのかを見抜けません。そこを、誰かに、あるいは何かに教わります。

 一流の作品を買う、すごいと思うのが感性とすると、天才も同じく一人でなしえているのでなく、教えられ学んでいるのです。そこから自らをすぐれたものとして発現させていけるのか、まねして亜流に終わるのか、そこが学び方の違いなのです。

 

○フィルターを知る

 

 人は、何かを見るときに、すでにフィルターをかけてみています。そのことが数多くの実験で実証されています。このフィルターがどうなのかを知ることです。外したら何も認識できないから、より、たくさんかけているのがプロなのかもしれません。たくさんで偏向して、却ってみえなくなると専門バカと言われます。

 知識もフィルター、法則もフィルターです。万有引力の法則で、地上では便利に生きている分、宇宙で通じなくなるというものです。

 知ることで観念が生じ、固定観念になります。間違いを犯したり、真実を遠ざけることもあります。しかも、フィルターが厚くなり、そのことに気づかなくなるのです。

 真実を直接、教えられないから、自らの誤りを正せる力をつける、気づく力をつけさせるのが教えることです。だから、自分で考えさせなくてはいけない、答えを人が与えて知らしめてはならないのです。

 そのシミュレーションは抽象的に普遍的にしていくのです。具体的、実践的でないのです。わかった、でも、そうでないでしょう。わからない、わかった、このくり返しでよいのです。

 

○観について☆

 

 間違い、誤りに気づいて正すのではありません。浅いことに気づく、このくり返しで何事も深まるのです。

 個性、独自性と、普遍性、共通して通じるものとの関係を見極めようとしてきました。本人の作品と他人の評価する作品のギャップと、その見方ということです。

 型や流派、分野などという制限は、共通する感覚を深め、チェックし、認識、評価するのにわかりやすいノウハウです。絵のうまい人はデッサンもうまい、すごい人はデッサンも個性的でしょう。

 先天的にもつ芸術性は、反応したり感覚できる能力の存在です。「子供は天才」のゆえんです。それを教育で否定してはよくないですが、保留しないと一人よがりになって伸びません。そのまま放っておくことが「二十歳で凡人」になるゆえんです。

 生理的に得ている構造、発声は、人類の進化の結果の一つです。でも、使うのに訓練が要ります。歩くのと同じです。

 生理的である擬声語や泣き笑いという感情表出さえ、文化文明の影響があります。生活での慣習、教育によるのです。

 神話に象徴される世界観も教育です。宗教もまた同じです。民族としての世界観も、それぞれ独自にあります。歌い手もそれが強い人が個性的となるのです。人を演じる役者もそうでしょう。それを独自に提示できるのが、一流なのです。

 一流のアーティストは、ことばを使わないで別のもので示します。ことばで示すのは、作家です。教えるのには、ことばは媒介となることが少なくありません。その世界観が相手を支配することもあります。

 

○文化☆

 

 ある習慣に価値があると認められると文化となります。それは習慣ですから、すでに身についているものです。大半は、意識されません。でも、文化は意識されます。そこで価値判断がなされるということです。

 歌が歌える、ピアノが弾ける、そのことと、それが芸や芸術と言われるのとは、明らかに個人の技量差があります。早くハイレベルに身につけるためのやり方があって、それをノウハウというのです。

 定式化した作法として身につけ、しぜんな所作で価値を体現したら芸となるのです。日本では、道と呼ぶことがあります。人生も人の道、動物にはありません。

 常に初心、世阿弥は、若年の初心、時々の初心、老後の初心と、3つについて述べています。

 手に職のついたプロが語り始める、それが書物の時代以降、印刷物で普及されました。

 もちろん、本もまた、フィルターに他ならないのです。

 

○朗誦して学ぶ

 

 思うままに書く、思うままに歌うとか、曲を作る、それよしとする素人の感性を評価する、生涯教育としてはよいことでしょう。そして、それはまた、一流への教養、嗜みでもあったのです。

 戯曲、話芸、説教。武士は浪曲、町人は浄瑠璃を嗜みました。

 

○習うということ☆

 

 学ぼうとしているとき、すでに平常心は失われているのです。禅の数息観で「イーチ」「ニー」と呼吸を数えます。声を出だすと、さらによいでしょう。

最初からうまい人はいないのです。

修行は体験での形から入ります。

問答はすべて自己否定であり、そこで理論理屈の通じないに学ぶのです。

それが潜在的な力となっていくのです。「いざというとき強い選手であれ」(松平康隆)

 

○修行ということ☆

 

 こちらが苦しいときは、向うにもそれに対応する何かが生じかけている、ダメなようでチャンスです。フォームは学べるが、タイミングはつかむしかないのです。

 土台づくり、足腰なら歩くこと、登ること、走ることからやり直す。

 山岡鉄舟の五剣、真剣、妙剣、絶妙剣、金翅鳥王剣、無刀の5段階、そのなかの金翅鳥は羽のなかに宇宙を収める、といいます。

覚えたままでなく、忘れては、常に返って事にあたる。

つかんだという確信がないから、また消えるのであり、まだ本物でないのです。

説明のつかない世界に中途半端に頭でわかって直そうとしても、完全に直っていないし壁も破れていない。そこを抜けそうなときに安心するのか、特訓するのかで180度違ってきます。

教わったりまねたりするのでなく、がむしゃらにやっているなかにノウハウを会得していくのです。

自分以外のものに取り込み、自分以外のものが自分となる。自分対自分以外のものでは、ないのです。

 「自己を習うとは、自分を忘れること」と「正法眼蔵」にもあります。

 

○まとめる習慣

 

 やったことをまとめておくのは、とても大切です。それを詳しく思い出し説明するように日頃のトレーニングで行うのです。石川遼さんは、いつも父と、そういう会話をしていたといいます。それは、彼の試合後のインタビューでの驚くべき適切な受け答えに現れています。

 

○もっともよい方法

 

a.断定 威圧、限定、合理、統制、防衛、分裂、恐れ

b.共感 許容、無限、直観、自発、解放、連結、愛

 これを、要素の分析でなく、それらのつながり、関係のあり方としてみることです。

 ○○法ということでは、他と区別しているようにみえ、実のところ、つながりを拒み、独善的に偏ってしまうことになりやすいのです。私自身は全てをまとめるつもりも、よし悪しを分類するつもりもありません。それぞれのスタンス、メリット(と、それに必ず伴うデメリット)関係を把握したく思い、実践しているのです。

 即効や効果大というのも、大半は、そんなこともないので使えないものです。たまたま、うまくいったときには、同時に毒にもなっているのに気づけるのかということです。洗脳されずに自我の確立などと言っていること、学んでいることが洗脳であったりするのです。

 

○自立とは何か

 

 自立とは、何でしょう。自立というのは、何かを選ぶ、つまり、何かを捨てること、その勇気をもち一人で生きていく力をつけること、そのために人に助けてもらい人を助ける関係をつくることです。そういう選択は、その人の価値観で行われ、その辺りが性格にもなってみえるわけです。顔も性格も、人生の体験で変わります。感情を顔に出していくと筋肉の動きも変わるものです。変わるほどに歩みましょうね。

 

「実感と判断」 No.306

○メリットを求めないこと

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 効率よくメリットが得られるものを求めても、それでは本当にはやれない、続かないのです。それは、小賢しくもそのままであることを欲するからです。大きく変わることがないからです。それゆえ、そういうことを勧める本は売れるし、TVの番組もそういうことをくり返します。

 むしろ、本当はそうでないものが大切です。効果もメリットも示されずに行うことを必要とするのです。行動が変わるからです。

 人は、他人に言われても、言われたようにはしないものです。現状のキープ、あるいは、元に戻ろうとします。

 マイナスからゼロでなくプラスにする強い思いが生じても、変化するということは、その前にわからないことです。

 ですから、トレーナーも、本当はこうなる、こういうメリット、効果があるなど、先に知らせない方がよいのです。一人ひとりが自分の答を得るのに、ヴォイトレを使うのであり、説明できるものではないのです。本人もなまじ知らない方がよいのです。

 唯一、ルーティン化が必要です。同じことをくり返すことです。わかったと思って、本当の問題や現実から目を背けることがほとんどですから、それを求めずに続けるのです。

 トレーナーが専ら説明して納得させることをすると、その人は満足して、トレーナーを尊敬するようになるでしょう。しかし、本人が自分の問題へ取り組むことを逃してしまいかねないからです。

 現実は、実践でしか対することができないのです。続けるには、今ここを優先させること、手元に一点に集中する。一体化する、同調することです。全身を声にすること、有機的である体を充分に使えるようになることです。

 

○心

 

 心とは、自分にはない、自由なもの、未来へのみえない不安によって乱れます。恐れることでのダメージは大きいのです。感情の乱れは深呼吸で鎮めます。

 一日わずかでも、気持ちだけでも、明るいという時間をとりましょう。

 心を落ち着かせること、瞬時に変わり、動き続ける心身、感情も体も突き放してコントロールすることです。感情に甘えず、切り離すことです。

 

○楽器としての声の成立

 

 声は楽器が体内にあるので、楽器や道具との一体感など以前に、すでにシンクロしています。すでにそうなっているために、うまくいっていないだけに厄介なのです。

1.距離がとれない。2.心身の影響をそのまま受けてしまう。3.取り替えられない

楽器が本人であるために、オリジナリティ一つとっても、ややこしくなるのです。

 個性がオーラっぽいもので通じて、音楽的な力、歌唱力と全く別に、ステージが成立してしまうときもよくあるのです。

 

○体操のように

 

 ビギナーズラックが最も起こりやすいもの、話やスピーチなどと似ていて、歌は全くのど素人が、なりふりかまわずやって、プロより受けることもあるのです。

 歌唱や発声は、体を動かすこと、体操のように考えてみるのもよいと思います。声を動かすと言っていますが、それは、声が自ら動く、勝手に動いてくるためのトレーニングです。

 声に意識を本当に集中すると、自らの意識は消えていきます。自分と声の間のボーダーがなくなってこそ、他人にもしぜんに働きかけてくるものなのです。ヴォイトレとは、それに備えて声をきちんと手入れすることなのです。

 

○声へのアプローチ

 

 声に集中して、声そのものと一体化するのは難しいので、ヴォイトレは要素別に分けてアプローチすることになります。高さ、大きさ、長さ、勢い、音色、響きなどを、それぞれで感じてみる。わかりにくければ、高さ―音色(この場合、共鳴の感じでよいです)大きさ―音色を中心に、音色で捉えてみましょう。

 

○機能を求めない

 

 私が思うに、ヴォイトレをしている人でさえ、ほとんど声の音色に関心がいっていないようです。日常に使っている声といっても、多くは、発音や滑舌、喉の調子などを気にかけるくらいで、正しさ、明瞭さ、勢いなどの機能と印象で聞いているにすぎません。声よりもことばの発音や音程、リズムといったメロディで判断していませんか。

 声を出すこと、出した声が伝わること、伝わった相手が反応すること、これらを分けて捉えてみるとよいでしょう。

 

○マナーと声

 

 気を遣うことば、失礼のないことばを選んで正しく言うことで終わっていませんか。

 気遣うのはよいことであり、マナーですが、ただ気遣っていると、きちんと正しく聞こえやすく、機能面ではよくなっても、声は固まってきます。

 私たちは、アナウンサーのようには日常、親しい人と話しません。報道は感情を抑えて伝えます。会話は気持ちを伝えようとします。全く逆の方向ともいえます。

 ビジネスでは、ビジネスライクに行われることを期待されるゆえに、ファストフードやファミレスのようなマニュアル対応も必要です。しかし、固まると、本当の事、本音は伝わらないのです。本音を伝えないためにマニュアルはあるのです。それは、本当は機能であり、声の応用なのです。

 

○固まらない

 

 固まること、固定することからの解放は、声のためにとっても大切なことです。感情豊かに表現する、これも、ことばや声で本音をストレートに出してしまうと、ビジネスマンとしても社会人としては失格です。しかし、アーティストとして、それがないと一流になれません。日常生活で、それがないと親しくなれません。

 固まることを、くせ、習慣、固定、偏りなどと述べてきました。それを変えるかは別として、捉えておくことは大切です。

 

○他人に学ぶ

 

 自らの思うところが、どこかまでは捉えてみましょう。それでできたことが、その次のレベルに行くための障害になっている例は実に多いのです。だからこそ、解放とかリセットなどと言われるのです。成功体験に囚われて失敗する、伸びなくなるのは、どこも同じです。そういうことを自意識か自らをみて捉えるのは難しいのです。

 そこで、他人をみて学ぶのです。

1.すぐれた人をみて、そうでない人をみると、その差がわかります。

2.すぐれた人を何人もみると、その共通点がみえます。相違点もみえます。

3.すぐれた人たちの共通点、相違点もみえます。そこで、自分をみるのを客観視するのです。

 

○学び方を学ぶ

 

 すぐれた人や周りの人と自分を比べても、大して何もわからないこともあります。そういうときは、共通点やルールらしきものをみつけて、それに照らして自分をみるのです。それが基準、先に述べたのが材料です。そこで自らが囚われているもの、固められているもの、成長、上達の邪魔をしているものを学ぶのです。否定せずに捉えることです。

 頭でわからなくても、歌やせりふなら、そういうものを排除するのに、できるだけ一流のものを聞き続け、くり返していくことです。その見本に何を選ぶのかという感性によって、半分は決まってしまうかもしれません。しかし、あとの半分は変わっていく、学んでいくことができるのです。

 一流からの学び方を誰かに教えられることもあるのです。誰かに教わるよりも学び方を学ぶ方が大切なのは、何回も述べてきたことです。

 

○無知の知

 

 たくさんの曲を知っている人もいれば、いろんな発声法や声の出し方、ヴォイトレの技術、メニュを知っている人もいます。これまで本や論文でしかみなかったのが、ネット社会になって、マニアのいろんな説を目にすることができるようになりました。

 私は、マニアではないので、ネットで全てを集めるほど興味や関心はありません。数や量は、質を求めて行き詰ったときの一つの方便にすぎません。アーティストの名や曲、歌をマニアの人より知らないし、日本の歌手でさえ、もっとも忙しかった1990年代は、一般の人よりも聞いていませんでした。

 私が求めるものは、どんな声でも出せるようになったり、声の分類をして組み合わせて新しい声をつくるようなことではないからです。自らの生命力になる表現の媒体としての声です。なので、質の悪いのがいくつあっても不要、最高の一つがあればよいと思うのです。

 

○改め続ける

 

 本は書き続けていますが、多分、マニアよりも他の人の本を読んではいないでしょう。知らないこと、わからないことだらけのなかで、まとめられるのは、その理を捉えているからと思います。これを法とか本質と言う人もいます。原理の理、法則の法です。

 ですから、私の本はどれも一つのことしか伝えていません。そういう本と、何でもかんでもいろいろと集めた本、試したものすべて載せている本では、目的が違うと思うのです。

 しかも、私は、一度書いたものを常に改めて続けているのです。毎年学ぶと毎年変わる、それはレッスンを受ける人だけでなくトレーナーもそういうものなはずです。同じことをくり返しているようでも、日々、新たに新しいものと出会え、同じ人とも新たなことに気づき、全てはWhats newなのです。

 自分の心身さえ、毎年どころか毎日、毎秒ごとに変わっているものでしょう。こうして述べていても、やめようとか続けようとか、いろいろと頭をよぎるときもたまにあります。

 何事も一瞬たりとも元の姿を留めていないのです。人の定め、運命のようなものかもしれません。そこで声を扱うのですから、いかに大変なのか自覚ももちましょう、ということです。

 

○傲慢と卑屈

 

 自信をもちすぎで傲慢なのもよくありません。もうわかっていると言う人ほど始末におえないものはありません。わかったつもりになっていたり、自分のわかっているところに一方的にもってきて、相手のことをしっかりと捉えていないからです。

 しかし、自己を卑下したり、卑屈になるのもまた、よくないことです。

 「私は声がよくないので…」「長続きしないので…」など、誰も聞いていないし、知りたくもないことを語らなくてもよいのです。それは、あなたでなく、あなたが自分をそう決めつけているだけのことです。レッスンやトレーニングに、マイナスになる考えはいりません。

 自分を卑下しても、他人を見下しても、自分の力は今以上に伸びなくなります。先入観、偏見、固定概念で色がついていくからです。

 同じ曲でさえ、気分で受け方が違ってくるものです。絶対基準をもちつつ、それを何でもかんでも当てはめようとしないことです。相対的に比べるとわかることもたくさんあります。自分のちっぽけな固定観念を捨てるためにどうするか、です。現実より現象の方が大切なのです。

 

○無常

 

 無常とは、いつも時が流れ、変わっていくこと、同じことは2度とないことですから、過去に囚われないことです。囚われていると未来を悲観し、絶望しがちになるものです。日々、新たに生きることです。

 客観視するのと、冷めた眼でみるのは違います。現実を直視するのは大切ですが、すでに答を用意して、そこからみるのは、固定観念そのものです。狭く狭くみて決めつけるのと、広くみた上で絞り込むのは、真逆です。

 

○絶対評価

 

 聞き手は、そのときの気分で評価なども変わるものです。なので、周りのことは気にしないことです。よく、他の作品と比べて相対的に評価する人がいますが、それは、説明のための説明です。

 私は絶対評価を第一にしています。比べられるところで、すでに何ら価値はないのです。でも、ビジネスレベルで成り立つくらいで、求められているものについては、誰よりも語れます。

 基本は1秒でも絶対にのめり込むところがあるかだけなので、明快です。

 業界というのも、歌も演奏もなくともよいと思っています。存在を認めさせないと評価にならないし、認めさせたら評価など不要です。シンプルなものです。

 まあ、仕事だから毎週、同じ字数を書かないといけない人の文章と、本当に伝えたいときだけ書くこととの違いでしょうか。

 

○判断と評価

 

 自分の判断や評価が適切でないことはよくあります。誰が何をもって、どう考えるのかは難しい問題です。自分以外の立場や価値観を知るのには、相当の経験とフィードバックが必要です。

 欠点を全く指導されず、周りがカバーして、あるところまでやっていけてしまった人ほど、一度うまくいかなくなったときに、手の施しようがないわけです。

 レッスンやトレーニングを自らの実感で判断するのは仕方ありません。しかし、それが曇っていたり、どこかがいくらすぐれていたとしても全てで万能ではない、そういう多角的な見方で気づくことです。そういう考えを伝えることがもっと大切だと思うのです。

 

○自由になるための学び

 

 何かを行い、続ける以上、それは何かの考えに基づいて行っています。そこでは、すでに、固定観念の塊なのです。「自由に」といって、「自由にできない」ことは述べてきました、それでは、もっとも自由になれないのです。

 ですから、私は、アドバイスもコメントも、それだけでなく、どの立場でどう判断したかの根拠を、できるだけことばにして示します。ただの感想や感情、好き嫌いでないところでみているので、言ったあとにフィードバックして、スタンスを付け加えます。

 

○本当の上達とは★

 

 ありがたいことに、ここには、すぐれたトレーナーがたくさんいるので、いろんな見方や考え方、方法やメニュ、プロセスを教えてくれます。

 自分だけが教えていると、生徒は、優秀なほど、自分が言う通りになっていくので、気づくことがなくなりかねません。生徒と共に創造しているつもりが、偏り、歪め、固めていってしまうことを恐れることです。☆

 他のトレーナーが教えている生徒に学ぶこと、気づかされることはとても多いです。自分以外のトレーナーが教えている分、複雑で面倒で厄介になる分、いろいろと学べるのです。

 上達した、伸びたなど、育つというのは、一人のトレーナーに認められるように、でなく、どのトレーナーにも認めるようにとならなくてはおかしいのです。それには、最初から多くのトレーナーにあたり、固定観念を崩してもらう方が有効なのではないかと思います。でも、多くのスクールやトレーナーの元では、そうなっていないのです。根本の価値観が違うと混乱をもたらすだけに終わりかねないからです。

 

Q.客観的な判断は、できるものなのでしょうか。★

A.他人の判断をたくさん聞く立場にある私は、いつも誰のどの判断がどこまで的確なのかを学んできました。なぜかというと、ずっと生徒のオーディションを10人ほどのトレーナーと共に審査してきたのです。今もここで、一人の生徒で4人トレーナーがついているケースは珍しいことでないからです。その上で、自分もトレーナーとして、その中の一人として自分なりの判断もするのです。

 例えば、比較的明らかに思える声域についても、4人のトレーナーのチェックを見比べて、判定が完全に一致することはほとんどありません。そういう判断や評価の多用なあり方も認めた上で、どれもがよいのでなく、どれもよくないと認めます。絶対よいものを求め、必要があれば絶対評価と別に相対評価するのです。

 まして、将来への予測は不可能のように思えます。でも、積み重ねることで正されてきます。同じ現実でも起きていることの見方、捉え方が一致しない、これが現象学というものです。判断をしなくてはいけない立場の人が、判断ということで何ら学んでいないのは、いや判断って人がするものだし…くらいなのは、恐ろしいことです。

 

Q.本物とは、嘘や偽りのないものですか。

A.アートがややこしいのは、芸のリアリティは、現実のリアルではないということです。現実でなく現象をみせていくものだからです。極端にいうと、増位山関など、相撲の関取が女心を歌って人を酔わせ泣かせるのが演歌でもあったわけです。心のあり様において、化かしあい、それをどう認識するのかは、どうとでも変えられるのです。

 親が死んだ日でも、笑顔で人を楽しませるように歌うのが歌手、楽しげに演じるのが芝居の世界です。

 

○場の力と機会★

 

 研究所では、楽器の他に音の鳴るものがたくさん置いてあります。結果として、宗教的な道具が多くなったのです。私も大してよい信者でないのに、月に1、2回はどこかの神社か寺を訪れています。何となく、そういうものと通じたものがないと、他人の出してくるものの判断をしにくいと思っているのかもしれません。

 スタジオは、私がつくり、管理しているので、場の力があります。これが無機質なオフィスの会議室や学校の教室などでは、声も歌もしぜんのパワーに欠けるのです。他の大きな力の助けなく、私や参加者のテンションだけで行うのは、大変に思うわけです。

 ヴォイトレは、一つのチャンス、機会に過ぎません。それで気づいたり目覚める人もいれば、変わらない人や、狭く固まっていく人もいます。続けていくと、ますます有効に思う人もいれば、そこそこの効果でやめる人もいます。

 ヴォイトレにもよりますが、全てをよく変えるきっかけとして利用できる人は本当に少ないものです。その条件は、悩み、迷い、苦しみ、どうしようもなく行き詰ってしまうこと、壁に直面すること、挫折をくり返せることかもしれません。

 

○声魂

 

 声魂、声に魂を入れること、声も歌の心のように考えてみるとよいと思います。ヴォイトレも、お寺で「般若心経」を唱えるようなものになればよいし、ヴォイトレが毎日の読経なら理想的です。

 

○異変

 

 場が異質であるのは、非日常の時空を共有するためです。そこにいて呼吸をするだけで感覚は違ってくるものなのです。

 異質なものに触れることに人は億劫です。しかし、そうして異変を生じなくては大して変わりません。迷い悩み、こだわりを切る、クリーンにすることでしか、声はステップアップしません。

 でもヴォイトレでも、その逆のことをしている人がとても多いのです。鋭くでなく鈍くなるということです。

 トレーナーも大半がそうなります。カウンセラーが心に病を抱えていて、他人の事よりも自らを治す方が先決というのと似ています。でも、自らを治せないので封印して、多くの他人に対することで社会性を保っている、そのレベルでの活動が多いのと同じようなものです。

 他人を客観視するというのは、人としてみないことでもあり、そこで、そのレベルの人の多くのは、人でなく、ものと接する世界へ入ってしまうのです。でも、どこの世界にも、ほんの一部に、人もものも関係なく、真理を見抜き、引きだせる人がいます。

 

○デトックス

 

 生きていたら汚れるのはやむを得ません。多くの人に対していたら、それは何倍にもなります。しかし、掃除をすればよいのです。

 汚れないようにしようというなら、人と交わらないようにするしかありません。毒のないものだけを食べようとするようなものです。それは、社会では不可能です。考え方を逆転させましょう。

 よくないものを入れても、排出、デトックスすればよいのです。息を吸ったら出せばよいのです。吸わない方法を考えても仕方ないでしょう。どんどん取り入れて、どんどん捨てていくことです。

 

○ただ行う

 

 目的をもって正しく学ぶ、のですが、そのために、何のためにということも、正しいということもあまり考えずに、ただ行うことからでよいのではないでしょうか。

 目的にそぐわないものはやらないとか、正しいことだけやると思っても、その判断をあなた自身でしている限り、目的に沿ったことはできず、違うことをやることになります。すべきことをよけて、そうでないことをやってしまい、それに気づかないことの方が多いからです。まず、何でも取り込んでいく、全てを体内に取り入れてから出してみるとよいのです。

 

○力を抜く

 

 力を抜くのは、脱力だからといってダラダラするのでなく、リラックスなどと緩むのでなく、目一杯集中してスタートすることが大切です。短くとも濃い時間を積んでいく。濃さが、いつか深さになると思ってください。

 結果として、落ちついて少し高まっていれば、まあ、リラックスできたのです。熱心に、闇雲にがなってハイテンションになるのとは違います。

 

○ヴォイトレ全能

 

 私は、整体、マッサージ、ジムなど、あらゆる心身の解放や整えることを、ヴォイトレでできるだけ代替して行うことを提唱しています。治療というのが疲れからの回復、ゼロに戻すことに留まるのに対し、ヴォイトレは声を出すことで、常に、一歩その先に進めるからです。

 音楽を聞いて、リラックスしても心はゼロに戻る、でもピアノを弾いたら、声を出したら、少しずつうまくプラスになる。その差は後になるほど違ってきます。その分、面倒で手間がいるのです。

 掃除をするのでなく、少し飾り付けをするのに、掃除をしてしまっている、服を着たり脱いだりするのでなく、少しおしゃれをする、そんな違いでしょうか。

 

○発散と我慢

 

 暇になると人は悪いことを考える。これは、ネットをみれば一目瞭然です。そこにずっと匿名で悪口を書ける人は、暇な人です。エネルギーを他に発散できないから、そこに執着して表現の場を求めるのでしょう。

 他に発散できないときこそため込むべきです。我慢する力こそが、次に何かをなす大きなエネルギーになるのです。それを中途半端に発散してしまうとパワーを失ってしまいます。負のエネルギーこそ、ためてためて正に転じる、つまり昇華することです。

 大きなマイナスを小さなマイナスにしていたところでプラスにはなりません。そこへの反応に囚われ、さらに人生の時間と活力を無駄にしてしまいます。暗く自ら囚われていくのです。悪口などは、発したとたん、自らを痛めつけているわけですから。

 でも、それがストレス解放になっているよどんだ場では、反対の面、穏やかでやさしい人を演じられるということで、はきだめという効果で、ギャンブルのような必要悪として消えることはないのかもしれません。で、いつも問いかけてください。それで心が高まりますか、と。

 

○退屈と退化

 

 刺激がなく、反応がなければ退化します。ボケてしまうし死んでしまいます。ですから、人は、刺激を求めます。何もしない、何も考えないのは、まともに生きている人には、難しいことです。

 退屈が嫌だから芸事も発達してきたのです。なので、退屈な芸事やその練習をやることを私は好みません。歌や歌の世界が退屈になってしまったから、私はそうでないところにいることが多くなったのでしょうか。

 

○休む

 

 体を動かさず、何も考えない瞑想より、声を出したり歩く方がよい状態に入りやすいものです。人は、考えすぎたり動きすぎたら、それを抑えて休みたくなります。ですから、瞑想したければ一日目一杯、心身を使っていれば、わざわざ行わなくともやれているのです。疲れたら眠ればよいのです。眠れるまで目をつぶっていればよいのです。ジョン・ケージの「433秒」などは、まさに瞑想のことでしょう。

 

○観察する★

 

 自分を客観視するのに、他に考えてしまうことが邪魔するのです。邪心が自分を正しく、そのまま、ありのまま現実として捉えられなくするのです。

 踊り手やモデルなら、他人の眼にどう映るのかを、鏡をみて徹底して客観視するトレーニングをします。ヴォイトレも観察の一つですが、目でみることができないので難しいのです。

 でも、観て察するところは同じです。現実に対して虚構がある、自分の声と自分の思った声とにギャップがあるのです。

 これは、耳から聞こえる声と録音再生の声の違いということではありません。あなたがよいと思ったり求めている声と、本当にあなたのよい声、価値のある声とが違うということです。

 声が捉えにくいのは、絵のように視覚でないため現実の声とその働きかけということに距離がとれないことです。習字なら生徒の書いた字に先生が赤を入れたら、違いが距離として明示されます。

 声は音波振動で聴覚ですから、そうはできないのです。研究所では、声紋分析で声のヴィジュアル化して提示はできます。でも、そこに他人の声での修正を加えてみせることはできません。本人の修正は、本人の声でしかできないのです。

 

○伸ばす

 

 背筋を伸ばす。背骨(頸椎、胸椎、腰椎)とインナーマッスル(脊柱起立筋、腸腰筋)の働きをよくすること。

 

○月輪観

 

 研究所に、冥王星のポスターが貼ってあります。丸いのをイメージします。そして「あー」と声を出します。(阿字観)

 よくお寺に唱える真言が、ひらがなで書いてあります。せっかくですから唱えましょう。

 不動明王の「のうまく さまんだ ばざら だん せんだ まかろしゃだ それたや うんたろた かんまん」は、よくみかけますね。

 他に「おん あぼき べいろしゃのう まかぼだら まに はんどま じんばら はらばりたや うん」(光明真言)

 「おん あびらうんけん ばさら だとばん」(大日如来)

 「南無大師(なむたいし) 遍照金剛(へんじょうこんごう)」(弘法大師)

 

○囚われ

 

 声から自由になる、のは、声をもたないということでは、ありません。声に囚われないで声で表現できることです。もっていてはよくないのではなく、もっていることに縛られないことが大切です。ということは、もっていないことにも縛られないこと、囚われないことです。となると、もってしまって囚われない方が、もっていないで囚われないよりもよいのでないでしょうか。

 

Q.直感こそがすべてではないでしょうか。

A.ダニエル・カーネマンは「ファスト&スロー」の思考について、それぞれ快と不快で分けつつ、これからは遅い思考が大切になると述べています。

 直感的に得だと思うことは何にもならず、ゆっくりと考えられる人が長い人生では成功するということです。

 

Q.日本人の民族性が出ているものには、何かありますか。

A.お笑い芸人のロッジに巨乳ネタというのがあります。日本人のように、二の腕、うなじ、盆のくぼ、襟足などにエロスを感じる民族は、他にどのくらいいるのでしょうか。

 「詩よりもすばらしい腰つき」(「イパネマの娘」)では、ブラジル女性の魅力は臀部、尻なのです。バストなどの魅力はハリウッドのもたらしたものです。日本人も西洋化されるまで、いや私の幼少期くらいまでも、胸などにさして性的なアピールなどなかったのです。日本人の体つきということもあるのでしょうけど。

すぐに触って確かめ合う文化の国では当たり前のことでも、触れることが日常にないところではタブーになります。日本中に貼られている痴漢注意、秋葉原駅には盗撮への警告。こういう文化もまた、日本にしかないように思います。「フランダースの犬」「マッチ売りの少女」などのストーリーは、他国では日本人ほど受けないようです。

Ⅰ「感覚とそのズレ」 No.305

Ⅰ「感覚とそのズレ」

 

○コンサルタント

 

 私が、これまでヴォイトレに関して一貫して述べてきたことは、主として表現においてのパワー、インパクトの欠如からです。それを支える声の声質(音色)、声量ということが中心です。日本において、なぜ、それが実現されていないのかを、特にヴォーカリストと歌い方、トレーナーと指導、観客と聴き方の3面から述べてきました。それは、日本のトレーナーや声楽家の盲点であり、一方、海外のヴォイトレについても、日本人に対して対応しきれていない現状を指摘してきました。

私の研究所のなかでも、トレーナーと、いろんなタイプの相手を、どのようにマッチングさせるかは最大の問題です。私は、そこを長くコーディネイト、プロデュース、アレンジメントしてきました。今回は、そのなかでの最大の問題に触れます。

 

○感覚と体のズレ

 

ヴォイトレの最大の問題は、本人の感覚と本人の体とのズレです。自分の好み、イメージと、生まれもって与えられた楽器である体とのズレです。この点は、これまでも触れてきました。

ヴォイトレの基本である発声は、本人のよしとするものと、客観的によいとされるものが一致しにくいのは、よく知られています。自分一人での発声練習は間違えやすいから、トレーナーにつくのは声楽では常識となっています。

でも、ポップスや役者では、今でこそヴォイトレは一般化していますが、そういう意識は希薄でした。発声は、本人のオリジナリティのもと、本人の感覚によって選ばれたものであったからです。

そのイメージや感覚が劣っていては正されない、ゆえに、その生来の自動選択能力という素質こそが天分のようにも思われていたのです。誰にも合わせないで自分のもつものを伸ばす、でも、それは、そこまでにその人に入った声、歌、つまり、聴覚、耳の力や体感が導くわけです。自分の資質を開花させるのに、もっともよい見本が選べていたかということにもなります。

しかし、いつになっても体、喉は変わるし、耳も育ちで変わるのです。よくも悪くもなるのです。

感覚の中でも体、喉そのものでなく、声はその使い方ですから、それを学ばなくてはなりません。しかし、他方で、その人の持つ体、喉は独自のものです。可能性も限界もそこに根ざすものです。

 

○「それ以上」の上達

 

 本人と歌とヴォイトレの関係は、これまで述べてきたので、一言で要約します。

本人がよいと思った声、発声、歌と、本当によい声、発声、歌にはズレがあり、それに気づかないことが、「それ以上」の上達を妨げているということです。

本人の実感、それは、その人の判断を支えていたものです。それが違うからうまくいかないと知った人は、トレーナーにつきます。声や歌に限界を感じたときにアドバイスを欲するわけです。それは、ついたトレーナーに、どのくらい頼れるのか、そのトレーナーをどう選べばよいのか、ということになります。もし、トレーナーを正しく選べているくらいなら、歌や声も正しく選べるのではないかというようにもいえるでしょう。☆☆

ですから、今回述べるのは、本人がよいと思ったトレーナーと本当にその人によいトレーナーとのズレということにもなるわけです。

今の状況で、よいトレーナーと、将来にとってよいトレーナーも違うのですが、ここでは、将来に、としたいものです。

元より、選ぶということ自体に無理があり、それは、正しい、間違いでなく、新たに発見を獲得していくことで、潜在能力を充分活かすようにしていくと考えるべきだと思うのです。

 

○医者の限界

 

喉を潰したら医者に行く、そこでヴォイトレを紹介されたら、それは治療より発声の問題に原因があるわけです。しかし、そう判断できる医者は多くありません。また、紹介できるトレーナーと本人とのマッチングなどの検証も、さほどできていないのが現状でしょう。

となると、ここでの選択も、実績があり安全が第一ということになります。しかし、ここで優先される実績は、上達でなく、安全にかかってくるのです。多くの人にとって安全、つまり、一般的に対応する、偏りのない、リスクのないトレーニングとなるわけです。そこが医者の判断の限界なのです。医者は治療するのが責任です。それでよいのです。問題はトレーナーも同じようになりつつあることです。

「戻す」のでなく、「変える」

声の障害も、若い頃のように声が出なくなったケース、23年前のように声が出ないというケース、1か月前のように声が出ないというケースと、それぞれに違います。

何よりも「それ以上」(前以上の上達)の必要性をどう考えるかです。治すというのは戻すことです。

でも、私は、いつも「それ以上」をみているのです。戻すといっても、戻っただけなら、また過度に使うと悪くなる可能性が大きいからです。事実、一度は悪くなったのですから、すでにズレているのです。戻して、安全にと制限をかけることを教えるゆえに、伸びなくなるのです。☆☆

 

○トレーナー選びのズレ

 

 メニュや方法に、全ての人のどんな状態にもよいものはない、メリットがあればデメリットもあること、大きな効果や早い効果を出すものは、相手や使い方においては、ハイリスクになることなどを、しつこく述べてきました。

安全、確実になら時間がかかるのは当たり前、片や、大きく変わりたいのなら、時間をかける、しかし、ただ、時間をかければよいだけでないことも述べました。

トレーナーについても同じです。万能なトレーナーはいません。でもそのように思わせてくれるトレーナーはいます。それが必ずしもよいとは限りません。むしろ逆のケースも多いのです。オールマイティ、何でも屋とは、結局は、初心者向けなのです。

ここのテーマは「トレーナーの選び方」ですから、これまでもそこを直接的に、あるいは間接的にずっと述べてきました。今回はそこを主に述べます。

私の述べてきた「方法」「メニュ」を、「トレーナー」戸置き換えて読み直していただいたら、この先に述べることの半分は省けると思います。極力、絞り込んでトレーナー特有の事情に関して、述べていきます。特に、教え方のなかでも、まねること、模倣について、限界のあることは、くり返しになるので、最低限の言及に留めます。

 

○専門家のズレ

 

 声のノウハウが研究、蓄積、普及しないのは、あまりに個別だからです。耳鼻咽喉科では、患者のほとんどは声の問題で来るわけでないから当然です。病気では耳や鼻が多く、喉についても、発声ではないし、まして、ヴォイトレではないのです。

また、音声を中心に診ていても、病院ですから、声に何らかの障害を生じてきた人がきます。そこでのデータは、すでに何らかの支障のある人に片寄っているわけです。しかも、ケアや現状復帰が最終目的ですから、トレーナーの扱うレベルとは相容れないことがほとんどです。

ヴォイストレーナーでも歌専門、発声専門といえるかどうか、ここにいらっしゃる人も本当の意味で発声や歌唱を求めていらっしゃるとは限らないことを述べました。 ヴォイトレが声そのもののトレーニングでなく、音楽的基礎のこと、メンタルやモチベーションのこと、パフォーマンスや見せ方などが中心になっていることも少なくありません。それに、トレーナーがどうであれ、求められることが治療、ケアのような調整であれば、ほとんどトレーニングになっていかないのです。

昔の歌の先生は、伴奏して歌わせ、リハーサルやレコーディング対策として、今のカラオケのようにして、曲を正しく覚えることが第一、次に歌心、といったものが、指導の中心でした。ヴォイトレそのものではなかったので、邦楽に似た状態であったのです。しかも、プロデュースの前提として、歌がうまく、声をもっている人がメインでした。

ですから、プロを育てるのに、声そのものを扱ってノウハウを蓄積してきているところなど、ほとんどないのです。自己流か、声楽や他のトレーナーのノウハウの受け売りなどで、自分よりもできない人や初心者を教えているケースがほとんどだったからでしょう。

 

○存在意味

 

 トレーナーの分類もレッスンを受ける人のタイプも、これまで述べてきたのを参照してください。歌い手の、一流、二流などは、歴史が判断することでしょう。黒子のトレーナーは、目の前の人に最善を尽くすだけです。

歌手を歌や声だけで判断しても仕方ありません。ヴォイトレの教え方の効果で問う、というなら、日本では未だどこも成功しているとはいいがたいです。声楽家のように教職を専らとする人もいます。海外では、多くの歌手から称賛されているトレーナーもいます。そこに行く人も増えました。それなのに、世界レベルの歌い手や役者が日本から出ないのは、なぜでしょう。本人かトレーナーか客か、どこに問題があるか、こうした観点で取り上げたり、研究がなされていないという自体、大きな疑問です。どのトレーニング効果をあげている、その効果とは何か、どのレベルかということです。☆☆

声や歌のように本人の資質だけで、トレーニングなしで成り立つことがあるところでは、トレーニングやトレーナーの存在意義から問うべきだと思っています。必要な人がいるから、やればよいということでもないのです。売れればよいのか、評価されればよいのかというのも、勝敗や記録でかなりの部分を客観視できる分野とは異なります。

今やエンターテインメントとなって、声そのものでなく、声を使って総合的にみせていくようになったという違いもあります。声の問題がよりわかりにくくなり、また、素人レベルでのケアの方へ囚われていくのも、この総合化のせいでもありましょう。

 

○相性

 

 早く楽しくうまくなりたい―そのためのヴォイトレとなると、メンタルの弱い人にはヒーラー、メンタルの不安定な人にはモチベーターが適しているようです。事実、そういう人は、そのようなタイプのトレーナーを選びます。

レッスンで、これも一回でわかるものでない点は注意するようにと述べましたが、実感して決めるのは、本人のこれまでのイメージや経験が元です。ですから、本人がよいと思って選ぶところで本当は大きな疑問が出るべきなのです。☆

この辺りの相性の問題について、相性がよいと本人もトレーナーも思って選ぶところでのメリットとデメリット、それで続けているケースでの効果については以前に述べました。(自分とは異なるタイプのトレーナーに学ぶ方が効果が大きいなど)

この辺りになると、本人の人生ですから、本人が最終的に決めるものと私も考えています。しかし、本人の実感という思い込みだけで目的、タイプ、状況とのミスマッチの選択についてアドバイスできる人がいないのは、よくないと思います。

とはいえ、現実には、担当のトレーナーやその方法について、セカンドオピニオンが判断するのは難しいものです。最初の状態レベルとプロセスとしての状況の把握がなかなかできないからです。レッスンの12回の録画などもみてもわかるのは、一部分です。レッスン前や初回のレッスンの記録がとても大切なのです。私のところでは、それを記録しています。

 

○前提を疑う

 

 目指したいイメージでのヴォーカル像、声や歌い方と本人がもつ資質や能力が明らかに異なるときは、慎重に時間をかけることです。合っていないと否定するのは簡単ですが、何事もやってみないとわからないのです。表向きでなく、根本から変わるためにトレーニングがあるのです。

要は、基礎づくりでもよいのですが、それはその基礎の前、前提から変えられるかということになります。ですから、抵抗のある方が、本来の導入の時の実感といえなくもありません。

大きく変わるなら時間もかかりますし、難しいことも出てきます。大きく変わるというよりも、大きく力をつけるというべきですが。

 

○白紙に戻す

 

1.もって生まれた資質、天性。2.幼少期、しぜん、育ち(体、感覚)。この2つの要素での問題も以前に触れました。310代、育ち(耳、ことば、歌)。420代での変化。5.それ以降の変化。大きくは、このあたりのプロセスでの変化でみます。

老いによる衰えは、今回は省きます。私は75才までは、現役を区別しません。40代、50代でいらっしゃる人でも、12の育ちは大きな問題です。

10代での天性のヴォーカリストの20代以降の変化もたくさんみてきました。歌手も役者も、感覚がよくて早くに選ばれて実績をつくってきた人に、トレーナーとしては、そこまでの感覚や判断力を疑えとは言えません。そこが支えでもあり、そこを否定したら素人になりかねない人もいます。

でも、トレーニングに臨んでは、思い切って白紙にしてよいのです。その人であることは違いがないのです。どう新たに入れ込んでも、その人のものが消えることはないのです。特に実績のある人なら、なおさらです。トレーニングは、ステージと判断の基準が違うので分けるようにアドバイスしています。

即効性を求めなければ、いずれ、相乗効果が出るはずです。いえ、即効性を求めてはいけないのです。早くできあがった人ほど、そこに器用に長けていて、また同じようにまとめてしまうからです。

ただ、本人が白紙から学ぶ気になっても周りが許さないケースも多い、そこが業界とファンの問題なのです。

 

○インプットのプランニング

 

 トレーナーとしては、プロの実感に対して医学的、生理的(それを科学的と言う人もいる)にか、論理的にか、どちらかで迫るしかないのです。医学的、生理的というのは、以前の状態に戻せても先に行けません。

自分の感性を押してくる人に、トレーナーの好みで反論や提案しても、それは価値観の相違になりかねませんから無力です。発声も歌も本人サイドに立った上で、本人のやったことでの矛盾や限界、その解決への可能性を論理的に言及しないと納得させられないのです。しかし、音楽は、ありがたいことに、とても論理的なものです。そこの感性が足らないケースでは、そのインプットから必要です。

 感覚が未熟なのでなく早熟であったために、器用で止まっているケースも少なくありません。活動はアウトプットが中心ですから、インプットが不足して疲れてくる、歌唱も表現、演出、パフォーマンスにシフトしていく、など、複雑に絡み合っています。

それに対して、長期的な展望をもったプランニングをしていくのです。トレーニングの意味はそこにあります。どれだけのものを得られるか、それにどのくらい年月がかかるかということになります。

 

○テンション

 

 プロも、不調になれば落ち込んで、それでいらっしゃることが多いので、メンタルの立て直し、体の鍛え直し、モチベーションの向上というのは、もっとも効果的なアプローチです。ですが、それで解決するのは、むしろ初心者、素人の人です。

プロは、本来、テンションはありますから、そこを戻せたら、というなら心理的な解決となります。そこでも、体を動かすのが早道です。そこまででよいのなら、この先のアプローチは不要です。しかし、そのままでは、いずれこのくり返しになるでしょう。

あるいは、勢いで声を出して出たらよし、出ないとテンションが足らないということになりかねません。日本のレベルでは、ここで目的を達したと思う人も少なくないのです。ですから、心身のトレーニングで徹底していく、それもありと思うのですが。

私も、テンション、勢いは前提と思うので、先に述べた2の幼少期、しぜんに大きくたくさんいろんな声を出すというのは、ここで再体験して欲しいと思っています。

 

○喉のズレ

 

ただし、ドクターストップのかかっている人や喉の病気や手術のケースは別です。その直後、リスタート時などではリスクが大きいです。自主トレと称して、大きく強く出そうとすれば声は出ますが、緻密なコントロールができないでしょう。喉にも負担をかけてしまい、早晩、出なくなりかねません。これは、どのトレーナーでも禁じるケースです。

そこで気をつけることもまた感覚のズレです。喉に少し負担をかけた方が感情表現しやすい実感のあるためです。喉の状態を捉えられず、力で動かせるのが好調の感じと誤解してしまう人が少なくないのです。感情を出しやすいときの喉は、すでに疲れているということを、再三述べてきました。

 

○手順

 

 呼吸だけなら、喉に無理がこないから、呼吸で体を変えることを行います。これも喉を絞ったり乾燥させて負担をかけてはよくありません。声を体と結びつけるのです。大体が、この手順を飛ばしてしまいます。ここだけでも23年かかるのです。(私は声で体を鍛えさせます)

大半のヴォイトレは、口内での共鳴調整、発音矯正、声域(特に高音)、スケール練習を主とします。特にドミソミドやドミソドソミドのように、いきなり半オクターブ~1オクターブのスケールで、さらに2オクターブ以上の声域で行っています。

先に全声域のイメージを与えるのは一つの目的ですし、できていなくても、引っ張り上げてできるようにしていくのは一つの手段に思います。

しかし、大体はトレーナー自身の求める手順が甘く、音にヒットしたらOKとしてしまいます。そのときのレベルでOKというのではなく、本当にOKで問題なしにしてしまうのがよくないのです。

これは、海外のトレーナーでも似ています。ただ、元の発声のレベルがかなり違うので、向こうは調整で済んでしまうのです。声量があり芯がある分、そこを待つ手順がいらないのです。おのずとバランスとスムーズさのための脱力が目的の中心となります。

日本人では、その声でとてもOKではないのですが、そこをわからないケースが多いのです。届いたというのと表現できるというのは、地力が違うのです。

さらに、その届き方をくせで固定させ、それ以上の伸びの限界をつくってしまうから、気をつけるように言っているのです。でも、カラオケなどでは充分なので、ここでの表現は声の自在な表現力のレベルのことです。

 

○声がある

 

 一流と二流の差は、イメージ、感覚ともいえるのですから、これはトレーナーの見本でなく、一流のプレーから叩き込むしかありません。視覚以上に聴覚には差があるというか、まさにみえないので難題です。そこは、感じるものなので、量よりも質、気づき、聞き方を一流にしていくことが第一です。

 「息を聞く」から始まる私のヴォイトレは、声を役者、外国人並みにして、あとは一流の作品に触れ、音の動きとして声を捉える、この2つでしかありませんでした。

声で弱者の日本人が、ベテランの役者レベルに声を扱えるようになれたら、声がないままに歌に入るよりずっと有利でしょう。そこは間違いありません。そこまでになされることが、まさに声のトレーニング、ヴォイトレです。

リズムも音程も、歌そのもので学ぶところはストレートに入れていけばよいのです。トレーナーが下手に鈍い歌や発声のメニュで邪魔しないことです。

自ずとオリジナリティこそがメイン、音色も最終的に本人が選ぶ、いや、ベストが選ばれるように、声とその動きに一流の感覚を入れて、取り出していくのです。

 ちなみに、その取り出し方の練習が、私の述べてきた、複数の一流の歌手の同曲異唱からフレーズを学び、つくり出すオリジナルフレーズのメニュです。

 

○声づくり

 

 海外、といっても、ポップスのヴォーカルトレーニングでは、アメリカとなりますが、歌のみせ方の技術に直結した発声練習が多くあります。英語と密接に結びついているので日本人には高度、というより発音に気をとられ、口先となりがちです。あるいは、結果として、声と結びつかない、体、呼吸だけの鍛錬や柔軟、声を捉えていないままの脱力に終わることも多いです。☆

そういうトレーナーのトレーニングでヴォリュームやパワーが増した人はいません。まして、その教えてくれた人に学んだ人は、さらに表面的なノウハウ、メニュの形を受けて口先の声になります。そこは、先述したように基礎の声、体の声の不足ですから、そのままではいつまでも解消しません。

体からの声づくりは時間もかかります。何よりも、そのプロセスでバランスが意図的に失われるため、バランスを絶対として脱力のヴォイトレを信じる人の気に入らないことになるのです。海外でトレーナーについても、多くの人は、数回か、12か月くらい受ける人が大半ですから、やむをえない事情でもあります。

清く、正しく、美しく、の歌唱を好むのは、日本人らしくてよいのですが、表現としてパワー、インパクトはいるのです。しかし、これは、何であれ、声を大きく強く太く出せたらよいと力づくでやって、実感するのは違います。力が働くのを、プロセスと結果で混同してはなりません。力を働かせるために力を抜くのです。

 

○大きな声

 

 モチベーションを高めるには、大きな声を出せばよい、すると皆、それにつられるからです。つられて声も出ます。代表は応援団の発声です。子どもやメンタルで縮こまっている人には効果大です。

とはいえ、一部の人を除き、そこに基礎とのつながりや、その先に発展はありません。なかには痛めてしまう人もいます。特に声をあまり出さずに育った最近の若い日本人には通じにくいでしょう。

ワークショップのような体験実習には感情と体の強制的解放は、よいときもあるのですが、私自身は好きではありません。品がなく、丁寧でない、でも雑に荒っぽく、で自分の限界を知るアプローチを必要な人も多いように思います。(芸術性というと、クラシックのようですが、ここでは芸能と同じようなことで、私は使っています)

パワー、インパクトは人を惹きつけ心地よくさせます。ですが、それだけでは飽きられます。驚かせて振り向かせ、立ち止まらせるだけでは、芸ではありません。

ヴォイトレも、そこでは、感性、芸術性、知識でない教養(人類が共通にもつ判断の基準をクリアするようなもの)が必要です。しかし、プリミティブなパワーとしての声量は、大きな魅力になることもあるので、シンプルに追及するのもよいと思います。

 

○基礎

 

もっとも、歌もイベント化、パフォーマンス化してしまい、変わってしまいました。それについて、ヴォイトレも雑に荒っぽくと、小さく弱く(高い)という方向に両極端化してしまいました。ただ出していたら出る、というのと、とにかく丁寧に繊細に、というのが多くなりました。

この両極端の問題は、考えようによっては、日本のヴォイトレの当然の帰結ともいえるわけです。スポーツでいうと、小中学生の体では無理せず脱力フォームだけで仕上げるというのと、高校、大学生で、体だけハードに鍛えてから応用するのということにあたるかもしれません。

力が入りすぎているケースでは、ヴォイトレの必要性は、発声と共鳴の効率化を求められます。求められなくてもそこがポイントです。調整とバランスとは、あらゆるケースで欠かせません。しかし、その支えとしての体づくり、呼吸づくりもまた欠かせないのです。それを呼吸法や発声法という形だけにとられ、実質をおいていってしまうので、大して身につかなくなるのです。

基礎ができている上で、力が入ってきたりバランスがズレてきても、それは調整ですむのですが、そこまでしっかりとした基礎ができている人はあまりいません。

 

10代からの成長

 

 10代でバランスがうまくとれて、とてもうまく歌える人が100人に1人くらいでいます。スポーツなら3年後を考え、基礎をみっちりとやるのですが、歌の声はそのまま、それゆえ、体と合わなくなります。体が変わり、元の感覚でついていけなくなる。なのに、自覚がないのです。

一方でステージは、MCやパフォーマンス、声にも感情表現力が問われ、長時間たくさんの声を求められます。 それで、しぜんと体も感覚も理想的に変わるケースは、さらに100人に1人くらいでしょう。生まれつきと育ちの両方が高度に伴うとなると、1万人に1人くらいでしょうか。

歌唱の基礎の発声が定まらないうちにステージングに移ってしまい、声の使い方に無理がくるのです。こうなると、ほとんどはマイク、音響の効果に頼るようになります。一部の人は、いつか病院行きです。

今の人がそうならないのは、そこでの活動が昔ほど過酷にならないからです。昔からみると、考えられないほど甘いのです。クリーンで室内外の環境もよくなりました。喉のケアを考えたり、表現にも安全な歌唱法を選び、感情表現に走らずに無理をしなくなったからです。皮肉なことですが、それが歌手自身の表現力やインパクト、パワーを弱めていることになっているのです。さらに声を扱う能力も、です。

 

○タイプA

 

 ここでタイプAとは、共鳴、調整をメインに、タイプBとは、呼吸、体の鍛錬、もしくはリラックスをメインにします。ヴォイトレでいうと、タイプA、タイプBのプロセスを経た人が、それぞれに調整型と鍛錬型として教えていることでの問題が多いといえます。共に逆タイプのことをあまり知らず、自分と異なる教え方として否定しているわけです。

そして、レッスンを受ける本人も、自分の実感で判断するので、自分と同じタイプのトレーナーを選びがちです。

もちろん、必ずしも逆のタイプを選んだらよいということではありません。このタイプA、タイプBは、それぞれにおいて未完成であり、教える時点で自分自身の未解決の問題をも放り出しているといえなくもありません。いや、その自覚があればよいのですが、大半は、それに気づいていません。

私は、よく自問します。なぜ教えるのか、それは教えられたい人がいるからです。確かに最初は、教えることを頼まれました。教えられたいという本人からでなく、プロダクションからだったので、ヴォイトレといえどもタイプAに近い形で求められました。すぐに12割うまくなったかのように伸びて、あとは、そこで止まる、それは目前のステージのための対策だったからです。だから、こうなるのは、とてもよくわかるのです。

 

○タイプB

 

 次に、タイプBに関してです。私は、一般の人と行うに際して最初に体、次に心の問題にあたりました。そして、感覚、実は、これこそが、伸びるための全てといえるのですが、その捉え方を伝えることに苦心しました。体、心、感覚の3つの関連は前に述べたので省きます。

スポーツの例えばかりで申し訳ないのですが、マッサージや整体によって充分な力が出てOKとなるのは、元より実力のある人です。多くの人は、普通の人以上のことを人前でしようとしたら、今よりも鍛えて、それをキープした上で、調整しなくてはなりません。私自身は、20代までの10年で鍛え、40代までは日常の仕事が相当ハードに鍛えることになっていました。今は、意図的にペースを上げて保っています。

養成所としての研究所では、声をつくるための体づくり、呼吸づくりと、声づくり、そして、それら3つの関連づけがメインです。それは毎日の自主トレーニングによるのです。そうであれば、レッスンでは、技術や応用を伝えているのかもしれません。そこでレッスンが、タイプAになるのは、ごくしぜんなことで理想的ともいえるのです。

 

○天性

 

子供を合唱団に入れるか、演劇部にいれるか、相談を受けたことがあります。どちらでもかまわないと思います。子供に選ばせるのがよいかとなると、本当は問題です。でも親が責任をとれないのですから、本人のやりたい方に、となります。好きな方、興味がもてる方がよいからとなるわけです。こういうときも第三者に相談する方がよい結果が得られると思います。

ヴォイトレも最終的には、本人次第です。しかし、トレーナーとしては、本人の好き嫌いや感覚での選択にだけ任せているのは、怠慢のようにも思うのです。天性の素質と本人の好みをどう捉えるのかは、とても難しい問題だからです。

マイケル・ジャクソンのような天性の素質のある人の幼年期は、タイプAの典型です。彼の30代以降の声の変化は、歌手からパフォーマー、アーティストへの転換ですから、少し異なりますが。ヴォイトレとして、一般的に共通の見本としては、ジャクソン5時代のマイケルの声と歌唱の感覚の方がよいのです。すぐれているだけでなく、他の兄弟、同じ環境に関わらず、兄たちに勝る分で、天分、天性プラスαが窺がえます。そこで、兄弟でさえ100パーセントまねできなかったものについては、コピーするよりも参考に留めることにして、何か気づいて何かしら学べたら充分です。(ちなみに、同じ環境下での兄弟では、末っ子ほど有利なのは言うまでもありません)

 

○実感の間違い

 

 有名であったり活躍していたら、本人も自らの実績に基づいた自信があるので、時に困ります。感覚も体も、よくも悪くも年々変わるのです。過去のことは過去のものです。

専門が声ではないケース、他の分野の活躍の実績上の歌なら、声についてはまだ謙虚になれるのでしょうが、歌い手のケースは、複雑です。今の日本で本当の意味で、声の力で支えられた歌手が少ないからです。過去にうまくいっても、今がそうでなければズレているとか基礎の不足に気づくべきです。

喉の病気で医者に行くようにトレーナーを声の専門家としてみるのはよいのですが、何回も述べているように、何をもって専門なのかが曖昧です。そこでこれを連載しているのです。

声が出にくくなったり、出なくなると言って、ここにいらっしゃいます。それは、高い声が出にくくなったり、かすれてきたことで気づくのです。本人だけでなく周りにもわかるからです。そこだけは気にして歌ってきたからです。

しかし、それは根本の問題ではないのです。そこで、ヴォイトレが必要と気づいてくるところから、問題をズラしてしまうのです。本人の実感で間違いが生じるのです。

 

○タイプAのトレーナー

 

 ヴォイトレでも高い声の出し方などは、それを望む人とそれが出にくくなった人にわかりやすいから、ニーズが大きいです。その結果、日本では、ほぼタイプAのトレーナーばかりになりました。ヴォイトレというと、高音を楽に出すため、となったのは、この安易な判断によってといえます。そして、その傾向はますます強くなりました。

くり返してきたように、カラオケなど素人判断でわかりやすい順は、第一に高い声が出るか、高い音に届くかどうか、あこがれるプロと同じ調で歌えることを目指す人がとても多いです。第二に、早口、早いテンポに挑むとか、ピッチ、音の高さがあっているかどうか、音の幅、音程(2音のインターバル)がよいかどうか、のような順です。

カラオケ採点システムの普及、利用も、これを助長しました。特に、高得点を競い合うことです。TV番組での影響も大きく、歌唱のゲーム化を進めました。

こういう要素はヴォーカロイドに有利なものですから、いずれ、そういうものに替わられます。もう日本では、人間の方がそのまねをし始めているわけです。いずれ、歌手、声優、ナレーター、アナウンサーからミュージカル俳優まで、その他大勢のところは、CGAI、ロボットに置き換えられていくでしょう。

そこに人間味のある音色や声量は残るのでしょうか。

私は、ヴォイトレは、最終的に声の音色、プロセスとして声量と思っています。歌手では声域は優先せざるをえないことの一つですが、自分でキィを変えることができるのですから、それほど大きなことではないのです。もし歌が表現であるとするならです。

 

○目的とする声

 

 実感のズレについては、イメージからみる必要があります。いつも私は、出口、つまり、ステージで使う声を出口として、そのイメージの入力を正すことを述べてきました。私の「読むだけ…」(音楽之友社刊)に、ヴォイトレのときの声について8つの分類をあげました。(「読むだけ…」下記<参考>に引用)復習してみましょう。ここでは、さらに細かくみます。

a.憧れの人の声、多くの人はここから入ります。このとき声量、声質、ハスキーなどに憧れるとイメージがそうなります。

a´:憧れの人の声のイメージ、そこに自らの使う声bを似させてしまうのです。カラオケでのものまねならaa´=bの人が有利です。ですから、bに似たa´を選ぶのが早いわけです。しかし、ヴォイトレは、自分のから考えます。今の自分の体、喉に合った声のc、トレーニングして自分の理想としての声のc´、cc´をメインにします。

 

<参考> 

G.トレーナーの声

F.自分のあこがれの俳優、ヴォーカリストの声

E.プロとして共通のベースとなる声(俳優、ヴォーカリストなどの鍛えられた声)

D.くせ声

C.今の自分の声(よくない状態のときの声)

B.今の自分の声(よい状態のときの声)

A.今の自分の中で最も使いやすい声(主観的判断でのよい声)

AA.今の自分の中の、最もよい声(「ベターな声」)=将来性のある声(客観的判断)

AAA.将来の「ベストな声」(トレーナーが本人とイメージを共有していくべき理想の声)

 

○優先すること

 

 声、共鳴、音色が変わることがcc´なのですが、その前に使い方で+α調整ができます。声域より声量を優先すると、cdと変わってしまうこともあります。生声、大声、叫び声、シャウトは、私の中では、応用の部類です。基礎として学ぶものには入れていません。

できたら共鳴でプラスαの理想的発声原理でのベースづくりに留めたいのですが、ここで正しくフォームをつくることと、筋トレの必要性の有無の問題が出てきます。バランスと強化の融合のことです。

大きく口を開けたり、強く出していれば、鍛えられるというストレートな練習法もあります。ただし、リスクを伴うので、声の弱い人はともかく、一度でも壊したことのある人は要注意です。発声を知らずに体や息が整っていないレベルで踏み込まないことです。

 

○感じとる

 

 aa´=bのケースでも、aa´が本人のもつ声、喉とズレているので一致することはありえません。多かれ少なかれ、必ずズレるのですが、それがヴォイトレ、発声、共鳴にマイナスの場合は、異なる見本としてのaa´を使う方がよいでしょう。

aよりもa´においてステージングなどで、そのときどきの歌の声、声の勢いなど、表面的イメージをとって合わせようとするからです。

本当は、憧れの人の声でなく、それを支える呼吸や感覚をとるのがよいのですが、そう簡単にとれないからです。ここでもイメージがカギです。みるのでなく、聞くだけでなく感じることが必要となります。

一流の人ほど、そうした支えをみせずに、感じさせずに、さらりとこなしていますから捉えにくいのです。一流でも一般の人が学びやすい人もいます。学びやすい作品もあります。 

第一に、他の人はなるだけ加工されていない声で聞きたいものです。また、不調のときや失敗したときなどの方がわかりやすく、勉強に使いやすいものです。となると、一流より二流に学べる、ともなるのです。

邦楽の人が来たら、師匠と先輩、師匠の師匠、その流派の名人、他流派の名人を聞かせてもらいます。同じ演目があれば、とてもありがたいです。その感覚とイメージこそが大切だからです。

 

○歌唱の教材

 

 声や息、その動きがわかりやすいものとして、アカペラ、マイクなし、伴奏なしのもので聞くことをお勧めしています。知っている曲、歌ってきた曲でもよいのですが、なかでも、複数のアーティストの歌っているもの、そのなかでも、簡単、シンプル、音域の狭くゆっくりした曲などをお勧めしています。そして、聞くだけでなく、見よう見まね、いや、聞きよう聞きまねでも、必ずコピーして歌ってみることです。

 歌の練習とヴォイトレの勉強は、異なるのです。難しいのは、ヴォイトレに歌の判断、つまり、自分の今、歌っている声での歌い方、技術的な改良を即効的に学ぶべきものと思っているケースです。高く出せればとか、大きく出せればよいと思うと、早いやり方やストレートな方法もあるのですが、そこに気をつけましょう。

それを聞いてまねできない、基礎が足らなかったのに、形だけ変えて同じようなことをするようになって、できたつもりになってしまうことです。メロディがコピーできた、少し高くとか、少し大きく出せたら、それでよくなった、直った、できた、と本人が思うことが多いのです。それがヴォイトレのおかげと言われるのは、嬉し悲しというか、痛し痒しです。一時的なバランスの移行で補ったにすぎないことが多いからです。

 

○応用の応用

 

 それは、応用の応用なのです。下手をするとくせのくせです。ですから、喉によくないし、本当に確実な再現力になりません。フォームなしに力で振り回すようなものです。数打てば当たる式で、喉が疲れるのに関わらず、高く出せば高く届くし、大きく出せば大きく出る、それだけなのです。つまり、初心者の自主トレで起こることを、トレーナーを使い、メニュで行っているのにすぎないのです。

喉が早く疲れるから固めたのですが、それで動かしやすく、高くも大きくも、感情表現もしやすくなるように感じるのです。疲れた状態で歌わなくてはいけないケースもあるから、全てを否定するわけではありませんが、再現もくせで固めたものでは、固さが目立ちます。しなやかさや柔軟さがないというのは、丁寧、繊細でない、つまり、次の可能性がないのです。

 

○差と変化

 

 だからこそ、応用の応用と基本の基本は、真逆であると言っているのです。

共鳴、発声、体については、調子がよいとき以外は、伸びや響きが不安定なのです。発声の安定については、常にいくらでも使えるのかでみるとよいのです。休みを入れないと回復しないとか、声量を抑えているというのでは、やはり耐久性に問題があります。基礎が足らないのです。それぞれ新しい感覚、イメージでの声の使い方を身につけていくべきです。

共鳴というと、声楽家の頭部共鳴が代表ですが、人によっては、とても作為的(自然でない)で弱々しくなって、そこで留まっています。ハイレベルを目指すなら、胸声、もしくは、芯が必要ということです。

日常レベルでの声の力のアップは、低音(話声域)共鳴です。そこで、ハミングやせりふの練習をして、これまでの声の出方やイメージ、支えの感覚との差を知り、そこを変えていきます。その上で、声が使えると実感していくことがあってこその成果とつながります。

本人が選ぶことが、長期的にみて、本人のためになっていないケースは少なくないのです。そのときに、誰がどんなメニュを処方するのかは、大きな課題です。誰に聞かせるのかにもよるのですが。

 

○発声の教材

 

 発声、共鳴、その調整には、発声の教本を使う方が、シンプルで自由度がききます。その一つとして「コンコーネ50」を使っています。50曲すべては不要です。でも、毎日25曲を1時間ほど聞いて1年、それで2年あれば、ほぼ感覚には入ります。

人によってはNO.11曲だけでもよいくらいです。これで1オクターブと3度のドード―ミまでです。女性なら、ラあたりで裏にチェンジしてもよいでしょう。高いド、レ、ミまでもっていくなら、やや無理のかかる発声となりますが、人によります。ハミングや母音唱法(ヴォーカリーズ)ほか好きな子音+母音や、スキャットでもよいでしょう。

歌唱のスタイル、歌唱時の声は、考えないことです。

本当は、自分の体から自由に動かせるところまで、取り出される声がベースです。となると、23音から半オクターブで充分です。すぐに1オクターブ以上の域を統一、コントロールするのは、日本人には難しいでしょう。それもまた、実際の歌や歌の声とその優先順を参考にするとよいでしょう。

 

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Ⅱ「声の表現論」

 

○声の芯と歌唱

 

 私の強みは、声の芯づくりでしかなかったのですが、歌い手のサイドに立って10年、さらに歌手を10年みているうちに、音楽の演奏というのが入ってきて、いつしれず、耳が売り物になっていたように思います。

 声づくりでも、芯が共鳴を伴ったままに上げていくと、ベルティングという唱法になります。これも強い地声ということで、頭から否定する先生もいます。とはいえ、地声で歌ってはダメと言う先生は、さすがに減ってきました。

地声が何を指すのかの定義なくして論じても意味がないのです。誰も原点である定義をせずに自分の使いたいように使ってきた下りは、これまでも述べてきました。

ですから、研究所では、次のような用語は、定義するのでなく、いろんな使い方で使われているということで、あまり狭く意味を決めつけて使わないようにしています。多様な使用法を認めざるをえない、といったところです。ベルティング、ミックスヴォイス、ビブラート、地声、腹式呼吸など。

 

○本番との違い

 

 ここでは、新たに、なぜヴォイトレが声を育てられないのかをまとめていきます。ちなみに唱法というのは、私としては、どれも否定、必要悪として容認してきました。発声法、呼吸法、声区融合などと同じく、トレーニングのプロセス、部分として区分けする分には使えるし、仕方ないと思っています。しかし、技術、方法として歌唱や演技のなかで目立ってはよくないと思っています。

本番は練習ではなく、まして、トレーニングではなく、表現する場です。ステージではにこやかで華やかなパフォーマーであってもよいでしょう。しかし、練習では、そこは基本とするところではありません。

 反対に、トレーニングや練習と同じように本番をするといっても、まじめに真剣にコツコツという練習の様子をステージで出してよいのではありません。それはトレーニング、プロセスとして許容していることなのです。そこははっきりと区別することです。

 

○全力の声

 

 ステージで思いっきり声を出す、といっても、コントロールできるのは70パーセント、マックスで80パーセントでしょう。100パーセントのときは、もしありえたとしたら、多分、全能感しかないはずです。

日本のクラシックならもっと制限するというのが真っ当かもしれません。50パーセントくらいにも思えます。楽器の演奏も100パーセントの力を使うことはありません。しかし、だからこそ100パーセントの音や声が出せるだけのことを、トレーニングで行っておくということです。

もちろん、トレーニングは今の100パーセント以上を目指すためです。そこは無理とか無茶でなく、基本を踏まえて原理に基づいて、です。練習では、本番で使うのに必要なこと以上の器をつくっておくのが理想です。☆

ステージが爆発型ならトレーニングで静かに丁寧に、ステージが落ち着いた丁寧なものならトレーニングで思いっきり枠を外して、というのがよいと思います。もちろん双方伴えばよいのですが。時期によって分けるのもよいでしょう。私は、時にトレーナーによって分けるというすご技を処方しています。

日本人の場合、どちらもおとなしく、結果、声についてはパワー不足です。それは日本人の好みということも関係しているので、やっかいです。声を使う方も聞く方も、そして声を使う場が、内輪、仲間内というケースが多いからです。その辺りはくり返し、述べてきたとおりです。

 

○ピークの声と過剰

 

トレーニングで出せる声以上のものは、ステージで出ません。しかし、スポーツなどと同様、観客のパワーやTPOでの集中力、テンションにおいて、ステージで大きく化けることがあります。練習では全力で、ステージでは人に伝わるように、よい意味で抑制がかかる方がしぜんのように思います。

人前で化けられる能力がないと出てもいけないし、続けられません。そこは、心身の強さになります。プロはそこをもっています。

ですから、プロになろうとする人がもっとも力を入れなくてはいけないのは、瞬発力のための心身の鍛錬です。 一言で言うとピークパフォーマンス、本番での強さです。そのためにトレーニングもまた過剰でなくてはならないのですが。

 声も力と同様に、ピークパフォーマンスで大きく働きます。テンションを上げて全力を振り絞ると、誰もが惹きつけられます。ここは人類のDNAに入った生命の力に近いところです。そして、人知を超えた力の働くところといえます。

一大事のときに素人のあげた声が、プロの演じる声を超えることは稀なことではありません。赤ちゃんの一泣きで、役者の舞台は飛んでしまうこともあります。そのときは、早く通り過ぎることを祈るしかありません。

私が述べたいのは、テンション頼みの声、ことば、歌、そういう非常時のような強制的な惹きつける力と、声、歌、演ずる力とを混同してはいけないということです。

 

○役者的な歌

 

A.応用 ステージング 表現 ことば パフォーマンス

B.基礎 クラシック 音楽 基礎 (共鳴 頭声)(胸声 芯)

C.しぜん 遊び 心身 リズム感 音感

 

 ことばで感情表現していくと、歌の表現力は上がります。強い声を出していくことは、ある人にはハイリスクハイリターン、一部の人にはハイリスクローリターンとなります。

Bの基礎の充分でない人のAの応用は、自らの喉に負担を強います。その負担が鍛えられていくプロセスか、消耗して疲労の重なるプロセスかは、けっこう本人には、難しい判断です。短期であれば、わからないこともあります。トレーナーの役割は、そこにあります。

無理強いした力でやって、すごく伝わることもあります。ステージでは成功、声は、緊張状態でのギリギリなわけです。先に、疲れてきた喉の方が表現力が増す、と述べましたが、その例です。

C→Aは、恵まれていたタフである心身が表現にストレートに結びつくので、もっともシンプルなプロ歌手や役者の成り立ちです。テンションに体がついてきたら声も出て、せりふも歌も伝わるものになったというのです。 しかし、そこでは呼吸―発声―共鳴の結びつきでの音楽的構築とでもいうべき基礎が充分ではありません。私は、よくも悪くも、役者的な歌と呼んでいます。個性とステージでの雰囲気、舞台慣れしたパフォーマンス、客あしらいといった、プロの技術で成り立たせているのです。その人の世界観で成立してしまうのですが、音楽観が軽視されているのです。

 

○音楽の声

 

ここでBの基礎というのは、歌唱力や音楽力、ミュージシャンとしての楽器の音の出し方とその動かし方、オリジナルフレーズでの表現力ということです。わかりにくいので眼をつぶった世界での成り立ち、かつ、音の流れでの音楽としての歌唱の完成度といえばよいでしょうか。せりふのそのときの説得力、一過性というのに対し、リピートとしての効果で心地よさを担保していくというものです。

アカペラの世界、オペラや邦楽での声なら音響技術で加工していないのでわかりやすいです。詩吟、民謡などでもよいでしょう。つまり、歌と声をそのまま、高いテンションと体でコピーすればできたところだけで限界となるのでは、ほとんどはまねごとで終わりかねません。

Cは、無理に言い換えると、本人、自分の世界ですが、Bは、かなりの時間をかけて創造していかないと、自分とは別にある音楽(性)になります。「自分が出れば音楽にならず、音楽が出れば自分が出てこない」というジレンマに陥ります。でも、そこに陥ることで、初めてスタートが切れます。多くの人は、そこに陥らないから、自分も音楽も出てこないのです。他人の発声、他人の歌唱へ近づくことが上達という方向違いをしたままの人が多いのです。

 

○基礎と自主トレーニング

 

 Cのしぜん=遊びの時期に入ったものは、その人の素質、素養になります。小学生で100メートルでいつも一番の子は、多分、特別な努力やトレーニングをしたわけでないし、気づいたら他の人よりも足が早かったわけでしょう。50人いたら、1人は1番です。それだけのことなのですが、中高校生での100メートルレースは、それだけでは、1番になれなくなります。毎日走ってトレーニングをする人や陸上部のようなところで鍛えている人がいるからです。

そこでB.基礎がいることになるわけです。心身、体、感覚も鍛えて変えていきます。その応用として大会や記録会、試合が目標、基準としてあるわけです。

充分なトレーニングをしていないと、トレーニングをしてきた人たちに勝てないのが普通です。生まれつき速かった足も、トレーニングしないと人並みになってしまうのです。だから毎日走る、それが自主トレです。回数、時間といった量と質で上達を狙います。それは、遊びが高い目的と必要性を得て、習得プロセスへ移行したわけです。

話を歌に戻して、C→A、心身と音感、リズム感、発音があれば、歌はメロディ、詞、リズムの3つなので、充分に形になります。C→Aは、即効的、早く効率がよいのです。Bが無視されるのは面倒で時間がかかるし、長期のための基礎だからです。だからこそ、そこが決め手となるのです。

 

○期間と量

 

より長い期間で有利にしていくという方向もありますが、本当に問われるのは質です。より高くより深くです。期間や時間という量は、才能を努力で補う手段の一つにすぎません。ただ、大体は、最低限の量というのを必要とするものです。

歌は他の分野から入ってくる人も多く、兼任の容易なジャンルですが、そこがあまり理解されていません。歌唱は、音楽の演奏なのです。でもそうでなくとも成り立たせられるから、わかりにくいのです。

そこでトレーニングの方法やメニュ、トレーナーを選ぶ人もまた、C→Aで選んでしまうものです。

 上達に長期で遅効なのは、誰も望みません。でも、時間よりも質です。声であれば、それは音色となります。それについて専念するなら、周りに迎合し、一喜一憂しなくてもよい分、楽でしょう。

本当は長期であってこそ、トレーニングの成果をプラスとして使えるのです。短期では中途半端になるため、成果も部分的なものになるのです。

今、行っているトレーニングがどのくらいのものか、完成まで必要なものが何なのか。わからなければ、いつまでと、一時的に決めてしまえばよいでしょう。

すぐに役立つことは、すぐに使えなくなるものです。身につくのに時間のかかるものほど時間を超えていく可能性があるのです。何よりもそれは、他人と比べるのでなく過去の自分の力への反省あってのことでしょう。

 

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Ⅲ「実感のまやかし」

 

○実感は正しいのか

 

 人は自らの感覚によって判断し行動します。自分にわかりやすく納得できるとか、しっくりくる、合うということで選びます。そこに価値を見い出します。

頭で決めつけるなということで、理論や方法論には用心していても、実際に心身を使ってこれまでと異なる発見ができたとき、相手の言ったことが実際に起こったとき、人は信じてしまうものです。しかも、その後のことまで丸々、信じてしまいがちなのです。☆

この点については、これまでの応用と基礎の違いや、カラオケ教室やワークショップの効果と限界など、一貫して注意を促してきました。プロの人の教えるヴォイトレも、全てが自分によいものであることはないなどということです。

 現場では、どの方法、トレーニングメニュを選ぶのか、どのトレーナー、先生を選ぶのかという問題と密接につながります。メニュ、方法やトレーニング、さらにトレーナーのタイプなども分類して述べてきました。可能性、限界や一流の条件でも触れました。

なぜ、重要な問題なのかというと、トレーナーが相手にどのように対するかという現実の問題、そしてトレーニングの成果、その結果がそこに左右されるからです。

 

○実践的なトレーニング

 

 歌手や役者にとって実践的なのがよいのは、当然のことです。ですから、ここも今、ステージや行っている曲やせりふをそのまま使うことはよくあります。あるいは、その録音で評価したり、直すところを指導することもあります。トレーナーが手本を見せ、それをまねさせる、こういうのも行っています。

しかし、実践と基礎の結びつきから、その基礎を学び、身につけることの必要性を必ず伝えています。そのために実践から入っているということです。

つまり、なぜ、実践できていないのか、あるいは、そこで指導しても直せる要素があったのに、なぜ直らなかったのか、直しても直らなかったのか、ということです。 それは結論からいうと、基礎の力がないからです。基礎をつける必要があるのです。

もちろん、短期で実践だけでよいとか、ステージ対応だけでよいと言う人には、それでよいと思っています。 その人の求めるところに対応するのが、トレーナーの仕事でもあるからです。しかし、ここは研究所であり、アーティストのいる場ですから、それ以上のものをバックボーンとして用意しています。求めるものを与えるだけなら、こんな説明はいりません。

 基礎がないというよりも、基礎が足らない、足りないというと3年、5年、10年と足らないのですから、その人の求められる表現、つまり、応用に対して最低限、そこに足りないところまで力を付けるのが、私のいう実践的ということです。本当は余るほどの力をつけないと表現は自由になりません。一生、トレーニングもまた変化し続けるというのが、本来のあり様なのです。

 

○基礎トレーニング

 

 基礎をつけたい、基本をやりたいと言って、ここにいらっしゃる人はたくさんいます。ほとんどの人がそうでしょう。しかし、そこを伝えても、それでその人がきちんと基礎、基本の意味、必要性を理解し、しかも、くり返さなくては、身につきません。頭で気づく力があっても、体を使って体を変えなくてはいけません。

頭でわかった、できたと思って終わってしまう例をくり返し述べてきました。頭で気づくより、気づかなくともよいから体で何千回も続けることが大切です。反復して身体化するのに、時間というよりもある期間が絶対に必要なのです。これまでにない新たなイメージ、それも潜在的なイメージに入ってこそ、心身が伴ってくるのです。

 基礎2年などと述べてきました。半年でも一年でも、その人なりに得られることがあります。でも、体が動くのに、どの世界でも一流の基礎は23年を徹底した後の10年だと感じます。

声と表現に、必要な年月を断じるのは、あまりに乱暴なので、気にしないでください。生涯、基礎を続ける、と思い込んでおけば間違いありません。それをトレーナーと行うか、一人で行うかでしょう。頭でわかったつもりで一人で行って身につく例は、この分野に関しては、とても稀なのです。しかし、その必要性がどこまであるのか、も問題です。必ずしもトレーナーが必要でないこともあるからです。

 

○実践的な指導の限界

 

1.応用  実感

2.基礎  応用できるようにする基礎

3.応用  基礎のある応用

 1の応用は、1日とか1回で、本人に実践的な練習であると思わせられたなら、それはトレーナーの演出です。その人の能力を妨げているものを気づかせ、取り除く、そうして意識化することで一時的に補い、効果を実感させるわけです。出た火をこうして消化する、でも、そこで火元や原因の特定やその根本的な対処はなされたわけではありません。

 この関連付けをきちんと行うことで、23か月でも、意識づけと使い方を知り、支えを強化すると、かなりよくなることもあります。

不調になっていたなら、体ならワンポイントのアドバイス、頭ならことばかけ、心ならテンションを上げさせるだけで解決することもあります。

基礎から入っても多くの人は基礎で実感できないから、応用から入るのです。でも応用でできた、という気になる人がとても多いのです。その場合、1で留まります。いろんなトレーナーのノウハウのつまみ食いをしても、限度があるのは、そういうことです。体からとなると早くて半年、大体は2年くらいは、かかるものです。

 

○実践のショー

 

 今までの体のままでも、よいところ、悪いところの応用はできます。よいところを褒めてテンションを上げ、自信をつけさせ、悪いところを指摘して直させて、効果をみせて自信を与える。

 ヴォイストレーナーは、その教え方や、メニュの信用を得るために即効的なことをみせなくてはならないことが多いものです。

体験レッスンも、こういうこともやるという一例にしかすぎないのに、今や、1回でこんなに変わる、と実感をもたせ、実践的なトレーニングだと思わせなくては、次のレッスンにはいらっしゃらないかもしれません。まして、他のトレーナーと比べられることも多くなったトレーナーは、差別化して演出力を上げなくては、人がつかなくなるから、どうしても、そちらの方向へ走り出します。

 私は、最初はプロと、次に、主に私の本を読んだ一般の人とやってきました。あまり実感の演出に頼らずとも、信用してくれたことろから始められたので、基礎づくりからの10年以上をやることができました。ここでは、そのような流れは大切にして、実践的な時間のためのショー、演出はできるだけ避けていきたいと思っています。

 

○基礎を抜かす

 

 研究所でも、トレーナーと分担するようになると、トレーナーは、1の応用をして、私をフォローしてくれています。トレーナーにも、ポップス、役者、外国人は、1を望みます。実践的であることがすべてのノウハウのように考える人が多くなりました。というのも、本人が、それである程度できてきたし、多くの人は、トレーナーにそれを求めてくるからです。

 研究所では、声楽家が中心で、それは、23のためですが、今では、1も必要となりました。声楽以外のトレーナーには、2の必要性を学ばせますが、かなり難しいときもあります。なぜなら、いらっしゃる人が、123での1を、欲しているからです。つまり、23のための1と言っても、1=3としか捉えられないことが多いからです。

このように表面的に、今日できることで、すぐ直せることもありますが、これをきちんとするには、本当は基礎が必要なのです。そう述べても、簡単には身につくわけではありません。そこを聞いてわかったつもりで、そこをやらずに1ばかりやる人が多いのです。すると、早く少しよくなっても、後は伸びないのです。

私は、基礎にその必要性がわかるのに3年、基礎が身につくのにさらに3年かかってもよいと思っています。

 

○専門性

 

 科学的な本についての批判、少なくともヴォイトレにおいて、発声の原理や共鳴の分析などが、何らトレーニングとは関係ないことは、これまで述べてきたので省きます。生理学、音声学での科学の統計、法則、理論は、歌唱やせりふの練習での本人の変容と関連づけがされていないことでほぼ無効といえます。☆

一個人のトレーニング前後の変化が何によるのかが捉えられていないし、そこが客観性を帯びていないからです。何らかの処方で現状回復は示せても、能力の向上、獲得には因果関係がないこと、個体差が大きく、比較や実証のしにくいこと、などを挙げてきました。

それにも関わらず、人というのは、相手に何らかの専門的な知識がある、その一つが当たっている、信じられるとなると、その人のどの方法も判断も正しい、自分に当てはまる、と思ってしまうものです。一つが正しければ、そのことをもって、その人の言うことは正しい、残りの全ても正しいと信じてしまうわけです。

それなら、本やネットで一日勉強すればトレーナーになれます。実際に、資格はないので、その日に、そうなろうと思いついたらなれるのです。

トレーナーの体験や経験がどのくらい指導に活かせるのかは、別に述べました。どのトレーナーも自分の得意なところ、専門のところに土俵をもっていて、そこでの信用をもって教えます。それでよいのですが、その前に、本当は誰か第三者がマッチングをすることが望まれます。

そのトレーナーの立ち位置、価値観を知ることです。方法、メニュのことなどよりも、あなただけにとって、もっともよいスタンスのアドバイス、具体的には、そのトレーナーを選ぶ意味を知るということがいずれは、大切なこととなるのです。一方で、そんなことがわかってしまうくらいのトレーナーなら大して役立たないようにも、思うのでもありますが。

 

○一流のコーチ☆☆☆

 

 正月に、NHKで水泳日本の復活を特集したTV番組がありました。そこで競泳日本代表の平井伯昌ヘッドコーチが、「(コーチとの)二人三脚は危ない、メダルを獲るのに選手もコーチも一緒になって力んでいる。傍から見ると、なぜ気づかないのかと思う」と述べていました。番組の主旨は、従来の専属コーチ制から組織として全員一団となったことが、日本の勝利につながったというものでした。いわゆる、日本人の好きな「絆での勝利」というまとめ方でした。

 それはともかく、オリンピックで、世界でメダルを獲る一流の選手とそのコーチでさえ、コーチとのマンツーマンのクローズされた指導では、狭く近視的になると言うのです。しかも、スポーツであり、その中でも最も結果がクリアな種目の水泳でさえ、そうなのです。このことを、トレーナーは肝に銘じておくことだと思うのです。

 彼のことばでは、「優秀なコーチゆえに、見過ぎているために、ちょっとした変化を見落とすのは、よくある」ということです。

余談ですが、水泳では、経験のためにと、人数枠いっぱいの選手を連れていかずに、世界で戦える選手だけをタイムで選考して連れていくようにした、という厳しさ(30名枠で21人だけ連れていく)に、私は感じ入りました。 

また、この番組で、故古橋廣之進氏の「『魚になれ』と言っていたが、速く泳ぐだけでは(人は)魚には敵わない」ということばも印象的でした。最も厳しく多くの練習をして世界記録を塗り替えて、会長として君臨した氏が、高校教師に改革を託し、支えたというのも意外でした。

 

○基準

 

芸術において、基準とは、難しいものです。多様性に支えられ独自の個性こそが問われるからです。とはいえ、ピアノ、バイオリン、ほか、楽器には個性はあっても、聴くことだけで決まるので、基準はかなり明確です。コンクールの採点のフェアさ、一流プレイヤー同士の共演などで、すぐれているものには、確かな基準がとれます。

師について何年、仮につかなくても、1万時間の練習もなく、一流の演奏をとことん聞き込むことなく、プロのプレイヤーは生まれません。

声は音と同じ、歌もラジオ、レコードの時代はそうだったのです。それが、今や、音声としての基準は、特に日本では、甘かったのですが、もはや、なくなりつつあります。☆

今回は、基準でなく実感の不確かさがテーマですから、ここで切ります。まぁ、どの業界も、基準についての論議はつきないようですが。

 

○ヴォイトレの反表現性

 

 一流は、「誰にも似ていない」「個性的」である、というのを、ヴォイトレであっても、どこかに掲げておくとよいでしょう。

ヴォイトレをしていない人は、あまり個性的にと考えてしまうと、ただの一人よがりになります。しかし、ヴォイトレでは、「正しく」とか「まねる」が、一方的に目的になりやすいものです。仮にヴォイトレが正すものとすると、それを正しているトレーナーに習う人が似てくるのは仕方ないのでしょう。

人間としてのベースの基本は、同じもの、共通性に基礎をとるのですから、肺が2つとか、呼気で歌うとか、そこは発声もそのように共通なものがあるのです。

 でも、一流となると、体、顔の形や性格のように、誰一人、同じ人はいない、いや、アーティストなら、同じような人は要らないのですから、そこを忘れてはなりません。

型は自由を得るためであるとくり返してきました。一流は、人と競うのでなく、人に合わせるのではなく、自分を出すのです。

 

○実感を保留する☆

 

 練習やトレーニングでは共通の基準で行うわけです。そのプロセスでは、誰かをまねて一人でやっているとそっくりになってくるのと同じことになりがちです。やり方を教えるという指導が主だからです。まねを止めるべきトレーナーが自分に似させてどうするのか、ということです。

 でも、現実は、誰かに似ている方が早くうまいと思われ、自分でも聞きやすくなり、憧れのアーティストに近づく実感があるから、なおさらそうなりやすいのです。本人の歌や声もプロの誰かに似ると実感を得られるのです。まわりもそれを評価します。だから、実感は、間違ってしまうのです。

大半の人が、本人自身の本来の可能性の大きさ、個性の追求へ向かわず、似せることに甘んじるのです。

アーティストをまねて近づく、トレーナーをまねて近づく、そこで、もっとも効果的に思われるのは、トレーナーが自分の憧れのアーティストのまねをしてくれて、「アーティストをまねる」が「トレーナーをまねる」に変わっただけ、ということになっているケースです。これは相当に実践的なトレーニングであると、誰もが実感してしまいます。すると、その何割かの到達度くらいでその人の人生が終わるのです。

可能性は、やりたいことでなく、やれることです。限界は、やりたいことでやれないことです。そこから見えてくる、その点で、習うことです。

あちこちトレーナーを回るのは一つのプロセスです。でも、そこで自分の実感を狭く固めていってしまうのです。実践的応用練習のワナがそこにあります。

基礎を続けていれば、基礎とは今、やれるようにすぐ変えるのでなく、今、やれないことがいつかやれるように変えないようにすることとわかるはずなのです。シンプルな基礎にこそ実感をもつことができるか、そこが問われているのです。

 

○原点と応用

 

 ですから、表現→声でなく、声→表現に、ヴォイトレは、基礎→応用とすべきなのです。

a.体、呼吸→声→共鳴→フレーズ

b.発音→ことば→歌詞

c.リズム→メロディ→フレーズ

 これでは左側が原点、右が応用です。体と声を一体化させていく、せりふ、歌にする。

そのための声は「アー」のロングトーン一つでもよいのです。くり返し、呼吸、共鳴のコントロールをしつつ、足らないところの強化トレーニングと脱力をして感覚、体を変えていくのです。

意識づけのためのアプローチとして、ときに右から左に行ってもよいでしょう。それは、異なる方向から気づくためです。それで、身につけるためではないのです。それで、仮にすぐに何ができたとしても、何かがマイナスになっているということです。

身につけるのは基礎のところで得ないとなりません。応用で得ても、それらは、大体はくせや独りよがりになることを覚えておいてください。基礎と応用との距離をとり、近づけず、一体化できる大きな器になるのを待つのです。

 

rf.参考として、これまで私の述べたもので

・「バッテリー論」

・習字()3次元

など、関連する論はたくさんありますので、読み返してみてください。

 

○まとめ

 

 ここまでで、ただもし巷のヴォイトレやヴォイストレーナーの批判のようになってしまったとしたら、私の筆力不足です。本意は、どんな方法もどんなプロセスもどんなトレーナーも、多様にあってよいし、それぞれにメリット、デメリットがある、だからこそ、本人がその位置づけ、スタンスをきちんとつかむことが大切ということです。そこでトレーナーが必要だということ、それを満たすようなトレーナーが、それほどいない、存在しにくい理由を述べました。そこが、トレーナーとしての弁解になっていなければよいのですが。大きな問題提起をしたつもりです。

それとともに、本人が考えたり感じたりしていることや、その方法、実感に対し、今はまだ考えられない、感じられない真実もある、そこの予感が、実感以上に大切ということを述べたつもりです。

 

レクチャー&レッスンメモ No.305

思考やメンタルと行動実践の両立

自己実現は、他力実現、世界実現へ

いま、ここで、いつかどこかで

いま、ここで実現しつつ、開かれて生き生きしていること

考えるより感じること

 

動的、系的、重層的、鎖状

しゃべり方の調子と気持ちの持ち方

接し方対応、録画でチェックする

 

メリット=デメリット

労力、目的意識

ぬくもり、温かさ、居場所

安心安全、内在、土着

闘争と笑顔

勝つと笑顔

ネットは点と点

Commune、共感、親しく語る(地域)

キーワード、パスワード、イメージ回帰、ジングス 儀式

声は無意識―意識のブリッジ

 

相手を選ばない

問わないで働きかける

突き刺さるインパクト

すぐにわかる、通じなくとも伝わる

飽きのこないもの、接するたびによくなるもの

継承されてきたもの

個性が強いからといって、本物でない、くせがある

円熟、バランス、名人の綱渡りはとれない

サムシング・グレートをもつ

人前にさらして問う

 

「内臓波動」(三木成夫)

ことば>声>息(ため息)

能のコミ、深い息、ライブ、太い息

「真人はかかとで呼吸をし、素人は喉でする」(荘子)

ひしぐ能管の喉のヒシギの囃子(はやし)

〇方言と共通語 No.305

〇方言と共通語

 

 私は転校が多かったので、そのごとに、その地方のことばを覚えました。いわゆる方言です。

 もし、あなたが地方にいて、いつか東京や大阪に出るとしたら、ことばにギャップを感じ、音声を学び出すかもしれませんね。海外の国に行くときも、その国のことばを少しくらいは学ぶでしょう。

 地方によっては、使う言葉が共通語と大きく違うために、共通語の音声教育をするところもあります。「さしすせそ」などが苦手な地方もあります。

 ただ、TVのおかげで、今の子供は全国どこで育っても、東京や関西のしゃべり方は、番組から学んでいます。東北の出身で、ズーズー弁になるようなのは、意識的に直しています。

 これはヴォイストレーニングというより、発音、アクセント、イントネーションの矯正です。

 逆に、日本語以外の言語をネイティブとしている外国人の日本語が、どこかおかしいのは日本人なら誰でもわかるでしょう。あれだけ優秀で日本語もマスターしている外国人が、日本人の日本語と同じに聞こえないのは、先に述べた言語学習の年齢制限(臨界期※)にも関係しているのです。つまり、脳の配線が違うのです。

 人によって、たとえばサ行やダ行がうまく言えない人もいます。しかし、苦手な音があってもだいたい、一つの言語がしっかりしていたら通じるように直せます。

 

○アナウンサーの「共通語」は、生活のことばではない

 

1.一般・・・ 方言、下町ことば、関西弁、博多弁など

2.アナウンサー・・・ 標準語、高低アクセント、イントネーション

3.役者・・・ せりふ、言い回し、演技 (胸声中心)

4.歌手・・・ ハイトーン、ファルセット、ビブラート、ロングトーン

 

○音節(拍、モーラ)と単音

 

 たとえば、日本語を「ニホンゴ」とひらがなで書くと、「ニ」、「ホ」、「ン」、「ゴ」という四つの文字ですが、そのニやホが一つの単位のように思えませんか。

 数えてみると、ニホンゴで4つ、同じ長さで4つの音が並んでいますから、これを4音節と数えます。

 それでは、「汽車ぽっぽ」は、キシャポッポ、これは6つの文字ですが、読むとキシャ、ポッ、ポで、4音節ですね。これは、4拍という方がわかりやすいかもしれません。

 ローマ字で表わしてみると、ニホンゴは、Ni Ho N Go、汽車ぽっぽはKi sha po ppo ? となります。

 ここで、kstnhmyrwと母音aiueoを単音といいます。

 これが、日本語の最小単位です。

 

 直音というのは一つの文字を一拍で数える音です。 しかし、小さいャ、ュ、ョがつくと、キャと二つの文字を使いながら、一つの発音(一拍)です。

 これは3つあります。「ン」、「ツ」、「ー」は、それぞれ撥音(ン)、促音(ッ)、引く音(ー)という特殊拍です。

 外国語では、これを一拍とはしません。たとえば、ホンで二拍になる日本語に対して、HONで一拍です。

 しかし、日本語のグー・チョキ・パーの遊びでは、グリコで3拍は、パイナップル、チョコレートは、6拍と数えていました。本当は5拍です(拍の長さが均等になることを等時性といいます)。

 

○書きことばと音声ことば

 

 私たちは、文字で書いたものをそのまま一つずつ、音声にして話しているように思っていますが、違います。

 たとえば、「日本」は「ニッポン」とも、「ニホン」といえます。しかし、文字では「ニホン」とふりがなを振ります。

 「NHK」は、「エヌエイチケー」と言いませんね。ほとんどの人が「エヌエッチケー」といいます。「エヌエチケ」「エネーチケ」という人もいます。「私」というのは、「わたし」か「わたくし」でも、「あたしぃ」などと使われていませんか。

 「ラ抜きことば」といって、「みられる」「たべられる」を「みれる」「たべれる」という人も増えています。

 ことばは時代とともに変わっていくのですが、その基本的なところで表わしたのが、書きことばです。方言や外国語は、日本語の五十音だけでは正しく表記できません。

 つまり、同じ日本語でも書きことばと話しことば、文字と声での発音の世界は、違うのです。声のもつ多彩な表現の一部を、文字は表わしているにすぎないのです。(音楽と楽譜の関係に似ているかもしれません。)

日本語の発音に、外国語の音が入っているのに、私たちが認識していないこともたくさんあります。

 

○話しではわかりにくい日本語の音声

 

 他にも、耳で聞くだけでは、聞く人によってはよくわからないことばが、日本語ではたくさんあります。同音異義語は、その代表です。二重否定なども間違えやすいですね。

1.アルファベットの略語 NPOIT

2.外来語 「アウトソーシング」「ソーシャルワーカー」

3.お役所ことば どこかの部署のみで使われることば 「策定する」

4.専門用語 などです。

 そこで、言いかえたり、説明を補ったりする必要があります。また、別のやり方として、ゆっくりと正確に読むなど、声の使い方を変えて、わかりやすくする場合があります。

 

 声のトーンや声に表われる表情も、いろんなことから感じられるものです。

 正しいか間違いかがはっきりといえるのは、敬語の使い方についてです。これについては、本もたくさん出ているし、学校でも、新入社員教育でも学びますね。

 ほかは、聞く人の感じ方や受けとめ方によるところが大きく、必ずしも客観的な基準があるわけではありません。TPOや相手との関係によっても違ってきます。

 口調、話しぶり、速度、声の大きさ、表情、視線、ことばの使い方、専門用語、略語、外来語、方言、コミュニケーションにおいて、「人間関係を円滑にするための働きかけ」や、「相手に配慮した言語行動」のことを、ポライトネスといいます。

「創造のための教育論」 No.305

先生は、その肩書、地位を与えられたら誰でもできるものです。人は、誰でもその気になれば教えることができるものだからです。むしろ、教えられる方が、ずっと難しいのでしょう。

教えるというのは、そこに今までなかったものを引き出すことが狙いです。知識などは、自分で調べればよいのです。ないものをつくりだすには、それが出てくるのを信じる力をもつことです。

私はこれまで相手が、こちらが教えたこと以上のこと、教えてもいなかったことを学び、成し遂げられるのを見てきました。

そのために、知っていることを教えようとしないことを気をつけています。すると、それを覚えることしか相手は考えなくなるからです。

同じことをくり返し、そこで同じようにみえても、同じでないことに気づいていくことを促します。

何を学ぶべきかを知らなくとも、何かが出てくる、何かを知っていると信じられることの方が大切です。

理解を超えたものがあるからおもしろいのです。

自分が知らないことを教える。

先生の知らないことを学ぶ。それが、レッスンという共有された場の力です。

教えられないことが、教えられたことを超えるのです。

それこそが、知識でない―知恵、発想力、創造力です。

「次元と変化」 No.304

○問題にするということ

 

 ときおり、次元ということばを使います。世の中には一つ上から考えると問題にならないことを問題として、悩み苦しんでいる人がたくさんいます。これは何も私が一つ上から見下して言っているのではなく、きっと、私のことを一つ上からみて、ここで問題としていることも問題にならないと、もっとすぐれている人はみているのだと知った上で述べています。必ずしも上がよいというのではありませんし、上下というのも仮のイメージですから、考えるための設定と思ってください。私自身が悩み、あるいは、他人の悩みを問題として取り上げ、考えるときの一つの方法です。

 ヴォイトレにおいて、私が学ぶのは、一流の人たちのいる世界からです。日本の歌い手や役者よりは、他の世界から学んだことが多かったかもしれません。最初に走り出すと、他の業界に学ぶしかないわけです。

 それは、一流の人(それが何を示すのはともかく、世の中で何かで知られている人、その何かがどうかということは、また改めて取り上げたいです)やプロで続けてきた人と、それを目指す人、そして普通の人がいて、そこの違い、ということです。

 

○ステージで声が出なくならないために

 

 本番で声が出なくならないためにはどうするのか、私は、ヴォイトレで、うまくなることよりも、タフになることと考えています。それは、続けるための条件、よりよいものの出るための前提だからです。

 ステージは、時と場所を選ばないからです。それを避けたければレコーディングだけという方向もあります。高品質な作品をつくる、これは、ライブと考えやみせ方が異なると思います。

 現場に対応するのに2通りの考え方があります。一つは、正面突破、もう一つは逃げです。攻めと守り、両方必要ですが、力をつけるときは攻めの姿勢が欠かせません。やり過ぎてうまくいかなくなり、初めて本当の守りの必要がわかるからです。

 最初から守りを考えると、守ることはとても複雑になります。つまり、100攻めていたら、100戻してもゼロですが、ゼロで守ったら少しでも戻したらマイナスです。大きくみると、その方がリスクがあるのです。

 

○守りでは守れない

 

 そこで抜け出せなくなる人が大多数です。なぜなら、ゼロに戻すことが目標となり、そこでOKにしてしまい、それで本当の力がないという事実に気づかなくなるからです。「よりよくする」でなく「こなす」ことで終えているからです。それを、今やヴォイトレやヴォイストレーナーが、拒むところか助長しているのが現状です。

 この問いへの答は、「気力、体力を日頃つけておき、倒れないようにする、そうしたらできる」というものです。その上で、基礎力をつけ直すことです。

 乱暴かもしれませんが、長くプロを続けている人は、皆そこで乗り切っています。守りの答は考えてみてください。あるいは、トレーナーに聞いてみてください。

 なぜなら、今や、トレーナーにつくのは医者に行くのと似た、守りの考えで入る人が多数だからです。私は、若いトレーナーをみて、ここのトレーナーとの違いをいつも感じています。つまり、今のトレーナーは、守りを教えているのです。それは、トレーナーのせいだけではなく、トレーナーにつく人、ヴォイトレをする人が、守りの手段として考えているからです。トレーナーはニーズに忠実に対応しているだけなのです。トレーニングはトレーニングですから、医者や言語聴覚士の方針とは重なるところはあります。とはいえ、マイナスをゼロにするのと、ゼロをプラス、プラスをさらにプラスにするのは違うことです。声の場合、どこをゼロとするのかは、考え方によりますが、少なくとも、現状復帰程度で満足してはなりません。

 

○現場より厳しく

 

 かつて、ハードすぎるトレーニングとそのキャリアを当然としていた歌手や役者から、ヴォイストレーナーが信用されなかった時代がありました。歌、声は本人のもの、それは現場でのみ鍛えられていくものだというのです。元より、現場にトレーニングの場が負けていたのです。大体、リラックス、スマイルとか脱力をメインにするトレーニングの場などはないでしょう。それには、先にプロのメンタル面でトレーナーが必要とされていたという事情があったのです。

 そういえば、演出家も指揮者も、その地位を得るまでには、大変だったのです。大相撲では、横綱の実績が理事(哀悼、北の湖関、201511)の条件となるわけです。日本らしいところ、伝統のあるところでは、未だにそういう体質があります。

 そういえば、私のヴォイストレーニングが声を壊すとか云々言われたこともありましたが、実名で名乗り出た人は一人もいません。昔は、声を壊しても医者に行かなかったのに、今や、高い声が出ないくらいで医者に行き、ここに回される人も増えました。以前に出ていた声が出なくなるなら、医者も処方のしようがあるのですが、これまで出なかった声を医療で出せるようにして欲しいというのが、冗談でなくなってきたのです。声も整形のように、新たな時代に入る予感はしますが、それについては、いつか述べます。

 

○マッチング

 

 私が指導するのは、トレーナーのスタンスとレッスンを受講する本人(ここからは、「あなた」とします)の目的とのマッチングです。あなたのどんな目的とレベルを目指すかで、方法もメニュも、判断の基準、優先順位、重要度なども、すべてが変わってくるということです。

 特に大切なことは、耳にタコにできるほどくり返したつもりですが、本番とトレーニングとの違いです。本番とは、ステージやレコーディング、試合などのことです。

 レッスンの位置づけは、リハーサルでのレッスンなら本番に対応させます。それ以外、トレーニングのレッスンなら基礎固めです。これが、未だに混同され、ヴォイトレの質問や悩み、迷いの半分を占めています。その悩みや迷い、混乱が、その人の本番、ステージパフォーマンス、歌の力を削いてしまうこともあります。バランスが崩れるからです。

 そのために、トレーナーも守りに入らざるをえなくなります。すると、本番仕様の短期の付け焼刃のレッスンになります。そのくり返しで、力がつく人も僅かにいますが、大体は、同じところをぐるぐると回ってしまうだけなのです。

 

○否定論

 

 ヴォイトレ否定論について、ヴォイストレーナーにも、呼吸や筋トレを否定する人がいます。それが、こうした問題をさらにややこしくしているのです。それを言うなら、私はヴォイトレそのものを否定しているともいえます。だから、ヴォイトレは必要悪というのです。どんな芸事やスポーツ、武道も、特別なトレーニングなしにできたら一番よいことでしょう。でも、そんなことはありえません。

 何回も歌っているうちに、あるいは、何曲も歌っているうちに、うまくなるカラオケは、最高の遊びのツールの一つです。でも、カラオケ業者が儲かるだけ、ゲームセンター、アミューズメントパークと同じで、あなたは、お金を支払う参加者、消費者に過ぎないのです。ステージサイドでなく、客席サイドにいるからお金を払うのです。

 歌の変容がそういう誤解を助長したのは確かです。オペラのような特別のトレーニングのいらないものとして、ギターを買ってコードを覚え、いつもの声でそのまま歌ったらポピュラーだと思われたからです。マイクとスピーカのおかげで普通の声で歌ったらプロにもなれたのです。そこでのプロという要素が、声でないのは確かです。そして、歌唱力でないことも多いですね。

 ここでも「声がプロ」とはどういうことかという問題については以前述べました。特に、日本は、歌の力が歌手でなく作詞家、作曲家からアレンジャー、プロデューサーまで演出家の方へ、プロの力が偏っていったのでわかりにくいのです。

 

○歌と声

 

 「呼吸法を教えられて、それを使ったら前より声が出なくなった、喉を痛めた」と言う人がいました。これは、私の例えでは、バッターボックスに入る前に、フォームを変えてみたとか、腕立てを100回やったら打てなくなった、というようなものです。この辺りは、いつもの声の基本図表で納得いただいています。

a.歌 応用 バランス 全体 総括 無意識

b.声 基礎 強化 部分 各論 意識

 いうなれば、この頃のヴォイトレは、このb:声というのが、限りなくa:歌に近づいているのです。となると、筋トレや呼吸トレもバランスを乱す悪者で不要となるのです。

 

○慣れと量

 

 目指すのが少しの上達、自分の100パーセントに戻すこと、すぐに楽しく、迷わず、考えず、うまくなりたいーのであれば、基礎に入ってはいけないのです。

A:何もしなくともうまく歌える人と、B:どんなにやってもなかなかうまく歌えない人がいますね。そこも分けなくてはなりません。

 A:素質に恵まれた人であっても、それを開花させるには、b:基礎が必要です。才能を確実な実力にしていくのです。

 大半は、慣れていないだけで、入力と出力の絶対量が足りません。ですから、aの応用とその引っ掛かりをとるカラオケレッスンをすればよい、そこが先に述べた若いトレーナーのスタンスです。なのに、そこに、生じ自らも本当にはまだ得られていないbの基礎らしい呼吸法、発声法などを持ち込むから、ややこしくなるのです。

 入力―出力の足りない人に対しては、たくさん聞く→よく聞く(量→質)、たくさん声を出す→よい声を出す、の順で本当は勧めたいのです。

 トレーナーがつくと、量なしに質にこだわり選別します。私のことばでは、ベターを取り出して、それでよしとすることはしないわけです。

 

○(選別、調整)と(鍛錬、ブラッシュアップ)

 

 バランス(声域、高音)を優先して成果をみえやすくするのです。これは、どちらがよいとか悪いとかでなく、何を優先し何を重要視するのかの違いとはいえます。

 基礎が大切なのは言うまでもありません。応用してからの基礎は完全なフォームのつくり直しになる。それもよしとしています。

 私は先に、自分で応用し、量を経て、そこからトレーナーと基礎をやるのが理想と言っています。トレーナーと応用から始め、12年よくなっても、そこで成長が止まって終わる(応用は基礎の上にのっていないなら、くせと言う方がよい)のでなく基礎からやるのです。

 トレーナーは、基礎をやるべきなのに応用をやる。ポピュラーでくせ声があたかも個性のように扱われてきた、その人の声は変えられないものとされてきたといえます。発声も発音のポイントもそのままに固めてきた天性のヴォーカリストで、しぜんのまま、うまくバランスが取れているケースもあります。

 その辺りをやりくりして、自分でトレーナーのスタンスをきちんと理解しないと、どれだけトレーナーをまわっても混乱するか、正解は一つと思い込んで固めるだけです。バラバラに行っても吸収できないのですから、統一された体系づけが必要です。それを経ないでは、蓄積されず、大して身につかないのです。歌とヴォイトレの切り分けを知る、次につながりをつけるということです。

 

○目的

 

 シンガー、エンターティナー、アーティスト、あなたはどれをメインにするのですか。そのことでも違ってきます。それを決めたら、あとは本人の考えることではありません。

A.声 芯 (胸部)

B.共鳴 (頭部)

C.歌 (バランス)

D.表現 話 シャウト ハスキー 

 

2つの関係

 

 ここで気をつけなくてはいけないことは、深めることと響きをまとめることの相関関係です。縦の線での上と下、あるいは、支えと解放との関係です。別のことばでは、A:芯、B:共鳴がそれにあたります。そのバランスのとれた状態をC:歌としています。

 私は、共鳴をA:胸-B:頭とも捉えています。(A―B)=Cともいえます。また、Aは体―呼吸―声と捉えられます。で、Bは補充、共鳴の絞り込みです。共鳴の焦点化は、調整Aは、声のポジション、本来、外国人のもっているところをつくる、Bは深めるのですから日本人にとっては条件づくりとなります。

 そのために外国語の発音を彼らの発声からすることです。そこは喉で固めたり押し付けたりしがちで、自主トレにはリスクのかかるところです。「ハイ」のトレーニングで背骨から尾てい骨まで響くような声づくり、体づくりをするのです。

 そのポジション言葉で表現すると、Aは、Dの表現となります。A=Dの一致のなかに、B共鳴が含まれていたら、B=C歌となります。AとDの間にB=Cが含まれる、つまり、発声のなかに歌が含まれると理想の形となります。

 BとCを区別したのは、Bは声の共鳴、Cはその応用としての歌だからです。Dのことばでの表現をそのままCの歌に取り入れると、ラップ、ポピュラー、シャウト、ハスキーといった歌になります。ことばのフレーズからのアプローチはこれにあたります。

 

○ベルディング

 

 B→Cの一般的な歌の練習をA―Dで補強した向うの人のもっている前提を確保する、日本人特別の強化メニュがこれなのです。声楽でいうと胸声、ポップスならベルディングにあたる地声のことです。それ自体を否定するトレーナーもいます。

 欠けているものの補強ですから、私は必然のものと思っているし、そうでない人は獲得しても使わなくてもよいのです。得るのは、支えとことばの力ですからタフになります。喉を疲れさせないので安定に役立ちます。しかし、中途半端な発声状態(=声の芯が捉えられていない)では不安定になるので、そこで引き返す人が多いのです。経験の浅いトレーナーが、間違いと判断してしまうところです。

 不安定になるのは、ピッチや音程、リズム、メロディ、発音、歌詞、頭声、共鳴、表現、ファルセットなどです。そこでしかみていない大半の人やトレーナーは、役立っていないどころか害のある間違った使い方をしてしまったトレーニングと思います。そういう人は、この冒頭の「本番とトレーニングの違い」を読んでください。

 

○間違うということ

 

 ときどき、誰かの覚えていた、私自身の言ったことばにはっとすることがあります。いつも、例えを変えているので忘れていることもあるからです。そのなかに「運動不足の人が10階まで階段で上がり、途中で足が痛くなったからといって登り方(足の使い方)が間違っていたとは言わないだろう」というのがあります。事実、私の考え方は、こういうことで間違っていると思われてきたきらいがあります。なかには、わざわざ一歩一歩をがちがちに、力一杯踏みしめて登って、足を痛めた人もいるのかもしれませんが、それは、いくら何でもおかしいのです。

 本人の情熱が限界を超えて力を入れてしまう例はあるのです。そこは気をつけましょう。でも、だから何なのでしょう。1フロアごとに休みを入れたら、時間がかかっても足を痛めずに登れるはずです。その休みを短くしていくのが、しぜんな解決法です。そこまでをくり返すのが慣れです。どこかで筋力を鍛えたら、より早く、より楽になる、それがトレーニングです。目標と方針を本当に正したいのなら、一流の人のもつ感覚に学ぶ、そして、そこを変えるのが第一です。

 

○回避法

 

 AとDで、喉が疲れていたり、喉に負担のかかる発声の人は注意しなくてはなりません。そうでない大半の人は、喉に負担をかけていないので話したり歌ったりできていますが、それは、できているのでなく浅いからです。

 浅いのは、深いの逆です。でも、浅くして応用すると一般のレベルでは、楽に早く疲れずに使いやすいのです。そのため、発声やヴォイトレがきちんと喉を使うことの回避になっていることが少なくないのです。ヴォイトレにくるきっかけが喉を荒らしたことだから、安全第一からそうなりやすいのです。(話し声を喉の負担にしないため、浮かして高く浅く共鳴させるのも一時の回避策です)

 しかし、ハイレベルで問うなら、そこは不安定さ、耐久力のなさが目立ってきます。腕の力で竹刀やバットを扱っているようなものだからです。

 日本人は、大きな声で話すとなったりしたら喉が疲れるし、長く話しても痛くなったりします。試合の応援やカラオケくらいで喉に異常をきたすのです。若い人は、そういうことでそこまで使わなくなったし、そういう体験のない人が増えています。喉の状態が悪い人、しゃがれ声が目立つ人に、裏声や頭声共鳴で高めに話すのは、やむをえないのです。

 

○アスリート並みに

 

 すぐれた歌手や役者の心身はアスリート並みです。そうであっても、できないところからヴォイトレに入るのが正攻法です。

 一般の人からアスリートまではいかなくても、かなりの体力、集中力を得て、大きなエネルギーをもってスタートするのです。若いときに始める方がよいのは、この前提があるからですが、今や、そうともいえません。声が肉体に支えられていること、歌手や役者は、そこからみると肉体芸術家ということです。

 体の力、筋力を声にそのまま使おうとするから、無理がきます。次元、あるいは、段階を間違えてはなりません。どれも中途半端になったり、打ち消し合っては何にもなりません。やたらトレーナーを増やして混乱するのと同じです。整理と分担が必要です。

 基礎を終えて応用としていきたいですが、基礎を知るために応用も必要です。呼吸法だけで呼吸のトレーニングがきちんとできているかはわかりにくいからです。

 少なくとも、発声、ヴォイトレの成果としては、声に出してわかることです。声と結びつかない呼吸トレーニングは、ヴォイトレでは不要です。

 とはいえ、武道などの呼吸法も深いレベルでは共通するものです。彼らはヴォイトレという名で行っていなくても声が鍛えられ、かなりのレベルの声をもっていることがあります。それで歌えても、せりふを言えても、歌手、役者のプロとは違います。そのギャップこそがヴォイトレの肝なのです。

 アスリートはヴォイトレでも伸びが早く、上達目標はファンサービスのカラオケのようなものですから1年もかからないことも多いです。本当は、そこからヴォイトレが始まる、アスリートの心身を持って、まかなえないところをヴォイトレで補う、と思ってください。彼らは、オペラや長唄は歌えません。歌としている声というところでみて、まだまだ足らないということです。

 

○基本トレーニング

 

 A=Dのアプローチは、体―息―声の結びつきをつける「ハイ」のトレーニングと息吐きのトレーニングが基本です。外国語の深いところで読めるところも外国人や役者の声のポジションと言っています。

 その上で、共鳴としての「ラララ」「ガグギゴ」「マメミモ」などをよく使います。

 歌手には、外国語の歌を勧めています。その人のもっとも出る音域で、本当は半オクターブ内が理想です。1小節でもよいでしょう。キィを変えて声をみましょう。

 次に、イタリア語で読んで歌うのです。日本語より楽に声になるはずです。ことばのフレーズを深い声でつくっていきます。(拙書「読むだけ…」参照)それを歌ののせると「メロディ処理」という基本トレーニングに入ります。

 こうして話と語りのレベルを同じにするのです。日本の歌手はこの一致を成しえていません。声が浅いためメロディに引きずられるのです。低く音域の狭いところで、外国語で声を練っていくのがよいアプローチとなります。その発音のままことばとして伝わることを主として表現して日本語にすればメロディから離れてよいのです。しかし、大半の人は外国人も含めて、日本語では浅くなります。

 

○深さということ

 

 グラシェナ・スサーナのアドロのサビを、1番をポルトガル語、2番を日本語で比べてみてください。シャンソン歌手のアダモのフランス語と日本語でもよいでしょう。アメリカ人よりフランス人など、ヨーロッパの方が深さは学びやすいです。

 当時、外国人の日本語は、外国語の発声の上にのっていたので、とても深いです。今の日本語のうまい外国人は、わざと日本人の浅いポジションでJ-POPSのまねをして歌っていますから、日本語らしく聞こえます。同じ曲を異なる歌手ので比べて聞くと、外国人と日本人の、この違いはよくわかります。

 甲高く細く芯のないのが日本人、それゆえカラオケはエコーでフレーズをつくってくれるので、日本人がもっとも実力よりうまく聞こえるのです。メロディ、リズムと歌詞の弱点とともに声量、メリハリ不足を音響で補うのです。

 

○聞き方、聞こえ方から

 

 外国語なら、最初は聞こえないし言えない。昔の人なら書けないと言えないから、単語なども書いて覚えたものです。幼児期にしぜんに覚えるのと、母語でない言語を意図的に学ぶのとは方法が違うのです。声について変えていくのなら、声の捉え方を変える、つまり、聞き方を変え、聞こえ方を変えることです。それを意図的に起こしていくのです。言い方と聞き方のトレーニングとなります。呼吸も同じです。

 最初に述べた私のメニュは、歌やせりふの「息を聞く」でした。「息を吐く」はその次です。これまで深い息を聞いていなかったら深い息は吐けません。吐く必要を感じないからです。歌やせりふは聞いてきた。だから今のあなたの歌、せりふがこのようにあるのです。

 でも、息や声は聞いていないでしょう。では、聞く、いやその前に感じるところからです。

1. 体で感じる

2. 声を感じる

3. 歌を感じる

これをくり返してください。

 

○方針

 

 基礎と応用を両立させて進めざるを得ないのが、プロの現状です。

 アマチュアでも感覚的に同様といえます。日本人向けのやり方として、B:頭声の共鳴とA:発声のうち、調整でできるものから入ります。姿勢と発声の形、軟口蓋、喉頭の位置での声道の確保などが、入門の教科書のようになっています。ここは、日本のほとんどの歌唱指導で一般化してしまったところです。喉声を外す効果を狙ってと、高音に届かせるため、響かせるためです。先述のB―A´、これを一本通します。そこは声楽家のトレーナーがよいでしょう。C:歌、そこはきれいに響く柔らかい声を目指します。

 もう一つは、長期的な練習としてのA:体づくり、息づくり、声づくりと、D:表現のためのイメージトレーニングです。こちらが本当の基礎です。主として新たに聞いて変わっていくことを促していきます。聞いて体で感じることから、発声も共鳴も歌も変えていくのです。ここで何を聞くのかは「読むだけで…」に詳しいので略します。Aでは呼吸、Dではフレーズの捉え方が肝となります。

 

○仮の扱い

 

 要素別に基礎と応用を考えてみます。ここでいう応用は、基礎ができた後の応用でなく、基礎をつくっている間にステージを凌いでいくための応用、切り換えて使うための応用です。これは今の現場のニーズに応えるものです。基礎はないけど出番のある人には欠かせないのです。

 大半のヴォイトレのノウハウ、方法、メニュはこの一部に当てはまります。これは仮の扱いなので´をつけて比べてみます。

A´お腹の使い方(腹式)―A息吐き

B´頭部共鳴(軟口蓋、喉頭下げ)―B体の共鳴

C´歌にまとめる、メロディと歌詞をこなす―C聞く、感じる、リズム強弱、フレーズ処理

D´MC(喉守る)表情、演出―D発声、発音、ポイント

 B―B´のときにA、Dが邪魔しないようにすることです。仮のところで、腹式呼吸や深い声が身につかないのは当然といえます。

 

○レベル

 

 一流というのは、何事を一つとっても数段深いのです。ちょっとした違いがちょっとでなく、とても大きいのです。後々のことにも備えができています。さすがに、そういう人は声の分野では本当に少ないのです。直感、実感が素の感覚を妨げているのには、もっとも気づきにくいからです。

 ヴォイトレなくしての一流はありえないのでなく、むしろ、ヴォイトレあっての一流の方がありえない、この厳しい現実の認識なしにヴォイトレを語ってはいけないと思うのです。健康やリラックスというならよいのですが。すぐに効果を求めるヴォイトレが声の基礎づくりを妨げているとさえいってもよいのです。☆

 トレーニング法が発達して、たくさんの指導者が出てきて一般化すると、相対的にレベルが落ちるのはどこでも同じです。多くの人がやり始めるからです。しかし、層が厚くなることで、一流や天才が出やすくなるとしたら、それは大変に重要なことです。

 でもヴォイトレは、そこまでの成果を出していません。その過度期であって、というならよいのですが、そうでしょうか。今となれば、現状を反省して、次に向けて準備するための停滞期くらいに思わなくてはなりません。歌の凋落、歌手の地位の低下、それは役者、声優などの個性やスター性のなさにも通じます。

 結果がよくなっていないとき、いや、そうなっているときは、自らが行っていることが違っているとの自覚をもつこと、これは、まさに、この20年のヴォイトレの現状把握を必要とします。映像がメインとなったことによる声のレベルの低下、などと逃げてはいられません。人間の声の力をもって、これからのデジタルでの音声革命にどう対処するかも問われているのです。

 

○使い込む

 

 それでも体の器官、機能としての声は、長い歴史のなかで、ことば、歌とともに発展させ継承してきたものです。一人ひとりの個体に生活上も必要なものです、根本的に人類の種の存続に必要であって、その目的に合うように発展してきたのです。ですから、今でも、コミュニケーションに欠かせません。

 声を出す力は、誰にでも備わっています。ですから、それを働きやすくする環境と自分の心身を整えていくことです。さらにもっと働く必要を与え、足らないものを補充するのです。それがトレーニングです。

 早く楽にすぐに役立つものなど、深まりもせず長くもちません。誰もが即効的、実践的、すぐ役立つものだけを求めるようになりました。そんなものでできることは最大のテンションで一時的に使った力によるものです。じっくり時間をかけて苦労し努力し、面倒な手間をかけてこそ、深まり、生涯使えるものとなるのです。

 使わないものは衰え、使うものは強くなります。声によい、体によい、やさしい、そうしたバランスだけでは、表現として印象に残るものには成りえません。絶対的なパワー、それには、練習の絶対量を、声を使い込むことを必要とします。

 

○問題以前のこと

 

 体は一人ひとり違います。平等でもありません。また、同じ人でも体は毎日違います。よくも悪くも日々、変わっていきます。その全てに対応できる一つの方法などありません。方法も対処のし方も変わっていくのです。

 それを固定したときからギャップが広がります。ハイリスクで基礎に支えられていないから、いつか壊れます。そこまで活躍していないから、使い続けなくてすむからもっているだけなのです。わかった、できたと言うときにそうなるのです。

 トレーナーが、チェックにこだわるほど本人も守りに入ります。本人も守りに入ります。低い次元でチェックにこだわるのでなく、高い次元での小さな差異に丁寧な対処が必要なのです。医療のように高度な器材を入れてチェックを厳しくするほど、平均値からみた異常がたくさん見つかるようになります。それを全て直して平均の人の値に戻す、そのように変えてみることが何になるのでしょう。マイナスをたくさん発見して一つずつ潰してゼロにする、それは、トレーナーのすることとは違います。すぐれたアーティストのすることでもありません。健康オタクのように、ヴォイトレオタクもいてもよいかと思いますが、ヴォイストレーナーなどは、そうなりやすいタイプの人が多いのです。

 マイナスにマイナスをかけてでもプラスにしなくてはいけない世界でマイナスをゼロにして、またマイナスをみつけてゼロにする、そんなトレーニングは、病気を探しに毎日病院に検査にいくのと変わりません。

 よくないところの早期発見は大切、そういう話でなく、発見やチェックよりも、その前に発見やチェックをしなくてもよい健康な生活を心がけるべきです。他人に全てを任せようという依存は、一人で自主的にやる人の足元にも及びません。自主的に動き、そこで一人でできないと知り、トレーナーを使えばよいのです。ときには、自分の実感や直観の限界を知り、トレーナーの経験に委ねてみることも必要です。

 

○声とライフスタイル

 

 その人のライフスタイルを変えることを強いることはありません。その人のヴォイトレの必要性を高め、基準をアップさせ、材料を提示します。あとは、その人がどう感じ、どう動くかです。感じるよりも動くことが大切でもあり、動くだけで感じられないなら、止まってみることも必要です。そうしたらいろんな手段が出てきます。自ずとその人の目標を遂げられるライフスタイルに変わっていくはずです。急いで自分で決めるのではなく、遊びをもって、よい流れにすることです。

 その人のライフスタイルに合わせ、その人の望むものを早くできるようにすることは応用でしょう。それは、基礎づくりのためにやむなくするものです。基礎を踏まえた応用のところへもっていかないなら、大してその人は変わりはしないのですから。まして、声は変わらないでしょう。声が変わるというのは、少し比喩的な表現です。でも声の力、その扱いや内容、変える範囲や声の威力がアップするのは確かでしょう。

 

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<守りとバッテリー論2

 

○守りの限界

 

 マイナスからゼロに戻るのは、トレーニングでなくケアであると、述べてきました。それが必要なケースも当然あります。いや、むしろ、今の日本では、本人がそれを望んでいるケースがほとんどなのです。ですから、ヴォイトレでもケアがメインになり本流になりつつあると言いました。先に、それを勧めてこなかった理由をまとめておきます。

1.ケアはトレーニングではない。しかし、ケアがトレーニングの前提となるケースはあります。前提と目的を取り違える人も多く、トレーナーにもその傾向が強くなっています。

2.守りでなく攻め、次のことを考えなくては衰える一方である。前に「バッテリー理論」で述べたように、いくら回復させようとしても、それだけでは総力は目減りしていくのです。

3.調整や回復しても、元の実力よりも力がつくことはない。

 つまり、早く楽に少しよくなるくらいのことは、トレーンングと私は考えていないということです。そこは、医者やメンタルコーチの担当ですが、トレーナーも一部として引き受けるというものです。

 

○カムバック

 

 回復を優先する必要があることは、少なくありません。

 第一に、ケアそのものが目的のとき、医者からの紹介の人です。手術後のリハビリのケアはトレーンングどころでありません。言語聴覚士の役割に近いところです。このときも、本来は、回復後のプランをたてておくことです。そうなった原因を突き止め回避する、でも、それだけでは根本的な解決ではありません。多くの人は、そこは発声や呼吸の方法が悪かったから直せばよいと言うのですが、求められるレベルが本人の実力よりも高ければ同じことは起きる、だから、長く強く声を使わないようにする、これでは何ら解決していません。陸上選手に「このタイムより速く走ると怪我をするから、これより速く走るな」と言うようなものです。a喉の回復、b実力の回復、cさらに実力をつける、cは希望次第です。

 第二に、ベテラン勢、元プロ歌手(日本では、一度プロとなれば、その後はいつもプロ歌手として扱われますから本当に甘いのですが)で元の実力がなくなった人のケースです。体力など、体のメンテナンスはするのに、声はしないまま、歌を復習して備えるだけです。日本の聴衆は、昔の歌と同じことの再現を求めます。本人と合わなくなっているのを無理に昔に合わせるのです。となると、若い頃の本人のものまねレッスンとなることが多いです。プロは、と述べましたがアマチュアにも多いです。

 加齢のために生じている問題、これは元より基礎がないことで出てきたのですから、まさに「バッテリー理論」を地で行くものです。

 第三に、ステージが目前にある、あるいは、常時ある場合です。

 

○ プロと「バッテリー理論」

 

「バッテリー理論」を私なりにまとめておきます。

1. バッテリーは古くなると充電時間がよりかかるが、それに反し、出力時間は短くなる。(つまり、休みがより多く必要になるのに、それでも声はもたなくなります)

2. 出力そのものが落ちてくる。1009080

3. いくら充電しても100以上にならない。

 私が、デビュー本で述べたように、根本的な解決は、容量=器として大きくするしかないのです。

 つまり、声として使えるパーセンテージが落ちるとして100%80%→50%となるなら、器として100125200となくては同じ出力はキープできません。しかし、この減らした分をステージパフォーマンスか人柄でもたす、MCの話で日本のプロはカバーしているのです。それがまた、声に悪い影響を与えています。

 素質、才能で200をもってプロとなっている実力派では、少々落ちても人を惹きつける力は残っているのです。

 

○三重苦

 

 第一から第三のケース、この3つが重なることも少なくありません。ここに最後の助けとばかりに駆け込んでくる場合では、1.声が出ないので医者に行き、2.昔のように声を出す練習をあまりしていなくて、あるいは加齢などもあり、その前から調子がよくなく、3.ステージが近づいてくる。この三重苦です。

 これではどうみてもケア、原状回復が先決です。普通の人のカラオケが歌えるレベルに戻すこと、後は本人のステージパフォーマンスでもたせることになります。

 

○音源代替

 

 究極的な方法として、プロなら別の音源で凌ぐこともあります。元より日本の歌手の8割は、実力派ではないので、こうなると声は素人と同じレベルです。話し声で喉を痛めるのもそのためです。でもプロとしてのステージパフォーマンスでしのげるのです。しかし、さすがに役者、声優などはそれではごまかせません。ただ、話は日常化しているので実力を保ちやすいです。

 ビジュアル重視のダンサブルな時代になって、歌手が声よりパフォーマンスで問われる現実が、すでに現場にあります、そのうちオペラや邦楽もそうなりかねません。マイク=音響技術のあるところで、先に導入されたのは当然のことです。ダンスや踊りをみせるステージでは歌っていても、うまくマイクに入りません。息も切れます。聞いている音源は別で口パクであったからです。そういうケースを除くと一番楽しくないのは歌い手自身のはずです。

 以前は、懐メロ、高齢歌手の昔のヒット曲の再現にしか使われなかった音源での代替が、調子の悪い時のステージに使われるようになりました。ステージまでライブでなくアテレコ、吹き替えのようなものとなりつつあります。

 

○CD教材の見本の害

 

 実際のヴォイトレの大半は、B-Cだけです。それも声楽家ならまだしも、ポップスは、トレーナーが、のど声と区別がついていないケースが多いということも指摘してきました。

 トレーナーのCDの見本を発声として聞いてみてください。多分、日本では200種以上ありますが、23くらいが声としては合格、10もまともなものはありません。これが日本のレベルです。外国人のものと比べてみるとよいでしょう。

 よくない声を聞くくらいなら聞かない方がよいのです。悪い見本も一度くらい聞くのはチェックとしてよいけど、あまり聞くとよくありません。レクチャーとトレーニングは違うのですが、一流のアーティストの声に直接学ぶべきです。そうでないなら、楽器音の方がよいと思います。

 よい声、一流の声でも同じ人ばかりなら、聞いている本人と違う声なのに、どうしてもまねしてしまうものです。私はトレーニング用のCD教材に自分の声を使うことはしていません。一般用のサンプルにはナレーターや声優というプロとしての職の人の声を入れています。理由は、声だけでなく、滑舌やイントネーションなども練習として使われることが多いからです。ヴォイトレがヴォイトレのトレーニングになっていない現状は、再三、述べているので省きます。

 

○実力をつける順

 

 先に、A芯、B共鳴、C歌、D表現と述べました。C(A+B)→D、このうち、A、Dは日本の歌手があまり重視していません。トレーナーも触れないのです。A胸声、B頭声、そのバランスとしてのC歌とも述べました。

 普通の人が、A―A´―C´―D´でプロが実力があり、プロの器がある理想がA―B―C―Dとすると、先の3つの事例でケアからのヴォイトレを超えて実力をつけるには、次の順をとります。B´―Bの共鳴、特に頭部共鳴での回復、これは100のバッテリーが8050になったとき、一時、放電するのに適しています。この場合、充電は休みでなく、補給です。

 A´を体力を戻し、柔軟、呼吸を戻すとみてもよいでしょう。鐘なら小さく叩いて大きく響かすことです。強く叩いたり、鐘を大きくすることは控えます。少しずつ力を増していきます。

 そのまま歌に結び付け本番に備えます。

1. B´―C

2. B´―C´

 こうしてみると、使いようによっては、喉にリスクのあるのが、特にポピュラーのトレーナーです。現に喉を壊すトレーナーはとても多いです。そして声域高音重視の日本のソプラノ、テノールのトレーナーがあまり触れないことがわかります。

3. A´―[B´―C´]

4. A´―[B´―C´]―D´

 これで現状としての回復、リハビリ終了、調整としてもヴォイトレなら、ステージ対応になりました。

 ここまででよいと言う人も少なくありません。この場合、実際は、B´―C´で、A´、D´は、そこにそえただけですから、アイドルやカラオケのうまい人、歌える人のレベルです。

 

○声の世界へ

 

 そこからA―B―C―Dの世界は、器が違うのです。その次元を変えなくてはなりません。まずは、D、歌の表現に対して材料の取り込みです。聞き方を変える、つまり、インプットです。インプットするものを補充していくことで、インプットの仕方を変えます。例えば、Aの器を得るのに一流の歌い手の体と声、息を徹底して聞くのです。聞くというよりも感じることです。

 どんな一流の歌手も行っていることは、一流のものを聞く、量が最初ですが、必ず同じもののくり返し、深読みがそこにあります。一流の耳にして聞く、質が肝心です。この2つが伴わないから、一流の器ができなかったのです。それにもプラスαが必要ですが、トレーニングは確実なところとして器をつけるところ、量のところを確実に、できたらその質的転換までを目指します。A、D先行で、B―Cは、そこの伴うものとしてみています。しかし、意図的にBを声楽教本(コンコーネ50)、Cをカンツォーネ、スタンダードポップス、オールデイズなどで進めることもあります。声楽科の4年生~6年生レベルです。劇団四季のオーディションならB―CでOKでしょう。

 ケアはB´、C´から行うのです。でも、トレーニングならA、Dからと考えています。後はスルーしてもよい、なのに、そこがヴォイトレということで、私は“ヴォイトレ”不要論を唱えることになったのです。

 結果、効果をどこに求めるか、対象が誰か、目的が何か、そのレベルに応じて異なるので、いろんなヴォイトレがあってよいと思います。ただ、ヴォイトレが声のトレーニングになっているのかということに、私はこだわっているのです。

 

○共鳴について

 

1.声道の共鳴 声帯と口、鼻の間(喉頭―軟口蓋)

2.顔での共鳴 共鳴洞=共鳴腔

3.体での共鳴

4.スタジオでの共鳴

 1、2は歌のヴォイトレや声楽で教えられていることが多いから簡単に述べます。軟口蓋を上げて喉頭は上がらないようにして眉間、頬骨に響きの焦点をもってきましょう。私は12より34をよく使います。3は、イメージ、体幹ですが、頭のてっぺんから背骨、尾てい骨まできちんと声の出る人は、体中から響くのです。

 頭声、胸声は、頭や胸が響いているのでなく、そこで響くように感じているということです。体は振動するというイメージ、それは、顔も同じことです。顔に空洞があっても声の共鳴は声道で起きていることなのです。でも、イメージで体、そして体の存在する部屋の中に響くように、響かせるのではなく響くのです。それが声の器づくりとして、とても大切なイメージづくりです。その辺りは、拙書に任せ、戻ります。

 

○共鳴

 

 体の要素、姿勢、柔軟、表情、筋肉、呼吸、声の要素は、1.高さ、2.強さ、3.長さ、4.音色(発音、母音、子音+母音、ハミング)です。リップロールも脱力、呼吸と顔の柔軟運動の一つです。使えない人は無理しないでよいでしょう。巻き舌やハミングと同じで、手段なので、難しい人はスルーしてかまいません。後日できるようになっていたら効果を実感したら使えばよいと思います。

 

○トレーニングメニュ

 

 トレーニングメニュは、メニュそのものが目的ではなく、目的のために使うのです。☆

 ですから、すぐにできなくてはだめなのではありません。順番や重要度には柔軟であることです。使いにくい人は、使って却って力が入ってはなりません。なぜできないのか、苦手なのかということでいろいろと知ることができるのです。チェックとして使うことはあります。

1. 全身の柔軟運動、特に肩、首、腰

2. 呼吸、均等にロングブレス、表情筋、舌、唇、口、顎、頬、眼、鼻の運動

3. リップロール、声帯でなく唇で音を出す(高さ、強さ、長さ)

4. ハミング、頭声ハミング、鼻や筋、眉間に。胸声ハミング、胸に(できない人は不要)

5. もっとも出しやすい母音、高さ、大きさ、長さを、様々に変えましょう。

しゃがれ声、ハスキー声を避けることが近々の目的となります。

 

○しぜんということの限界

 

 守りのときは「ベターをベストに」でなく、「ベターに」までを目的とします。実力を向上させるのでなく、復調する、調子を戻すのですから何よりも無理は禁物です。

 私がこれまで述べてきたことでは、守りのヴォイトレは、調整ゆえ力はつかない、正確にはとても時間がかかる、ゆえにしぜんなことで、理想ではあるのですが、よほど恵まれた人以外、他人よりすぐれることはない。

 他人に対してでなく、自分自身に対してすぐれていくことだけを目指す人には理想のようにも思います。ただ、そこでクローズされたものでは、ヒーリングになりかねず、私としては、その時点で可能性を閉ざすのはお勧めしません。

 でもそこで今の自分の100%を知るのによい機会となります。

 

○プロと次元

 

 再三述べていますが、次元という考え方です。10代で歌でプロであった人が、20代では歌はふつう、声は人並みで、無理すると壊す、すると、当然のことながら、医者に行くが、プロということは関係なく症状としてみられてしまう。それは勉強するよい機会ですが、そこで知識でなく基礎のトレーニングを必要なのを勘が鈍っているとわからなくなってしまうわけです。

 特に、日本は、20代以降、知名度やMCでもたせているのに実力がついていかない、つまり実力が相対的に落ちている、いや絶対的に落ちていることの方が多いのでなおさらです。声力、歌力、ステージ力を分けて考えることなのです。

 シンガーかエンターティナーかアーティストか、そこも微妙で、大半はマルチタレント化してしまうので、もはや、声など省みられないから壊して医者にいくまで自覚がないのです。

 しかも、医者や調整のトレーナーはプロの次元でなく、一般、いや病人のケア、リハビリの次元で考えるのですから、そこは区分けしないと二度と元の次元で、できなくなります。

 もちろん、プロといえど、アイドル、モデルなど、ルックス、ファッション、ダンシングでなく、それなりの歌唱力、声の力で成り立った人に限ります。そうでないケースは、元よりステージとしての次元が高かっただけですから。

 天性の素質や勘でやってこれた希少なヴォーカリストへの対応は、次元のことだけでない。しかし、そこで失われたものが原因なのですからトレーニングで補うことが必然になります。インプットから高次なものに引き上げる、そのために次元の低いところでの問題はスルーし、そこで喉など部分的にあまり囚われないことです。悪循環になってしまうからです。ミスターのこと、長嶋さんはスランプでもデータ分析をしたり医者には頼らずに、その日の練習を増やした、それが長いスランプに陥いらなかった要因です。まあ、ここは1%にも満たない人のために述べたところです。

 

○ベターのレッスン

 

 ベストでなくベターというのは、今のもっともよいところに声をもってくることです。声域、声量も、使う音(ハミング。母音子音)も一番やりやすいものを選びます。

 まずは、一音です。確実に声にします。かすれずにハスキーにならない方がよいです。そして、最も均質に吐いた息で声を使います。

 かすれないためには、ハミングやマ行がよく使われます。コーラスのような声でかまいません。しぜんなビブラートがついていたらよいでしょう。高さとしては裏声と地声、2つにそれぞれよい声があるといえるかもしれません。それだけを1時間ほどくり返してチェックするとよいでしょう。ピッチを正しくとか、発音をクリアに、母音を揃えて、といった課題ではありません。楽器の音のように、声を音として意味なく、共鳴、響きとして捉えます。あえていうなら音色のキープ感を養うのです。

 

○声明に学ぶ

 

 声明を学んでいます。そこでの実習は、音色に節をつけて動かす、というもので、まさに発声の応用課題のようでした。しかし、私は、これこそがヴォイトレのフレーズであり、今の一般的なヴォイトレに欠けている基礎課題と思いました。

一人でもっとも声の出るところで行えば、高低半オクターブとしての1オクターブとなります。短いフレーズでは、私が基礎といっている半オクターブですから、まさに理想のヴォイトレになるといえます。1015秒というけっこうな長さゆえ、呼気のコントロール、呼吸の支えも求められます。

 

○不調に学ぶ

 

 何でもできているとき、何でもできていると思って、実のところ、できていないということが不調になると明らかになります。甘い基準でOKにしていたものからできなくなるからです。好不調は、声の場合、体という生体の楽器ですから必ずあります。絶不調の時こそ、素人でもチェックしやすいのです。

 

○ベターよりベストのために

 

 上達には的があって、そこへ全てを集めます。そこへ絞り込んで、可、不可を決めていくのです。しかし、私は、その基礎→応用の前に、遊びという、応用をおくように提唱してきました。自己流での量の時代です。その必要性を強く感じるのです。

 ですから、早急に仕事のあるプロ以外の人は、最初、自由にさせたいと思っています。(トレーナーに対してもけっこう自由にさせています)

 つまり、声も今、よいと思うものを出していながら選ぶのでなく、何でもいろいろ出してみることからです。ひどいのも、使えそうにないないのも含め、出したことがないのも何でも出してみます。たくさんの経験をありったけ積む。すると限界がみえます。その方が、声のマップもわかりやすいのです。

 

○選ばない

 

 最初から自分で選んで、歌に使えそうな声だけ使ってきて、さらにトレーナーに選んでもらうのは、限定を急ぎすぎです。むしろ、最終段階に行うことです。これまで出したこともないが出せる声、出るようになる声もあるのです。それを取り出さないと本当のパワーは出ません。

 何でも出してみると、さして何でも出せないことに気づくものです。いろんな声をいろんなふうに出せるのは可能性を広げ、器を大きくすることにつながります。選ぶのは後でよいのです。

 しかし、現実のヴォイトレのレッスンでは、トレーナーはすぐに選んで、よし悪しを判断し、よいものを教え、それを伸ばすことを求められるでしょう。だから本当に大きくは伸びないのです。声もまた、選ばれるのです。歌ったときにベストが出てくるのを待つのです。

 

○守りの前に

 

 例えば、調子の悪いときは、声量が出せません。仮に出せてもセーブすることです。リスクが大きいからです。高いところ、そこで大きく続けて歌うからカラオケで声が出なくなるのです。しゃべりすぎやアルコールも原因となります。

 ですから、調子のよいときは、声域、声量に関心をもちましょう。器を大きくする可能性は、声量と共鳴でみる方がわかりやすいです。

 調子の悪くないときにも、声量を抑えることで、声域、特に高音へ届かせたりファルセット、裏声との切り替えをフォローするのは、手っ取り早い教え方です。それ自体はバランスと調整の方法で優先せざるをえないのも否定しませんが、そこだけで固定すると、もう処理法になります。可能性も、そこで終わるということなのです。

 私が守りについて述べたのは、攻めのあること、そこが主体であることを確認したかったからです。ヴォイトレで忘れられていることがほとんどだからです。

「自力のつく学び方」 No.304

作品でも人でも、まずは、惚れ込めるか、感動できるか、そこまでいかないなら、好きであるか、そこからスタートするのがまっとうでしょう。

好きになるほど、悪いところがみえなくなります。あばたもえくぼなのです。

この、みえないうちに自分の内なるエネルギーで、どこまで突っ走れるのかが、案外と大きな成功要因のように思うのでです。つまり、そこで、かなり偏ってはいたとしても、主体性を確立する準備ができる、それが大切なわけです。

多くの人が学べなくなるのは、惚れ込み方や突っ走るエネルギーが少く、早く冷静になってしまうからでしょう。内に入るほどによくないところや悪いところもみえ、聞こえてくるからです。それは、不条理を学んで、自立するための踏み石です。

頭がよい人、情報収集のうまい人は却って難しいかもしれません。ネット社会では、内にも入らないうちに知ってしまったりするので、なおさら思い切れません。知ったかぶりで引き返してしまうのです。自らの手で変革しようと思わないのです。それは、力をつける本人自身に不幸なことなのです。情報に影響されない信心の強さが必要だと思うのです。

「プロのためのヴォイトレ」(新「研究所案内」) No.303

○バッテリー論☆☆☆

 

 若い頃、100の容量のバッテリーをもっていたとして、それが少しずつ充電(オフタイムと調整)時間が長く必要になり、その蓄えも少なくなると思うとよいのです。10代では何もしなくても100充電できていて100使えていたのに、パワーと持続力が落ちるのは、しぜんの成り行きです。時とともに、そのように劣化するのです。

1.少しずつトータルの充電量が減る。

2.充電に時間がかかるようになる。

3.すぐに低下する。

 なぜ、何もしないで充電できていたかというと、毎日の生活で動いていたからです。日常の活動量がチャージされ、慣れだけでピークに行けた。天然に素質のあるヴォーカリストは、そこが一致していたわけです。

 それが、いろんな要因で崩れてきます。不摂生な生活はもちろんですが、自ずと活動量や心身の力が落ちていくのでズレが生じます。発声、歌唱もそのために無理がかかり、悪循環になるのです。

 それに対して、昔は一人でがむしゃらに練習の量で戻していたものです。そこは、無理、無駄、無用のことも含めて、効率を無視して絶対量で取り戻していたのです。この絶対量に戻せないときに若くとも引退となったわけです。つまり、活動量のキープが、もっとも大きな要因なのです。

 今はいろんなアドバイスが成されています。しかし、多くのケースでは、それこそが、その悪循環を固定することになっているのです。その理由は、少しあとで述べます。

 

○バッテリーについて

 

 バッテリー論を述べたついでに、バッテリーのことを参考までに引いておきます。

1.ニッカド電池:頑丈、500回充放電。安定した放電、連続大電流、自己放電で容量低下しメモリー効果(使わずに充電したら減る)がある。カドミウムが含まれる。

2.ニッケル水素電池:重い大きい、ニッカドの倍以上、充放電できる。(電気自動車、デジカメ、eneloop(パナソニック)などに使う)

3.リチウム(イオン)電池:500回以上充放電、軽い小さい、メモリー効果がない、自己放電少ない、容量大きい、高性能、コスト高い、過充電過放電を防ぐ回路がいる。(スマホなど)

 

○悪循環を断つ★

 

 いろんなところをたらい回しにされて、あるいは、転々と渡り歩いて最後にここにいらっしゃる方は少なくありません。中には、私の本を読んでいたのに、他のところをいろいろと回られて、またここにいらっしゃる人もいます。レッスンも他でいくつも受け、さらに海外に行って、あるいは、著名な人に会って、専門家、医師やプロデューサーにみてもらって…など、多彩な遍歴を経てきた人にもお会いすることが多くなりました。

 トレーナーにもいろんなタイプがいます。でも、一言で言うと、ほとんどが一匹狼、お山の大将です。それに対し、ここは、複数のトレーナー、プラス、外のトレーナーや専門家のなかで体制を組んでいます。

 最初に私が気づいたのは、ポップスのトレーナーの限界、スクールの限界でしたが、さらに医師や専門家の限界と、まさに挫折の連続でした。目標を高くすると、高くした分、大変になるわけです。

 いろいろと回っていろんな経験をすることはよいのですが、それを誰が位置づけるのかがないと、ただの悪循環にしかならないのです。限界は必ずあるのです。それは役割分担すればすむこともあるのです。ここも、声楽家や医師などをうまく活用しています。

 

○声の実力

 

 プロにもいろんな実力というのがありますから、一概に言えませんが、研究所は、声の実力づくりをメインとするところです。歌やせりふは応用として扱います。音声の基本をステージに通じるようにするところです。

 ですから、声の問題の根本的な解決を一言で言うのなら、先に述べた、バッテリーを大きくしていくしかないのです。

 「いろんなところでのアドバイスは活かせなかった」と、ここにいらしたなら、それらは一時、捨ててください。活かせるならそれを徹底して活かしてください。特に理論や分析など、もっともらしいこと、喉やその形状、あるいは、心身に関することで発声に関わる知識は、一度捨てた方がよいことが多いです。そこにこだわっているためによくならないことを、一貫して述べています。「あなたは音感が悪い」と教えられたら音程はよくなりません。医師やトレーナーが研究するのと、声を扱う本人がそれに囚われるのとは違います。何よりも、可能性を追求する前に限界を突きつけられてしまうのは、よくないことです。

 

○器での解決法

 

 ここからはバッテリーを器と言いますが、100の器として、これを回復させるアドバイスは、マイナスを元に戻すだけなので100パーセント成功して元通り、多くのケースは10080、充電して9070、さらに充電して806070506040のようになっていきます。あたかも加齢による体力の低下のような下がり方です。

 ときに、10080100のようになることがあり、問題が解決したように思うのですが、それは下がるのを少し後に遅らせただけです。どちらも現状回復や復帰を目的にしている時点で、成功して元通り、いつもうまくいくわけでないから、いずれ下がるのです。

 そこでテクニックでカバーするか、活動そのものを減らすことを選びます。トレーナーがそれをアドバイスするからなおさらです。

 なぜよくならないのかというと、根本の問題に向きあわず、楽に今しばらくを回避するノウハウだからです。☆それは付け焼刃にしかなりません。これは、衰えるのを遅らせるという方法に過ぎないのです。

 それなら、100100100と保てる方法があるのかというと、一つだけあります。次のように考えるのです。100%80%→50%となるなら、器を100125200とすればよいということです。☆

 この器というのと、小手先のテクニックは全く正反対です。喉の締め方などで高音や声量維持や、さらなるアップを試みるのは、もっとも初期に述べたように器を小さくして早い限界をつくっているのです。もちろん、器を広げるにも限界はあります。しかし、多くの場合、それを大してやらないままにきているのです。つまり、本当の基礎をやってきていないから、大きな可能性があるのです。

 

○回復の限界

 

 医者やトレーナーは失われたところを補充して戻そうとするのですが、それは調整であり、完全な調整ができなければマイナスが生じるのです。プロへのヴォイトレでさえ、この頃は、初心者のカラオケの点数を一日で上げるのと同じようなことしかしていないのです。長期でみるとほとんど効き目がありません。声そのものの問題にはアプローチしていないから当然です。

 理屈で納得してケアされて自信をもち、心身がリラックスした分、回復するという、これは、実のところ、プラシーボ効果です。このあたり、これまでの述べたことと同じです。

 医師としてプラスにすることについては0点、しかし、ヴォーカリストはあまりに基礎を学んでいないから、そのアドバイスが声に活きたら好調のときに近づくのです。それで彼らは治療の目的を遂げます。責任もそこまでです。

 医師の役割はケアであり回復であり、そこに限界があるのです。ですから、それを知る医師のなかには、ここを紹介してくれる方もいます。自分が何でも解決できると思う専門家はしょせん二流なのです。トレーナーは、まだそのレベルにも至っていませんから、彼らについて批判もできません。

 

2つの条件

 

 専門家やトレーナーにアドバイスをもらっても、30点、50点の対策では、何にもなりません。まったくの素人や心身が弱っているプロには、それが効いて解決したかのようにみえるので困るのですが、そこでは、フィジカルトレーナーやメンタルトレーナーにつくのと変わりません。いや、マッサージや整体師の効果のようなものです。

 それでは、声においての100とは何なのかということです。器×効率、これを、私は声の芯×共鳴と置き換えて説明しています。鐘ならきちんと突いて音にして、その響きを邪魔しないということです。本当はその2つが伴ってこそ発声は向上するのです。なのに、相変わらず、日本では共鳴オンリーです。それはどうしてなのかというと、声は変えられないと思っているからです。

 

○声を変える

 

 私は、「ヴォイトレは声を変えること」と考えています。そこは当初から述べています。ただし、声を変える必要を感じない人には不要、いうなれば、ヴォイトレも全ての人に必要とは思っていません。しかし、ヴォイトレするというなら、そこからということです。

 そう絞り込まないと、なぜ一流の歌手や噺家にヴォイトレができているのかわからなくなります。声楽も、そのトータル条件となると目的が異なるので、ここのヴォイトレは、声楽の基礎のところに重なる、ゆえに分担をしています。このあたり、声をどのようにし捉えるかをしっかりと確立させていく必要があります。

 

○芯と共鳴

 

 芯―共鳴とは、基礎―応用ともいえます。私のヴォイトレのメニュでは、「ハイ」―「ラララ」です。「ハイ」といえないところでは歌えない、が判断の一つですが、日本のプロの歌手には必ずしも当てはまりません。声楽家でさえ、分けている人の方が多いでしょう。でも一流なら区別しません。語りのなかで歌い、歌のなかで語ります。

 共鳴は、使い方、技術です。そこでは、弱い声でも響かせ遠くに伝えられます。そこから入って、芯を確実にする、そういう方向が声楽の正道のようです。発声-共鳴の結びつきをつけていくのにわかりやすいのは、確かに声楽のメリットです。まとめておくと、

基本:器 芯 「ハイ」

応用:効率 共鳴 「ラララ」

 この辺りは、私はデビュー本に、100の器で70パーセントで歌うのと、200の器で50パーセントで歌うのとを比較しています。その結果は70100、器づくりが大切、優先というようなことを、この通りではありませんが、声の器の必要性、いや、有利なことを述べています。ずっとそれを通してきましたが、世の中も、ここにいらっしゃる人も、トレーナーも、ヴォイトレも、時代とともに変化していったのです。

 

○変わらないもの

 

 とはいえ、相手に合わせ、現状に合わせ、求められることに合わせて応用していっても、基本は残るのです。なぜなら、私の基本はそこにあり、それは体についた声ですから、離れようも疑いようもない、そして、どの分野でもそこを活かした一流の人がいるからです。

 ただし、歌の声に関しては、日本において劣化が著しく、まさに応用しかなくなりつつあります。研究所にいらっしゃる7割の人には、トレーナーが声楽のベテランで、役者、声優から一般の人の声を熟知している人であれば充分に務まります。つまり、他のスクールでも、すぐれたトレーナーには、そこをもっている人がいないわけではないのです。

 

○担当をする

 

 プロが10人いるとして、その担当は

1人 私だけ

2人 (私と)ここのトレーナー

3人 ここのトレーナー

4人 ここのトレーナーと他のすぐれたトレーナー(医者なども含む)で割り振る

 で、計10名、こんな割合でしょうか。

 ここのトレーナーは、共鳴とともに芯を重視しています。呼吸や発声、共鳴での器づくりをできるのは、マイクのないところで鍛えられた声楽家や邦楽家の強みです。そういう基本は、万人に有効ですが、トレーナーによってかなり違います。また、いらっしゃる人のタイプ、レベル、目的にうまくマッチングさせることが問われます。そこで、私の役割もまた、総合的にみるコーディネーターになりつつあるのです。

 

○本当の問題は、一声

 

 私が「アー」という一言、一声の違いに気づき、海外の人との差から、研究所を創始したことは述べてきました。私の幼さで、最初は、声のパワーの違いしか理解できなかったとはいえ、そこは伝わるということなのですから、必ずしも間違ってはいなかったわけです。声のなかで声量はベースであり、ヴォイトレのコアです。なんといっても、声が聞こえなくては、歌もせりふも伝わらないのです。

 しかし、声量そのものが器ではないし、声の大きさや強さが歌ではありません。特にここが、日本人の歌から、役者や声優、アニメよりも洋画吹き替えに需要が多くなっていったのもわかります。

 

○分野、ジャンルをはずす

 

 いろんな考え方がありますが、本当の基本は、分野やジャンルを超えるのです。それが、この30年くらいの日本における、お笑い芸人の声力の強さとあらゆる分野への進出です。

 歌手や声優でなく、その人一人の人間のレベルで捉えなくては何ともならないのです。なのに、あらゆる動きが現象だけに左右されていっています。それをみている本人やその背後にあるものでなく、森でなく木を、トータルでなく部分を見てしまっているのです。ですから問題の捉え方からレベル、次元を変えなくてはいけないのです。

 つまり、今問題としていることは本当の問題ではないのに、それに囚われているからどうにもならない。仮にどうにかなっても本当には解決しないということです。

 問題の取り上げ方が間違っているとは言いませんが、先に限界を設けて、その中で行ううちに、本来の可能性を狭めているのです。

 目的を、ピークの力に戻してそれでくり返すだけにしている、ということです。次元、レベルを上げていかなくては、必要性、目的を高くとらなくては大きく変わりようもないのにです。

 今そこに限界を続けてどうするのでしょうか。私の、早く限界にする、というのは、もっと先に最高のレベル、心身を使い切ったところでの限界です。そこでの問題を解決して次元をアップするというところなのです。くれぐれも学校のテストと実社会の問題を混同するようなことはしないでほしいのです。

 

○効率と優先度

 

 効率化というのは、日本人の得意とするところです。元より、加工業で発展した国、基礎部分より応用のうまかった民族です。

 声の効率化の一つは共鳴です。私は「共鳴の専門家は声楽家」と言ってきました。が、民謡や声明、詩吟、長唄と、およそ節といわれるものを扱う専門家は、共鳴を第一にしています。

 元より、芯と共鳴も、発声と共鳴もどこで分けるかというとイメージでしかない。ことばのなかで母音は、共鳴の中に含まれるものです。ハミングや一部の子音もそうです。となると、呼吸の吐気と声のところに音が成り立っているかでわかります。ささやき声、ため息、くしゃみ、生理音は分けておきます。

 要は効率なのです。最少で最大の効果を上げるということです。バッテリーなら最小にして、軽いのにすぐ充電できて高出力、長時間もつということでしょう。安く早く大量に生産できるとしたら生産効果率大、簡単に安く長く使えるならコストパフォーマンスがよいのです。期間、楽さ、パワー、持続時間、どれを優先するかでも変わります。

 

○日本のヴォイトレ

 

 日本で最も変わってきたのは、芸とは10年どころか一生かかるものであったのに、それを早く一定の水準までを目標にし出したところです。そこでプロといえるようになったこともあるでしょう。有名大学に入ればOK、有名企業に入ればOK、アナウンサーはTV局に入れば、すぐになれる。年齢優先の日本においては、「早く」が元より大きな価値です。ですから形から入り、そのまま応用で現場に行くのです。

 もう一つは、見えることに囚われることです。すぐに高い声、3オクターブ、カラオケで○○点とれる、など。歌では、声域や高い音に届くという、声楽ならともかくポップスなら無用の価値観がはこびりました。(ポップスはkeyが自由なのですから、自分で移行したり編曲すればよいのです)声域もそれなりにあった方がよいとしても1オクターブそこそこくらいで充分、まるでクラシック(他人の作品を、その時代のものとして、そのまま歌う)です。

 かつて、声の大きい人が歌手や役者、アナウンサーの条件だったのですが、その後は、あまり声量や共鳴に問われず、他の事の方がテクニカルにノウハウが高まったこともあります。☆

 

○声の音色

 

 声の音色は、その人の生まれつきのものとしてタッチしなかったのも大きいと思います。発音(ことばの読み)、音程(音高も)、リズム、この3つが歌の基本要素ですが、昔はプロのなるレベルでは、アイドルを除いては、音色の魅力であったのです。

 一方で、ヴォイトレは、ポップスでは、メロディが覚えられない、楽譜が読めない困った歌手やアイドルの即興にピアノ伴奏のうまい作曲家が教えていたわけです。未だ、ヴォイトレの条件は、そのあたりがわからない人の補助のままにきているのですが…。

 ここまで、声を変えるとか、共鳴と芯のこととかを述べてきました。それは即ち、音色ということになるわけです。ヴォイトレは、音色においてのトレーニングなのです。しかし、音色は、声色、声質など、いろいろと言い替えられますが、実に捉えにくいのです。私は、100以上の音色を声のマップとして発表してきました。参考にしてください。

 

○共鳴の効果

 

ここから、再び、音色の加工法として共鳴に戻して追及していきます。声を×2、×4、×8、×16、別に2乗でなくてもよいのですが、倍々に響かせるには、邪魔しないことです。発声した時点で共鳴は生じていますから、呼吸量=1で1の声と限定します。長く響かせるのには呼気で長くするのですが、そこで関わってくる要素は、声量=声の強さ、声域=声の高さ、発音、長さ=ビブラート、これは歌唱での長く伸ばすときの音の効果的な動きとなります。

 シンギングフォルマントということで、音色から共鳴を調整してオーケストラを抜けていく倍音成分の構成をつくるのは、オペラ歌手の必修です。テクニカルなようにみえて、ビブラートに似て、正しく、あるいは深くできていくと、しぜんとあるところまではよくなっていくのです。その前にもっともよくできる発音で、もっともよく出る音の高さで伸ばしてみることが共鳴の第一歩です。ハミングなどを使います。

 

○待つ

 

 大切なことは、共鳴をさせるのではなく、共鳴しているのを使って発声をしっかりと支える呼吸を育てることです。芯を確保して、体-息―声を一本化させること、そのズレをなくすことです。☆

 共鳴について、あててはいけない、当たるのを待つ、共鳴させるのでなく、共鳴するように、述べてきました。

 結果として、よしとすることを、先に結果をもってきてそのように固めるのは却ってよくなくなります。(ジラーレなど発声の技法などのデメリットについても同じです)☆

 天性のヴォーカリストが歌っているなかで伸ばしてきたのは、効率・効果よりもパワー・器であったはずです。器が小→大へ、元より大きかった人もいますが。それが器の限界によって効率化、つまり技術でカバーしようとしたときに、器が固定され、どちらかというと、そこから小さくなるのです。

 つまり、100パーセントの出力ではうまくいくわけがないから、70パーセントで同じ出力のようにみせる、それが技術でもあるのです。そのうち、歌が声に頼らないでステージパフォーマンス力でみせていく方へ行くのが、多くのパターンです。つまりは、シンガーからエンターテイナーに、です。

 一流の歌とカラオケやディズニーランドの歌との区別のつかない人、アートよりエンターテイナーとして歌を取り入れてきた人、また、そういうのを期待するお客がファン層なら、この移行は早くなります。

 

○音響や技術に頼らない

 

 音響は使いようによっては、歌い手の実力、特にパワーを損ねます。技術任せのところがあります。本来は、さらにパワーアップさせるものなのに、パワーダウンさせてしまうのです。パワーダウンしてももつように、カバーの手法として使われるようになってからは、なおさらです。☆

 マイクのリヴァーブ、アレンジや伴奏、ヴィジュアルなどの演出要素、装置なども補助であったのに、メインになりつつあるのは同じようにみてよいでしょう。

 私は、ヴォイトレでの声はアカペラ、マイクなしで問うことにしています。歌もそこをベースにしています。ヴォイトレですから。エレキの力で身体の延長というならともかく、最初から身体を離れて拡大させたら本人もわからなくなってしまうでしょう。となれば、発声技術も同じリスクをもっているとみるべきなのに、なぜそこに気づかないのでしょう。

 

○つくらない

 

 なぜ、声楽○○年の人の歌がポップスの若い歌手に負けてしまうのでしょうか。これは分野や価値観、好みではありません。多くの場合、声や歌をつくりすぎているからです。その人の声のようでいて、その人のものでないからです。それでよいと思っているからです。本人が歌に負け、歌を超えられないのです。オリジナルの声がメインになれば、歌い手の実力差はなくなっていきます。個体の違いになるからです。

 

○不調時のための技術

 

 結論としては、技術は、不調のときにその場を凌ぐのに使うものと考えるべきです。☆

 その点では、私の述べている調整のヴォイトレにあたります。不調時にプロとしてみせるためには、1.体力、ステージに立てることです。2.声力、器、大きいこと、鍛えて底上げしておくのにヴォイトレがあると述べています。3.技術、と私の手順は、不調時といえどもこの順番です。

 すごく客のレベルの高いところでは1だけでは通じないのです。体力があっても声力、歌力がなければキャンセルです。日本の観客は、聴きに来るよりも会いに来る人が多いので、特別に甘いともいえるのです。

 

○遅く深く

 

 器が大→小、これを効率を高くしてもたせる、これが、技術を学ぶことの意味ですが、私の優先順では最後です。効率化で早くうまくなるというのは、本当の芸が遅く深くあるのと反対だと、何回も論じてきました。

 早くということが、レベルが高く深くなる条件として、早熟であることという例はよくあります。芸能の世界でアーティストは、幼い頃から始めていることが多いのです。そのメリットは、膨大な無駄、無理ができて鍛えられること、多様性がもてることと思います。

 声は時間がかかるものです。歌やせりふは一日で変わっても、声は一日で変わりません。体だからです。しかも、声変わりという難問があります。

 

○早熟の限界

 

 早熟であっても、器は(大)→小→大、としていくことです。これは、大人の体になって、以前の声が合わずに小さくなったというのを元に戻すのでなく、さらに大きくする方向にすることなのですが、多くは忘れられているのです。

 早熟なヴォーカリストの例では、若い時の(大)は、基礎も技術もあったのではなく、感覚で体が一致していた、長いビギナーズラックだと見た方がよいのです。ですから(大)と()に入れ、小になったのでなく、その一致でしか(大)でなかったのが小に戻った、そのために、ほとんどの人は、二十歳過ぎたらただの人状態になるのです。

 変な例えですが、それではオペラやミュージカルの主役級のオーディションを通るのは難しいということです。これも、よい例ではありませんが。

 ともかく、表面的なもの、理論、説明やちょっとした実験、小手先のマジックに気を取られるのでなく、本質がよみとれるのかが、全てなのです。そこを学ぶべきなのに、あたふたバタバタと、声を、そのキャリアを蓄積するのでなく、疲れては休むことだけで、ただ浪費していませんか。

 

○出口からみる

 

 共鳴-発声―声の芯と捉えるのはシンプルでよいと思います。☆

 歌からチェックしてみるのは出口、目的からの見方です。これは今の私には必要です。

 歌からしかみないトレーナーと体からしかみないトレーナーについて、以前に対比しました。そこに到達レベルを合わせるのでなく、そこがらくらくとこなせるところへ、その条件において、必要なものを身につけて基礎とするのです。

 ある音に届かせる目的の人と、その音で表現する人では、伸びしろが違います。あるいは、オーディションにギリギリで通ろうとする人と、そこの主役を目指し生涯トップで活躍しようと思う人では、毎日のトレーニングが違ってくるでしょう。イメージ一つ、考え方が大切という例えです。

 で、歌からチェックすると、歌が雑になるので、完全なロングトーン、完全なレガートを第一の目的の結果とします。もっともよい高さ、大きさ、長さで音色をベストに伸ばすと、呼吸とビブラートの力がみえます。歌でも原曲無視で、テンポとキィはもっともよいところで、できたら低くゆっくり目で、声を養うつもりでくり返すようにしましょう。

 

○基本フレーズでのメニュづくり

 

 歌唱のフレーズでの基礎は、メロディのついたフレーズ(4小節)ですが、発声ならロングトーンでよいと思います。(「メロディ処理」は、拙書参照のこと)これで歌と声の基礎力もわかります。これをパーフェクトにしていくことを目的というよりは、プロセスで踏んで欲しいと思います。すると体―呼吸の大切さも必要なこともトレーニングも、その意味もわかってきます。歌や発声でなく、それで歌や発声のための呼吸、体を身につけるのです。

 具体的にというなら、

A. もっとも出しやすい音高

B. もっとも出しやすい声量

C. もっとも出しやすい母音(子音をつけた方がよいことが多いので、子音+母音でよい)

D.もっとも出しやすい長さ

ロングトーンですから、長さを5秒、10秒、15秒と変えましょう。

 「アー」と多分1音の母音はけっこうやりにくいです。5音くらいをレガートで続ける方が楽です。高いなら「マーマーマーマーマー」低いなら「ガーガーガーガーガー」。各音の結びつきで切れ目が出ないようにしましょう。

 メトロノームに合わせ、各音、2秒(計10秒)、3秒(計15秒)、4秒(計20秒)、としてみます。この辺りは、基本メニュとして他に詳細に説明してあるのを参照してください。

 a高さ、b強さ、c発音、d伸び(長さ)とすると、特にabの掛け合わせで大きく変わります。高くなるとcでも変化は見えやすくなります。長く伸ばすと、もっとわかりやすいでしょう。

 これを徹底していくと10年は課題に悩みません。課題は力をつけるためですから、できなくても悩まなくてよいのです。こなしているうちに、こなせてもこなせなくても力はついていきます。課題をこなすことでなく、力をつけることです。☆

 こんなことさえくり返し述べなくてはいけないほど、指示待ちの人が多いのです。課題からつくらせる、それをつくる力をつけさせるのが、私の方針です。☆

 

○パワーダウンの理由

 

 発声のメニュをこなすのに発声の効率は欠かせません。もっとも、早くできるようにするなら「声を小さく丁寧に」とトレーナーは教えるかもしれません。それでできたとしても、できたのではなく、それは声量のマイナスの上にトータルバランスを変えただけです。

 いちいち一喜一憂して小さいことに囚われず、淡々と、黙々と続けてください。

 ヴォイトレも基礎の力、地力や底力がつけていくのでなく、調整し、テクニカルに解決して行く方向になりました。それが最近はヴォイトレのメインのように思われているように私はみています。そんなヴォイトレばかりだから、パワーダウンして器も小さくなり、声は当然、歌の魅力も失われるのです。

 しかし、日本では、声のないのを固めて、音響の力でプロデュースする人が主流となって、こうした基礎がなおざりにされています。固めてできるなら、それでよいでしょう。くせのついた声は、他の人がまねるとリスクは大きく、得られるものは少なくなるのです。本人はよくとも、その声や歌に憧れる人は少なくなります。日本の今の第一線のプロ歌手が、声としてヴォイトレのよい見本にならないのはもどかしいくらいです。結果として、歌のレベルや歌手の地位を下げていることになるわけです。

 

○ハスキーとシャウト

 

ハスキーな声に憧れて声の状態を悪くしてしまうのはよくある話です。クラシック風を嫌い、ロックに憧れる人なら当然です。特に海外の、です。

 シャウトについての勘違いがそこに拍車をかけます。要は、芯がない、浅い声でのシャウトは、生声ですから、共鳴、効率が悪く喉に負担をかけ、ロスをする。ですから、とても大きな器があるか、そうでなければ、芯のついた声での最小の負担にするコントロールが必要なのです。効率よく声になっていないのを動かすのは、遅かれ早かれ、喉にも声にも限界をつくり、バッテリーを消耗させます。

a.声の芯あり 深い声 シャウト 共鳴あり ハスキーヴォイス リスク小 

b.声の芯なし 浅い声 どなる、がなる 共鳴なし 生声 リスク大

 それゆえ、海外のロックのシャウトは、オペラ歌手との共演も可能とし、オペラの曲さえこなせるのです。(マイクを使ってですが)純粋な共鳴の声量では、オペラ歌手にかないませんが、感情表現や声のコントロール、伝える力では負けていないのです。

 日本語では浅くなりがちですから、声の芯を捉えておく(このケースでは、声のポジションと言う方がわかりやすいでしょう)、そこで深い日本語に深い声でする、芯を得てから動かす点では、これまでの自論で述べた通りです。

 

○一般的な声

 

 日本人に声の芯が全くないのではありません。ただ、幅が狭く、それを応用できないのです。会話では、声を高めに浅く出して、息をあまり使わないからです。

 歌唱で共鳴(頭声)だけにするタイプ(b1)と別に、ハスキーあるいは息の声でつくるタイプ(b2)は、スタイルとしては全く別のようにみえます。しかし、芯がない、胸声や呼吸の支えに欠ける点ではよく似ています。

 女性では裏声だけで歌い、話す人もいますから、前者(b1)は女性ではよくないとはいえません。むしろ、日本では一般的です。女声コーラスなどにもみられます。透明なきれいな声でもあります。個性や感情表現に向いていませんが、ヴォイトレでも、その声で比較的よく行われています。目標とするレベルも、そこへのプロセスもわかりやすいからです。どちらかというと、個性のない声で、ミュージカル俳優の歌声、ハモネプ、合唱団、唱歌の類です。あくまで声だけのことで、皆、似てきます。むしろ、ルックス、表情、演技での個性をファンは評価するのです。日本らしいところです。

 私が初期にアンチテーゼの対象としていた、このあたりの見方については、たくさん述べてきたので、そちらを参照してください。ここでは、b2の息でつくるタイプについて述べます。

 

○鼻息、ハスキー声の問題

 

 ポップスでは、マイクが使えるのでウィスパーヴォイスでも伝わります。しかし、それは応用として考えた方がよいでしょう。息声、ささやき声は、声にしないために声帯は休まりますが、喉は動くので疲れます。声にしない分、共鳴効果はゼロですから、力が入ったり乾燥したりして痛めることもあります。

 メニュとして、息で読むことを勧めているトレーナーと、それに否定的なトレーナーがいるのは、そういう考え方の違いです。目的が違うのです。そこを理解せず正誤を考えても仕方ありません。

 私の基本ルールは、どのトレーニングにもメリット、デメリットがあるということです。メニュでなく使い方によるということです。どのトレーナーにもよいところも悪いところもある、それを知った上でよいところを活かし、悪いところに囚われないことです。(一時、悪くなってもすぐに気にしないこと、ヴォイトレは必要悪と私は述べています)☆

 で、日本人の最近、といっても、ここ30年くらいのハスキーは、つくり声の場合が多く、この息声のような問題をはらんでいると考えるとわかりやすいでしょう。

 「息を声にする」というのを、これまで発声原理の声の“発生”で述べてきました。普通に「息が声になる」のを意図的に考えると不自然、作為的であるのです。

 共鳴する母音に対して、共鳴しない方の子音、無子音、kstなどです。カ、サ、タではありません。「s―」は息のトレーニング、「z―」となると声のトレーニングです。

 つまり、声になる息はよいのですが、声にしない息はリスクをもちます。前者の息は声の基本ですが後者のは声の応用です。

 簡単に言うなら、ハスキーな歌声は、健康的な声帯なら、ワンクッション加工しているということです。フルスイングのフォームで打つところをハーフスイングでボールに当ててしまった。イチローのように、フォームのなかで微妙なコントロールができるレベルならよいのですが、プロのなかにでもそうはいないでしょう。それをまねるとぎこちなく、中途半端になり、そのふしぜんなフォームは、腕とか腰とか、どこかに部分的な負担をかけて痛めたりするリスクを生じるということです。要は、体の原理に合っていないのです。合わせるには、よほどの基礎がいるということです。

 

○振付と声

 

 声を中心に考えると、声が出やすいように体が動くわけです、それを「芯→共鳴の発声の原理」とします。感情を伝えたいときは、そういう声が出やすいように体が動いているわけです。同時に生じることですが、先に表現のイメージがあって、体と声がそれに従うのです。

 たとえば、「誠に申し訳ありません」と言うと、体は申し訳ない動き、声は申し訳ない響きになります。もっとストレートな感情、例えば、ガーンとぶつかり「痛い!」、鉄板に触り「熱い!」と言うときは、イメージもなく条件反射として声が出るわけです。

 このように、動きと声は結びついています。ヴォーカリストのアクションもそういうものであったはずです。声の延長上に動きがついていったとしたらしぜんになります。その動きを止めると声が出にくくなります。つい先日、TVで「五木ひろしの振り付けをつけると、カラオケの点数が上がる」という裏ワザを放映していました。秋吉久美子さんでした。

 

○演歌

 

 歌手の東海林太郎の直立不動は、極端としても、声楽家がポップス歌手になったとき、発声、歌唱を中心とした最低限の振りだったのです。今の秋川雅史氏よりずっと少なかったです。

 それが歌詞の内容をも伝えようと演出が入ってきて、さらに、決めポーズなど見せが出てきます。歌唱に影響のない範囲で許されていたのものが、少しずつ切り離され、振付の専門家がつくようになります。

 例えば、その人がライブで歌うようにしてレコーディングしているかと考えると、声と結びついた動きがどうかはわかります。声優さんが動きながら吹き込みしないのと同じく、美空ひばりさんとても録音の時に振付はしなかったはずです。ですから、そういう振りは見せかけです。もちろん、録音の条件として動くとぶれたり、他の音が入るという制約もあります。

 五木さんはどうなのでしょう。あのポーズでレコーディングはないでしょう。直立不動でもないはずです。

 

○ダンスと声

 

 歌がエンターテインメント化してヴィジュアル化されたというのは、シンプルにはTVですが、PV(プロモーションビデオ)でのマイケル・ジャクソンが徹底させたということでわかると思います。日本でもダンスミュージック、いや、ダンスをしながらの歌のステージが当たり前になってきました。

 振付師はマイクを持つ手のことは考えますが、あとは音楽と体とコラボさせているのでしょう。歌のリズムや一部サビなどの構成とリンクはしますが、発声や共鳴などまでは考慮していないと思われます。ハードな踊りになると、歌は口パクで音源のを流すわけです。ダンスパフォーマンスでみせるステージングは、なおさら、個人としての声の重要性がわかりにくくなります。

 それなら、喉に支障ありませんが、ハードな振付と歌うことは両立はしがたいのです。呼吸が乱れるからです。大体は、どの分野も、声は映像に合わせ後から入れるというのが主流になっています。

 本格的な歌い手ほど、声やことばを重視して最低限の動きでパフォーマンスを押さえることになります。これもバランスをどこに置くか、個性、売りによって違うのです。

 ヴォイトレからは声を中心、共鳴中心、喉の負担最小を基本とします。すると、声量を出さないでリスクを避けるとなり、それをことばでカバーする。となると、ことばも歌えて共鳴できるところ、楽器的な処理ができるレベルならよいのですが、大体は、このプロセス全体がロスになります。

 

○朗読、MCと声

 

 よく、初心者に、「声は出さいとだめだが、話をしすぎてもいけない」「ことばでなくハミングや共鳴の発声練習をしなさい」と言うのも、話が声をロスするからです。

 普通の人が話で声を鍛えること、コントロールすることはかなり難しいのです。しかも、相手がいるとふしぜんになりかねず、心身に余計な妨げが入るのでよくないことが多いのです。

 といっても、全く声を出さない生活をするよりはずっとましです。

 声のためには、例えば、歌ったあとの朗読はよいですが、逆は難しくなります。特にMCでのシャウトなどは、盛り上げるためとはいえ、声にはロスです。コンサートの後の握手会の会話、もっとも声を休ませる必要のあるときに非情です。

 本来なら、昔のようにMC役を専門につけ、歌手は歌に専念したいものです。それがMCでステージが判断されてしまう、しかも、歌の間内容の補充としてのMCでなく、世間話や楽屋話のMC、という日本のステージはかなりおかしいのです。MCの間が歌に入る、さだまさし型ばかりなのです。彼は元より噺家志願のヴァイオリニストでしたから。

 

○よい表情の笑顔で歌うのか

 

 ついでに、表情づくり、これも、声の発声、共鳴とリンクします。感情表現では表情も変わり、それに合った声も出ます。ここは応用です。それと発声、共鳴の基本は違います。

 歌は笑顔で歌うと教えられてきた人は、そのメリット、デメリットを知っておくとよいでしょう。口角が上がり明るく響く声が出る、歌も笑顔もポジティブ、前に人に働きかけるよい印象を与えるレベルでは一致します。

 ですから、表情筋のトレーニングを体の柔軟運動のようにするのはメリットの一つです。必修ではなく、あまり動かない、表情の硬い人のメニュということです。私の本のメニュにも、一般の人用に入れています。アイドルでもなければ、歌手は常に笑顔で歌っているわけではありませんね。つくった表情はあまり発声の理想と結びついていないことも多いのです。

 

○表情の振付

 

 笑顔は、表情の振付ともいえます。メイキャップとも似ています。歌唱力+ダンスでなく、ダンスで歌唱力を補うのと同じく、表情で歌唱力を補うようになってしまっているのです。

 私のヴォイトレは、無表情で行ないます。応用は魅力的な表情ですが、ベースは自由度の高いポーカーフェイスのはずです。

 基本だから表情がおかしくても、声が出やすいことを優先します。人によって、プロセスによって、メニュによってはポカーンと口を開けて言ったり、脱力したアホな顔などの方がよいときもあります。

 こういうベースラインをつくるという考えを母音でも例えてみます。声からみて、応用とは、ア、エ、イ、オ、ウを明瞭に区別する発音とすることですが、基本はもっともよい発声に全ての母音を揃えていくこと、つまり、発音は不明瞭になってもよいとするのです。

 

○遠回りをする

 

 長期的にみて、本当の基本づくりをしているトレーナーを、そうでないトレーナーが否定するのは簡単です。トレーニングをしたら 

1. 発音が悪くなった。

2.高いところが出にくくなった。

 音程、リズムが悪くなった、のりがなくなった、暗くつまらなくなった、カラオケの点数が下がった、裏声ファルセットが…、その切り替えが…、声量が…、何とでも言えます。でも、声そのものをトレーニングしているときに、それ以外のことも同時に必ずしもキープできるとは限りません。むしろ総合的バランスをとろうとする限り、大きく変えようがないのです。

 ですから、多くのトレーナーは、ここでよくなくなったということがないように考えてやらざるをえません。それぞれ少しずつよくする、応用で応用力をつけようとしているのですが、それは、歌を歌うことで直そうとしていることと同じなのです。

 歌っていない人は、歌ったら慣れた分よくなり、慣れた分、限界がきます。そのまま無理したり、そのくせを少しとっても12割よくなって頭うち、早くよくなってそこで伸び悩むと、述べたとおりです。

 

○歌でなく声でみる

 

レッスンにいらっしゃる人には、次のことを尋ねます。

 急ぐのか、時間をかけるのか、元に戻すのか、さらに上に行くのか。その上で、本格的にか、趣味か、など。ミュージカル 声楽(オペラ)との関連もつけます。

 歌い切った人は、その限界からスタートですから、却って開き直してゼロからできます。ですから、あまりやっていない人は早くやって壁にぶつかってから来ていただくか、そういう無駄をせずにここにきて基本から取り組むとよいのです。

 声をよくするのがヴォイトレ、それは歌をよくするのでなく、結果、よくなるのです。それをハイレベルにしたければこそ、トータルの歌って歌をうまくするところから部分に絞り込むのです。

 試合だけでうまくならないから各要素の強化練習があるのです。しかも、その人によって優先すべきことや重点とすることがあるのでしょう。それを声、体―呼吸―共鳴に求めているときに、なぜ、他のことを介入させ、複雑にして、どれも中途半端にするのでしょうか。それは、表面に見えることだけのよし悪しで判断して本質的なことを捉えていないからです。

 わざわざヴォイトレをするなら、歌っていればうまくなるはずの歌でうまくいかないからこそ、ヴォイトレという必要悪に取り組むなら、本当に必要なものを手に入れてから、他の要素を再び整えられたらよいのです。

 声が変われば歌どころか、発音もリズム、音感、メロディのこなし方も感覚が違います。マイクを使うことを、第二の声帯と言う人もいますが、それ以上の変化を第一の声帯に起こすのです。(正しくは、声帯は変わるもので、楽器として身体ということになります)

 

○再現性とタフな声

 

 くり返して同じにできること、私は1日に12時間以上の個人レッスンを教えていて、自分がレッスンに通った時よりも声が鍛えられたと思いました。まさに、日常が声を出す毎日でした。そのときにわかったことがあります。よい声と、強い声、タフな声、ハードに仕事に使える声は違うということです。もしかすると、日本では、よい声が歌声、タフな声が仕事の声という仕分けなのかもしれません。

 そのときから今に至るまで、私が使っているのはタフな声です。ヴォイトレのトレーナーですから、それが声の見本と思われる人もいます。出来上がってしまっているので、私としては、そのなかに働くシステム、つながり、系を感じて欲しい、そこは同じなのですが、出してくる声は応用されてしまっているので、TPOで違ってしまってもいるのです。

 

○オペラの声

 

 オペラ歌手には、それを地で出していて、いつもオペラの姿勢でいる人もいます。発声のトレーナーにもいます。欧米では、その姿勢、発声は、日常ベースですが、日本では日本語の発声ポイントが違うので違和感をもつ人もいます。

 声が立派すぎるのです。つまり、響き、大きく鳴るイメージです。私は、謙虚でシャイな日本人のまま、日本では生活したいので、やや猫背に、普通の人の域に浅くしていますが、それでも人よりは響いてしまいます。いわゆる役者のベース、声がよいといわれる人の要素が入ってしまうのですね。

 アンアンのアンケートでは、今のよい声の代表は木村祐一さん、少し行きすぎると麒麟の川嶋さんの声です。

 オペラ歌手や邦楽の歌のポジションもとれます。深くを浅く、胸声を頭声、ときに鼻に、共鳴のバランスを変化させたらまねられるのです。深いポジションを喉声とか、押しつけたと捉える人が日本には多いのですが、それはイメージでまねてみてできていないものを無理にそういう深さにしようと、自ら押しつけるから、そういう感じになるのです。その人をまねたり感じるのが喉声ですが、私や深い声の役者、オペラ歌手は全く違うのです。ちなみに、基本がなければ、その声を8時間、いや、23時間も使ったら声がおかしくなり喉がもたなくなるでしょう。私たちは、一切変わりません。腹筋などの支えが疲れるのですが、それこそ「喉でつくってない」ということです。

 

○固めるな

 

 再現性の判断で、もっとも間違いやすいのは、深ければ何回も同じようにくり返せるということが、逆に何回もくり返せたら正しいと思われることです。例えば、声量をミニマムにしたら30分、もたない発声でも、何時間ももたせることができます。同じ声でということを意識すること自体、基本に基づいた声となるよりも、固めてつくった声になりやすいのです。わかりやすいのは、声量のある声、通る声で、ずっと何時間も通せるかということでみるとよいでしょう。

 私が歌声ということばを使うときは安定するために固めすぎているという、よくない意味のことが多いのです。先に述べた、クッションを入れて、息声でせりふを読むのに似ています。

 確実性をとると、コントロールもされている出し方ができるのですが、一体ではないのです。体や呼吸とともに育っていく声、可能性のある声でなく、限界を設けてその手前で切り取った声なのです。極端に高い声とかハイトーンで3オクターブ以上の声がすぐ出るなどというヴォイトレは、これを狙ったものです。多くのトレーナーや本人は、そのような声が正しい発声で解放した声だと思っています。もちろん、それまで、もっと喉で固めた生声を出している人は喉を解放し、共鳴に固めたのですから、解放感はあります。共鳴を固めるは、焦点の絞り込みということでは、一時、ヴォイトレの目的になるのでややこしいのです。

 カラオケなどなら明らかに上達したようにみえるからです。そこからのアプローチが有利な人もいるので、さらに応用のようなファルセットや裏声からの入門も私は否定していません。しかし、そこが目的であると、響くだけの声を響きを抑えた声にしただけで、特にことばやリズム、強弱、つまりメリハリの方で限界になるのです。いわば、表現力の支え、本人の個性のよりどころを失っているのです。

 

○くせについて

 

 固める―解放する

 喉―共鳴、頭声

 歌声のくせ声も、話声のくせ声も、どちらもくせというのは、部分的に固めてそこでの処理はできる、しやすくなることもありますが、自由度、応用度を失うということ、つまり、限界がみえる、切り取りなのです。

 歌はそういうものだ、その時点でまとめて作品にするものだ、という考え方もあります。作詞作曲とのコラボですから、別に音色や偏りが個性、魅力となっても売れることもあり、売れるなら人の心を捉えているともいえるのです。

 しかし、本当に再現性のきく発声こそが基礎であるのです。そこで再現しやすい歌声という固め方を学ぶ、その技術がヴォイトレと思われているとしたら残念なことです。日本のプロではそのタイプが大半です。  

 日本は日本語の問題があるので、しぜんな話し言葉と歌がリズムも含めて異なるため、あえて、固めてつくって、その範囲で動かす方が安定し、心地よくもなります。

 そのセンスに秀でていることで、桑田圭祐さんなどは評価されると思うのです。彼の日本語はそういう固めたなかでの音楽的日本語です。(だから見本として、お勧めしてはいません)私の述べてきた、目指すべき音楽的日本語とは異なるのですが、口内での音楽的日本語、音楽的発声です。ここで音楽的というのは、音声としてのことばより音楽を優先させたということです。歌と切り離して声だけでみなくてはわけがわからなくなるので、声、ヴォイトレを区切っているのです。

 

○一体化した声

 

 私は「体が動いたら声になっている」のを理想としてきました。そこには呼吸―発声がありますが、呼吸法、発声法は、身体化されてみえません。器が大きいからミニマムでマックスが出るしコントロールも自在なのです。それが歌までいくと、話して語る、つぶやくように歌える一流歌手になれるでしょう。

 日本で語るように歌う人は、必ずしもこの体―声の上に乗って一体化していません。もしそうなら、叫んでも、誰よりも声を届かせられるでしょう。大体は、声域確保、共鳴(それも頭声だけの)オンリーでこなしているのです。ただ自分の感性とそれに合わせた曲づくりの才能で一流なのです。

 ハスキーヴォイスも、日本のケースでは、一体でないから、お勧めしていないのです。応用でみせるものが基礎のなさで出てしまっている、そういうややこしい判断です。

 そこで、私のいつも述べている、体→表現と表現→体の行ったり来たりの流れを再び確認して欲しいのです。元より、一体のものをトレーニングをするのに区切ったものです。そこでうまくいかないことに頑張って固めて狭くするのでなく、うまくいっていることを最大限に伸ばして解放し、広くする、そういうふうに方向をとって欲しいのです。

«「作品と仕組み」 No.303

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