ご案内

私は10数名のヴォイストレーナーとともに、ヴォイストレーナーにも指導しているため、内外のヴォイストレーナーのアドバイザーやヴォイトレをしている人のセカンドオピニオンもたくさんやってきました。ヴォイストレーナー志願者の人や「ヴォイストレーナーの選び方」などに関する質問も多くなりました。そこで、この件について以前に述べたものを再掲載しておきます。http://www.bvt.co.jp/trainer/buntrn.htm

バックナンバーについて、サイドバーにあるカテゴリーのタイトルをクリックすると、それぞれのバックナンバーが表示されます。

「1.ヴォイストレーナーの選び方」

「2.ヴォイトレの論点」

「身体のレスポンスと声の判断~声の過去から未来へ」

○身体のレスポンス

 

 レスポンスのパフォーマンス、演出の文化が、欧米やアラブには根強くあります。握手やハグはその一つです。それに対し、他人にあまり触れないのが日本の社会です。そのため、身体の感覚は、より早く失われつつあるのかもしれません。

 身体を使って他人と触れ合う、もみ合う、ぶつかり合うような遊びがなくなってしまったことも大きいでしょう。スポーツなどには、そういうのが残っているので、その体験の有無で、差がとても大きくなっています。

 大きさや強さへの挑戦として、たくさん食べることも、しゃべることも、走ることも、歩くことも、若いときや幼いときに無理をした体験が、鍛錬となり、器の大きさになるようです。

 

○頭より身体

 

 正念場で踏ん張った経験が、人生では、ものを言うのです。

 それには、経験したことを自分で咀嚼すること、それは腹に落とすことです。

 癒しやきずな全盛の世の中で、挑戦する目標がみあたらないから、それを求めている人が増えました。しかし、頭で考えている分には何も変わらないのです。

 ネット社会では他人の評判やランキングに左右されがちです。ただでさえ、日本人は他人をみて、それに合わせる国民性だったので、なおさらです。

 

○踏み込み

 

 すぐに「疲れた」と言う、つまずいてよく転ぶ、じっとしていられない、腰痛、腹痛、頭痛、平熱が低い、咀嚼力が弱い。

 私たちの小さい頃も、年配の人に、最近の子は朝礼で倒れる、貧血しがち、ぞうきんが絞れず、鉛筆が削れず、懸垂も大してできないと言われました。その傾向が強まり、今や、老人以下の身体能力の子供も多いのです。

 戸塚ヨットスクールの教育の思想にも通じるスパルタ教育には、一理あります。船の揺れる感覚は、平衡感覚をつけるのによいし、姿勢をつくります。しかも落ちると死ぬという水への恐怖感が緊張を高めます。閉ざされた逃げ場のない船に開かれているのは海だけです。海の匂いが五感を刺激します。そこに心身を解放できるかが問われるのです。

 過保護の子供が自ら落ち着きがなくなったりするとしたら、それを鎮めようとせず、逆に与えたらよいわけです。刺激を求めているからです。アドバイスするには、読み込みだけでなく踏み込むこと、そういうつまずきを理解して、身体へのアプローチが必要なのです。

 

○先と今

 

 声楽の基礎は、人間の共通の体から、その呼吸、発声、共鳴を構築していきます。ゴールは、オペラ歌手ですが、一般の人は、その手前で、心身の強化までで充分でしょう。

 一方、プロデューサーや演出家は、「今、ここで」の価値を最大限に出させる人のことです。それは歌手や役者単位としてでなく、総合的に他の人や装置の力も使い、出させます。

 先のことより「今、ここで」なのです。

 私は、その間に入り、「いつか、どこかで」を、舞台でないところにセットしつつ、そのプロセスでの可能性、限界をみています。声楽家とプロデューサーの要素をもちつつも、その2つに囚われないことが大切です。

 

○総合化と整理★

 

 いろんな人にいろんな教えを得ても整理できないとき、たとえば、複数のトレーナーの指導やいろんな人に言われたことで迷うときに、それを整理するのが、今の私のもう一つの主たる役割です。それはトレーナーのプロデュースであり、トレーナーと受講生との関係づくりともいえます。これをトレーナーやノウハウから考えるのではありません。指導を受ける本人をみて深く考えます。

 何をみるのかというと、

1. 感覚の未発達、歪み

2. 感覚の総合、整理

トレーナーのなかで行われているこれらのことを、トレーナーすべてをみて組織化して総合していきます。次に、レッスンを受けている人たちすべてをみてきた無意識化のビックデータから本人をみて、与え方を整理していきます。そのことによって、さらに、レッスンの効果が出るわけです。具体的に、次の3つを定めていくのです。

1. 考え方

2. 優先順位

3. スケジュール

 

○感覚と身体

 

 目的や状況に対応力をつけるため、感覚と身体能力の活性化は欠かせません。歌唱、せりふの前に、基礎となる発声があります。そして、その発声の前に呼吸や感覚という基礎があるのです。基礎を身につけるためには、そこに早めに着手するのがよいでしょう。

 

 声のトレーニングは、くり返して感覚を増幅していくことです。

 読み聞かせも、声の質感、響きを通して触れあっていくのです。それは、他の人と一緒に寝るのに似ています。身体を緩めて響くようにしていくのです。

 整体、マッサージ、足裏マッサージ、ヘッドスパなども、発声にプラスです。私は発声でマッサージをするのを理想的に思っています。

 

○子供の身体能力づくり

 

 かつては、日常のなかに、身体のレスポンスを促す遊びがたくさんありました。

 おんぶ、おしくらまんじゅう、カン蹴り、かくれんぼ、木登り、竹馬、一輪車、スケボーみたいなもの、相撲、腕相撲、草相撲、馬乗り、縄跳び、砂遊び、土いじり、虫取り、魚とり、キャッチボール、ジャングルジム、ブランコ、スイカ割り、ベーゴマ、メンコ、かるた、トランプ、神経衰弱、花札。

 小さいときに、母親の代わりに、赤ん坊をおんぶして子守歌を歌うような経験もなくなっているわけです。少子化、核家族化で兄弟も少なく親族の付き合いもあまりないからです。

 おんぶや自転車の2人乗りも、他人との一体感や重心を得るのには、わかりやすい体験です。触感は、触ると触られている、スキンシップですが、作用反作用=レスポンスが生じるのです。

 

○成長と退化

 

 体の変化、声の変化について、成長期、身長が急に伸びると体がうまく使えません。体重も同じです。それまでの感覚を得ていた入力を是正しなくてはいけないのです。

 思春期に身体を使わず食べる量も減らしてしまうなら、調整が追いつかず、能力が落ちてしまう人もいます。

1.自分の体型の変化

2.従来の日本人の体型との比較と脱却

 

○質感と感じ

 

 声の質感について、見ても聞いても嗅いでも、五感は必ず何らかの質感を促します。もっとも豊かなのはしぜんです。日本のように複雑に多様性に富んでいることは、感覚を磨くには、とてもよいのです。

 感じを人は求めているからです。その感じ方がことば、語彙などを生み出します。そこが文化に連なるのです。

 ですから、才能というのなら、そういう感覚がよい人でなくてはなりません。でも、長い眼でみると、むしろ、最初は悪くてもそこに気づいて、努めて磨いてきた人の方が追い越してしまうことも少なくありません。

 そこを評価する社会、観客がないと、若いときに知名度を得た人のタレント活動に勝てません。それが今の日本でしょう。

 日本には観客ばかりで聴客がいないのです。みる方、みせ方、みられ方にばかり問われることが集まるのです。

 

○聞く力

 

 長く球技をやると、音は視野の不足を補います。たとえば野球の守りでも、全体の視野で選手を見つつ、打つ音で瞬時に打球の行くところを判断し、捕れるところに素早く移動します。

 みるときには同時に聞いています。みる力はわかりやすいのです。が、聞いている力はわかりにくいものです。スポーツの選手などでは、聞く力、これは、人の話でなく、スポーツという競技のなかで発される音です。

 それを聞いて、正しく判断し、行動する力があるとすぐれます。音の情報は、経験とともに大きく効いてきます。あるときまでは大して使えない、だから、あとで飛躍的に伸びます。

 

○使い切る

 

 回し読みでは、前の人の言ったあとに入るのでなく、言い切る直前に入らないと、続かずに切れてしまいます。

 トレーナーは、生徒と呼吸を一緒にすることで、呼吸を移していきます。☆

 身体を動かしてコミュニケーションをとろうとする人に、理論やノウハウは敵わないわけです。自分の手で卵を握って割ってみて、ようやく握力というものの存在がわかるということです。

 

 基礎をマックスでやるのは、そのためです。応用でマックスを出しては怪我をしかねません。練習で最大限の力を出すとか、長く続けるとか、乾燥したところで行うとか、限界を知っておきます。マックスと共に悪条件下でどうなるかを知っておくのです。

 

 やり切ることで、限界まで出し切ることで、ようやく先に行けるのです。

 身体は、使わないと弱くなり、使うと大きくなるのです。使い切るのが怖くならないためには使い切ることを経験しておくことです。

 

○ゲームからリアルに

 テレビは一方的なのに対して、ネットは双方的です。

それで、はまりやすいのです。そこに足元をすくわれるのです。よくも悪くも、親や先生、友だち、恋人よりも何でも応えてくれる、すぐに反応してくれるからです。

 ただし、それは身体に、でなく、指先に対して、それも触覚でなく視覚ということですが。

 テレビゲームが引きこもりの要因となるのは、外でエネルギーを放出しなくなるからです。ゲームのなかがリアルになり、生活の場になるのでしょう。

 そこを抜けられたら、見るより体験する、つまり、場が求められてくるのです。イメージしてデザインプランニングしていく。

 できるならメールでなく肉声で伝えましょう。

 火、花火、祭りの火、燈り、ろうそく、などリアルなものに対して、自分の感覚について記述してみましょう。

 「太鼓の達人」などの、ゲームから和太鼓など、リアルの体験へいくなら、とても望ましいことです。

 

○すぐに判断、選択しない☆

 

 よし悪しの判断をすぐにしないことです。

 よい声、悪い声があるわけでないのは、よい顔やよい色がないのと同じです。

 よい味、よい匂いがあるのは、その逆に、身体によくない危険なものがあり、それを取り込まないための身を守る本能です。

 嫌な音はあります。つまり危険とか、かつて危険だった音です。

 似ている声は、よいとはいえません。

 怒り、驚き、泣き声など、強い声、強い息は緊張をもたらします。反対に、息が弱く不健康な声、暗い声は生命の危機を表します。

 

○呼吸の深さのチェック☆

 

 ワクワク、イキイキするときは、呼吸は深まっています。

 相手の呼吸を読むことで、武道家は命運を分けてきたわけです。

 息をつかみやすくするメニュはいろいろとあります。

1. 手のひらにあてる

2. 長く伸ばす

3. 強く吐き切る

 片方の鼻穴をふさいで、もう一方の鼻からだけ出します。

 洗面器に顔をつけて数えます。

 息こらえはプールや風呂など、水の中ならできます。こらえられないで水中で吐くと、ぶくぶくと泡で出ます。

 持続できることをトレーニングでがんばりましょう。楽に長く使えるようになることです。姿勢も呼吸も発声も、技術、技なのです。

 年齢とともにおいしくなるもの、深くなるものは、年寄りに学ぶ方がよいでしょう。コーヒーやお酒でも、そういう人といると味の違いが細かくわかっていくのです。

 

○日本語の浅さ☆☆

 

 五木寛之氏は、「日本語は、口先で歌う方が歌詞が明瞭にわかる気がする」と言っています。確かにそうです。それは、素人やトレーニングの途上で声が定まっていない人のことです。

 しかし、プロの深い発声での発音が日常感覚で違和感になるのはわかります。明瞭な発音のアナウンサーほど日常会話に聞こえないのと似ています。

 ソーラン節は、日本では、もっともポピュラーな歌の一つですが、まだまだ新しく、昭和19年あたりに出てきたものです。しかし、ニシン漁は明治がピークだったそうです。

 

○オープンとクローズ

 

 手軽に持ち歩けるギターの普及は、音楽を一般の人に解放しました。しかし、ヘッドホンは、逆に、音楽を聞く人の耳に封じ込めたといえるかもしれません。20世紀、誰でも音楽のある生活がおくれるようになっても、日本では、音楽とともにある生活は、定着していないように思います。

 ウォークマンの登場で、私たちは音楽を自由に持ち歩けるようになりました、それは、他人に聞かせない、他の人とともに聞かない、閉じた音楽として流行しました。早期に二人で聞くための出力が2つのものもあったのは、シェアしてこそ音楽だという認識があったということです。

 歌い手が、生で歌っていてスピーカで流していた盆踊りも、今や、カセットレコーダー、CDiPodなどで代用されています。

 

○なぜ、その音なのか

 

 日本人は、畳の生活で埃がたたないように、すり足でした。水田の泥もはねないようにして歩き方をつくっていったのです。

宴会社交の唄芸、和歌、連歌、茶の湯が栄えました。

遊郭での不謹慎、闇の間、そして、喉声だったのです。

日本では「舞台に出て、楽屋に帰る」と言うそうです。

寮歌、軍歌、バンカラなどは怒鳴るように歌います。

三波春夫さんは、シベリア体験を経て、歌の研究に打ち込んだということを、ふと思い出しました。

 

○メタボ化                        

 

 人は動物ですから、動くことが大切です。動くことで健康を維持しているのです。

 1980年、当時、ドラマで、池中玄太は80キロ(30代では62キロくらい)で、デブの代表扱いでした。それに比べ、今のメタボは、やはり太りすぎといえるのです。

 高度成長期の頃より食べていないのは、確かですから、太るのは運動不足からきています。

 コアトレーニングのコアとは、体幹と肩甲骨、股関節のことです。

 血圧の高さを気にするのでなく、上下の差を50mmhg内に保ちましょう。

 

○コミュニケーションの基礎

 

 円滑な人間関係で避けるべきことば、言い替えた方がよいことばがあります。

1. 「知っている、あれね」「わかっている」→「そうなのですか」「さすが」

2. 「要するに」などと、教える、正す、こだわるのは、やめましょう。

親しくなりたいなら、その相手と比較、競争をしないことです。こちらが負けておくことです。差別化は不要なのです。違いより同じことが大切だからです。

3. スルー、切る、話題転換などのことば、「ところで」「さて」などは、気をつけて使いましょう。

4. 否定、拒絶のことば、「でも」「しかし」は、相手に敬意を払っていないようにとられかねません。

5. 弁解、自己弁護のことば、「だって」は、被害者になって加害者のように責めることになりえます。

6. 何事も陳腐化、一般化(よくあること)にしないようにしましょう。

7. 悲観的なことば、「どうせ」、脅し、非難のことばは避けましょう。

8. 疑い、不信のことば、「はあ」「そう?」「ええ」「まあ」「別に」も避けましょう。

 

○人というのは

 

認められ、褒められ、聞いてもらいたい。

共感され、特別視され、もっと理解され、大事にされたい。

 人は、そういうものです。ですから、

聞いて、共感し、勇気づける、いたわることです。

逆に、勝ち負けにこだわったり、自分を守ることばかり考えたりしては、よくありません。脅すこと、上下にこだわったり、無関心、無視すること。

自慢話、自己主張、自己正当化など、自分のことだけ語ったり、自分を全く語らなかったりするのも、よくありません。さらに、避けた方がよいことは、

評価、解説、忠告、同意の強制

専門語の多用

言い訳、メンツ、保身のことば

言うべきことを言わない、挨拶しない、社交辞令ばかり

決めつける、見切る、切り捨てる

「がんばれ」「リラックスして」もケースによります。

別の人の話、他人ばかり褒めるとかで、厚意が伝わらないと孤立化します。

嘲笑、群れるのは、タブーです。

また、頼んで断られたくないとか、遠慮ばかりしていては、嫌われかねません。

受け取る意味は人によって違うものです。「私(自論)は正しい(正義)、だから受け入れよ」とは、ならないのです。

 

○善の根拠

 

 なぜ、人はよいことをすると褒められるのかというと、それが、しがたいことだからです。で、悪いことをしないように禁じられるのは、人は悪いことをしたがるからです。つまり、人は悪になりがちなのを、強いてよい方へ向けさせているわけです。それを強いているのは、自分以外の存在です。

 自分以外の人の言うことを聞けばよいのではなく、自分と自分以外のものがあるということを知り、認めることです。そこで、自分を、初めて意識するのです。ゆえに、自分は存在するのです。

 他人がいなければ、自分はないのです。親がいるから子であり、会社の人と働くから会社員です。自分の証明書は、他人が発行するのです。

 自分が自分を何と思おうと、他人が自分を思うように自分はあります。他人がそう思わなければそうありえないのです。自分が誰かも何者かも、決めるのは周りなのです。自分の価値は、他から与えられているのです。

 自分を受け入れるのに、他人が肯定する、他人が育て、雇い、評価をする。あなたに価値を与え、ようやくあなたが存在する。そこで認められ愛されるということなのです。 

 他に認められている自分を受け入れないことこそが、悪となります。

 

 所有するということは、人が欲するものをもつことです。今すぐ自分が使わないものなら、誰がもつのか、誰もがもってもよいと考えることです。それなら、シェアすればよいのです。

 ことばにすることで、すでに何かが誰かに伝わっているのです。

 そのとき、相手の自己の成立に配慮し合うことが大切です。

 

「歌うことのソフトウェア」Vol.19-2

〇デジタルの進化

 

 文化での大きな改革期を20年ごとに、1967年のアメリカ、1987年のイギリス、2007年の日本とみる人がいます。

 2007年に、ヴォーカロイド初音ミクが登場しました。これはサンプリング音源、販売の会社から生まれたのです。(クリプトン社1995年~)

80年代のDTMMIDIDTMは和製英語)、

1983DX7発売(ヤマハ)、DXはシンセサイザー、QXはシーケンサー、RXはリズムマシーンです。

(背景)

1965年ベンチャーズが来日

1966年ビートルズが来日

1967年~ポプコン(ヤマハ・ライトミュージック・コンテスト)

1967年「帰ってきたヨッパライ」(フォーククルセラーズ)

196710月~「オールナイトニッポン」

19698月「ウッドストック・フェスティバル」(アメリカ)

ヒッピーカルチャー

(デジタル化)

196910月~ARPANET(インターネットの前身)

 

○歌うことのソフトウエア化とバーチャルシンガーの登場

 

 1968年「2001年宇宙の旅」HAL9000が「デイジー・ベル」を歌いました。これは、1961年、ベル研究所のIBM7094が実際に歌ったところからきたようです。

 以下、初音ミクを中心にみていきます。

 

1964年冨田勲のモーグのシンセサイザー、富田氏は、のちに人形浄瑠璃と初音ミクの共演を実現します。

「着メロ」と「着うた」「歌ってみた」の投稿、ネット発クリエーター ニコニコ動画 同人イベントの開催

20091月 バイリンガル(英語音声データベース)

カラオケ JOYSOUND

2009年 「ミクフェス’09夏」

20097月 PSP用ゲームソフト「初音ミク―Project DIVA」(セガ)

20104月「初音ミク アベント」6つの声

20115月 米国トヨタのCM

20117月 ロサンゼルスでアメリカ公演

201311月 パリ、シャトレ座でヴォーカロイド・オペラ「THE END

歌声ライブラリー「がくっぽいど」(GACKTの声)「ハルオロイドミナミ」(三波春夫の声2016)などの開発と発売。

「嫌いなものをなくす」 No.310

 自分の好きなものばかりに接しては、同じくり返しとなり、学べなくなります。見本のレベルやとり方によっては、大いに学べることはあると思いますが、普通は、どこかから効率が悪く、いや、深めるのが難しくなるはずです。自分の好みでの得意が、今度は限界をつくって自分のそれ以上の伸びや可能性を抑えてしまうのです。

 そういうときに、自分の不得意なものや嫌いなものに目を向けることです。きちんと学べていたら、そういうものは苦手でなくなったり、少なくとも、嫌いではなくなっていくはずです。嫌な人などに対しても、そういう感情は希薄になっているでしょう。

そういうときに、これまで対応してこなかったことを学びましょう。そういうものから学ばなくては先に行けなくなるからです。

再び師につく、師を求めたり戻ったりするのもよいことでしょう。

「コンテンツについての考察」「声での構築」

「コンテンツについての考察」

 

○仕組みとプロデュース

 

 ものをつくる、そして売る、そこで時間や資金をストックしたら、少しずつ高価値コンテンツをつくるのです。ある意味で、企業の拡大、再生産に似てくるわけです。その仕組みをつくっていきます。仕組みとは、価値づけ、集客(売り込みと集金)、PRと投資の回収です。これを担うのがプロデュースです。

 

○作品、ソフト、コンテンツ

 

 歌は、音声にのせて伝わるものですから、メディアは、音です。それを運ぶのは空気の振動波です。ラジオとなれば電波です。

 一般的に、容器というならパッケージ、つまり、レコード、CDSDカード、メモリーです。マスメディアというならラジオ、テレビなどとなるわけです。

 昔はハード(もの)に対し、ソフト(ソフトウエア)と言ってきましたが、作品ということでは、コンテンツという言い方も一般化してきたようです。コンテンツとは、中身、内容とでもいえましょう。著者にとっては、目次(Table of Contents)です。

 マルチメディアと言われた時代あたりから、ソフトがコンピュータのプログラムにおいて使われたため、コンテンツ=著作物として区別しようとするニュアンスが強くなりました。となると、コンテンツは、つくった人、オリジナルをもつ人のものとなります。

 

○コンテンツの著作権

 

 歌であれば、著作権は、それをつくった作詞家、作曲家に与えられます。歌唱した人にも若干、印税が入ります。歌手や俳優は、コンテンツ制作という見方はされにくいでしょう。「歌手○○のためにつくられた歌」というようになると、コンテンツ力のある歌手といえなくもありません。創唱という権利を認めるべきという人もいたようですが。(創唱とは、最初に提唱したこと、歌では、最初に歌った人として使われています)

 一方、シンガーソングライターは、作詞作曲の権利も含めてもつ存在となり、1曲でもヒットしたら莫大な収入となりました。

 映画では、俳優とカメラマンと大勢のスタッフがつくっているのに、監督の作品になります。どんなに主役の力で売れても、権利は監督です。そこからみると、音楽は、俳優・声優より恵まれているのでしょう。

 

○歌とコンテンツ

 

 CDに入った曲はコンテンツ、TV番組のなかでの歌のステージもコンテンツ、ライブは、ステージそのものがコンテンツですね。

 コンテンツは、何を、どれで、どのようにして、の3つで区分できます。

 このあたりを、もう少し丁寧にみると、人が作品として受け取るに値するところまでパッケージを完成させてコンテンツとなります。いわゆる、完パケですね。

 ですから、声だけということはありません。

 本であれば、目次、前書き(あとがき)、表紙、ページなども必要です。その構成がみえるのが、目次なのですから、先の例では、構成テーブル、コンテンツは内容構成ともいえるわけです。

 

○コンテンツの量と質

 

 よい歌とは、長い歌でも大きな声で歌われている歌でもありません。歌詞が長いと、小説のようになっていきます。短すぎるとよくわからないでしょう。そこで量が多いから価値があるとか、よいとか、得だ、という人はいないでしょう。

 でも、CD20曲以上入っていたり、アンコールで何曲も追加してくれると、得したと思う人はいるでしょう。

 たくさん詰め込まれた方が得か、すぐに終わる方が望ましいのかは、本来、芸事に関係ありません。どの時間でも、表現が人に伝わり人の心を動かしていなくては先に続かないのです。人の集中力の制限で、何につけても90分くらいの区切りが多いですね。

 情報量については、音では、CDは、デジタル情報量として比べられます。ハイレゾは96~192kHZCDのサンプリング周波数は44.1kHZです。

 

○ドラマと現実の共感

 

 作品は、現実の世界の編集と再現ですから、現実のまね、そのピークのダイジェスト版といえなくもありません。ドラマは、ドラスティック、まさに劇的、人生のそういう場面で盛り上がるようにできていますね。Dramaは劇や戯曲ですが、日本ではソープオペラに使われています。元はギリシア語の行動です。

 いくら現実離れしているようでも、共感できなくては価値は生じません。共感は、つくる人たちにもですが、それ以上に、受ける人が快楽を感じるものがよいとなるわけです。もちろん、学ぶことにより、よりよく対応できるようになっていく効果も生じるわけです。慣らされていくのであり、ハマっていくのです。

 

○模倣とリアリティ

 

 模倣するのは、およそ、現実社会、個人の体験、人類の体験、文化と歴史と風土、多くは過去の作品です。

 リアリティとは、創造によって、これまでの世界を超越するだけの価値をもたらし、現実以上の真実を突きつけることです。

 

○情報の編集と収穫

 

 多くの情報、素材を集めて、分類、編纂、編集して、ダイジェストすることになります。なかでも、自然がもっとも大きな情報量をもちます。

 自然のものや実物を、どんなに正確に絵にしたとしても、色の数、大きさで限定されます。写真や映像も同じですが、もはや目で区別できないほどの精度があります。

 

○ゲームにみる3変化

 

 ゲームは、現実生活のシンプルな模倣がほとんどです。そこから一人歩きして複雑化していきます。ルールも高度になり、マシン化も進みます。すると、マニアしかついていけなくなるので、再びシンプルになります。テクニックでついていけない人は、楽しめないのです。そこで、より情感に訴えるような形になるのです。シミュレーションゲームが難しくなりすぎ、RPGなどが出てきたのも、その流れなのです。

 

○リピートに耐える

 

 途中で飽きないこともよいコンテンツの条件です。そのためには、脳の受け取り方をふまえた快刺激、そして、その連続が求められます。

 緊張と弛緩のメリハリ、人は、そこに何をみて、どう感じるのでしょうか。そのために何をどう入れるのかは、どんな作品にも問われることでしょう。

 何回もみたり聞いたりする名作と、一回きりで味わいつくす名作との違いは、何でしょうか。原作家と脚本家の違いは、何でしょうか。

1. ストーリー、イベント、ライブ

2. CDDVD

 

○専門家と素人の評価

 

 現実よりもよく描くことが、リアルに伝えることになります。その「よく」とは何かということです。答は、現実の側でなく脳の側にあるから、厄介です。

 創始者、アーティストの脳でみるものが、人間の脳の求めるものとなります。それは、ときには未来から引っ張ってきます。かすかに予感している兆しを形にするのです。それが新鮮で心地よいものと思えるのは、人は、未来に生きるからでしょう。それに反発したり嫌悪する人は、未来でなく過去に生きる「昔ながら」を守りたい保守者なのです。音楽は、他のアートよりも新たな予兆を問われます。一方で、古典的なものは安らぎを与えてくれます。

 

○受け止め方

 

 嗜好性のあるものには、教養や時間も必要です。わかる人は直感的にすぐ入れますが、一般の人には、受けとめるには時間がかかるものです。

 人にはどうみえる、聞こえるのか、どう心が動くのか、人が取り込みやすいようにデフォルメすること、ダイジェストすること、編集することです。その結果の快感受容は麻薬と似ているといえましょう。

 

○世界観

 

 写真と絵の違いを考えてみましょう。ピカソに限らず、一流の画家は、一枚の絵にすべてを入れているのです。それが作風=世界観になります。

 現実離れしているのにリアリティがある。それこそが、アート、漫画やアニメも含めて成り立つ理由なのです。

 アーティストが、

1.どういうものを使うのか。

2.いくつのものをもっているのか。

曲の創造や評価もそういうことに関係します。

 

○リアルとリアリティ

 

 現実の世界を切り取り、創造してリアルな世界を組み立てます。リアルとは脳が実感させるもの、時空を超えた本質とか本物、いわば、真実や真理をいうのです。

 うまい似顔絵は、写真よりその人に似ているようにみえる、これもリアリティということです。現実感、即ち、仮想された現実、バーチャルリアリティです。

 映画では、かつて、そのタイトルが日本語の超訳で、大いにヒットしたものがあります。その後は、原語をそのままカタカナにしているのが多くなりました。

 音楽曲となると、ことばがなくストーリーが明らかでないので、タイトルのもつイメージは大きく聞く人に影響します。

 「四季」(ヴィヴァルディ)、「悲愴」(ベートーベン)など、日本語でついたタイトルの是非はともかく、そのタイトルがテーマになって、タイトルの意味でテーマが聞こえてくるものでしょう。

 

○共通のイメージ

 

 現実と異なっているのに、誰がみても似ているとか、現実よりリアルというのなら、一人の脳だけでなく、人間の脳としての共通イメージがあるということです。

 「ア・プリオリ」のようなことになってきましたが、そうなると現実が仮象となるのです。

 五感で捉えたものは、五感の捉えられ方で大きく左右されてしまうのです。錯視も幻聴も感覚の確証を揺らがせてきました。

 芸術に惹かれる人には言わずもがなでしょう。

 

○サムシング・グレート

 

 自然に敵わない風景画、自然に比べ情報量が絶対的に少ないということですが、そういうものを、なぜ私たちはわざわざ見に行くのでしょうか。美しい自然をみて、絵のようだと言う、そのとき、私たちは、心の奥に理想の風景、創造主、サムシンググレートの存在を感じているのです。ペン一つでのデッサンで対象の本質を切り取る、それを感じさせるものを真実、本物とか一流というのでしょう。

 音楽、音の快楽は、もっとも抽象的です。ときに数式などと並べられます。楽器の音色が美しく、そのフレーズの進行、曲の展開が美しい、何でもよいのでなく、心地よいものがよいのです。

 楽器に声を似せた声楽と声に楽器を似せた邦楽との違いも、気になっています。行き着くところ、目指しているのは、同じはずなのですから。

 

○アニメと声

 

 アニメの主人公は、三頭身と目の大きさが特徴的です。愛らしいものは、赤ん坊や動物に近い比率になるのです。そっくりでなく、そっくりよりも、らしいもの、本物でなくそっくりにみえるものです。それをどう抜き出すのか、つくり出すのか、なのです。

 私は、いつもペンフィールドの「ホムンクルスの体性感覚」の図を思い出します。感覚を元にした、手と足のやたらと大きい人の図です。

 アニメの子役は子供でなくベテランの声優です。俳優や映画、芝居では、ベテランが子役など、できません。すべては抽象的、リアルが創造的だからです。

 

○デフォルメすること

 

 ドラマなどは、日常のダイジェストですが、日常のなかにある強烈なインパクトのあるところを抜き出し、そこをつなぎます。私たちが自らの人生を語るとき、ドラマチックな出来事をつないでこそ、インパクトがあるのは、言うまでもありません。

 毎年、何を行っていたかを話しても、当人はともかく、他の人には興味のないことでしょう。話すのは周りの人にない経験の方がよいでしょう。でもそれだけでは共感されません。結局、伝えるのに値することは、出会いに別れ、それをもたらしたエポックメイキング的な出来事になるのです。

 

○エッセンス

 

 この場合のダイジェストとは、エッセンス、本質です。ハプニングや人生の喜怒哀楽の場面を抜き出しつなげることです。それによって一人の人生、一生や国の200年、300年が2時間で描けます。

 人間の感じる5つの味は、味覚のエッセンスです。レシピの元にもなります。料理も日本人は素材をそのまま活かす方ですが、よりうまくするのに味付けするのです。

 

○ドキュメンタリーとフィクション

 

 日常で体験できないほどのストーリーを創造して与える、創造した小説、ミステリー、脚本は、そういうものが大半です。

 伝記がなかなかエンターテインメントになりえないのは、現実に起きたことでつなぐからです。勝手に想像して創造を加え、ドラマチックに変えられないからです。

 伝記になるくらいですから、有名人で、何かを成した人物でしょう。その時代の大事件や有名な出来事のニュースバリューで作品をもたせます。実際のところ、犯罪などでも、かなりの脚色を入れないと作品にならないことが多いのです。「実話そのものです」よりも「実際の事件を元に脚色したものです」というようなものがよい具合に仕上がるのです。脚本では実在しない登場人物が加わるのが、常です。

 一方、ニュース報道やドキュメンタリーは、創造物ではありません。

 映画の間にTVのなかった時代はニュースが入りました。初期の映画は、特等席からみる舞台というものだったようです。

 

○魅力

 

 美女は、多くの人を平均した顔といいます。美声や美音もそうなるのでしょうか。

 アニメの人物の絵は、それなりに似ています。特に主人公は同じ、これは、曲作りに通じます。映画やドラマの役者も決まったメンバーで回すので似てしまうのです。流行で変わっているようですが。ビックデータでは、平均値が出て、それこそが大衆の求めるものとなります。

 

○ディープ・ラーニング

 

 専門家のスキルをプログラム、手順化します。

 内容→板書→ノート→頭でまとめる

授業や教科書からノートをとり、内容を要約します。

そして、小見出しをつけるとします。

次に、反対に要約から内容を推察して、小見出しに合う内容をつくります。

元の授業や教科書と比べます。

 

○平均化する

 

 ビックデータの平均値に近づけることが、大衆化とすることになります。そのあたりは、大体合っていればよいと考えているのです。

 天才や個性的作品は、時系列として先に走っている、よく言われている一歩先、半歩先のものだといえるのではないでしょうか。

 

○シンプルを規範とする

 

 しぜんは、複雑でアナログですが、デッサンはシンプル化したものです。

人がいると、そこに秩序ができるのです。それを模範やルールとして、私たちはつかんでいるのです。人の音剤はそのままデッサンとなります。

 

○本来的なものと経験、永遠

 

理想は、イデアと違う

真実は、ときおり現れる

現実は、いつもここにある

 

○オリジナル

 

 オリジナリティということばを、誰もやっていないことをやったとか、初めてやったということで使うこともあります。その他の人が誰もやらなければ、確かにオリジナルです。誰でもできるけどやらないケースはどうでしょう。くだらな過ぎてやらないようなもの、価値が全くないものなら、あまりオリジナルといっても仕方ないでしょう。

 オリジナルといえども、多くはこれまでのものの組み合わせです。大半は、新しい組み合わせ、そのオリジナルということになります。曲などは、同じ音(スケール)での音の組み合わせです。

 それをパターンにしてみます。そこでありふれたパターン、あまり差異が感じられないというパターンなら単調となります。

 作品、特に音楽などは、メリハリ、流れをつくり、それに沿うのと変えることのタイミングで質が決まります。

 

○わかりやすい

 

 芸を問うとなると、試されるのは、芸人の技量だけでなく、客も大いに関係します。客がわかりやすいものしか認めないとなると、レベルが下がります。よいものと判断する、その基準は何かということになります。

 脳に心地よく入るのは、慣れているものです。だから、ある意味で自分がわかっているもの、それに近いもの、わかりやすいものなのです。

 勉強が嫌なのは、心地よくない、面倒だからです。それは、わからないものをわかろうとするプロセスで努力、忍耐を強いるからです。

 

○スターの存在

 

 芸は、普及して一般化するに従い、全体的に質が落ちます。価値を落としているのに気づかずに、前例に従ってしまうのはよくあることです。

 大衆化もその一つです。大学生がバカになったのではなく、バカまで大学に行くようになったというようなことです。それでも、関わる人が多くなると、層が厚くなります。すると、トップがどんどんハイレベルになることもあります。そういうときが、その芸が伸びるときです。つまり、人数よりもトップのレベルを比べることでわかります。スターが出てきているうちはうまくいっているのです。

 

○わからない

 

 ですから、団塊の世代までは、芸術でも演劇でも、わかるのはしょうもないもの、わからないものがすごい、と思って勉強していたのです。これが教養主義です。

 つまり、自分が将来、もっと頭がよくなるとか、他にもっと頭のよい人がいて、それに追いつこうとすると、今の自分はだめ、自分がわかる程度のものはだめ、少なくとも今の自分には価値がない、その自分のわからないものに価値があるのです。

 自分がわからないから、わかるようにならなくてはいけないというのは、どうでしょうか。

 私たちが小学生の算数のドリルをやりたいと思わないのは、わかるからです。ボケ防止のケースは別ですが。

 

○プロシューマーの登場

 

 プロシューマ―(生産消費者)とUGC(ユーザージェネレイティドコンテンツ)の広まりについて述べます。

 カラオケは、聴衆の主役化を進めました。ピンクレディの○周年コンサートでは、来客側の親子連れの振りがメインステージとなりました。AKB48も、その応援団であるオタクの振り付けが世界進出したのです。これは、日本発、オリジナルなものの世界進出として評価してよいと思います。多くの人は、AKB48 のプロデュースを成功としていますが、独自なのは応援スタイルの方です。私たちは、ずっと欧米のロックの演奏や応援の形のまねから抜けていなかったのですから。

 

○分離

 

 変人でなくとも、別人志向、変身願望は誰にでもあります。究極には、生まれ変わり、転生、輪廻観です。

 役者、芸人は、地のようでありながら別人を演じます。

 同じようなものが売れる、が、同じでは、やがて飽きられていく、つまり、消費されていくのです。そこでパターンを変化させる、応用する必要が出てきます。

 それが、技、技術、流派で、それぞれ次の形に定まると型となり、分離していくのです。

ジブリの声優は素人であるのは、宮崎監督がそれを好むからです。プロの声優のリアリティが勝てないからともいえますが、日本においては複雑な問題です。日常の表現力が作品に耐えられないので、商品化された技術が公のものを支えてきたからです。

 

○古典にかえる

 

 行き詰ったときには、古に還るのが常套手段です。

1.対象をみつけること、選んで対象化する

2.方法を考えること、伝えてみる

 

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「声での構築」

 

○シンプルな定義

 

 ヴォイスアクターは、声というメディアにことばなどをのせ、それを動かして人に伝える力、働きかける力をもちます。声優と訳されます。女性はヴォイスアクトレスです。

 歌、音楽の形をとるものを扱うのが歌手、シンガー、ヴォーカリストです。

 

○構成と展開

 

 同時に生じる音の構成、ハーモニーを聞くこと、一定の時間ごとの展開という時間での流れを全体で捉えること、その2つについては、日本人の苦手なところです。今、ひびく一つの音を、ひびきの揺るぎを聞くことに感じ入るのでしょうか。欧米人と日本人との聴き方は、教会の鐘のキンコンカンと、お寺のゴーンの違いなのです。

 

○省略と象徴のテクニック

 

 表現の効果を目指すためには、必要最小限の材料とシンプルな組み立てにすることです。何でも入れるのでなく、思い切ったカットがあってこそ、表現が強く打ち出せるのです。

 すべてを歌うと一本調子になります。もし、聞けるところ、伝わるところが1か所あれば、その前後を組み立てるだけで充分に一曲として聞けます。それに対抗しうる歌は、さほどありません。

 ディティールは丁寧にする。それは、歌では大切なフレーズの線の扱いのことです。その働きかけを邪魔したり混乱させるところが目立ったらだめです。プロは、幹を活かすために枝葉を思い切りカットします。

 

○音の動き

 

 人の捉える能力にテンポも限定されます。16ビートはよくても、32ビート、まして64ビート以上は、意味を失っていきます。音の高さですら、モスキート音の聞こえない大人には、2HZ近くは無音です。

 聞こえない音も体感できるし、超音波も聞こえないけど伝わるという見解もありますから、理屈通りに否定はできませんが。

 

○補強が主役に

 

 本来、より効果を上げるために使っていたものが、うまくいかないときのフォローに使われるようになり、常態化すると形骸化します。マンネリ化して、芸を滅ぼす。そういう例は数知れずあったのです。でも気づかれないどころか、その渦中にいるからこそ、感覚がマヒしていくことが多いのです。

 技術とかテクニックとして、そこを教えられるというような人が出てきて、そういうことがもてはやされるからです。

 スターが出て、人気が出ると一般の人がまねたくなる、となると手っ取り早くまねたくて、ノウハウが求められるのです。すぐに簡単に便利で、誰でもできる、こういうことに飛びつくのは、元より、芸に逆行することです。

 

○カラオケとヴォーカロイド

 

 うまくなるためのツールというのは、マイクやカラオケのエコーなどが代表例です。実力がつかなくても、同じ歌がうまく聞こえるように音響的に加工されるのです。

 うまく聞こえるのは、下手に聞こえないこと、うまい人に似ていることですから、本当にうまいのと別です。ですから、感動とは無関係です。

 バンドになると、ヴォーカルの実力の補強をアクションやプレーヤーの演奏、リズムや音の厚みで行うのです。

 ヴォーカルは、楽器の1つに成り果てました。日本はいち早くヴォーカロイドの時代となり、ヴォーカリストは、もはや声の素材提供者となりつつあります。

 

○アーティストの代替わり

 

 歌をとりまく主人公は、次のように変わりました。

 バンドマスター→歌い手→作詞作曲歌手(シンガーソングライター)→プロデューサー→アレンジャーSE 

 (例)内山田洋とクールファイブ→歌手、前川清、和田弘とマヒナスターズ→歌手、原信夫とシャープフラッツ→

 当初は、バンドマスターの方が知名度が高く、歌手は楽団の一つのパートに過ぎなかったともいえたのです。

 

○なり切る

 

 オペラ歌手は作品がつくられた、その土地のこと、歴史までを学びます。その気持ちになり切るためです。つまり、イメージを具体的に豊かにしないと、再現を呼び起こす出力はできないのです。

 なり切るというと、イメージトレーニングでは、イチローが有名です。

 

○娯楽と芸術

 

 オペラは芸術、歌謡曲は芸能、歌は演芸、カラオケは娯楽と言われています。邦楽は「けっこうなご趣味」などと曖昧です。

 芸術というのは、能などになるでしょうか。芸術ということばが、日本では、未だにあまり馴染みません。生活のなかに溶け込んでいる感がなく、高尚、教養っぽいのです。

 

○才能と素質

 

 政治家や俳優、タレント二世、三世全盛です。音楽家は三代、と言われているようですが、歌手では、ほんのわずかの例外を除いて、あまり聞きません。(藤圭子―宇多田ヒカル、森山良子―森山直太朗、海外でもナット・キング・コール―ナタリー・コールなど)演歌でさえ、あまりいないのです。

 歌は、個人の実力や資質に負うところが大きく、時代の流れにも大きく影響されるからでしょう。遺伝的要因よりも学習によるところも大、また親の威光が効きにくいものなのでしょう。

 

○イメージ

 

 声もよいものをみつける、なければつくる、で選択から精進していきます。

 元々はすべて根本から取り入れていたはずです。選択がしぜんと、育っていくうちになされていたのです。それは、選択しないものを切り捨てているのです。

 勉強というのは、量を増やすか難しくするようにして一部の能力を伸ばすのです。そのことで質を高めることを同時に行ないます。

 

○即興とリピート

 

 一つの作品、一つの世界を現出させる、その一つが歌です。それを再現するのがステージ、それはライブとしての完成を目指した再現です。

 それに対して、「完全」は、同じもの、コピー、複製としてです。それはCDのようなパッケージに、つまり、音源、コンテンツになります。ライブのDVDCDは完全な作品というよりは、感性を目指したライブのコピー記録です。ときに、完全なライブもあるでしょう。それは完全な作品でしょう。

 

○形にする

 

 イメージを歌にするのに作詞作曲、歌唱が要ります。しかし、昔は、ほぼ同時に行われていたはずです。そこも再現、現実化といえます。つまり、音や絵や文章として形としたのです。

 そこにコンテンツがあり、それが働きかけなくなると形骸化したということになります。その前に形成化があるのです。

 

○パターン破り

 

 映画や落語のストーリーをパターンで捉えて研究している人がいます。

 この場合、多くは筋やストーリーでの分離が元となります。小説、ミステリなども詳しくなると、およその展開パターンがみえてきます。結承転などというのは、その典型です。

 

○ライブ

 

 表現におけるストーリーづくりを、どのようにするのかを考えます。

 物語は、一過性、イベントです。メロディ、ミュージックは、再生でくり返し、リピートで価値を増していきます。ライブは、即興だとしても、その時空限りでの作品の切り取りともいえます。

 

○歌の力か歌手の力か

 

 実力を、作詞作曲、アレンジ、演奏力と、歌い手の歌唱力と分けて考えます。歌い手個人の肉声へアプローチするのが、ヴォイストレーナーです。曲のよさ、さらに歌い手との相性、選曲のよさが問われます。

 

○劇的な歌と日常の歌

 

 劇的な日常とは、場としては、ステージと生活ということになります。

 次に、歌唱力か人間力かを考えてみます。

 ストーリーで紡ぎ出される世界観(音楽性)とキャラクターの生き方との関係となります。

最近は、歌手の歌そのものでなく、MCなどで歌い手の人間性に共感していく傾向が強まりつつあります。

 

○歌詞は詩ではない

 

 詞は、音楽(メロディ、リズム)を伴って完成したものとなります。

 音楽からみると、ことばで具体的にしたことで感情を引き起こすか、喜怒哀楽を感じるかということです。感情移入は、共感です。具体的にするほど、個別化するので、自らの体験と異なります。そこを置き換えられるかということになります。

 

○判断の仕方

 

 まずは、今もっている表現を出してもらいます。

そのなかで自分に働きかけられるところとそうでないところをチェックします。

次に、方向性を確認します。目的とそのギャップを指摘して、変じるように試みます。

気づかせるために、基本メニュとそれを変化させたメニュを与えます。

以前のと比べて判断し、再アドバイスする。

「よし悪しの判断がつかない」とは言えないので、「○○とすると(○○からみると)よい、しかし、○○からみると悪い」と、長所短所の指摘をします。改良の可能性、必要性や、そこでの限界やアプローチのヒントとしてアドバイスをします。

 

○コラージュする★

 

 頭の中でつくってみます。紙に書き出すか、描きだします。それができなくともかまいません。実際につくってみればよいのです。

 たとえば、同曲異唱で一流のアーティスト同士、10人の歌唱を比べます。一曲全体ではイメージになりがちなので短くします。

頭やサビの一フレーズで10人の作品を比較します。

各々の歌い手を比べ、すべてコピーしてみます。さらに自分のを出します。

同曲異唱では、自ずと一流の人が変えたものを聞くことになります。しかも、比較するので、特徴が捉えやすいでしょう。

パターンの組み合わせ、音色の変化を知っていきます。

 

○創作する

 

 

 まずは、自分なりに自由に変えてみます。自分のもつものでは、大体、いくつかのパターンになってしまいます。それも知りましょう。自分のものと思っていたものさえ人まねが大半でしょう。

 そこからは、適当に、これまでやったことのないでたらめを楽しんでみましょう。どこかを強調すること、そこから組み立てが決まってくるのが理想です。テンポや声高、リズム、詞をそれぞれに大きく変えてみます。

 よい声やうまく歌うためだけに、ここを使うのはもったいないです。

 ビックデータの活用で天才に近づけていきます。

 

○フレーズのデッサン☆

 

 私は、曲や歌のなかに線をみています。声も一本みえてくるようにしています。

 そこに共鳴を意識して焦点に絞り込むという発声技術の意味があるのです。

 すべての音が同じくらいに聞こえるのでは、何も聞こえていないか、ただうるさいだけと同じになります。クローズアップとぼかしのようなものでは、心をとらえるフレーズとなりえません。

 

○音色とフレーズ

 

 音が現実のものに近いとするなら、すべての音の録音したら、そっくりそのままということです。しかし、作品は、そのままでなく、編集し、大幅なカットをします。それどころか、現実にないものを使って現実を感じさせることが少なくありません。

 効果音として、雨の音と聞かせたいときは、ときには本当の雨の音でなく、雨に聞こえる音をつくり、使います。これは本物より偽物の方がリアリティをもつ例です。

1.ことばの創作 選択

2.メロディの創作 選択

3.リズムの創作 選択

→音、音色の数、大きさ、高さ、長さ

 

○声が印象に残る★

 

 歌詞が聞き取れる、これらは、発声発音の原理が通っているということです。しかし、ことばで滑舌がよいことは、基礎の条件の一つであり、うまい=プロレベルのことでも、一流やすごいことにはなりません。

 私は、すごい、を期待しています。そうでなければ、おもしろい、であって欲しいのです。うまい、を大した価値とみていません。その辺は、日本の歌のプロデューサーやお客と判断を大きく異にしています。

 ヴォーカルのフレーズの線が出てこなくなって、ミキシングで加工した頃から、ヴォーカルの力も、存在感も落ちていったのです。一方で、日本では、万人が受け入れやすくなり、メジャーに売れたのです。わかりやすさの普及に、カラオケとそれで歌われるような戦略をとったプロデューサーが関わったのです。ポピュリズム=平均化ともいえるのです。

 

○二極化

 

 音大生とヴォーカロイドは、今のところ対極にあります。劇団四季のヴィジュアルや言語重視の裏にある音楽軽視は、そのまま、日本人における視覚と聴覚バランスに合わせているのです。それゆえ、日本での大成功です。

 聞いてもいないところにつくり込むのはムダとする。そのムダを残すのか切り捨てるのかで、文化とビジネスは分けられます。コンテンツを、より反応がとれるように効率よく使うと、ビジネスとしてはよくなるのです。

 効果で考えると、日本人には、声の変化より、フリの変化が効果大、つまり、効率的なのは、歌うより踊る方ですから、そこに力点をおくのがよいのです。

 口パクでもダンスは実際にする、アテレコと同じように音響の技術の発達が、口パク歌手をつくり、エアーバンドをつくりました。音量を上げたり、重ねたりすることで厚みを出しているのです。その下にはプロモーションビデオ、ヴィジュアライズ化の流れがあります。

 

○エッジ

 

 うまいのはワンパターンで、飽きられます。これはアニメなどの絵にも通じます。そこで、わざとフレーズの滑らかさをデットにするのです。

 そのことで、ニュアンスをおく、メロディから離してことばで言う、

エッジヴォイスを使う、シャウト、スキャット、フェイクを使う、

歪ませる、ノイズを出す、これらは日本でのさわりを入れるのと同じです。

 結果として、聞く人の心を引っ掛けるフックになるのです。

 

○即興のイメージ

 

 即興は、予め決めたプログラムなしで、その場で演じることです。とはいえ、ジャズでわかるように、パターンはあり、組み合わせをその場で選ぶのです。緊張感をもつために曲順を決めない、それを伝えないらしい玉置浩二さんのステージみたいなものです。

 歌のデッサンは、書家の一筆に例えられてきました。線のデッサン、動き、濃淡、サイン、すべてが集約されての作品、あるいは習作です。そこで即座に価値が出せるのはコンテンツが身体化している一芸が身についているからです。

 書道も、人の動きは3D、文字ももしかすると今後、3Dになるかもしれません。

 

 以下、自分で考えてみてください。

○奇跡の起きるとき

 以下、自分で考えてみてください。

○感性でつくる

○アイデア、変化、発想

○想像力と創造力

○直観と理論

 「感性研究」を参照

「「AIとこれからの声」へナレーション、声優、歌手、ヴォイストレーナーの職のソフトウェア化」Vol.19

〇カラオケバトルという歌謡番組

 

 日本では、カラオケに続き、ヴォーカロイドが出て実用化されました。これは、ロボット、アンドロイドという2つの進化に相当します。

 歌番組もほとんどなくなりつつある日本で、カラオケ採点機能での点数を競うカラオケバトルの放映が増えました。カラオケ採点機能が改良され、ある面で、審査員以上の公正な判断をしているのでしょう。センサー機能として、人の耳よりも信用をおいたわけです。ゲームのようなことが、いつの間にか、その点数を1点、いや、0.1点でも上げようとして、参加者が競っています。歌手などのゲストコメンテーターも、その点数を基準として聞こうとしているようです。歌の先生、ヴォイストレーナーの仕事を代行しているということにもなってきたのです。

 十代のオリコンランキングでは、上位の半分がヴォーカロイドの歌曲となったこともあります。高声と滑舌(早口ことば)を楽しんでのことです。しかし、それが生理的快感なのは疑いようがありません。一方、あとの半分も、AKB48とか○○とかですから、もはや、ここで述べて対象にならないのですが。

 

〇コンピュータの進歩と音楽

 

 クイズやゲームのように興味本位でみていましたが、声の世界での大きな変化であるのは現実なのです。歌番組として成立し、カラオケ採点機を入れないものよりも、多くの人に視聴されているのですから。紅白もそれで競ったら視聴率は跳ね上がるかもしれません。

 20世紀後半、シンセサイザーの登場で、バンドの音づくりは打込みになりました。人間よりも正確な音楽演奏を確実に、文句一つ言わずにこなすのです。しかも、それまでにない音色や音の動きまでつくれました。ドラマーも、人間では32ビート、64ビートなどを正確に持続しては叩けません。同様に、歌手はヴォーカロイドのもつ声域、リズム、音程の正しさに敵いません。勝っているのが発音、高低アクセント、イントネーションの変化ですが、これらもいずれカバーされるでしょう。残るは、音色、その人だけの声です。それも近いうちに合成、代替されそうです。あなたの声や有名人の○○の声で読み上げるソフトなどは、間違いなく出るでしょう。

 

〇日本でのAI化と“かわいい”

 

 ハイテク技術でのハイテクニックや技量、正確さ、疲れない再現性と、人の耳を通しての音楽、歌の捉え方、脳での聞き方とは、必ずしも比例しません。とはいえ、AIとなると、そういうものさえ取り入れ、いずれはiPSでの生の声帯で発声できるようなアンドロイドも出てくるでしょう。声帯の代用発声として、医療リハビリ面での必要から開発されるでしょう。

 CDのレベルなら、そこまでの必要もなく、人の声の合成だけでも、ほぼ間に合いそうです。カラオケバトルで、正確、完全な歌唱を競うなら、人は音声ソフトに敵わなくなるでしょう。

 特に、“かわいい”カルチャーに席巻された日本の若い世代は、歌手の歌声が人間の声でなくとも、さほど違和感をもたないようです。それどころか、慣れてスムーズに移行しつつあるのです。iPodiPhoneの音にも違和感はないでしょう。

 もしかしたらウォークマンあたりから慣れていったのかもしれません。すでに、若い世代は、デジタル音をファミコンで訓練されています。

 

〇声優、ナレーター業のソフト化

 

 声優、ナレーターの仕事は先細りです。既にナレーションのソフトは、もうかなり高い完成度で販売されています。しかも、日夜、改善を続けています。

 通訳、翻訳も、一流は、どの職では特別ですが、それ以外では、ほぼ通訳、翻訳ソフトに替わるでしょう。

 余談ですが、私の学生時代、まさか自分が、日常でパソコンを使うとは思ってもいませんでした。1980年代のことです。電動タイプライターはありましたが、アルファベットに比べて日本語の入力自動化の限界を感じていました。

 女性では、和文タイピストというのが花形職、1枚で何千円かを稼いでいました。写植屋さんは、もっと高く、二千万円ほどの初期投資で一生安泰などと聞いていたものです。今や、和文タイプライターは職とともに消え、街に写植屋さんもみあたりません。職が消えるというのは簡単なことなのです。

 ちなみに、当時、動画映像、VTRのマスターを1本60分ほどでつくるのに1千万円以上かかっていたわけです。CDをつくるのにも、機材もスタジオ代も含めると、今と何桁違うでしょうか。今や、小中学生がそのレベル以上のことをできます。無料で、しかも、すぐに配信までできるようになったのです。

 ついこの間まで、浪曲が日本を席巻していたといっても、もはや、その面影もないのを彷彿とさせます。

 

○シンギュラリティ

 

 シンギュラリティTechnological Singularity(技術的特異点)とは、人工的な超知能が人の知能を超える特異点です。一説には、2045年(カーツワイルほか)に起きるとされています。

 人工知能(AIAGI)の開発は、DNA解析、原子力の発明と並ぶ大革命といえます。

 

○リオから東京オリンピックへ

 

 たとえば、パラピンピックの選手が、これ以上サイボーグ化したら、オリンピックの記録をすべて上回るのではないでしょうか。

 パラリンピックでは、義足で2015年に10.57秒の記録を出したアラン・オリベイラ選手がいます。ちなみに、ウサイン・ボルト選手の記録は9.58秒(2006年)です。

 すでに走り幅跳びでは、マルクス・レーム選手が8m40まで出しています。(マイク・パウエルは8m95

 マラソンについては、世界記録が2時間257秒、車いすマラソンでは、すでに1時間2014秒となっているのです。(2016.9月現在)

 

AI世界と日本人

 

「マトリックス」の映画のように、培養され夢だけ見ている状態、夢の中で幸せにくらす方が日本人は、自由を求めて命をかけて戦うよりまし、と思うのでは、とは、松田卓也氏の指摘したことです。「永続敗戦」という白井聡氏のベストセラーに思い当たりました。

 

Q.テクノロジーの進歩は、どんどん速くなるのですか。

A.集積加速の法則、The Law of Accelerating Returns、これは「ムーアの法則」より派生しました。集積回路の集積度について1960年代に発見されたものです。指数関数的な進歩をするということです。というのは、1年後2倍、2年後22乗で4倍、3年後23乗で8倍、10年後およそ1000倍、20年後100万倍、30年後10億倍ということです。

 これを、コンピュータの進化のスピードとして、その結果をみると当たっていると言われます。

 

Q.AIで、すべての仕事はなくなりますか。

A.アンドロイドは、ロボット(産業機械)以上に、人を助け、人のこれまでの仕事を奪うでしょう。人の仕事として残るのは、自由意思を尊重して、判断して関わること、トップとボトムくらいのようです。

 

Q.AIは、音楽の創作もできますか。

A.すでにシンフォビア(SYMPHOBIA)の奏でる音楽は、本物そっくりと言われます。ディビッド・コープのEMIは、特定の作曲家ふうに曲づくりをします。

 

Q.音声入力があれば、キー入力は不要になりますか。

A.iPhoneSiriは、2011年秋、英仏独語、20123月に日本語版がでました。これまでのViaVoiceAmiVoiceとは、格段の違いがあります。事前の訓練もいらないのです。

 ただし、音声入力は、周りに人がいるときなど使いにくいのが欠点です。いずれ、骨振動の入力、喉の筋肉の動きを捉える技術(NASA)などが、使われるでしょう。

 脳波で入力できるようになるかもしれません。これはBCIブレイン・コンピュータ・インターフェイス、または、BMIはブレイン・マシン・インターフェイスと言われています。

 現に、EPOC(エモーティブ社)は、300ドルで、頭にかぶり16個の電極をつけ、簡単に脳波を扱えるように開発し、普及に拍車をかけました。

 

Q.AIの音声応答は、使われていますか。

A.ボットという人工知能ソフトウエアで、音声での応答をすることができます。

 コールセンターのなかには、電話の話し声から客のタイプを判別して、もっとも適切なオペレーターに回しているところがあります。それだけでも相当手間が省けるものでしょう。

 

Q.未来予測のオーソドックスな研究は何ですか。

A.1972年、ローマ・クラブの将来予測での「成長の限界」(MITメドウズほか)が有名です。(ロトカ=ヴォルテラの方程式が使われました)

 

○ロボットからAI

 

「ロボット」(1920年 カレル・チャベック)

AI」(1956年 ジョン・マッカーシー)

MOTOMAN1974年 産業ロボ 安川電機)

Eo1986年)PS1996年 ホンダ)

ルンバ(そうじロボット 2002年)

Sophia20154月)

Pepper20156月)、PALRO PARO 

そら楽(ドローン、ゴルフ場 2016年)

アルファ碁(20163月)1997年 ディープ・ブルー(チェス)、東ロボくん(受験)、ワトソン(クイズほか)

AIBO(ソニー)

ASIMO2011年 ホンダ3代目)

「教えてgoo」なども、AI使用

SiriGoogleNowCortana

NeoFace

 

(映画)

ヴィキ「アイロボット」「マトリックス」

スカイネット「ターミネーター」

 

(マンガ)

ハレルヤ「火の鳥」

「鉄腕アトム」「ドラえもん」「サイボーグ009

「ドラゴンボール」「攻殻機動隊」

 

関連記事をfukugenからあげておきます。

 

〇ことばと手話のAI化と平和

 

TEDで、ASLアメリカ手話を魅せる英語として演じたクリスティーンさんは、「音は、社会的通貨」と述べました。言葉を話してこそ、人は通じ合えるということです。しかし、手話があれば、理解し合えます。

 

私たちが、外国で外国語を理解できないとき、孤立化します。コミュニケーションがとれないと、そこで差別が生じます。しかし、通訳がいると対話ができ、理解し合えます。

 

ことばも手話もなんでも通じるようにAIが発達すると、それで、世界が平和になるということです。

 

〇通訳、翻訳は自動化に

 

多言語コミュニケーションサービス本格化。

ジャパンフィッターが2秒で自動翻訳

日英中韓 202010ヵ国対応予定

JTBとパナソニックのクラウド利用)

手荷物配送もラゲージフリートラベルで。

やがて、通訳、翻訳、ツアーガイドも淘汰の時代に。

 

〇パラリンピックに夢みる

 

パラ=パラレルは「もう一つ」のですが、もとはパラプレジア=対まひということでした。視覚障害や手足切断の人は、まひではないので、こう変わったのです。

 

足を切断したために、自由な長さの足をつけられるようになって、まわりにうらやまれたというモデルの人がいましたが、障害した人の働くことが驚かれた時代から、今や、技術の進歩もあり、障害が個性として強味になりつつあるのです。

 

そもそもカツラもメガネも整形も障害克服技術ですし、コンタクトレンズが望遠になったら、くらいに、身体のサイボーグ化はみじかに進みつつあるのです。

 

パラリンピックがオリンピックの記録を塗り替えていくと廃止されかねないのでないか、と心配しつつも、両足50メートルの義足にしたら100メートル走は一歩とか、など、最近、私は、リハビリから競技になったパラリンピックに、余計な心配とともに、人類の夢を重ねて、見ております。

 

オリンピックで日本のメダルは最高の41、入賞は45でしたが、そろそろ国をはずしたいですね。日本などの大国は、選手村の外に完全ケアの施設を完備、金にものを言わせるようなメダルレースはおかしいのに、、自国のことばかり考えるな、フェアにやろうよ、と思うのですね。欧米が仕切って日本がそこにのる、何処かで見たような、、。

 

1ヵ月まえ、867日とエチオピアでは、100人以上が政府の治安部隊に殺害されたとやら、で、マラソンでリレサ選手が抗議のポーズ。

 

夢とともに現実をしっかり、みたいものです。

「よいところを学ぶ」 No.309

 「たった一つでも輝く音をみつけて、それをものにする」、それが全て教えです。それまでは、よくないところ、悪いものなどに目をくれる必要もひまもないのです。

 なのに、人というのは、だめなところに目がいきやすいのです。相手のよいところをみて、自分を伸ばすのでなく、相手のよくないところをみて、今の自分でいたいのです。自分と同じとか、自分より下とか、安心したいのです。他人のだめなところを求めていると、自分がだめになります。

 なまじ学んで頭がよくなって、その頭で判断するのでなく、学んで愚直なまま、体で取り入れていく、そのようにあり続けるのは、とても大変なことです。

「呼吸論」

○一人で試みる必要性について

 

ものごとの学び方には、教えられたことを学ぶ以前にしておくこと、できたら、やっておくとよいことがあります。

教えられることは、すでに選択され正しいという形で入ってくるからです。

1.これまでやっていないことをする

2.何でもよしとしてやってみる

3.極端なことをやってみる

何事も、正誤の判断の前に、経験としてあってもよいことがたくさんあります。そして、それは学びのなかで、行き詰ったときに多くの手掛かりをくれます。

それに対し、教えられることは一つの形、体系になります。最初は、これまでにやっていないことをするわけです。そこから形になると、教えられていないことや禁じられていることは、しなくなります。それは無駄を省いているようで、そこで多くのことが落ちてもしまうのです。

やってみて正されることよりも、やっていないことは、ずっと多いでしょう。個性やオリジナリティは、そこに潜んでいるのです。ですから、一人でやってみるとよいのです。

 

○型とイメージ

 

型は、選択され決まった動きのように思われています。それはローテーションとなり、フォームとなります。習慣となり、基本の型となります。

その型をもたらすものにも、自ずと形ができてきます。形は、辿っていると小さくなるので、少しでも大きくするつもりで接しましょう。形は同じでもイメージを大きくしておくのです。

すると、これまでに使っていない脳、感覚、体を働かせることで、これまでの習慣、くせがとれたり、原点に戻ったりするきっかけにもなります。

もたらすものが大切なのに形しかみえず、学ぶことが形をとることと誤解されがちです。型は、形を優先して、本人の自由を失わせることが多いのです。形から動きを感じられるようになると型をふまえて、ようやく自由を得られるのです。

 

○イチロー選手の型と段取り

 

イチロー選手などは、彼の独特のフォームよりも、その前の段取りの方が注目されてきた選手かもしれません。 一連の段取りによって脱力し、心身でも柔軟な構えとします。つまり、リラックス、落ち着き、事に備えるわけです。それは、儀式とさえいわれます。

本番前にトイレに行くなどというのも用足しだけが目的ではないのです。

となると、フォームよりそこまでの段取りにも型があり、その方が基礎ともいえましょう。

 

○声を出す

 

スポーツでよく「声を出せ」といわれます。これは、選手を鼓舞してチームを一体化するのとともに、大きな声を出せば、息が大きく出るのですから、深い呼吸となり落ち着くのです。

とはいえ、他から強制されたり無理に自己に強いたりすると、力の出す方向を間違えかねませんので、ヴォイトレでは、ゆっくりと大きくしていく、深く広くしていくことをお勧めしています。

 

○怒と笑

 

一方が怒鳴ると、他方は怒鳴り返さない限り息が詰まってしまいます。そこで大きな声で笑うことができたらよいのですが。まあ、シチュエーションとしては無理があるでしょう。

たとえば、深刻な状況では、上司が先に笑わないと部下が笑うことはないでしょう。ですから、深刻なときに笑える人は貴重なのです。その状況の外にいて達観することができたら、問題は消えてしまうからです。

 

○完全な呼吸はない。

 

私たちは、肺のなかの全ての息を吐くことはできません。それと同様、完全なリラックスや完全な呼吸法は、目標として目指してもよいのですが、できたなどと思わないことです。常に目指している状態がもっともよいのです。

できたと思うと、そこから浅くなります。呼吸は限界まで深まったら、それ以上に深まりません。でも、もっとを目指していると、深いところに安定してくるのです。その最高値には個人差がありますから、それを目指すよりも最高値に最低値を近づけていく、つまり、安定させること、下振れを防ぐことが重要なのです。

一歩前へ、ポジティブに対する、そのとき、人はけっこうな能力を出せます。しかし、到達したと思ったときには、もう守りに入り、事が難しくなるのです。息も止まり、浅くなるのです。

 

○コミュニケーションにおける呼吸

 

 呼吸は、間を表します。「あの人とは、気や呼吸が合わない」、そういうことはよくあります。それが、いわゆる間、間合いです。

何かを尋ねて何かが返答される、その内容よりも、その間のとり方でコミュニケーションは決まってきます。間合いとは、何とも微妙なものなのです。

そこには、タイミングの他、相性、性格、タイプなども含まれてきます。それが同じ人の呼吸を微妙に変えてしまうからです。

 

○説得と沈黙

 

説得するときには、説得される相手の身になることです。

コミュニケーションには、あえて先読みしない、というのも大切です。ずっと先読みされていると、息が詰まってきます。そこであえて進まず、その一時を楽しみましょう。この間を決めるのは、呼吸なのです。

 「息をのむ」というのは、息を止め、じっとしている状態です。「はっ」と驚いたときなどにも使います。説得の前には沈黙が必要です。

 

○呼吸へのアプローチ

 

横隔膜は、首の前壁の筋肉の変化したもので、吸気筋です。息を吐くのをコントロールする専門の筋肉はありません。

「人」という字を書いて飲む。これはメンタルで人に勝つとともに、空気を飲むことで呼吸に結びついているのです。

1分間の呼吸の回数は、大人は16回~20回(およそ、3秒で1回、1.5秒吐き、15秒吸う)、新生児で3550回(大人の22.5倍)です。

 新生児は、換気量の少なさを回数で補います。大人でも緊張したりストレスを受けると呼吸が浅くなるので回数が増えます。

自分の呼吸数を測ってみましょう。

1分間に吐く 回→ 秒で1

1分間で吸う 回→ 秒で1回

長く吐いてみましょう

普通は720秒くらいです。

長く話す    秒~ 秒

歌って伸ばす  秒~ 秒

 吐くこと、呼気を長くするのには、新たにそれを支える筋力をつける必要があります。それは、呼吸に関わる筋肉です。骨盤底筋肉群まで含みます。

吐くことの反動(圧力差)で空気を入れ(吸う、吸気)、呼気と吸気の循環を大きく安定させていくのが呼吸法の目的です。そのことで、呼吸という発声のエネルギーを増大させ、しかも効率よく使えるようになるのです。

 

○呼吸の観察

 

みぞおちあたりの胸まわりで45㎝広がるのが横隔膜です。普段の呼吸で1.53㎝、腹式呼吸では57㎝も動きます。呼吸量は1㎝の動きで250300㎖といわれています。

1.自分がどういう呼吸をしているかを知る

2.呼吸のくせをなくす

あるいは、くせなどにあまり囚われず、単に呼吸を大きくしてみると考える方がよいでしょう。

呼吸や呼吸法を、どれがよいかとかどういうのが正しいと決めつける必要はありません。最初は意識することで精いっぱいです。少しずつアプローチしていきましょう。

トレーニング中、ため息やあくびが出ることがあります。これは換気の作用があります。出したくなったら妨げないでください。

 

○ヴォイトレのコンディショニング

 

 ヴォイトレで、声の調整をするというのは、整えるというのになるので、ヴォイスコンディショニングと言えばよいと思うのです。

ここで私が述べている調整の声とは、ベターな声のことです。

それが、今のしぜんでベストの声であるというなら、グッドの声でよいのです。元より、グッド、ベター、ベストをどう割り当てるかです。

私の区分では、普通によいのはグッドの声、これは心身がよければ出る声です。ベストの声は、心身をグレードアップして、つまり、鍛えた後にコントロールされて出る声としています。ベターの声は、グッドとベストの間、ベストの声への導入となります。つまり、現状グッド→ベター、将来はベター→ベストとみているのです。

 

○ヴォイトレの弛緩☆☆

 

 世の中、何においても「がんばらない」が、キーワードになってきたように思います。力をいれたがゆえの空回り、無理による無駄を嫌がり、恐れるようになってきたのでしょう。しかし、力が抜け楽になった分、原因のみえないところで表向きの混乱もなっているのです。

それは、当然のことです。トレーニングは意識して部分的に集中したのち、解放させるわけです。厳密には、ある条件のもとに負荷をかけて鍛え、変えて、一時的にアンバランスになるのを許容し、その後に、無意識に全体のバランスを可とするようにしていきます。ですから、無理、無駄を必要悪として、ある時期、許容しないと大きくは変わらないともいえるのです。

 

○肺と呼吸

 

内臓のなかで、肺は、呼吸筋、骨格筋の動きに委ねられています。心臓や胃腸、肝臓、腎臓のように、自らは動きません。しかし、その筋肉を扱うことで自らの意志でもコントロールできるのです。

呼吸が整うと

1.フィジカル面では、エネルギー代謝がうまくいき、うまく体を動かせます。疲労しにくくなり、体重も適正になります。

2.メンタル面で安定します。

2001年、日本呼吸器学会は、「肺年齢」という考えを提唱しました。年齢による肺活量の計算式もあるようですので、参考までに。

 

○首筋と横隔膜

 

 大きく息をすると、お腹の筋肉を動かすことになり、内臓をマッサージすることにもなります。腹圧が上がり腹がへこみ、スタイル改善、ダイエットにもなります。

お腹の前は腹直筋、横は外側から、外腹斜筋、内腹斜筋、腹横筋、後ろは広背筋と脊柱起立筋です。

 胸鎖乳突筋といって、胸骨と鎖骨から乳様突起までつながる筋肉があります。これは、横隔膜と同じ神経系の支配下にあります。その横隔膜は、背骨回りの多裂筋と骨盤下の骨盤底筋肉群と連動します。

横隔膜が下がる(収縮)ということは

1.助間筋が収縮、肋間が開き胸部が広がる。

2.助間筋は、14内助間筋が前に拡がり、5~外助間筋のみ、横に拡がります。

その後、内助間筋が収縮し、腹横筋も収縮し、横隔膜が上がり戻るのです。

 

○呼吸の3パターン

 

 呼吸について、基本の基本を押さえておきましょう。次の3パターンがメインです。

1.鼻から吸い、鼻から吐く

2.鼻から吸い、口から吐く

3.口から吸い、口から吐く

吐く―吸うことでは、鼻からか口からかの全4パターンです。

1.鼻―鼻 通常

2.鼻―口 話すとき

3.口―口 非常時

4.口―鼻のケースは、あまりないでしょう。

 

○呼吸トレーニングの効果

 

背のこり 助骨拳筋 背骨と肋骨つなぐ

肩こり  上後鋸筋 脊柱と肋骨つなぐ

斜角筋  首の横突起と肋骨つなぐ

胸骨のきわ 助下筋

喉の痛み 下後鋸筋 胸横筋

コリ、張り、冷え、むくみをとりましょう。

 

○異なる刺激

 

スポーツなどでは、技の習得にステップを踏むので、くせも同時についてきます。そして、とれないことにもなります。多くの場合は気づかない、とれない、よくないから、くせというのです。

そこで、直接、くせをとろうとするのでなく、あえて異なる環境刺激を与えるのです。他のスポーツや運動、筋トレをすることなどは、これにあたります。

あえて体を不安定にさせてバランスをとるようにしていき、慣れるとリラックス、脱力できるようにする、などという方法があります。片足で立つ、赤ちゃんのまねをする、コアトレをするなどは、そういう面が大きいのです。 

 

○こりをほぐす

 

胸部回り、背骨回り、首回りの筋肉が固い人は多いです。すると、呼吸がスムーズにいきません。息切れの状態になっているのです。そこで、深呼吸することがデトックスにもなります。

 

○意識をはずす

 

 筋肉に意識を向けます。向けると筋肉は収縮し、固くなります。意識を向けると、心身とも緊張するのです。 そこで意識せずに、そこで扱えるようにしていくのが望ましいのです。しかし、トレーニングにハマる人には逆行していく人が少なくないのです。

息を吐くとお腹が固まります。吐き切るとガチガチになります。試してみる分にはよいのですが、このままでは、呼吸をコントロールできるようにはなりません。

何もしていなくても私たちの重力で負荷がかかり、それに対抗して支えているのです。そこで歪みが生じているのは、正したり整えたりしないとなりません。過緊張やくせをリセットして、それで補正できない分は強化します。最終的に、しなやかに、疲れにくくするのです。

それには、

1.無意識に使わないところを知る

2.意識して使えるようにする

3.無意識に使ってみる

この3つのくり返しです。

さらに、

1.使えているところをさらに使えるようにする

2.使えていないところを使えるようにする

2通りをふまえていくいことです。

 

○赤ん坊からの進化☆☆

 

新生児の泣き声は、小さな体で大きく響くので発声の理想として取り上げられることがよくあります、しかし、声は喉声、その姿勢は必ずしもよいとはいえないものです。顎だし肩すくめのポーズですね。もちろん、声域は狭く、発音も歌も不可能です。

しかし、泣くことで、呼吸筋(横隔膜、腹横筋)脊柱周りの筋肉が鍛えられていきます。つまり、完成形でなく、プロセスとしての参考例なのです。

赤ちゃんの発達をみてみましょう。

1.首がすわる(3ヶ月)

2.寝返りをする(45ヶ月)

3.四つん這い(上半身)で体重を支える

4.ハイハイをする

5.つかまり立ちをする

6.立つ

7.つかまり歩きをする

8.歩く

 これらを再体験してみましょう。

 

首がすわるときに、あごを出さないようにしましょう。

寝返り、四つん這い、うつ伏せからハイハイへ、脊柱でバランスを意識します。

おすわりでは、軸と抗重力を感じます。

ずり這い(お尻歩き)

つかまり立ち

 それぞれのプロセスを経て、発声、呼吸ほか、人の基本的な動作で起きていることを知りましょう。

 

○声のためのワークショップ

 

仰向け、横向け、うつ伏せでの呼吸、そして発声へ

1.胸は前 柔らかくする(胸部上部)

2.お腹は、横と後へ胴回りの広がりを肋骨に触り自覚する

3.肩、首回りをほぐしつつ脱力

4.背中で支える

吐くとお腹がへこむというよりは、横に拡がっていたお腹が戻る感じがよいでしょう。

 

○リラックスする

 

刺激して、ほぐし、そして強化し脱力します。

 

1.脱力する

2.揺らしたりさすったりして、緩める

3.押す、圧する

リンパを流すようにしてみましょう。

首の緊張をとるには、首の後ろに両手をあてて、縦にうなづいたり左右に動かします。

筋肉が骨についているところを、その筋肉の両端でほぐしましょう。

肩、小胸筋

腕の旋回

背骨 

イスに座って前屈してみましょう。

強く息を吐きます。息を吐きすぎることで内・外腹斜筋も働きます。

腹横筋を強化します。

体育座りから後傾して腹筋の意識をします。

座禅、瞑想をして落ち着けます。

調身、調息、調心の順に行いましょう。

 

○ラジオ体操の利用

 

ラジオ体操が復活しているようです。運動不足を補い、柔軟性を維持するには、とてもよいことです。

「胸を張って背中を反らしましょう」では、顎が上がり口から肺まで真っ直ぐになるので、呼吸はしやすくなりますが、肺や呼吸筋、横隔膜などは活かされにくくなります。手を上げると背中は、反ります。首や肩での呼吸では、腹式呼吸も胸部も使いにくいでしょう。

 

○効果の判断の難しさ

 

「息を吸ってお腹を膨らませるのが、腹式呼吸」というのは誤解しやすい教え方です。お腹を突き出したり出しひっこめたりするのは、呼吸とは別のトレーニングです。

だからよいとかよくないとは一概にいえません。呼吸そのものとつながっていないから、呼吸トレーニングでないようでも、結果としてそれを補助したり役立っていることもあるからです。

正しい、間違いに関する判断は、その場だけのことでなく、将来に対してプラスを求めるならば、簡単に肯定したり否定できません。あるトレーニングが直接的な効果でないだけで、あるいは一見、力んだりして邪魔していても、その動きが間接的に呼吸をフォローする効果となることはよくあります。☆

固めない、しぜんというのが基本です。とはいえ、より基本をしっかりと身につけるとするなら、トレーニングである以上、意識して固くなり緊張もして行うことになります。それをどこで修正するかということです。

固くもならず緊張もせずに、しぜんであれば変わりません。あるいは、とても長い時間がかかります。

 

○呼気と吸気

 

肺の弾力は「残気量」などから出せるそうです。ともかく、息は出したら入るのです。入れるためには出せることです。最初は、そのために無理、必要悪も承知でトレーニングするのです。

 

○機器を使った呼吸のトレーニング

 

ストローを使ったり、口をつぼめる、鼻先の片方をふさいで出す、などのトレーニングは、出口を狭くして抵抗を感じ、呼気を意識して、またそれに対応する力をつけようというねらいです。

吐くことに負荷をかける、呼吸筋を鍛えるというような器具なども売られています。

使い方や目的によって異なるし、人によって長所、短所もありますから、否定はしませんが、私はお勧めしていません。それで心地よいとか力がつくと感じている人は、よいと思います。

 

○その他の注意

 

過呼吸は、吐きすぎてCO2不足で息苦しくなり、息を吸い過ぎるので、過換気症候群といわれます。具合が悪くなったり、倒れることもあるので、注意してください。

 

○発声トレーニングのメリット

 

呼吸、発声、共鳴には、うまい人と下手な人がいます。

生まれつき、あるいは、育っていくなかでうまくなった人とならない人がいるのです。うまくならない人は、うまくなるためにトレーニングをお勧めしている次第です。

すると、体幹が安定します。歩くこと、走ること、動くこと全般の運動技術や能力が向上します。習慣を改善していくのです。

発声でフィジカルパフォーマンス、メンタル、内臓機能などの改善が期待されます。健康になることも確かです。

 

○現代の呼吸事情

 

姿勢が悪いのは、呼吸によくありません。

赤ん坊、子どもの動きからヒントを得ましょう。とはいえ、子どもも小学校に入り、イスに座ることが多くなると、姿勢が乱れがちです。

昔は、たくさん歩いてたくさん運動して、しぜんと正されていたのです。しかし、その機会が減って声をつかわなくなったのです。それは、子どもから大人になるにつれ顕著になります。

 

○老いと呼吸

 

老いると、床から腰を上げるだけでも一運動になります。疲れがたまったときと同じでしょう。そこにはメンタル面も大きいです。

腹がすわるようにします。腹にすえかねたり腹を立ててはいけません。

正座や瞑想が流行しているのも、そのような背景があると思われます。

 

○チェックプログラムの立案

 

 次の項目をチェックしましょう。

表情 立ち方 歩き方 動き方 しぐさ 気分

1.レッスン時

2.レッスン前

3.レッスン後

4.普段

 

○胸とお腹

 

胸については、胸骨中心に大きく動くことが理想です。肋骨は、柔らかく、胸椎の可動域は大きくというように、です。

お腹は使うのですが、それは力を入れたり固めることではありません。

腹式呼吸、発声、ヴォイトレのトレーニングや鍛錬ということばに、あまり忍耐や我慢のイメージがつくのもよくありません。

力を圧縮するのでなく、解放するのです。ただし、拡散するのではなく、集中するのです。

 

○機能を高める

 

 声の機能を最大に使いたいなら、身体を機能的に使えるようにすることです。

できないことをできるようにするには、すぐに、部分的な目的での完成を目指さないことです。全体を底上げしていくことで結果、解決していくように考えることです。

高い声を出したいなら、高い声を出そうとせずに発声をよくする、整えることをします。つまり、より早く少し先に行くためにでなく、より深くより確実に、ずっと先に行くために、ためることを選べるかということです。

短期プログラムで筋肉をもりもりつけたからといって声が出るわけではないのです。

 

○体と声と呼吸のタイミング

 

スポーツでも体と呼吸のタイミングを合わせるのは大変なことです。陸上や水泳のスタート、相撲の立ち合いと、呼吸が合わないとやり直しますね。声は、その間にあるのでさらに複雑です。しかし、呼吸と声=体となれば、シンプルです。

呼吸と体を合わせるのに間のとり方を得ていきましょう。息は慌ててもため過ぎてもよくありません。でも、ためられるようにはしておきましょう。イメージ、感情にも左右されるので、心身の統一イメージが必要です。

 

○芯と共鳴

 

声=体とは、体についている声、芯のある声をもっているということで、軸、縦の線などと述べてきました。呼吸で声を生じ、共鳴させます。芯と共鳴の2つの条件がいるのに、多くの人は、共鳴だけでコントロールしようとして息詰まるのです。☆

 

○横隔膜のリラックス

 

横隔膜が緊張すると体幹がうまく使えず、しぜん体になりません。

たとえば、声を出して、竹刀面に打ち込むとします。そのときに、息は出ます。素早く吸い込んで、次に備えます。このとき肩で息をしません。肩が動くと乱れるからです。

本番前は、深呼吸でリラックスさせましょう。声を出しながら体操やエクササイズをします。動きのリズムに呼吸を合わせるのでなく、呼吸に合わせるのがよいでしょう。スローモーションでみてみましょう。機能的=美しいとなります。

息を吐いて肋骨が下がるとお腹が持ち上がりませんか。呼吸も横隔膜も、無意識から意識的に使えるのです。胸式呼吸時に首回り、胸、肩のあたりの筋肉が動くのは自立神経も乱れ、よくありません。

 

○筋力維持と腹圧

 

最近は、お腹が少し出ている体型が長生きするといわれ、反メタボの気運もあります。発声には、痩せているよりは少しぽっちゃりがよいといいます。

 理想は、お腹が固くない、背中も柔らかく、筋膜、インナーマッスルも柔らかい、筋肉、関節も柔らかいことです。

横隔膜の筋力の低下を防ぎましょう。使わないと劣化するので使うことです。これを他のところ、胸式呼吸などで補うと使えなくなりかねません。

メンタルとしての過緊張や、姿勢で胸の張り過ぎも悪い影響をもたらします。肺に空気があるのに吐けない、となります。

肩や首がこるのもメインの横隔膜呼吸ができていないために負担がかかるのです。

 

○胸の張りについて

 

横隔膜右下には肝臓があり、右サイドの横隔膜は少し高い位置にあります。右肺は三葉で大きいためです。左サイドはやや押し下げられています。左肺は二葉で上に心臓があるためです。

 胸を張ることで腰が反るなら、楽に続きません。ここで支えるのが腹圧です。上下、左右、前後で圧力がほどよくかかっていればよいのです。腹圧が前腹に偏ると脊柱が安定せずに腰が反るわけです。あごを引いて頭を持ち上げます。頭の上を操り人形の糸でぶら下げられていて、顎だけ引く感じがよいでしょう。首の筋肉では、顎が上がるので、胸椎の筋肉を使います。

無理に胸を張るのはよくありません。しぜんと張れているのがよいでしょう。つまり、腰を反らせてはよくない、ということです。肋骨が持ち上げられて浮くので、吐くときに下がらなくなります。固めてしまうわけです。

お腹は肋骨と骨盤の間にあたります。そこにボールを入れて支えるようなイメージをもちましょう。

 

○その他、肩、首などの注意

 

肩甲骨を脱力します。肩が下がることも大切です。

首に筋が出る人は、頭が前に出ています。すると、胸鎖乳突筋が緊張し、斜角筋も緊張したまま、肩上げ呼吸となります。(これは、特に女性に多いのですが、肩こりの一因です。きちんと空気が深く入らないのです)

どちらも呼吸を助けるときに働いても緊張をし続けなければよいのですが、この助けをメインとしてしまうと、悪影響が出ます。本来、メインとすべき横隔膜に頼らなくなってしまうからです。横隔膜が緊張していて、今度は吐けなくなります。

 

○フォロー体制づくり★

 

アメリカのスポーツ界では、メディカルスタッフとして、アスレチックトレーナー、フィジカルセラピスト(理学療法士)、ストレングス&コンディショニングトレーナーがついています。それに習い、研究所にも、そういう体制をつくりました。どうぞ、ご利用ください。

 

「声の強さ、耐性について」 Vol.18

Q.なぜ、ヴォイストレーナーの声は弱いのか。☆☆★

 

A.最近、よく聞かれるようになった質問です。きっと、トレーナーは、声が強く大きいとか、太く深いと思って、会って幻滅したのかもしれません。しかし、ヴォイストレーナーというのは、必ずしも強い声を出せる人でも、強い声の出し方を教えることを専らとしている人ではありません。

 

ここは、ヴォイストレーナーに何を求めるのかで違ってくるでしょう。もちろん、全てをできるというトレーナーもいますが、そういう人に限って、大体は、全て薄めている、つまり、平均的にそこそこにできるということが多いでしょう。

 

私の研究所では、一人の受講生に複数のトレーナーがつく複数トレーナー制で行っています。これは、全ての問題に対応できる、あるいは、全てのタイプの人に対応 できるトレーナーは、ハイレベルにおいてはどこにもいないからです。

 

アメリカやイタリアに行ってもいません。そこで、すでに一流の歌手を育てているトレーナーでも同じです。あなたがそうなりたくてその人についても、なれません。 これまで、たくさんの人が、一流を育てたというトレーナーに学びに行ったのを私は知っています。しかし、日本人で、そうなれた人はみていません。もちろん、歌手に限らず、認められるには声の力だけではないのですから、ヴォイトレの第一の目的の声でみるとします。でも、声の力もつかないケースが多いのです。

 

海外のトレーナーと歌手の例から切り出したのは、大体において、現在、日本で歌手を教えている人は、他の国のヴォイストレーナーより声が出ない、弱いからです。また、日本の歌手も役者も同様に、声は弱いのです。

 

そこで、プロの歌手、役者が自分を見本として教えても似たことが起きます。

 

それ以前に、そういう人たちは、声が強くなくてはいけないと思ってはいません。ポップスにはマイクがありますから、歌を上手く歌うことと、声の強さ、大きさは関係ないと思っているのです。または、そうではないのでスルーしているのです。もって生まれた声で、そのままでよいと思い、声の強さを求められなかった、求めても得られなかった、得ることをしてこなかった、もっと簡単に言うなら、声を強くするトレーニングをしてこなかったし、その必要性も感じていなかったのです。逆にいうと、それで人並み以上のことができ、認められてきたのです。高い声、細い声、きれいな声を求め、あるいは、すでにもっている声、質がよく、恵まれたタイプか、高音域優先タイプが圧倒的に多いのです。

 

ですから、プロの歌手やトレーナーで普通の人よりも大きな声が出ない人はたくさんいます。そういう人は、声は鍛えるものでない、その人に合ったしぜんがよい、と考えています。そうなると、どこが声のトレーニングなのかと、私なぞは思うのですが。そこで伝えているのは、ヴォイトレでなくヴォイスコントロールであると、私は、二つに分けて述べてきました。

 

今の日本の歌の現状をみて、そういう方向に特化したトレーナー、声楽家を紹介していたこともあります。私の研究所には、かつて、声の弱いトレーナーも何人かいました。が、今は、一般の人よりも声が弱いというトレーナーはいません。ここには、あらゆる分野のプロの人もくるので、声が弱いなどと疑問をもたれてはやっていけない厳しさがあるからです。

 

要は、いろんなタイプ、専門のトレーナーがいるのでそこをきちんと知ることです。ご自分のトレーナーに、どこが専門、強いのを聞くのもよいと思います。それがわからないのなら、私があなたをみて選ぶトレーナーから始めるとよいと思います。

No.308

親切にする―可能性を信じる 敬意をもつ

慈/悲 成長を願う 理解し共感する

人に関わる、よい影響を与える

身内より他人の方が親切にしやすいし、親切にされやすい

導かれても導くことはできない 

場を共有する、自発的に気づき学ぶ、遊ぶ

教えてもうまくいかない、教え方がうまくなるのではない

遊びのもつリズム、間、戯れ、ふれあい

ただ一流の歌を聴く、一緒に聞く

フレーズを回してみる

他人のを聞いて自らの出す、気づく

歌一曲だけでなく、一フレーズで、くどいまでのくり返し

多角的なアプローチをする

 

フレージング効果

提示の仕方

基準値の無視

処置のためのチェックリスト=基準

評価と判断と実践

少数の例で法則をつくらない

物事はランダムに起きている

長く多くの人をみて、考える

暗示的なレッスン「今、よい声が出たと感じませんか」

専門家は、スキルの錯覚を助長してしまいがち

誤りを認めず言い訳を用意しない

明確な意見断定は、メディアや大衆が歓迎する

偶然や予想不能を認めない

残念ながら私の扱う世界は予測不可能

Vol.50

○話し方がうまいのには、ご用心

 

話し方については、多くの人がいつも関心をもっています。たくさんの本も出ているし、TVや雑誌などでもよく特集されています。そういうところのノウハウを聞くと、私は不思議に思うのです。

というのは、本当に人間関係が豊かな人や、仕事で業績をあげている人は、必ずしも話がうまいわけではないからです。むしろ話し方は下手、なかには愛想さえよくない人もいます。

もしそこに共通した一点をあげるなら、時折、本当に人に向ける、いい感じの声や表情が窺がえることです。

それは、初対面で、まだ打ち解けていないうちには出てきません。緊張し、固い感じで好感とは程遠いときもあるのですが、それだけ実直ともいえるのです。

それが、信用の礎となるのです。そういう人は、相手が自ら選ばれたいと望んでくるような関係づくりをしているのです。

 

○トークテクニックを捨てる

 

「私も前まで、こんなふうには話せなかったのです。でも今では、思うことを話すことができるようになりました。あなたもすぐにそうなれますよ」

話し方セミナーや自己啓発書では、こういうのがレクチャーの定型パターンです。

邪気ムンムンで、スラスラしゃべれる人は、マニュアル、TV番組のプロなどの話し方の口うつしです。

ファーストフードで大声でだべりまくったり、電車でソフトクリームを食べている高校生と変わらないのです。店内一杯に声を反響させている人ほど、始末が悪いのです。現実にはおかしい、フィットしていない。そこに気づけないのでしょうか。

一方、自信がないから話す力のない人は、感覚としては、人の話を聞くことができているので上級者なのです。

一般的に、話し方や表情がよいと言われるのは、営業、交渉、販売、サービスといった方々です。経験と慣れから、いつでも誰にでも勢いのある元気で明るい声と笑顔を向けられます。もっとも顕著な例は、選挙前のときの政治家でしょう。

私が打ち合わせや仕事に使っている店にも、そういう人は、やや大きすぎる耳障りな声を延々と出しているのでよくわかります。

それは、話力でも説得力でもないのです。聞くほどに説得されたくなくなってくるのです。そこに学べることは、反面教師としてなのです。

 

○話がうまくては印象に残らない

 

私は、三十代のときには、けっこう講演をしていました。JR東日本からNTTなど、大企業から新興ベンチャー企業まで。で、あるとき気づかされて、ハタッとやめました。口先だけが回るようになってきて、自分が不快になったわけです。自分の伝えたいことを伝えているという実感が失せてきたのです。

当時、たぶん、人の二倍くらいの量の話を早口で流しっぱなしにやっていました。最後まで話し切っておしまいで、質疑応答がでなければ勝ったみたいな、力づくの一方通行でした。今、考えると赤面ものです。

その若さで人情話なぞ語れないので、質を情報量でカバーしていたというのは、言い訳です。

話ができないのは、少しずつ直るけど、話ができたつもりになっているのは、たちが悪いということです。自分のことですが。

 

そして、私の専門とする声について、なぜか話をしているときの私は、声そのものには思いあたらなかったのです。私自身、トレーニングしたつもりの声があって、それは一般の人に使うのとは別もののつもりでした。そのつもりが、一つのおごりになっていたに違いありません。

ですから、声に自信がない、うまく人に言いたいことを伝えられないと思う人は、逆に大いに自信をもってよいといえます。

なぜなら、もしあなたがそうであり、そう思っているなら、そういうあなたは極めてノーマルな、私よりずっと感覚の鋭い、まともな人だからです。

«「伝えることの複層化★」 No.308