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私は10数名のヴォイストレーナーとともに、ヴォイストレーナーにも指導しているため、内外のヴォイストレーナーのアドバイザーやヴォイトレをしている人のセカンドオピニオンもたくさんやってきました。ヴォイストレーナー、指導者、専門家以外にも「ヴォイストレーナーの選び方」などに関する質問が多くなりました。以下を参考にしてください。

「ヴォイストレーナーの選び方要項」 http://www.bvt.co.jp/new/voicetrainer/

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「1.ヴォイストレーナーの選び方」

「2.ヴォイトレの論点」

93号 「Q.しゃべる声と歌声の関係と、トレーニングでの変化や進歩について知りたいのですが。」

〇しゃべる声と歌う声の相違

 

これは、「歌う声と話す声では、一緒なのかどうか」ということで、さまざまな意見、見解が出ています。ここではそれらをまとめた上で私自身の経験もふまえて、今の私の見解を述べます。

 そもそも「違う」と「同じ」との違いとは、何かということです。声に関しては、怒った声と笑った声も違うといえば、違うでしょうし、話し声の中にも、細かくみると、一つとして同じものはないはずです。つまり、違うといえば違う、同じといえば同じ、どの程度かという問題にすぎません。

 

 学者や専門家でも「同じ」とか、「違う」という人がいても、声の使い方ですから、大きくいうと同じ、細かくいうと違うということになります。それなのに、この2種がよく取り上げ、比べられるのは、いろんな声のなかでも、特に意識的にコントロールして使うもの、そして、歌や話し方は、それをトレーニングして上達するという目的とプロセスがあると思われているからでしょう。

 

 

〇しゃべる声と歌う声の区別

 

 人間の声の獲得の歴史からもさまざまな説があり、また一口に歌といってもさまざまで、語りのような歌もあるので、一括りにはしにくいのですが、一応、大まかに区別してみます。

 

[話] ことば(発音)中心

 意味の伝達が目的のことが多い

 

[歌] 節(フレーズ)中心

1.声が高くなる

2.声を大きくする(マイクのある場合は、今はむしろ、より小さく表現することのほうが多いといえます)

3.声を伸ばすことがある

4.ほぼ決まった声調の変化や、節(メロディ、リズム)があることが多い。ことばがつくとは限らない

5.情感や感情を伝える。表現をすることが多い

6.楽器を伴ったり、他者とのコーラスもある

2の大きさについては、話でもみられます。13は話よりも極端に、ということです)

[歌]で述べたことは[]と区別される特徴です。

 

〇話し声と歌との関係

 

 歌の練習となると、メロディ、リズム、(歌)詞の三要素、さらに歌のための発声では、声の高さ、声量、ロングトーンなどが必ず取り上げられます。このあたりは舞台でせりふをいう役者などに必要とされる条件とも一部、重なります。

 つまり、しっかりとした話(せりふ)に必要とされる声の力の応用として歌唱を捉えることもできます。

 場合によっては、より少ない声量、より低い声域、より短い区切り(スタッカート)などが、歌の技巧に入ることでもそれはわかるでしょう。逆に、話には必要だが、歌には絶対に必要ないという要素は、挙げにくいものです(ことばのないときにも歌はあり、その声調の変化を応用して、ことばが生じたという人もいます)。

 舞台のせりふになれば、相手とのかけ合いやテンポ、間など、歌では音楽として組み入れられてしまったものが改めて問われるので、歌手なら誰でも役者ができるというわけではありません(一般の人よりは、いろんな面で恵まれているから、ドラマに出る人もいますが)。その分、歌手は音楽の形式や伴奏、プレイヤーに助けられているともいえます(となると、現実には、日常の話、舞台のせりふ、歌唱、さらに日常の歌などを分けるべきだという見解もあってもよいと思われます)。

 

〇歌手の話し声

 

 現実の歌い手をみてみましょう。すると、話し声もトレーニングされているような声の人も、全くそうでない人もいます。(歌うときの声も全くプロを感じさせない人もいますから、プロの歌手のすべてが声の力で支えられているわけでないし、時代とともにさらに異なってきています。ここでは「アナウンス声」か「役者声」か分けています。)

 

 一般的によくいわれるのは、高い声で歌っている人の話し声の悪さ(素人くささ)です。これにはオペラも含まれます。国際的にもテノールのしゃべる声は、あまりよくないようなことをいわれています。日本では、かなりあてはまるのではないでしょうか。

私は、日本人やポップス歌手を基準にみると、海外のテノールやソプラノはけっこうよい話し声をしていると思うのです。バリトンやバスのほうが話す声の声域に近い分、無理なく使えて、そこの声がよいといえるのは当然ですから、比べるのがおかしいのです。男性の声は、低く太く響くのが鍛えられているのがよいという基準でみたらですが

 

〇日本人の考えるよい声

 

 ”anan”の取材で声についてのコメントを求められた男性は、ケンドーコバヤシさん、大杉漣さん、遠藤憲一さん、宮野真守さんでした。やや低めのバリトンヴォイスです。女性が魅力的に感じる声は、それほど変わっていないのかもしれません。男性が第二次性徴期に声変わりし、複雑なメカニズムでわざわざ獲得した女性より1オクターブ下の低音なのです。

 

〇私の声と「役者声」

 

 私はヴォイトレで声が鍛えられ、変わったのですが、最初は変わり、プロレベルになったあと、18時間以上、人前で話しているうちに、プロの「役者声」の声になりました。

歌のレッスン時のほうが日常よりも、集中して意識的に腹式も使い、のども開くからではないでしょうか。その後、日常にも発声の体が用意されるに従って、全面的に変わっていったのだと思います。何もしなくとも、歳をとったら今の声になっていたのかもしれませんが、私がいえるのは、トレーニングをしないと、まがりなりにも、オペラの1フレーズを歌えるような発声は得られなかったということです。

 私は研究所で30年以上いろんな人の声のプロセスをみています。私ほどに時間をかけて声を鍛錬した人は、それほどいないと思っています。簡単には述べられませんが、2割くらい、私の半分以下の時間で、同じプロセスをたどったような人もいました。2割くらいは、そのようにならない人もいました。男性はわかりやすいのですが、女性では日本人の場合は多く、3割くらいの人は、声そのものは大きく変わりません。第一に変わる必要がなかったといえます。

 

〇声の変化をめざす

 

 今のヴォイトレは、声そのものの変化を目指してはいません。声そのものが少しでも変われば成果は大きく違ってきます。しかし、そのプロセスで不安定になりかねないのでためらわれるのでしょう。声は使い方だけでも大きく変わるので、それがノウハウになっています。一人ひとり異なる楽器で、それぞれに異なるプロセスをみる必要があります。

 

〇役者声から声楽へ

 

 以前は、日本では声楽家よりも、役者のほうがよい声をしていました。けっこう無茶なトレーニングで成果をあげていたので、私は最初、声楽よりも役者の練習場に拠点をおいたほどです。

 まず「役者声」を得てから、歌のレッスンをすべきだと思ったのです。この考えは、今も根本では変わっていません。ただ、世の中、業界の方が変わり、声楽よりになったのです。このあたりは、私が「声の二極化」について述べていることを参考にしてください。

 

 「歌は語れ、語りは歌え」といわれていた時代でした。歌のレッスンは、ピアノに合わせて、高音をかん高くあてて響かせようとしていました。

 私はアンチ声楽(日本の声楽)からスタートしました。語って伝えることの線上に歌があると思っているからです。一方、欧米の高音でシャウトして長いフレーズを一息で歌いきる歌手(クラシック、ポップス問わず)に憧れていました。いくつかの仮説をたてつつ、レッスンにくる人に声楽家も含め、他のトレーナーとともにあたって比べていたのです。

 

 その結論は出ません。かなりの数の人のレッスンのプロセスをみてきましたから、その人にとって、もっともよいレッスンの形態(トレーナーややり方)は、判断できるようになりました。

 

Q.レッスンの充実感と声の成長について

 

〇ヴォイトレの目的と価値

 

 声の変容、鍛錬とは別に声は、使い方によっても声は大きく変わり、歌の成果もみられるものです。「何をもってレッスンやトレーニングとするのか」は、もっとも考えるべき問題です。

 ここは一人でなく組織としてレッスンを行なっている研究所です。トレーナーの選択とその方法については、いつまでも考え続ける問題だと思っています。

 

 消費者的な感覚の人が増えてくると、レッスン以外のサービスに力を入れざるを得なくなるのは、やむを得ないことでしょう。すべてにおいて、満足できるように努めるのも大切なことです。優先順位を決め、指針を明示します。レッスンを受けたい人が、その目的にもっとも合うように選べばよいのです。どんな人がどんな目的でどんな状態でいらしても、それを受け入れる、その懐の深さには自信があります。

 サービスの明示はできても、レッスンの内容というもっとも肝心の点は、個別に対応しているので、明示しにくいものです。

 本人の求める目的が本当に本人のためによいのか、声の場合、いろいろと考えさせられることばかりです。根本の問題へのアプローチの前に、サービスのよしあしだけで判断されてしまうとしたら、残念なことです。

 

〇レッスンの指針とサービス

 

 レッスンの指針というのは個別に違うので、述べられません。たとえば、「誰でもわかりやすく、1年後に50点とれる、しかし、2年後も5560点くらい、ずっと続く」というのと、「誰にもわかりやすいわけでないが、1年後に25点とれる、2年後に50点、3年後に75点になる。」

 こういうケースならどう選ぶかというようなことが、無限にあるのです。残念なことに、今のヴォイトレは、ここまで考えずに明示できるレベルで明示しているだけです。

 

 サービスとしてよくあげるのは、病院の例です。

  1. 受付の応対がよい
  2. 待ち時間が少ない
  3. 待ち時間にくつろげる 待つのが苦にならない (ソファ、TV、本、飲み物のサービス)

 

 これらは、肝心の医者の腕と関係ありません。医者自身が説明を長々として、安心させてくれるのはよいことです。しかし、私はその分、医者は少しでも休み、患者の治療に集中できるようにすべきと思います。治療が風邪か難しい手術かで違ってくるでしょう。芸事は、医学ほどにもはっきり明示できるものではないから、難問です。医学もかなり手探りで進めますが、年々、進歩しているのは確かでしょう。

 

〇回復と実力

 

 声のトレーニングは命に関わりはないので、それに例えるのなら風邪のように扱われているようです。とんでもありません。声は生まれたときから使ってきています。何か問題があれば(健康で、上達したいということであっても)それは、慢性化した、のどの問題なのです。そう簡単に解決しません。

 12割ほどよくするなら、一日でできます。毎日いわれたことをやれば、多くの人は人並みになれると思います。プロや一流を目指すなら、日常が90%、レッスンはそれを支えるチェックや課題の明示、判断力の習得ですが、10%くらいです。大きく変わるきっかけとなる1回、あるいは一瞬のためにあります。

 重病のあとのリハビリくらいの覚悟を持っていただきたい、それなくして真の上達はありません。

 リラックスして心身を解放するだけで声が変わるのは確かです。マイナスからゼロに至ったにすぎません。話さない人が何とか話せるように、歩けない人が何とか立てるようになったくらいです。人を感動させる何かをするために必要とされる基礎には及びようもないのです。

 

〇中低音域と高音域の両立について

 

 ヴォイトレの効果としてわかりやすいのが、

1.高音域、2.声量ですから、それを目的にしている人が少なくありません。

 高音域のトレーニングは、本来は中音域のあとにするものですが、そこはできているものとして、高い方ばかり進みます。

高い方が出しやすく、比較的、発声がよいなら、高めから入らせることもあります。それがよいというからでなく、中低音域からでは、うまくいかない人が少なくないからです。その人の出しやすいところから正していくのが原則です。

ただし、中音域が完成するまで高音を出してはいけないということではありません。高音域へのチャレンジは、調子のよいときは中心課題にするとよいでしょう。そのために悪い影響を与えないことです。やらないよりはやるべきです。

 今もっとも扱いやすい声=ベストの声ではありません。扱いにくい声よりは、理に通っているといえることが多いです。人まねでカン違いしてくせをつけてやっている人は除きます。もっとも出しやすい声は違うので、それぞれで決めていくことと思ってください。

 

〇声区融合

 

声区融合の問題については、あまり本やネットなどをあてにしないことです。現場では一人ひとり全く異なるからです。

 ちなみに、私が高音のトレーニングや理論にあまり触れないのは、思い違いをする人が多く、正しく伝わらないことと、一人ひとり、のどが異なっていて、一般的に述べられる基本の範疇を超えることが多いからです。文章での伝達の限界を超えて、方法を与えるのは、よくないと考えているからです。

 トレーニングの評価は、それぞれに異なるので一くくりにはできませんが、何にでも万能のような方法は、一個人にとっては、有効ではないでしょう。トレーナーが[メニュ、方法]として使うには、便利ですから、安易によく使われていますが)。

 一般的に全体的なこと、半分くらいの人にあてはまる初歩で基本は述べられても、その応用や一個人に対する的確なアドバイスは、本人をみずに、無理なことなのです。それゆえ、私は読者には、いつもレクチャーの場を開放しています。

高い声は、舞台に通じるように音声のコントロール=調整に重きを置かざるを得ません。それで大きい声量のように条件を変えるトレーニングにはなりにくいものです。声楽を応用して、充分に対応しています。

 中低音域での声の問題を、徹底して洗い出すことです。力をつけていくときに、高音域や地声―裏声の切り替えが一時、うまくいかなくなることは、珍しいことではありません。

 最初はギアチェンジのように考えましょう。低いところを一通りできてきたら、高いところをやり、中音域をやって、繰り返していくのがよいと思います。長期的な目的が見えない人と、高い声の切り替えがやりにくくなって、不安を感じるでしょう。

 繰り返しの中で、鍛えられ、調整能力も高まって、ギアがスムーズに切替られるようになっていくのが理想です。

 

〇太い声

 

 ここのところ、私共のところには、歌手も含め、中低音の太めの声で説得力を求めにくる人が男女ともに目立っています。アナウンサー、キャスター、声優なども、高い声でちやほやされた時期は終わったのかもしれません。若く元気で、明るくかわいいような声、子供っぽい声、幼い声、いわゆるアキバ系、アニメ系、フィギィア系の声づくりをした人が増え、飽和状態になったせいもあるのでしょう。

 ようやく本筋(と私は思いますが)に気づいた人が出てきたといえます。

 「小顔がよい」「エラがないのがよい」などという、ガラパコス化した日本人の価値観をどう取り入れていくかに悩みつつも、本道は、表現として説得力のある声でのせりふや歌です。

 

〇声区と喚声点

 

 私は最初から、地声、裏声、チェンジのポイントを決めつけません。チェックしたり、知っておく分にはよく、トレーナーからそういうポイントとなる音の高さを指摘されるのはよいのですが、柔軟に変化していくくらいに考えておきましょう。

 即効的に上達するには、トレーナーの決めたところでチェンジすると早いのもわかっています。しかし、それだけを求めると、表面的なやり方になります。真の基礎の力(呼吸、発声、フレーズ、共鳴)がつくのを妨げかねません。

 常に体操、柔軟、筋トレなどといった基礎をつけるための体や感覚づくりと、試合=Playという本番、せりふや歌での表現を区別しておくことです。

 

〇即効的な成果

 

 即効的に成果をあげるには、固定してしまうほうがわかりやすいし、一見、安定して間違えにくい、リスクを少なくして、早くうまくこなせるようになります。声の実力を求めないアイドルには、その人の器の中での使い方、見せ方を徹底して教え、早くうまくします。私はヴォイスアドバイスといって、ヴォイストレーニングとは分けています。多くのヴォイストレーニングは、そこでなされているのが現状です。どちらがよいというのでなく、目的によって異なるのです。

 そんなことなら、日常、スポーツをたしなみ、元気に歌ったり叫んでいたらよいことです。芸としての、アートとしての表現に耐えるものにするには、プロセスで厳密な判断を伴うレッスンが必要です。一時、ステージのため、何かを固定しても、必ずそれをはずしていきます。いつか自由に解放しなくてはならないのです。

 方法を覚えていくことでは、成立しません。トレーナーに教えられたままの歌がうまいようでもつまらないのは、どこかで聞いて知ってください。

 トレーナーが悪いとは申しません。そういうのをレッスンだと思い、手取り足取りすべていわれたままという取り組みの意識の問題です。

 表現に耐えうる基礎は繰り返し、紙を重ねていくような地道な作業なのです。

 それを支える毎日があるか、そこでのどや声が変わっていく、重なっていっているのかを問うてください。トレーナーを問う前に、自分の日常での声、息、体との接し方をチェックしましょう。

 

〇ハスキーな声と喉の痛み

 

 ハスキーやのどの痛みの問題は、教科書的には、トレーナーや医者は、警告して本人に注意を促すべきでしょう。もともと声がハスキーな人も、ハスキーな歌に味がある人もいます。

 私は判断の基準として、「再現性」(同じことがどこまでの精度でどれだけ繰り返せるのか)でみると述べました。今は、その日だけでなく、23年後、5年後まで視野に入れています。

 若い人や経験の浅いトレーナー(ドクターなら)は、次のようなリスク回避のアドバイスをしましょう。

 

1.声量・声域を無理しないこと(特に高い声での大きな声やシャウト、かすれた声を制限する)

2.練習時間は、より短く集中的にする

3.発声前に充分に準備、発声中での柔軟、脱力をする

4.発声の間での充分な休みをとる(休む回数を増やす)

 

 これは、「初心者のトレーニングの注意事項」にそのまま当てはまります。

 プロであっても、調子のよくないときは、初心に戻り、心掛けるとよいことです。

 

〇音色と声量優先

 

 私は、表現としては声域より声量、共鳴より音色を重視しています。多くの人の関心は、声域(高い声)と、その共鳴に集中しています。トレーナーもそれに応えようとするので、さらにそこを強調せざるをえません。

確かに高い声は、筋トレや呼吸のトレーニングだけではうまく出せません。単に出すだけでなく、そこにコントロールや音色を伴わせたい、伝わる表現を目的にするなら、そうなっていきます。最高音の高さや声量は抑えられてくるのです。フレーズやメリハリのように、声のコントロール力のほうがずっと大切です。

 美しい声、キレイな声、単に高い声は、先天的な要素が大きいです。トレーニングで可能性をつかむなら、素質よりも鍛錬で示せるところに、目的をおいたほうがよいというのが私の考え方です。個性ある声であり、音色やフレージング(声の動かし方)です。

 歌のレッスンには、メロディ(音程、リズム)、詞ばかりに、ヴォイトレには声域、声量ばかりに目がいくものです。大切なものはそれではないと気づくことです。

 

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〇喉の専門医との違い

 

 いつも学者や医者といった専門家に次の3つのことを聞いています。

1.最近の最新の知識

2.心身(特に喉)とトレーニングとの関係

3.私の喉

 

 医者と私たちは、相手とする対象も目的も違います。「声のしくみ」をまとめたときも、のどという楽器が生体であることで、医学、生理学や解剖学、心身や発達学、運動科学、および声の共鳴としての物理(音響)学や心理学などが大切なことを知りました。そして、まだまだよくわかっていないことがたくさんあることを改めて気づかされます。

 

 私は、最新といわれる理論、理屈、知識に振り回されないように警告してきました。

 のどの病気になれば医者に行けばよいし、調子が悪ければヴォイストレーナーをつければよいのです。医者は免許があり、比較的、基礎とする知識がわかりやすいです。それでも、専門としてキャリアを積んでいる領域は個々に違います。

 

〇音声の専門医とヴォイトレ

 

耳鼻咽喉科というのは幅の広い分野なので、音声専門で診ている医者を訪れたほうがよいでしょう。変な例えですが、同じ税理士でも、相続問題を扱ったことのない税理士に相続手続きを依頼すると時間がかかり、成果も芳しくないでしょう。それぞれ専門や強みとしていることは同じ資格のなかでも全く異なります。その後の経験によっても全く違ってくるものです。

 まして、資格もないヴォイストレーナー稼業においては何をいわんやです。ちなみに私のところは最近、医者の治療の後や言語聴覚士のところと併行していらっしゃる人も増えました。医者の紹介でいらっしゃる人もいるので、他のトレーナーよりも、慎重に医療の現場を知って、行なう必要が増えてきたのです。

 医者の目的は治すことです。しゃべれなくなった人はしゃべれるようにする、社会復帰のために最低のレベル、できたら人並みを目指し、発声の障害や痛みの原因に対処します。戻すのであり、力をつけるのではありません。トレーナーは、力をつけるのですが戻すだけのレッスンもよくあります。

 のどの手術の是非などについても、医者の見解は分かれます。しないですむならしないほうがよいというのは同じです。しかし、ずっと悩み、他の手段で、いたずらに時間がかかるだけなら、手術のほうが根本的な解決としてよいときもあります。悩みや時間、費用というのにも患者さんの考え方や感じ方に大きな差があるので、一つの答えに絞れません。目をよくしたい、でも皆が皆、レーシック手術を受けるわけではありません。費用や時間だけの問題ではありません。

 

〇器質的障害と医者

 

 医者の多くは声帯をみて異常を判断します。結節やポリープなら、のどの病気です。しかし、これらは生命には異常ありません。

 発声に対して楽器としての限界が「物理的」「生理的」にある場合は、声帯の緊張度を高め、発声しやすくする手術もあります。声を高くしたい、性同一障害の人(男性女性の場合)には朗報です。ただし声域は、移行するだけで、低いところが出しにくくなるので広がるわけではありません。けいれん性発声障害などにも即効的なようです。 専門のことは、医者によっても見解が違うので、ここでは述べません。

 医者は、のどという部分への処方をするだけです。そこで歌手や俳優が必要とするのどがつくられるわけではありません。発声と呼吸や共鳴は全身の筋肉や神経も関係しているのですから、いわば楽器のメンテナンスにすぎないのです。

 そこで、私たちのようにトレーナーが引き受けるにあたり、トータルでのトレーニング計画が必要となります。そのトレーニングは、一人ひとり異なるもので、これまでにないものを求める分、処方が難しいのです。

 

○日本の治療とアートの力量

 

 日本ののどの手術の技術のレベルは、世界でも一流です。それなのに、のどを一流のアーティストレベルに使いこなせる人や、それを教えるトレーナーのレベルは、まだまだ低く、忸怩たる思いです。

 まず

1.声のトレーニングの成果が、トレーナー本人にも一流というレベルにまで出せていない(ここでは声についてで、その応用の歌唱力や演技力は含めません)。

2.トレーナーの学んできたやり方や得てきたやり方が、相手によってどういう結果が出るのか詳しく検証がされていない。

 トレーナー本人の声もまた獲得したプロセスを分析し、本人が把握しなくてはいけないのです。これがかなりの難問です。

 少なくとも自分ののど(体も含め)を知ること、次にトレーニングのプロセスと結果を記録して、比較していくことです。しかし、それをやってきた人はほとんどいません。

 

〇自分の喉の分析

 

 私は十代後半からの10年にもっとも集中してトレーニングをしたのですが、今の年齢で始めて、同じように10年後を比べたら、同じ毎日のトレーニングができたとしても、決して同じ結果にならないはずです。体や心が、他の楽器の習得よりストレートに影響するのも、やっかいな問題です。

私は、10代半ばで丸2年間で、毎日水泳をしたら、まわりの人よりも細かった肩幅が広くなりました。こんなことは20代以降では起こりえないでしょう。

 私は今回、「自分の声帯の写真」を複数の医者にもらいました。が、「異常がない、医者には通わなくてよい」ということしか、表れないのです。のどを含めて他人に接する以上、自分ののどについて知っておくことは当然のことです。(声帯の写真で、のどを知ったとはいえませんが。)

 医者が呼吸や共鳴を医学的な機械を使ってみたら、もう少しわかるかというと、トレーナーの見立てを最低限のレベルで証明できたら、かなりすごいといえるでしょう。

 

〇研究所の分析

 

 私は科学的な声紋分析に鈴木氏と共著で出すくらいに関わりました。よい歌い手の理由をグラフから読みとることはできますが、それを元に声を判断したり、それを目安として育てるには、無理があります。

耳ですぐれた判断力のある人の、聞いて判断する力に及ぶことはないでしょう。本研究所にも、同じ機材があります。

 私は例え千分の一でも確かなこと、使えることがあればという期待で接しています。今はまだまだですが、いずれはサポートできるツールになる可能性もあるからです。ちなみに、いくつか簡単なものもつくられています。ゲームや占いの領域のものに過ぎませんから、あまり信じ込まないようにしてください。

 

 西洋医学から発達してきた、日本の医療は、今も、部分的によしあしを捉えすぎます。荒れたのどにステロイドを処すれば、きれいに声がでて歌えるようなのは、そういう面では最大の効果といえます。緊急の処置としては、こういうことを知っておくことは助けになると思いますが、体と心とのメンテナンスの一環として留めておくことです。

 

〇トレーニングの現場において

 

長期に最高のレベルを目指すためのトレーニングでは、もっと全体的に捉えなくては、多くの場合は行きづまってしまいます。その結果が今の日本の声の実情です。

 私のところには半数近くの人は、私や他の著者の本を読んでいらっしゃいます。本を読んだ上での判断は、何の情報もないよりもトレーナーの方針、考え方がわかるのでとてもよいことです。

 しかし、レッスン中やトレーニング中に、理解する頭を切らなくては、囚われてしまい、効果が半減するところが方向を違えてしまいかねません。

 ことばは大切ですが、そこからのイメージがもっと大切です。イメージからことばを選びつつも、一通り頭に流したらあとは忘れるようにお勧めしています。スポーツと同じで、頭で考えるのは必要とはいえ、考えて動かすものではないからです。イメージや感覚を磨いて心身がうまく動くような条件(もっともよい反射回路)をつくっていくのがトレーニングともいえるのです。

 

〇動くことから

 

 私がこのところ警告していることは、理屈で考え納得しないと動けない傾向がますます高まっていることです。理解や納得のために行動するのでしょう。若い人は自分のもつ独自性からの才能の発揮よりも、何でもよいから「他人のようになりたい」「周りにすぐに認められたい」というほうにどんどん偏ってきています。

 

ワークショップもレッスンも、今の医者の治療のように同じくマイナス面をみて、そこをゼロにすることに焦点があてられることになりつつあります。心身をリラックスして、状態がよくなれば、しぜんなあなた本来の声が取り出せる、そこまではよいとしても、それが目的のようになっているのです。それは、前提であっても、最低条件の一つにすぎないのです。一回だけ、もしくは毎回、その日の成果で問われるようでは、トレーナーはそのように本人がわかる効果をあげることに専念せざるをえなくなります。ともすれば、本質をみえなくしてしまいます。

 

 例えてみると私が、ビジネスマンの研修で「早口ことば」を使うのと似ています。それを100回もくり返せば、これまでつっかかったこともいえるようになります。それを効果と思ってくれますが、やらなかったことをやっただけですから、声として伝わる力は変わっていないのです。

 トレーナーがメニュのその人に対する意味をこういう位置づけと知って相手に合わせるのはまだよいのです。こちらに寄せられるトレーナーの質問をみると、それさえ把握していない人が多いのです。質問するだけ問題意識があるからよいともいえるのですが。

 確かに、マイナスはゼロにしないと、そこが前提なのだから、それが第一歩という考えもあります。しかし、ゼロになることをいくら続けても、それはゼロであって必ずしもプラスにはならないということがわからない人が多いのです。

 

○スタートとゴール

 

 研究所のレッスンでは、本人の希望があればムチャなことでもやってみます。そこで得られた即興的な結果で満足されるならそれで終了ということもあります。

 声は正解があるわけでなく、求める程度問題です。いらっしゃる人がもう充分といったらそれでよいとも思うのです。そうでなければ、私やトレーナーも、そういう目的をもっていらっしゃる人を最初から受け入れないという、大変に無茶なことをしなくてはならないからです。

 本来は前提条件を整えながらも、トレーナーはその人の最終的な目的とする表現へのプロセスをシミュレーションして具体的なメニュ方法を考えていきます。実のところ、試行錯誤で、その可能性や限界に見通しをつけられないこともあるものです。

 スタートラインにつけるのは、ゴール設定をするためです。なのに、本人はともかくトレーナーもスタートライン(そこは医者にはゴールですが)しかみていないことが多くなりました。歌やせりふについても、トレーナーのレベルによるのは、スタートラインなのにゴールになっているのでは、先がないのです。

 

〇養成所とスクール

 

 トレーニングの前提とするスタートラインについて、医者とアーティスト、トレーナーの見解は違います。医者が6ヶ月の休養というと現場では2ヶ月、私は1ヶ月、すぐれたアーティストは12週間の休みで復帰しています。リスクはありますが、自己責任で、ギリギリの感覚を自ら知っていたら処方ができるのです。

プロのスポーツ選手は、すぐれたトレーナー、一般の人なら6ヶ月の休みの必要なケガを1ヶ月くらいで治し、ゲームに復帰できるのです。

 人間の大きな可能性を一般の人、それよりも劣っていたかもしれないがために、のどを損ねた人を基準にするなら、リスクの大きい分、医者もトレーナーも慎重にならざるをえません。私がそれを養成所とスクールの違いとして述べてきました。

 

〇一流のプロに学ぶ

 

 トレーナーは一流のアーティストに接して、その資質や声そのものを学ばなくてはなりません。本当に大切な鋭い勘や判断力が磨かれません。私がここのトレーナーにプロをつけているのは、そこから学ばせたいからです。

 

 医者もトレーナーも長く経験を積み、そこから学ぶと、決して部分的な処方を全体的な調整や条件づくりよりも優先しないはずです。決まったやり方でなく、多様多彩なやり方をします。体も心も、人は部分が組み合さっているのでなく、全体で一つなのです。

 初心者や一般の人には、体力づくりや柔軟運動が、のどでどう出すかよりも大切です。ヴォイストレーニングよりも、心身を鍛えたり整えたりするほうが、声に効果的です。私はそこからお勧めしています。引き受けたら、すぐ発声を学ぶのがよいことではないのです。

 イメージづくりのほうが、のどの使い方やならし方にこだわるよりも大切です。そこに、優れた判断力のあるトレーナーの力が必要です。

 

〇こだわりをなくす

 

 声に問題のある人は、リズムや音程に問題のある人と似て、一つひとつにこだわりすぎることが少なくありません。トレーナーの指導下でも一つひとつ自分で「合っている、間違っている」とチェックするような人です。トレーナーにもいますが、医者の取り組み方に似ています。

 もっとも大きな根本的な問題は、そこまで生きてきたところでの感覚(聞き方)とその処理のしかたの不適合です。それは、よいものを入れて、感覚から変えていくのです。

これまで日常であったものを少しずつ入れかえていくので、時間もかかります。補強すべき体や心の鍛錬も時間がかかります。しかし、続けることでしか変わりません。何事であれ、続けることで人は気づいたり体得して変わります。ようやくこれまでにない大きな能力を得ます。

 

〇できても身についていない

 

 「外郎売り」や「早口ことば」も、本質的なことを知っていていわないのは騙すようなものですから、次のように説明しています。

 「今日復習をしないと明日忘れて、あさって、ひっかかります。1週間続けたら、1週間もちます。忘れないために毎日2年間続けたらほぼマスターできます。忘れても、今度は半分以下の時間で、できるようになります。35年と続けると声もよくなっていきます」

 アナウンサーをみてください。アナウンスのスクールで2年ほど練習して入社できたとします。半年後か1年後にTVに出たときは、口をはっきり開けて、伝えるのが精一杯です。ヴィジュアルの表情の力も借りてもたせているので、少しでも噛んだらとても目立ちます。(表情で話力をカバーできるかわいさ、かっこよさで選ばれます。日本ほど同じようなタイプのアナウンサーがそろっているTV局は、海外にはあまりないでしょう。)

 2030年後まで残ったアナウンサーは、口はさほど開けていないし、少し噛んでも聞き手にはわかりません。声にも個性が出て魅力的になっています。話だけでなく声のトレーナーとしても通じるほどの人もいます。

 発音に引っかからないようにいえることは前提ですが、目的ではないのです。声をよくすることは別です。ですからアナウンサーがここに通いにいらっしゃるのです。ここのトレーナーは、発声共鳴にそった声色中心に、何十年もかけずに変えていくお手伝いをしているのです。

 

〇声以外の強化

 

 私は十代で近所の声楽家(ソプラノ)の先生がつきました。今と同じくらい高い音は、何とか出たのですが調子によってうまく出たり出なかったりでした。共鳴をみけんにという、声楽の教科書の教え方です。今でも一般的に行なわれていますから、「間違った教え方」とは思いません。心身の状態のよいときは少々よくできて、よくないときは、できなかったのです。

 初心者が心身の状態によって、できが左右されるのは当然です。今の私であったなら、その最高音は、心身の状態のよいときだけ出し、そうでないときは、痛めないように無理をしなかったかもしれません。ある程度は、のどを鍛えるつもりで、挑戦していました。私の場合は、スポーツで心身は人並み以上でした。高音に関しては、調整でよいでしょう。一般の人なら、少々鍛える必要があるのですが、高音を使って行なうほうがよいかどうかは、タイプによるでしょう。

 基本となるヴォイトレにおいて、声のよしあしよりも、声を出すことやそれ以外のトレーニングで声を出せるような心身の調整やより必要なものの強化が、積み重ねられているかということです。

 呼吸、発声、共鳴が変わるのは、そのイメージ、感覚、それを支える体や心が変わっていくということです。

 

〇トレーナーの盲点

 

声楽家や歌手のなかには、自分がすぐれている(そのために苦労せずにできた)ために誰でもイメージ=使い方だけで声が変わると思っている人がいます(いろいろ変わるのは確かですが大体どれも使えない)。そういうトレーナーは同じ優れたレベルの心身条件をもつ人にはよいのですが、一般の人にはなかなか通じません(自分よりも長い時間をかけても自分並みに育てられないトレーナーが多いのは、自分よりもへたな人しか教えていないから、そのことにも気づかないのです)。

 

○体で覚える基本

 

 なぜ2年やると次は忘れても早くできるのかというと、頭でなく体が覚えたからです。車や自転車の運転と同じです。ですから、私の最初の声楽の先生は優秀ゆえに声を正していくことしか頭になかった、長く通っているうちに呼吸が伴ってくるというスタイルです。

 私の心身は、クラブ活動でそこそこ鍛えていたつもりでした。声は他の人より全く鍛えられておらず、声の劣等生でした。声の音色をしっかりとみるトレーナーに会わなければ、人並みの声ももてなかったでしょう。私なりに誰よりも時間をかけて、息や声を鍛えていったので、今さら検証はできません。

 

PS.2年間というのは18時間です。2年間では5千時間。発声は12時間とすると、8年間かかります。1時間としたら、16年間というところです。20歳で始めたら、30代半ばに整うというのは、オペラ歌手なら大よそ合っているのではないでしょうか。

 

〇指導のプロセスのチェック

 

 私の研究所では、複数のトレーナーで指導を分担してきました。私の指導の判断は、誰よりも多くの人の声だけでなく、トレーナーの指導のプロセスをも長年にわたりみてきたことです。結果を捉え、絶えず検証してきた経験からきています。

 ここからは私論となります。のどの状態をよくすることは、ワークショップで心身を使える状態によくすることと同じで、即効的なものです。他の人が調整するのは、医者の処方するステロイドと同じです。マッサージも同じです。

 そういうことを体験した人が、同じことのくり返しの後、ここにくるのは、同じことのくり返しと気づくからです。あるドクターのことばでは「パッシブで、アグレッシブでない」ということです。そういうことでは不毛です。 

トレーナーや医者が、あなたの心身や声の状態を一時よくしても、その日は声の調子はよくなりますが、日が経てば、同じに戻ります。自分で変えたのでなければ、何かを得られたのではないのです。気づいてくるから、伸びます。

 

〇タフな声のフォーム

 

 子供がバッテイングセンターでうまく打ちたいなら、誰かにフォームを手とり足とり教えてもらえばよいのです。ややムリな体勢だと思えても、モノになれば、それなりにいけそうなフォームになります。しかし、その人がいなくなれば、大半は元のフォームに戻ります。ムリな体勢と思うのは、それを支える体、筋肉、感覚がないから、元の自分のバランスに戻るのです。ムリがしぜんになるまで、何かをしなくてはならないのです。それがトレーニング、あたりまえのことです

 声についても同じです。多くの人は、声が出やすいフォームでなく、立ちやすい姿勢、楽な姿勢で生きています。その日常性を変えるのは、他人の手を借りても一日ではできません。そういうレッスンやそういう治療に意味がないとはいいません。整体やカイロで調整して、とてもよいパフォーマンスを得る人もいます。

 

 私は最悪の心身状態、のどの状態でも仕事をせざるをえなかった経験上、あまりに不安でないかと思うのです。私自身、他人の手や自分の心身の調整のよしあしで左右されてしまうような、不安定かつ頼りない声では通じない年月を生きてきたからいえるのです。アーティスト以上にトレーナーも自分の声に責任をもたざるをえないのです。ですから、私がプロの人に求めるのは、そのくらいにはタフな声です。

 

〇強い必要性

 

 リピートと空回りは違います。整体やカイロに通うよりも、それから脱却できるように考えてみてはいかがでしょう。お金もバカになりません。リラックスのトレーナーのように、相談相手が欲しいというなら、それもよいでしょう。

 サプリやマッサージには頼っていません。それがよいのでも偉いのでなく、時間とお金の使い方です。のどの管理は、心身からです。管理や保守、守るより、ますます強化する、鍛えるという攻めのことばのほうがよいですね。

 いつも医者に通わざるをえなくなっている人は一度、相談にいらしてください。違うお医者さんをお勧めすることもあります。

 多くの人は、調整より強化、状態より条件を変える必要があります。そのことをわかるために、オペラや声楽という大上段の目標から強い必要性を与えます。遠回りのようで早い、確実です。基本、基礎とは、本人が習得できてから気づくしかないのです。そして、いつも誰もが問うことです。

 

 

Q.息や声の深さを自分でわかるという目安はありますか。

 

〇息と声の深さ

 

お一人ではどうでしょうか。身体が動くようになってきたら、一体感があること、息だけや声だけなら、私やトレーナーと、どれかのトレーニングや息や声を出し合って比べるのも悪くはないのですが、人と競うものではありません。過去の自分よりも力がついてきたらよいでしょう。息吐きは、耐久力でもみられますが、やりすぎると危険です。

 表現の必要性によっても違うので、ゴルフ選手になるのに100メートル走や腕立てを競うほどのギャップがあることではないでしょうか。もちろん10メートル走るにも息がもたないとか、腕立てが10回もできないという人は、プロのゴルフ選手にはいないでしょう。プロでも70歳くらいになればわかりませんが、ゴルフは極めてメンタルにも負うので少し似ています。

 体と技術はあるところまで相関すると思います。身体としてなら、フィットネスジムやパーソナルトレーナーの基準でよいでしょう。総合的に捉えるか、過去の自分との実感でみてくださいということです。

 

〇やさしく歌いたい

 

Q.プロ歌手のようにやさしく伝わるように歌えません。どんなトレーニングが必要ですか。

 

これは結構、答えにくい問題です。歌手のキーにわせようとすると、それが合っていないと、遠回りになります。自分の歌いやすい声域にしてください。小さな声でも「使う声域」をていねいにカバーすること、声に「やさしく」伝わる感じが出るのをつかむことです。

 呼吸法、発声法、レガート、ロングトーンなど、基本トレーニングを徹底しましょう。

 カラオケレベルでなく、プロのようにというのでしたら、強く、大きく、器づくりからはじめないと本当のやさしさは伝わりません。どこかを「やさしく」聞かせようとするのでなく、全体の構成から、相対的に「やさしさ」を出す必要があるからです。

 歌の流れ(フレーズ)と音色(トーン)に注目してください。このバランスを支える呼吸、体をつくりましょう。

 あなたが「やさしく伝わる」と思う歌手を何人か聞いて比べるとよいでしょう。まねやすい人からコピーして相違点を学んでください。

 

Q.歌のサビの音をはずさず盛り上げ、しっかり歌うためにどういうトレーニングが必要ですか。

 

〇しっかりメリハリつけて歌うために

 

歌のメリハリを発声からみると、

1.ロングトーン

2.クレッシェンド

3.デクレッシェンド

4.13の組み合わせ

 となります。長さ、強さ、そして変化のつけ方です。ここに、音色(トーン)や、発声の仕方、さらに地声、裏声などを考えると、いろんなパターンがあります。それぞれにトレーニングもあります。

 

Q.一本調子をさけるためにはどうすればよいですか。

 

一本調子は、均等に息も声も伸ばし、均等に切るからです。モールス信号みたいに、メロディの高さと長さだけをとっているからです。イメージの問題が第一、次に強弱フレーズのイメージ、それがあっても声が自由に動かなければ、メリハリはつきません。

 

―      (長)

― - ― - ― - ― - (長短)

 

 一時メロディを壊して、短いのはさらに短く、長いのを25倍くらいにとらせ、まず、長短の差を大きくさせます。次に、その長さを戻して強弱にします。

 曲が壊れてもよいから、思い切ってやることです。そこで何かインパクトがなければ、正しく合わせても伝わらないのです。

 いつも階段のように幅と高さを同じにするなといっています。古い寺の階段のように、味のあるメリハリを出します。最後に楽譜に合わせて確かめていくのです。

 総じて、声量やフォルテッシモのトレーニング中心でよいでしょう。大きく出すのはそれを使うためではなく、より小さく使うためです。

 

〇バランス構成と展開

 

Q.歌うときの緊張と弛緩のバランスをどうコントロールすればよいですか。

 

これはメンタルトレーニングの専門書をヒントにしてください。(rf

 

Q.構成や展開について詳しく知りたいです。

 

私は次の3つでみています。

1.切りかえて、展開させる(ドラマ性)

2.ピークでの働きかける力と納め方

3.結末、エンディングと余韻での印象

 

Q.プロはジャンルを超えて歌えるのですか。

 

アーティストの売り、勝負どころはそれぞれに異なります。全体の捉え方も、一点で勝負するタイプ、全体でならして雰囲気のタイプでは違います。そのタイプと曲との相性があります。

 演歌の人がポップスを歌ってもなかなかうまくいきません。分野を超えて、完全にこなせたのは、日本では美空ひばりさんくらいでしょう。

 「演歌の力」というCDが出ています。演歌歌手が創唱したポピュラー歌手よりうまく歌っているのもありますが、演歌歌手の演歌の完成度には及びません。

 

〇歌唱のテクニックと疲れ

 

Q.歌唱テクニックとは、なんでしょうか。

 

私は、その歌い手特有のオリジナルのフレーズとみています。これが役者の歌と区別するものと思います。大きなフレーズでの中で使われる声質(音色)、これが日本では役者のほうが個性的です。音楽として、それを最大に活かした動きがでると魅力的です。

 

Q.歌唱のテクニックを捨てるというのはなぜですか。

 

一般的には、ヴィブラートやシャウトとか、声の使い方の多彩さや器用さを指すことが多いです。一時、ミュージカルなどによく使われていたフェイクっぽいものなどです。ミュージカルでは音大出身が多いのでオペラのテクニックが流用されています。そこだけが目立って好感が持てません。こういうものをテクニックというなら、否定的な意味になります。

 テクニカルなことに優れた歌手は、たくさんいます。ホイットニー・ヒューストンやマライヤ・キャリーなども、そういう例でしょう。

 

〇感情表現と声

 

Q.情感や心を入れたいので、くせをつけると、つっぱったり、かすれたりします。

 

個性はくせでなく、オリジナリティとはいっています。くせも個性の一つです。私が考えるに、音楽としてはくせは邪魔ですが、人間味、人間性として魅力になりうるのです。しかし、私はその人独自の音色や声のおき方に出ることを求め、それをニュアンスといっています。

 

Q.歌での感情表現は声でつくるのですか。

 

私はエンターテイメントとしてより、ミュージシャンとしての歌い手をみますから、くせや色が音楽のインパクトやスケールを制限するときは、除きます。しかし、それでも出てしまうのは、よいとします。感情や心は入れようとしないほうが、本当は伝わります。つくるといやらしくなり、色づいても飽きられやすくなるからです。

92号 「Q.外国人のような歌い方を習得できるのか、日本人には可能でしょうか。」

〇外国人のように歌えるか

 

トレーニングの目的や位置づけとも関係しますので、まとめてみます。

そのアーティストの声と歌い方、さらにあなたの声と歌い方の相違によってもかなり可能性は違います。日本人もひとくくりにはできないのですが、一般的には、根本的に入っていないことや育ちのなかで入り方が足らないことは、「慣れ」という、もっとも時間のかかることなので、いかんともしがたいところはあります。つまり、その母語で幼少期に育たなければ語学のネイティブになれないというレベルでみると、習得の時期と長さ(1万~3万時間以上)の差という前提があります。

「外国人のような歌い方」というのも、そのアーティストが誰であれ、あいまいにならざるをえません。声がまったく同じ人もいないし、歌い方も全く同じ人はいないので、100%同じことは、難しいというのが一方の極での問題です。声についてを、素材の段階で考えると、まず全く同じ楽器かどうか、バイオリンなら難しくても電子ピアノのなら、100%に限りなく近づけるでしょう。もちろん、同じバイオリンでも一弦と二弦では違います。

歌い方というのですから、バイオリンとビオラのように音色が違っても、奏法やフレーズに共通のものを見いだせるかとなると、どの程度にということになります。

弦楽器と鍵盤楽器、吹奏楽器ではどうでしょうか。タッチやニュアンスは、かなり違います。同種の方が似させられます。しかし、これをクラシック、ジャズ、ロックなどに分けてみると、楽器の音や奏法よりも、ジャンルの方に、似ているという共通点を感じることができるでしょう。

 

〇楽器として分けられない声

 

「私の声と今の歌い方を変えることによって、○○のような声で○○のような歌い方をすることができるでしょうか」と考えると、少し具体的になります。

本来のヴォイストレーニングは、バイオリンで例えるのなら、その楽器の調整ともっともよい音色を出し、それで音楽を心に聞かせられる音の動かし方をできる奏法を身につけるようなものです。この奏法は、とても基本に忠実なものとかなりその人独自のものがあります。ところが、ヴォーカルの歌については、バイオリンのようにきちんと分けられないのですから、

1.楽器としての体づくり

2.楽器から音をとり出すための発声、呼吸、共鳴の習得、これが歌唱の基礎となります。

3.歌唱

と踏んでいきます。この歌唱も、発声の基本に忠実なものと、その人独自のものがあります。

 

〇歌のジャンルと歌唱法

 

トレーナーには、よく発声法、あるいは歌唱法を分類してそれぞれの発声をマスターさせるような方もいますが、私のみる限り、どれも中途半端なものまねになっているだけのように思います。私は声を分けて使うのでなく、使った声が人によって分かれて聞こえるというような見方です。一流のアーティストの声の習得過程がそうなのですから、そのレベルに至ろうとするなら、先の12は、ヴォイトレで強化調整しても、そこからでてくるものは、同じになるわけがないのです。

しかし、邦楽の口伝と同じく、洋楽でもあこがれのアーティストをまねしていき、その限界から、自らのオリジナリティへ脱していくのは、一つのプロセスとなります。歌唱のジャンルというのも、比較的、求める感覚や歌い方が近い人でグルービングされているのです。ですから私が、「○○のように歌いたい」という人が初心者なら、すぐにOK、やった分、前よりはよくなります。ただし、長年、ずっとやってきて、すでにハイレベルに似ている人がきたら、よくよく相談して、残された可能性をみてから、OKしたりお断りしたり、ある期間、試行錯誤する、という方法をとることもあります。

 

〇そっくりに歌えるか

 

似させることはどんなものであれ、ある程度はできるのです。まして、基礎的なヴォイストレーニングをしっかりやれば、今よりも柔軟に応用性が増すのですから当然です。しかし、それがどの程度かは、ことばで答えても、何ら意味がありません。ものまねのようにくせをデフォルメしてみないと似ていることがわかりにくいという聞き手もいるでしょう。ここにはものまねでないことを求めていらっしゃるからなおさら、その人の声、声の育ち、音楽性や歌唱レベル、すべてをみても、その歌い方ができているかどうかは、問えることではありません。

ポピュラーからは全員がかなり似ているようにみえるクラシック歌手でも、個々にかなり異なっています。パヴァロッティみたいな歌い方をできるかというと、一流の人でも「できるけど、できない」というでしょう。まして、一流でもないレベルにおいて問うことは、意味はないとしか言いようがないのです。

もし、その歌い方が人生をかけるすべてであれば、こんな回答がどうであれ、その人の声や歌い方がその人の能力の限度まで、それに近づいていくでしょう。また、そのようにトレーニングを利用し、そのような方向へ成果が出ていくでしょう。

 

〇他の人の歌い方のコピーについて

 

私は、すべてにおいてオリジナリティを尊重する立場にいるつもりです。すぐれたアーティストの声や歌い方は、応用されたプレーで、ファインプレーの連続みたいなものです。もしそれをレッスンやトレーニングでアプローチしようとしたら、フィジカル、メンタル、発声の基礎から、自らの感覚や体を変えて可能性を大きくしていくことが何であれ、大前提であるということです。

もし、こうすればその歌い方がマスターできるというような先生がいたら、それはかなり表面的なまねであり、私がさけたいのは、ただ一つ、それをもって目的とするような安易さです。どんな歌い方であれ、ヴォイトレでなく、そのアーティストの育ちや作品への飽くなき追求、努力の結果に形づくられてきたもので、おいそれとできるかできないかで問えるものではありません。

 

〇声の差と可能性

 

「ルノワールのような描き方ができますか」と問われたら、私は、「できると思います」と、答えます。模写の名人になるのも10年以上はかかりますが、本気になって時間をかければ、きっとなれるでしょう。写真やスキャンでとればもっと早いでしょう。とはいえ、これをもって声には限界があるけれど楽器や絵筆なら、誰もがアーティストと同じことができると考えるのはおかしなことと思います。

 

声の差からの可能性のことは、やっていくしかないのです。しかし「私はプロになれますか」と聞く人は、「プロになります」という人の、かなり後方でスタートをまだ切っていないという話をよくしました。確かなことは何一つないのです。

自分の選ぶ眼や、やっていることを信じることです。やっていることを信じられるようになるには、かなり大変です。誰よりも、人の何倍もやらなくてはいけません。そのようにしてしか、何事もやっていけないのです。スタートを切らない人、スタートを切ったのにまた戻る人もけっこういます。でも、早くスタートしましょう。         

 

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○邦楽のトレーナー登用

 

日本のヴォイトレでは、おそらく初の試みとして、邦楽(ここでは歌謡曲、演歌以前のものを示す)のヴォイストレーナーを入れています。ということはもちろん、世界で初になります。

邦楽と私との関わりは、古く、90年代から、端唄、小唄、浪曲、長唄(詩吟)、能の謡などの師匠やそのお弟子さん、あるいはそこへ入門なさった方々に接してきました。以来、竹内敏晴氏のような先達を参考に対処しつつも、洋楽、声楽などのようなオーディションやプロという基準もなく、結果について充分な検証ができないままにきたといえます。

ここのところ詩吟や能のヴォイトレに、私自ら出向くようになったこともあり、また研究所にも年配の方で趣味で長く続ける人もいらっしゃるようになり、新たに和から日本の伝統芸からのヴォイトレを加えていきたく存じます。

オペラや洋楽の歌唱においては、ここ30年ほどさしたる成果を日本人は、少なくても世界に冠たる他の分野の成果と比べると出せないでいるといえます。もしかすると、オペラやポップスなども、欧米からグローバルに普及したなかで、日本人の声だけとりのこされてしまった危惧を覚えざるをえません。一方で日本の古典芸能の声の先行きも安心していられる状況ではありません。もちろんそれは声だけに限りませんが。

邦楽は、師匠以外のところへ学びにいくのは、もともと厳しい状況におかれてきました。それでも、技能向上や真理の追究に先駆者となる人は必ず現れるものです。

 

○次代の先取り

 

研究所は、次代を先取りするというか、旗を高くあげているので、次代のニーズのある人が、先にいらっしゃいます。つまり、一流、プロ、その弟子、最後にその入門者や初心者となるのが、これまでのパターンです。落語やお笑いの芸人も、邦楽も全く同じ流れです。

 

〇劇団からのニーズ

 

声優とともにミュージカルや劇団のベテランがよくいらしているのは、いくつかの理由があると思います。

そのひとつは、自分たちの教わってきて鍛えられた方法では、若い人は育たないということです。その限界をふまえて、若い人や弟子をよこされる人もいます。本人自ら、よりよい指導者になるために学ばれるためにいらっしゃる場合もあります。もちろん、一方で本人の声そのものの可能性をよりつきつめるという目的もあります。「若い頃のように声が出なくなったからと」いう人も少なくありません。

 

〇本番とヴォイトレ

 

現実面において根本的なトレーニングほど、舞台ステージングとどう両立させるかは、最大の難問です。そのため多くのレッスンでは、これまで私が述べてきたように状態をよくして調整することで終始しせざるをえないのです。

大切なのは、明日の可能性より、今日の舞台ということが、現実としてあるからです。

しかし、そこまで追い込まれてしまうと、トレーニングも難しくなります。私はいつも、そういう状況になるまえ、(デビュー前、や活躍前)がベスト、あるいは、もっとも調子のよいときに何年か先のことを考えて、少しずつでよいからレッスンに通うことを勧めてきました。でも、プロの人は声を損ねたり、下り坂になっていらっしゃることも多いので、両立については、個別に多くのことに対処することになります。

 

〇邦楽と声楽のヴォイトレ

 

オペラで40代が最高といわれている声について、邦楽では、50代、60代でひよっ子、7080代でさらに最高の声を出しているのは珍しくないのです。まして、日本人でしたら、日本の風土や精神に合って形成されてきた邦楽の声づくりをヴォイトレに加えるのは、私の長年の夢でした。

邦楽にはヴォイトレはありません。作品を師匠からの口承(口伝え)にて、直接コピーしていくのです。この一見、無謀と思われる試みが、本研究所のいろんな経験と歴史の上でようやく準備できたということです。

 

考えてみるまでもなく、ここのトレーナーの大半は、二期会レベルの声楽家でオペラを本業としているのに関わらず、オペラそのものを教えているのでなく、オペラの発声のなかの声の基礎としてのヴォイトレを教えているわけです。(オペラを学ぶ人も少数いますが)

つまり、邦楽においてもそれぞれの表現として問われる歌唱や発声は大きく異なります。能などは流派も多く、それぞれによしとされる声も異なります。

 

〇日本人のヴォイトレと邦楽

 

私は、これまでも邦楽の表現には、タッチせずに、その声づくりに声楽やどちらかというと洋楽よりの発声からきたヴォイトレを試みてきました。そして、一定の成果を声づくりでは出してきました。(邦楽独特の音感トレーニングについては、さらなる改良が必要と思っています)

腹から出る体、呼吸、共鳴づくりや発声のコントロール、などについて、人間の体という共通の基盤をもって強化、調整をしてきたのです。

今度は、その逆を行うわけです。ただ、あまりにくせの多いそれぞれの歌唱表現については、保留にします。ことばよみ(詠み)や声だしのトレーニング、つまり朗じるところから入ります。とはいっても、元々私のテキストには、日本の詞、詩歌や落語がたくさん入っています。特に歌舞伎の口上、香(具)師の口上(もの売りの口上のこと、「外郎売り」、ガマの油売りなども含まれます)などは、和の発声、まさに長唄や詩吟から入った方が近いともいえます。

役者や声優、あるいはビジネスリーダー(経営者やマネージャー講師など)にとっては、日本の合唱団のようなキレイな声よりも、こういう人の心をぐっとつかむ、しっかりとした声が必要です。

講談や浪花節(浪曲)などは、日本では、話の手本であったのです。かつては寺子屋で漢詩を吟じ、大学の弁論部で弁舌を鍛え、政治家になった人もいました。

 

歌と語りが大きく離れてしまった今こそ再び、声としての統一をはかりたいと存じます。オペラもミュージカルも歌いあげるのは日本人だけ、本場、もしくは一流レベルでは、もっと語るように叫ぶようにしゃべるように演じられているのです。それは、まさに歌舞伎、狂言、能から学ぶべきことでもあるのです。

 

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Q.低音トレーニングで高音が出なくなったのですが、どうすればよいでしょうか。

 

〇低音のトレーニング

 

低音と高音とは、ギアの切りかえのように考えてみるとよいといわれます。ローのギアでは、速く走れません。これは、胸声と頭声というひびく感覚の違いのところでも起きます。ただ、初心者の場合は、どちらも、ギアがきちんとはまっていないことが多いので、本来は、低声、中声、高声、どこでももっとも理想的に出せているところで、発声の基本となるフォームをつくってから応用していくとよいでしょう。

 もっとも、のどに負担がかかっていない声をみつけることも、わからなければ、低い声、高い声のどちらが得意な方からやりましょう。それもわからなければ、いつもの声が他の人よりも高いか低いかで決めてもよいし、思いっきり低くして出せるのなら、そこから始めるとよいでしょう。ここは大切なので、トレーナーにつくことをお勧めします。

 あとは、低音を主にしてから高音を伸ばす、次にその逆をすることです。目的が声域を拡げることか、声質、発声をよくするかによっても異なります。とはいえ、低い声ばかり使うと、低く出しやすくなり、高く出しにくくなるし、高い声ばかり使うと、その逆になります。

 要は、その高低のレンジの移行を繰り返し、声質、発声がよくなり、声域も拡がっていくことが重要なのです。その判断は、結構難しいといえます。

 これをギアの使い方で覚えるか、オートチェンジのように一つのギアでやれるようにするかもそれぞれに違います。一般的には、どちらもできるようになれたらよいのです。

 

Q.芯と共鳴の関係がつかめません。

 

〇芯と共鳴

 

声の芯、ポジションは、抵抗(感)のようなイメージです。共鳴、ひびきも波動現象ですから、音波としてとらえられますが、トレーニングで使うには、あまりそういう感じにはなりません。

 ビブラートの違いで1秒間に音圧や高さ(pitch)がどのくらい規則的に変化するかというくらいで、これも測定でなく、人間の耳、つまり聞く脳で判断するしかありません。この関係は、頭声と胸声という、共鳴していると感じる体感でのポイントのようなものです。

 つまり、一人のトレーナーとその生徒さんの間での、ある発声での共通のキーワード(指標)として使っているものの一例です。私の場合も、頭胸の一直線上のどこかに中心を感じるレッスンを行なっています。(「ヴォイストレーニング基礎講座」参照)

 声楽家などは、頭部のどこか(ひたい、頭頂部、眉間、頬骨など)に共鳴を集めて、そのうち頭部とつながってくる感じで捉えているのでしょうか。一流の発声を聞き取って、いろんなイメージをもち、豊かなイマジネーションで自分の発声に当てはめていってください。

 

Q.声は生まれもってのものなのですか、変わるのですか。

 

〇本来の声と個性

 

声には正誤がないという例として顔と同じと述べています。流行や、なんとなく時代や地域でよしあしはあっても、一人ひとりの声や顔に間違いはありません。顔もDNA、肌の色や紙も、遺伝的な要素はありますが、その後の育ち、環境や習慣によって大きく変わってくるのです。

 人は必ずしも自分の顔や声で職を選ぶわけではありません。しかし、双子でも、一人がホテルマン、一人が魚屋さんになったら、20年後の声は全く異なっているでしょう。

 私は、生まれつき持っている条件と、育ちで持つようになる条件とを研究しています。トレーニングを行なう状態での個別の違いは、当然レッスンの方法やペースにも関係するからです。

 医者や学者に会うのはそのためですが、一般的なことは少々わかりますが、高度なトレーニングをしていく人(トレーニングが日常から切り離せない人から、その状況で育った人も含む)には、当てはまらないケースが多々あります。

 何をもって同じか違うかということと、違うと同じとは、どの範囲のことかということになるので、声の使い方で声はかなり変わって聞こえるし、声そのものも変わっていくこともあります。

 

Q.「呼吸のとき、横腹は動くのですか。」「息吐きのときに、お腹は出るのか、引っ込むのか。やわらかくなるのか、硬くなるのでしょうか。」

 

〇呼吸とお腹

 

これも一言では答えにくい質問です、実践の方からいうと、あまりこだわらない方がよいことです。自分の表現を支えるに足る呼吸のコントロールができていればよいことだからです。

 トレーニングというプロセスでは、部分的、意識的に行なうので、力を入れたり、入ったり動かしたり、出したり引っ込めたり、いろんなアプローチがあります。トレーナーによってもかなり考え方や、やり方や、チェックの仕方が違います。武道や健康法、美容などまで入れると、さらに呼吸法についてさまざまな手段がとられてます。それらを正誤で分けて考えることはできません。

 腹式呼吸についてのことを聞いていらっしゃるのでしょうが、それも、いろんな意図的なプロセスを使って、しぜんにできていくよりも早く成し遂げようとするのが方法やトレーニングです。人によってかなり違うともいえます。

 結論としては、どんなプロセスを経ても、最後には自由に変じられるのがよい、つまり、しぜんを人工的に大きなしぜんに導いていくようなイメージだと思ってください。声と同じく、一流の域では、呼吸も相手に感じさせない、しぜんでシンプルなものになっているのです。

91号 「レッスンとトレーニング」

○喉の限界

 

 レッスンでは 1.状態をよくする(そのためのチェック) 2.強化する(そのためトレーニングのやり方)

 強化について、自分でやるときに気をつけることは、喉の負担の限界です。声楽家は、発声を学びはじめても、20代そこそこで大曲やダイナミックな表現をすることは避けます。先生から勧められません。ヴォイストレーニングも同じことです。

a. 喉の弱い人

b. 喉を壊した人

c. 喉を壊した後の人

は、特に注意を要します。同じトレーニングでも、人によって対応力が違います。

 

○喉の目安

 

 喉については、一般の人よりも体力や筋力、その他の能力にすぐれていても、強くない人もいます。

 トレーニングのあとに声が出やすくなるかが、一つの目安です。

 多くのレッスンでは状態を整えるので、声は出やすくなるはずです。ただし、それに対応力のない人や強化を目指したレッスンでは、しばしば、のどが疲れて、声が出にくくなります。理想的には集中できる時間内だけ、ゆっくりと休みを入れながらトレーニングを行なうことです。

 

○調整の必要性

 

 喉は、心身が疲れたり、よくない使い方をする方が声が出やすかったり、せりふや歌に感情が入りやすかったりするときがあるので、判断がとても難しいです。

 若いトレーナーや、あまり経験のないトレーナーは、現状に左右されて、なかなか聞き分けられません。そういうトレーナーは、自分の喉にもよくないので、強化よりも調整だけを教えることに専念するのはやむをえません。

 ポピュラーの歌ではハスキーな声も、喉声も許されます。だからこそ、そうでないヴォイストレーニングで調整することが必修と考えるべきと思います。

 

○可能性と限界

 

 トレーナーとしては勧められない、禁じたいようなトレーニングでも、その人が鋭い感性をもつアーティストであれば、直感的にやりたいと思ったことは、トレーナーのみえないところでやるものでしょう。他人がだめだといって「ハイ」といってやらない人は大成しないのです。

 これは他のトレーナーや医者が聞いたら怒られそうなことですが、私は、レッスンについても本音で語るようにしています。この20年、のどを壊す人は増えたのか減ったのかわかりませんが、医者の利用が増えました。またトレーナーがついてリスクは少なくなったはずです。実力も底上げされ、平均レベルは高くなったのに、世界のレベルに人が育っているとはいい難いです。

 

○本当のこと

 

 限度を超えたトレーニングの可否は述べませんが、本当のことをいうので気をつけて聞いてください。初心者や声に苦手意識のある人は読み流してかまいません。

 ヴォーカリストが理想とするイメージの声や実現が、その本人のもって生まれた声の可能性の真ん中にあるのか、延長上にあるのかを判断してサジェストするのが、私の仕事です。すべてがすぐにわかるわけではありませんが、調整のヴォイトレに対し、強化は、常に限界と可能性をみながら行なわなくてはなりません。一つ間違うと、方向違いの努力になりかねません。

 

○調整と条件

 

 調整とは、プロだった人がかつての状態を取り戻して、元の活動が可能なレベルに戻すようなことです。スランプからの脱却方法もその一つです。話し声の調整や、カラオケで歌う調整は、一般の人にもやっていますが、それをプロレベルにするようなことは調整ではできません。

 プロがヴォイストレーニングを受けてよくなったというのを聞いて、素人が行なっても大して変わらないのはどうしてでしょう。プロに評判のよいプロのスポーツ選手のフィジカルトレーナーに私が教えられても、プロになれないのと同じです。その日の状態をいくらよくしても、条件が変わらない以上、同じところをぐるぐる回るだけなのです。喉の弱い人や、これまでにうまくいかなかった人が医者に行ったら、原状回復で元に戻るだけです。メンタル面で自信がつき、声がよくなったように思っても、根本的な問題は、解決していないのです。環境や習慣から変えないと、普通の人並み以上になりません。

 

○プロの不調対策

 

 プロでも、素質に恵まれ、特別なトレーニングをしなくてもやってこられた人ほど、声が出なくなると難しいものです。ショックなどメンタル面もあるからです。30代から40代にかけて引退に追い込まれるのは、そういう理由です。

調子のよいときから、信頼できるトレーナーに把握をしておいてもらうと、いざとなったときに心強いものです。

 不調の原因を知り、取り除くことです。私は記録をとり、本人にもノートをつけるようにアドバイスしています。

 

○負のスパイラル

 

 マイナスからゼロ状態にはヒーリングのようにして戻すことは可能です。メンタルの改善だけで解決することもあります。ヴォイストレーニングといってもこの辺はクリニックのような原状回復が目的です。ストレスを解消した結果、戻ることも多いです。

ヨーガやマッサージのようなものも含めて考えてもよいでしょう。こういった体の柔軟や呼吸にもよい(ひいては声にもよい)ものは、ヴォイストレーニングに組み入れてもよいでしょう。しかし、それでオペラ歌手や役者になれるでしょうか。

 喉の調整も似ています。調整は誰にも必要ですが、必要条件に過ぎないです。そこで使うべき時間は、病人には必要ですが、一般の人なら、最小におさめて、一歩先に行くことでしょう。

 

○よくある勘違い

 

 本人やトレーナーが明確に到達への目的とそのプロセスを把握できていないため、練習しても調子を悪くしては、そういうところで整えることの繰り返しをしている人が多くなりました。それでは負のスパイラルです。トレーナーの熱心さにほだされて、あたかもそこで何かが得られているように思う人も多いのです。

 心との対話というのであれば、トレーニングの合間にセットしてもよいと思います。そこでも目標を高くとり、トレーニングの必要性を最大限に高めることが望まれます。本人の最大の可能性に向けてトレーニングをセットすることがトレーナーの腕であり、レッスンの真の目的です。

 

○「レッスン前シート」の大切さ

 

 私は、毎回、相手にレッスンにのぞむスタンスとその日の状態を確認しています。そのためにアテンダンスシートを使っています。形式はどうでもよいのですが、時間のロスも防げます。レッスンの目的をその都度、細かく把握することはとても大切です。

 

○レッスンのスタンス

 

 レッスンのスタンスは、人により、時期により、その日により異なります。

・完成した作品としてみる

・歌やせりふの練習としてみる

・フレーズ単位での声の再現力としてみる

 ライブやCDと同じレベルで、歌やせりふを、厳しい客やプロデューサーとしての立場で作品でみる場合、曲やアレンジ、バックの伴奏やバンドまで、想定してみます。できるだけ、ステージの視覚的効果、ふりつけや衣装は考慮せず、音の世界でみたいのですが。演出家、プロデューサーと異なり、音で徹底してチェックするのが、私の仕事だからです。

 へたにみえるところは消しこむアドバイスもしますが、その人の強みの発見や、その力をつけることが優先です。欠点の指摘と解消だけをしていたら、へたにはみえなくなりますが、個性をも損じることになりかねません。

 

○歌やせりふのレッスンのスタンス

 

 歌やせりふの練習としてみる場合は、その人の可能性と限界を見極め、限界が出ないように整えます。表現効果をふまえたトータルのバランスを重視します。できるだけ大きく、あえて伸びるように、少しでも大きな器を想定してつくっていくようにします。これも、全体のバランスをみるのか、部分の完成度をみるのかで、違ってきます。

 フレーズ、単位でめいっぱい完成させた声の使い方と、声そのものをみるのは、通常のレッスンです。

そのほかにも、

・発声だけのチェック

・日頃の自主トレーニングのチェック

・やり方のチェック(と課題セット)

などがあります。歌うために声を使うことと、声のために歌を使うことは違います。私のヴォイストレーニングの中心は、後者です。

 

○声の表面上での違いと本質での違いについて

 

 私は早くから、一流の作品の聞き方を変えていくことを念頭にレッスンやトレーニングを組み立ててきました。お笑い芸人が、弟子入りせず学校で勉強している時代です。落語家でも師から学ぶ以上に、名人の作品をDVD、CDで聞きまくっているのです。トレーナーが歌ってみせるのを口伝するなら、CDやDVDで充分です。一流の作品に安易にアプローチできるのに、その必要性は少ないし、トレーナーがまねると、トレーナーのオリジナルでないため、くせを表情や擬音でついてしまい、その形をまねさせてしまうからよくないのです。誰もが、早くうまくはなったのに、すごい人が出なくなった理由を見据えなくてはなりません。

 

○声の違い

 

 声の場合、一流の作品からストレートに学ぶことは、難しいことです。音声をどのように把握するかに、個人差があります。ビジュアルのように繰り返し視聴して合わせているだけでは難しいのです。そのためかスポーツやダンスのようには、日本から世界に通じる人材が育っていません。

 器用にあらゆる歌手のものまねができても、できないよりはよいとはいえ、大した力にならないのです。一人ひとりの声が異なるということが、楽器のプレイヤーと違う次元の問題を引き起こしているのです。

 

○まねとオリジナル

 

 他人の声と同じ音色、出し方に合わせようとしてムリが生じます。他方、そうでないケースでは、声の違いだけでオリジナルが生じたような勘違いをしやすいです。

 どちらにしても、体、呼吸からつかみ、その上で心でつかむこと、これがないと、素人のカラオケになります。どんなに心を入れても、基本がないと独りよがりになります。しかし、それでもまわりにけっこう受け入れられてしまうから厄介です。

ことばに情感が入っていると、音楽的なことは飛んでしまって、人の心を打ってしまうのです。どちらも、より優れた歌の中に入れるともちません。現場での必要はなくても、練習は時代や国を越えて通じるという高い目標からみないと、自己満足であいまいになりがちです。

 

○心地よさを求める

 

 トレーナーは、ことばでも図や絵でも何らかの形で「何が足りない」「どうすればよい」と具体的に、歌い手に問うことが、レッスンの意味です。この曖昧な世界にあなたの声の公式を共に築こうとするのがトレーナーの役割です。

 「体、呼吸から」「音楽性」というのは、音程やリズムと違い、みえません。楽譜上では正しい音程やリズムでも、心地よいかどうかに差があります。

 

○みえないもの、聞こえないもの

 

 体、呼吸、音楽性も程度問題です。しかし、プロの世界は、そのみえないものが大きくものをいうのです。聞こえないものを聞こえるようにするのが、私の役割だと思っています。そこまでいかなくては本来の面白さはわからないというくらいに大変ゆえに深く、確かな世界があります。これは確かな基準です。

 この基準づくりこそが、私が生涯をかけて見いだしてきた宝なのです。それは、全世界、この時代においてもポピュラーに限らず、一理あるものです。それがおかしいとしたら、人が何を求め、こういう世界を作ってきたのか、感動してきたのかということまで虚ろなことになります。

 時代は変わり、歌も変わります。しかし、変わらないものを見据えて変えていくのです。

 

○ヴォイストレーニングの基本と応用

 

 「いつまでやればよいのか」と、よく聞かれます。芸道であれば、卒業はありません。ここで述べているのは、レッスンとしてのヴォイストレーニングです。ヴォイストレーニングは歌そのものではないので、多くのレッスンでは、せりふや歌のレッスンやチェックに移っていくことが多いです。せりふや歌のチェックや、アドバイスができない場合は、別のトレーナーにつけることもしています。せりふや歌のチェックの難しさは、別に述べたいと思います。レッスンの内容を異なる視点で述べるのなら、

1. 声を出せる体、声をコントロールできる呼吸づくり

2. 発声と共鳴、音色とフレーズ

3. 音楽的基礎(メロディ、リズム、音感音程、読譜)

4. 歌唱 解釈、展開・構成、創造

5. 表現 オリジナリティ(←2

のような形でとらえるとわかりやすいかもしれません。

 

○基本と応用

 

 基本と応用は異なりますから、私のレッスンでは、基本が身についてきたら、あるいは一人でトレーニングできるようになったら、そこで確認チェックとしてトレーニングをみるか、歌唱や表現のチェックに移るか選びます。その人の表現が明らかに私の考える基本の延長上と異なる応用になっていくときは、私がアドバイスすべきかどうかを本人に聞くことがあります。

 いろんなプロがいらっしゃるので、私の基準や目指すところを述べます。それに100%沿わなくとも、そういう概念や基準を学びたいのなら、大丈夫です。

表現がしぜんと違う流れに進んでいくのがみえたら、一応は卒業だと思うのです。もちろん、初回にいらして、歌を聞いたら卒業ということもあります。これは、優劣ではなく、ここのレッスンにおいての可能性を照らし合わせて考えているからです。

 

○可能性のもとでの評価

 

 ここのトレーナーでプロの歌を評価することを求められることがあります。これは、一般の人の声の評価と同じく、よしあしなどつけられません。それぞれによいところがあります。本人さえ問題ないというのなら、それを聞くお客やファンにとってよければよいのです。

 ですから、私は常にレッスンによって、改善や、より大きな可能性が開かれる余地において評価します。つまり、トレーニングやレッスンで変わることに対して、不足や強化の必要と、そのプロセスを具体的にアドバイスするようにしています。

 ですから、どんなジャンルの人も、プロとして活躍している人も訪ねてくることができるのです。そして、レッスンも続くのではないかと思います。私には、私のスタンスがありますが、それは、私の価値観で判断するのではありません。相手の価値観がどうであれ、相手のスタンスとレッスンや評価が合わせられるか、からスタートしているのです。

 

 

90号 「なぜ日本からは声で世界に出られないのか」

○日常の声の使用量の不足

 

 日本人の生活や文化は、特に耳で聞く声よりも、目でみる視覚に多くを負っています。私はその考察のための材料をたくさん持っています。しかし、ここでは日本語が「聞く話す」よりも、「読み書き」にすぐれていること、日本発の文化はビジュアルがメイン、J-POPさえ、声や音よりもビジュアルで世界から評価されていることをあげるに留めます。

 日常レベルでの音声の必要のなさが、声の使用頻度の少なさになっています。量も強さ(大きさ)も他の国の人の何分の一かになっています。この傾向は、今世紀になってますます強まっています。

 聴き手の耳の変化で、声の強い表現力を拒むようになってきていることが気になります。

 

○声の弱化

 

 私の企業研修のテーマが以前は、「大きくはっきり伝える」だったのに、最近は、「感じがよく伝わる」ような声を求められるようになってきました。上司の大きな声だけでパワハラに近いと思われる、そのようなことが現実にあります。

 日常の声レベルは基本ですから、そこでの差はハンディキャップです。そのままではオペラもポップスも邦楽も噺家も成立しないのです。歌については、音響とレコーディング技術の進歩と、聴き手の耳の変化が支えているのです。ここでは日常で1時間声を使えない人が、本番で1時間、声を使えるわけがないという常識を掲げておきます。

 

○体を元に考える

 

 今のポピュラーのヴォイトレというのは、高い声で出す、そのために喉声を回避します。喉声ゾーンを避け、喉の息をあけ、頭声にひびきをもってきます。ほとんどこれだけのノウハウです。日本の声楽も高音域獲得のために、同じことをやってきました。頭声から入って、小さな声しか使わないことでカバーします。リスクはなくなるのですが、形だけのノウハウです。声を調節するだけでなく、声を鍛えてまで変えるという考え方をとっているものは少ないのです。ですから体が使えないのです。私のヴォイストレーニングに胸声、頭声を加えて全体像としてわかりやすくしました。

 

○調整メインのヴォイトレ

 

 鍛えない理由の一つは、欧米のメソッドの輸入です。外国人は、すでにこのレベルの声が日常生活でマスターされていて不用です。もう一つは日本人のトレーナーの大多数が、のどが小さく、高めが出しやすい人なのです。あまり日常の声のよい人はいません。本人自ら、話す声がよくないと述べている歌い手やトレーナーがとても多いのは、日本の特徴です。欧米のテノール歌手にもそう言う人がいますが、日本人のトレーナーほど悪くはありません。

 そういうヴォイトレは、声をよくするのでなく、高い声を出せるようにすることが目的です。元からそういうことのできた人ですから、同じような人にしか通用しないことが多いのです。やり方自体は、間違いではありません。高い声は高い声を出しているなかでしか出てこないのです。それはどんなに喉のしくみを知ったところで同じです。

 

○「のどを鍛える」ということ

 

 声帯を鍛えるという考えの人には、アナウンサー、役者、声楽家の一部では、確かな音源として、息を強くして強い声にしようとしている人もいます。ひびかせるにも、声になっていなければ仕方ないので、一理あると思います。私は、低いところでのどの開きをキープするため、軟口蓋を感じる音としてガ行を使っています。

 ほとんどのトレーナーが否定するのは、大声トレーニングです。特に大声で高い声を出そうとすることです。喉で無理に声をつくった人のなかに、あとで脱力したやり方を知って、自分は方法を間違えていたと思う人が多いからです。もしその後、その人が発声をマスターしているのであれば、この無理、無駄なようなトレーニングが、実のところ、効いたのかもしれません。ここは微妙な問題なのですが、誰しも今の肯定のために過去を否定したがるのです。そして、そういう人は他人に苦労させたがらないのです。

 

○間違えとう間違え

 

 声を正しく使う前に、声を使う段階がいるのです。フルマラソンを走るまえに、ジョギングの期間が必要かといえば、あたりまえでしょう。

 走りすぎて痛めたから、やり方が間違っていたとして、やり方さえ正しければ、もっと楽に早くできたと思い込む人が多いのです。その人が今、前よりもよくなっているのなら、役立った可能性は否定できないのです。

 発声が楽になったことだけでいいと思う人が多いのです。これも問題です。表現レベル、心が息で伝わるものになりましたか。日常の声から変えていくことで私は声をみているのです。

 

4つの喉

 

 一人ひとり違う喉があり、育ちがあり、その上でもっともそれを活かせる使い方があります。次の4つを一緒くたにして考えないことです。

 

1.自分の喉そのものの形態

2.自分の喉の育ち (喉のもつ条件、過去歴、鍛えられ度)

3.自分の喉の今の状態 (今の使われ度)

4.自分の喉の使い方

 このうち今のヴォイトレの大半は、34が中心です。

 ギターで例えると、1はギターの素材やつくりそのもの、2はつくられ方やなじみ方、3は弦の張り方や手入れ、4は演奏の仕方やその腕前となります。

 トレーニングは、将来に対して基礎となる条件を変えていくことです。4の前に3があります。これは最近の練習にあたります。高い声を出すと、高い声が出やすくなるとか、喉の使い方に対応して、およそ23ヶ月から半年単位で、喉の筋肉のつき方も変わります。そこは2に関わっていきます。このあたりがレッスン、トレーニングでの位置づけでは、12年の効果にあたります。

 

○条件を変える

 

 日常の声まで、その条件を変えるなら、2(一部は1)に踏み込んで、35年は最低限要するでしょう。そのつど、4は調整しなくてはなりません。

 

1.喉 2-12-2

2.喉の育ち、条件 1-22-1

3.喉の今の状態をよくする 1-11-2)~2-23-1

4.喉の使い方 1-13-2

 

 このときに、胸部を補うのに一時、2-23-2を強化しようというのが、役者声、外国人声としてのレベル、その条件づくりを日常声とする私のヴォイストレーニングです。

 これらは発声法(方法論)としての正誤でなく、目的によるトレーニングの重点の違いにすぎないのです。どんな方法でも、どう使うかが大切です。

 

○日本人のヴォイトレの欠如

 

 私は正誤の議論をしたいのではなく、日本人の、特に浅い声の歌手、役者、トレーナーに対して、欧米を含め、世界中の民族が共通して持つ条件の欠如を指摘してきました。芯のない声にひびきをつける(低音のない高音)のは、根のない茎のようなものです。いつまでも大きな花はつけられないということです。

 生まれつきとか、喉が強いとか、鍛えられているから、凄い声が出るのではありません。育ちや日常レベルでのしぜんな鍛錬(というのは、年月が長いと無理しなくとも、必要条件が宿る)によるものです。それこそが本当の意味で、日本人のヴォイトレの必要性です。

 

○ヴォイストレーニングの意味

 

 トレーニングというのは、もともとふしぜんに無理なことを行なうことです。同じ日本人でも20年生きて、歌い手や役者に耐えうる声を育ちの中で得てきている人と、全く使わずにきて、トレーニングが必要な人がいるのです。なかには、声を長時間出す。大きく出す、長く出すなども難しく、喉そのものを鍛えなくてはならない人もいます。

音声ですぐれた国のトレーナーや歌手になれた人、日本でも小さい頃から声を使ってきて、すでに声の鍛錬が日常での育ちに入っている人には、わからないところです。

 

○自然派

 

 トレーニングで喉を壊したり、悪化させた後に、それをやめて頭声での共鳴をつかんだ人は、それまでの過去(喉や胸声のトレーニング)を全否定してしまいがちです。こういう人は、私の理屈通りに実践していながら、他人に教えるときは、それを否定します。そして頭声の発声だけにしたり、ヴォイトレはさせず、呼吸法だけ、あるいはそれさえも害として、発声はしぜんに習得できるというような方針をとりがちです。私はそれを自然派とよびます。

 日本の業界には、多く、海外の方法などを学んで、さらにその傾向を強めます。その人ほどにも声の出る人を一人も育てられないことが多いです。

 

○声楽のテクニック

 

 ジラーレ、アクートなどの声区での変化、融合、ミックスヴォイスについて、またファルセット、裏声、地声、頭声、胸声、ビブラートなどは本来、個々に取り上げる必要のない問題です。

 

 喉のところで出している声を喉の奥をあけて共鳴を集めます。そのために鼻やほお骨、ひたい、眉間、頭のてっぺんまで持っていくのですが、そこにいろんな共鳴の体感イメージがあります。私は縦の線上というイメージを与えています。顔の表面でも、のどの奥から両眼の間でもいろんな線が引けます。いろいろ試して変化させていけばよいでしょう。いろんな教え方や感じ方があります。どれと決めず、自由にしておいてよいと思います。

 高いところで、C3C52オクターブを考えてみると、12箇所、声区のチェンジのポイントが出てきます。mnなどの発音を使用することが多いです。これを教わるか、しぜんに待つかです。しぜんといっても勝手にはできないのです。

 

○胸声と頭声

 

 胸声部も高い声と同じで、縦の線上でイメージしていきます。喉から下の方へ胸の真ん中あたりに出口を感じます。喉が離れにくいので、頭の方へのひびきを一度除くとよいでしょう。首から上では音をひびかせないという感じにするのです。ここは、先のC4から下の1オクターブ、歌では、あまり使いませんが、話声区と、さらに低いところとなります。

 そこで得た胸声をキープしつつ、ハミングなどを通じて頭声へ共鳴の切りかえができると、多くの問題は解決します。つまり、上下2本キープしておき、縦の線をイメージして、共鳴はその線上で行き来を、自由に扱えるようにするのです。低声部を先にマスターしていくのもよいと思います。

 

○「ヴォイストレーニング基本講座」の発声理論(Ⅰ)

 

感覚では、裏声、ファルセット 1-1(~1-2

頭声、1-11-2

(喉声 2-12-2

胸声、2-23-2

 

 これは、トレーニングの発達段階でいうと、2から、1へ伸びるとともに34へ伸びるイメージです。

つまり、素人 2-12-2

アマチュア 1-23-1

プロ 1-13-2

一流のプロ 0-14-2

 イメージですから、実証はできませんが、体感として、縦に伸びる方向にしておくのです。

ベルディング唱法は、3-11-2くらいです。2-1でつまる人がいます。そこで否定されるのでしょう。

初心者は、1-23-1を別々に意識して、そのうち結びつくと思えばよいのです。

3-2(~4-2)が芯(1-11-2)が天井と思うのです。その中でどのような線を引くかが、発声トレーニングです。体、声づくりとしては、1-13-13-2)を埋め、自由に扱えればよいのです。

 

○「ヴォイストレーニング基本講座」の発声理論(Ⅱ)

 

 日本人の歌手や声楽家には、1-11-2だけで勝負しようとしているように思えます。頭声と同じく胸声も、あてたり押しつけたりすると、2-12-2のひびきを増幅させ、拡散させてしまうだけです。

 上(高い声)の線で下(低い声)の線との折り合いをつけるのは、民謡など邦楽でも共通のことといわれています。名人は、上だけのひびきだけの歌唱を批判しています。

 声区のチェンジがグラジュエーションのように、なめらかになるには、(2-12-2)を使うのでなく、上のときに下で支え、下のときにも上で響きを感じていることが必要です。

 

○「ヴォイストレーニング基本講座」の発声理論(Ⅲ)

 

 日常の声は、日本人は2-12-2、 欧米人は、1-23-1、 ロシア人あたりには、~3-2もいます。

ここから歌う声を、日本人は、2-23-1の胸声の支え(戻れるところ、感覚=芯)をもたずに、1-12-1で勝負しているのです。ボーイソプラノがそのあたりです。

また、2-12-2を入れて、ハスキーにしている人もいます。どちらも、2-23-1に、話しているときほどにも落ちないのです。

なお、4-2で内股への緊張の感覚は、低い声(4-1)よりも、高い声(1-1)の支えに起こります。正しく発声を学んでいると3-2に集めた瞬間、1-1のひびきが同時にとれる(あるいは、移行する)、これを私もベルカント(よい声の)唱法のマスケラと考えています。

 

 

Q.プロデューサー、ディレクター、演出家など、他の人からの評価やアドバイスをどのように受けとめたらよいですか。

 

A.他人の評価については、自分にプラスに活かすことだけを考えてください。

ほめられたら、身を引き締めるようにし、批判されたら、直すべきことは直しましょう。それ以外は課題にするか、忘れるかです。ノートに記録しておくとよいでしょう。

誰がどういう立場でいったかによって、意味はかなり違ってきます。それに応じられなければ、仕事がなくなるようなケースもあるでしょう。

相手のものの見方や価値観、好き嫌い、コミュニケーションの取り方、自分との関係やこれまでの流れ、その人の関わるところ、私的事情と、みえないものはたくさんあります。それをすべて察するのは無理なことです。全てを正しく受けとめられると限らないからです。

何人か複数に聞くと、少しは客観的に理解できたり、わかりやすくなることもありますが、だからといって、何でも第三者に解釈してもらうのは危険です。ここにもよく先生やまわりにいろいろといわれたという人がきます。「まわりのいうことはあまり気にしないようにしましょう」というアドバイスもします。

 

〇アドバイス

 

 声や歌については、私のいうことの方が信用してもらってもよいでしょう。私も長くやってきたので、相手をみて、コメントは加減します。レッスンやトレーニングは、時間をかけて変わればよいのですから、よほどのケースを除いては、ズバッと悪いことだけをいうことはしません。それがトラウマになるリスクで、レッスンもやりにくくなるからです。

 他のところで評価が甘くて、厳しさを求めにきた人に対しては、具体的にとことん伝えます。感想や感じでいうのでなく、そう感じるのは「ここがこうなっているからで」「ここがこうなればよくなる」、そのために「こうすればよい」というところまで述べます。

 

〇アドバイス(Ⅱ)

 

 トレーナーに何かをいわれてきてわからないという人には、その意味を具体化して、伝えます。原因と対処法をその人に対して与えます。それを直す必要があるか、直らないときにはどういう対処ができるかを伝えます。

 ケースによっては、まねして、欠点として相手にわからせ(やや誇張してみせる)、直した形をみせます。目的によっては何が足らないのかを示すこともあります。

トレーナーにはできても、その人のできないことについて、すぐにまねさせてやらせることがよいのかどうかは、難しい判断です。問題にもよります。なかなか深い世界なのです。

 

 

 

「世界に通用する声にするためのレッスン」

 

○声だけの力

 

 声は声で、ことばやメロディをつけなくては通じないわけではありません。歌手は歌に使っている声で歌っているし、噺家や役者、声優、アナウンサーなどは、ことばに使っている声でしゃべっているともいえます。

 この場合、声はツールで、歌やせりふとして問われているのです。

 しかし、私が考えるのは、声だけの力であり、歌やせりふにしなくても通じる声の力の養成としてのトレーニングです。

 

○本当のギャップ

 

 声自体の力が、海外の歌手や役者と比べて大きく劣っているのが、日本の歌手、役者です。日常レベルでの差を、一般の人で比べても明確です。

 私は最初から、外国人の一般の人のレベルに、日本人は何とかベテランの役者レベルで追いついているくらいと述べてきました。極端に言うなら、「ワーッ」と叫んだときの声の差です。そこを解消しないと、本当のギャップは埋まらないと思っています。

89号 「なぜ、歌の判断が必要なのか。それはどう判断するのか」

○声と表現と研究所と私

 

 ヴォイストレーナーには、大きく分けて、a声をみるトレーナーと、b表現、作品(歌やせりふ、トータル)をみるトレーナーがいます。どちらにも両方が含まれてはいるのは確かですが。

私は声だけをみたかったのですが、仕事がプロデューサーとプロをみるところから入ったため、作品からみざるを得なかった時期が長くありました。そこから研究所をたちあげて、声を中心にみるようにしました。しかし表現を独自にできる人が、ヴォイトレに興味を示すような人に乏しくなって補充するうちに、両方を含めるようになってきたわけです。そこで一人でなくトレーナーとの分担制をひいたのです。

 

○声と表現、作品の優先度

 

 歌において、表現は、声の力と必ずしも一致しないどころか、日本においては、相反することがあたりまえにあるので、ややこしい問題です。

 歌い手なら、自分かそのパートナーに表現力は、不可欠です。自分にその力がなくても協力者が何とかしてくれるわけです。もともと歌い手は、声を使うプロで、作品やステージは他に任せていればよかったのですが。それについては、次のような形でみています。

 

<ステージング>         <ステージパフォーマンス>

衣裳、ファッション      スタイリスト、メイク、コーディネーター

振付             振付師

音響、証明          SE、演出家

アレンジ             アレンジャー

作詞、作曲          作詞家、作曲家

伴奏             バンド、プレイヤー

 

 すべてが必要ではありません。その人の表現スタイルによります。それによって、レッスンでも声の必要や方向、求められるレベルも異なってくるのです。シンガーソングライターや自演(弾き語り)アーティストは、この多くを自分でやっています。

 

○共通すると相違するもの

 

 トレーナーは、その人の喉、体、性格などから、その人の体=楽器に合った声を伸ばしていくことになります。それがバイオリンかビオラかによって、根本で共通するものと異なるものがあります。

 体、呼吸、発声のベースは共通ですが、もっている条件が違います。音色やフレーズになると、いろんな可能性と限界が出てきます。まして歌い方になると、その人が器用にまねられるアーティストの数くらいにいろんなパターンが出てきます。

 

○二重性の中でのオリジナリティ

 

 まねでなく、もっともその人らしい、オリジナルな声のオリジナルな歌い方の上に、その人のオリジナルな世界が出てくる、それは完成度において誰がまねしても追随できないというのが、理想です。

 世界では、オリジナルの基礎の上に成立したオリジナルの表現しか認められません。まねは誰でもできるからです。

 しかし、日本ではまねるのに高い声やシャウトに不自由するので、そこが中心になります。

 向こうの文化をもろに受け入れて、向こうに似ていることがかっこよいというのが、日本人です。

受け入れてきたものを省みずに、歌をつくってきました。二重の意味でオリジナルな体の声のオリジナルな作品がわかりにくくなっているのです。

 

○不一致

 

 問題は、日本で好まれ売れやすいような、プロデューサーが欲している歌唱と、体からしっかりと取り出している声とのラインが一致しないということです。ルックスがよく器用な歌手は、プロデューサーのめざす路線にのっかって上手く歌うのです。でも声の処理はうまく歌ったレベルくらいで、のど自慢のチャンピオンほどの声の表現力もないわけです。音大で声楽をかじっておけば、ミュージカルで出演できるというくらいです。日本の歌唱の程度は、それを表しているわけです。

 

○欠点を明らかに

 

 トレーナーにとって歌をどう判断するのかを、抜かすわけにはいきません。私はいろんな人からのCDをもらいます。ふつうは他のトレーナーと同じく、何とかよいところをみつけて誉めます。頑張っている人を認め、勇気づけたいからです。しかし、レッスンをする人には、悪いところをハッキリと言います。そこを拡大して示します。それが仕事なのです。それはレッスンによって変わる可能性をみてはじめていえることです。悪く思われたくないから誉めようとは思いません。

 トレーニングやレッスンによって、何もしていない人に勝ることはできます。しかしそうしてきた人に対抗できる力をつけるのは、並大抵のことではないのです。

 

○限界の対処

 

 何らかの欠点や限界があったときの、対処の仕方は、つきつめると二通りです。一つは、諦めること。これは悪いことではありません。うまくいかないところを表に出さないように、きちんとカバーします。どんなプロもやっていることです。

 もう一つは、克服すること。できるかどうかわからなくとも、それを試みることは大切です。試みてできなければ、また考えればよいというのが、レッスンのスタンスです。限界までつきつめることです。

 

○可能性へのレッスン

 

 レッスンで関わらない人には、私はいろんな批評を求められても、言いません。どんな作品でもよいところはあるし、よいと思う人もいます。そういう人とやればよいからです。私のアドバイスは私の基準を投影することになります。プロの歌手なら別でしょうが、原則はよりよくなる可能性からみるべきです。

 そのときに悪いところを注意して、カバーしてもその場しのぎです。それに気づかずカバーもしない人にそのことだけ教えては、その人のためになりません。それをカバーしたくらいの歌で終わってしまうからです。

 悪いところより、よいところ、武器になるところを見つけるのです。それがパッと出てくることは、そんなにありません。長い時間がかかることもあれば、本人が思ったものと違う場合もあります。

 

○中立になる

 

 フレーズのトレーニングでは、その人の声からオリジナリティをみます。たとえ声に力がなくとも全体から何か心に引っかかるところがないのかと徹底してみます。

 私の立場は、個人の好嫌を離れた無私であることです。これは、一流アーティストの感覚だけでなくすぐれたトレーナーのもつ共通の感覚を学んでおかないとできません。鏡となることです。

 プロの歌い手が人を育てられない理由は、自分の作品や声の世界からみるからです。自分の世界があるからこそプロなのですから、職業病です。それを離れることができても、自分の喉で相手の喉をイメージして、教えるとどうしても無理がでるのです。

 

○トレーナーの一人よがりを避ける

 

 私のように、トレーナーをもプロデュースする立場では、チーフのトレーナーとしては、常にどのトレーナーがその人に向いているかを判断します。結果も、そのトレーナーたちより客観視できます。よりよくみえるわけです。

 トレーナー自身が全ての生徒に見本をみせるのではなく、その生徒の将来の声や歌にもっとも適した他のトレーナーが見本になった一人の方がよいという考えです。

 私の場合、本のCDも吹き込ませます。私の指示の元に、トレーナーが吹き込むのです。

 今の私の立場は、トレーナーのコーディネーターやプロデューサーのようなものです。つまり、プロ野球であれば、ピッチングコーチや打撃コーチを束ねる監督のようなものです。このことによって、一人でトレーニングして、一人よがりにならないようになります。ついたトレーナーによって、特定のトレーナーよがりにならない、そのトレーナーのくせがつかないメリットがあります。

 

○最初から慣れていく

 

 何人ものトレーナーに次々とついても、その関連性がわからなくては無意味です。最初にトレーナーの中からあなたに合う人を、一人でなく複数から選んでつくことに、メリットがあることをわかって欲しいと思います。

 トレーナーを使える力をつけることです。いろんなトレーナーにつくのは、自分を知るために有意義です。複数の観点をもつことが大切です。歌と声を別々に教えてもらってもよいし、発声を23人のトレーナーに教えてもらうのもよいです。

 声は変わっていくので(しっかりしたトレーニングをしたら、ですが)、その効果やよしあしは、違う時期に他のトレーナーについても、本当のプロセスはわからないことが多いです。それなら、最初から複数のトレーナーからアドバイスを受けたらよいのです。

 一人のアーティストの作品しか聞かないと、自分の歌が影響を受けているのに、どういうところなのかさえわからなくなるものです。まねしていなくとも自ずとついたクセが抜けないというのと同じです。

 

○多角的な視点をもつ

 

 トレーナーごとにやり方、判断は違います。それぞれに必ずクセもあります。判断の仕方や歌の評価も一人ひとり違うのです。相性もあるでしょう。

クセをとるのはトレーナーの役割ですが、厳密には、あなたのクセをトレーナーのクセで弱めているみたいなことで、必ずトレーナーのクセがつくのです。でも、それで、前よりはOKとかましということもあるからです。クセがいつも悪いのではありません。

 

〇トレーナーのスタンスの柔軟性

 

私は10人近いトレーナーと、いつも生徒の評価をつけながら、比べることからとても多くを学びました。トレーナーは、一匹狼の人がほとんどなので、他のトレーナーがどのようにみるかを学んでいる機会が少ないものです。プロデューサーと仕事をしていたら、プロデューサー的な見方になるし、フィジカルトレーナーとなら、体を中心にみるようになります。いろんな人(特にプロ)と仕事をすること、他のトレーナーと比べてみることも必要なことです。

 

○異なる価値観に触れる

 

 レッスンをして、トレーナー二人の意見、育て方や判断が違ったらどうしますか。私はどちらかに軍配を上げるのではなく、違いが何で生じたのかをあなたに伝えます。

 矛盾していてもいいのです。確かな実績があって人を育てているトレーナー、やり方と価値観を持つトレーナーが判断をした事実として知っておけばよいときもあります。

やり方が違ったら自分のトレーニングでは好きな方を選んでもよいし、別々にやってもよいのです。

 トレーナーのどちらかが絶対正しいわけではありません。ただし、あなたが高く評価したり、やりやすいと思うトレーナーがあなたの将来によいとも限りません。

 

○トレーナーとのレッスンの意味

 

 自分の判断が第一に優先できないところに、ヴォイトレの難しさがあるのです。あなたが最高の判断のできる力があるなら、声や歌はすでにあなたの思うように使えているはずです。そういう人は、世の中にたくさんいます。ヴォイストレーニングに関しては、以前のあなた(の感覚)をあまり信じてはいけないのです。ヴォイトレや歌のレッスンなしにうまく歌ったり、声を扱える人はたくさんいるのですから、それに対して何が欠けているのかを知ることです。

どのトレーナーもあなたよりは、あなたの声についてはわかっています。あなたが力をつけていき、トレーナーよりも的確に自分のことを判断できるようになるためにレッスンをするのです。

 

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「科学的トレーニングとマエストロのレッスン」

 

○音声科学で変わったこと

 

 私の研究所では、一早く声紋分析の器材を使い始めました。音声科学の発展はすばらしいことです。天文学や物理学、医学でいうと、天体望遠鏡や顕微鏡が出てきて、目で確認できるようになったくらい、革新的なものでしょう。

 関連書籍でも生理学から、音声学、音響学まで、詳しくわかりやすく、よいものが出てきました。声の基本的なことを誰でも知ることができるようになりました。

 特に大きく変わったのは、

・声区(レジスター)と胸声、頭声の関係、音色は胸や頭(腔)での共鳴の否定、仮声帯で裏声を出すのでないこと

・ミックスヴォイスほか、いろんな声の分類の細分化

・声帯の振動、発声、共鳴の可視化

・裏声、ファルセット(フルート)、地声、表声などにおける、男性、女性での定義

 

○現場第一主義

 

 自分の若い頃、半世紀前ほどの勉強のままの指導法を継承しているマエストロ的なトレーナーもいます。私の立場は、新しい発見や学説を学び続けても、それが実際の結果や効果をもたらすまでは、様子見です。よいと思えば試しに直観的に使うことはあっても、メインにはしません。一時的な成果でなく、長期的に複数の事例の結果をふまえてみるには、何年も要するのです。あまりジタバタすることではありません。若いトレーナーや指導をはじめて45年くらいの人の言うことをそのまま信じたりはしません。

 新しく出た理論や言っていることと、今、受けているレッスンや自分のトレーニングしてきた本やトレーナーの言うことが違っていても、迷わないように、と言っています。

 

○レッスン優先主義

 

 研究所では、私が本に書いたことより、レッスンでトレーナーにいわれることを優先してくださいと言っています。私のレッスンでも他のトレーナーのレッスンでも、現場第一です。

 本は一般的な対象に述べたことです。レッスンはあなたを個別に、今、みているのです。「どちらが」と迷うことはおかしいのです。レッスンに疑問があればレッスンで説明しています。

 

 私は現場(特定の相手とのレッスン)を離れたところの論争に加わるつもりはありません。尋ねられることが多いので、いろんな立場の人の意見や理論を知って、混乱している人の頭を整理させられるようにはしています。

 それは、レッスンのためでなく、その立場にいるために、問われることに答えるためです。私自身には、興味もない、本や番組でも、他の人に必要になると思われるものについてはコレクションしています。それと同じ理由です。

 

○価値

 

 バイオリンという楽器は、実に多くのすぐれた演奏家と技術者(製作者)によって、高度に完成されていきました。家が買えるほどの高価なストラリバリウスの音は、今の技術者でも超えることはできないともいいます。しかし、科学的に性能を比較すると、他のバイオリンと差がないというデータもあります。年月が楽器を育てたのか、名声が名演奏家を惹きつけ、伝説となったのか、知るよしもありません。

 そういう伝説の名器は別にして、私たちが買うくらいのバイオリンについては、およそ高価なものは、安いものよりもよいといえます。理想の形、素材があり、そのバイオリンで評価できるということです。

 これは声楽家という持って生まれた喉と体ということになります。その管理の仕方、育て方も入ります。10倍の費用を出してでも、1パーセントの質を向上させたいと思うかどうかは、その人によるでしょう。

 

○優劣ということ

 

a.元々の楽器=のどを中心とした体

b.使い込み、手入れ、今までの歴史、経年変化=育ち、育て方(スキル)

c.今の使い方=テクニック

 

 オペラにおいては、本人の努力はあるとしても、持って生まれたものの差は大きいと思います。パヴァロッティのような声を聞くと天与、giftということもわかります。しかし、表現やオリジナリティを踏まえるなら、ロマのバイオリンのようなもの、インドのカーストで音楽を生業とする人の演奏のレベルの高さは、それにひけをとりません。楽器は、ボロボロのようにみえますが、本人がつくります。手製ですが、その調整の耳とそれを活かす演奏がプロフェッショナルなのです。楽器を半分つくり変えるほどの調整と演奏をしてしまうのです。

 民族音楽とオーケストラに使われる楽器の優劣を簡単に述べることはできません。そのこと自体、無意味です。どの時代どの国にも、すばらしい演奏家も歌い手もいたということは事実です。クラッシックの楽器は均質化され、誰もが練習しだいでよい音を出せる保障がされているといえます。

 

○人間の力

 

 すべては人間の力、その人をとりまく環境から、表現へのあくなき欲求によるのです。それが有利で才能が輩出した時代や地域もあれば、まったく不毛だったときもあるということです。

私はあなたに、ロマのすぐれた演奏家を目指して欲しいのです。自分のもつ楽器を疑わず自分流に最大限に活かせる工夫をして、最高に使い切るつもりでトレーニングにのぞんで欲しいのです。

 

 声帯によって一流のオペラ歌手の素質が必ずしも決まっているわけではありません。こんなのどや声帯でどうしてあのような声、演奏が可能なのかといわれる一流の歌手は、たくさんいるのです。人間の力は科学の分析などを易々と超えます。

 

○知識、理論、科学の使い方と限界

 

知識は知識、理論は理屈です。否定的でなく、肯定するのに使うのならよいことです。自分の洞察力がないときに、一方的な思い込みで才能をつぶさないためのリスクヘッジになります。あるいは実力が伸びるまでの時間を稼げるかもしれません。

 知識は、要領よくうまくなるのには役立ちます。しかし、それくらいでは、人の心を奪うほど感動させることはできません。

 それは歌い手のルックスでの争いのようなものでしょう。歌や声の力が足らないから、問題になることです。表現が凄ければ、ルックスなどは凌駕されるのです。演奏がすぐれていたら、顔のよしあしなど吹っ飛んでしまいます。

 

○科学、理論と芸

 

 私は、科学を否定しているのではありません。それはよりよく生かすことで意味があります。中途半端な理屈やことばにとらわれ、自分を否定する根拠のように、自分のためにならないように使うのなら、知らない方がましです。芸事における科学や知識は、そう使うものと考えてください。科学的知識、理論は否定されても芸には関係ないのです。

 一流の歌手がまったく知らなくても、何一つ不自由していないのです。そんなことに時間や気を奪われること自体、勘がよくないということでしょう。

 

No.340

〇歌謡曲史

 

うたの起源には、神にうったふ(訴える)とか、言霊で魂を打つとか、拍子を打つなどの語源説があります。

声を出し、抑揚をつけ、語って消えていくものでした。

 

1914年(大正3)「カチューシャの唄」松井須磨子(劇中歌)。作詞、島村抱月に作曲、中村晋平デビュー作。無伴奏のアカペラです。

1.公演、2.新聞に歌詞と楽譜、3.レコードの順で、ヒットしました。

 

ラジオ放送は、1925(大正14)開始、

そこから1928(昭和3)までにレコード会社、日本ビクター、日本ポリドール、日本コロムビアの設立がありました。

「東京行進曲」(昭和4)、「影を慕いて」(昭和7)などでスタート、

 

大正期、19171923年~浅草オペラ、田谷力三「恋はやさし野辺の花よ」

1929年エノケン劇団「カジノ・フォーリー」「洒落男」(モボだと云われた男… )

2期として、ラジオでヒット曲が生まれます。

古賀政男、古賀メロディを中心にジャズ、シャンソン、ポップステイストのもの、日本調と何でもあり。

1933年NHKが「流行歌」でなく「歌謡曲」ということばを使う

詞と曲と歌手のぞれぞれがプロとしての三位一体スタイルで商業的成功を狙いました。

「国境の町」(1934)、「別れのブルース」「人生の並木路」(1937)

「湖畔の宿」「蘇州夜曲」(1940)

戦後、「リンゴの唄」「青い山脈」などが大ヒットします。

「リンゴの唄」「かえり船」(1946)

「星の流れに」(1947)「東京ブギウギ」(1948)

「悲しき口笛」(1949)、「青い山脈」(1949)

「雪の降る町を」(1953)、「カスバの女」(1955)

「黒い花びら」(1959)

 

坂本九の全米ヒット

1961年10月「上を向いて歩こう」日本で発表

翌年、イギリス、バイレコード社長来日、持ち帰り

所属のケニー・ポール楽団でインスト版発売

「スキヤキ」で19631月、全英チャート10

ワシントンのKORDDJリッキー・オズボーンが日本語のオリジナル版を番組で流し、ワシントンから全米へヒット、615日全米1位。

外国語の歌の全米1位は、カンツォーネ「ボラーレ」以来のこと。ビルボード誌で3週、キャッシュボックス誌で4週連続1位。

世界69ヵ国で発売。ちなみに、19641月には、ビートルズの「抱きしめたい」が全米初の1位。

 

そして、ここからヒートアップしていくのです。

「アカシアの雨がやむとき」(1960)

「ヨイトマケの唄」(1965)

「夜霧よ今夜もありがとう」(1967)

「ブルーライトヨコハマ」(1968)

昭和30年代に音楽出版社が出て1970年代に、その全盛期となります。

 

やがてフリー作家と音楽出版社が原盤製作までするようになります。

グループサウンズ(196670)とフォーク、ニューミュージック、シンガーソングライターの登場。

音楽出版社には、芸能プロダクションとテレビ局系(日音、TBS系、日本テレビ音楽など)があります。

後者からTVの番組でアイドルが出ていきます。大人の舞台のスターの憧れの歌の日常化、親しみやすく安心して聞けるように、幼稚化もしていくのです。

 

CDは、1982(昭和57)に商品化され、ウォークマンとともに音楽を個人のものとしました。

 

日本は、詞から、サウンドとラップへ

内田裕也(~2019年)、日本のロック論争(197010月~)

はっぴいえんどの大滝詠一(~2013年)と細野晴臣は、コンポーザー、アレンジャーに近い役割でした。

「キャラクターで売れてくる国だな」と(細野)

加藤和彦(2009)

1978年サザンオールスターズとYMO、スペースインベーダーの登場。

J-waveとJポップ、1980年代半ば~1990年代半ばに、洋楽の大量輸入

2007年「ポリリズム」Perfume、デジタル・エフェクト 中田ヤスタカ

2007年VOCALOID(ヤマハ)、初音ミク、ボカロP

2011.8きゃりーぱみゅぱみゅ

歌=声=サウンドの一つ、音、トーン、リズム

シンセサイザーから入ったのは、小室哲哉、中田ヤスタカ

坂本龍一らは、歌詞は聞かないというので、耳=リスナー型です。

メッセージよりサウンド、ローカルかグローバルか

カウンターカルチャーになりえなかったのです。

「人気が出たら、何をやっても受け入れる」のが日本人の柔軟性であり、やさしさであり、甘さなのでしょう。

No.340

〇日常生活

 

上虚下実(じょうきょかじつ)

体を冷やさない温める

水分を摂る

食べ過ぎない

目、神経、脳を休ませる

運動する

いい加減でよい感じをつかむ

生活の中で活かす

緊張、こわばりをなくし、感度を高めておく

充実、幸福感を味わう

自己責任と許容

もっとも大切なことは、誤解して広まらないように巧妙に隠されている。

新しく覚えるより、これまでの偏り、思い込みを捨てること

 

話し声と歌声

大声、わめき声の否定論への反駁

音楽を聞くことと歌うことの違い

バンドラム、フロア・タム、スネア、タム、ハイハットシンバル、クラッシュ・シンバル

88号 「基本と一流のもつ厳密性」

○基本のポイント

 

 世の中は、10年、20年と人を続けて見ていないと何とも言えないことが多いものです。それを残していくことが、この世界で生かされてきた私の努めと思っています。

 一つは、基本ということです。誰もが基本といっていながら、基本が身につかないのはなぜかということです。

 これは、二つのポイントがあります。一つはイメージ、判断の基準の厳密さ、もう一つは、声であれば声としてそれを示すことでの厳密さです。みる人がみたら一目でわかるというのが野球やゴルフの素振り=フォームです。それよりもずっと発声の基本はシンプルに示されます。

 

○基本は1フレーズ

 

 基本はいくつかのフレーズを1015秒(歌のフレーズでもよい)を23回見せていただければほぼわかります。そこにどういう条件があるのでしょうか。

1.今ここで、声で示すことに日頃の充分な準備ができているかということ、そういう体と感覚を獲得して維持していること

2.相手の要望に応じて、今ここで自分の持つ声を調整、応用してもっとも相手の期待するもの、それに近いもの、それ以上のものを出せること

3.もし1回目うまくいかなくても、23回で修正してよりよく出せること。また13回でうまくいかなくても、本人がそれを自覚し、その原因や解決法を知って、次の機会までに解決できること(解決できない場合はそれがどうしてか、そうであればどのようにすればよいのかがわかること)。このあたりのことでわかります。

 

○基本に要する力

 

 基本には、次のような力が必要です。

1.フィジカル  体力 筋力 瞬発力

2.メンタル  精神力 モチベーション

3.イメージ力と判断力

4.実行力(実現力)

5.フィードバック力  反省し、誤差を把握して修正する力

これらは誰でももっていますが、そのレベル=厳密性において、区別されるのです。

 

○一流へのプロセスのとれない理由

 

 「早く楽に簡単に人並みになる、あるいは、人よりも上達する」というのと、遅く楽でなくとも苦労しつつも、明らかに常人とは違うレベルになるというのは、結果から省りみて、方向や順番、やり方が違うことが少なくないのです。

 目標があいまいでレベルが低いとき、うまい人をまねて通じるところでは、表面的な効果やコストパフォーマンスを求めることになりがちです。プロでも、感覚やイメージ、条件が伴わないときは、そうなります。その違いが声において厳密にわかる人は、日本ではほとんどいないのかもしれません。これは海外との音声での実力の差の原因の一つです。

 

8020

 

 芸の世界は、人並みの80パーセントまでは、20の努力がいるとすると、残り20パーセントを詰めるのに、80の努力を要します。それ以上になるためには、労力でなく、100から無限という世界へと挑むことになります。

 要は、人並みかそれ以上になったとして、その80パーセントの上に、20パーセントがそのままのっかればよいのですが、そういかないものなのです。

 声や歌については、この80パーセントは、プロやうまい人のまねにすぎないことが多いからです。80パーセントでの限界にあたるのです。これはデビューはできた、人前でできた、CD出したで終わってしまうレベルです。1015年以上続いているのをプロというなら、アマチュアに毛が生えたくらいです。素質のある人なら1年半で到達できます。

 100パーセント以上の世界をつくることが念頭にあれば、80パーセントは目指さず、あとで100以上にいける基礎の20パーセントをしっかりと創りあげることです。

 トレーナーがつくときの、最大の問題として、ずっと積み上げ式で1020305080パーセントと進めがちなことです。それではブレイクスルーできないのです。

 

○アナウンサーの声

 

 私のところでは、本格的に声のことを身につける人には、最初は、あまり発音、滑舌を重視していません。発声から考えると発音は後の位置づけです。実践的に考えるのなら、口をはっきり開けた方がビジュアルの助けも加わって、新人としては早く通用します。新卒で半年でTVに出る女子アナなどが、その例です。しかし、そこから2030年たつと、アナウンサーでも残っているのは、個性豊かな声となった人だけです。口もほとんど動かさなくても明瞭な発音になっています。母音は口形でなく、口内でつくられるからです。

 

○新入社員のトレーニング

 

 新人社員をセールスや接客での即戦力とするには、滑舌練習からアナウンストレーニングをするのが手っ取り早い、話す技術の向上になります。しかし、声はほとんど変わらないか、人によっては浅くなります。歌も全く同じ構造上の問題をかかえています。

 日本人の社会風土や日本語の性質(高低アクセント、高出し)がそれに拍車をかけます。高く浅い方が、新入りとしては受けがよいからです。そこには日本人の幼くかわいいを好む傾向があります。個性や独自の説得力や表現力への方向性を奪われるのです。それを評価しない日本の社会の問題が大きいです。

 アナウンサー、声優に問われる初期の声は、役者やリーダー(にもいろいろいますが)とは異なります。形から入って実を伴うことができるなら、よいのです。しかし、形から入って形に終わり、そのまま、人並みの表現力ももてない人が多いのです。

 

○発音と声の深さ

 

 声が深くなれば、口形は少しの動きでも発音は明瞭になります。共鳴効率がよいからです。私のところでは、根本的にはこの考えをとりながら、その上で早く必要とする場合は、滑舌、早口トレーニングも同時に始めています。

 発音がはっきりとして、語尾まできちんといえるためには、次のような要素が必要です。発音での口形や舌の動きの問題は、一つの要素にすぎないのです。

1.フィジカル 体 姿勢 呼吸(腹式)

2.感覚  調音について 耳から発声、発音器官へ

3.メンタル 集中力 TPO 対応力

4.発声

5.共鳴

 

○低音と発音

 

 歌唱では、高音になると表情筋まで関わり、ひびきも前に出て、発音も明瞭になります。低音トレーニングは、深い声、芯のある声になり、声そのものを支えますが、そのままでは発音にはあまり絡みません。しかし、これがあってこそ高い声も活きるのです。事実、トレーニング中には本当に出ている高い声の支えは、太ももあたりにくるものです。

 体力づくり、体の柔軟、呼吸筋、表情筋のトレーニングをしておくとよいでしょう。大きな声で外朗売りや早口ことばで、喉を疲れさせるより、効率のよいトレーニングとなります。役者やアナウンサーは、長年に喉をことばで酷使することで、声が鍛えられることもあるのです。そのリスクを減らしたのが、私のヴォイストレーニングです。

 

○ヴォイトレと発音トレーニング

 

 発音のための滑舌トレーニングは、20パーセントくらいの要素で、それを長く大きくやり続けることで、体や感覚が巻き込まれていき、50パーセントくらいの要素のトレーニングが伴うと思えばよいのです。「外朗売り」のトレーニングでも、使い方しだいです。報道として早口の発音にこだわるアナウンサーより、感情表現として声の流れやメリハリをつけていく役者が、しっかりした声を得られるのは当然でしょう。

 

○科学的な効率主義と一流主義

 

 一流になるためには、いくら理論や分析をして、方法を取り入れてそれだけでは不可能です。音声科学は、近年、進歩を遂げ、いろいろなことがわかってきました。多くの発声に関する理論や方法の間違い(というか、仮説)も修正されました。

 トレーナーは、研究者でなく、他人の声を育成することが仕事です。トレーニングによって人がどれだけ育つかがもっとも大切です。しかし、秀れた人材の輩出という点では、30年前よりも劣っているのでないでしょうか。平均の人は多くなったのに、トップクラスの人が出なくなったのは、教育の方向や方針、トレーナーの問題が大きいです。声に限っては、その傾向は顕著です。同じルール上で競うスポーツのように、比較は単純ではありませんが。

 どの分野であれ、セミプロ化すると、底辺のレベルは上がりますが、ずば抜けたプレイヤーが出なくなってくるわけです。昔の人は理論、分析をしていません。努力の量と時間によって、すぐれた技量を手に入れる人がでたわけです。現実に結果を出した条件や方法を、もっと研究することです。一方ですぐれた人を分析しても、その分析ですぐれた人を生み出せるわけではないことを知ることです。

 

○喉の指標

 

 喉頭の能力について、一般レベルでは、喉からその人の可能性や素質のよしあしはわかるのです。しかし、一流の人が必ずしも声帯で恵まれていたわけではないという例はいくらでもあります。体重があればラグビーに向いているというレベルで選手を選んでも、それは素人集団にとって有利な要素の一つにすぎないわけです。

 同じことは声でもいえます。その人が加工して出した音の波が、楽器ならある程度、分析して、一流のプレイヤーと同じものが出ていたら優れているという指標になります。しかし、声は個人差が大きすぎてそうはなりません。

 一流のすぐれた要素を多く持つ人がそうでない人よりは有利でも、一流とはならないのです。それを証明しようとして実験したこともあります。結果、現実に売れなかったのです。

 この傾向は、J-POPになり、その人の声、歌い方と曲と詞とアレンジが密接に関わってくるにつれ、なおさら高まってきました。もはや詞と曲と声だけでの判断では、よい歌になるといえないでしょう。

 

○外国人のトレーナーの判断基準

 

 アメリカに行って、私たちのどのトレーナーの方法とまったく違うやり方で、声を開花させたという人がいました。こんなことは、いろんな国に行っている私にはよくわかっていることです。結論からいうと、それぞれ国のトレーナーはその国ですぐれていても、日本人のことは、それゆえによくわからないのです。

 私は最初に向こうに行ったとき、誰からもバランスのことを言われました。力を抜き、リラックスして、しぜんな声を取り出すとよいと。それでいくらやっても彼や彼ら並みの声にはなりませんでした。

 

○ベースの声から

 

 私は、彼らのやり方も日本の声楽の8割で行なわれているやり方は、その頃の私のように声のない(声の芯や深い声のない)人にはあてはまらないことを知りました。そこでベースの声を本格的にトレーニングをして鍛えてから、のちに向こうに行ったところ、ようやく彼ら並みの声になりました。そういう方法もわかりました。

 この人は、私と同じような経験をしたのです。年月やキャリアはずっと浅いし、声もまだまだだったのです。こういう初歩的な判断ミスによって、私のところでは向こうと反対のやり方と誤解されることもとても多いので、明確に説明しておきます。

 

○外国人との違い

 

 外国人は一般の人であっても、日常言語で、深くひびく太い声をすでに持っているのです。それを邪魔する要素を取ればよいのです。まして、歌手、役者をめざせる人ならかなり体=声ができています。しかし、日本人の大部分はそれがないので、その獲得から始めなくてはならないということです。

 もう一つの理由は、あまりに日本には、無理するだけの高音発声をよしとする人が主流です。うまく無理をしていたら、中には鍛えられる人もいますが、今は抜くだけ、あてるだけの発声ですから、本当にバランス調整だけなのです。歌手、トレーナー、演出家、作曲家にも元からそういうタイプゆえに、カラオケの先生やヴォイストレーナーをうまくやれる人の方が多いため(歌の指導はそういう人ばかりなので)、本当の意味で体からの声や胸声というのか、理解も獲得もできていないのです。高くきれいな声だけで、表現力、説得力、個性がない声、それゆえトレーナーにふさわしいという考えもあるのですが…。

 

○体の声

 

 疑う人に対して、体からの声がどういうのかを示しています。本当の基本とは、シンプルです。簡単そうにみえ、誰でもできそうで絶対にできないものです。でも、一瞬で示せます。

 こういう声は、歌に限らず映画や演劇などにも、外国人のオペラでもエスニックな歌にもけっこう共通してあります。そういう観点で、世界中の声を聞いてみてください。

 体の中にあり、トレーニングの年月が、体内で育って血肉になっている声においては、純粋にあるトレーニングの方法の結果(効果)だけを分離して判断することができないのです。

 

○声の鍛錬について

 

 私のところにも、舞台で無理に声を使い、手術したような人がきます。トレーナーにもいます。(生徒の喉の状態を注意してみています。)

 しかし、これもその人たちがその結果、歌や芝居から引退したというのなら不幸なことですが、今も活躍しているというなら、ケガの功名、それもまた一つの経験、自動的にトレーニングのプロセスにくみこまれたと捉えられなくもないのです。

 いらぬ苦労をさせない方がよいので、トレーナーの立場としては、喉に無理が生じるときはストップをかけます。それは簡単なことです。すべてその判断でよいかは全く別問題です。

 

○休止の判断リスクと勇気

 

 医者や専門家は、何よりもリスクを回避させます。芸人や歌手自身にもそれを超える直観がいります。高いレベルをめざすほど本人がリスクを負うからです。

 あるトレーナーは、手術後、半年安静といわれたドクターストップを2週間で切り上げ、舞台に復帰しました。

 

 これを読んでいる人には、理屈や知識を知って注意深くなっても、臆病になって欲しくはないのです。たまたまそのときは、そのトレーナーの判断はうまくいったが、他のときや他の人がそうしたら、再び手術するはめになったり、より悪くなったかもしれません。そのような選択も含めて、人生であり、自分の実力です。私なら他人に聞かれたら、このケースは、2ヶ月は出演を控えるべくアドバイスします。しかし、そこに最大のチャンスがきたら…!

私なら、医者やトレーナーが反対しても出たでしょう。

 

○喉の個人差と可能性(仲代達也さん)

 

 俳優の仲代達也さんは、何度も声を壊しては直し、鍛えて一流の声になりました。彼にとって、そのやり方がベストだったのかどうかもわかりません。多くの人はそのやり方では、彼ほどにはうまくいかないでしょう。しかし、彼と同じような素質(喉なのか、感覚なのか、勘か、熱意かわかりませんが)をもつ人にとっては、それがもっともよい、あるいは正しい、早いヴォイトレかもしれないのです。私が判断するのは、正しい早いでなく、「より大きな可能性をもたらす」=「もっともよい」ということです。

 

○喉が痛いとき

 

 私たちの多くは、外国人のシャウトの声を毎日、続けてハードにまねしていると、喉を壊します。しかし、現実に彼らは壊していないのだから、それが間違っているとはいえません。私たちがF1レースに出て勝とうとしたら、死ぬでしょう。プロレスでも同じかもしれません。そういうことに対して、トレーナーのアドバイスは、一面での注意にしかすぎないともいえます。

 「痛いならやめましょう」、これはヴォイトレでの基本的なアドバイスです。こういうセンサーが壊れていたり、鈍かったり、情熱のあまり鈍感になったりすると、過度に偏向して壊しかねないからです。

 

 

 

 私は鈍感だったのか、敏感だったのか、すごく過度にやりましたが、壊しませんでした。無理に高いところをやらなかったからか、10年もかけたからかよくわかりません。8時間に耐えられる声をつくるのに、毎日35時間ハードにやりました。

 こんなことは他人には勧められませんし、効率もきっと悪いでしょう。それはプロの人をたくさん教えるようになってわかりました。今の私ならそのようにしないでしょう。

 しかし、今でもまったく声が疲れないのは、その頃の基礎がきいているとも考えられます。

 誰よりも、あるいは、二度とそんなにできないくらいにやったというのは、自信になっています。検証もできません(まして10代から20代にかけてですから)。もうすっかり他人と違う体や喉になっていると思われるからです。量がやり方やメニュを凌駕することもあるのです(多くの一流の人は、やはり相当な量をやっており、そこから質に入っているのです)。

 

○階段

 

 初期の条件の獲得のための声づくり、発声とその歌唱のための共鳴とは、次元の違う問題です。

 登山の勝負とします。もし私が日頃平地しか歩いておらず、10階まで階段を上がったら足がつったり、翌日痛くなったとします。だからといってそれは歩き方が間違っていたのでしょうか。このケースでは方法がおかしいといえますか。登山の前に10階まで、毎日上り下りするようなことをやっておくとよいということ、それが、トレーナーがアドバイスする気づきということです。

 

○お坊さんの声

 

 私は日本で唯一といってよいほど、声づくりがしぜんにうまくいっているのは、お坊さんだと思います。彼らを見るたびに、なるほどと思います。高い声や発音や音階、リズム、歌詞、共鳴などに関わる前に、自分のもっとも出せる音の高さ、自分の呼吸に合わせて声を出して、しぜんに使えるだけの声にする期間が必要だと思うのです。私の日常の声は、1020年かかりました。外国人にも認められましたが、京都や九州のお坊さんに認められたときの方が嬉しかったです。

 

○声が変わる革新

 

 シンプルな基準、ヴォイトレをしっかりしていくと、誰にでもわかるくらいに声が変わるというヴォイトレが、日本では行なわれていません。欧米では、あまりその必要性はありません。元から声が深いからです。

 今、考えられていないことで、これから、多くのやるべきことがあると思っています。ここしばらくは、幸い、いらしていただいている能や邦楽、読経・声明の関係者の人々と世界を広げて、日本人の声を追求し、革新していこうと思っています。

 

J-POPと声のサンプリング

 

 私は練習曲に、外国曲や演歌、歌謡曲まで使わせていますが、J-POPの曲は声のベースづくりとしてはあまり使っていません。

 歌が詞と曲と声の総合的な組み合わせの妙で成立しているので、声のシンプルな見本になりにくいのです。曲、詞、歌唱それぞれ独立してみた完結性や完成度がないのです。ヴォイトレは声を独立させて判断する音楽を必要とします。

 ヴォイトレは声そのものの技術、完成度を求めていきます。一方、シンガーソングライターなら表現から入っていくので、トータルでの完成度となります。声、そのものの正解というものがないともいえます。

 

○標準化しにくい声

 

 アーティストのもつ生来の声や音色、フレーズのくせを生かしたように曲になっている、他の個性をその曲で発揮するのは難しいです。そのアーティストのようなくせで歌わないと歌が成立しにくいからです。歌だけでの完成度がなく、歌い手の作品として成立しているのです。個性にサウンドのアレンジまで加えたところで完成しているから声の参考にしにくいのです。

 

○プログラミングとしてのヴォイトレ

 

 私がJ-POPを評価していないのではありません。真のオリジナリティとは、そのアーティスト以外がそれをやると間違いになってしまうという持論ですから、標準化できないほどの強いオリジナリティはないのです。しかしそれゆえ、基本の発声やその人のオリジナリティをみつけ育てるヴォイトレは使いにくいわけです。

 体からのしぜんな声、発声原理にそって最大限、声の可能性を追求しようというヴォイトレでは、共鳴では、声楽=クラシック=オペラに一つの範をとることができます。その下位に発声があります。そこからヴォイストレーニングを考えるとわかりやすいわけです。

 

○歌と声の判断

 

 私は、ポップスのシンガーに接して、共鳴やシャウトの中にも、一つの芯(あるいは線)を捉えるような感覚で判断しています。デッサンの線をひものようによじって細く鋭くをめざしつつ、ハスキーやため息のように、解くことも許容しています。この絞り込みの程度も、まとめるのと同じく、ヴォーカルの裁量に任しています。要は、センスということになります。

 声楽家の判断は、アカペラを前提とした歌唱ですから、共鳴や声量、特にハイトーンでの焦点化(ベルカント的なものとして)の条件の上に問います。しかし、ポップスは、マイクでの音響加工をも含めて、何でもありです。オペラの条件の声量、声域、共鳴を絶対とはしないからです。

 ポップスの何をもって判断するのかは、声楽家、合唱団、ハモネプ、ミュージカルと異なり、複雑です。聞く人の好き嫌いや気分に大きく左右されています。言語と同じく歌われる風土(国、民族など)によっても好まれるものは異なってきます。

 

○優れている基準

 

 私はアドバイスを求められる立場ですから、好嫌でなく、秀劣において明確な私の基準をもって判断するように努めていますそこが仕事のもっとも肝要なところです。

 

 優れているという基準をいくつかあげてみます。シンプルに聞いて、表現性をもつこと(ステージの成り立つこと)です。それは今ここで、立体的に(リアルに)、生命感をもって(生き生きと)働きかけてくることです。聞き込まなくても聞こえてくること、その上で流れがあって(時間軸、リズム・グルーブ)、心地よい、バックのサウンドと合っている(空間軸、コーラス)、構成(空間配置)や展開(時間的メリハリ)でのまとまりのあることなどです。

 それには、起承転結や期待通りのフレーズの線の安定度と、オリジナルフレーズの飛躍や冒険(創造性、心地よさとその裏切りのインパクト、破格と収め方)、そのための確実なテンポ感(とリズム)、音感が音の動きに必要となってきます。

 

○日本人の欠点、センス

 

 ポップスの歌を世界的にみて、日本人に欠けているのは、メリハリ、リズム・グルーブを表せる声です。太く引っ張られるようなことばをつかみ、リズムに従えられるようなインパクト、パワー、ドライブ感、加速度です。つまり時間軸にそった横読みでなく、それを空間の広がりにして、時空を変えてしまうほどのパワフルさです。

 これは、俳優のせりふなどでは、一流のレベルに達しているものもあります。しかし、歌になると、発声、音程(メロディ)、リズム、ことばなどを消化しきれず、多くの場合、声質(音色)、声の線(動き)が犠牲となります。

 

○判断を迷わす二つの理由

 

 日本人の多くの歌は、初心者のドラマーが頭だけ合わせているリズム、メロディだけ正しく弾いているピアノの演奏に似たものになっています。声からいうと、平たく薄く浅いのです。それでも歌として許されているのは、次の二つの理由があると思うのです。

 一つは、一人ひとり声が違うから、それが個性やオリジナリティと思われていることです。楽器のプレイでは、同じ音色からタッチとオリジナルフレーズで、その人の音を出さないと評価されないでしょう。それと比べるととても安易です。

 もう一つは、ことば(歌詞)があることです。人の声、人のことば(物語、ストーリー)があることです。本来、楽器レベルでの声の演奏という技量を高めていかなくてはいけないのに、その人自身の声で感情を出すと伝わるために見えなくなっているのです。特に、詞、ストーリーを優先する日本人です。日本の歌のスキャットや声の楽器的な使い方の少なさをその例として指摘してきました。

 

○世界との差

 

 私は、1.楽器演奏として歌詞を介さないで聞く、2.欧米ほか、一流のアーティストの耳で聞く

 ここで一流と共通のものを守り、一流がそれぞれ独自に創っているところに、オリジナリティをどう創っているかでみています。

 残念なことに、このレベルでのヴォーカリスト(世界に通じ、歴史に残る人)は、あまりにも少ないのです。その代わりに、曲、詞と声の一体感で迫る、独自の世界のある歌い手と、ビジュアルで注目されるような人はいます。残念ながらオーディアルでの声の表現としてはまだまだというか、日本では一昔前より弱くなってきています。これは、体に基づくものだからともいえます。

 

○両面からチェックする

 

 どういう歌にも歌い手もファンがいて、世の中に必要なものだとは思います。私がこうして述べているのは、ヴォイトレをする場合での方向や可能性、つまり、レッスンというものを本人やその声にどう位置づけるのか、ということです。これがあいまいであると、それなりの成果しか期待できないからです。体からの声と、表現からの声の使われ方の両面を常に押さえておくことですトレーニングが、それにかけた年月分実を結ぶセッティングが必要なのです。

Vol.81

〇声は人間の獲得した最大の武器

 自分のルックス、スタイルなどとともに、声にも関心を持つとよいでしょう。確かに見た目は直せます。ルックスもスタイルも、最新の医療や美容法でよくなるでしょう。しかし考えてみれば、ルックスもスタイルも全然よくないのに、とてももてている人や魅力的な人、そして幸せな生活をしている人もいます。

 ルックスやスタイルをよくするとなると、すごく手間もお金もかかります。今から美容のプロに勝てますか。それよりも内面を磨くとしたらどうでしょう。話し方でプロレベルになろうとしたら、これもまた大変です。

しかし、声ならどうでしょう。声についてはこれまで未知のゾーンのように手につけられていませんでした。

 お勧めするのは、ずばり声を魅力的にすること、誰もが知らないことは、誰もがやっていないこと、それゆえ、ちょっとした努力で多大な成果をもたらすからです。

 

1.大してお金がかかりません。

2.毎日、一人でできます。

3.気持ちも気分もよくなります。

 声のことを知り、声を磨いて、幸せを手に入れてください。

〇魅力について

 人生は、常にまわりの人との関係とともにあります。それは誤解を恐れずに言えば、「自分のスタイル、ルックスにどこまで自信をもてるか」抜きには語れません。

 たとえば人は何歳になってもどうしてブランドものや美容やエステにお金をかけるのでしょうか。自己満足的な追及もあるでしょう。それによって手に入れた成果に左右されてしまう相手がいるからでしょう。

年齢を重ねると、さほどルックスに左右されなくなります。ちょっとしたしぐさや話し方などに魅力を感じていくのではないでしょうか。

 私は、いかに容姿に恵まれていらしても、性格がよい人にみえても、あまり気にならないのですが、話し方、声が合わないと、また会おうという気にはならないのです。そう、ルックス、スタイルなどは、実のところ、あまり関係ないことに今さらながら気づいてきたのです。

 というと「何をバカなことを」と思われてしまうかもしれません。現に、私のまわりの人はルックスや性格のよい人も多いけど、話しているときの声がとてもチャーミングです。

 あなたも含め、多くの人は、このように無意識下に感じているのではないでしょう。

 多くの人に表向きちやほやされたいなら、ルックスやスタイル、ファッションも持ちものも大切でしょう。しかし、一人ひとりと深くつきあっていくには、もっと大切なものがあります。人間関係は、とどのつまり、一対一がベースなのです。そこで問われるのは、内面性です。 それが端的に表われるのも、声なのです。

〇幸せへのパスポートは、声

  • 恋愛、結婚、家庭、育児
  • 仕事、出世、自己実現、経済的自立、やりが
  • 人間関係

 

さて、あなたは、今のあなたに満足していますか。ABCについて、いかがでしょう。このABCが、おのずとうまくいっている人は、魅力的な人です。

 あなたは、自分を魅力的だと思いますか。YesでもNoでも構いません。もっと魅力的になれると思っていますか。

 多くの人は、自信をもって「そうだ」とは言い切れないでしょう。でも、大丈夫です。

 声や話し方を少し変えるだけで、あなたのまわりに奇跡がおきます。仕事も人間関係も恵まれていくでしょう。これは決して嘘ではありません。なぜなら、あなた自身が、選びたい人も、きっと同じような価値観をもつ人と考えられますから。

 

〇パワー

 

内面的にといっても、性格や考え方をそれほど重要視することはないと思います。なぜなら、性格がよくないとか考え方がちょっとどうもと思える人のなかでも、とても魅力的な人がたくさんいるからです。

 いえ、深く愛される人は、かけがえのない人、つまり替わりのきかない人、それゆえ、性格や考え方が凡庸ってことはありません。

仕事がよくできる人も同じです。性格がよくて考え方が人と同じだったら、大した仕事はできませんし、魅力もありません。

 友人などに好かれたり、人気がある人も、おかしなところのある人の方が多いでしょう。性格や考え方などは、その人の行動に垣間見た、そのときの空気にすぎないことも多いのです。

 それに対し、1.顔の表情、笑顔のよさ 2.声のよさ 3.動きのよさ こういうものがすぐれている人には、誰もがあこがれます。そこから声に絞り込みます。つまり、声でパワー、仕事のパワー、人間関係のパワー力を高めるのです。

〇声量

 ここでちょっと、逆を考えてみてください。

 1.魅力的な表情に乏しく、暗くみえる。

 2.声がこもったり、小さくハッキリしない。

 3.行動に迷い、てきぱき動けない。

 それは決して、魅力的なあなたではありません。でも、すぐに変えられます。というのは、どれについてもあなたは一度ならず、この人生のなかで魅力的にふるまったことがあるはずだからです。

 私は、声運というのがあると思っています。よい声を出せば運がめぐってくる、人もお金も。どんどん豊かになってくるという運のことです。

 人間関係について声で損している。

 仕事で声がうまく使えない。

 声で好かれていない。

 自分の声は嫌い。

 今の自分の声に満足できない。

 そんな人は、声で大変身してください。あなたの幸せのために、声からアプローチしていきましょう。

 今の花形職業って何でしょうか。魅力も人気もあるのは、アナウンサー、声優、お笑いタレントです。容姿があるから? いえ、声と言葉が磨かれているから、なのです。

〇自分の声は魅力的と信じる

 多くの方が「自分の声に自信がない」「声で損しているようだ」ということでアドバイスを聞きにいらっしゃいます。しかし、そういっている人で、本当に声に原因のあるという人はほんのわずかです。

つまり、声に対してコンプレックスをお持ちの人は、とても自意識が高いか、まわりの人の一言を気にしやすく暗示にかかりやすいタイプといえます。

 話していて、すべて言っていることがわかるし、発音や発声器官などに問題はないのです。キャリアのある方のなかには、自分の声のよさを自慢にしたいのではないかとさえ思われるほどすぐれた人もいます。

 「本当の音痴は、音痴であることを知らない」とでもいいましょうか。そういう人は、大きな勘違いをなさっているのです。このことは、他の面にも通じますが、声という摩訶不思議なものにおいて、象徴的にあらわれるのです。声は自分が思っているように、自分には聞こえません。

〇慣れる

 

 あなたは、録音された自分の声を聞くと、不快な感じにとらわれませんか。

 自分の声に慣れていない人にとっては、着飾っているつもりが、鏡でみるとちんちくりんな服を着ているようで、嫌になるのです。「ああ、私の声って、こうなんだ」と。

 服や化粧ならすぐさま直します。歯や眉毛、肌などもそうでしょう。口紅だって、はみ出ていたら、そのままにしておく人はいないでしょう。

 しかし、声はどうですか。「嫌だなあ」と思っても、だいたいはそのまま放置してしまいます。見えませんから。直せないような気もするからだし、さしあたって優先しなくてもよいことのようですから。

でも、みんなには、いつもあなたのその声が聞こえているのです。

ここらあたりから、一度、問題を突き詰めてみましょう。

「世迷い言」

真理は、正しいと価値判断されたものといえます。

しかし、事実というのは、そうではありません。

 

ことばでは、いくら共感でき、憐れむことはできても、

心身の痛みというのは、やはり、その人一人だけのものです。

その身体を自然の一部としてみると、痛みは、自然災害で、事象です。

心が、それをどう捉えるかとなると、そこでは正しく判断できるようなものではないように思います。

我にとらわれるのを断ち切ると無我となりますが、それでも身体の痛みは、忘れられないでしょう。

 

無我とは、無常、「変わらないものはない」ということと思うのです。経験のなかでも、それは開かれていくものでしょう。

そして、関係から全てが生じていきます。

でも関係が結ばれていくわけでもないのです。

そういうことでは、関係というのもまた、実在はしない、関わり方に過ぎないと思うのです。

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