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私は10数名のヴォイストレーナーとともに、ヴォイストレーナーにも指導しているため、内外のヴォイストレーナーのアドバイザーやヴォイトレをしている人のセカンドオピニオンもたくさんやってきました。ヴォイストレーナー、指導者、専門家以外にも「ヴォイストレーナーの選び方」などに関する質問が多くなりました。以下を参考にしてください。

「ヴォイストレーナーの選び方要項」 http://www.bvt.co.jp/new/voicetrainer/

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「1.ヴォイストレーナーの選び方」

「2.ヴォイトレの論点」

Vol.55

○ハイテキストとしての声

 

私が、芸や仕事で声を扱ってきてよかったことは、相手のことだけでなく、自分自身を知らないことに早く気づいたことです。特に自分が相手にどのようにみえているのか、思われているのかということについてです。

「自分のもので自分が使っているのに、一番自分がわからないものは何でしょうか?」

その答えの一つは、「声」です。

声は一生、自分で自分の声をリアルに聞くことができません。自分に聞こえている声は、相手の聞く自分の声ではないのです。

 

ここで、次のように分けて考えてみましょう。

 a.相手のことば

 b.自分のことば

 c.相手のことばの裏のメッセージ(声)

 d.自分のことばの裏のメッセージ(声)

 aを聞き、bで対しているのは、初心者のコミュニケーションのレベルです。

 ビジネスや政治のベテランは、12でジャブを打ち合いながら、34でかけひきします。

 特に日本では、長らく同じ日本語を使う同じ生活習慣の島国の日本村でした。ですから、12でのコミュニケーションの力がなくても、34の以心伝心力に長けていたから通じていたのです。日本の社会では、言う力よりも、察する力が必要でした。

これは、お母さんと子どもとの関係みたいなものですが、こういう特定の人間関係の閉じた社会でのコミュニケーションのとり方は、ハイテキスト化(高度特殊化・暗号化)します。

 

 その極まった例は、京都でしょう。

 A.「ぶぶちゃ、いかがどす?」(お茶づけいかがですか。ですが)

 →本音では、「もう帰りぃな」

 B.「おおきに」

 →「帰るわ」

そして、ぶぶちゃは出ずに、客も「さいなら」、となるのです。

外国人など、他のところから来る人には、ことばの意味はわかっても正反対の行動ですから、わけがわかりません。

ことばで言われたままに居残った人は、「無粋な人」となります。つまり、文化をわからない野暮な人、ということです。

これは、地域での符合のようなものですから、よそ者には通じません。

声の感じでは、本音がわかるときもあるのですが、この場合は符牒、しかも愛想よく言われるのです。

ここまで極端ではありませんが、こういう例はいたるところにあり、今も続いて行なわれているのです。それは生活習慣となっているのです。

 

○ことばの裏を声で読む

 

こういう例は、日本のビジネスの現場でしばしばみられます。交渉の最後に、「まあ考えときますわ」と言われたら「もう考えません」ということです。待っていても返事はこないでしょう。ことばだけでなく、表情や声の感じを合わせて受けとると、誤解はかなり防げます。

だからといって、あきらめるかどうかは別です。誠意をもってあたれば変わる可能性もあるとも考えられます。考えないのを考えさせるようにもっていくのが、仕事だと私は思うからです。

 

まずは、相手のことを知らなくてはなりません。人によってことばの使い方は違います。それ以上に声の使い方は違います。とても強い語調でいわれても、相手にとっては普通のことであったり、逆にさらりと言われたのに、内心怒りふっとうの人もいるからです。

特に外国人には、「No」と言わない日本人、「No」なのにうなずいて聞いていたり、応答の「ハイ」に「Yes」を使ってしまう日本人は、ひんしゅくをかいがちでした。

 本人も知らないうちに、発した声にメッセージが入ってしまうこともあります。笑顔で「また今度」と言えば、向うの人は「ほぼOK」ととるでしょう。

 

○マナーと気分と声

 

 自分が好感をもっている人に楽し気な声で返されて喜んでいても、それは相手が他でよいことがあったからということもあります。逆に、すごく沈んだ声で返答されて、何か悪いことを言ったかと考え込んでいたら、単に相手の機嫌や体調が悪かっただけということもあるでしょう。

 

声のメッセージはあらゆる状況を読み込んでしまうのです。その度合いが、相手によって、あるいは、TPOでも大きく違ってくるので、やっかいなのです。

 

 その人の成長によっても違ってきます。

 A.幼い子どもは、すべてが、声に出る。(100%正直者)

 B.小中学生ともなると、ことばを本音と使い分け始める。(50%正直者)

 C.大人になると、きちんと切り分ける。(それができない人はただのバカ正直者)

 さらに、本人の加工が入ります。それは社会人として求められる振る舞い、マナーというものです。

結局、人間は嘘つき(嘘も方便という意味ですが)にならないと、大人になれないということです。

 しかし大人でも、ポーカーフェイスのように、表情や声に全く感情が出ない人と、それが比較的正直に出る人がいます。感情的な人もいれば、感情と関係なく、表情に明暗が著しく出る人もいます。

 

○相手の声の調子に影響されすぎない

 

誰にでも好感がもてる返事というか、期待をもたせる声を使うホスト、ホステスタイプもいます。

どんなことも悪い返事に聞こえるような声を使う喪中タイプ。

この二タイプには、私もずいぶんと翻弄されてきました。

相手のことがよくわかっていないうちは、声の感じに信用をおきすぎると、「エーッ」っという結果にもなることもあるのです。

 

 こんなタイプもいます。

 メールでは、いつも“悲観っぽい”

のに、電話では、なんだか“普通”

で、会うと、とっても“上機嫌”

 

 その人の社会人としての経験や職場環境によっても大きく違いますね。

 いったいどれが本当なの?と思っても、当人は、いたくノーマルなのです。

 私が行くと不機嫌なのに、若い女性が行くと上機嫌という人もいます(多くはそうですね)。

だからといって、ビジネスの結果が、それによるというわけでもないのです。本当に人間も、ビジネスも、奥が深いものです。

 

あなたも自分の気分、機嫌、体調で、けっこう安易に使う声が変ってはいませんか。

もし思い当たる節があるのなら、そういう人が身近にいるなら、気をつけましょう。他の人のことばや声にあまり左右されないようにすることも大切です。

 

○声は伝染する

 

声で損している、声を出すのが苦手という人の中には、相手の情報を読み込みすぎる人がいます。

それが、仕事などにうまく活かせることもあれば、徒労となることもあります。よくないと思ったら、そこは割り切ればよいのです。つまり、必要以上に相手の情緒(感情を含む声成分)の入力をストップするのです。

「このように聞こえているけど、本心はそういうふうではない」と判断するのです。

相手の状態、状況のよくないとき、その暗い声に影響されると、自分の声も暗くなってしまうものです。すると、仕事まで、前途多難に思われてくるので要注意です。

 

 声は、場であり、雰囲気をつくるのです。

 コンパと同じ、メンツや飯が悪くても、お互いの心意気で盛り上げることもできます。人は、お通夜でも騒げるのです。

 暗い声でボソッとまわりに水をさすような、地雷といわれるような役割をしている人は、すこしがんばって変わるとよいと思います。ずっとサングラスをかけっぱなしのような人生にしたくなければ、発する声や表情に気をつけてください。

「レッスンと世界観」

 欠点の指摘をして、そこを直してあげると、レッスンは一見うまく成り立ち、満足を与えることができます。でも本当の実力はつきません。

すぐに実感でき、実践的なレッスンを求める人に、レッスンはそうではないことを伝えなくてはならない、そのことで、すでに最良のレッスンでなくしているのです。

私は、「そこを直せ」「直さないとだめ」と言ったことはありません。いつも、その背景と世界観を器として、示そうと試みています。教えたり、与えるのでなく、示すのです。そこで自ら選んだり、選べるようになるために、そして、次に創れるようになるためにトレーニングをするのです。

すぐに実感できないこと、すぐに実践できないこと、それが唯一、トレーニングで感覚を磨き、実感できてくると真に実践的な力となりゆく可能性のあるレッスンだと思うのです。☆

「イメージで変える発声法~レッスンでの誤解を正す」

〇イメージの大切さ

 

トレーニングの最大の効果は、みえないところを、どれだけ具体的にありありとイメージできるかにかかっています。イメージすることで脳の中の書き換えを起こし、声を変えていくのです。感覚を調整し、体や神経、筋肉での反映をしていくのです。

 

〇全身呼吸のイメージ

 

しぜんなせりふに通う呼吸のように、身体からの息を声にします。声を全身で使えるように強化します。

そこでのイメージとして、下腹、丹田、おへその意識と、横隔膜で腹式呼吸など、呼吸がおなか中心という考えは、一時、害になることもあります。その点で、最初は、横隔膜呼吸とイメージするより、「腹から声を」と大ざっぱに捉える方がよいと思います。

自分で吸うのでなく、空気が入ってくるようにする、そういう体づくりを目指しましょう。

まず、腰回りが膨らむようにイメージします。呼吸には、風船、ふいご、ポンプ、アコーディオンなどのイメージが、よく使われます。これも人によります。そのイメージでうまく動いていれば、よしとすべきです。

トレーニングのプロセスでは、お腹を膨らましたり、へこませたりすることもよいのですが、実際は、しぜんに同時に行われるものです。

しばらくは、後背面の広がりが支えとなります。横隔膜の後ろの引っ張りと、それを保持する力を養うことが必要です。

 

〇鼻呼吸と口呼吸を分けない

 

鼻も口も開口しています。

鼻呼吸では、歌やせりふなどのなかで、急に充分に吸気しなくてはいけないときに間に合わないことがあります。

吸う音はたてないようにします。鼻から吸う音がいつも消えないなら、それはトレーニングの悪い影響です。

とはいえ、意識することで生じる無理は、必要悪です。それがどんどん重なって固まっていき、不具合が生じるところまでいくとよくありません。

できるだけ、その場で解決しておくように、それが難しければ、時間をかけるか、部分的な目的が達成されたのをみて元に戻します。

深呼吸やハミングでクールダウンをしましょう。

 

〇力みの脱力

 

新たな試みというのは、何をやっても、最初は意識するし、余分な力が入るものです。そこから余分を抜いていくのも、トレーニングです。そこで抜けたのに、より働くのが真の型です。

首や肩の力みに注意しましょう。いつも脱力しましょう。ゆるみ、たるみをもった体、凛としているけど丸い体になりましょう。猫背になってはよくないです。

長く続けるにつれて固まってくるので、それを放ちましょう。忘れてみることも大切です。これまでの感じを捨ててみる、休みを入れてみるなど、少し別の角度でアプローチするのです。妊娠中の姿勢で声がわかったという人もいます。

空手の「オス」は、両手を腰で握ります。これは、手でなく腰に力がたまるのです。

とはいえ、急に縮めようとしないことです。内から動くように、緩めておきます。外から筋肉の力で強制しないように気をつけましょう。

 

〇赤ん坊の発声と共鳴

 

いまだに赤ん坊の声が理想的発声で見本などと言われます。実のところ、発声としてはよいわけではありません。ただ、体と息が声になっているところで一体となり、一つの大きな動きができていること、しぜん、かつ大声でひびくことに学ぶべきものがあるのです。つまり、共鳴がよいのです。

しかし、そのひびき方は、歌唱の共鳴とは異なります。歌唱は、集約された共鳴で、そこに芯があるというイメージです。

 

○声づくりに必要なイメージとジラーレ

 

声づくりには、体、呼吸、声のイメージづくりが大切です。ジラーレという、息が回る、螺旋形に回るバネのように声がのっていくイメージです。これは、声楽の特殊な技法用語として声区融合などに使われていますが、どの声域の発声も息でまわしていくように捉えておくとよいでしょう。

 

○発声を支える体のイメージ

 

息を出すのは、背の筋肉で支えるイメージです。

骨は、体を支えます。腰で支えます。人の体を支えている背骨は、逆S字です。

腰は、立つ、歩くという支点の要です。

体を左右、前後(厚み)、上下の3軸で、発声と共鳴を捉えてみてはいかがでしょう。

 

〇抵抗とテコの原理

 

声も息も重さを感じるようになるとよいでしょう。手ごたえです。それが動かせる力がつくと軽くなります。まさにテコの原理です。

しっかりと重心を捉えます。これが声の芯、次にそこを中心に動かします。それはフォームづくりです。

声は結果です。トレーニングは、結果でなくプロセスです。

 

〇発声とレガート

 

出だしを構えて、ぶつけないことです。そのために、きちんと吸気して空気を体内に保っておく準備がいるのです。それを構えということで準備が必要です。イメージから無意識にできるようにしていきましょう。

声の出だしでは、息から声への完全な効率変換を目指します。息=声のキープ、配分、コントロールです。特に、発声の後半の支えは大切です。

そして終止です。共鳴したままでフェイドアウトします。

 

〇レガート 

 

レガートが基本です。一つにつながっているからレガートといいます。点が線と「アアアア」でもよいのですが、「アーー」と線としてとらえます。そこは呼吸法のイメージと同じです。すべては柔らかく、ゆったり、しなやかに、滑らかにイメージします。息や声を丁寧に吸うのが基本としての感覚です。私は子音をつけて起声をチェックすることをお勧めします。

発声では、踊り子の舞いや習字の筆の動き、円をイメージするとよいでしょう。止まらずに道に沿って動く車の運転やレースの感覚に似ています。ある程度のパワー、スピードがないと、最初はかえってやりにくいものです。

 

〇ヴォーカリーズに子音をつける

 

母音だけ発声するよりも子音を付ける方が深く踏み込みやすいことが多いようです。

私は、ガ行をよく使います。gegagogaのよい方から入ります。少し安定してきたらgogegiで、いきなり難しいgiでイに挑み、はっきりと縦の線、深い共鳴を意識させます。

 

〇深いイのひびき

 

日本の歌手から、この深いiを聴くことができなくなってきました。マイクに頼るにつれ、鼻腔処理中心だけに集中して、体からの大きな共鳴のイを失ってきているのです。そのため、とてもイメージづくりに苦労します。 理想的な共鳴は、日本語のイではないのです。声楽家、ミュージカル俳優、演歌歌手が、使っている共鳴するイです。

以前は、この音のひびきが若いアイドルタレントとプロ歌手を分ける目安でした。イの心地よいひびき、ビブラートでも明らかに差がつくのです。

 

〇口の開閉

 

口は縦に開けるイメージにしましょう。口内(cavita)は、軟口蓋と舌の間で縦に広くとります。軟口蓋がもちあがった状態、そこから鼻の付け根を意識します。縦の線、鼻の三角と腰をつなげましょう。

口を開けるのでなく、口の奥を開けます。口角を横、イ、エで引っ張ると、浅く薄くなります。

「口を開ける」とか、「口を開けないように」という注意は、ひびきを落とさないためです。しかし、多くのケースでは、ひびきが落ちるからでなく、その前に、ひびきが上がっていないことが問題です。歌うと、いきなり口元が狭く、息も少なくなりがちなので、気をつけましょう。

脱力した首、喉、声帯、背中を広げていく、体全体を柔らかく、丸くイメージします。丸く、は猫背にするのではありません。

声帯は、小さくとも筋肉なので、筋トレが必要です。それは、声を出すことです。

 

〇トレーナーの指摘ミス

 

発声のマニュアルやトレーナーの注意が、一つ先のことを伝えていて、空回りしていることがよくあります。本人がそのステップをしぜんとクリアしていて、少し高いレベルで注意されたことを、初心者にそのまま受け売りして教えると、よくこういうことが起こります。レベル差をふまえない教え方といえます。先取りした指摘ならよいのですが、多くは、先走った教えたがりのミスなのです。

 

〇メニュのよし悪し

 

 メニュのよし悪しの判断が難しいのは、どれか一つを変えると全体のバランスも変わるからです。さらに、変わることで、一時、どこかに無理が生じるのは、仕方ないこともあります。

そのあと、それが解決し、よりよくなるかが大切なのです。ここで、何をもって、よりよくというのか、一時というなら、それはどのくらいの間かが問われます。つまり、待つのです。

 

○トレーナーの見切りと待つ幅

 

 よりよくなるとは限らないと思ったときに、どこで限界や見切りをつけるのかも難しい問題です。場合によっては戻すのか、それは単に無駄になるのか、ただのマイナスになるのか、どこかでプラスにならないのかと、考えます。

その幅を、トレーナーはどのくらいでみるかということになります。

理想は、デメリットを少なく、メリットを大きく、同じ事なら早くできるようにということです。あるメリットのために、大きなデメリットや長い期間をやむなくとることもあります。何手も先を読みつつ詰めていくのです。それも試行錯誤の中でしか、わからないこともあります。

一方、本人との価値観のすり合わせを忘れてはなりません。芸、芸術ゆえ、そこでの相違こそが、最大の難所です。☆

 

〇歌と表現

 

歌うのが「歌わされている」「歌ってしまっている」ということがあります。それは、一本調子で平たく薄く伸ばしただけだからです。

表現としては、立体的、メリハリ、リアルな感触が問われます。これがないと、生命をもって働きかけないのです。

体の調律とは、声のひびきと息、息と声、それらのバランスをとり、コントロールすることです。音程、リズム(メロディ)と声の関係をつかみましょう。

 

〇日常とメンタル

 

イメージでは、抑えないで、開放する方向にもっていきましょう。

メンタル面でストレスをかけないよう注意します。

リラックスした生活、食事、便通などに注意します。

やわらかい神経、頭、心、そして声が大切です。

個人主義を旨としても、周りと仲良く協調しましょう。

 

〇発声と聴く力

 

なぜ、歌に、声に、音楽に感動するのでしょう。風や虫の声に耳を傾けるのでしょう。

日本は言霊の国です。祭り、謡と踊り、神、その理念が人、実体として現れたとみます。

人は、考える頭と声(行動)をもって世界を切り拓いてきました。

 

〇成功している人は、声がよい

 

声がよいから成功している芸人を例に、音や声が人の心理に与える影響をひもといています。そこで、もう一つ大切なことは、聴覚、聞くことの重要性です。日本では、音声は、諸外国ほど重視されてきませんでした。察する国として、聴く耳が問われてきたのです。これも、声を知ることからつながるのです。

 

〇呼吸について

 

Q.息の使い方を知りたいです。

A.全身での呼吸を目指します。背中を拡げる、開けるなど、まず動きにくい背面への意識づけをします。柔軟でしなやかな体を思い浮かべて、そういう体づくりのイメージをもちましょう。

 

Q.強い息で声を出すのですか。☆

A.呼気が強く出ているイメージだけで行うのでは、雑すぎます。一方で、声は鋭いひびきのときもあるわけです。確実に声を捉えているときは増幅してみましょう。弓を解き放つイメージなども使うとよいでしょう。

 

Q.声が高くなると、息を少なくした方がよいのではないですか。★☆☆☆

A.私は、意図的に、トレーニングとして、ことばの強弱、特に強く言い切る、吐き出す感覚と、声が高くなることを同列に捉えるようにしています。そこは、ことばから歌にしていくプロセスと同じように、ということです。トレーニングでは、声量と声質の統一を優先します。 ハイトーン域ではなく、話声域でのことです。声域は、どちらかというと、バランス、調整、コントロールです。もちろん、基礎としては、トレーニングが必要で、その結果ですが。

 

Q.呼吸で声を飛ばすのですか。

A.息の声をのせる、声にことばをおく、そういうイメージの方がよいと思います。

 

Q.呼吸のとき、リラックスと集中が両立しません。☆

A.海では、人は体の力を抜けば浮かび、力を入れると沈みます。

心を重心におきます。すると、眉間の真ん中にも集中するものです。第三の眼があります。天帝と呼ばれるところです。丹田に力を入れるのでなく、気を鎮めるのです。

力が抜けた状態と、力を抜いた状態は違うのです。「落ち着くところに落ち着く」というように考えるとよいでしょう。重心を下におきます。わからなければ何か重いものをもてばよいでしょう、そして、そのイメージでできるようになればよいでしょう。

 

〇共鳴について

 

Q.声を前に出せと言われます。☆

A.声は、まっすぐ前へ出るのでも、引っ込んだり集まったりして出るのでもありません。ただし、こもる、掘る、下に押し付けるイメージは、特別なケースを除いてよくありません。

縦のイメージをもちます。鼻の付け根に眉間の少し下くらいに三角点を描いて、口内は縦に広くイメージしてみましょう。そこで声を回します。息を吸う、香りを嗅ぐという感じです。どこかハイレベルに厳かにイメージしてください。

 

Q.声は、体や頭にひびかせて出すのですか。

A.体内でひびく声でも耳にうるさいのは、遠くに通らないことが多いです。声が拡散するのでなく、芯や線というのを伴っている、集約されているイメージをもつとよいと思います。 がんばって拡散するように出してはよくないのです。

 

Q.喉仏を下げるように言われます。☆

A.口の開け方で「指2本縦に」とか、「スプーンを入れて」など言われたのは、口先より口内の高さ、縦の距離を保つためです。高いほど下に引っ張る感じです。最近は、そういうことばも使われなくなってきたのでしょうか。

今では、「喉仏、喉頭が上がらないように」などというのは、生理学、物理学的なアドバイスです。このアドバイスが間違っているとは言いません。必要なときもあります。しかし、指でチェックしたり、無理に下に引っ張って保ったりするとなると行き過ぎです。鏡で充分です。必ずしも高音で喉頭を下げたらよいというものではありません。安易に動くのを戒めるだけで、高音で上がるのが悪いわけではありません。現実にそうなりやすいし、それで歌っている人もたくさんいます。すっかり小手先の指導法が定着してきたことが心配です。

 

Q.発声では、尻の穴を締めるのですか。そのトレーニングがあるのですか。☆☆☆

A.ちゃんと生きているなら、そこは締まっているのです。それをトレーニングするのはおかしなことです。結果としてそうなっているのです。この場合は、尻の穴が締まっているのと、さらにそれを締めるというのは、むしろ、反すること、力が入りすぎると思います。つまり、どこかに力や意識を向けて喉を脱する、それなら肛門に限る必要はありません。精神的なことが入っていると思います。

形として、チェックとして、そこから入ることはあってもよいと思います。しかし、それは目的でなく、一つのプロセスです。いつまでもそれに囚われてはいけません。

 

Q.レガートのスケールがうまくいきません。

A.息を集中して、ロスしないこと、息もれを起こさないこと、押したりぶつけないことです。ビブラートを感じ、そこにのせていくようにします。音が上がるときより、下がるときの方が、支えに注意することです。

 

Q.顎を落とさず、口も開けない方がよいですか。☆

A.そういう教え方が一般的ですが、これは、声の共鳴が落ちるのを避けるためです。しかし、初心者では、そうなっているとは限りません。顎を引くこと、口を開けすぎないことが大切なのです。その注意と混同されて使われていることの方が多いようです。

 

Q.重い声なのか、飛びません。

A.声を飛ばすのは、声が浮いたり、声を浮かすのとは違います。軽い声、声の軽さは、別のものです。芯、支えがあってこその軽さであるべきです。そこでは、重たい声やこもった声がよいのではありません。

無駄な力をなくしていくことで、重い声ほどひびいて飛ぶとも言われています。イメージは、よい方に捉えましょう。

 

Q.発声を強化したいです。

A.粒の揃った声で、母音をイメージしましょう。

そこでは、目の力は抜いて、リラックスしてみてください。100パーセントの共鳴を感じて、部屋の隅々まで届いていくようにします。

 

〇発音について

 

Q.破裂音で鍛えられますか。

A.発音をクリアにするのは、口や舌の動き、そして発声です。

Pa行、Ba行でやってみましょう。そのあとRLとラ、Mと、Nとハミング、Fなどを使ってみます。うまく息を入れましょう。

口腔を拡げるつもりで、口や舌の動きをよくするとよいでしょう。

 

Q.口の開き方について知りたいです。☆

A.口の開きは、前歯が少しみえるくらいと言われます。唇が出っ張りすぎるのも、おちょぼな口も、歯がみえすぎるのもよくないと言われますが、個人差があります。唇、歯の形態もいろいろで、発声にも違いがあるので、自分に合ったようにすることです。

 

Q.口の周りの筋肉も鍛えるべきですか。

A.結果として、それは、固くするのでなく、柔らかく保つためにするのです。このことだけでも一つの論文になるほど、いろんな問題を含んでいます。筋肉の動きや脱力も、必ずしも表面からみえるものではないから、なおさら難しいのです。

 

Q.深い声で発音をしたいのですが。

A.日本語のアイウエオをAIUEOにするのは、浅い喉声を深い共鳴を伴ったものにするためです。ア→A、イ→Iのように異なるものにするとか、ずらすのではありません。狭いアを広いアにして、そこでの最良を選べるようにしていくということです。

 「横への拡散を縦にして集約する」イメージをもつように言っています。そこは、発音でなく、発声で深く響くようにして、最終的に発音もクリアにブラッシュアップすると捉える方がよいと思います。

つまり、アイウエオでなく、もっと広く、あらゆる母音の発声のなかでもっともよいポジションを得ることが目的なのです。

 

Q.発音と発声のトレーニングのときのイメージは。

A.日本人の場合は、シンプルに「深い」のイメージでよいと思います。より芯のある発声を得ることからです。日本人は引きがちなので、「大きく」「強く」「太く」などのイメージをあえて加えることもあります。

今の5音の母音のなかで選ぶのでなく、それをヒントに新たに得る、発見するのでもなく、つくり出すものと思っておくほうが確かともいえます。

特に、日本人の日本語の場合、アは浅く、ウ、イも平べったくて、使い物にくいことが多いです。エやオに比較的よいのをもつ人もいます。

 

〇その他の質問

 

Q.私のトレーナーは、他の人のやり方の批判ばかりしています。☆☆

A.多くの指導者が、他の指導者のやり方を否定します。自分が正しいメソッドをもち、実現できていると信じているからです。ある程度、そう信じなくては他人に教えられるものではありませんから、仕方ないと思います。しかし、全てにおいて自分のが正しいと、何をもって言えるのでしょうか。

トレーナーとしては、ここまでは確信をもって教えられるが、このあたりは試行錯誤、これはわからないなど、トレーナーとしては、その区別くらいのつく人であって欲しいものです。同じことも相手や目的によって、かなり違ってくるのです。

トレーナーも、お山の大将タイプが多いのです。すぐれたトレーナーといわれても、あるタイプに強いというケースでの実績にすぎないことが多いのです。こういうことをふまえて自分よりもほかのトレーナーが、あるタイプには相応しいとわかって任せようとするトレーナー、自分には向いていないと断れるトレーナーは、あまりいないと思います。

 

Q.トレーナーが真意を伝えてくれていない気がします。☆☆

A.すべてを伝えるかどうかは、指導においては別問題です。特によくないところは正直に言うのがよいとは限らないです。あなたにも、その真意を読みとる力があった方がよいともいえませんが。

イメージとなると、正しい、間違っているもないのです。大半は事実に反しているので正しくはありません。 正しく伝えるとは、事実を伝えることとは限りません。 私は、これを研究と指導として完全に分けています。トレーナーは、どちらかに偏りがちです。この区分けができないことから生じる問題も少なくありません。

 

Q.「他の人の教えているのはベルカントでない」という指導者をどう思いますか。☆

A.声楽のマニュアル批判で多いのは、ドイツ式、イタリア式と分けての批判、あるいは、「本当のベルカント」でないという批判です。しかし、本当のベルカントとは?

そうした多くの指導者が、誰でも教えられる前は、しぜんでよい発声であったのに、教えられて、つまり、間違ったメソッド、間違った教え方で、よくない、伸びない、本心ではひどくなったと思っています。

さらにポップスは、自己流で間違った発声が多いとも言われます。

声楽は、最初から誰かに教えられることが多いので、その教え方や教わり方自体が否定されてしまうのでしょう。

赤ちゃんや子供の声が理想と、そこまで持ち出して、勉強中の生徒の発声を否定する人もいます。自分の生徒以外を、です。お互いに、それをやり合っていて100年以上経つのも笑止千万ですが、その渦中にいると気づかないのです。気づかなくなってしまうのです。

流派、派閥みたいのも、多数を好む日本人らしい考えです。

○○先生門下となり、さらに海外の権威に弱い日本人は、そこに世界で名の通った歌手や指導者、一流の○○を育てた○○に教わった、ゆえに、私のは本物だという論理を持ち出すのです。これはずっと変わっていないどころか、ひどくなっているようです。

 イメージや勘を磨く、心身を使って自ら知ることです。そして、実際の声での判断を鋭くできるように高めていくことです。

Vol.54

○声の大きさと聞こえる距離

 

 たとえば、あなたが、いつもの2倍の大きさの声でしゃべったとします。ところが相手があなたから10倍の距離をおいたとしたら、あなたの話は聞こえなくなります。

 あなたの口元20センチまで近づいたら、うるさくて聞き取りにくくなります。心理的抵抗もあって、あなたの声を受け付けにくくなるでしょう。もちろん、それを望むような親密な関係もありますが、そのときは、絶対に大きな声は使いません。

 声の大きさと聞こえる距離というのは、心理的側面も加えて、物理的な条件の一つです。これは<声量>の問題です。

 

○カクテルパーティ効果

 

 同じ距離で、同じ声量なのに、あなたが聞きたい人の声やことばは聞こえ、聞きたくない人のは聞こえない。こんな不思議なことが起こります。これは、「カクテルパーティ効果」といわれます。心理的なことでの効果で、自分に関係のあることや人には聞き耳が立ってしまうのです。

 ざわつくパーティでも、気になる人の声やことばは聞こえるのです。あなたの名前が遠くでささやかれても、耳に入るのです。

 まあ、聞きたくないことを聞かされるハメになることも多いのですが・・・。

 話す人は気をつけてください。特に病院での長期の入院患者などは全身、耳になっています。

 

〇パーソナルエリア

 

 パーソナルエリアについて、日本人は欧米人に比べて短いようです。赤の他人でも120センチくらいの距離で受け入れるそうです。意外にも女性は、あまり気にしないそうです。ということは、そばに寄っても避けられないからといって、その男性に関心があるわけではないのですから、念のため。

 

○声に何がのっているのか

 

 声量の次は、声の伝えるものについてです。声では、大きく分けて次の二つが伝わります。

 A.ことばの意味 (内容)バーバルコミュニケーション

 B.ことば以外のメッセージ (感じ)ノンバーバルコミュニケーション

 ここから、あなたが自分の声とそれを取り巻く状況を知り、もっとうまく声をコントロールして使えるようにしていきましょう。

 

〇状況洞察力

 

 声の使い方は、自分一人では、決められません。それを最初に知っておいて欲しいのです。

 ですから、「声の高さは、何ヘルツで大きさは何デシベルで話せば、一番伝わるのですか」などと聞かれても、答えられません。

 距離もありますが、相手や状況にもよることが大きいのです。

 A.自分の意図

 B.相手の反応

 相手の反応とは、相手のことばだけではありません。相手の声、身振り、態度、所作などでも察します。

 同じことばでも、そこに込められているニュアンスはさまざまです。人や状況にもよりますが、顔や声の表情、音色、そして身振りに表われます。これが、ノンバーバルコミュニケーションです。ボディランゲージなども含みます。

 

 それをどう読むかが、勝負となります。駆け引きごとと同じです。

 他人の出した声に含まれるメッセージを、できるだけわかるようになりたいものです。それには、相手の立場から察してみることがです。

「声へのアプローチと世界観」

 「すごい」から入り、それに導かれて、自らの表現へ至るのが、もっとも理想的と思います。

身体に基づく声を体験、発見することです。そして、新たな世界観を試みることです。

そのために、できるだけストレートに、一流のものにアクセスすることです。

トレーナーは、それを助け、その邪魔をしないことです。もちろん、ご自分自身が邪魔しないこと、これがもっとも気をつけなくてはいけないことでしょう。

「英語の公用語化とヴォイトレ」 

○実用と基礎

 

 ヴォイトレの方法として、実践的なことと基礎の関係について、よく聞かれます。これを考えるのに、語学の勉強をみると、わかりやすいと思います。

 私のヴォイトレのメニュづくりに、歴史があり人材の優秀かつ広汎で多数の人の関わる語学分野、特に、日本人への英語の教授法とその結果は、いろんな示唆を与えてくれました。明日香出版で出会った西村先生や共著を出した「英語耳」の松澤先生からは、具体的なヒントを得ました。

 

○受験英語と英会話

 

 私は、大学の受験生としては、たぶん相当の英語力を持っていましたが、字幕なしの映画は、聞いて理解できなかったし、外国のホテルのフロントでのやり取りもほとんどできなかったように思います。外国人に道案内できる人や電話で話せる人をみても、それは別の能力のように思っていました。

 リスニングの試験がない時代でした。読解力が英語力であり、実用的な英会話力は身についているはずもなかったのです。学校で学ぶ英語は、文法と単語熟語の暗記が主で、それは、第一に、読解のためでした。文明開化以降の欧米の学問やノウハウの輸入のため、という流れにあったのです。

 一方で、英会話を学びたい人には、NHKの英会話や「百万人の英語」など、ラジオがよい教材でした。それは私の教わる英語と大きく違っていたのです。ポピュラーソングは、俗語も含め、英会話の方に近いのです。それは、ラジオの方で取り扱われていたのです。

 

○基礎としてのコミュニケーション力

 

 海外を50ヶ国くらい回ると、パブリックなところの英会話力の必要性を感じる一方、英語が使われていないところも多いことも身をもって体験しました。まして正しい英語などには、あまり出会わないものです。

 とはいえ、英語の基礎力は、英会話になりにくくとも、欧米とその影響力の及ぶところでは、理解の元とはなります。アルファベットを使っている国々ということです。

 語源が共通していると、意味の見当がつきます。つまり、聞いて理解できないものも、見たらわかって助けられたということです。耳や口に頼れない分、筆談、さらに絵図談が役立ちました。

 そういうなかで、コミュニケーション力というのを、英語力や英会話力といった語学力とは別にあると考えるようになりました。話せるためには、語学以前にコミュニケーション力、さらに、多くの場合、それなりの専門分野の知識がいるのです。

 これは、日本語でうまく道案内をできない人が、英語で道案内をできないのは、語学力以前の問題というようなことです。

 

○実用的とは何か

 

 長年、学んでも口に出して使えなかった日本の英語教育のことについては、よく考えさせられてきました。英語学習にかけた時間ほど実用になっていないというのは、いつも言われていました。でも、勉強というのは、他の教科でも何でもそういったものでしょう。基礎がすぐに役立つわけがありません。

 むしろ、英語は実用的、実践的という方向に、日本の教育は、かなり変わったと思います。

 しかし、それは本当によくなったのでしょうか、そこを考えずに英語の公用語化や早期教育などを進めてよいのでしょうか、ということです。

 というのは、実用的な英会話教育になってさらに悪くなった、かつての英語学習のよさを失ったのではないかということも言われているからです。

 

○英語学習の今昔とヴォイトレ

 

 昔の英語学習は、発音無視のひどいカタカナ読みでした。その対極に、一時流行した、シャワーのように聞くだけでしゃべれるといった、実践的と評判をとる英会話学習があります。この両極は、多くの時間を必要とする点では似てもいます。

 科学的学習法が、文法、読解中心の学習法に対して、新たに出て、もてはやされたのも、最近、そちらへ偏向しつつあるヴォイトレと似ています。早期学習や海外留学対策というのに絞るのは、むしろ特殊なシミュレーションのように思います。

 ともかく、日本の英語教育は、大きく変わっていったのです。口語表現、オーラルコミュニケーションということばが、よく使われるようになりました。

 しかし、そういう改革によって、明治から昭和の英語教育よりも本当に力がついたのかというと、私は、ゆとり教育の失敗と同じものを感じざるをえません。楽に早く使える、実践的といえば、聞こえがよいのですが。

 昔の英語学習挫折者の多くには英単語と英熟語(イディオム)の数しか残らなかったといいます。しかし、シーン別のワンフレーズの今の丸暗記での反復学習をみていると、大して変わらないように思うのです。

 それとともに、昔の挫折しなかった人の英語学習者の理解力や論理力などの能力の高さに驚くことがあるのです。それは、日本語で話す内容、論理力とコミュニケーション力があったからだと思います。

 もちろん、英語を使うのは昔はエリートであり、今は一般の人レベルですから、そのままの比較は成り立ちようもないのですが。

 今、英会話のできる日本人が多いことについては、あまりに国際環境が違うので比べようもありません。私たちの時代、地方では、外国人は外人であり、一般の人は、死ぬまで彼らを近くでみることも、触れ合うこともなかったからです。

 

○暗誦のよし悪し

 

 かつて、勉強というと、第一に難解な書の多読の強制がありました。「読書百遍義自ら見る(意自ら見る)

 これは、英語だけでなく、一昔前の日本語の教育も同じでした。何でも多読、一部は暗誦だったのです。語学力の基礎は、役者の台本読みのような暗誦で身につける学習法であったのです。単に言語を頭で覚えるのでなく、身体に染み込ませていたのです。

 素読朗読は、私たちの頃には、すでに風化しつつありました。上の世代には、神武天皇から125代の天皇名、有名な漢詩、教育勅語や軍人直諭、戦陣訓、百人一首を暗誦できる人は少なくありませんでした。

 しかし、私は、読むのと見るのが好きで、特に日本語、昔の日本語字体や音の流れを美しいと感じていました。たぶん、多くの人が、そう感じていたことでしょう。

 詩や文学に関わらず、演説や論文の類にも衝撃を受けました。映画やラジオで聞くとかっこよく思えたのですが、それをまねてしゃべるところに至らなかったのです。その美的感覚というのは、何であれ、大事なものと思うのです。

 

○基礎の強み

 

 実践というのは応用です。たとえば、「チェックインしたいです」は「チェックイン プリーズ」を覚えたら、通じます。すぐ実践、応用できます。お願いするときに、何でも使えるpleaseとして覚えるのです。でも、いつも一言で終わり、それ以上に深い内容には使えません。シーン別の1フレーズとは、そういうことです。

 一つの技で、お願いするシーンを全て乗り越えるというノウハウは、せいぜい添乗員付きのツアーに行けるまでの実力です。1ヶ月から1年くらいまでの、すぐに使える旅行用英会話のようなものなのです。その後、発展をしない、そこが問題なのです。

 長期的には、たくさんの技があって組み合わせられる力の方が、後で伸びるからです。つまり、本当の応用が効くのです。

 単語でも一つの単語でたくさん応用させる、少数の単語を組み合わせたら万能と勧められます。しかし、似たイディオムを区別するより、専門の難しい単語を覚えた方が後々混乱しないともいえます。

 

○学び方を学ぶ

 

 自ら学べるようになるための基礎を学校教育では、身につけさせます。学ぶことは反復であり、学習習慣といったものです。

 自分で試行錯誤すべきことを、他人に任せてよいものではありません。他人の経験も自分の試行錯誤に活かして、その経験をより積むことで意味があるのです。

 あまり役に立たなかったと思っていた学校の英語学習も、クラシックバレエのように基礎となったのでしょう。何よりも、学ぶことの手順や方法を知りました。書くことの論理や構成、展開、日本人以外の思想や考え方を学びました。思考力、論理力、説得力を鍛えてくれました。英会話に、すぐに役立たなかったことよりも大きく、いろいろと使えているようです。それは、どうも感性と関わるような気もします。

 そういえば、数学も、ほとんど日常では算数レベルで足りていたのですが、今、音や声の理解や説明では、それなりに高度に使っています。波動や微分積分、対数など、数ⅡBあたりが必要だからです。(昔は、数ⅡBに対し、数ⅡAが実用的、実務的でした。)

 

○プロセスで学ぶこと

 

 ヴォイトレも、世の中で声がよい人が通じているのではありません。ということから、単によい声を目指すのでなく、ヴォイトレのレベルを上げる、その体系をプロセスから明らかにして学んでいくことが重要となります。そのプロセスに、全てに通じる秘訣が眠っているのです。それゆえ、続けてこそ報われるのです。

 私からみると、歌唱やせりふも、そこから切り出された判断(としての材料=作品)に過ぎません。声こそが基礎なのです。それをどのような出会いで感じ、入れてきたか、それは、やはり美的感覚ともいうものに基づくと思うのです。

 

○学び方の変化を

 英語をもっと実践的に使えるようにすればよいというなら、英語を学ぶことを重視するのでなく、根本的には日本語の教育をどうするかという問題です。日本語をおろそかにしてよいということでありません。

 文系科目より理系科目を重点的にという政府の方針も、これまでの文系科目を薄めずに理系をプラスすることにならないとおかしいのです。それをいうなら、音楽という科目が選択制となり、一方で邦楽(楽器)必修という改革もおかしいのですが。

 結局、決められた勉強の合計時間の割り振りになるので、一方を多くすると自動的に他方が少なくなるということから問題となるのでしょう。

 では、時間が多いのがよいのかということは、本当は別問題です。でも、確かに多くすることは重点をおくということを示すのです。

 与えられる教育と自分での自主勉強と分けて考えてみると、基礎として学び方さえ身につけられたら、応用は今やいくらでも学ぶ環境はあるようになった、そこも違うのです。

今や、学び方さえわかれば一人でどこまでも深めていけるのですから、大切なのは、その必要性とモチベーションを与えることでしょう。そこで「実践に使える」というニンジンをぶら下げるのは悪いことではありません。

 

○思考とその実践

 

 「本を捨て街に出よう」は、団塊の世代のスター、寺山修二の警句です。そこには「家の中で本ばかり読んでばかりいないで」という前提があります。いつもその当時に、当たり前であったことは表現されないのです。「たくさん買ったり借りたりして読んでいる、貴重な本を」という前提があるから「捨て」が効いてくるのです。

 そうしてきた世代が、本などは世の中や仕事に役立たない、と本を読んでもいない世代へ言うのは、どうでしょうか。今や、それさえ言わなくなったのですが、「本を読め」と先達が言わないのは、罪です。

 教育というのなら、本だけではないのですが、新しいものに取り替えるのでなく、新しいものも加えるという過度期を経て、両方の良いところを活かす試みを進めることです。本がマンガ、そしてゲームに取り替わってよいのではありません。そして、当たり前であった前提が変わったのなら、そこをことばで示さなくてはならないのです。それが体系的ということです。

 

○基礎の本

 

 本というなら、何でもよいのですが、強いて言うなら難解なもの、名著とされるものの原文がお勧めです。そこに美しさを感じるまでが基礎、型づくりのモチベーションとなります。最初は感じなくても続けていればわかってくるということでは、多読を勧めたいのです。この場合、文学として文字よりも音の流れといきたいところです。私の立場からということですが。いつの時代も人を動かすのは感動です。

 英語でオバマのスピーチ(広島訪問時のもの)で、目が開かれたなどというのもあり、と思います。多くの日本人には好評だったようです。

 

○グローバル化への対応能力

 

 英語の公用化よりも大切なことを述べます。

1、 ことばをこねくり、その後ろにあるイメージを想起すること

2、 新語をつくる造語能力を鍛えること

3、 発想力、創造力での日本語そのものの優位性、3つの文字と絵文字など

のあること、それを活かすことです。

 

○オリジナリティ

 

 オリジナリティとはその人の必殺技です。それは、決め技一つでなくとも総合的な組み合わせでもよいのです。その人の世界観ともいえます。

 決定的な強みをもつことと、それなりにバランス、弱点補強することは、あらゆる芸事、仕事の基本となるものです。語学は、言語力、会話力をつけるだけでなく、そのバックにある文化力をもつという意味で、有効な武器となります。

 

Q.英語の垂れ流しで、誰でも話せるようになりますか。

A.耳から入るというのは、ヴォキャブラリーは足らなくとも、すべての音声は聞き取れるようになるということからのアプローチです。外国の曲で、歌詞の意味はわからないけれどメロディは口ずさめるという状態にするわけです。このときは、読み書きの力でなく、聴いて(まねて)声に出すという本来の言語習得の順になります。この方がしぜんです。少なくとも、すべて知っている単語で歌われたり話されて、一語も聞こえないよりはよいことでしょう。リズムやフレーズ感といった力はつきます。しかし、垂れ流しでなく、意識する必要はあります。どうしても聞けないところのチェックも必要です。睡眠学習のようでは、決して身につきません。

 

Q.なぜ、日本人は英語が苦手なのですか。

A.ラテン系やゲルマン系の言語を使う人、西欧人が英語を話すのに苦労しないのは、言語が似ている、特に音が近いからです。

 日本人が苦手なのは、音がかけ離れている上に、日本語では認識する音数が少ないからです。英語の40個以上の音のなかで日本語と同じなのは56個ですから、ほとんど聞き取れないのも無理はありません。語句だけでなく、リズム、イントネーション、語順(文法)も違うから、なおさらです。

 

Q.苦手な発音への対策をどうすればよいですか。

A.英語、外国語を正しく聞こうとしても、私たちの脳回路は、日本語の聞き方に寄せて聞き取ります。Wellというのがウエローとカタカナに聞いてしまう、すると、言うときもそうなって通じないということになります。

 大人になるにつれ、日本語の回路、そのショートカットが太くなります。ですから、聞くのに一所懸命になるよりも、知らない音、発したことのない音に気づくこと、その存在を知って自分で発してみることが必要なのです。

 聞こえたら発することができる、とも言われるのですが、正しく聞こえないなら、発することを学び、発したら聞こえるようになります。構音の器官の使い方と脳を意図的に結びつけ、体に覚えさせるのです。

 

Q.発音記号から学ぶとよいですか。

A.音を単音で聞くことと、その音の組み立て、短いものなら単語、長いものなら文章を把握、理解できることとは異なります。必ずしも音→構成の順ではなく、構成から音が明瞭になることもあります。発音記号は、文法と同じく、一つのルールのように勉強に役立ちます。

 

Q.同じ作品をくり返し学ぶ方がよいのでしょうか。

A.外国語でも日本語でも、最初にテーマや筋がわかっていると、内容を理解するのは理解しやすいものです。全てが初めて見聞きするものでは難しいですね。会話でも同じく、冒頭で共通の話題でアイスブレイクできると、そのあとも楽になります。脈絡をつかむと、わからないところも補えるからです。

 知らなかったものを読むのでなく、知っているものを語る。これは、報道ニュースと芸との違いのようなものでしょうか。情報そのものを知らせる価値と、ほぼ知っていることをどう語るか、歌うか、みせるかの価値との違いです。そのため、芸では、繰り返し、同じ課題を練習して、暗記して、暗誦していくプロセスをとるわけです。

 

Q.慣れたら、すぐれていくのでしょうか。

A.体に身につける、体得とは、一言で言うと、慣れです。以前、非日常であったものを日常にしていくことになります。一体化して馴染んでいくことです。

 ステージで年に数回、歌うプロよりも、毎日カラオケで歌う人の方が日常化し馴染んでいるといえるわけです。

 でも、馴化してしまうと、そこでそれ以上、そのままうまくならないで落ち着いてしまうのです。その人なりのうまくなったというレベルで留まります。ですから、慣れは両刃の剣なのです。

 海外のプロのヴォーカルのように、日常で歌っている、踊っている、そこはベース、当たり前のことです。それが常人を超えたレベルにあってこそ一流と言われるわけです。

 日常の日常化は、価値にはならないのです。でも、それが前提、そこを得てからが、勝負です。

 

Q.身につくプロセスを説明してください。

A.聞く、正しく判断する、正しく発する、最初は、そのために、集中したり注意が必要となります。それが慣れると特別な状態は必要なくなっていくのです。

 このときに、以前にマスターしたものがくり返されているだけということもよくあります。

 過度な集中や注意はしぜんな状態と違いますから、力が入ることもあります。よく脳波や血流などで数値が上がったからよくなったというような人がいますが、それは慣れないことをしたための状態です。マスターした後は、しぜんになるのが普通です。

 マスターとは一回きりでなく、次のレベル、次の次のレベルとなるので、技を覚えていくのと同じく、体得した技はしぜんになり、そうでない技は難しい―ふしぜんであるわけです。

 

Q.たくさん見聞すれば、身につきますか。

A.自分で実際にやってみて、初めてわかることが多いものです。見ていても見えていないこともあります。実際にやってみて、また後に再び見ると、その難しさや意味を把握しやすくなります。見ていて簡単そうで、やれるつもりでも、実際にやると、できないことに驚くものです。ですから、習い事でも実習体験が中心となります。

 

Q.型は、実践からいうと遠回りと思うのですが。

A.型とは、実践そのものです。遠回りと思うのは、実践が応用、変型なのに、そこを支える元をみていないからです。私が「わかってもできなくては仕方ない、できればそれでよい」と言ってきたのは、そういうことです。

 

Q.新しい発音を口の形などで覚える方法がありますか。

A.聞いたときにそういう口の形のイメージ、ひいては、そう動くことによって、音が正しく判断できる、つまり、判別できるから発せられるのでなく、発せられることで判別していくということでは、実践的な学び方になります。

 

Q.せりふを実践的にトレーニングしたいです。

A.せりふをマスターするとき、最初は、一音ずつ、ゆっくり読みますね。ことばを正確に把握し、発していきます。反復して暗誦したら終わりではありません。それからどう表現するかです。すると、呼吸や発音も問われるレベルが上り、上達していくのです。

 

Q.発音をよくしたい。

A.外国語学習で文法や単語は自分でチェックできますが、発音は難しいですね。専門家のチェック、ネイティブのチェックが理想です。でも周りの人のチェックでもよいかもしれません。自分でのチェックはヴォイスレコーダーを使うことです。

 

Q.なぜ、語学で文法、構文、イディオムという分野があるのですか。

A.音の変化は、発声―発音に関わります。これを全パターンで覚えるのと、代表的なもの、よく使われるものに限定して覚えるのと、大別して2つのやり方があります。

 リズムや音程も、歌唱での音の変化の一つです。そこでもルール、型から入るのが効率のよい学び方です。

 本当は、なぜそういう変化をしたのかを捉えていくと、自ずと正しく変化していくようになるわけです。すべてを覚えるのでなく大まかに代表例で学び、全体や構造をつかむのです。その一つが文法、構文、イディオムなどという分野での学び方です。アクセント、イントネーションもそれに類します。

 

Q.母語は、なぜ必要なのですか。

A.言葉の定義を求めてくる人たちばかりとなります。さまざまに解釈できるからこそ、論争になるのです。

 一義では無理です。「その定義が間違っている」と言いあって終わりです。

母語は定義を変えられるわけです。変えてもお互いに理解できるから、新しいことばが生まれます。外国人には、正誤はネイティブに効くしかないのです。

 通じる、受け入れられるのは、流行するのは、一義でないことを共有できるからです。日本語の一つの単語Bonsaiなどが、そのまま英語になるのは他に置き換えられないケースに限られるのです。ガーデニングでは通じませんから。母語をまず徹底して学ぶのは、クリエイティブになる必要条件なのです。

Vol.53

○できる人は、声の切替力がある

 

 とても悪いことが起きたあと、仕事の電話があったら……。普通は、明るい声にはなりません。

 しかし、プロの営業マンやベテランの受付嬢なら、ていねいに明るく受け応えるでしょうね。瞬時に切り替えられるのです。

 声の<切替力>のある人が、仕事のできる人です。その切り替え力のプロが、先に述べた、役者や声優なのです。

 でも、ノーマルな人は、尾をひくのです。自分では、そういうつもりはないけど、素直で、悲しみから抜けられない心のやさしい人ほど、そうなるのです。表情はがんばっても、声を切り替えられないからです。

 

○声は、みえない情報を相手に与える

 

 悪いことがあったあとは、誰でも暗い声になります。もごもごした、低い、テンションのない声になります。

 しかし、その状況を知らずに、あなたの声を初めて聞いた人は、次のように思うのです。

 「具合悪いのかな」

 「やる気ないな」

 「こっちのこと、よく思っていないな」

 「この人、仕事がうまくいっていないのか」

 声がそういうメッセージを送ってしまうのです。

 

 初めて声を交わした人は、あなたのことをわかっていませんから、そのときの声がそのまま、あなたという人の能力を伝えます。

 「仕事のできない人だな」「つまらない人生、生きている人かしら」

 好き勝手に、悪い方にあなたのイメージはもっていかれます。

 そして現実は、本当のあなたと関係なく、その声の感じを受けて、進んでいくのです。だから恐いわけです。

 

○声でわかること

 

 あなたの声を聞いて、人は、次のようなことを瞬時に察します。

 あなたの体調、気力、意志、やる気、気持ち、気分など

 能力、実績、自信、意志の強さ、こちらへの気持ち、状況などを勝手につくりあげられてしまうのです。

 

 あなたがうまくコミュニケーションのとれない人のなかには、この声の情報に振り回されている人もいます。そこで私も、初対面の方には、無難に笑顔とやや明るい声で対応するようにしているのですが…。

 

 たった一つの声という情報をヒントで、どんどんと相手の思い込みが進んでいく。そこであなたも余計に緊張したり、委縮したりします。

 

 でも、それでよいのです。それが、センサーの正常に働いている状態です。見知らぬ人や偉い人に、自分の胸の内をすぐに明かすような方がおかしなことです。

 すぐ握手するのは、日本では、票の欲しい人か、どこかに悪巧みのある人が多いでしょう。ときに人間的にとてもできた人もいますが。外国に長く住んだ人は、別ですが。

 

 初めて会っても話しやすい人は、ノーマルな状態が比較的、これに近い人でしょう。いつも待ちで、きちんと準備して臨んでいる人です。もちろん仕事ではそれが理想でも、そんな悠長なことは言っていられないことが多いですが。

 

○声を使いやすいとき、使いにくいとき

 

 ここで、あなたが声を考えるために、もう少し声の作業をしてみましょう。

 あなたがその人の前で声の出しやすい人、出しにくい人を三人、ピックアップしてみてください。それぞれ、分野別に一人ずつで構いません。声を出しやすい、がわかりにくければ、声をかけやすいでもよいでしょう。

  1.仕事

  2.プライベート

  3.その他

 

 次に、声を出しやすいと思ったのはなぜか、を書き出してみましょう。

 もし、その人に対して、時によるのであれば、「―のとき」という条件も入れてください。

  ・私に好意的だから

  ・長くつきあっているから

  ・いつも悩みを分かちあっているから

 など。

 

 さらに、あなたが声の出しにくい相手についても、理由をつけてみましょう。

  ・いつも、いぱっている

  ・目を合わせてくれない

  ・気が合わない

  ・私を嫌っている

  ・喧嘩をしたまま

  など。

 

 声の使い方では、声だけでなく、状況を考えることが重要です。状況と声には、密接な関係があるからです。

 

 誰でも、一方的には話せます。しかし、相手があなたの言ったことを受け止め、あなたの話した目的が達成できなくては意味がないのです。つまり、相手がどう聞くかが、かなりのポイントを占めます。そこでの声の重要性ということになります。

「伝統を伝統に」

 すべては、そのまま使うのでなく、新たに再生する必要があります。

考え方というのも受け入れた後、再考し再生するのです。思想も技術も、すべては自ら創始者と同じか、それ以上の手間をかけるプロセスを組み立てなくてはならないものです。

合うものをとり入れたときに、合わないものを忘れないことです。理解したときに理解していないものを残しておくことです。

 すでにあるものを研究し、その本質をつかんだら、再生して、世の中に打って出るとよいでしょう。

結果として、時代を超えた独自の境地に至るのかを問うのです。まさに守破離です。

 自分でつかむこと、人や方法を選ぶにも、それなりに学んで自分のものをもっていないとできません。本質は見抜けないし、まして現実に活かせないものです。何よりも、そのものを学ぶのでなく、そのもののうしろにあるものを学ぶことです。

「トレーナーを複数にするメリット」

○トレーナーの長所が弱点となる

 

 一人のトレーナーに、評価と指導を任せた場合の問題をまとめます。

 トレーナーですから、何かについてはすぐれているのです。しかし、何かにすぐれているからそのことを教えられるということとは、必ずしも一致しません。その問題が一つあります。

 すぐれていなかったことをすぐれていくようにした人はともかく、最初からすぐれていた人は、教えられません。いや、最初からすぐれている人には、よいアドバイザーになります。しかし、それは声でなく、心身のコントロールについてです。現役時代に活躍した有名なトレーナーの多くは、このタイプです。

 他の芸事では、習って上達するので最初からすぐれることはありませんが、発声、歌は、幼い頃からのしぜんな習得での個人差が大きく、自分なりのトレーニングでかなりのレベルにいく人がいるのです。しかも、トレーニングという意識なく、しぜんに上達しているタイプが、日本のプロには多いのです。

 

〇プロセスでの条件

 

 次に、自分のすぐれていることについて教えられるとします。この場合、見逃してしまうのは、すぐれているということを具体的に評価できるようにすることです。そこに至るステップを客観的につけることができ、しかも、評価することができることです。ここは、トレーナー自らの体験での主観的なステップづけにならざるをえません。

 ですから、発声や歌の本は、ほとんど初心者用しかないのです。つまり、人より下手なのが人並みになるというノウハウ止まりなのです。チェックで気づきは与えても、せいぜい状態を改良するだけ、条件を満たすように鍛錬するプロセスがないから当然なのです。でも、初心者は、その気づきで万能感を得て、トレーナーを全信頼してしまうのです。

 

○通じるということ

 

 他人を教えるのに、自分を元に他人の習得プロセスのステップをつけるのは、かなりの難問でしょう。それが誰にも、とは言いませんが、新たな人や違うタイプの人にも通じるのかという点で大きな疑問です。

 通じるというのはどういうことなのでしょうか、最初から確証があっても、どのくらいの試行錯誤でどのくらい修正が加わり、どのくらいの許容範囲で結果、効果が表れるのか、さらに、効果とは何なのかということまで、どのくらいつかんでいるといえるのでしょうか。

 その項目を100くらいあげてみて、比較するとよいでしょう。

 

100の能力

 

 その人に必要な能力が100ほどあるとして、トレーナーが、その100のすべてにすぐれていることは、それほどありません。仮に、すべてが教える相手よりはすぐれているとしても、もっとそれに優れ、教えるにもふさわしい人は、他にもいるということです。

一人で教えるのは、それを混乱しないようにプロデュースしているともいえます。いえ、プロデュースしていなくてはならないのですが、これが至難なのです。

 

○見逃すリスク

 

 トレーナーであるからには、どれかを優先しているわけです。トレーナーになるにも、どこかがすぐれているからトレーナーとなっているのです。その売りは、何かということです。

そのときに優先していない項目がみえているのかというと、その存在すら気づいていないのが普通です。100のうち、90を落としていることも少なくありません。

 そのトレーナーが、何かですぐれている、そのことが特別であり、周りに認められ、価値があるほど、そのことを求める人の占める割合が増え、特化していくわけです。その結果、その他に見落とす項目は、増えるのです。

 

○区別する

 

 本人がプロとして活躍できるのに必要なことと、身につけるとよいこととは、必ずしも一致しません。まして、すぐにとか同時には、一致しようがありません。

 トレーナーがすぐれていること、評価されていることと、学びたい人が必要なことを区別することです。さらに欲をいえば、他の誰かから学べることを区別しておくことです。

 たとえば、ヴォーカリストに必修の100の項目があるのなら、今や、作詞作曲、演奏、パフォーマンス、ルックス、ファッションなどがメインで、声は10分の1くらい、もしくは、大して必要ないケースさえあります。

しかし、他の分野は、他に才能のある人に依頼できます。だからこそ、10分の1の声、そのヴォイトレが重要なのです。

 

○教えない

 

 プロのヴォーカリストの多くは教えようとしません。本人が、元よりの素質、素養によって、人生を歩むうちに、トータルとして気づかないで得られているものあり、それは、人に教えられないと知っているからでしょう。

 教えるとしたら、同じレベルのプロに自分の得意なことに限ってアドバイスするか、初心者がそこそこうまくなる程度のところについてチェックするかです。

 それは最初からそのヴォーカリストのレベルを超えないと約束されているようなものです。アスリートで、専門のコーチでなく、選手が選手に教えるときの限界と似ています。自分が学んだトレーナー(先生)から学んだものは、学んだトレーナー(先生)を追い越せない、と思っておくとよいでしょう。

 また、本人がプロゆえに、他のヴォーカリストを客観的に評価できないことがあります。評価はできても教えられないこともあります。

 プロでも、プロになってヴォイトレで学んだものは、必ずしもプロでない人がプロになるためのノウハウにはならないのです。

 重ねて述べますが、チェックすることと育成プロセスを与えることは違うのです。☆

 

○世界一ふさわしい手本に学ぶ

 

 となると、手本として学ぶ人の選定は、けっこう大変なことです。学んだ先生が世界一のレベルなら、世界一は無理でも、日本一になれるというように考えるのがよいというものでしょうか。

 優秀すぎるトレーナーにつくと、アーティストでなくトレーナーになってしまうということがよくあります。蛇足ですが、食べられないからと、トレーナーをやりつつ、アーティストを目指すのは、かなり注意するべきことです。

 世界一に学ぶのでなく、それを学んで自分の手本として世界一ふさわしいアーティストや作品を知ることです。それを大いに参考にして学んでください。

 

○先生の先生に学ぶ

 

 それと、手本として学びたい人よりも、その人が手本にした人を、手本にすることです。

 たとえば、先生に習うとは、結果として100人のうちの一人、うまくいった一人の人に学ぼうとするのです。

 先生の先生という大先生をお手本にしても、大先生になれるどころか、99人は、100分の1として結果を出した先生のようにさえなれない、まして、先生に学んだら100分の1100分の1、先生を超え、大先生のレベルになれる可能性は、1万分の1くらいです。では、大先生は…となると、究極には、先生を、人間を超えたものに学ばなくてはならないということなのです。

 ですから、レベルを目一杯上げ、必要性を上げるように言うのです。

 

○他のトレーナーに学ぶ★

 

 他のトレーナーと一緒に指導に関わっていて、もっともありがたいのは、自分のみえていないところ、優先しなかったところに気づくことです。教えることでの偏向を恐れ、すべてを曖昧にまとめて、中途半端に進めてしまう愚も防げます。

 他の多数のトレーナーと評価することは、自ずとレッスンでの役割分担となります。これが、トレーナーそれぞれの長所をもっとも引き出せるのです。他の1人か2人のトレーナーと自分を比べるだけでも勉強になります。まして、4名以上なら、比べていくとそれで10倍学べるでしょう。まあ、ヴォイトレで6人、8人、10人となると多すぎて混乱してしまいかねないようです。

 

○タイプとメニュ数

 

 どのトレーナーにも長所短所があります。短期的な効果を上げるトレーナーも、長期的に効果を上げるトレーナーもいます。また、一人のトレーナーのなかにも、いろんな方針やメニュが混在しています。

 私などは自分のなかに、100タイプ、そして、それぞれ100メニュ以上あり、その上に、研究所の他の10人以上のトレーナーのメニュで、各100×10人=1000メニュ、さらに、私のと彼らのを組み合わせると1千万メニュは、軽く超えるでしょう。ですから、メニュでなくメニュ化する方法を教えているのです。

 

○トレーナーの学び方に学ぶ

 

 本当は、トレーナーになって、どれだけ学べるのか、その学び方や学べる大きさが、トレーナーから学ぶ人にもっとも必要なことです。現役やプロになるまでの自己流や、学んだ経験だけのノウハウをくり返すトレーナーと、時代や生徒に学び続けるトレーナーとの決定的な違いがそこに出ます。

 時代も世代も変わるのに、トレーナーもが与えることも同じではなりません。かといって、目先の流行に合わせた教え方だけでは、もっとよくないわけです。

 そこを役割分担すると、呼吸を教えるのにもっとも長けているトレーナーが、音程、ピッチを直すのに労力を割かれてしまうようなことも防げます。今すぐに役立たない深い基礎を、一方のトレーナーがゆっくりと教えることもできます。そうなると、そのトータルマネージメントが何よりも重要ということです。

 

○選択する

 

 どのトレーナーにつくか、誰を選ぶかというのは、最大の難関のようです。

 第一に、トレーニングの成果を考えるのなら、相性や人間関係で選ぶのでなく、そのトレーナーのキャパシティや方針を自分の対象として考えなくてはいけないのです。

しかし、多くの人は、人間関係での相性で選んでしまいます。同じ技量というなら、それもよいのですが、同じ技量のトレーナーがいるでしょうか。いたとしても、それを誰がどう判断できるのでしょうか。

 

〇問題を出す

  大半は、自分にすぐ合う人、教え方がわかりやすい。

この場合、とっつきやすいということでトレーナーを選びがちです。それは自分と似たタイプになりがちです。それゆえ、わかりやすくやりやすい分、大きな変革をもたらす可能性は狭まるのです。トレーナーそっくりになっていくのです。

 オペラ歌手になりたい人が、日本のトレーナーにつくだけでなく留学するのは、そのためでしょう。しかし、そこで自分の先生と違うと、どうすべきかわかりません。先生の習った先生につくと、その分スムースですが、問題が出てこないのは、よいことといえません。

 

○選択の失敗

 

 トレーナー選びに失敗する人は、必要なものがわからず、一人のトレーナーに委ねる、あるいは、技量でないところ、サービスと精神や打ちとけやすさで厳選するなど、つまり、好みのうるさい人です。

 トレーナーとのミスマッチは、本人には一番見えません。マッチしたはずのトレーナーとレッスンは和やかに進んでいるのに実力がつかない例は、とても多いのです。多くは、自分の思い込みや人間性のような、身につけていく内容と直接の関係がない、自分だけの評価で一方的に決めてしまう、どちらかというとサービスの部分でマッチしたと思ってしまうのです。

 

〇トレーナーのスタンスを知る

 

消費者志向が高まっているため、多くのレッスンが楽に楽しく、すぐに誰でもうまくなる、ということに集中してしまっているのです。

 それをうまく逃れたとしても、そのトレーナーのスタンス、あなたに対するスタンスのことですが、どの面(方針、メニュ)を与えてもらうのか、引き出すことができるのかということです。

 それには、トレーナーの位置づけを知ることです。トレーナー自身は、そこがわかりません。自分の歌の評価をするようなことと同じで、トレーナーとしての自分を評価するには入り込みすぎているからです。

 

○スタンスの決定★

 

 私が、希望者に面談して、いろいろお話してから、研究所でのレッスンを引き受けるのは、そのスタンスを決めていく、いや、いずれ本人が決められるようにすることが大切だからです。

そのためには、あなたのスタンスを決めることが第一です。大体はすぐには決まりません。少しずつ決めていくというプロセスをとることになります。そこで急ぐと、トレーニングも大して効果をもたらさないものになりかねないからです。

 

○マンツーマンレッスンのデメリット★

 

 あなたとトレーナーの二者間でクローズするのは、よくありません。あなたとトレーナーの二者間の関係を第三者がみて、初めて、客観的なチェックができるのです。でも、多くの人は、マンツーマンでクローズするのを好みます。トレーナーだけでなく、生徒さんもそれを好む人が多いので、なかなかオープンにできません。

 最初は違っていても、長く行ううちに、その人の気に入るトレーナーにもベスト1、2、3と序列ができます。そこで、ベスト1しか選ばないのが大半の人です。その方がわかりやすく、やりやすく、とっつきやすい、つまり、自分の感覚で、楽だからです。それは楽であることを優先しているのに過ぎないのです。

 

〇他のトレーナーに通じるか

 

 本当にすぐれているなら、すぐれていっているなら、他のトレーナーとも、楽に得られるところが出てくるものです。教えられ上手になっていくからです。なのに、逆に他のトレーナーとやりにくくなっていく、これは自由ではなく、力が付いたのでもなく、限定されていっている、声にくせがつかなくとも、やり方にくせがついていくということです。声そのものはともかく、方法に固定、くせが出てきているのです。一時的なのはやむをえないとして、それが進んでいくなら重症です。

 つまりは、一人のトレーナーのやり方に特化して、そのトレーナーだけには評価される分、他には通用しなくなるのです。そのトレーナーの評価に満足してしまうからです。そして、価値観が固まっていくのです。自分でなく、そのトレーナーの判断しかできなくなります。

 

○トレーナーを見本としない★

 

そのトレーナーをその分野、ジャンル、アーティストなどに置き換えると、学ぶときは、そうなってしまう理がわかるはずです。一つの歌、一人のアーティストがきっかけになるのはよいのですが、いつまでもそれだけからしか学ばなければ、ファンにこそなれ、確立した個としての自分のものは出てこないというのと同じなのです。

 仕事は応用ですから、こういう人は、そのままでは、深めるほど現実の社会では、使えない、使いにくいのです。

 

○一人のトレーナーのメリットの裏

 

 一人のトレーナーと徹底することでわかりやすいとしたら、それは、短期に早く、形になることです。トレーナーのくせでうまくこなせるようになるのです。このくせは、芸風とか演出のようなものですから、その形を借りてうまくみせられるようになるのです。

 しかし、アマチュアから抜けるには早くとも、それゆえ、プロのなかでは通じません。よく、知名度があったりルックスがよい人に、プロデューサーやトレーナーが入れ込んで、早く仕上げたときにみられる形です。早く出たために、その後、何ら自ら学べず、だめになっていった例をたくさんみてきました。

 唯一、音楽の中でも、歌だけは「向こうのものみたいでかっこよい」で通用してしまうようなものになってしまっているから、なおさら勘違いしやすいのです。

 一人のトレーナーからは、いかに秀でていても、そのメリットとデメリットを両方受けているのです。少しのメリット、多くのデメリットとみた方がよいです。そのメリットを捨てないと次のレベルにいけない、よほど注意しないと、この国ではそんな人ばかりになってしまうのです。

 

1.トップレベルをみて、その上を目指すこと

2.一般化するのでなく、個別化(見本)して自分のところ、自分に合うところまでもってくること

 まず、トレーナーをトップレベルとしないことです。

 子弟関係にあり、師の仕事を継承するのなら、そのジャンルらしく深める、そういう時期が必要だとは思います。固まるときがあっても仕方ないでしょう。しかし、そうでないなら、トップレベルを一人でなく、学ぶアーティストを複数名とすることです。同様に、トレーナーも複数名をお勧めしています。

 

「古人の跡を求めず、古人の求めしところを求めよ」(「許六離別の詞」松尾芭蕉)

No.311

○腹式呼吸の身につけ方

 

大きさを優先します。

わかりにくければ、それを長さでみるとよいでしょう。

1234123412341234

141小節の計 4小節を書く小節ごとにブレスを入れて伸ばします。

最初は、1141秒ずつ伸ばし「4秒でブレス」を×4小節

22秒ずつ「8秒でブレス」×4小節

3、「12秒でブレス」×4小節

4、「16秒でブレス」×4小節

すると、多分、2から3で後半がもたなくなるでしょう。ちなみに、1が♪=60ということです。わざと大きくとか長くして、体を使わざるをえなくします。これは、野球のバッターやテニスなどでの素振りです。あるいは、コーチが子供に腰を動かして打たせることで、全身の動きを学ばせるのです。

 

○ことばの変化(フレーズの実習)

 

はるの

あうお―母音にする

はふほ―ハ行にする

らるろ―ラ行

なぬの―ナ行

まめも―マ行

それぞれの違いをおさえつつ、3つの音を1つの流れでもっていき、統一することです。

どれがよいのかの前に、どう違うのかとか、どう伝わっているのかを把握します。

正しい、間違いで決めつけるのでなく、どれもできる上で、もっともよいものは後で選べばよいのです。一つの正しいものに絞るよりも、まずは、多様な変化を感じ、それが、なぜ生じているのかを自らのなかの変化、違いと結び付けて把握するのです。

 

○レッスンメモ

 

発声とフレーズ

ポップス、ロックと声楽

楽器音の情感

ことばの感情

Key、テンポの設定

ui

nma a

n ga a

 

呼吸の大きさ

吸うことのリピート

1.声域 高低 調整 正誤 カバー

2.発声

3.声量 大小 強化 深さ 程度

4.声質

12.より34

5.深呼吸長く 5101525

 

01 ベストへ

12 ベターへ

イメージと伴う体

焦点とマスケラ 共鳴

支え

 

1.共鳴

2.発声

3.息 呼吸

4.体 支え

脱力感覚

響きが勝らないように

 

1.優先する(メリット)

2.優先しない スルーする(デメリット)

共鳴して喉にかからない(ビブラート)

大きくして喉にかかる(生声)

1コーラス分の息吐きトレ

縦、上下、距離をとる

揃える、集める、力抜く

集中する

地―裏声

3面鏡

ama a

a o i

iko u

n m Ha

1.共鳴 発声 呼吸

2.ことば メロディ リズム

3.気持ち 舞台

ゆっくりとテンポアップ

 

1.低―高

2.大―長

3.音色―共鳴

楽器―演奏

体力―反射

拡大 ばらつく 量

統一 一本化 質

基本1オクターブ

 

ゆとりとスピード

ペースとベース

決めつけ迷わない

バランス支えられない

バランス足らない

固い しなやかに

スタンス 立ち方

盛り上げ方 ピーク

解放 開いた感じ

演出 実感

器 創造と処理

加速 速度 ふかす

のせる

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