ご案内

私は10数名のヴォイストレーナーとともに、ヴォイストレーナーにも指導しているため、内外のヴォイストレーナーのアドバイザーやヴォイトレをしている人のセカンドオピニオンもたくさんやってきました。ヴォイストレーナー、指導者、専門家以外にも「ヴォイストレーナーの選び方」などに関する質問が多くなりました。以下を参考にしてください。

「ヴォイストレーナーの選び方要項」 http://www.bvt.co.jp/new/voicetrainer/

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「1.ヴォイストレーナーの選び方」

「2.ヴォイトレの論点」

No.332

名人の境

脈々と

諸々と

貪欲に

身を捨て

心掛け

忘我

肩の力を抜く

面目

自得

千変万化

仁をみての法

性格適性

師子相承

「他見不許」

秘伝の声

贔屓する

極致

下地

心をみ澄ます

流動的に

素質、努力、師

分身

恩を返す

自分の声、見解

流儀を超える

出会う

創造

共感

 

No.332

<レクチャーメモ(ITビジネス)>

 

商品 仕入れ 売り

価値 生産 消費

場所の移動がネット

情報の価値と時間

ユーザー(情報)を集める

多くの人に来てもらうため、マッチングする

フリーミアム(フリー+プレミアム)

交換、収集、育成、対戦(ゲーム)

ゼロ×無限大のクラウドソーシング

最適化センサー(測定)ビックデータ

散在情報を集約する

確率論でのアプローチ、100のうち12当たればよい

ブログとトラックバック(引用)コメント

CGM「食べログ」

SNS My SpaceからFacebook

Twitter RT

キュレーション

 

<レッスンメモ>

 

ひびく声がよい声か

楽で楽しい声がよいのか

いろんな声が出せるほどよいのか

専門家であるとかないとかのことか

 

ヴォイトレの論点目次(本文の題と一部変更あり)

ここには、福島英が、最近のQに対して、自分の考えを述べていますが、1つの問いから本質的に深めて説いていますので、一般向きでない回答もあります。福島の持論もあります。わからないときは、気にとめず、またいつか読み直してみてください。

 

1.声優無用論(宮崎駿監督の声優は使わない発言やホリエモンの「声優ってスキルいるの?」について) [1309]

 

2.音高の喉への影響について [1309]

 

3.理論に基づくトレーニング(発声の原理について、解剖学や生理学に基づいてトレーニングしたい) [1310]

 

4.あえて”反科学”の勧め(発声に関して科学的なトレーニングの是非について) [1310]

 

5.ヴォイトレにおけるシャウトの位置づけ(シャウトについて練習やメニュ) [1311]

 

6.鼻にひびかせること(副鼻腔共鳴) [1312]

 

7.成り立つということ [1401]

 

8.ヴォイトレ二極論(1)(「状態の調整と条件づくり」) [1402]

 

9.ヴォイトレ二極論(2)(メンタルとフィジカルの要素) [1403]

 

10.ヴォイストレーニングは何を信じてやればよいのか [1404]

 

11.ヴォイストレーニングの統一化について [1405]

 

12.ヴォイトレで独り立ちするには [1406]

 

13.トレーナーによる方法やメニュの違いについて [1505]

 

14.バランス調整と実力アップ(発声での筋トレ不要論について) [1506]

 

15.考える技術と感じるアート[1604]

 

16.鍛える[1605,1606]

 

17.まねで教えること[1607]

 

 

18.声の強さ、耐性について[1704]

 

19.「AIとこれからの声」へナレーション、声優、歌手、ヴォイストレーナーの職のソフトウェア化[1705] 

 

19-2.歌うことのソフトウェア[1706]

 

20.心身の使い方のミスと人間発声学(対処から統合へ)[1707]

 

21.ことばの壁[1803]

 

22.「ウーロン茶は喉に悪いについて」[1812]

 

23.「日本人と声とその行方~2018年、音楽業界から平成の総括とその先を読む」[1901]

 

24.「マイクと歌唱の振りについて」<「チコちゃんに叱られる!」(2018.12.21放映、年末拡大版)への疑問>[1902]

 

 

 

 

 

Vol.73

○アナウンサーの声が見本なの?

 

 日本のアナウンサーの声は、NHKの放送における統一基準としての価値観の表われであっても、よい声の見本とは思えません。言葉をはっきり正しく伝えることに神経を使っている点で、確かに一つの基準ではあるでしょう。報道という公の場での伝達術として日本語の発音、アクセント、イントネーション、用語における標準といえます。

 しかし、自然な声とは思えないし、まして魅力的な話し声ではないからです。

 私が魅力的というのは、個性、人柄が出ており、自由であることが前提です。そういうことなら、ラジオの深夜放送のパーソナリティの方が、ふさわしいでしょう。でも、そこでは自由すぎて基準がありません。いや、語り口としてのいい加減さがよいのですから、そう考える方が変でしょう。

 

○日本の音声言語の見本

 

 声にうるさいフランスなどでは、国立劇場の役者が、音声言語の見本です。言葉を伝えることをプロとして鍛えられた役者が代表というのは、そう間違っているわけではないでしょう。

 日本では、かつては弁論部などが説得する声としての見本でした。でも、今や時代がかりすぎて、使えません。

 応援団の声は、使いすぎて、つぶれています。他の国では、声やスピーチの模範となる政治家も、日本人で思い浮かべてみると、かなり無理がありますね。つまり、日本では音声言語の模範は確立されてこなかったといえましょう。(特に西欧文化の翻訳輸入のときに漢語での表記にのみこだわり、音に関心を払わなかったため、同音異義語が多くなり、音声で伝える際の混乱の一因となってしまいました。)

 

○日本人の声のなさが役者声、歌声をつくった

 

 私は、普段の声の延長上に役者のせりふも歌手の歌もあると思っていますが、西欧から輸入するときに、日本人は声域、声量とも、全く足りなかったのだと思います。それは、日常レベルでの声の鍛えられ方や耳での聴きとる能力、両面において、大きな差があったからです。その結果、まずそれを形として満たす方法がつくられ、それに合わせた教育がトップダウンなされてきたのが日本ではないでしょうか。私は、特に歌に関しては、声楽の規範で平均律かつ原調で同じように歌うところから入ったことが正しかったとは、思えないのです。

 

○誰の声かで、ものごとは決まる

 

 営業マニュアルには、ドミソの「ソ」の音で話しましょうなどがありました。実際には、かなりテンパった高い音です。暗くこもりがちな日本語としては、高くすることで、わかりやすくインパクトがありました。営業などでは、声が高く明るく大きな人がイメージがよいのは、確かでしょう。

 日本では、高い声の方が好感がもたれていました。また、声の大きな人か英語のうまい人がリーダーになるようなところが、けっこうあります。誰の声かでものごとが決まってきたのです。

 かつて、女性アナウンサーなどの声が低く太かったら、威張っているなどという批判がきたとも聞きます。確かに人間の身分関係として、座する位置の上下、左右などとともに声も低い高いによる序列はあると思います。本来は太く低い声の人が、決定権のある人ともいえるのです。しかし、そういう人が、必ずしも人心を捉えられるとは限らないでしょう。

 

○音声表現力のいらない日本

 

 音声表現力が重視されていない日本では、声を大きく張り上げる人は結局、傍流かあて馬で偉くはなれないというジンクスもあったように思われます。男たるもの、寡黙で腹で人を動かせることが評価されてきました。“男は黙ってサッポロビール”だったのです。

 日本人の声に対する感性は、西欧のように力強さ、表現、議論に耐えるもの(論理的)でなく、やさしさ、丁寧さ、明瞭さにありました。それは強く出るのでなく、一歩も二歩も引くのをよしとする文化だからでしょう。

 

○日本人の“声の敬語”

 

 日本人が高めに声をとるのを好むのを、私は「声の敬語」といっています。つまり、高い声によって謙譲してみせるのです。これは、他国でもみられますが、日本では特に顕著です。日本語は母音中心で、音高によって、言葉が動くからでしょう。それに対し、外国語は子音中心で、強弱リズムで動くため、身分差をつくらなかったというのは、私の仮説です。敬語の存在も大きな要因でしょう。

 

○メンタル力と声

 

 声と能力との関係は定かではありませんが、人前に出る機会の多い人は、おのずと声での表現力を高めていくでしょう。声もまた、人間関係を通じて磨かれていくからです。

 一昔前の日本人は、人前で話すのがとても苦手でした。スピーチをする場でも、必ず原稿を読み上げていました。これは、話に即興や機敏に対応するトレーニングを経てきていないからです。

 今は、カラオケなどで度胸がついてきたせいか、マイクを持ってもあがらずに、それなりにアドリブでうまく話せる人は増えてきたように思います。しかし、話し方の講座なども、相変わらず盛んなようです。

 

○声には知性があらわれる

 

 若い人では、とても流暢に話す人と、まったく話せない人の、両極のようです。心配なのは、個性化が叫ばれている割には、皆、同じようなことをいい加減、適当にしゃべっているような気がすることです。

 日本人の話し方の特長の「とか」、尻上がり調などは、自分の主張として責任とリスクを持とうとしていないことの表われの一つです。さらに、言葉の使い方からしゃべり方まで、幼稚化しているところもあります。精神的な未熟さもありますが、TVの悪い影響のようにも思われます。

 

○欧米との教育と耳の差

 

 日本の国語教育は、文章の解釈や読み書き中心でなされ、音声表現力を疎かにしてきたといえます。確かに日本語は、言葉(口語)で伝えるとあいまいなため、文章にすることが重視されてきました。発音は簡単なので、漢字の書き取りなどに時間をとられました。日本の英語教育も同じで、ヒアリングや会話力よりも翻訳力、単語・熟語の暗記力の方が優先されてきました。日常生活においても、音声で表現する重要性は、さほどなかったのですから、当然のことでしょう。

欧米では、言葉を扱えなければ、子供扱いされます。幼い頃からスピーチ、ディスカッション、ディベートなどを通じ、自己主張の能力を教育で鍛えあげています。それが、結果として、一般の人はもちろん、歌い手や役者の音声力の差にもなっているように思います。

 

○客は声に涙する

 

 ブロードウエイのミュージカルで、私はただ一つの声が聞こえてくるだけで涙したことが何度もあります。それらの声が合わさると、さらに心が高ぶります。オペラなどでも、何度かそういう経験をしました。プラシド・ドミンゴの「トスカ」などは、ビデオでみられます。マドンナ主演の「エビータ」などもよいでしょう。是非、見て、聞いて、味わってください。

 映画や演劇、アニメでも、演じられている場面、ストーリーのなかで、声の表現そのものに心打たれることは少なくありません。確かにドラマの筋やせりふにも泣けるのです。しかし、小説や漫画では、感動はしても、そういうことがあまり起こらないことを考えてみると、やはり声で泣かされていることがわかります。効果をあげる音楽、そこにだめ押しの声という感じがします。

 

○泣きと声

 

 バンドの解散コンサートなども同じです。歌よりも、声が泣かせます。長嶋茂雄さんやアントニオ猪木さんの引退も、そこに彼らのあの声がなければ、あれほど伝わったでしょうか。心に残ったでしょうか。

 美輪明宏のヨイトマケの唄、「母ちゃんのためならエンヤコラ」には、泣きが入ります。藤原寛美の新喜劇、落語の芝浜など、泣かされ笑わされるものに働く声の力、あげていくとキリがありません。

 日常においても、同じでしょう。きっとあなたは、誰かの声に嬉しくて、あるいは悲しくて、泣いてきたはずです。

 

○世界に通じる声

 

 私は、日本では、よく役者と間違えられます。太く柔らかく、体中によくひびく通る声だからでしょう。もともと弱く細い声でしたから、まぎれもなく、これはトレーニングの成果です。

 ただし、残念なことに世界をまわると、欧米に限らず、世界にこういう声はありふれています。ただ日本には、お腹から声の出る人が少ないから、目立つようです。私がみるところ、ますます日本人には、そういう声の人は少なくなっているように思います。

 私のはトレーニングで鍛え上げた声ですが、ときたま、自然とそういう声を使っている人をみます。すると私は、声に惚れ惚れしてしまうのです。たとえば、僧侶、お坊さんです。しかし、少し考えてみてください。これは日本でもっともよい環境下で、理想的なヴォイストレーニングをしたといえるのではないでしょうか。

 

○日本人の好む声

 

 日本の政治家は、かつてはダミ声、塩辛声でした。落語家にも何タイプかありますが、だいたい高い声でなければ、しわがれ声です。それは人の心に働きかけ、人情のきびを伝えるからでしょう。日本人には、浪花節のような、塩辛声が好まれたのでしょう。私も日本で話していると、オペラやミュージカルや宝塚の人の声のようにではなく(それもできますが)、そういう人たちの声に似ていきます。つまり、日本人へ働きかける方向で感性が働くからです。声の良し悪しからいうと、苦しく聞こえる声や、出すのに苦しい声は、決してよいとはいえません。

 

○日本語は声帯を損ねる?

 

 世界のオペラ歌手に著名だった音声医の米山文明先生は、その著書「日本人の声」(主婦と生活社、平凡社文庫)で、日本語は声帯を損ねると言っています。私も、同感です。というのも、私は、それを避けるために日本人の日本語を発するところよりも深いところで発声しているからです。ドイツ人やイタリア人も、同じように深い発声です。

「頭と心と身体」 No.332

今は、メンタルのフィジカルに及ぼす影響で声をコントロールしたり、うまく取り出そうとしているのが多数となりつつあります。しかし、それは処理です。それではカラオケのチャンピオンも超せません。

頭で考え、頭で信じることで動くようになったのを、心と同一視してしまっているようにも思えます。あるいは、心、感情を入れたら全てが通じるという物語で、過剰な演技での表現に慣らされてしまっているのかもしれません。

アスリートのようにフィジカル本位で考えることが大切です。したいこと、好きは、頭で考えるのでしょうが、できることは、体で身につけたことです。そして、できること、身についたことしか本当は通じないし、役に立たないものです。

研究所は、世界への窓ですから、そこにあなたの心の窓を合わせて開けてもらえば、どこへでも行ける―というのが理想です。心の扉ともいえるのですが、メンタルをフィジカルで扱っていくのが、ヴォイトレの正攻法と思っています。

No.331

自然体であれ

あぶく銭とらず

悪いくせをうつさない

焦らず騒がず

たゆまずかぶれず

師匠一生涯

性根をつかむ

無言だんまり

言われずに悟る

うまく例える

「師は釣鐘弟子は橦(しゅ)(もく)

手練して撞()

聞かせどころ

素直にていねいに

褒められるようおもしろくすな

心得

地と詞と節

悟りと節

教訓の書

ルーツ

後々に伝える

元にあたる

性根

ツボ

味わい

精魂

十人十色

格式不要

物知り不要

No.331

<「人は『のど』から老いる『のど』から若返る」の本でのレクチャーメモ> 2019.2.6

 

のどと声

のどはブラックボックス

のどは鍛えられる 筋肉である

飲みこみチェックテスト

赤ん坊、死産かどうか

無呼吸のように飲める 馬と赤ん坊

「プハー」しない 

軟口蓋と喉頭蓋が接す

喉頭下がるー立体交差(しない)

発音、調音サ~ワ(タカラパ)

拳上筋(P105

喉頭筋群の劣化と水分(ドライマウス)

のど仏はぶらさがっている

姿勢、呼吸、発声、表情筋(舌、あご)

食事、睡眠、生活(充実感)

20歳からの老化

年齢とともに男女同じ高さに

誤嚥性肺炎の誤解

スマホ疲れ

声出すのは歩くことと同じ

だえき腺(あご、舌、耳下腺)

音楽療法

芸術療法

リハビリ

自己治癒力

声出しの日常化

のどが強い

1.あご、歯かむ力 のみこむ力 

2.声が大きい 長く使える 

3.声がよい

声帯がふるえての声でない

1曲10cal

社会性

RT視能訓練士(P118

笑いのトレーニング 笑いころげる

アホな顔、しぐさでアホなことをいう

お笑いと芸人

イイダコウジと朝日先生

梅原猛、橋本治の死

 

Vol.72

〇うるさい国、日本

 

 日本人は音に無頓着、日本は口害、それも音声の公害の国といわれているのを、ご存知ですか。

 音に敏感な人には耐えられないことが、この国にはたくさんあります。公共の場、駅のベル、アナウンス、車内放送のうるささなど、です。自販機から家電までしゃべるのですから、親切を通り越して、ありがた迷惑、どこもかしこも騒音だらけなのです。

バイオリニストの中島義道さんの「うるさい日本の私」(新潮文庫)は、そういったことについて書かれたおもしろい本です。

 

〇声の悪いのは、口害。

 

 しかし、声がよくない、伝わりにくいというのは、困ります。これも口害ではないでしょうか。目と違って、見えない、何度も見直せない、出たところから消えていく音声は、当の本人が、もっとも気づきにくいものです。

 自分の話していることがよく聞こえない。それは、相手も不便ですが、やはり巡り巡って損をするのは、本人でしょう。何度も聞き返されるはめになります。

 いえ、外国人のように、きちんと聞き返してくれるなら、まだよいでしょう。日本人は失礼と思って聞き返さず、推測して済ませてしまいがちです。つまり、聞こえたふりをされてしまうのです。これでは、後々トラブルにもなりかねません。

自分の声がよく聞こえていないこと、不快なことを、そうである人ほど気づかず、悪循環となってしまうのです。

 人の口に戸は立てられませんが、せめて声くらいはよくしたいものです。

 

〇察する文化からの変容

 

 かつてのオヤジが家で使う言葉は、「おい、メシ、フロ」の三つだけといわれていました。何もいわずとも、まわりが意をくんで伝わったのが日本人の社会でした。まさに声いらず、察する文化だったのです。

 しかし、一般の社会において、これはもはや例外です。大半は「○○さん、今、戻ってきました。あすは○○時に出ます」「今日は○○が食べたいが、君はどうだ。それでは○○にしよう」とすべてにおいて対話してコミュニケーションをとりあっていなくては、意志は通じないものです。しかも、日本語という言語は敬語や複数の人称、代名詞など、日常で使っている言葉をさらに変化させる必要があり、複雑です。

 国際的にみると、どこでも、自分自身の考え、意志、意見をはっきりともち、常にそれを口頭で表現していかなくては、うまく生きていけないのが社会というものです。黙っていたら、無視されるどころか敵意さえもたれるのです。そこで、大人になるにつれ、話す技術をマスターしていくのです。

 しかし、日本という同質の人たちで成り立っていた村社会では、あまりにもその必要がありませんでした。何も言わず、以心伝心できずに、声に出すのは野暮でさえあったのです。

でもはっきりとものを言わないと、通じない社会に変わりました。

 その一方で、ため口にみられるような目上の人への話し方の変化や言葉の使い分けが、いい加減になってきているところもあります。

どちらにせよ、以前にまして話し方やコミュニケーションが重要視されるようになってきているのは、確かでしょう。

 

〇あなたのリラックスした声とは

 

 ここで、話し方や話の内容よりも、親しい人と話をしているときのリラックスした状態を確認しておきましょう。声は意識すると、途端にぎくしゃくしたり、うまく口がまわらなくなったりして、不自然になります。

 親しい人との話は、おたがいがわかりあっているから、話の内容や意味にさして大きなウエイトはありません。むしろ、声の調子やトーンなどによって、言いたいことを伝えています。それは意識したとたん、くずれます。

 

 たくさんしゃべるカップルは、まだ知り合って間もないか、破局の危機にあると思ってもよいでしょう。沈黙に耐えられないからです。親しき仲では言葉以外のニュアンスで、大部分のコミュニケーションは成立しているのです。

 片や、パブリックなスピーキングでは見知らぬ人に自分自身をアピールすることになります。言葉を適確に使った上で、自分の考えや話の内容を伝える必要があります。このときには、声という要素は、とても大切なのです。これらをうまく使って働きかけているのが、うまく話せる人です。

 その違いを知るとともに、あなたも今日から日常の言葉やコミュニケーションに使われる声に、関心をもってください。声に関心をもつこと、これこそが上達の第一歩なのです。

 

〇会話は内容よりも声

 

 自分の声はよく通らないという人がいます。

 しかし、私の知る限りでは、日本人は、さして声そのものをよく聞いているわけではありません。そこにちょっとした声への気配りや、気遣いがあれば、かなり伝わるはずです。

 むしろ、そういう努力をほとんどしていないで社会生活を営んでいるのが、今までの日本人といえます。これは、国際的にみてもかなり、低いレベルのことに思われます。もちろん、言葉に出さずとも、ニュアンスまで伝わるということでは、ハイレベルのコミュニケーションが成立しているといえるのですが。ここでは、身内ではないレベルのコミュニケーションにおいて述べていきます。

 アメリカの心理学者メラビアンの調査※では、声の力は話の内容よりも大きく相手に働きかけるそうです。パフォーマンス学の第一人者、実践女子大の佐藤綾子教授の日本人対象の調査でも、同じようなことを指摘されています。

 顔の表情、姿勢に加えて、声から感じられるイメージでその人への信頼度も大きく変わるし、言っていることの説得力も違ってくるのです。そして、決め手となるのは言っている内容よりも声なのです。

 

※アルバート・メラビアンの法則……人が相手に伝えようとするとき、言葉7%、声の調子(音声)38%、態度55%。(表)

 

○異性へアピールする声とは

 

 動物や昆虫が、その鳴き声で求愛することは、よく知られています。

 人間も、こういうところでは同じなのでしょう。愛しい人の声は、他の人の何倍も、あなたの心を揺さぶるはずです。

 なぜ自分にとって、特別の人の声は、大きく心に働きかけるのでしょう。たとえば、好きな人、好きなタレント、好きなアーティストの声は、声でその人を好きになったわけではなくても、あなたにとって特別なものでしょう。

 声に恋してしまった人たちもいます。相手は異性とは限りません。歌い手や、声優のファンは、まぎれもなくその声に魅かれたのです。そこから、それを天職としてしまった人も、少なくありません。

 顔やファッションと同じで、人に好かれる声にも流行や好みがあるでしょう。その人に似つかわしい声、個性的な声は、一概にいえません。しかし、声は顔と違い、その機能として言語化して活用します。そのため、魅力的な声というのは、何となく一定のイメージがあるようです。それはきっとモテる人のもつ要素とも一致するでしょう。男らしい声、女らしい声、包容力のある声、優しい声、明るい声、落ち着いた声など…。

 どういう声が異性にアピールするかは、役者、声優、歌手などの人気度などからも、ある程度、推測することができます。あなたの声が、誰かに似ていることで得したり損することもあるでしょう。

もちろん、声は素質だけでありません。声の使い方や語り口によっても違ってきます。また、相手の個人的な趣向によっても、かなり違うでしょう。

 一般的に声がよいといわれる人というと、誰が思い浮かびますか。自然な語り口のパーソナリティ、それとも、声優や役者として活躍されている人あたりでしょうか。

「永遠と至高、そして、道」 No.331

今の瞬間と永遠については、これまでにも度々語ってきました。

未来に役立たせようとする今は、今すぐには役立たない今ですから、今においては、本当は無意味です。勉強も修行も練習も、将来の目的のための手段とするなら、先で活かすために、生きなくてはなりません。

それに対し、今は今のこのときを満喫すること、遊びなども含め、楽しい、夢中、三昧であることです。それは、一時としては目的を遂げているときかもしれませんし、目的から逃げているときかもしれません。そうして切り出された時間は、しばしば、いわゆる至高といわれるときです。 コツコツと貯めた金を使い切るときみたいなもので、消費、蕩尽、破壊のときでしょうか。

有限の人生で、本当に大切なこととは、何でしょうか。それをするとしたら、どのようにしていくのでしょうか。

確実なものなどは、ありません。でも、それを自ら決めて向かっていく、両立しがたい手段と目的を同じくしたのが、“道”であるなら、それを肯定していけるように生きたいものです。

No.330

すぐやらずにみる

口よりも耳

間は体内リズム

仕込む

アクを抜く

かなぐり捨てる

つぎ込む

くせやアカをとる

「満ちてあふれず」    

鼻持ちならない

まずいはわかる

うまいはわからず

甘んじない

「何を」より「どう」

うだつが上がらぬ

意志あれば道あり

その気になれば方法あり

信仰と神をみる

うまずたゆまず

奥義を見究める

根気と努力

修行するのみ

ばかになる

こだわらず素直に

理屈が妨げる

脇目をふらない

迷う余地はない

一念

雑念と雑音

純粋で敬虔

流儀にのっとる

見て聞いて盗む

 

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