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私は10数名のヴォイストレーナーとともに、ヴォイストレーナーにも指導しているため、内外のヴォイストレーナーのアドバイザーやヴォイトレをしている人のセカンドオピニオンもたくさんやってきました。ヴォイストレーナー、指導者、専門家以外にも「ヴォイストレーナーの選び方」などに関する質問が多くなりました。以下を参考にしてください。

「ヴォイストレーナーの選び方要項」 http://www.bvt.co.jp/new/voicetrainer/

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「1.ヴォイストレーナーの選び方」

「2.ヴォイトレの論点」

Vol.56

○自分の声のパターンを知る

 

 敵を知るには、まず味方からです。「味方って一人じゃん」という声はさておき、

 声があなたの味方、いや声を味方にしましょう。そうすれば、万人を味方につけたようなものです。

 「声って一つじゃん」って。

 いや、いろんな声があるのです。次のような声から、自分にあてはまるものをマークしてみましょう。わかりにくければ、身近な人の声をサンプルとしてチェックしましょう。わかりにくければ、誰かにあなたの声についてチェックしてもらいましょう。

 

○声の出だしを高めにインパクトを

 

 声は、出だしのインパクトで決まります。第一印象にあたるのが、声の出だしのトーンです。日本語の語頭は、はっきりと聞こえないと、意味が不明瞭になるので、やや高めに明瞭に言うことです。これは、日本のアナウンサーの話し方の技術の一つで、「高出し」といいます。

 噺家などは、「え~、毎度」と感嘆詞や枕詞をつけて、導入をわかりやすくしています。電話の「もしもし」と同じ役割です。

 話し方の本には、「あの~」、「えー」は、よくないからとるなどととありますが、一般的には、あまり多用しなければかまわないと思います。日本語では、その方が自然に入れるし、相手も聞く準備ができて伝わりやすいからです。

 

○決め手は、語尾ニュアンス

 

 声は音ですから、時とともに去りぬ、つまり、発したところから消えていきます。

 ことばなら、そのときの決め手は、捨てぜりふ、いや、最後のせりふです。声ならだめ押しの声、つまり、最後の声に残るニュアンスが決め手となります。

 デートで、最後に淡白にサッとさよならした人と、もてなせなくても、最後に温かい感じと思わせた人と、どちらが次のアポイントにこぎつける可能性が高いでしょうか。

 「バカでかわいいおまえ」と、「かわいいけどバカなおまえ」と、どちらがましかっていうことです。「かっこいいけどドジ」、「ドジでもかっこいい」では?まあ、人間、大して前のことは覚えていないということです。ですから最後の締め、語尾のニュアンスが肝心です。

 

○重要なことは、くり返す

 

 私はベテランの講師が最後に、今日話したことをまとめたり、最初に前回、やったことをくり返しているのを若いときに聞いて、小学生であるまいし、と思っていました。でも、今はわかります。それなりの歳になると、いろんなことをして、頭がまとまっていません。そこに念押し(リピート)があると、とても助かるのです。そうしなくては、せっかく聞いたことが頭に残らなくなっているからです。日本語では、印象に残すには、強く言うよりもくり返すことの方が効果的なようです。

 

○自分の声のパターンをゲットする

 

 ヴォイスメモに、自分のベスト声全集をつくってみましょう。

 ついでに、自分の声で、自分を励ますことばを録音して聞いてみましょう。

 紙に書いて、毎朝読み上げていると、書いてながめるだけよりもずっと力が出ます。

 あなたが尊敬する人のことばでもよいでしょう。自分の選んだことばが、励みになることもあります。

 がんばっているときのあなたが、そうでないときのあなたに、それを残したと思ってください。

 誰しも、がんばっているときの自分が好きでしょう。ですから、がんばっているときの声を入れておくとよいでしょう。

「期待と準備」 

「間違っていますか」「正しく直してください」という人が、増えてきたように思います。ことばに出していわなくてもそう思っているとわかるものです。

 

さほどやっていないのですから、達してないしできてないし、そもそも入れてないのに出てきようがありません。

そのレベルに、間違いも失敗もないし、そこに注意されたり、まして怒られることなどはありません。

 

できるだけの準備をして臨むこと、準備がなければ、こちらは待つだけです。先に進めようと努めなければ、遅れるだけです。

 

期待されないようにならないように。

チャンスはいつもそこにあるのに、見逃していくなら、そんなにないのです。

 

欧米では、現場でのダメ出しや否定の厳しさは、日本の比ではありません。何より時間が限られているからです。

元よりできない人を選ばないから準備を優先するように促すのです。

準備不足を繰り返す人やそこまでいかない人には、ひとことも言われません。参加の資格がなくなり、そこにいると却って信用と仕事がなくなるだけです。

日本のように層が薄く、我慢して、注意して直してまで、その人を使う必要がないからです。常に代役がいるからです

 

子供の教育とプロの稽古は違います。

日本の歌手や俳優がほとんど海外で通用しないのは、こうしたプロ意識の差からです。

 

一流の俳優や歌手は、大体、本人の基準でみたら失敗しかしません。自分の期待するレベルが高いからです。

彼らが本当に自分で満足できるパフォーマンスをできるのは、生涯に何度かでしょう。

ただ、ふつうの客はそこまで見ないので、舞台を満足してくれます。そこからは自分との葛藤になります。そこからのレッスンなのです。

「自己鍛錬と場」

〇一体化する

 

一つとして見る、一本としてみる、頭のてっぺんから足の先まで突き抜けているところでみると、世界観、身体観が変わるものです。それは、空間的なのですが、時間としての連続性もあります。何かが始まり、終わるのです。

 

○先を観る力、創る力☆

 

音楽は、聞く前にすでに始まっています。聴いた後に終わっているのでなく、また始まるのです。つまり、1コーラス、2コーラスとあって、2番から3番で曲は終わっても、歌詞は終わっていても、3456、…と続くのです。

音楽のもつリピート効果について、度々指摘してきました。元よりリズムなのですから、音楽の始まる前も、私たちの鼓動は、リズムを刻み、終わった後も刻み続けているのです。

 先を予測する能力、これは直観力の中の一つですが、音楽のなかでは、本来は創る側に促されて、聞く側が順化させられるものです。

いかにこれまで、そうでない作品、つまり聞く側として、トレーナーとして、私は、こちらが先に行って待っていなくてはいけない作品を聞いてきたのでしょうか。それは、作品、作られた品として駄作です。でも、そこで、それを一瞬でも永遠に引き延ばす作品にする可能性をみるのが、トレーナーの役割です。

もしそれが作品として成立しているなら、私は、純粋に客として、その対価を支払い、トレーナーを抜けられるのです。そこを目標にしていたら、基準は揺らぎません。

 

〇変じるために、対応、察知、感応力、共感力

 

先見力は、リスクマネジメントからくることが多いことを、昔、教わりました。生命の危機のとき、火事場のバカ力よろしく、最大に発揮されるのです。

その場を与えるのがレッスンであったと思うのです。裸の肌感覚です。

こうしたリズムと鼓動の関係は、そっくり、呼吸の問題と通じるのです。

一心同体、自分と同体になることも難しいものです。同体であるのに、意識できません。怪我をするとそこを意識することで、体がわかりますが、離れているから把握できるのです。それは、異質なものとして現れ、治ると消滅するのです。

 

反対のもの、嫌い、苦手をぶつける

多様性をキープする

運動性、柔軟性を高めておく

緊張せずリラックス状態にする

固定せず、流動化、気体化する

音楽は動いています。止まったら終わりです。

 

○集団を個とする

 

ときに、一人で完結するより、二人でやりとりする方が可能性が高まることがあります。

スポーツには、記録を目指すのと、勝負とがあります。ボーリングは一人でハイスコアを目指せますが、やはり対戦形式をとります。他の球技のほとんどは、相手との対決です。攻めては守らなければなりません。

敵をライバルとして認めることで、お互いに成長するのは、確かです。戦いがスポーツに変わった理由かもしれません。相手を殺したら、その先、自分も成長できません。

 一人で演ずるよりも、何人かで演ずる方がパフォーマンスとして伝わりやすい、これを私はディズニーランドのショーのようなものとして批判してきました。日本人の、数を頼み、個としての実力をつけないものの象徴として、です。ゴスペル合唱などについてもです。

しかし、使いようによっては、その方が実力は向上するのです。ただし、個としての実力をつける努力を、それぞれが怠らなければ、です。そこがなくなるのが、個としての、自立心としての弱さです。

 日本では、名選手がその組織の理事長になる。マネジメントの専門家を使いません。それもまた、私は批判してきました。が、一理あるのです。戦いに強い人は、人心を読む力もある、といえます。

 

〇自由と型☆☆☆

 

 未来の取り込み方は、予測しておくのですが、それだけでは、その通りに得られないので、状況に応じて変化させていくことが必要です。レッスンもトレーニングも、未来を取り込むものでありつつ、現時点での最大のパフォーマンスを求めます。

開かれていない心身では手間どります。そこで、そのままトレーナーの価値観、トレーナーの方針やメニュでやってしまいがちなのですが、本当は、そこで待たなくてはなりません。しかし、待つことの重要性が、そういう人に限ってわからないのです。そして、自分だけの考えで、トレーナーやメニュを選択する、というよりも選り好みします。

プロのスタイリストの前で自分の考えだけで服を選ぶというのなら、単に販売員がいればよいのです。そのようなもったいないことをしていることに、どう気づかせたらよいのかと思うのです。

 

○序破急

 

これは、雅楽や舞楽からのことばですが、芸道論でよく使われます。世阿弥で有名です。能、浄瑠璃、歌舞伎では、序でゆっくり、破で拍子、急で加速します。

序が徐行の徐でないのは、ピークにもっていく前の準備としての意味合いでしょうか。となると、ゆっくりでなく抑えてというようなこと、あるいは、前触れ、伏線、イントロと訳するのがよいのかもしれません。次にくるものを予感させるという段階です。水戸のご隠居が印籠を出すまで、という感じですね。歌では、Aメロです。bその後B、メロ、サビとなります。

 

〇セッティングと終わり

 

 何事も準備することは大切です。今日の状態をみて、もっともよい状態にもっていき、切り上げることがベストです。明後日以降のことも考えて、もっともよい状態で終わらせることが重要です。今日もっともよいのでなく、将来に、もっともよいということです。

そこまでわからないうちは、明日、よりよい状態に入れるように、早くよく、よりは、よりよい、に重点をおくのです。

 

〇これくらいとこれ以上

 

 これくらいのことを、これ以上に行っている人の技、顔、体、ことば、なんでもよいのですが、それは人を惹きつけ元気を与えるのです。ジャンル分野を超えると、まさに神っている人たちのことです。

 

〇ピュアと耐性

 

 スピリチュアルに接していくと、心身の異変が次々と起きるものです。

私の知人には、そこに行くと治ると言いつつ、10年も20年もそこへ通っている人がいます。治るがまた悪くなる、新しく悪いところができる、そして治しにいく、それがずっと、次々と続くので、私には、ちっとも治っていないようにみえます。その人にとって、マイナスを解消することがプラスになっていると思うしかありません。

シンクロナイズされた共生空間は、心地よいと思うし、嫌いではないのです。が、私自身は、安住できないのです。マイナスが解消してもゼロ、そこはスタートですから、プラスにしていくことが必要だと思うのです。

 

〇鏡でのチェック

 

 自分の全身は、鏡かカメラからのモニタリングでしかみられません。ミラーニューロンでのまねが学びになることで様々なことを学んでいくのは、確かです。

多くの人は、憧れのアーティストに同化し切って、そのコピーをすることから歌を始めます。習字でも同じで、最初はスキャン、そこで問われるのはトレース能力です。

 トレーナーは、歌い手がどう歌うかをスキャンします。プロデューサーは、観客がどう聞くのかをスキャンします。ここが欠けているトレーナーも少なくありません。

好きなものしか聞かないなら比較ができない。下手なものしか聞かないなら、その先を読めない。下手がよくなっていくプロセスを聞くことが、もっとも重要です。

多くは、うまいだけを聞いているトレーナーと、下手だけを聞いているトレーナーだからです。

 

〇学べない理由

 

 他の人や親などから強いられたものには、反発できるものです。しかし、「自分自身が選んだ」と信じているものからは、なかなか抜けられないものです。ですから、人との出会いというのが大切なのです。

 誰にでも、同一のメニュを使うトレーナーは、相手の個性に合わせる能力がないとみられる時代になりました。 しかし、同一のメニュの繰り返しをすることは、大切です。一律に当てはめてこそ、厳しい基準をもって比較できるのです。データがたまり見識が深くなるからです。 受け止める方も、同じことを繰り返すことで深まるのです。ところが、最近は、同じことのくり返しだから他のトレーナーに変えたいという人が出てきました。よくよく考えてみることでしょう。

一方、人によって違うメニュを与えるトレーナーは、その段階を長年、多数の人と踏んだ人以外は、ただの気まぐれになりがちです。受ける人も、本人の思い通りにやるというのなら一人でやればよいのです。一人でやれないから、トレーナーがいてくれたらやるというのは、程度の低い家庭教師です。一人でやれないことを、トレーナーに求めるのでは、トレーナーは、机につかせるための役割です。一人でやれることは一人でやっていなくてはいけないのです。

 

〇目的を高める目的

 

自分がこうしたい、目的は何かというのは、私は必ず聞きます。しかし、それにそのまま答えるのがよいのかは、また別問題です。

ビジネスライクにみたら、丁寧にお客さんの要望に答えるのがよいのでしょう。でも、芸としてなら師匠は、答えないでしょう。

トレーナーと生徒というのが、クローズの関係にならないように、他のトレーナーや私が関与するのは、第三の眼としてです。その二者で同一化を俯瞰するためです。

二者間でうまくいくのはよいのですが、うまくいきすぎて二者間でクローズするくらいなら破たんした方がよいと思います。それは序でとどまるからです。しかし、多くの人はそれを望むので、その先を開示すべきかは別問題です。

私は、この点では、選べるところの力までつけることを第一目的としています。技量でいうと、自分が歌いたいように歌うよりも、有名な劇団のオーディションに通る、選ばれる力をつけておく、それが基礎というものです。

 

○答えから問う★

 

何を聞けばよいのかわからない、最初はそうならないために、そして、その後はそうなるために、膨大なQ&A集とストックして、できる限りの質問に答えているのです。とはいえ、その答え自体には大した意味がないのです。

 「聞いたことに答えていない」と言う人が、たまにいます。聞かれたことの大半には、すでに私はどこかで何回も答えています。それは今の時代、調べたら簡単にみつかるのです。

それより大切なことを答えています。なぜ聞いたことにそういう答えが返ってきたのかを考えて欲しいのです。 答えよりも問い、ステップアップした問いを返しているのですから、そこを考えて欲しいのです。

 

○深めるということ

 

 何かを求めるのは、それがその人のアイディンティティであり、不安です。何を求めているか不安だから練習するのですから、それを動機として使えばよいのです。 すると不安は、そのときに途切れます。うまく途切れさせなくては、心身を傷めるか、鈍感になってしまいます。

同じことを繰り返すと、変化に気づくことができます。そして、早くそれに対処できます。儀式、ローテーションというものです。

 わからないからやらない、みえないから存在しないとみなすのは、よくありません。わからないからこそ、やるのです。みえないから、感じられるようになるのです。

 

○教えるということ

 

教えるというのは、教えられたことから一歩、それをさらに教えることです。その間に立つことになります。

トレーナーが教え、生徒が教わる、というのはわかりやすい関係です。その生徒に教えられることがあるというのは、できたトレーナーです。

しかし、トレーナーが生徒に教わるのは、教えなくてはいけないことを教わってくるように教わるべきです。

トレーナーも生徒として、どこかから教わるわけです。そのうち、自分が教わっていないことも工夫して教えるようになるのです。

私も自分の工夫などよりも、すでにある教えを、そのまま伝える必要を感じてきます。つまり、自分が下手に加工しないこと、生徒のためにわかりやすくするほど内容が薄くなることに気づくからです。

 

○シンプル、基本ほど難しい。

 

 「アー」と声を出します。それをどうみるかからです。どう直すかでなく、いろんな出方のあることを捉えることからです。それぞれの声の発声の原理、可能性、今のよいもの(ましなもの)、条件次第でよくなるもの、伸ばすべきもの、伸びる可能性の大きなものを見抜いていくのです。

たとえば、長く伸ばせる、大きくひびかせられる、疲れない、変わらない、これは、声としては発音が明瞭とか、高く出せるとかいうよりもすぐれています。効率がよいのです。

多くのケースで10秒も保てませんから、それを15秒、20秒、保てるだけでも課題となります。シンプルすぎてわかりにくいから、少し複雑なメニュ、スケールやヴォーカリーズは、使ってみるとよいというようなものです。

 

〇理に通う

 

 少しの動きで大きく結果が出るパフォーマンス、そして、レスポンスのよさを目指しましょう。観客も演奏者もハイレベルであってこそ、よいものができます。レッスンも同じです。

レスポンスの悪い相手とは、レスポンスの改善からしなくては、先がないでしょう。レスポンスの回数を多くするのは、精度を高めるためです。最初は急がないことが必要です。少しずつ、質に転換していくことです。

 

Q.どれほどうまいのですか、うまくなれるのですか。★

A.私が言えるのは、私の周りにうまい人、うまくなる人がいるということです。うまいということ、うまくなるということを、大した価値と思っていません。もちろん、周りはどう思ってもよいと思います。

「何曲歌えるのですか」とか、「何曲知っているのですか」と聞いて、答えてもらって、それが多かったらすごいとも、少なかったらだめとも思いません。

人生とどうリンクしているのか、うまくともうまくなくとも、人に頼まれようと頼まれまいと、進んできた道を作っているかどうかだと思うのです。

 

Q.どのくらいの量、時間がいりますか。

A.どこかで集中してすべてを投じてみたらよいと言っています。そういうことができるのは限られた人とも思いますが、そう聞かれるなら、それに没頭した経験から、そう答えるしかないのです。

 

Q.うまくなって、プロのアーティストになりたいと思います。

A.うまくなることとプロのアーティストになることは、必ずしも一つにまとめられません。どれか一つから目指していくとよいと思います。

 

Q.たくさんの人のいるところに行って、磨かれたいです。★

A.それも正しい方法でしょう。私もそうしていましたし、ここも、そういう場にしていました。しかし、そこから人のいないところで、人のやらないことをやってみることにしました。その他大勢というのは、あまり心地よくなかったからです。こうして何もないところから何かを紡ぎ出していく、それが私の考えるレッスンです。

 

Q.周りの世界とのつながりがもてません。

A.つながりがもてないと思っていても、生きているのですから、いろいろとつながっているのです。何かを食べて生きているのですから、そのことだけでもそこに多くの人との関わりがあるのです。海で自分で魚を取って、それで生きているようなら別でしょうけど、それをみようとしていないだけでしょう。つながっていないようにみえる世界でつながりをみるのか、別のつながりをつけていくのか、自らが動かないと、わかりません。動かないと、つながりでがんじがらめにされてしまうのではないでしょうか。

 

Q.集まりがつまらなくて、面倒で嫌です。

A.集まりは、祭であり、他の人とともに生きることで生命を活性化させる手段です。どこに座し、誰と語り、一時を過ごすかは成り行きです。それゆえ、即興的なレスポンス能力という生きるために必要な力が磨かれていくと思うのです。人としての修行です。

 

Q.かつて、アーティストは、TV出演を拒んでいた、と聞きました。

A.その後、テレビで歌が全盛となって、そこから50年もたたないうちにTVでは、歌はあまり流されなくなりました。

歌はもっと鋭く、強く、恐ろしいものです。そうであったのに、あまりに当たり前になってしまったと思うのです。歌うものにも、聞くものにも畏れがなくなったのです。新しい世界、より新しいものをみせてくれていたものだったのに、です。

 

Q.グレードをつけて欲しいです。★

A.昔、グレードを、まさにグレードという名で、私はつけていました。それをセットしたときに、本当は、自分について、ゼロにしたかったのですが、初心者も少なかったので、真ん中くらいの格付にせざるをえなかったのです。

日本では、格付けは年功序列になりがちです。年齢とか続けている年月でグレードが左右されることが多いので気をつけていました。結局、学習意欲向上のツールと堕してしまったので中止としました。

点数の付くような歌は歌でない、演技も同じです。そんな小さなスケールを与えては伸びるものも伸びなくなってくるからです。

 

Q.よくわからないからと、何もしなくてよいですか。

A.そうは思いません。わかっているものは誰かが説明してくれるのですから、せめて、わからないものくらいは自分でアプローチしようと思ってほしいのです。

 

Q.欠点をなくしたいのですが。

A.なくしてしまうのも一手ですが、なくなると取り返しのつかない気がします。それが、あって欲しいと思う、そこが存在理由でもよいと思うのです。

 

Q.声のトレーナーとは、何に役立つ人ですか。

A.歌と同じく、声にも声の道という筋があります。それを自分勝手に扱ってもうまくいかないので、一度無心になって、声そのものの動きを知ってみるとよいです。そのためにトレーナーがいるのです。

 

Q.トレーナーが率先して判断を与えてほしいです。

A.他人が、ああだ、こうだと言うのは、声によくないでしょう。わかるようにわかっていくから、本人が声を妨げないように、またトレーナーにも、そう願っているのです。

 

Q.発声法で間違って声を壊す人はいませんか。

A.発声というのが法となり、声そのものとかけ離れてしまうことがよくあり、よくみます。そんなに簡単に呼吸や発声を扱ってよいのかというのが気になって仕方がありません。しかし、身につけたいとなるとノウハウ、マニュアル化され言語化される、このように言語でのやりとりとなり、すなわち、法となるのです。実体が伴わない、伴うまでやらないからなので、それを間違いなどと言うのもよくありません。

 

Q.機能性発声障害は、ヴォイトレで直すのですか。

A.機能性発声障害では、正常な機能を回復させることが必要です。そこばかりみると医療となり、トレーニングとは目的を異にします。リハビリは回復することですが、トレーニングは、その基礎から力をつけることで機能を向上させます。

 

Q.ヴォイストレーニングは、声を直すのですか。

A.トレーニングは、普通以上の向上を目指します。向上に、メモリはありません。いわば、できたとかできないなど言えるものは、浅いからであって、本当は、その深さを問うのです。

 

Q.心身は緻密に組み立てられ、それに合わせて動きを学んできているのではないでしょうか。

A.はい、ゼロから始めるよりも、半分、または9割は合っています。あとを詰めていくと考えることがあってもよいと思うのです。そして、あるときは全て合っていないと思うこともあってよいでしょう。

演技と歌は、特にそういうものでしょう。日常にあるのですから。すでにあるもの、そして学んだものを、結果からよりよくくみ上げて引き出してみると、よいものが出てくると思うのです。

 

Q.よいものが出てこないときは、すでにあるものや学んだものが劣っているのですか。

A.多くは足りないのですから、入れていくことです。すると自動的に調整されていくのでしょう。そのときに、入れ方にいろんな工夫があります。大量にいろんなものを一気に入れるとよいケース、それでは入っているものと同じものしか選ばれないので、わざと、相反するものを入れるケース、入っているものと入っていないもの、好きなものと嫌いなものをワンセット入れるとよいケース、など。真逆なものを共存させようとするほど、大きな能力となるのではないでしょうか。

 

Q.出口を見て学ぶとは、どういうことですか。

A.ある程度、発声をこなしたらステージで試すというのは、そういうことです。そこに飛躍があればこそ、超えられるのです。延長でなく飛躍したところに本当の着地点があると思うのです。☆

 

Q.トレーニングは、どう役立ちましたが。

A.目的への手段として、地道に学ぶことが役立ちます。誰もが目指すこと、それをはっきりと決めつけがちですが、もっと重要なことがあります。起死回生、土壇場での判断を結果として最良の選択をできる力を養うということです。

たとえ、目指した職につけずとも、人生を歌い演じて生き延びる力をつけることです。勉強やスポーツなども、本来はそういうもののためにあったのでしょう

 

Q.人生のテーマとは、何でしょうか。★

A.夢や好きなこととは、興味、関心をもったことです。それもずっと持ち続けられていることなら、それが人生のテーマでしょう。私は、歌手とか役者とかでなく、声に興味を持っていたことに人生半ばになって気づいたのです。いちいち人前に出ていくようなことを、さして楽しいと思わず、週1回ならよいが、毎日、人とまみえるのはいやだ、というなら歌手や役者に向いていないのです。

 

Q.天職とは、何でしょうか。

A.多くの専門家に会ってきましたが、その人が、なぜそれを専門として人生を賭けるようになったかというのは、興味深いことでした。最初は食うために仕方なくであっても、人は、全く興味のもてないことは選びません。  まして、食えないのに続けているのなら、しかるべき理由、いや魅力があるのでしょう。

 

Q.本質的なことに、いつ気づいたのですか。★

A.人が集まらなくなりつつあったときに、私は、これは、深いことをやっている、つまり、すぐに成果や力になることをやっていないと思ったものです。

その深いことを伝えるには、こちらがさらに身を削らなくては、人は集まらないし、続かないと思いました。そこで、対人効果のみえやすい個人レッスン形式で、教え方のうまい先生、やさしい先生にも加わってもらうようにしたのです。

 

Q.知恵とは、何ですか。

A.力がなくてもできる、学んでなくても知っている、それが知恵です。即興的に今、あるもので対応し、対処してしまう能力です。インスピレーションとか、アイディアとかギフトといわれるもの、才能、それも一つかもしれませんが、それによって、それなりのことができていくのです。

 

Q.社会人となるべきですか。

A.人は、他人が思っているように社会的に存在していて、それが社会的な価値です。そこはそこで認めて、よりよく振る舞うことは、社会人としての、大人としての役割だと思うのです。

 

Q.他人の批判は、するべきではないですか。

A.他人の批判をしたところで自分が向上するわけでないし、それで向上が妨げられることの方が多いのですから、やめた方がよいです。

 

Q.いろんな人がいる場が苦手です。

A.自分のことが好きか嫌いかはわからないとして、自分のような人ばかりが周りにいて心地よいとは、多くの人は思わないでしょう。逆に、いろんな人が自分のなかにいると思うのなら、自分を好きか嫌いかで二分することもできなくなるのです。いろんな人がいてよいでしょう。皆、正しく真面目で努力家ばかりなら息詰まるでしょう。その反対も困るでしょう。

 

Q.トレーナーとは、何ですか。

A.自分を適正に評価してくれる人です。それをみつける能力をもつことが必要でしょう。合うトレーナーを求めるもの大切ですが、トレーナーに合わせる能力をもつことです。

 

Q.科学と情報との関係は何ですか。

A.情報は、元より、刺激として入ってくるものを受容する感覚器の得たものです。次にそれを自ら探りにいくように働きかけるセンサー機能を伴います。それで発展させたのが科学のようにも思うのです。

 

Q.なんとなく始めてもよいのですか。

A.なんとなく続き、なんとなく誰よりも長く向上する人もいます。理由がわからなくても、始めて続けているのは、何か理由があります。それがわからなくとも説明しなくとも、続けていればいろいろと得られるものは大きいのではないでしょうか。

 

Q.自分が好きでなくても続けるべきですか。

A.好きであって周りが向いてくれないとか反対するとか、そういうものほど、その人にとって、大きな力を与えてくれるものはありません。まして、好きでないものなら、さらに力になります。元より足りていないものゆえに、大きく得られるのです。

 

Q.ヴォイトレでのメリットは、何ですか。

A.本当のメリットは、説明できないほど大きいと思うのです。それに興味を感じていたら続く、やめられなくなるところに、もっともよいことが潜在していると思うのです。

 

Q.気配りできないのは、よくないですか。

A.できないなら、あなたは使い物にはなりません。生きる業に役立っているのでなければ無意味と思うのです。役立てようなどと色気を出してはいけませんが、一心不乱に取り組んでそれで役立たないことはないのです。

 

Q.運がよいとは、どういうことですか。

A.不運なことを除ける力があるということです。他人をまとめ、動かす、共にうまく生きる力を養うことを伴っているのです。

 

Q.想像力とは、なんですか。

A.具体的に細部まで浮き上がらせる力でしょう。

 

Q.直らないと言われて、直らなくなった気がします。

A.口にするとそうなるのですから、イメージというのは恐ろしいのです。直らないもの、いわば、欠点はアイディンティティになるのですから、直らない、を見つめ続けてください。それを個性と言おうが、くせと言おうが、どうでもよいと思うのです。

 

Q.人は、加齢で老化するのですか、成熟するのですか。

A.人には歴史があります。年齢とともに多様化できるのです。そこに立ち返ってみることのできる記憶、出来事、人をもっていることが、長く生きるとよいことと言えるのかもしれません。私んはまだ早すぎる質問です。

 

Q.近頃、言ったことばがあれば教えてください。★

A.私は、先日、講師先の学校の卒業生に、駅から校舎までの道を毎日、歩いて同じ門をくぐったことを忘れないように、何かあれば、その道をまた歩き、門をくぐり、できたら先生とも会う、会えなければ道を歩くだけでもよいと言いました。同じ人々と毎日過ごす日々というのは、これから、それほどあるものではないと思ったからです。

 

Q.わからないものを、わかろうとする努力は必要ですか。

A.わからないから惹きつけられてきたものや、人や国、遺物など、わからないから近づき、旅し、観たり、聴いたり、味わったりしてきました。無理に理解しようと急ぐことは不要です。

 

Q.耳と音について、何か教えてください。☆☆☆

A.聞こえないものを聞く耳をもつことです。

聞き終えたあとに流れ出す音、思い出すたびに聞こえる音、聞いていないのに予め聞こえてくる音、など。

次の音を予期する、それは、前の音と今の音の流れから、先を音で予知して待ちかまえ、当たったら心地よく、外れたら新鮮に聞くものです。

今、生きているなかで、過去と未来を同時に感じているのです。

それは、時間を聞こえるようにした音楽でわかるのです。

ある意味で、超えるのです。それを神と呼んでも、霊性と呼んでもかまいません。

 

Q.トレーナーの見本の見せ方についての注意をしてください。☆☆☆

A.それを感知する能力を磨くことに尽きます。第一に変化に気づくこと、気づかないなら、その変化を大きくしてみせることが、トレーナーの仕事です。まねるのは、必ずよいところを小さくして、悪いところを大きくしてしまうので、そこがよくないとわかるのです。

 

Q.感受性に鋭くなることがよいのですか。

A.この能力は、諸刃の剣です。微細な徴候まで受け止められるほど感受する能力が高まると自らを傷つけてしまうのです。繊細ゆえの神経質、センシティブであるほど、すでに傷を負った心身としてあるのです。それも身体性です。

傷つかないと傷ついた人のことはわからないのです。しかし、一から十は知ることができる、いや、できる人もいるし、努力でそうもなれます。切り替え力が重要です。

Vol.55

○ハイテキストとしての声

 

私が、芸や仕事で声を扱ってきてよかったことは、相手のことだけでなく、自分自身を知らないことに早く気づいたことです。特に自分が相手にどのようにみえているのか、思われているのかということについてです。

「自分のもので自分が使っているのに、一番自分がわからないものは何でしょうか?」

その答えの一つは、「声」です。

声は一生、自分で自分の声をリアルに聞くことができません。自分に聞こえている声は、相手の聞く自分の声ではないのです。

 

ここで、次のように分けて考えてみましょう。

 a.相手のことば

 b.自分のことば

 c.相手のことばの裏のメッセージ(声)

 d.自分のことばの裏のメッセージ(声)

 aを聞き、bで対しているのは、初心者のコミュニケーションのレベルです。

 ビジネスや政治のベテランは、12でジャブを打ち合いながら、34でかけひきします。

 特に日本では、長らく同じ日本語を使う同じ生活習慣の島国の日本村でした。ですから、12でのコミュニケーションの力がなくても、34の以心伝心力に長けていたから通じていたのです。日本の社会では、言う力よりも、察する力が必要でした。

これは、お母さんと子どもとの関係みたいなものですが、こういう特定の人間関係の閉じた社会でのコミュニケーションのとり方は、ハイテキスト化(高度特殊化・暗号化)します。

 

 その極まった例は、京都でしょう。

 A.「ぶぶちゃ、いかがどす?」(お茶づけいかがですか。ですが)

 →本音では、「もう帰りぃな」

 B.「おおきに」

 →「帰るわ」

そして、ぶぶちゃは出ずに、客も「さいなら」、となるのです。

外国人など、他のところから来る人には、ことばの意味はわかっても正反対の行動ですから、わけがわかりません。

ことばで言われたままに居残った人は、「無粋な人」となります。つまり、文化をわからない野暮な人、ということです。

これは、地域での符合のようなものですから、よそ者には通じません。

声の感じでは、本音がわかるときもあるのですが、この場合は符牒、しかも愛想よく言われるのです。

ここまで極端ではありませんが、こういう例はいたるところにあり、今も続いて行なわれているのです。それは生活習慣となっているのです。

 

○ことばの裏を声で読む

 

こういう例は、日本のビジネスの現場でしばしばみられます。交渉の最後に、「まあ考えときますわ」と言われたら「もう考えません」ということです。待っていても返事はこないでしょう。ことばだけでなく、表情や声の感じを合わせて受けとると、誤解はかなり防げます。

だからといって、あきらめるかどうかは別です。誠意をもってあたれば変わる可能性もあるとも考えられます。考えないのを考えさせるようにもっていくのが、仕事だと私は思うからです。

 

まずは、相手のことを知らなくてはなりません。人によってことばの使い方は違います。それ以上に声の使い方は違います。とても強い語調でいわれても、相手にとっては普通のことであったり、逆にさらりと言われたのに、内心怒りふっとうの人もいるからです。

特に外国人には、「No」と言わない日本人、「No」なのにうなずいて聞いていたり、応答の「ハイ」に「Yes」を使ってしまう日本人は、ひんしゅくをかいがちでした。

 本人も知らないうちに、発した声にメッセージが入ってしまうこともあります。笑顔で「また今度」と言えば、向うの人は「ほぼOK」ととるでしょう。

 

○マナーと気分と声

 

 自分が好感をもっている人に楽し気な声で返されて喜んでいても、それは相手が他でよいことがあったからということもあります。逆に、すごく沈んだ声で返答されて、何か悪いことを言ったかと考え込んでいたら、単に相手の機嫌や体調が悪かっただけということもあるでしょう。

 

声のメッセージはあらゆる状況を読み込んでしまうのです。その度合いが、相手によって、あるいは、TPOでも大きく違ってくるので、やっかいなのです。

 

 その人の成長によっても違ってきます。

 A.幼い子どもは、すべてが、声に出る。(100%正直者)

 B.小中学生ともなると、ことばを本音と使い分け始める。(50%正直者)

 C.大人になると、きちんと切り分ける。(それができない人はただのバカ正直者)

 さらに、本人の加工が入ります。それは社会人として求められる振る舞い、マナーというものです。

結局、人間は嘘つき(嘘も方便という意味ですが)にならないと、大人になれないということです。

 しかし大人でも、ポーカーフェイスのように、表情や声に全く感情が出ない人と、それが比較的正直に出る人がいます。感情的な人もいれば、感情と関係なく、表情に明暗が著しく出る人もいます。

 

○相手の声の調子に影響されすぎない

 

誰にでも好感がもてる返事というか、期待をもたせる声を使うホスト、ホステスタイプもいます。

どんなことも悪い返事に聞こえるような声を使う喪中タイプ。

この二タイプには、私もずいぶんと翻弄されてきました。

相手のことがよくわかっていないうちは、声の感じに信用をおきすぎると、「エーッ」っという結果にもなることもあるのです。

 

 こんなタイプもいます。

 メールでは、いつも“悲観っぽい”

のに、電話では、なんだか“普通”

で、会うと、とっても“上機嫌”

 

 その人の社会人としての経験や職場環境によっても大きく違いますね。

 いったいどれが本当なの?と思っても、当人は、いたくノーマルなのです。

 私が行くと不機嫌なのに、若い女性が行くと上機嫌という人もいます(多くはそうですね)。

だからといって、ビジネスの結果が、それによるというわけでもないのです。本当に人間も、ビジネスも、奥が深いものです。

 

あなたも自分の気分、機嫌、体調で、けっこう安易に使う声が変ってはいませんか。

もし思い当たる節があるのなら、そういう人が身近にいるなら、気をつけましょう。他の人のことばや声にあまり左右されないようにすることも大切です。

 

○声は伝染する

 

声で損している、声を出すのが苦手という人の中には、相手の情報を読み込みすぎる人がいます。

それが、仕事などにうまく活かせることもあれば、徒労となることもあります。よくないと思ったら、そこは割り切ればよいのです。つまり、必要以上に相手の情緒(感情を含む声成分)の入力をストップするのです。

「このように聞こえているけど、本心はそういうふうではない」と判断するのです。

相手の状態、状況のよくないとき、その暗い声に影響されると、自分の声も暗くなってしまうものです。すると、仕事まで、前途多難に思われてくるので要注意です。

 

 声は、場であり、雰囲気をつくるのです。

 コンパと同じ、メンツや飯が悪くても、お互いの心意気で盛り上げることもできます。人は、お通夜でも騒げるのです。

 暗い声でボソッとまわりに水をさすような、地雷といわれるような役割をしている人は、すこしがんばって変わるとよいと思います。ずっとサングラスをかけっぱなしのような人生にしたくなければ、発する声や表情に気をつけてください。

「レッスンと世界観」

 欠点の指摘をして、そこを直してあげると、レッスンは一見うまく成り立ち、満足を与えることができます。でも本当の実力はつきません。

すぐに実感でき、実践的なレッスンを求める人に、レッスンはそうではないことを伝えなくてはならない、そのことで、すでに最良のレッスンでなくしているのです。

私は、「そこを直せ」「直さないとだめ」と言ったことはありません。いつも、その背景と世界観を器として、示そうと試みています。教えたり、与えるのでなく、示すのです。そこで自ら選んだり、選べるようになるために、そして、次に創れるようになるためにトレーニングをするのです。

すぐに実感できないこと、すぐに実践できないこと、それが唯一、トレーニングで感覚を磨き、実感できてくると真に実践的な力となりゆく可能性のあるレッスンだと思うのです。☆

「イメージで変える発声法~レッスンでの誤解を正す」

〇イメージの大切さ

 

トレーニングの最大の効果は、みえないところを、どれだけ具体的にありありとイメージできるかにかかっています。イメージすることで脳の中の書き換えを起こし、声を変えていくのです。感覚を調整し、体や神経、筋肉での反映をしていくのです。

 

〇全身呼吸のイメージ

 

しぜんなせりふに通う呼吸のように、身体からの息を声にします。声を全身で使えるように強化します。

そこでのイメージとして、下腹、丹田、おへその意識と、横隔膜で腹式呼吸など、呼吸がおなか中心という考えは、一時、害になることもあります。その点で、最初は、横隔膜呼吸とイメージするより、「腹から声を」と大ざっぱに捉える方がよいと思います。

自分で吸うのでなく、空気が入ってくるようにする、そういう体づくりを目指しましょう。

まず、腰回りが膨らむようにイメージします。呼吸には、風船、ふいご、ポンプ、アコーディオンなどのイメージが、よく使われます。これも人によります。そのイメージでうまく動いていれば、よしとすべきです。

トレーニングのプロセスでは、お腹を膨らましたり、へこませたりすることもよいのですが、実際は、しぜんに同時に行われるものです。

しばらくは、後背面の広がりが支えとなります。横隔膜の後ろの引っ張りと、それを保持する力を養うことが必要です。

 

〇鼻呼吸と口呼吸を分けない

 

鼻も口も開口しています。

鼻呼吸では、歌やせりふなどのなかで、急に充分に吸気しなくてはいけないときに間に合わないことがあります。

吸う音はたてないようにします。鼻から吸う音がいつも消えないなら、それはトレーニングの悪い影響です。

とはいえ、意識することで生じる無理は、必要悪です。それがどんどん重なって固まっていき、不具合が生じるところまでいくとよくありません。

できるだけ、その場で解決しておくように、それが難しければ、時間をかけるか、部分的な目的が達成されたのをみて元に戻します。

深呼吸やハミングでクールダウンをしましょう。

 

〇力みの脱力

 

新たな試みというのは、何をやっても、最初は意識するし、余分な力が入るものです。そこから余分を抜いていくのも、トレーニングです。そこで抜けたのに、より働くのが真の型です。

首や肩の力みに注意しましょう。いつも脱力しましょう。ゆるみ、たるみをもった体、凛としているけど丸い体になりましょう。猫背になってはよくないです。

長く続けるにつれて固まってくるので、それを放ちましょう。忘れてみることも大切です。これまでの感じを捨ててみる、休みを入れてみるなど、少し別の角度でアプローチするのです。妊娠中の姿勢で声がわかったという人もいます。

空手の「オス」は、両手を腰で握ります。これは、手でなく腰に力がたまるのです。

とはいえ、急に縮めようとしないことです。内から動くように、緩めておきます。外から筋肉の力で強制しないように気をつけましょう。

 

〇赤ん坊の発声と共鳴

 

いまだに赤ん坊の声が理想的発声で見本などと言われます。実のところ、発声としてはよいわけではありません。ただ、体と息が声になっているところで一体となり、一つの大きな動きができていること、しぜん、かつ大声でひびくことに学ぶべきものがあるのです。つまり、共鳴がよいのです。

しかし、そのひびき方は、歌唱の共鳴とは異なります。歌唱は、集約された共鳴で、そこに芯があるというイメージです。

 

○声づくりに必要なイメージとジラーレ

 

声づくりには、体、呼吸、声のイメージづくりが大切です。ジラーレという、息が回る、螺旋形に回るバネのように声がのっていくイメージです。これは、声楽の特殊な技法用語として声区融合などに使われていますが、どの声域の発声も息でまわしていくように捉えておくとよいでしょう。

 

○発声を支える体のイメージ

 

息を出すのは、背の筋肉で支えるイメージです。

骨は、体を支えます。腰で支えます。人の体を支えている背骨は、逆S字です。

腰は、立つ、歩くという支点の要です。

体を左右、前後(厚み)、上下の3軸で、発声と共鳴を捉えてみてはいかがでしょう。

 

〇抵抗とテコの原理

 

声も息も重さを感じるようになるとよいでしょう。手ごたえです。それが動かせる力がつくと軽くなります。まさにテコの原理です。

しっかりと重心を捉えます。これが声の芯、次にそこを中心に動かします。それはフォームづくりです。

声は結果です。トレーニングは、結果でなくプロセスです。

 

〇発声とレガート

 

出だしを構えて、ぶつけないことです。そのために、きちんと吸気して空気を体内に保っておく準備がいるのです。それを構えということで準備が必要です。イメージから無意識にできるようにしていきましょう。

声の出だしでは、息から声への完全な効率変換を目指します。息=声のキープ、配分、コントロールです。特に、発声の後半の支えは大切です。

そして終止です。共鳴したままでフェイドアウトします。

 

〇レガート 

 

レガートが基本です。一つにつながっているからレガートといいます。点が線と「アアアア」でもよいのですが、「アーー」と線としてとらえます。そこは呼吸法のイメージと同じです。すべては柔らかく、ゆったり、しなやかに、滑らかにイメージします。息や声を丁寧に吸うのが基本としての感覚です。私は子音をつけて起声をチェックすることをお勧めします。

発声では、踊り子の舞いや習字の筆の動き、円をイメージするとよいでしょう。止まらずに道に沿って動く車の運転やレースの感覚に似ています。ある程度のパワー、スピードがないと、最初はかえってやりにくいものです。

 

〇ヴォーカリーズに子音をつける

 

母音だけ発声するよりも子音を付ける方が深く踏み込みやすいことが多いようです。

私は、ガ行をよく使います。gegagogaのよい方から入ります。少し安定してきたらgogegiで、いきなり難しいgiでイに挑み、はっきりと縦の線、深い共鳴を意識させます。

 

〇深いイのひびき

 

日本の歌手から、この深いiを聴くことができなくなってきました。マイクに頼るにつれ、鼻腔処理中心だけに集中して、体からの大きな共鳴のイを失ってきているのです。そのため、とてもイメージづくりに苦労します。 理想的な共鳴は、日本語のイではないのです。声楽家、ミュージカル俳優、演歌歌手が、使っている共鳴するイです。

以前は、この音のひびきが若いアイドルタレントとプロ歌手を分ける目安でした。イの心地よいひびき、ビブラートでも明らかに差がつくのです。

 

〇口の開閉

 

口は縦に開けるイメージにしましょう。口内(cavita)は、軟口蓋と舌の間で縦に広くとります。軟口蓋がもちあがった状態、そこから鼻の付け根を意識します。縦の線、鼻の三角と腰をつなげましょう。

口を開けるのでなく、口の奥を開けます。口角を横、イ、エで引っ張ると、浅く薄くなります。

「口を開ける」とか、「口を開けないように」という注意は、ひびきを落とさないためです。しかし、多くのケースでは、ひびきが落ちるからでなく、その前に、ひびきが上がっていないことが問題です。歌うと、いきなり口元が狭く、息も少なくなりがちなので、気をつけましょう。

脱力した首、喉、声帯、背中を広げていく、体全体を柔らかく、丸くイメージします。丸く、は猫背にするのではありません。

声帯は、小さくとも筋肉なので、筋トレが必要です。それは、声を出すことです。

 

〇トレーナーの指摘ミス

 

発声のマニュアルやトレーナーの注意が、一つ先のことを伝えていて、空回りしていることがよくあります。本人がそのステップをしぜんとクリアしていて、少し高いレベルで注意されたことを、初心者にそのまま受け売りして教えると、よくこういうことが起こります。レベル差をふまえない教え方といえます。先取りした指摘ならよいのですが、多くは、先走った教えたがりのミスなのです。

 

〇メニュのよし悪し

 

 メニュのよし悪しの判断が難しいのは、どれか一つを変えると全体のバランスも変わるからです。さらに、変わることで、一時、どこかに無理が生じるのは、仕方ないこともあります。

そのあと、それが解決し、よりよくなるかが大切なのです。ここで、何をもって、よりよくというのか、一時というなら、それはどのくらいの間かが問われます。つまり、待つのです。

 

○トレーナーの見切りと待つ幅

 

 よりよくなるとは限らないと思ったときに、どこで限界や見切りをつけるのかも難しい問題です。場合によっては戻すのか、それは単に無駄になるのか、ただのマイナスになるのか、どこかでプラスにならないのかと、考えます。

その幅を、トレーナーはどのくらいでみるかということになります。

理想は、デメリットを少なく、メリットを大きく、同じ事なら早くできるようにということです。あるメリットのために、大きなデメリットや長い期間をやむなくとることもあります。何手も先を読みつつ詰めていくのです。それも試行錯誤の中でしか、わからないこともあります。

一方、本人との価値観のすり合わせを忘れてはなりません。芸、芸術ゆえ、そこでの相違こそが、最大の難所です。☆

 

〇歌と表現

 

歌うのが「歌わされている」「歌ってしまっている」ということがあります。それは、一本調子で平たく薄く伸ばしただけだからです。

表現としては、立体的、メリハリ、リアルな感触が問われます。これがないと、生命をもって働きかけないのです。

体の調律とは、声のひびきと息、息と声、それらのバランスをとり、コントロールすることです。音程、リズム(メロディ)と声の関係をつかみましょう。

 

〇日常とメンタル

 

イメージでは、抑えないで、開放する方向にもっていきましょう。

メンタル面でストレスをかけないよう注意します。

リラックスした生活、食事、便通などに注意します。

やわらかい神経、頭、心、そして声が大切です。

個人主義を旨としても、周りと仲良く協調しましょう。

 

〇発声と聴く力

 

なぜ、歌に、声に、音楽に感動するのでしょう。風や虫の声に耳を傾けるのでしょう。

日本は言霊の国です。祭り、謡と踊り、神、その理念が人、実体として現れたとみます。

人は、考える頭と声(行動)をもって世界を切り拓いてきました。

 

〇成功している人は、声がよい

 

声がよいから成功している芸人を例に、音や声が人の心理に与える影響をひもといています。そこで、もう一つ大切なことは、聴覚、聞くことの重要性です。日本では、音声は、諸外国ほど重視されてきませんでした。察する国として、聴く耳が問われてきたのです。これも、声を知ることからつながるのです。

 

〇呼吸について

 

Q.息の使い方を知りたいです。

A.全身での呼吸を目指します。背中を拡げる、開けるなど、まず動きにくい背面への意識づけをします。柔軟でしなやかな体を思い浮かべて、そういう体づくりのイメージをもちましょう。

 

Q.強い息で声を出すのですか。☆

A.呼気が強く出ているイメージだけで行うのでは、雑すぎます。一方で、声は鋭いひびきのときもあるわけです。確実に声を捉えているときは増幅してみましょう。弓を解き放つイメージなども使うとよいでしょう。

 

Q.声が高くなると、息を少なくした方がよいのではないですか。★☆☆☆

A.私は、意図的に、トレーニングとして、ことばの強弱、特に強く言い切る、吐き出す感覚と、声が高くなることを同列に捉えるようにしています。そこは、ことばから歌にしていくプロセスと同じように、ということです。トレーニングでは、声量と声質の統一を優先します。 ハイトーン域ではなく、話声域でのことです。声域は、どちらかというと、バランス、調整、コントロールです。もちろん、基礎としては、トレーニングが必要で、その結果ですが。

 

Q.呼吸で声を飛ばすのですか。

A.息の声をのせる、声にことばをおく、そういうイメージの方がよいと思います。

 

Q.呼吸のとき、リラックスと集中が両立しません。☆

A.海では、人は体の力を抜けば浮かび、力を入れると沈みます。

心を重心におきます。すると、眉間の真ん中にも集中するものです。第三の眼があります。天帝と呼ばれるところです。丹田に力を入れるのでなく、気を鎮めるのです。

力が抜けた状態と、力を抜いた状態は違うのです。「落ち着くところに落ち着く」というように考えるとよいでしょう。重心を下におきます。わからなければ何か重いものをもてばよいでしょう、そして、そのイメージでできるようになればよいでしょう。

 

〇共鳴について

 

Q.声を前に出せと言われます。☆

A.声は、まっすぐ前へ出るのでも、引っ込んだり集まったりして出るのでもありません。ただし、こもる、掘る、下に押し付けるイメージは、特別なケースを除いてよくありません。

縦のイメージをもちます。鼻の付け根に眉間の少し下くらいに三角点を描いて、口内は縦に広くイメージしてみましょう。そこで声を回します。息を吸う、香りを嗅ぐという感じです。どこかハイレベルに厳かにイメージしてください。

 

Q.声は、体や頭にひびかせて出すのですか。

A.体内でひびく声でも耳にうるさいのは、遠くに通らないことが多いです。声が拡散するのでなく、芯や線というのを伴っている、集約されているイメージをもつとよいと思います。 がんばって拡散するように出してはよくないのです。

 

Q.喉仏を下げるように言われます。☆

A.口の開け方で「指2本縦に」とか、「スプーンを入れて」など言われたのは、口先より口内の高さ、縦の距離を保つためです。高いほど下に引っ張る感じです。最近は、そういうことばも使われなくなってきたのでしょうか。

今では、「喉仏、喉頭が上がらないように」などというのは、生理学、物理学的なアドバイスです。このアドバイスが間違っているとは言いません。必要なときもあります。しかし、指でチェックしたり、無理に下に引っ張って保ったりするとなると行き過ぎです。鏡で充分です。必ずしも高音で喉頭を下げたらよいというものではありません。安易に動くのを戒めるだけで、高音で上がるのが悪いわけではありません。現実にそうなりやすいし、それで歌っている人もたくさんいます。すっかり小手先の指導法が定着してきたことが心配です。

 

Q.発声では、尻の穴を締めるのですか。そのトレーニングがあるのですか。☆☆☆

A.ちゃんと生きているなら、そこは締まっているのです。それをトレーニングするのはおかしなことです。結果としてそうなっているのです。この場合は、尻の穴が締まっているのと、さらにそれを締めるというのは、むしろ、反すること、力が入りすぎると思います。つまり、どこかに力や意識を向けて喉を脱する、それなら肛門に限る必要はありません。精神的なことが入っていると思います。

形として、チェックとして、そこから入ることはあってもよいと思います。しかし、それは目的でなく、一つのプロセスです。いつまでもそれに囚われてはいけません。

 

Q.レガートのスケールがうまくいきません。

A.息を集中して、ロスしないこと、息もれを起こさないこと、押したりぶつけないことです。ビブラートを感じ、そこにのせていくようにします。音が上がるときより、下がるときの方が、支えに注意することです。

 

Q.顎を落とさず、口も開けない方がよいですか。☆

A.そういう教え方が一般的ですが、これは、声の共鳴が落ちるのを避けるためです。しかし、初心者では、そうなっているとは限りません。顎を引くこと、口を開けすぎないことが大切なのです。その注意と混同されて使われていることの方が多いようです。

 

Q.重い声なのか、飛びません。

A.声を飛ばすのは、声が浮いたり、声を浮かすのとは違います。軽い声、声の軽さは、別のものです。芯、支えがあってこその軽さであるべきです。そこでは、重たい声やこもった声がよいのではありません。

無駄な力をなくしていくことで、重い声ほどひびいて飛ぶとも言われています。イメージは、よい方に捉えましょう。

 

Q.発声を強化したいです。

A.粒の揃った声で、母音をイメージしましょう。

そこでは、目の力は抜いて、リラックスしてみてください。100パーセントの共鳴を感じて、部屋の隅々まで届いていくようにします。

 

〇発音について

 

Q.破裂音で鍛えられますか。

A.発音をクリアにするのは、口や舌の動き、そして発声です。

Pa行、Ba行でやってみましょう。そのあとRLとラ、Mと、Nとハミング、Fなどを使ってみます。うまく息を入れましょう。

口腔を拡げるつもりで、口や舌の動きをよくするとよいでしょう。

 

Q.口の開き方について知りたいです。☆

A.口の開きは、前歯が少しみえるくらいと言われます。唇が出っ張りすぎるのも、おちょぼな口も、歯がみえすぎるのもよくないと言われますが、個人差があります。唇、歯の形態もいろいろで、発声にも違いがあるので、自分に合ったようにすることです。

 

Q.口の周りの筋肉も鍛えるべきですか。

A.結果として、それは、固くするのでなく、柔らかく保つためにするのです。このことだけでも一つの論文になるほど、いろんな問題を含んでいます。筋肉の動きや脱力も、必ずしも表面からみえるものではないから、なおさら難しいのです。

 

Q.深い声で発音をしたいのですが。

A.日本語のアイウエオをAIUEOにするのは、浅い喉声を深い共鳴を伴ったものにするためです。ア→A、イ→Iのように異なるものにするとか、ずらすのではありません。狭いアを広いアにして、そこでの最良を選べるようにしていくということです。

 「横への拡散を縦にして集約する」イメージをもつように言っています。そこは、発音でなく、発声で深く響くようにして、最終的に発音もクリアにブラッシュアップすると捉える方がよいと思います。

つまり、アイウエオでなく、もっと広く、あらゆる母音の発声のなかでもっともよいポジションを得ることが目的なのです。

 

Q.発音と発声のトレーニングのときのイメージは。

A.日本人の場合は、シンプルに「深い」のイメージでよいと思います。より芯のある発声を得ることからです。日本人は引きがちなので、「大きく」「強く」「太く」などのイメージをあえて加えることもあります。

今の5音の母音のなかで選ぶのでなく、それをヒントに新たに得る、発見するのでもなく、つくり出すものと思っておくほうが確かともいえます。

特に、日本人の日本語の場合、アは浅く、ウ、イも平べったくて、使い物にくいことが多いです。エやオに比較的よいのをもつ人もいます。

 

〇その他の質問

 

Q.私のトレーナーは、他の人のやり方の批判ばかりしています。☆☆

A.多くの指導者が、他の指導者のやり方を否定します。自分が正しいメソッドをもち、実現できていると信じているからです。ある程度、そう信じなくては他人に教えられるものではありませんから、仕方ないと思います。しかし、全てにおいて自分のが正しいと、何をもって言えるのでしょうか。

トレーナーとしては、ここまでは確信をもって教えられるが、このあたりは試行錯誤、これはわからないなど、トレーナーとしては、その区別くらいのつく人であって欲しいものです。同じことも相手や目的によって、かなり違ってくるのです。

トレーナーも、お山の大将タイプが多いのです。すぐれたトレーナーといわれても、あるタイプに強いというケースでの実績にすぎないことが多いのです。こういうことをふまえて自分よりもほかのトレーナーが、あるタイプには相応しいとわかって任せようとするトレーナー、自分には向いていないと断れるトレーナーは、あまりいないと思います。

 

Q.トレーナーが真意を伝えてくれていない気がします。☆☆

A.すべてを伝えるかどうかは、指導においては別問題です。特によくないところは正直に言うのがよいとは限らないです。あなたにも、その真意を読みとる力があった方がよいともいえませんが。

イメージとなると、正しい、間違っているもないのです。大半は事実に反しているので正しくはありません。 正しく伝えるとは、事実を伝えることとは限りません。 私は、これを研究と指導として完全に分けています。トレーナーは、どちらかに偏りがちです。この区分けができないことから生じる問題も少なくありません。

 

Q.「他の人の教えているのはベルカントでない」という指導者をどう思いますか。☆

A.声楽のマニュアル批判で多いのは、ドイツ式、イタリア式と分けての批判、あるいは、「本当のベルカント」でないという批判です。しかし、本当のベルカントとは?

そうした多くの指導者が、誰でも教えられる前は、しぜんでよい発声であったのに、教えられて、つまり、間違ったメソッド、間違った教え方で、よくない、伸びない、本心ではひどくなったと思っています。

さらにポップスは、自己流で間違った発声が多いとも言われます。

声楽は、最初から誰かに教えられることが多いので、その教え方や教わり方自体が否定されてしまうのでしょう。

赤ちゃんや子供の声が理想と、そこまで持ち出して、勉強中の生徒の発声を否定する人もいます。自分の生徒以外を、です。お互いに、それをやり合っていて100年以上経つのも笑止千万ですが、その渦中にいると気づかないのです。気づかなくなってしまうのです。

流派、派閥みたいのも、多数を好む日本人らしい考えです。

○○先生門下となり、さらに海外の権威に弱い日本人は、そこに世界で名の通った歌手や指導者、一流の○○を育てた○○に教わった、ゆえに、私のは本物だという論理を持ち出すのです。これはずっと変わっていないどころか、ひどくなっているようです。

 イメージや勘を磨く、心身を使って自ら知ることです。そして、実際の声での判断を鋭くできるように高めていくことです。

Vol.54

○声の大きさと聞こえる距離

 

 たとえば、あなたが、いつもの2倍の大きさの声でしゃべったとします。ところが相手があなたから10倍の距離をおいたとしたら、あなたの話は聞こえなくなります。

 あなたの口元20センチまで近づいたら、うるさくて聞き取りにくくなります。心理的抵抗もあって、あなたの声を受け付けにくくなるでしょう。もちろん、それを望むような親密な関係もありますが、そのときは、絶対に大きな声は使いません。

 声の大きさと聞こえる距離というのは、心理的側面も加えて、物理的な条件の一つです。これは<声量>の問題です。

 

○カクテルパーティ効果

 

 同じ距離で、同じ声量なのに、あなたが聞きたい人の声やことばは聞こえ、聞きたくない人のは聞こえない。こんな不思議なことが起こります。これは、「カクテルパーティ効果」といわれます。心理的なことでの効果で、自分に関係のあることや人には聞き耳が立ってしまうのです。

 ざわつくパーティでも、気になる人の声やことばは聞こえるのです。あなたの名前が遠くでささやかれても、耳に入るのです。

 まあ、聞きたくないことを聞かされるハメになることも多いのですが・・・。

 話す人は気をつけてください。特に病院での長期の入院患者などは全身、耳になっています。

 

〇パーソナルエリア

 

 パーソナルエリアについて、日本人は欧米人に比べて短いようです。赤の他人でも120センチくらいの距離で受け入れるそうです。意外にも女性は、あまり気にしないそうです。ということは、そばに寄っても避けられないからといって、その男性に関心があるわけではないのですから、念のため。

 

○声に何がのっているのか

 

 声量の次は、声の伝えるものについてです。声では、大きく分けて次の二つが伝わります。

 A.ことばの意味 (内容)バーバルコミュニケーション

 B.ことば以外のメッセージ (感じ)ノンバーバルコミュニケーション

 ここから、あなたが自分の声とそれを取り巻く状況を知り、もっとうまく声をコントロールして使えるようにしていきましょう。

 

〇状況洞察力

 

 声の使い方は、自分一人では、決められません。それを最初に知っておいて欲しいのです。

 ですから、「声の高さは、何ヘルツで大きさは何デシベルで話せば、一番伝わるのですか」などと聞かれても、答えられません。

 距離もありますが、相手や状況にもよることが大きいのです。

 A.自分の意図

 B.相手の反応

 相手の反応とは、相手のことばだけではありません。相手の声、身振り、態度、所作などでも察します。

 同じことばでも、そこに込められているニュアンスはさまざまです。人や状況にもよりますが、顔や声の表情、音色、そして身振りに表われます。これが、ノンバーバルコミュニケーションです。ボディランゲージなども含みます。

 

 それをどう読むかが、勝負となります。駆け引きごとと同じです。

 他人の出した声に含まれるメッセージを、できるだけわかるようになりたいものです。それには、相手の立場から察してみることがです。

「声へのアプローチと世界観」

 「すごい」から入り、それに導かれて、自らの表現へ至るのが、もっとも理想的と思います。

身体に基づく声を体験、発見することです。そして、新たな世界観を試みることです。

そのために、できるだけストレートに、一流のものにアクセスすることです。

トレーナーは、それを助け、その邪魔をしないことです。もちろん、ご自分自身が邪魔しないこと、これがもっとも気をつけなくてはいけないことでしょう。

「英語の公用語化とヴォイトレ」 

○実用と基礎

 

 ヴォイトレの方法として、実践的なことと基礎の関係について、よく聞かれます。これを考えるのに、語学の勉強をみると、わかりやすいと思います。

 私のヴォイトレのメニュづくりに、歴史があり人材の優秀かつ広汎で多数の人の関わる語学分野、特に、日本人への英語の教授法とその結果は、いろんな示唆を与えてくれました。明日香出版で出会った西村先生や共著を出した「英語耳」の松澤先生からは、具体的なヒントを得ました。

 

○受験英語と英会話

 

 私は、大学の受験生としては、たぶん相当の英語力を持っていましたが、字幕なしの映画は、聞いて理解できなかったし、外国のホテルのフロントでのやり取りもほとんどできなかったように思います。外国人に道案内できる人や電話で話せる人をみても、それは別の能力のように思っていました。

 リスニングの試験がない時代でした。読解力が英語力であり、実用的な英会話力は身についているはずもなかったのです。学校で学ぶ英語は、文法と単語熟語の暗記が主で、それは、第一に、読解のためでした。文明開化以降の欧米の学問やノウハウの輸入のため、という流れにあったのです。

 一方で、英会話を学びたい人には、NHKの英会話や「百万人の英語」など、ラジオがよい教材でした。それは私の教わる英語と大きく違っていたのです。ポピュラーソングは、俗語も含め、英会話の方に近いのです。それは、ラジオの方で取り扱われていたのです。

 

○基礎としてのコミュニケーション力

 

 海外を50ヶ国くらい回ると、パブリックなところの英会話力の必要性を感じる一方、英語が使われていないところも多いことも身をもって体験しました。まして正しい英語などには、あまり出会わないものです。

 とはいえ、英語の基礎力は、英会話になりにくくとも、欧米とその影響力の及ぶところでは、理解の元とはなります。アルファベットを使っている国々ということです。

 語源が共通していると、意味の見当がつきます。つまり、聞いて理解できないものも、見たらわかって助けられたということです。耳や口に頼れない分、筆談、さらに絵図談が役立ちました。

 そういうなかで、コミュニケーション力というのを、英語力や英会話力といった語学力とは別にあると考えるようになりました。話せるためには、語学以前にコミュニケーション力、さらに、多くの場合、それなりの専門分野の知識がいるのです。

 これは、日本語でうまく道案内をできない人が、英語で道案内をできないのは、語学力以前の問題というようなことです。

 

○実用的とは何か

 

 長年、学んでも口に出して使えなかった日本の英語教育のことについては、よく考えさせられてきました。英語学習にかけた時間ほど実用になっていないというのは、いつも言われていました。でも、勉強というのは、他の教科でも何でもそういったものでしょう。基礎がすぐに役立つわけがありません。

 むしろ、英語は実用的、実践的という方向に、日本の教育は、かなり変わったと思います。

 しかし、それは本当によくなったのでしょうか、そこを考えずに英語の公用語化や早期教育などを進めてよいのでしょうか、ということです。

 というのは、実用的な英会話教育になってさらに悪くなった、かつての英語学習のよさを失ったのではないかということも言われているからです。

 

○英語学習の今昔とヴォイトレ

 

 昔の英語学習は、発音無視のひどいカタカナ読みでした。その対極に、一時流行した、シャワーのように聞くだけでしゃべれるといった、実践的と評判をとる英会話学習があります。この両極は、多くの時間を必要とする点では似てもいます。

 科学的学習法が、文法、読解中心の学習法に対して、新たに出て、もてはやされたのも、最近、そちらへ偏向しつつあるヴォイトレと似ています。早期学習や海外留学対策というのに絞るのは、むしろ特殊なシミュレーションのように思います。

 ともかく、日本の英語教育は、大きく変わっていったのです。口語表現、オーラルコミュニケーションということばが、よく使われるようになりました。

 しかし、そういう改革によって、明治から昭和の英語教育よりも本当に力がついたのかというと、私は、ゆとり教育の失敗と同じものを感じざるをえません。楽に早く使える、実践的といえば、聞こえがよいのですが。

 昔の英語学習挫折者の多くには英単語と英熟語(イディオム)の数しか残らなかったといいます。しかし、シーン別のワンフレーズの今の丸暗記での反復学習をみていると、大して変わらないように思うのです。

 それとともに、昔の挫折しなかった人の英語学習者の理解力や論理力などの能力の高さに驚くことがあるのです。それは、日本語で話す内容、論理力とコミュニケーション力があったからだと思います。

 もちろん、英語を使うのは昔はエリートであり、今は一般の人レベルですから、そのままの比較は成り立ちようもないのですが。

 今、英会話のできる日本人が多いことについては、あまりに国際環境が違うので比べようもありません。私たちの時代、地方では、外国人は外人であり、一般の人は、死ぬまで彼らを近くでみることも、触れ合うこともなかったからです。

 

○暗誦のよし悪し

 

 かつて、勉強というと、第一に難解な書の多読の強制がありました。「読書百遍義自ら見る(意自ら見る)

 これは、英語だけでなく、一昔前の日本語の教育も同じでした。何でも多読、一部は暗誦だったのです。語学力の基礎は、役者の台本読みのような暗誦で身につける学習法であったのです。単に言語を頭で覚えるのでなく、身体に染み込ませていたのです。

 素読朗読は、私たちの頃には、すでに風化しつつありました。上の世代には、神武天皇から125代の天皇名、有名な漢詩、教育勅語や軍人直諭、戦陣訓、百人一首を暗誦できる人は少なくありませんでした。

 しかし、私は、読むのと見るのが好きで、特に日本語、昔の日本語字体や音の流れを美しいと感じていました。たぶん、多くの人が、そう感じていたことでしょう。

 詩や文学に関わらず、演説や論文の類にも衝撃を受けました。映画やラジオで聞くとかっこよく思えたのですが、それをまねてしゃべるところに至らなかったのです。その美的感覚というのは、何であれ、大事なものと思うのです。

 

○基礎の強み

 

 実践というのは応用です。たとえば、「チェックインしたいです」は「チェックイン プリーズ」を覚えたら、通じます。すぐ実践、応用できます。お願いするときに、何でも使えるpleaseとして覚えるのです。でも、いつも一言で終わり、それ以上に深い内容には使えません。シーン別の1フレーズとは、そういうことです。

 一つの技で、お願いするシーンを全て乗り越えるというノウハウは、せいぜい添乗員付きのツアーに行けるまでの実力です。1ヶ月から1年くらいまでの、すぐに使える旅行用英会話のようなものなのです。その後、発展をしない、そこが問題なのです。

 長期的には、たくさんの技があって組み合わせられる力の方が、後で伸びるからです。つまり、本当の応用が効くのです。

 単語でも一つの単語でたくさん応用させる、少数の単語を組み合わせたら万能と勧められます。しかし、似たイディオムを区別するより、専門の難しい単語を覚えた方が後々混乱しないともいえます。

 

○学び方を学ぶ

 

 自ら学べるようになるための基礎を学校教育では、身につけさせます。学ぶことは反復であり、学習習慣といったものです。

 自分で試行錯誤すべきことを、他人に任せてよいものではありません。他人の経験も自分の試行錯誤に活かして、その経験をより積むことで意味があるのです。

 あまり役に立たなかったと思っていた学校の英語学習も、クラシックバレエのように基礎となったのでしょう。何よりも、学ぶことの手順や方法を知りました。書くことの論理や構成、展開、日本人以外の思想や考え方を学びました。思考力、論理力、説得力を鍛えてくれました。英会話に、すぐに役立たなかったことよりも大きく、いろいろと使えているようです。それは、どうも感性と関わるような気もします。

 そういえば、数学も、ほとんど日常では算数レベルで足りていたのですが、今、音や声の理解や説明では、それなりに高度に使っています。波動や微分積分、対数など、数ⅡBあたりが必要だからです。(昔は、数ⅡBに対し、数ⅡAが実用的、実務的でした。)

 

○プロセスで学ぶこと

 

 ヴォイトレも、世の中で声がよい人が通じているのではありません。ということから、単によい声を目指すのでなく、ヴォイトレのレベルを上げる、その体系をプロセスから明らかにして学んでいくことが重要となります。そのプロセスに、全てに通じる秘訣が眠っているのです。それゆえ、続けてこそ報われるのです。

 私からみると、歌唱やせりふも、そこから切り出された判断(としての材料=作品)に過ぎません。声こそが基礎なのです。それをどのような出会いで感じ、入れてきたか、それは、やはり美的感覚ともいうものに基づくと思うのです。

 

○学び方の変化を

 英語をもっと実践的に使えるようにすればよいというなら、英語を学ぶことを重視するのでなく、根本的には日本語の教育をどうするかという問題です。日本語をおろそかにしてよいということでありません。

 文系科目より理系科目を重点的にという政府の方針も、これまでの文系科目を薄めずに理系をプラスすることにならないとおかしいのです。それをいうなら、音楽という科目が選択制となり、一方で邦楽(楽器)必修という改革もおかしいのですが。

 結局、決められた勉強の合計時間の割り振りになるので、一方を多くすると自動的に他方が少なくなるということから問題となるのでしょう。

 では、時間が多いのがよいのかということは、本当は別問題です。でも、確かに多くすることは重点をおくということを示すのです。

 与えられる教育と自分での自主勉強と分けて考えてみると、基礎として学び方さえ身につけられたら、応用は今やいくらでも学ぶ環境はあるようになった、そこも違うのです。

今や、学び方さえわかれば一人でどこまでも深めていけるのですから、大切なのは、その必要性とモチベーションを与えることでしょう。そこで「実践に使える」というニンジンをぶら下げるのは悪いことではありません。

 

○思考とその実践

 

 「本を捨て街に出よう」は、団塊の世代のスター、寺山修二の警句です。そこには「家の中で本ばかり読んでばかりいないで」という前提があります。いつもその当時に、当たり前であったことは表現されないのです。「たくさん買ったり借りたりして読んでいる、貴重な本を」という前提があるから「捨て」が効いてくるのです。

 そうしてきた世代が、本などは世の中や仕事に役立たない、と本を読んでもいない世代へ言うのは、どうでしょうか。今や、それさえ言わなくなったのですが、「本を読め」と先達が言わないのは、罪です。

 教育というのなら、本だけではないのですが、新しいものに取り替えるのでなく、新しいものも加えるという過度期を経て、両方の良いところを活かす試みを進めることです。本がマンガ、そしてゲームに取り替わってよいのではありません。そして、当たり前であった前提が変わったのなら、そこをことばで示さなくてはならないのです。それが体系的ということです。

 

○基礎の本

 

 本というなら、何でもよいのですが、強いて言うなら難解なもの、名著とされるものの原文がお勧めです。そこに美しさを感じるまでが基礎、型づくりのモチベーションとなります。最初は感じなくても続けていればわかってくるということでは、多読を勧めたいのです。この場合、文学として文字よりも音の流れといきたいところです。私の立場からということですが。いつの時代も人を動かすのは感動です。

 英語でオバマのスピーチ(広島訪問時のもの)で、目が開かれたなどというのもあり、と思います。多くの日本人には好評だったようです。

 

○グローバル化への対応能力

 

 英語の公用化よりも大切なことを述べます。

1、 ことばをこねくり、その後ろにあるイメージを想起すること

2、 新語をつくる造語能力を鍛えること

3、 発想力、創造力での日本語そのものの優位性、3つの文字と絵文字など

のあること、それを活かすことです。

 

○オリジナリティ

 

 オリジナリティとはその人の必殺技です。それは、決め技一つでなくとも総合的な組み合わせでもよいのです。その人の世界観ともいえます。

 決定的な強みをもつことと、それなりにバランス、弱点補強することは、あらゆる芸事、仕事の基本となるものです。語学は、言語力、会話力をつけるだけでなく、そのバックにある文化力をもつという意味で、有効な武器となります。

 

Q.英語の垂れ流しで、誰でも話せるようになりますか。

A.耳から入るというのは、ヴォキャブラリーは足らなくとも、すべての音声は聞き取れるようになるということからのアプローチです。外国の曲で、歌詞の意味はわからないけれどメロディは口ずさめるという状態にするわけです。このときは、読み書きの力でなく、聴いて(まねて)声に出すという本来の言語習得の順になります。この方がしぜんです。少なくとも、すべて知っている単語で歌われたり話されて、一語も聞こえないよりはよいことでしょう。リズムやフレーズ感といった力はつきます。しかし、垂れ流しでなく、意識する必要はあります。どうしても聞けないところのチェックも必要です。睡眠学習のようでは、決して身につきません。

 

Q.なぜ、日本人は英語が苦手なのですか。

A.ラテン系やゲルマン系の言語を使う人、西欧人が英語を話すのに苦労しないのは、言語が似ている、特に音が近いからです。

 日本人が苦手なのは、音がかけ離れている上に、日本語では認識する音数が少ないからです。英語の40個以上の音のなかで日本語と同じなのは56個ですから、ほとんど聞き取れないのも無理はありません。語句だけでなく、リズム、イントネーション、語順(文法)も違うから、なおさらです。

 

Q.苦手な発音への対策をどうすればよいですか。

A.英語、外国語を正しく聞こうとしても、私たちの脳回路は、日本語の聞き方に寄せて聞き取ります。Wellというのがウエローとカタカナに聞いてしまう、すると、言うときもそうなって通じないということになります。

 大人になるにつれ、日本語の回路、そのショートカットが太くなります。ですから、聞くのに一所懸命になるよりも、知らない音、発したことのない音に気づくこと、その存在を知って自分で発してみることが必要なのです。

 聞こえたら発することができる、とも言われるのですが、正しく聞こえないなら、発することを学び、発したら聞こえるようになります。構音の器官の使い方と脳を意図的に結びつけ、体に覚えさせるのです。

 

Q.発音記号から学ぶとよいですか。

A.音を単音で聞くことと、その音の組み立て、短いものなら単語、長いものなら文章を把握、理解できることとは異なります。必ずしも音→構成の順ではなく、構成から音が明瞭になることもあります。発音記号は、文法と同じく、一つのルールのように勉強に役立ちます。

 

Q.同じ作品をくり返し学ぶ方がよいのでしょうか。

A.外国語でも日本語でも、最初にテーマや筋がわかっていると、内容を理解するのは理解しやすいものです。全てが初めて見聞きするものでは難しいですね。会話でも同じく、冒頭で共通の話題でアイスブレイクできると、そのあとも楽になります。脈絡をつかむと、わからないところも補えるからです。

 知らなかったものを読むのでなく、知っているものを語る。これは、報道ニュースと芸との違いのようなものでしょうか。情報そのものを知らせる価値と、ほぼ知っていることをどう語るか、歌うか、みせるかの価値との違いです。そのため、芸では、繰り返し、同じ課題を練習して、暗記して、暗誦していくプロセスをとるわけです。

 

Q.慣れたら、すぐれていくのでしょうか。

A.体に身につける、体得とは、一言で言うと、慣れです。以前、非日常であったものを日常にしていくことになります。一体化して馴染んでいくことです。

 ステージで年に数回、歌うプロよりも、毎日カラオケで歌う人の方が日常化し馴染んでいるといえるわけです。

 でも、馴化してしまうと、そこでそれ以上、そのままうまくならないで落ち着いてしまうのです。その人なりのうまくなったというレベルで留まります。ですから、慣れは両刃の剣なのです。

 海外のプロのヴォーカルのように、日常で歌っている、踊っている、そこはベース、当たり前のことです。それが常人を超えたレベルにあってこそ一流と言われるわけです。

 日常の日常化は、価値にはならないのです。でも、それが前提、そこを得てからが、勝負です。

 

Q.身につくプロセスを説明してください。

A.聞く、正しく判断する、正しく発する、最初は、そのために、集中したり注意が必要となります。それが慣れると特別な状態は必要なくなっていくのです。

 このときに、以前にマスターしたものがくり返されているだけということもよくあります。

 過度な集中や注意はしぜんな状態と違いますから、力が入ることもあります。よく脳波や血流などで数値が上がったからよくなったというような人がいますが、それは慣れないことをしたための状態です。マスターした後は、しぜんになるのが普通です。

 マスターとは一回きりでなく、次のレベル、次の次のレベルとなるので、技を覚えていくのと同じく、体得した技はしぜんになり、そうでない技は難しい―ふしぜんであるわけです。

 

Q.たくさん見聞すれば、身につきますか。

A.自分で実際にやってみて、初めてわかることが多いものです。見ていても見えていないこともあります。実際にやってみて、また後に再び見ると、その難しさや意味を把握しやすくなります。見ていて簡単そうで、やれるつもりでも、実際にやると、できないことに驚くものです。ですから、習い事でも実習体験が中心となります。

 

Q.型は、実践からいうと遠回りと思うのですが。

A.型とは、実践そのものです。遠回りと思うのは、実践が応用、変型なのに、そこを支える元をみていないからです。私が「わかってもできなくては仕方ない、できればそれでよい」と言ってきたのは、そういうことです。

 

Q.新しい発音を口の形などで覚える方法がありますか。

A.聞いたときにそういう口の形のイメージ、ひいては、そう動くことによって、音が正しく判断できる、つまり、判別できるから発せられるのでなく、発せられることで判別していくということでは、実践的な学び方になります。

 

Q.せりふを実践的にトレーニングしたいです。

A.せりふをマスターするとき、最初は、一音ずつ、ゆっくり読みますね。ことばを正確に把握し、発していきます。反復して暗誦したら終わりではありません。それからどう表現するかです。すると、呼吸や発音も問われるレベルが上り、上達していくのです。

 

Q.発音をよくしたい。

A.外国語学習で文法や単語は自分でチェックできますが、発音は難しいですね。専門家のチェック、ネイティブのチェックが理想です。でも周りの人のチェックでもよいかもしれません。自分でのチェックはヴォイスレコーダーを使うことです。

 

Q.なぜ、語学で文法、構文、イディオムという分野があるのですか。

A.音の変化は、発声―発音に関わります。これを全パターンで覚えるのと、代表的なもの、よく使われるものに限定して覚えるのと、大別して2つのやり方があります。

 リズムや音程も、歌唱での音の変化の一つです。そこでもルール、型から入るのが効率のよい学び方です。

 本当は、なぜそういう変化をしたのかを捉えていくと、自ずと正しく変化していくようになるわけです。すべてを覚えるのでなく大まかに代表例で学び、全体や構造をつかむのです。その一つが文法、構文、イディオムなどという分野での学び方です。アクセント、イントネーションもそれに類します。

 

Q.母語は、なぜ必要なのですか。

A.言葉の定義を求めてくる人たちばかりとなります。さまざまに解釈できるからこそ、論争になるのです。

 一義では無理です。「その定義が間違っている」と言いあって終わりです。

母語は定義を変えられるわけです。変えてもお互いに理解できるから、新しいことばが生まれます。外国人には、正誤はネイティブに効くしかないのです。

 通じる、受け入れられるのは、流行するのは、一義でないことを共有できるからです。日本語の一つの単語Bonsaiなどが、そのまま英語になるのは他に置き換えられないケースに限られるのです。ガーデニングでは通じませんから。母語をまず徹底して学ぶのは、クリエイティブになる必要条件なのです。

Vol.53

○できる人は、声の切替力がある

 

 とても悪いことが起きたあと、仕事の電話があったら……。普通は、明るい声にはなりません。

 しかし、プロの営業マンやベテランの受付嬢なら、ていねいに明るく受け応えるでしょうね。瞬時に切り替えられるのです。

 声の<切替力>のある人が、仕事のできる人です。その切り替え力のプロが、先に述べた、役者や声優なのです。

 でも、ノーマルな人は、尾をひくのです。自分では、そういうつもりはないけど、素直で、悲しみから抜けられない心のやさしい人ほど、そうなるのです。表情はがんばっても、声を切り替えられないからです。

 

○声は、みえない情報を相手に与える

 

 悪いことがあったあとは、誰でも暗い声になります。もごもごした、低い、テンションのない声になります。

 しかし、その状況を知らずに、あなたの声を初めて聞いた人は、次のように思うのです。

 「具合悪いのかな」

 「やる気ないな」

 「こっちのこと、よく思っていないな」

 「この人、仕事がうまくいっていないのか」

 声がそういうメッセージを送ってしまうのです。

 

 初めて声を交わした人は、あなたのことをわかっていませんから、そのときの声がそのまま、あなたという人の能力を伝えます。

 「仕事のできない人だな」「つまらない人生、生きている人かしら」

 好き勝手に、悪い方にあなたのイメージはもっていかれます。

 そして現実は、本当のあなたと関係なく、その声の感じを受けて、進んでいくのです。だから恐いわけです。

 

○声でわかること

 

 あなたの声を聞いて、人は、次のようなことを瞬時に察します。

 あなたの体調、気力、意志、やる気、気持ち、気分など

 能力、実績、自信、意志の強さ、こちらへの気持ち、状況などを勝手につくりあげられてしまうのです。

 

 あなたがうまくコミュニケーションのとれない人のなかには、この声の情報に振り回されている人もいます。そこで私も、初対面の方には、無難に笑顔とやや明るい声で対応するようにしているのですが…。

 

 たった一つの声という情報をヒントで、どんどんと相手の思い込みが進んでいく。そこであなたも余計に緊張したり、委縮したりします。

 

 でも、それでよいのです。それが、センサーの正常に働いている状態です。見知らぬ人や偉い人に、自分の胸の内をすぐに明かすような方がおかしなことです。

 すぐ握手するのは、日本では、票の欲しい人か、どこかに悪巧みのある人が多いでしょう。ときに人間的にとてもできた人もいますが。外国に長く住んだ人は、別ですが。

 

 初めて会っても話しやすい人は、ノーマルな状態が比較的、これに近い人でしょう。いつも待ちで、きちんと準備して臨んでいる人です。もちろん仕事ではそれが理想でも、そんな悠長なことは言っていられないことが多いですが。

 

○声を使いやすいとき、使いにくいとき

 

 ここで、あなたが声を考えるために、もう少し声の作業をしてみましょう。

 あなたがその人の前で声の出しやすい人、出しにくい人を三人、ピックアップしてみてください。それぞれ、分野別に一人ずつで構いません。声を出しやすい、がわかりにくければ、声をかけやすいでもよいでしょう。

  1.仕事

  2.プライベート

  3.その他

 

 次に、声を出しやすいと思ったのはなぜか、を書き出してみましょう。

 もし、その人に対して、時によるのであれば、「―のとき」という条件も入れてください。

  ・私に好意的だから

  ・長くつきあっているから

  ・いつも悩みを分かちあっているから

 など。

 

 さらに、あなたが声の出しにくい相手についても、理由をつけてみましょう。

  ・いつも、いぱっている

  ・目を合わせてくれない

  ・気が合わない

  ・私を嫌っている

  ・喧嘩をしたまま

  など。

 

 声の使い方では、声だけでなく、状況を考えることが重要です。状況と声には、密接な関係があるからです。

 

 誰でも、一方的には話せます。しかし、相手があなたの言ったことを受け止め、あなたの話した目的が達成できなくては意味がないのです。つまり、相手がどう聞くかが、かなりのポイントを占めます。そこでの声の重要性ということになります。

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