ご案内

私は10数名のヴォイストレーナーとともに、ヴォイストレーナーにも指導しているため、内外のヴォイストレーナーのアドバイザーやヴォイトレをしている人のセカンドオピニオンもたくさんやってきました。ヴォイストレーナー、指導者、専門家以外にも「ヴォイストレーナーの選び方」などに関する質問が多くなりました。以下を参考にしてください。

「ヴォイストレーナーの選び方要項」 http://www.bvt.co.jp/new/voicetrainer/

バックナンバーについて、サイドバーにあるカテゴリーのタイトルをクリックすると、それぞれのバックナンバーが表示されます。

「1.ヴォイストレーナーの選び方」

「2.ヴォイトレの論点」

No.345

独創

工夫

先人

修行

伝統

世代

個人

限界

感動

意義

断定

過去

総体

達成

肝心

大道

歴史

独自

材料

心持

用心

面倒

革命的

忠実

役づくり

腐心

考証

スタンドプレー

滋味

眺め

No.345

<レッスンメモ> 

 

規範さえ与えたら盛り上がる

一か所ですべて満足できるもの

パフォーマンス、刺激、過激

ネタは情報 モノマネはフィジカル

0→1オリジナル 110フォロワー

確実にリピートする技術

歌手のキャラと曲のスタイルの分離      [564]

No.345

<レクチャーメモ「歌からお笑いへ」>

 

 私が子供の頃、映画からTVに主流が移り、TVの半分はドラマ、さらに歌番組がゴールデンタイムに多かったものです。つまり、俳優と歌手がスター、お笑いは色物、添え物に近かったのです。

 1980年、山口百恵引退の頃、ドラマからバラエティとアニメへとメインが移ります。お笑い芸人からお笑いタレントとなり、彼らのTV番組のMCからコメンテーター、ひな壇まで占有していきます。

 お笑いライブも、プロダクションが事務所ライブとして新人発掘に使い始めます。まさに、歌手の発掘のやり方と同じです。そして、音楽事務所がお笑いタレントを抱えるようになります。

空気が読める、トークのできるタレント、ステージとしてのセットが不要で、素人参加型にも適合する、時間をとらないネタでどこでもできる、そうしたものがTV低迷時代のニーズにマッチしていったのです。

リモコンによるテレビのチャンネル変えから、YouTubeのザッピングになると、ショートなものほど本領を発揮するわけです。

アドリブ力とボキャブラリーが求められ、わかりやすいもの、大衆受けするものの時代の到来です。

 

昭和の初め、落語家、漫才師、声色

次に喜劇役者、コメディアン、エノケンの軽演劇

森繫久彌や伴淳三郎、渥美清など、

当時は有名になると役者へ転向。

クレージーキャッツと渡辺プロダクション

プロダクションとマネージャーによるバックアップ

「コント55号」「ドリフターズ」から、

1980年漫才ブーム、「B&B」「ツ―ビート」「紳助 竜介」など。

1982年NSC(吉本総合芸能学院 95年東京進出)

THE MANZAI」オレたちひょうきん族」楽屋オチのネタ。

映画、ドラマ、ニュースキャスターなどへ進出。

その先駆けは、放送作家の青島幸男、前田武彦、大橋巨泉、永六輔。

「いいとも!」タモリのMC

バラドル(バラエティ・アイドル)森口博子、井森美幸、山瀬まみ

1988年SMAP、ジャニーズ出身者のタレント化

1989年「ベストテン」終了

リアクションタレントとひな壇 出川哲朗、山崎邦正、上島竜兵

 

システム

吉本 興行では、最初の1

2ヵ月1回のライブ ネタ1

1分のオーディション            [491

<レクチャーメモ「歌からお笑いへ」>

 

 私が子供の頃、映画からTVに主流が移り、TVの半分はドラマ、さらに歌番組がゴールデンタイムに多かったものです。つまり、俳優と歌手がスター、お笑いは色物、添え物に近かったのです。

 1980年、山口百恵引退の頃、ドラマからバラエティとアニメへとメインが移ります。お笑い芸人からお笑いタレントとなり、彼らのTV番組のMCからコメンテーター、ひな壇まで占有していきます。

 お笑いライブも、プロダクションが事務所ライブとして新人発掘に使い始めます。まさに、歌手の発掘のやり方と同じです。そして、音楽事務所がお笑いタレントを抱えるようになります。

空気が読める、トークのできるタレント、ステージとしてのセットが不要で、素人参加型にも適合する、時間をとらないネタでどこでもできる、そうしたものがTV低迷時代のニーズにマッチしていったのです。

リモコンによるテレビのチャンネル変えから、YouTubeのザッピングになると、ショートなものほど本領を発揮するわけです。

アドリブ力とボキャブラリーが求められ、わかりやすいもの、大衆受けするものの時代の到来です。

 

昭和の初め、落語家、漫才師、声色

次に喜劇役者、コメディアン、エノケンの軽演劇

森繫久彌や伴淳三郎、渥美清など、

当時は有名になると役者へ転向。

クレージーキャッツと渡辺プロダクション

プロダクションとマネージャーによるバックアップ

「コント55号」「ドリフターズ」から、

1980年漫才ブーム、「B&B」「ツ―ビート」「紳助 竜介」など。

1982年NSC(吉本総合芸能学院 95年東京進出)

THE MANZAI」オレたちひょうきん族」楽屋オチのネタ。

映画、ドラマ、ニュースキャスターなどへ進出。

その先駆けは、放送作家の青島幸男、前田武彦、大橋巨泉、永六輔。

「いいとも!」タモリのMC

バラドル(バラエティ・アイドル)森口博子、井森美幸、山瀬まみ

1988年SMAP、ジャニーズ出身者のタレント化

1989年「ベストテン」終了

リアクションタレントとひな壇 出川哲朗、山崎邦正、上島竜兵

 

システム

吉本 興行では、最初の1

2ヵ月1回のライブ ネタ1

1分のオーディション            [491

Vol.86

〇一声惚れ

 声には表情、姿勢、話し方、歩き方といったものの総合的な要素が、凝縮されて出ているのです。

 一目惚れというのがありますが、一声惚れも案外とあるようです。

 かつて、イタリアの男たちは、二階の令嬢にセレナータで愛を競い合いました。ロミオとジュリエットでも、思い浮かべてください。しかし日本では、つけ文でしたね。いえ、歌垣までさかのぼれば……。

 一目惚れは別として、だいたいの恋のスタートは悪くない人だなという程度で、始まります。本当に惚れるには、電話でのやりとりも含め、声の印象抜きにはありえませんでした。

 もちろん、あばたもえくぼ、惚れられたら声など、どうでもよくなるともいえますが。逆もあります。

 声に惚れたら、あとはどうでもよくなるというのもロマンチックですね。

〇第一印象を分ける声の印象

 現実は、日本人は、目でみて判断する度合いが高いと思います。これが端的に表われたのが第一印象というものです。でも、これにはおもしろい結果が出ています。声の感じは、むしろ第一印象に大きく問われているそうです(心理学者メラビアンによると、38パーセントは声ということです※)。

 一目ぼれに近い状態が起きても、次のステップがなくては発展はありません。その多くは、第二の出会い、心配りや気遣いなど内面的なものが触れ合ったときに起きます。

 しかし、声からみると、言葉が働きかけたときです。たった一言、たった一声が運命を変える。その最終結果がプロポーズの言葉かもしれません。

 

〇オルゴールは、なぜすたれたのか

 軽井沢、那須、嵐山、小樽、河口湖、箱根など、「オルゴール館」は、日本全国の観光地にできています。あの豪華絢爛な大オルゴール、それが、なぜすたれたのか、わかりますか。

 それは、エジソンがおもちゃ代わりにつくった蓄音機の発明のせいです。そう、レコードに代わられたのです。

 そこに人間の声を入れた。歌声など、当時のは、雑音だらけで聞くに耐えなかったのです。

ちなみにオルゴールは、貴族がオーケストラや弦楽四重奏を呼ぶ代わりに、購入しただけあって、荘重で、迫力あるすばらしい音質の演奏にまで、発達していたのです。ただ一つ、欠点がありました。それは、人間の声が入らなかったことです。つまり、人はそれほどまで人の声を聴きたかったのです。

〇声は見た目じゃわからない

 ストーカーまがいの恐い声というのは不気味ですが、その声の持主を知りたいと思う声もあるでしょう。私は、オンエアだけで聞こえる声に惚れたことが何度かあります。そのまま、その声の主が誰かわからなかったこともあります。

 歌も、かなりあとになって映像を入手して、顔をみて、ああ、こういう人がこう歌っていたのかと知った例も多いです。ジャケットや雑誌、本などのうつりの悪い一枚の写真のイメージで、思い込んでしまった例もあります。 スモーキー・ロビンソンやライオネル・リッチーなど、実像は、思い描いたイメージとギャップがあって、それなりにショックを受けました。慣れたら、より魅力的に聞こえるようになりましたが。

 あなたも、歌い手や声優は、声で判断していませんか。昔から噺家などは、声で客をくどいていたものです。

〇声の感じと人柄

 

ということは、日常にも少なくありません。私は電話だけで話していた人と実際に会ってびっくりしたことがあります。とても明るくバリバリに声で思っていた人が、地味でおとなしい人だったとか、暗く軟弱そうに思えたのに、会うと筋骨隆々で明るくいい人だったなど。

 多くの人の場合、声の感じと人柄は、大体、一致します。

 ところが、例外もあります。

なぜそうなったのかを聞いてみると、なるほどと思うこともあります。生まれ、育ちの環境も影響していたのです。

○女性の声

 

世の中には、声の魅力的な女性は少なくありません。現代においては、うぐいすのような声や、ソプラノ歌手、たとえばマリア・カラスのような声は、必要ありません。寵愛を一身に受ける声というのは、もはや、女性の“能力といいがたい”からです。

 仕事においてバリバリのキャリアウーマン、プライベートにおいてかわいい女、イメージによって求められる声は違いますが、これを使いこなしている声の芸術家も少なくありません。女性の美しい顔、体、そして声は、もちろん男性の気をそそります。

魅力的とは、そのように見える、そのように聞こえるということです。素顔と、化粧ばえでない表情です。声も、生の声より表情のある声が求められます。

 カラオケの歌声で自己アピールする人も多いですが、普段のさりげない一言のもつ声のニュアンスを大切にしましょう。そこにキュンとなる人も、決して少なくないはずです。

〇育った環境が声をつくる

 声は、もって生まれたものだけでなく、育った環境で大きく左右されます。英語圏の人が英語にすぐれ、インターネット社会でも有利なのと同じです。声にも先進国とはいいませんが、すぐれた環境とそうでない環境があります。

 国際的にみると、声をあげるのも話すのも笑うのも、はしたないとしてきた日本は、弱声国です。カラオケなどでがんばっていますが、のどを嗄らすだけ、日本人に限っていうと、スポーツ応援でも選挙戦でも、終盤にはもう声を損ねています。あまり、そんな国はありません。

 欧米のように乾燥していて、家が石造りで声を反響させて伝えるのと、木と紙で障子に目あり、声がつき抜けてしまい、いつも小声でしゃべる、じめじめした日本とは、求められた声が違ってきても当然でしょう。

○うるさい地域の声

 

 地域にしてみると、強いのは、うるさいオバさん、オジさんのいるところです。関西(特に大阪)を中心に、広島、福岡、沖縄です。江戸、博多、土佐、薩摩といった方言のアクの強いところも、含めてよいでしょう。

 私は昔、関西から10名、関東から40名の団体を引率して、「皆さん関西から?」と言われました。2割の人数の関西弁が、東京を“凌駕した”のです。

 だいたい暑いところはうるさく、寒いところは静かです。東北の人は、“朴訥”で口が重い。北陸、山陰などでも、似た傾向があります。そこで、方言の問題も生じます。

〇なまっていてもよい

 

 東京にも、方言はあります。この情報化時代、全国あらゆる言語が統一されてしまって、味気なくなっています。どんな地域の人も、共通語を理解して話せるようになってきています。かえって千葉、埼玉、栃木、茨城、福島あたりの、少々なまりがかかっている方が治りにくいと思われます。大して気にすることはありません。

 言語に正しいを求めるなら、言葉遣いや敬語においてのことです。日本で活躍している外国人の日本語でも、充分に通用しているのです。

〇育つ環境と声

 声は育った環境に大きな影響を受けることを確認してみましょう。

 育つなかであなたの声は多くの人の影響で変えられてきたはずです。特に、よく会う人、とても関心を抱いた人(好きな人)、キャラの際立っている人、特徴のある人の声は、あなたの声の形成に大きく影響しています。あなたの声に関する判断基準、好き嫌いにも関係しているのです。

・親の影響

・学校や先生の影響

・職場の影響

・職業による声の違い

 

〇方言は声の宝物

 しかし大切なのは、この事実よりも、ここからくる考え方です。地方出身だからと方言を気にしていると、ますます口ごもり、もぞもぞっとはっきりしなくなります。堂々と話し、笑う奴には笑わせておけばよいのです。方言を改めるのでなく、もう一つ標準語を獲得すると考えてください。外国語を覚えるよりも楽でしょう。ちなみに私は、方言で話す人を、とても尊敬しています。

〇共通語の必要性

 

 外国語は、恥かく人ほど早くマスターするのです。故郷の言葉を恥じる必要は、全くありません。そのニュアンス、その思いの深さは、標準語が失ってしまった声の、もっとも大切なものをたくさん保っているからです。あなたは、方言をもっていることに胸を張って誇ればよいのです。

ただ、人とコミュニケーションするのは、別だということです。仕事では、各地方の言葉やニュアンスを、いちいち解釈していられないからです。方言のよさを活かしつつ、共通語もマスターしておきましょう。 

 

〇日本語

 

ときおり、日本語見直しブームのようなことが起きています。日本人は、日本語を大切にしてきました。それは日本を大切にすることだったのです。

 

 たとえば、インドは西欧文明を英語で取り入れたため、いまだに20以上の公用語があり、少し離れると、英語でしか共通に話せません。そのため、欧米との仕事はしやすくなりましたが。日本人は、日本語に世界中の言語を翻訳し造語してきました。情報習得量が、膨大に上がりました。こうした先人の努力に、頭の下がる思いがします。

「アートと生活」 No.345

研究所は、アーティストがアーティストになりたい人をサポートする場“でも”、あります。アーティストとは、世間では、「不要不急」のものを、自らの意思と努力で、誰かに必要重要絶対にまで高めていく仕事をしている人です。

 

私にとっては、人間が生きていく上で不要不急のものである食糧、水は、こういう状況では、生きるのに最低限あればよいと思っています。無人島へもっていくものと聞かれたら、最低限の衣食にアートを入れる人は、たくさんいると思います。

アートを不要不急と思ったら、どうして、その道を選べるのでしょうか。アーティストをサポートするのを仕事に選んだ人が、どうして、休めるでしょうか。

 

また、一般の人、趣味で楽しむ人にも、こういうときだからこそ、心身の健康維持、増進のためにも、芸事や公のところでは禁じられた"発声、歌唱に、工夫して親しんで欲しいと思います。

大きな声を出せる環境がなくても、いろんなレッスンはできますので、何でもご相談ください。

108号

○プロ歌手へのレッスン

 

 すでにプロである歌手に対するのと、そうでない人のプロになっていくプロセスに対するのでは、トレーナーのとるスタンスは異なります。プロ歌手についての定義や分類などというのは、現実や過去の歴史をみて、実物に当たればよいことですが、アイドルや役者、タレント出身の歌手になると、問われる要素から違ってきますから、やっかいな分野なのです。

 素質と、それを伸ばすこと、さらに足らないものを補わせること、この3つを述べます。そこに3つの歌のレベルを想定しておきます。

A.プロ歌手 世界の一流レベル

B.プロ歌手 日本の一流レベル

C.プロ歌手 日本のデビューとそこから10年レベル

分類をするのは、問われるレベルと要素が違うからです。

 ヴォイトレの意味がわからないというプロの歌手や役者、プロデューサーがいるのが、CBの間で、論じているからです。トレーナーもCBの下ので対応しているからです。

 デビューとデビューから10年レベルを、同じところにおいたのは、日本では声の力においては、あまり変わらないか、デビュー時よりも劣っている人が多いからです。

 演歌、歌謡曲に至る一連の流れ、浪曲、民謡などのレベルは、昭和の時代をピークにしています。トレーナーでいうと、1980年代後半あたりからは、1960年あたりのレベルを超えていません。私の親の世代のトレーナーは、日本の歌を育てていました。当然、次の私たちの世代は、それを世界のレベルにすることでした。そこに至っていない現実から、私はスタートしたのです。

 1990年代に、J-POP、カラオケの隆盛で、歌はプロから、一般の人のものへ移りました。トレーナーも、そこに対応するようになったのです。

 私は、私の前の世代の方が、科学的なことや知識はともかく、指導においては適切であったと思っています。それでトレーナーに対しても、ここで述べているわけです。

 

 普通の人(仮にレベルDとしますがCと変わらないかもしれません)が声をよくしたいというと、トレーナーは心身のリラックスを教えて、よくなったと言うと本人も納得します。日常で足りている声を、不調だからバランスを整えて、マイナスをゼロにしてOKです。これは今のヴォイトレの現状です。歌い手も同じです。

 世界のレベルを目標にして、歌の二極化(私の、アナウンサー-キャスター、ナレーター-パーソナリティーなどの対立構図を念頭にしてください)は、その上にようやく合一できるということです。

 

○目的と基準のおきかた

 

 実力のある歌手に、2曲の歌唱レッスンをします。表現力と基礎力をつけるためにいらしています。基礎力は、私は一声、一フレーズでみます。そこのトレーニングは、基礎を身につけているトレーナーに任せています。一流のオペラ歌手でなくとも、その基礎条件を持っている声楽家で、一般の人やポップスに理解のある人なら、務まります。私のところのトレーナーのことです。

目標レベルは、たとえば、オペラの一フレーズが歌えるための、声域、声量、共鳴、発声、呼吸、体と音色、コントロール力を持つことです。Caro mio benやコンコーネの1番の冒頭ができたら十分です。音大入試でなく、大学院レベル、劇団四季のオーディションで受かり、契約更新が確実なレベルとするのもよいでしょう。

 ここで日本のプロ歌手(と自称する人の4分の1は、こういう必要性もないかもしれません)で研究所にいらっしゃる人には、私は基礎として、日本のミュージカルや合唱、ゴスペルなどでも通じるクリアでシンプルなレベルを最低ラインにしています。

 

〇周りに合わせない

 

 他の人と合わせるための耳の力、発声の力を最低限の音楽的基礎力としてつけます。

 周りと比較しやすいと自分のことが分かるのでヴォイトレにくるのです。周りと比較するというのは、日本人の場合、周りが皆似ているために、それに合わせようとしてしまいがちです。「類は友を呼ぶ」も「朱に交われば赤くなる」は、あまりよい意味ではありません。多くは、日本のミュージカルのように、宝塚のように、なるのです。日本のシャンソンやジャズのように、なるのです。批判しているのではありません。ファンはそういう世界が好きですから、ファンの色に染まるのです。でも、逆ではないでしょうか。

 その中にも、かつてはそういう分類にとどまらない、個として発色するスターがたくさんいました。オペラ、シャンソン、カンツォーネ、ラテン、エスニック音楽、日本にも、お笑いから踊りまで、世界のものを取り入れた時代があったのです。今はどうでしょう。

 この二重構造が、オリジナリティの発掘、創造、評価を難しくしています。反面、どの分野も、どこかの国の大使のようなプロデュース型―あるいは翻訳型のアートが、日本では評価されやすいです。初めて持ち込んだ(初めてつくったのでなく)のが、第一人者になるのです。

 

○基礎の3レベル

 

 これは

A.歌手レベル

B.日本の一流歌手レベル

C.世界の一流歌手レベル

の条件を持つとするとわかりやすいでしょう。

 分類すると、1.体、2.呼吸、3.発声、共鳴、音色、4.声量、5.声域、6.音感、音程、7.リズム感、8.フレーズ、9.構成、展開、10.オリジナリティ、

 オリジナリティも、声そのもの、発声フレーズ、組み合わせ、と分けます。基礎のところで、その人の声のタッチやフレーズでのオリジナリティは充分に出ます。それにことばがついたくらいが歌なのです。

 声の完成(音楽的な声のフレーズ)に対して、ことば(母音、子音、発音、強弱、イントネーション)があります。ことばがつくと歌のように思われていますが、スキャットなら、ことばはいりません。

由紀さおりさんの「夜明けのスキャット」の前半部分とか、サラ・ボーンの「枯葉」にいたっては、スキャットでほとんどもたせています。サッチモ(ルイ・アームストロング)のトランペット演奏の部分と同じことです。

 

○役者の声の個性

 

 私のところは、役者も来るので、声の基礎+セリフの表現と、声の基礎+歌唱の表現で、大きく2つにコースを分けています。リズム、音程練習などは音楽基礎として、歌唱につけます。

 声の完成に、発声からフレーズを音楽的にこなす力(メロディ処理)をもつというのは、私のブレスヴォイストレーニングの原型の最終形です。外国人レベルの表現力を含める可能性のある声をつくり、そこに歌をのせるのです。歌は後からついたのです。

 

〇ミュージカルを比較

 

 日本で最初に参考にしたのは、日本の歌手や声楽家ではなく役者でした。役者の声を持てば、歌が変わるということです。そこにあったのは、声の表現力、個性といったオリジナリティの豊かさです。

 日本のミュージカルと黒沢映画を比べてみてください。あるいは日本のミュージカルとブロードウェイのミュージカルの明確な差を感じてみましょう。劇団四季の人がたくさんいらっしゃる前から、マドンナプロデュースの「エビータ」(マドンナ、アントニオ・バンデラス)とで徹底した比較をしました。主役の2人だけでなく、他の歌についても差が何なのかということです。ブロードウェイへ行く人も何名か短期でみました。

 声の芯、深さ(胸中共鳴)、そして声量(圧力)やインパクト、エッジ、ハスキー、リズムや切れ込みの鋭さ、加速度、パワーなど、日本の歌が失ってしまったもの、追いつけていないものがあります。

 日本の歌とひとくくりにするのは乱暴ですが、そこを足らないと気づいた人が変えていけばいいのです。このあたりは、私は、

 やれている人はやれていることでよしとし、

 さらなる高みを目指すなら、+α

 やれない人はやれるための+α

それがレッスンやトレーニングで得られると考えています。

 

 得られないものもあるでしょう。日本の評価基準も確立していない。メロディとリズムが取れて、そこに歌詞がのっていたらよしというように問われているぐらいでは(その形が音楽や声なのに、ルックス重視となれば)、ど真ん中のトレーニングで成り立たないのは当然でしょう。1980年代からの作品の多くは成り立っていなかったとみてよいと思うのです。

 

○表現の3レベル

 

 表現の3つのレベルについて述べましょう。

C.全体をまとめ、無難にこなす。

B.発声の響きで統一し、丁寧にことばを処理する。

A.本人の最も武器になるものを中心に表現する。

としてみます。

 Bには、個性的で歌はうまくない、けれどもパワフル、インパクトのあるプロの歌手もいます。これをB2としましょう。役者型ということです。シャウト系やシンガーソングライター系が含まれます。

 B1は、オーケストラや合唱団などとフィットする歌い手を考えるとわかりやすいでしょう。私はこの2つのBを日本の二極と言ってきたのです。ミュージカルでもB2は少ないです。日本にはB1B2と併せ持つ人がいないのです。

 AB1B2Cです。B1B2は含まれて目立ちません。世界の一流のヴォーカリストと呼ばれている人の顔、ステージ、歌声、しゃべり声を思い浮かべてみてください。

 表現のACは、本人の事情、目的やレベルもですが、今、置かれている立場、活動の現状も踏まえなくてはなりません。それに従い、Aへ歩んでいた人も、B2からB1にそしてCへ戻ってしまうことが多いのです。

 

○差を知ること

 

 世界に通じる声になりたいという人がいらっしゃいます。

海外のトレーナーを闇雲に高く評価する日本人らしい人もたくさんいます。海外のトレーナーは、日本人に対して大した覚悟をさせられません。実力差が大きいので、親善交流レベルです。

 それがなぜかを考えずに、12割の改善で、一流の指導を学んだという歌手やトレーナーもいます。単にその肩書を履歴につけたいだけ、毎年渡米して継続しなくては、お偉いトレーナーも不憫でしょう。

 フィギュアスケートやJリーグ(サッカー)などと比べてみれば一目瞭然です。日本のトップレベルの選手は世界に並びました。

 ステージやレコーディングが迫っている人に、根本的なトレーニングは、表現力を一時落とさずには難しいということです。基礎はやりすぎることはありません。歌から一時遠ざかることもあります。

 発声に関するノウハウや新たなメニュを得ることで、歌が楽になったり、表現力を増すことはよいと思います。喉が荒れてくる人もいるのですが、ウォーミングアップ、クールダウンして使えばよいです。

 表現はよほどの実力のある人でないと、ど真ん中の声からやっていくと、バランスを崩しかねません。誰でもこれまでに「声は使ってきているし歌は歌ってきている」という事実です。特にプロは、かなり使ってきています。

 日頃の生活から、よいところ(プラス)も悪いところ(マイナス)も積み重なって、今の声に出ているのです。あなたがプロなら、すでにもっているものによいこともたくさんあります。そのために犠牲になったり、制限されたところもあることを忘れないようにしましょう。総合的にみると、これまで、あまりやっていない人よりは、問題が複雑になっているのです。

 

○スタンスの違い

 

 歌をみるとき、次のスタンスでみます。1.悪いところを目立たなくする。2.よいところを目立たせる。2が基本で1が応用、2がトレーニングで1がリハーサル前です。

構成展開から入っていき、実力のある人なら声の置き方や呼吸を変化させて歌をブラッシュさせます。テンポやキィをその人の最大の力が出るところに合わせます。

 腹から声が出ているような、喉が鉄でできているような外国人のシンガーが来たら、声の差は明らかです。それを音響、構成、声の統一性などで、客にはわからないようにするのが、日本のヴォイストレーニングに必要な条件かもしれません。ですから、注意も、口内のこと、軟口蓋をあげて、みけんや鼻腔に声を集めていくような部分的な事になるのです。

 前に、森和彦氏の指摘を引用しました(私の著書では、リットーミュージックの「ヴォーカルトレーニング」「ヴォイストレーニング」「ヴォイストレーニングの全知識」に詳しい)

 スタンスの違いは、大きいです。日本のオペラが、一流の歌手を出せないのは、指導者がわかっていないためでしょうか。森氏は、山路一芳氏の師です。イタリアでは一般の人が出せるベルカントを日本の歌手が使えないのは、教養やテクニックの問題ではありません。もちろん、声楽家は使えているのですから。

 表現に対し、自然にありのままに自らの声を鍛えているかです。それをなくして発声や音響のテクニックでカバーしようとしているからです。

 

○表現からの基礎

 

 私は、基礎だけのレッスンを好むのも(ヴォイトレにくる人には)よいとは思っていません。基礎がなくては表現できないのではなく、表現の必然性が、基礎のレベルを高めるからです。

 自分があり、自分の世界があり、表現に結集していくのです。最初からそんなことは、よくわからないから、基礎をやって、テクニックでなく、自然に声が出る、自由に声が出る、おのずと人に働きかけるというのもありです。表現するのでなく、表現手段を得て待つことになります。普通は十代の時期にあたります。

 声は、あてるのでなく、あたるのです。トレーニングだから、方向づけ、意識づけをするのです。

 「今すぐできるようにするから問題」なのです。将来大きく確実にできているようにするのに、急ぎすぎないことです。その結果、少し先に行くと同じところをぐるぐる回っている人が多いからです。一冊の本から学ばずに、何十冊も読みっぱなしにしているのに等しいです。

 同じことのリピートが力をつけるのですが、リピートに飽きてしまうのはメニュや方法のままだからです。意識が基礎に厳しくないからです。細部の発声が変わり、気づいていくのを待ちます。同じものが違って聞こえたり、異なる感覚で発声できてこそ、一歩なのです。

どうして、こんなに誰もが見えるもの、わかるものしか求められないようになったのでしょうか。

 誰でもできていることなら、誰でもできています。あなたが今の力で少し変えてできるくらいなら、もうほとんどの人ができています。そういう日常で埋まるくらいの小さなギャップでは、トレーニングの意味はないと思ってください。12か月で学んだものは12か月で忘れ去られていきます。それでは体力づくりと大して変わらないでしょう。

 

○表現と判断

 

 表現について述べていきます。あなたが全力でやったところで70パーセント、そこから100パーセントに満たそうと思わないことです。そのギャップをずっと抱えていくのです。その日に100パーセントに整えると小に、3か月から1年くらいで100パーセントにすると中になるといったところでしょうか。

 ライブやレコーディングでは、応用して50の力で100に見せる方法や演出があります。そこは演出家、プロデューサーがプロです。しかし、カラオケの先生やヴォイストレーナーもそうやっています。

 

 多くの人は、カラオケのエコーのように、+αされたところも含めて実力と思うので、それ以上に伸びません。トレーナーも自信をつけさせるためにそこを褒めるでしょう。

 自分で厳しく判断することです。本音で言ってくれというのなら、私は1曲でいくつでも指摘します。いくつも指摘できるのは、表現、音楽など、どれかの土俵にのっているからよい方です。多くはそのレベルにありません。

 一遍に言っても伝わりようもないので、1年、2年、3年と、タイミングをみます。ガイドラインをプランニングします。そういう関係が成立すると、厳しい分、実力はつきます。多くのケースでは土俵にのっていないことに気づいてもらえません。

 

〇転機

 

 ビジュアル、ルックス、パフォーマンスが売り物の人のプロです。比較的、研究所には、少ないタイプですが、年に何人か(何組か)来ます。プロダクションからは、このタイプが多いです。そういう人は、昔なら20代半ば、今は30代くらいで転機が来ます。

 元々、与えられたものの表現をパフォーマンス中心で見せてきた人が多い。それでやってこられたゆえに、本当に表現に入るには、ゼロからやるくらいの時間と努力を要します(モデル出身の歌手はこの代表的存在です)。

 早々に限界が見えるのに、問題は複雑化しています。喉の限界は、ていねいに扱えば音響でカバーできます。ファンが声や歌での表現を大して求めていないので、考えなくてはなりません。プロデューサーにも相談します。

 こんなに話が本質からそれるのは、本質をそれたレッスンやトレーニングが中心で行われているからです。しかし、それも間違いではないのです。要求に対応するために、レッスンもあり、トレーナーもそうなるからです。それが価値のあるレッスンとは思いませんが、そうでないと買ってもらえないことも多いのです。カラオケがうまくなるためのレッスンなので、カラオケの先生に文句を言う人はいません。私は、トレーナーにも生徒さんに気づいて欲しいのです。

 

〇表現の基礎レッスンの実際

 

 表現のレッスンは、声よりも呼吸です。大きな呼吸の動き、その自由度を優先します。

一曲をテンポ早めで4回くらいのブレス(息つぎ)で歌いきってみましょう。作曲家になって自分の実感で作り上げていくプロセスを踏むのです。

 鼻歌(ハミング)→コーラス→歌唱のような感じです。なかなか1コーラス(一番)が一つにならないはずです。これを4つくらいで、構成、展開していきます。起承転結でも、Aメロ、Bメロ、サビでも構いません。ここで型(パターン)としてのフレーズに、その変化、伏線やニュアンスなど、表現に結びつくものが自然に出てくるとよいのです。

 難しいときは、フレーズ毎に作っていきましょう。1フレーズ(48小節)で1つ、それを組み合わせて4フレーズで4つ。4つが同じようにならないように変化をつけます。(展開)シンクロ+αで相似形、リピート(型)とチャレンジ(型破り)、安定させて変化させ、インパクト(迫力、パワー)と丁寧の両立と、二律背反することを入れていくのです。

 

○声から歌へ

 

1.声から(歌)→音楽へのアプローチ

2.音楽から(歌)→声へのアプローチ

で試してみましょう。できている(と思っている)ことを完璧にするために補うのは、基礎力です。これが、本当のヴォイトレです。

 

1.体→呼吸→発声(結びつき)

2.発声→共鳴(声域)

3.共鳴でことばの処理(声量、発音)

 

 ここに声域、声区、声質(地声、裏声、ファルセットとメリハリの問題も入ります。

 歌では高音域、頭声中心になりがちですが、低音域、胸声が基本です。強化には量での強さ、大きさ、太さが必要です。急ぎすぎたり、無理をすると喉によくありません。調整として、質をていねいに、弱く、小さく、細くやるのは、強化で無理をしすぎていないかのチェックによいです。

 

〇トニー・ベネットのF

 

Fly Me to the Moon」をトニー・ベネットで聞いてみてください。そこからコピー→自分のオリジナリナルにする、のプロセスを踏んでみましょう。外国人の声と、日本人のプロの声を何曲かで比べるとよいでしょう。

 音色に注目してください。Fillで始まる2番は大変です。In other words ~の2回のくり返しを2コーラス、表現し切った上で、収めらますか。

 日本人のは、ボサノバ調などにして、喉でまとめているのが多いでしょう。歌いこなして、うまく処理しているようでも、そこに本人しかできない声での音楽、表現の成り立ちと創造の力は、弱くありませんか。曲のメロディの良さだけが引き立つとしたら、BGMと同じです。そういう歌を日本人が好むのは確かですが、ヴォイトレでの可能性からみると、もったいないことです。

 

○本当の基礎 

 

 一般の人でもプロでも、基礎を学びたいといらっしゃいます。本当は基礎でなく、せりふや歌を、プロのようにうまくなりたいのです。できたら、ストレートにセリフや歌を直したいと思っているでしょう。ですから、レッスンでも、せりふや歌を取り入れています。

 基礎は最初の5分だけというレッスンもあります。これは、目的とするレベルのプロセスへのスタンスの問題です。

 何もやっていない人は何をやっても伸びます。1つのレッスンから、学べない人も、1を学べる人も、100を学べる人もいるということです。気をつけることは、時間をかければ有利というのは量でなく、質的変化を伴うということです。

 レッスンへのスタンスについて、私は、レッスン前にレクチャーしているのですが、なかなかわかってもらえないこともあります。その私の力不足は、受け取る側の器不足は、こうしてフォローしているのです。

 

○本当ではない基礎

 

 歌唱に入るまえの発声練習で、スケール、母音の統一の練習を行っているのは、基礎というよりは、調子のチェックとウォーミングアップです。最後にそれを繰り返すトレーナーもいます。それはクールダウンになっている、レッスン前後の声の状態をチェックすることが目的のこともあるのでしょう。

 よい発声になっていると、レッスンの成果が上がったように思います。状態が整うからです。レッスンでも対応できなかったり、合わなかったりすると、状態が悪くなることもあります。すると、自分の力にショックを受けたり、レッスンがよくないと思う人もいます。しかし、その感じだけを知って、次のレッスンに臨めばよいということです。大騒ぎすることではありません。

 トレーナーが、あなたの要求に対応して、すぐに方法を変えたり、途中で中断したりすることもあります。これも一長一短です。言っておきたいことは、よし悪しを一回のレッスンで判断することは、あまりよいことではないということです。☆

 現場では、そこですぐ判断してメニュを変えて調整するトレーナーの方が優れているように見えます。見えるだけに厄介です。わかりやすさが問われる、トレーナーもそういう形にレッスンをしがちです。

固定メニュのレッスンをするトレーナーのと、相手に応じてメニュを変えるトレーナーの違いで、それぞれにメリット、デメリットがあるのです。

 

○教える―教わるの関係をはずす

 

 せりふや歌なら、表現としての成立は、オリジナリティです。セリフや歌というもののはるか上の判断をもってレッスンを行うことは、難しいでしょう。基礎なら、「体や感覚そのものを将来に対して大きく変えていくこと」を行うことです。

トレーナーは、「先での判断をもって今のレッスンを行う」というのが、私の考えです。

 リズムや音程も、複雑なものを、その音にあてることで、「正確にあてたから、OK」というのは、あまり感心できないことです。今の状況や状態での慣れを問うているだけです。その人にとっては進歩かもしれませんが、それをやらなくても、日常のレベルでできる人がいます。それが日本で日本人で、ということであれば、そのくらいのことなら、本当の実力にならないのです。でも、慣れから入るのも大切なので、入口としてはOKです。

 歌手は、そんなことで音感やリズムを得てきたのではないのです。発声のレッスンなのに譜読のトレーニングで終わっていることもあります。それも基礎ですが、人に教えるためにそこを重視しがちです。

 トレーナーに学ぼうとする人も、そういうトレーナーにつくのでその傾向が助長されます。器用な人と器用なトレーナーほど、そういう影響力で目的の設定をしてしまいます。

 

〇正しさでみない

 

 本当の基礎は、リズムや音程でも、そんな表面的なことではないのです。その上でのアプローチというのなら、よい場合もあります。音程、リズムは、発声の悪さや声域の問題から、うまくいかないことが多いのです。トレーナーも本人もうまくいったと思っているのに、うまくいっていないからややこしいのです。

 正誤でいうなら、その音にあたれば正しいです。あたらないことを間違いとするからです。しかしヴォイトレというなら、あててはならないのです。

あたっていなくてはいけない、あてなくともあっている、というレベルになることです。無理に意識的に行っていると、脳や発声器官が覚えて、自然と無意識にあたってくる、無理のない発声域において、そうなるのです。だから、そこを拡げるのが、基礎です。

 スケールや母音での声域、共鳴の獲得や、コールユーブンゲンでの音感、音程(発声、リズム、譜読、レガート、スタッカートなども含む)と、目的に応じていろんなメニュがセットされます。あなたの使いやすい音高、母音、長さ、強さ、音色、響きは、他の人と必ず異なるのです。

 「使いやすい=将来のベストではない」ということも注意しましょう。

 

○メニュはシンプルに

 

 音程、リズム、スケールは、基礎として全パターンのトレーニング音源をつくりました。コールユーブンゲンでも、本当に使おうと思ったら、難易度が高いからです。ずっとやさしいメニュでさえ、ほとんどの人は音を取るだけで終わっています。自然に理想的な発声でできていないことを知るために、シンプルにしたのです。

一方で、発声を耳から直していく、正すために、思いきり高度なものを入れていく、これは、表現から学ぶことです。その高度なことに耐えうるために基礎を行うので、シンプルにします。表現と基礎応用も基本は表裏一体です。

 日常レベルで優れた人が何のトレーニングもせず、できてしまうものについては、基礎や表現で考えない方がよいし、そういう基礎や表現の前提が必要条件になると思わない方がいいのです。☆

 絶対にトレーニングをやっていないとできないこと、5年のトレーニングをやった人と同じことをしようとすると5年はかかるというレベルに目的を設定した方がよいのです。その分、年月はかかります。だからこそ一日ですぐによくなるレッスンとは相いれないのです。

 このあたりは私の根本的な方針です。

 レッスンは、そのチェック、判断、基準と、それを満たす(補う)材料の提供です。そこから具体的にどのようにするかについて考えます。

 

○器と耐久力

 

 「器を大きくする」と、私はよく使います。これは応用力をつけることです。仕事でのいろんな要求に応えられるようにすることもですが、本当は自分の最もオリジナルなところでの表現(これは、それゆえ、しばしば世の中に認められない、嫌われる)を通じさせる力ということです。

 日本の、誰かのようになれば充分という、輸入文化のまま、「外国人のように」とか、「昔の師匠とか先生のように」と、他人の作った基準でみてしまうのは三流国です。いつも、ダブルスタンダードとして両立させる努力が強いられます。

日本では、器用にまねのできる人が重宝されるので、そういう人がプロになり、トレーナーになり、悪循環が続いています。

トレーナーと実力派アーティストとの関係が築かれていかないのは、歌のレッスンは心身の管理に終わっているのは、なぜでしょう。プロ歌手も、基礎と言いつつ基礎を身につけようとしていない、喉にかからない共鳴で正確に歌いこなせたらよいというのが実状です。

自分の体からの芯のある声でのオリジナリティの確立に至らずに、です。

一流のアーティストや役者に、対応できているトレーナーはとても少ないのです。アイドルやモデル、タレントにアドバイスできてよしとするくらい、スタッフ、トレーナーとも、未熟な世界です。声も弱体化してスターも出なくなったのです。

 

〇器づくり優先を

 

 レッスンは、目に見えやすい、わかりやすいもので、素人にも判断できる高い声(音域)、発音(ことば)音程、リズムが中心になりがちです。歌は、バランスでみるので、どうしてもそうなります。

 それが、役者でもあるはずの歌い手から、声そのものの表現力や個性を奪ってしまった要因です。役者は声量とせりふ(表情、しぐさ)力、のどの強さ、タフさが条件でした。昔の歌手もそうでした。声の基本の力がなくなり、歌手も役者もタレント化しています。一度、本質に戻らなくては、ヴォイトレも先がないと思います。

 

 器の要素

 喉 声 呼吸 体

 声の高さ、共鳴(母音、音色)、長さ、大きさ(強さ)

 長時間、タフに

No.344

幾重

括弧

注釈

小心翼々

小人物

所望

逸話

豪胆

相矛盾

典型

恨み

怒り

危険

偏屈さ

幼児

無邪気

無心

飛躍

面白い

超現実

平凡

散華

求道者

模写

区切り

忠実

形木

勝手

形式

総括

No.344

「体と日本語」 

 

息を合わす 息が合った 息が合う

腰が重い

胸を張る 胸にひびく

腹ができている 腹づもり 腹を決める 腹が据わる 腹が大きい

人体には、筋肉が500、骨が200あります。

腰 腰椎5つ、仙骨、仙骨関節、腰骨、股関節、大腿骨

皮膚感覚で身にしみる

体を張る

ムズムズで武者ぶるいするのは、交感神経が優位状態

たるむ―ゆるむと張る―固まる

芯がある 芯が強い 核心 根本 本性 中心 硬いもの 軸 骨子

座禅

黙照禅(曹洞宗)と公案禅(臨済宗)

「無」と唱える随息観

数を数える数息観             [495

 

107号

○メンタルからフィジカル、そして

 

 メンタルの問題、心療内科や精神科医につながるようなことについて、フォローすることが増えました。何人かのトレーナーにも基礎的なことを学んでもらいました。私が大学性の頃に学んだことや音楽療法などで知ったことも役立っています。

 そういえば、私が学んだとき、無益だった現象学は、ヴォイトレについて多くの示唆を与えてくれました。心理学も社会学も実在主義など哲学も、上の世代の人とやっていくのに、うまく働いたのかもしれません。

世界を飛び回り、言語、民族、体の相違に突き当たったときに、比較文化論やレヴィ・ストロース、コンラード・ローレンスなど、どこで何が役立つか分からないものです。もっと学んでおけばよかったと思います。これまで思わなかったのですが、今は、そう思うのです。

 

 メンタルやフィジカルについて、パーソナルトレーナーでは優秀な人が出てきて、マスメディアが取り上げるようになってきました。

斉藤孝氏の「声に出して読みたい日本語」のヒットの頃、身体論が見直され、音読メソッドから、川島氏に代表される脳トレ、甲野善紀氏の古武術などの、流れの延長上に、ヴォイトレの一部ものってきたように思われます。

 ヴォイトレ、声への関心も高まり、新しいトレーナー、トレーニング法がたくさん出てきました。私も音楽の分野から、役者、声優などを経て、一般の分野に引きこまれ、これまでと違う人たちと出会うことになりました。健康としての体への関心が高まって、「TARZAN」のような雑誌が売れ行きを伸ばしています。腹をへこますとか、体幹、インナーマッスルとかで、科学的、生理学的なトレーニング法が出てきたのです。美容や老化防止(アンチエイジング)に結びついて、老若男女問わずブームとなり、いろんな機器や小道具も登場しました。

 ヴォイトレも少なからず影響を受けています。オリンピックを目指して奔走したスポーツ科学に比べると恥ずかしいばかりの程度ですが。

 

○一般化による退行

 

 芸に関わらず専門分野の一般化は、メンタルやフィジカルで選抜されていた優等生ばかりだったところに、そうでない人が入ってくることに伴い、様々な問題となって現れてきます。専門家の方法が通用しにくくなり、混乱してきます。目標と必要性、意欲についても異なるので、当然のことです。

 頭で考える人を神秘と科学で虜にしたオウム真理教のようなことにもなりかねないのです。私は宗教を否定しているのではありません。宗教なしに音楽のあるのが不思議なのが、一般的な社会です。

 声は体から出ますから、声を使う人、歌手や役者は、肉体芸術家、肉体労働者です。体が楽器です。楽器の演奏者ですが、楽器が内在化し、身体の中に入っているので大きく違います。体と心とを一緒に手入れします。

 歌い手や役者は、感性の豊かなアーティストでありつつ、ハイレベルな身体能力を持つアスリートです(「感性について」は、私のサイトでの研究をお読みください)。

 

〇理解とトレーニング

 

 ヴォイトレは発声も呼吸(法)や聴力など、身体と習得していくものです。体への理解と、体の発達にトレーニングを必要にします。それを頭で考え、やろうとする人が増えたことが問題です。

喉の仕組みを知って、正しく使うことが、前提という考えを持っている人が多くなったことに、ショックを受けていす。

1/10の1/10で、「100人に1人くらいは、それが必要」と述べました。本当は1パーセントの人も必要としないことです。ざっとみると2人に1人くらいは、私の読者でさえ(いや読者ゆえ)正しいことを勉強しようとしているのです。

 

たとえば今はトレーナーが否定している、昔ながらの大声トレーニングがあります。役者出身のトレーナーには、続けている人もいます。そこで成果の出ている人がいるのも否定できないのです。

 合理的な方法をとれば、より早く、より良くなると、科学的なことに「絶対だ」と考える人が多いのですが、何ら確かなことではありません。ただし、喉を痛めてまで練習している人には、自分だけで行う練習を、全否定しないまでも、お勧めしていません。 

 

〇選択問題

 

 楽に少ない練習で、すぐに50の出来になるのと、時間をかけてたくさんの大変な練習で60の出来になるのと、どちらをとるかというときに、昔の人は後者を、若い人は前者をとるのかもしれません。これが効率というものの正体です。その選択のどちらが正しいとは言いません。仮に設定した選択問題です。                               

                         

 現実には、1か月で50を得る人も、10年で25も得られない人もいる、という世界です。それを確実に12割増しのリターンにしてあげるのがトレーナーの仕事かもしれません。それは早さ、労力、質のどれでしょうか。私は質にこだわりたいですが。

この背景には、マイクを含めて音響技術の発達があるのです。アカペラ、マイクなしの勝負なら、607080しか通じないのではっきりします。そこを基礎とするのか、余力とするのか、余分、無駄とするのかは、考え方によるのです。少なくとも、私は、選べるところまでみせたいと考えています。

 

〇絶対量の累計経験

 

 人より優れるためには、誰よりも練習しなくてはいけないというのは、馬鹿正直な考えです。そこから抜け切らない人も少なくなりました。

声について、私は日本で一番とはいえませんが、ある時期、これほどやる人はいない、と思えるところまでやりました。

 歌については、私は声の100分の1もやってないのですから、小さい頃から歌っている人に敵わないのです。ヴォイスの専門家は、プロの歌手ではないのです。

量が質をもたらすことを私は体験から熟知しています。アテネオリンピックの800メートルで、ゴールの200メートル前からダッシュして抜いて金メダルを手にしたのが、水泳の柴田亜依選手です。毎日5時間18キロ、他のオリンピック選手の1.5倍練習したといいます。因みに、私の体形は、10代の2年間の水泳で逆三角形に変わりました。どんな知識があろうと、毎日の体での積み重ねがないと、変わらないのです。

 

〇人と違うレベルの声

 

 大声トレーニングで教えているベテランの役者に、プロの役者とやっている人に、トレーナーが「方法が間違っている」とか、「科学的な理論と違う」と言うとしたら、「ちょっと待て」です。

 練習をして、自分の声を、人が一声聞いて、鍛えられている、人と違うレベルだ、信用できると思われるだけのものにしておくことです。

 私も後進のトレーナーを育てている立場です。いつもこういう点について、頭で勘違いしないように、伝える努力をしています。読んだあと、頭を外して身に付けていただければ嬉しいです。

 

○知識と実践

 

 生理学や運動学は学んできましたが、現場では、私はそれを机上のQ&Aとして、知っていても使わない、使えないものとして、封印しています。研究所には、人体の骨格や喉などのパーツの模型が、いくつも揃っていて、まるで病院か理科室のようです。しかし、私は、それでしか説明できない質問のない限り使いません。権威づけには効果的ですが、レッスンの本道とは関係ないからです。トレーナーが知識も知っているのは、よいことです。ただ、使い方、使うときを誤らないことです。

 

 「喉で声を出すな」の世界で、「喉からどのように声が出ているか」を教えるのは矛盾しています。知ることはよいことですが、知っていることで囚われていませんか。忘れられたらいいのですが、最近は、知らないとうまく出せない、知るとうまく出せるような、トリックが幅をきかせているように感じます。

 レッスンを受ける人も説明されると学んだ気になり、得した気になります。科学的とか、理論というのは、よい売り物になるのです。でも、ピアノを弾きたい人が、調律師やメーカーにピアノの仕組みを教えてもらうことは、レッスンと関係ありません。貴重なレッスン時間では、もっと優先すること、時間をかけることがあるのです。

 

〇正確さを求めるな~ホムンクルスの図

 

 体のマッピングを正確に知ることが、絶対条件のように説かれることが多くなりました。自分の体ですし、まして、それを楽器として声を出すのですから、知ることも学ぶことも、教わることもよいです。ただし実演家として、最も大切なのは、正確な体のマッピングではありません。イメージをして最もよく発声できるようなマッピングが必要なのです。

 ホムンクルス(体性感覚)の図を見たことがありますか。それは感覚器のところが大きく描かれています。本来の人の実際とは、かけ離れています。イメージとしての図としては、その方が近いのです。もちろん、発声のイメージとして、よい図ではありません。

 

〇イメージの共有

 

 私はレッスンでよくイメージの図を描きます。体や頭、顔、喉、メロディ、リズムなども、二次元の世界でイメージとして伝えようとします。最初はわからなくても、だんだんと私が何を言いたいのかがわかってくるようになってきます。

 トレーナーと本人との間に共有できたイメージが全てともいえます。それを引き出すのにインデックスをつけたイメージのことば「キーワード」が、レッスンの要なのです。それは二者間でのクローズの世界ですが、私は、他のトレーナーや人にも伝わるようにオープンにしようと考えてきました。

 スポーツより難しいと思います。目でなくて耳の力に負うからです。耳の力を目で補うために、コンピュータでの音声の解析は、発達しましたが、同じ理由で限界があります。

 

○身体知

 

 身体知の話です。私が量のことを言ったのは、根性や精神力や忍耐のこととは違います。かつて芝居の修行などはそういう中で磨かれていったと思います。しかし、私は心地よくさせることでの声の習得を目的としています。楽にというか、楽しく取り組んでもらいたいと思っています。でも日本では、楽しく取り組むのでなく、楽しくしていれば身につくような、大きな勘違いがありますね。

 

 身体に身についたものは、身体そのものの差やメカニズムのように思われますが、大半は脳によるもの、つまり、脳を進化させてこそ、可能になることです。それを最初に知っておきましょう。

 筋トレや柔軟をいくらやっても、やらないよりはよいのですが、そのままでは、スポーツ選手や楽器のプレイヤー、歌手にはなれません。

 記憶術をいくら覚えても、それで英単語を覚えられたのとは違うということです。テストでよい成績を取りたければ、テストの勉強をたくさんする。運動会の100メートル走で1位になりたければ、早く走れる本を読むよりも、瞬足というシューズを買う、いえ、走る練習をたくさんするということです。

 

〇脳の働き~シンプル、エコに

 

 プロの条件の目安について、私の体験でもあり、一般的に言われていることです。発声と違うのですが、ピアニストの指、これは常人離れして強いと思いますか。実はアマチュアと差がないそうです、つまり指のタッチの筋肉系を鍛えても、空手などではよいのでしょうが、ピアニストには、さして関係ないのです。

脳の働きが違うということです。それがどう働くかというと、神経細胞などは、ど下手な私などが弾くと、めちゃめちゃに働き、プロの一流は、いつも通り変わらないそうです。

 これはスポーツでならわかるでしょう。水泳で素人が選手と競泳すると、素人の方が速くたくさん腕や足をバタつかせて力も入ります。プロはひとかきでスーイと伸び進みます。すでにしてシンプルに最も効果的に働くように、プログラムされているのです。

 あなたが初見で歌うと、つっかかる曲も、100回練習したら、楽に声が出るでしょう。シンプル、エコに、それで余力をもってプレイしなくては、人を感動させられません。

 つまり、専門化(スペシャリスト化)、職人化が行われているのです。いくら、喉や発声器官のあり方やメカニズム、個々の動きや状態のよし悪しなど、部分的にこだわったところで、一般的に、一、二割よくなるだけで大して効果ないのです。

 

○喉でなく脳の違い

 

 調律が必要な楽器は、狂いがあれば、うまく演奏できません。声は声帯がうまくくっつかない―ポリープや声帯結節など、どうしようもないのは、休ませて回復を待つか、手術などで元の音を出るようにしないと難しいでしょう。

 喉については複雑です。医者が処置をした方がいいケースもあります。しかし、発声に対しては、個人差もあり、喉で調整するよりは、体全体から発声において調整していくことが、何よりも大切です。

 

 ヴォイストレーナーが、発声のメカニズムを知っていても「喉頭のなかの声帯をこのように閉めなさい」と言わないのはどうしてでしょう。

なかには喉を閉めることを教えるトレーナーもいて、私はそれを否定するのではありません。外国人トレーナーにもいます。

 問題は、発声を体との関係で覚えて、発声、歌唱に有利な変化をしていっているかということです。

 注意することは、一人ひとりの喉が違うために、この変化について絶対無比に正しいプロセスはないことです。細かくみるのなら、一人ひとり違ってくるのです(これについては、以下に再録する「ロマのバイオリンの話」を参考にしてください)

「表現やオリジナリティを踏まえて述べるなら、私はロマのバイオリニスト、あるいはインドのカースト制度下で音楽を生業としていた人たちの演奏を思い出します。楽器は、ボロボロの寄木のようなものから本人自身がつくります。手製でも、その耳とそれぞれの楽器に合わせた調整や、それを活かす演奏がプロフェッショナルなのです。楽器を半分つくり変えるほどの調整もしてしまうのです。[中略]私はあなたに、ここに述べたロマのすぐれた演奏家を目指して欲しいのです。自分のがどんな楽器であれ、それを疑わず自分流に最大限に活かせる工夫をして、最高に使い切るつもりでトレーニングにのぞんで欲しいのです」

 

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〇小脳で司る~筋肉の発達

 

自製の楽器の形状に合わせ、弓も弾き方も工夫していくのです。それは、感覚→身体→楽器の順であり、楽器だけの完成度を単体として問うメーカーの基準のようなものではないのです。

 

 考えてみれば当たり前のことです。ピアニストの指は、相手を倒したり、重いものを持つものためでなく、ピアノを弾くために進化させたものです。それに関わる筋肉の違いではなく、脳の細胞や指の神経細胞の働きによるところが大きいのです。

 これはスポーツでは、常識です。体の運動を扱うのは小脳です。

 ゆる体操の開発者の高岡英夫氏の監修しているサッカーのマンガでは、「大脳はテクニックを担っていて、フロントキックを蹴るプロセスを大脳が筋肉に命令する一方で、このテクニックが、スムーズに繰り広げられるかは小脳の働きにかかっていて、その時、筋肉は何も考えず、何も覚えていない[中略]筋肉は使うことで発達するが、筋肉の付く場所、形、量が違ってくる」とあります。

サッカー選手でも、軸がなく、背骨が屈曲し、固まり、大腿直筋が発達してしまう人と、軸があって背骨がゆるんで真っ直ぐ腸腰筋が発達する人とは、大きく違うといっています。この場合、サッカーということで、サッカー選手として問われることも違うと思いますが…。

 声はいろんな使われ方をするので、このあたりは、声―スポーツ、一流のオペラ歌手―サッカーのように大きく分けてみるしかありません。浪曲、詩吟―相撲のようになるのかもしれません。

  練習によって、筋肉を変える、筋肉の状態を変えるというよりも、脳を変えるということが大切になります。長期にわたり、本格的に一流を目指すのか、短期にあるレベルに楽に達するのかによっても違うでしょう。

 小さな子供ほど、早期学習、かつ連続学習の効果が高いのは、こういうことから頷けるでしょう。音楽にも脳の形成の時期における変容ということで、臨界期に近いことがあると察せられます。私たちは10歳には戻れませんから、現実問題、これからの練習について考えていくことになります。

 

○イヤートレーニング~ヘッシェル回

 

 「楽器の練習や人の歌を聴くと、喉が疲れるから発声の練習は先にするように」と私は教わりました。確かにそのとおりで、イメージは声帯に働きかけ、歌っていなくても疲れることがあります。発声をしなくても歌いやすい状態にセッティングされるともいえます。

 歌うことをイメージするトレーニングは、脳の神経細胞を動かしますから、これも有効でしょう。このあたりは、スポーツでのイメージトレーニング(ボクシングのシャドーボクシングなど)で同じことをしています。

たくさんの曲を聴いているだけで歌がうまくなったり、発声がよくなるということです。

そこで、私は「読むだけで声と歌がよくなる本」にはたくさんの曲を紹介して、聞くだけでも根本から学べるようにしているのです。

 ピアニストは、ピアノの音を聞くと、指の神経細胞が動いているそうです。

量が質に転じると、ミスを予見して目立たないようにしたり、タッチに音色の違いを出したりできるようになります。弾いて出すより、聞いて修正するのです。つまり、聴覚野「ヘッシェル回(横側頭回)」の神経細胞の働きがプロなのです。

 耳のよさは

1.幼いころからずっとやっている人。

2.幼いころだけやって、大人になってやりだした人。

3.大人になってやった人。

4.大人になってやっていない人。

と、この順で鈍いのです。大人になってからでもやれば、幼いころの経験がなくても、よくなるということを知っておくと、自信になるでしょう(失音感楽症や自閉症の人など、ここでもいろいろ難しいことがありました)。

 

○早くより、しっかり

 

 喉に限りませんが、体、筋肉を固めると、同じように動かしやすくなります。そのため、初心者やアマチュアではまじめな人ほど正確さを狙って固めがちになるのです。トレーナーにも、それにこだわるまじめな人が多いです。

それに対して、プロは最大限、無駄をなくし、流れの中で効率的に扱うすべを身につけています(これには重力や反動などもあります)。

 早く正しくできるように急ぐのと、しっかりと身につけることがイコールでないことに留意してください。ただし、プロセスでの必要悪としてレッスンやトレーニングでは、固めるプロセスをとり入れざるをえないことが多いのです。ただ、それを自覚しているトレーナーが多くないことが問題です。

 遊びや、ゆるみ、しなりは必要です。頭をからっぽにし、遊びながらの練習がいいのです。笑いながら、アホな顔してやれば、力は入りません。

 これらは多くのレッスンと反することですが、イメージトレーニングで大切なのは、全力でやるのと、自分のフォームのあるべき姿は、大体において、違うということです。野球でも投球の軌道で打つのは違ってくるでしょう。目的によっても、鍛えられること、つく力も違うということなのです。

 「他のトレーナーのトレーニングをすぐに否定するな」というのは、初めての人には分からないことです。そのトレーナーもわかっていないことがあります。

 私はいつも間に入って説明しているので、誰よりもわかってきました。

 

欠点を洗い出すレッスンと、欠点をカバーする本番は真逆です。あなたのレッスンは、欠点をカバーすることしか教えられていないのではありませんか。毎日どんどんよくなっていくからよい、と思っていませんか。ミスしないということや高い声を出せるようにということと、効率のよい自然な発声は、異なることが多いです。

 そういう目的の一つから入ることは否定しません。プロセスとしては、無理しない範囲で、一つのことにこだわらず、大きな目的に格上げできたらよいのですが。

 

〇複数のトレーナーを使う

 

 私のところは、他のトレーナーについている人も受け入れています。ここのトレーナーの違いの幅よりも、巷のトレーナーとの違いは少ないとさえ思うのです。

大切なのは、違いよりも深さです。トレーナーの方法を否定するのではなく、位置づけを見直し、そのトレーニングの活かせるところを活かし、補うようにしていきます。

本人は、ここでゼロからやり直したいということが多いのです。そこは求める程度、深さの違いだと思います。

 

 複数のトレーナーがつくと必ずそのうち誰か一人が、相対的に合っていると思うものです。他のトレーナーはそのトレーナーほどではないと思いがちです。

その人の判断力は尊重したいのですが、その判断力の結果が、その人の今の声や歌の問題ということもあるのです。ですから、一時、問題と判断を保留することです。将来の器が大きくなるようにトレーナー選んで、できたら複数つけておくのがよいと思うのです。

多くの場合、トレーナーを否定できる根拠は、それほどないです。プロセスを経て、自分に本当にふさわしいトレーナーにつけばよいのです。

そこまでは自らがバージョンアップして、声や判断力を高めることが重要です。その時に、自分とは異なるトレーナーの判断の仕方に学ぶ方がずっと大きいのです。

 安心できたり、わかりやすいトレーナーは、あなたと同じレベルで判断しているに過ぎないのです。やりやすいということは、12割伸びたら、終わりというパターンです。

 どのトレーナーにも素直に対してみることが、大切なことだと思います。わからなくなったら、それもよいことです。私に聞いてください。

 

○フォームを身につける

 

 私が水泳のときに感じたことを述べます。あるとき、緩めること―力の逃がし方、リカバリー、クッション、流れにのる、妨げないというのがつながりました。最初はばらばらの動きが、つながった瞬間、体が水に乗るのがわかりました。それをコツ、タイミングというのです。

いくら本で読んでも体(腕や足)をもって実際に動かさないと、身につかないものです。独学でフォームが身につけられる人は、一割もいないと思います。

それはフォームができるのに筋力や関節の柔軟などの準備がいるからです。その上で、イメージ―全体、流れが感じられるほど脱力できることが必要です。それを支えるためには、体力、筋力が整うのと、それを合理的に使うのとの矛盾を昇華しないとなりません。支えられないと、正しいフォームにならないのです。

 体と一つになること、そのイメージは、そう簡単につかめるものではありません。

バスケットのシュートで「膝からシュート」と教わるのは、まさにそういうことです。腕の操作を気にしていては、全体は一つになりようがないです。

 プロとアマチュアの違いは、全体を使うか、部分を使うかともいえます。部分を使うと疲れが早くきます。正確さにも欠けます。しかし、固めやすいので、早く習得しようとするとそうなりがちです。

 これは初心者のテニスと同じです。手先ばかり動き、器用にラケットにあてて返しても、勝つことは、できません。素振りでフォームを体で覚えていないからです。部分的に固めて打つのをやめ、腰中心にフォームで打つことを強制されて、矯正されるのです。それを覚えたら、最初は大変でも、よりパワフルになります。完全な正確さも求められると必ずそうなります。手先のスマッシュでは持続は不可能だからです。

 

発声も同じでしょう。私は、腰から声を出していますから8時間声を出しても影響ありません。それだけでも聞きにいらしてはいかがでしょう。

 

〇トレーニングで可能なこと

 

体で声を出すことがわからなくても、イメージとして入るところからスタートです。

 息も同じです。息吐き競争にいらしてください。

オペラ歌手の一流の人は、誰にも負けないでしょう。

非日常でのトレーニングによって日常を非日常にし、非日常を日常にしたからです。

ここまではトレーニング次第で可能です。というより、トレーニングはトレーニングで可能なことを得るために行うものです。新しく鍛えて強化して、身体、喉、声を獲得することです。

 スポーツ選手やプレイヤーと同じく、声に関しても、優れている人を見たら、レベルがわからなくても、優れていくことはわかるものです。人間の素晴らしいところだと思います。

そうでないのは、頭でっかちな人や、中途半端にそれをかじった人です。そういう人は、素直にみられず、素人でもわかることさえ否定します。妬み、嫉み、やっかみのこともありますが、中途半端にやっていると偏ってしまうのです。やり出して23年くらいの人やトレーナーに多いのです。私もそういうときがあったのでよくわかります。それを改めて、超えなくては、人に通じるところへ達しません。

 頑張って身につけて、抜け出してください。山に登り始めると、山の形が見えなくなっていきます。山の形は見えませんね。上達すると声も消えてしまうものです。ですからシェルパーならぬ、トレーナーを利用するのです。無心となり、景色がよい、そのくらいに自然にありたいものですね。

 

○トレーニングの考え方とメニュ

 

1.自然のプロセスを妨げない

2.無用のことをできるだけやらない

トレーニングは、意図的に何かを

1.より早くか

2.より高いレベルに

叶えようとするものです。ですから、普段の生活でも

1.声を出し(息や体を使い)

2.ことばをしゃべり(発音、調音、声量)

3.歌を歌って(声域、共鳴)

なじみのあるものとしておくことです。オペラになると

1.より深く響く声に

2.外国語で

3.アリアを歌う

3つとも、日常とは異なる訳です。これを違うと捉えるか、延長上と捉えるかですが、非日常ゆえに、トレーニングになります。

ヴォイトレの位置づけについては、特別のものか、日常のものかは定まっていません。

1.声のキャッチ、確実に声にする

2.息を流す つなげる レガート(ロングトーン)

このフレーズに、音色の変化、表現づけ(タッチ、ニュアンス)をするのです。

テンポ、声量、ピッチのゆるぎ、クレッシェンド、呼吸、ブレス回数、体のゆれにも注意しましょう。

ある研究者によると、ピアノの実力をキープするには、毎日3時間45分以上、練習がいるそうです。声の実力には?

 

○基礎の3ステップ

 

やればできるというなら、やらないでできていないものを目的とすることでしょう。スポーツのトレーニングの研究をすると、基礎といっても、いくつかに分けられます。スポーツでは、一般的に

1.基礎の基礎―柔軟(調整)

2.基礎―体力作り、ランニング(強化)

3.基礎の応用―特別なプレイへの動き(調整)、もしくは、そのための特殊なトレーニング(強化)

一概に基礎といってもこの3つがあります。2までは、腹筋や腕立て伏せなど、どのスポーツでも同じようなものです。3では種目において異なることです。

バスケットでは3は、ピボット(急に向きを変える)や、カニさん歩き、腰をかがめ、重心を低くして手を上げ、横に歩く=ディフェンスの基礎、

この上に、ボールプレイの

4.応用の基礎―ドリブル、シュート

5.応用―1on111

6.応用の応用―3on35on5

そして、本番は、10分の4クォーター(ピリオド)です。

 

10のランク

 

 実践形式のトレーニングを分けるとしたら、10くらいのランクがあるのです。

 2までは誰でもやればよい日常の延線上にあるものです。3から先は、プレイで必要とされることによって専門特化していくのです。バスケット特有の動き、トレーニングを、テニスや水泳の選手がやっても仕方ないでしょう。3からが、プレイには不可欠なものなのです。

 カール・ルイスは、100メートル、200メートル競走と、走り幅跳びを兼ねました。高跳びやハードルはやりません。これは3から先のトレーニングが矛盾するからです。つまり、速く走るための理想の体と、高く跳ぶための理想の体が違うのです。ストレートにいうと使う筋肉が違うのです。高く跳ぶ筋肉は、早く走る筋肉と矛盾してしまうのです。

 これを声や歌に置き換えると、どのようになるかを、私は課題としてきました。高い声と低い声、細い声と太い声。声域と声量、どこまで両立し、どこで矛盾するのかは、簡単に述べられることではありません。スポーツ以上に個人差があるのです。ヴォイトレにおける3とは、いや410とは何なのでしょうか。私がよく使う声の基本表を掲げておきますので、考えてみてください。

 

<基礎>

1.体

2.息、発声

3.共鳴

<応用>

4.発声、ことば、フレーズ感

5.リズム感。温感

6.構成、展開

<本番>

7.キャラクター

8.状況対応力

9.オリジナリティ、世界観

10.オーラ、人格、人間力

 

○思い込みという信頼感or依存心のチェック

 

次のようなことについて、どう思いますか。

・医者やトレーナーは万能である。体(病気、治療)や声のことは何でも分かる。

・医者やトレーナーは自分に合わせてくれる。合わせられる。

・レッスンやトレーニングをしないとよくならない。

・メニュや方法がないと不安である。上達にはアドバイスが絶対に必要。

・独自のメニュの方がよくなる。

・よくチェックするのがよいトレーナーだ。

・質問をしても意味がない。

・いつも、自分に最も良い方法でやっていると思う。

・有名な人ほど実績がある。

・プロデューサーやレコード会社は、未知の才能を発掘する。

・スタジオや設備が充実しているところがよい。

・マスコミによく出る人はすごい。資格を持ったり、学会、他、加入している人、海外などに有名な人に学んだり、習ったりしている人はすごい。

 これらについて考えてみてください。

 

〇メンタルが何割か

 

 私の親しくしている専門家は、声については、メンタルの問題が9割といいます。

・少し具合が悪いとすぐ専門家や医者のところに行く。結構なお金を払い、その分、効果があるように思う。

・長時間のレッスンの疲労感に実感を得る、コミュニケーションにおいて充実感や満足感を得る。

  喉の状態が悪いために、そういうところへ行ってよくなる例は1/10×1/101001つです。しかし、行くのは悪いことではありません。そこで

 ・原因を教えてもらい、自分なりによい状態をつかむ。

 ・専門家と話すことで、安心する。

 ・信頼することで、将来への自信を取り戻す。

これは、メンタル面での効果です。大切なことですが、長い時間軸でみると、自分のもつ条件は変わっていないのです。つまり、現実には状態がぶれているだけのことです。それがトレーニングというのなら、幻想に近いでしょう。ヴォイトレが本当に効果をあげるのかが、各界の第一人者に未だ認められているといいがたい状況は、このあたりに原因があるのです。

 

 これは日本人の病院好きと似ていると思います。どこかしら悪いところをみつけにいく、病院で病名をもらいに行く。それがおすみつき、安心なのです。風邪で病院に行くのは日本人くらいです。その薬を貰わないと安心できなくて、眠れない。これでは自ら、病気になりにいくと言えます。

 

「原因がわかれば何とかなる」などというのは、科学の与えた幻想にすきません。

声についても、ほぼ推測、仮説での試行です。それでは心もとないから、「あなたは○○ですから○○をすればよくなります」というフォーマットでトレーナーは対応してしまうのです。いらっしゃる人から、そういう役割を求められてしまうからです。

 方法やメニュを与えても大した効果はありません。望みが高くないから、どんな方法やメニュでもそれなりになってしまうのでしょう。よくなったと思い込みたいので、よいところをみて、そのように思い込んでしまっているのです。

よいレッスンは、気づきのための基準と補うための材料を与えることです。方法やメニュは、それを使えばすぐに解決しそうと、すぐに解決しようとする方向で使われやすいために、害になりかねないのです。

 

○無知の知

 

 トレーナーは、いろんな経験から、いろいろ学んでいますが、いくら学んでもわからないことはたくさんあるものです。わかっていることなどほとんどないのかもしれません。しかし、不安に思わせては、いらっしゃる人にあらぬ心配をさせ、効果もでにくくなるので、ニコニコと完璧なふりを装って対応します。

 何もわからないのでは困りますが、何がわかっていて、何がわからないかを知っていることが大切です。トレーニングするにあたって、私はできるだけそれを提示するようにしています。一般の人の最高の集中力で5分、それを何とか20分に引き伸ばして、30分弱というところではないでしょうか。

 レッスンの時間も長いほどよいのではありません。

 

〇チェックとは

 

 柔軟や声のチェックは、トレーニングではありません。声の使い方のアドバイスも、状態をよくすることと、将来の可能性の把握のために使うものです。

 本格的なトレーニングを集中して行うと、バランスを失うなどのデメリットも出てきます。どこかに副作用を想定して対処することを考えてアドバイスしているのです。

 

 私のところでも、トレーナーの見立てが異なるとき、トレーナーの個性で偏らないようにと、客観視することを務めてきました。必ず複数のトレーナーでチェックしているのです。

 チェックは、何がわかるかでなく、わからないものについて行うことが大切です。チェックは、事態をよくするためにあるのです。ですから、チェックそのものよりも、そこからどうするかが問題です。

 本人や周りが納得できるようにしたいのですが、納得したものが、本当によくなるとは限りません。

 いつも「自分の声について、他人任せにするな」と言っています。体も、生き方も、価値観も、目的も一人ひとり違い、それを伴うのです。まずは、あなた自分自身の目的を明確につかみ、示していくことです。

 

○現場のデータの蓄積と分析

 

 私が自ら声について行ってきたことをとりあげつつも、体験談など生徒自身の声を提示しているのは、それが現場だからです。こうしたことは、頭だけで考えられるものではありません。研究所であらゆる仮説を試行し、試行錯誤を通して完成に近づけようとしているのです。うまくいかないことも、ミスも当然ありうるのです。要はそれを放置してきたのか、修正しつづけてきたのか、ということです。その違いをみてほしいのです。

 

1.トレーナーの考え、理解、方法、メニュ

2.自分の考え

1と2は対立してもかまいません。いずれ自分のものとしていくというなら、トレーナーへ依存している比重を少しずつ自分に移していくことです。

 定義、基準、資格のない分野ですから、トレーナー本人のPRや肩書をうのみにしないことです。たとえ、学会でも、会費で所属できるところが大半です。あなたも入れるでしょう。その人がそこで、どれだけ活躍しているかをみてください。

 

○トレーナーを先生としない

 

 トレーニングは常に、形から入り、形をとり、(固定する)その形を取る(解決する)。そして、また123…と繰り返すのです。

 私たちもエビデンス(証拠、論拠)を求められることがあります。提示できることもあれば、できないこともあります。ハッタリも、プラシーボ効果として必要なときもあります。科学や道具を使っても、何にもならないことが多いのです。

 トレーナーの示す楽観的な見取り図は、レッスンを引き受けたり、キープするためだけのことも多いのです。どこまであなたを中心に考えているのかは、わからないのです。これはトレーナーに限らずどこでも同じです。

よいレッスンを維持できる環境や条件を求めなくては、トレーナー失格です。リハビリのようなマッサージのレッスンで、あとは何の効果もないことも少なくありません。

 

〇代替のトレーナー体制

 

 私のところにも、他の著名なトレーナーについている人が、

トレーナーが忙しすぎる。 

他の仕事で出張。出演が多い。

留学や休みが多い。

予約が取れない。キャンセルが多い。

などの理由でもいらっしゃいます。優れたトレーナーが実演家であると、教えることに全力をつくせないこともあります。そういうトレーナーの元からも、いらっしゃいます。

私のところでも専属トレーナーとはいえ、舞台があれば、やむなく休むときもあります。トレーナーが病気や事故ということもあるでしょう。その時に、レベルをおとさず代替や振替ができるか、そのトレーナーを引き継げるか、そういうことを考えている体制かを問うてください。

 

○不調の対策

 

 喉の病気といっても、休めて治す、自然治癒がメインです。本人が治すもので、トレーナーや医者は、補助にすぎません。

 薬や飲食物、スプレーなど、道具などを使っても、

1.体の回復(フィジカル)

2.心の回復(メンタル)

3.体力、柔軟、喉の状態の回復

を待つしかありません。

少しずつ、こういう状態から

1.鍛えられ

2.コントロールできるようになり

さらに

1.予知できるようになり

2.対応力もつくようになる

これが大切なのです。

トレーニングは、調子が悪い時も舞台に立つための下支えです。トレーナーはその下の下支えなのです。

 

〇水分のとり方

 

世の中には、声のためにも、喉のためにもいろんな薬やツールが出回っています。アメ、水、嗜好品、加湿器、喉スプレー。そういうものを使う分だけ、あなたは、ひ弱になり育たないことにもなりかねません。

 例えば、発声のための喉の状態をよくすること、声帯に水分はとても大切です。しかし、いつも水を飲んでは発声していたら、ないときは大変ですね。唾液がもっとも良い状態に口内を保ちますから、水で流すのは必ずしもよくないのです。このあたりも人それぞれに違いますが、喉アメなどで整えるのは、お勧めできないのです。

 加湿するのは、喉には良いことですが、本番では乾燥や埃のひどい中でやることの方が多いです。そのあたりも、日頃からあまり甘やかさないのがいいと思います。

 無理して埃だらけの中で歌うような練習をしてはなりません。しかし、ステージの乾燥には慣れなくてはだめでしょう。それに耐えられるくらいのトレーニングも環境は用意すべきです。

 豊かな国のスポーツ選手が、アウエーで弱いのは、環境のためです。睡眠などを含め体調管理について、よほどの経験がなくては崩れてしまうからです。

 

○甘やかさない

 

 好ましいトレーニングのプロセスをまとめておきます。

1.自然に直す

2.自然に直すのを妨げない

3.自然に直すのを妨げていることを排除する

4.自然に直す力の衰弱を補う

自分の心身にそういう力をつけるのが、もっとも望ましいです。

空調も、空気清浄機も、加湿器もなくて、同じことのできる力のある人は本番に強いし、有利です。

人間は文明を発展させ、治療についても飛躍的にさまざまなツールを発展させてきました。ある意味、じっとして治している動物に見習うべきところがあるでしょう。

 

〇プリミティブに

 

1.悪い原因を探り、対処する(調整)

2.欠けているものを補う(補充)

3.強化する(鍛錬)

本来のトレーニングは3にあたります。

 頭で考え、科学的に分析すると12にエネルギーが行くのです。

 日本のサッカーのエリート教育みたいなもので、平均レベルは上がるがスターは生まれない。スターは、教育の前に、自由奔放に、路上サッカーなどで、その強化の時期をふんでいるので、天才となりえるのです。これはアーティストや音声を扱うようなパフォーマンスにも求められるのではないでしょうか。

 本能的に極限状態を求め、大きく器をつくること、それには、もっと野性的であってほしいと思うのです。

トレーナーの過保護、丁寧さ、やさしさ、ほめすぎ、リスクや危険の一方的な防止、禁止と甘やかすだけではなりません。

 規則正しい生活がよいのですが、いつも、そういうトレーナーの制止を、振り切れとも願っているのです。

 多くの人は、大してムチャもやってないのに制止を願っているようです。まるで自主規制です。これでは何万人どころか、何十人の心さえ動かせないではありませんか。そのうちヴォイトレ・ホスピス編を書く破目になりそうです。暴走するアーティストをなんとか制御するのがトレーナーやプロデューサーという関係でありたいと私は思います。

No.344

「タンゴ史」

 

1917年「ラ・クンパルシータ」

カルロス・ガルデルのデビュー

「ミ・ノーチェ・トリステ」(我が悲しみの夜)ガルデル

大ヒット曲としては、「ラ・パロマ」「オーソレミオ」

「恋心」 エンリコ・マシアス

タンゴのトリオは、フルート、ギター、ヴァイオリン。

タンゴのバンド(オルケスタ・ティピカ)は、ヴァイオリン、ピアノ、ベース、バンドネオン。

フランシスコ・カナロ(タンゴの王様)パリへ。1961年来日。

1992年ピアソラ死去

1997年「リベルタンゴ」ヨーヨー・マによるリバイバルヒット

 

 

「日本のタンゴ曲」

 

「東京キューバンボーイズ」や藤原嵐子

1934年「黒い瞳」ディック・ミネ

1934年「並木の雨」ミス・コロンビア

1935年「小さな喫茶店」中野忠晴

1935年「カスタネットタンゴ」「雨に咲く花」

1937年「タンゴ・ローザ」「マロニエの木陰」

1939年「夜のプラットホーム」

1951年「上海帰りのリル」津村謙

1955年「別れの一本杉」

1957年「有楽町で逢いましょう」

その他に、「銀座の恋の物語」「夜霧よ今夜も有難う」「哀愁波止場」「ひばりの佐渡情話」「みだれ髪」「なみだ船」「兄弟船」

1957年真珠とり(「真珠とり」のタンゴ)

1969年「黒猫のタンゴ」皆川おさむ

1999年「ダンゴ三兄弟」

日本のリズムでは、「おてもやん」(熊本)「木曽節」(長野)「ソーラン節」「北海盆歌」「会津磐梯山」  [523]

 

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