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私は10数名のヴォイストレーナーとともに、ヴォイストレーナーにも指導しているため、内外のヴォイストレーナーのアドバイザーやヴォイトレをしている人のセカンドオピニオンもたくさんやってきました。ヴォイストレーナー、指導者、専門家以外にも「ヴォイストレーナーの選び方」などに関する質問が多くなりました。以下を参考にしてください。

「ヴォイストレーナーの選び方要項」 http://www.bvt.co.jp/new/voicetrainer/

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「1.ヴォイストレーナーの選び方」

「2.ヴォイトレの論点」

第36号 「声楽をポップスに活かす」

○声楽の条件

 

声楽の条件は、日本人には、過酷です。日本人の日常生活をひるがえすものです。だからこそ、おのずとトレーニングになります。

1.オーケストラに声が打ち消されない(声量)

2.遠くの観客にマイクなしに聞こえる(共鳴)

3.原調で歌唱、演奏する(声域)

 この3つを目指すと、基本の条件づくりのトレーニングまで、必要となります。その必要性の高さが最大のメリットといえます。

 

〇声楽の影響

 

欧米から入ってきたポップスやその日本調に変じた演歌は、当初、声楽と切り離せなかったのです。声楽家がポピュラー歌手になりました。これが声楽の発声トレーニングが、日本のヴォイストレーニングのベースとなったことにも影響しているのです。

1.日本語の母音共鳴中心

2.メロディ重視

3.発音、ことば重視(ストーリー重視)

ポップスは、ことばを重視しますが、声楽は、声の音色、共鳴と声量を重視します。

 

〇高音での発音

 

ピッチは周波数、発音(母音)はフォルマントが決めるので、ある高さまでは両立できても、それ以上は、ことばは声をじゃまするようになります。声楽の最高高音での発音の正しさは、望めません。

これを役者のように、日本語の発音(ことば)を聞きやすくすること優先というなら、劇団四季のような発声の方針もありといえるでしょう。声帯の負担は大きくならざるをえませんから、その分、犠牲も伴います。

 

〇今のポップスに求められることと声楽

 

以前と条件が違ってきています。

1.マイク、音響技術の進歩

2.ことば(発音)の必要度の低下(テロップ/ライブ化)

3.海外のリズム(沖縄なども含め)の重視

ポピュラーを歌うのに、声楽のトレーニングは、必ずしも必要ありません。

現にJ-POPSにテノールの発声で高い声を出している人はあまりいません。

しかし、体、呼吸、発声づくりに役立つはずです。

 

〇声楽に学べること

 

私は今いくつかの面で、歌手だけでなく、俳優や一般の人のヴォイストレーニングにも、声楽の有効性と必要を説いています。

1.声を、曲を、丁寧に扱える(ピッチ、音程、テンポに厳しい)音楽的基礎

2.音楽的な流れ(構成)、ベーシックな流れ(フレージング)を学べる

音楽的な流れ(構成)

3.発声のポジションが深い

日本語よりもイタリア語などで出しやすい(発声、共鳴、声区のチェンジ、声量、声域)

 特に、かなりのキャリアで限界を感じている人には、必修としています。

 

〇日本人の聞き方

 

日本人の耳は、

1.母音を聞く

2.メロディを聞く

3.ストーリーを聞く

ようにできています。歌からみると、優先順は、321、ヴォイトレでは123です。

 

〇声楽の実績

 

声楽は、確かな実績をあげています。ただ、あまりにも膨大に使われているので、一くくりで述べられるものではありませんが、

1.世界で地域、民族を問わず普及し、ある程度の成果をあげた(歌手やトレーナーを育てた実績)

2.誰もが何年かやると、それなりに声楽らしい声になる(とにかく素人離れする、一声のレベルで変わる)

3.日本人に、美しくひびく声はよく聞こえる(日本語に合っている)

トレーニングにおいて大切な目安となるトレーニングした声の獲得という結果が出やすいのです。

 

〇声楽と劇団、ポップス

 

1.日本の劇団などの養成所の発声練習に使われている

2.日本の多くのミュージカルでは、オーディションなどの歌唱に声楽の基準がある

3.合唱やアカペラ、ハモネプは、特に有効である

声についての悪条件の日本人が、音大にいるうちにも、とにかく声域を先にのばし、次に声量をつけるのに使った声楽の発声法は、そこで問うのなら、ポピュラーやカラオケに充分通じるということです。もちろん、声楽といっても、ピンからキリまであります。

 

〇日本人のポップスで声楽を学ぶメリット

 

1.高い声がもてはやされている、原調で下げずに歌いたい(そのままコピーしたい方が多い)

2.声量に悩む人が多い

3.上達しているという発声法、呼吸法での基準がある

私は多くの人に声楽をお勧めしています。子供から年配の方に、老若男女問わず、初歩的なところをやってみるとよいでしょう。

重要なことは、一流の声楽家の少ない日本に、一流のレベルになるように教えられる人はどのくらいいるのかということです。声楽をきちんと学べるのだろうかということです。いったい、誰に、どこで、ということです。

 

〇声楽家をトレーナーにするとき

 

ここの声楽家トレーナーの採用のオーディションでは、いつも人材不足です。

ここで、いくつか、声楽出身のトレーナーに思うところと、実際にお願いしていることを述べておきます。

まず、声楽家出身者はポップスを甘くみています。私から、声楽家にクラシックのままでは通じないからポップスを学べなどと、ヤボなことは言いません。声楽家にポップスは教えられないのは、百も承知なので、次のように考えています。

1.発声のしくみとその使い方を、きちんと伝える。

2.声楽をやれば、ポップスを歌えるとは思わない。

3.声楽家の歌うポップスは違う。

声の出ることがポップスでは必要どころか、有利な条件とも限らないということです。

 

〇声楽をうまく使うこと

 

ポップスの曲にも、声楽の要素はあるのです。藤山一郎さんや淡谷のり子さんの時代あたりまでさかのぼれば、発声一つとっても簡単に真似できないことでわかるでしょう。しかし、今はこのことの理解は難しいと思われるのです。必要も感じないでしょう。

声楽出身のトレーナーは、判断の基準が、次のこと中心、あるいは、それだけになっています。

1.発声、呼吸法

2.共鳴、声区融合

3.ピッチとリズム(テンポ)、ことばの正しさ

そこにステージングでの個性やノリ、音色などの魅力があまり優先されないのは、仕方ありません。その上で、声ということでは、声楽であろうとポップスであろうと、理想とする発声は同じですから、声楽は使いようによっては、たいそう有益なのです。

第35号 「声楽家のトレーナー」

○声楽家のトレーナー

 

声楽を学んできた音大卒というキャリアで教えている人にも、問題は少なくありません。私自身は、声楽の発声も、声という点では同じであると思っています。ただ、表現のスタイルと、それぞれの要素の優先順位、重要度が違うのです。

特に声域を絶対優先にした高音獲得競争は、キーを自由に移動できるポピュラーには、害になりかねません。その人に理想的な発声の追求が、地力とコントロール力をつけることで、声量や声域を拡げる結果となることにおいて、高音獲得も意味があるのですが。

しかし、高音を求める人にはポップスのトレーナーにつくより、声楽家がお勧めです。そこで私も協力いただいています

クラシックは、理想とする大歌手の歌や声を手本に鍛錬していくのですが、ポピュラーには見本がありません。お手本は、教わる人自身の中にある最高のもの(オリジナリティ)です。その個性を殺しては、何にもならないのです。ですから、声楽家を使うなら、その人をプロデュースできる判断力を持つ人が必要です。

 

〇声楽の本当の活かし方

 

オペラの歌い手、あるいはジャズ、ソウル、ロックでも、本当に力のあるヴォーカリストの声は、体から泉のように滞りなくあふれ出てくるかのようです。そのくらい声が自由に出れば、歌うのに苦労しないし、歌っていても気持ちよいと思う声を目指すというのが、ヴォイトレでの声楽のメリットです。

声楽はなまじ中途半端に学んで形にはならず、やる以上は、ある時期徹底してやることです。

ただし、声楽家は、一つの方法に固執する傾向が強いようです。ソプラノならソプラノ、しかも同じタイプしか教えない人が少なくないからです。とはいえ、例外もあります。

メリットとしては、声楽家は、ポップスから離れているから、歌の好みに偏らず、発声そのものに限られる点でヴォイトレに適任ともいえます。

 

○音大生のトレーナー

 

私がトレーナーで採用するのは、100人に1人くらいでしたが、今は推薦でだけ受けつけています。

オーディションでみられた音大出身生の特徴は、

1.ほとんどは大きな声か高い声は出るが、緻密なコントロールがない→正しい音程にこだわる、しかし、今は、大きな声がでない人が多いです。

2.頭部共鳴にコントロールされているが、パワーがない→今は、大きな声が出ない

3.リズム・グルーヴが入っていない→拍とテンポでとっている

4. ことばで、声の力と感情表現力がない

ポピュラーを手伝っていただけるのはありがたいのですが、感覚を根本から変えて、たくさんの曲を聞いて欲しいと思います。

日本や現代というのを知らず、関心も持たずして、声というのは歌えるのでしょうか。以前と違って、声だけ、歌だけでは食べていけないでしょう。

どうしてそうなったのかとみると、師の考え方からでしょうか。そこからみると、ドイツ式とイタリア式の違いなど、ささいなものです。

 

〇音大生の課題

 

ピアニストなども、私は独力でやってきたくせのあるポップスのピアニストよりも、クラシックでリズム感がある人の方が育つと使えると思っています。ですから、音大生とはよく接してきました。

声楽家も、学び始めたときから声を大切にして欲しいものです。声が未熟なうちに人に教えるのは、あまりお勧めできません。

日本人は話し続けるだけで声を痛める人が多いようです。ベテランの声楽家は別ですが、音大生あたりでは、総じてひ弱です。呼吸や発声のまえに、体力と集中力づくりが必要でしょう。

 

〇オペラ歌手の課題

 

声そのものの弱さと、表現力のなさを補うことです。

1.リズム、グルーヴ

2.声の強靭さ

オペラ歌手になりたいなら、10代からスポーツで体を鍛えることをお勧めします。三大テノールは、サッカー出身、ドミンゴは自分のチームをもち、パヴァロッティはプロ選手でした。ステージには、その運動神経や勘のよさが必要なのです。

何よりも今や音大入学を選ぶところで、保守的な気もします。昔はそれが挑戦でした。

音大を出ないとオペラのステージに立てないというのなら、それも仕方ないでしょう。専門家なら、専門家で極めたらよいのです。そこでの技術を習得したい人が、習えばよいということです。

 

〇オペラみたいな発声

 

よく「声楽をやると、オペラみたいな発声になりますか」と聞かれます。

この“オペラみたいな発声”のイメージを、日本人の中途半端なオペラ歌手が助長してしまいました。

私はダンスでコンテンポラリーをやる人に、クラシックバレエが基本となるというような次元で、声楽を学ぶことを勧めています。そこからみると、あまりに低次元の問いです。

ヒップホップ、ラップをやりたい人は、「クラッシックバレエをやると自分のダンスが『白鳥の湖』のバレエみたいになりますか」とは聞きません。変なイメージのついたオペラの発声を声楽とみるのでなく、クラシック(基本、原理)と捉えてください。

 

〇声楽を活かす

 

「声は強くなるのか」というのも、大体において、強くなると思ってよいでしょう。それを共鳴の技術でカバー、コントロールするのでなく、それだけで歌にしようとしたところでおかしくなってきたのです。

声楽は土俵がはっきりしているため、評価の基準がわかりやすいのです。私もときに「声楽でいうなら」という言い方をとることがあります。またトレーナーとして、声楽家をお勧めすることがあります。そのケース例としては、

1.表現力、演奏力(オリジナリティ)

2.発声と共鳴(技術)

3.声のよさ(素質)

日本では、1が欠けているといわれるそうです。ピアニスト、バイオリニスト、指揮者の世界での活躍をみると、世界にひけをとらない耳が日本人にもあるのです。がんばってほしいものです。

 

「平成最後の年末に」 

毎年、年月がたつのが早くなるように思います。

 

1つは、自分の充実度、満足度を評価するということ、人生を年ごとにみて、30歳なら30年、まあ、10代からでよいのですが、浮き沈みを線グラフにしてみましょう。よくTVなどで芸能人のをやっていますね。どういう波があるのか、なぜそうなったのか、過去を把握し、分析し、反省するのです。

 

次に、レーダーチャートで6角形、例えば、65点満点で、1.健康、2.経済、3.家族、4.人間関係、5.趣味、娯楽、6.仕事、活動を評価してみます。

これは、現状の把握です。

 

考えこむとできなくなるので5分ほどでつくるとよいでしょう。(もちろん、ヴォイトレで考えてみるのもよいでしょう)

 

毎年、年末に行うと、必ず意味と価値が生じてくるはずです。

 

未来は、イメージ、頭ですが、過去は、肉体、心です。

声も肉声と心なしには、伝わらないでしょう。将来もまた肉体と心が伴わないと開けてこないのです。ヴォイトレは、過去あっての現在から、スタートします。

 

年始は初心になり、そこに還って出発してみましょう。

第34号 「トレーナーの出身の違い」

○ヴォイストレーナーの出身の違い

 

かつての歌手の育成、声づくりは、作曲家がしていました。坂本冬美さんを七年かけて育てた猪俣公章さんが亡くなった頃、そういう時代も終わったかのように思えます。つまり、かつては弟子入り、住み込み十年でデビューというものでした。まあ、声のよい人を見つけてきて、よい歌を渡せば、ヒットした時代です。

それに代わって、シンガーソングライターの歌手(やバンドの作曲担当)が楽曲提供をプロデューサーとしてやっています。

落語家のように、師匠、つまり歌手の大御所が弟子をとる例もありました。しかし、これもうまくいってはいません。

オペラ歌手や邦楽については、触れません。国家の予算で育成にお金をかけて・・・というのも、私から言及するだけムダでしょう。しかし、実力の底上げはできてきたようです。あと、どのくらいか待てばよいのでしょうか。

 

〇歌手を育てる人

 

歌手は歌手をなかなか育てられないということを、頭に入れておいてください。

これまで作曲家、アレンジャー(サウンドクリエイター)、プレイヤー、プロデューサーが、トレーナーの役割をヴォイストレーナー以上に果たしてきたとも思います。

日本の業界の構造も変わりました。声や歌について問われるものが変わったり、プロデュースシステムになったが、歌や声はあまり育たなかったというところです。

 

○トレーナーの出身別活用法

 

出身別にトレーナーの得意なところを述べます。私は自分で体現できたことを自分でない他人にも通用させるのに、また自分の直感を客観的基準としてみるために研究してきました。才能ある他人の判断基準を学び、科学的な測定や実証に携わってきました。

トレーナーもそれぞれのタイプによって、目的や判断基準が違っています。

1)プロデューサー 1.曲、詞、声 2.バンドの色 3.キャラクター

2)声楽家     1.発声、呼吸法 2.ひびき 3.声域、声量(歌唱法については、のぞく)

3)音声医     1.のどの状態 2.声の診断 3.病気の治療

4)作曲家     1.メロディ、ことば(感情) 2.歌心投入 3.曲に正しく合わせる

5)俳優       1.ステージパフォーマンス、動き 2.ことば、発声、感情表現 3.表情、表現力と演出

6)ヴォイストレーナー(私の考え方)

 1.歌の構成、表現力 2.フレーズの音声力(音色、グルーヴ) 3.発声の基礎

 

○歌手兼任、歌手出身のトレーナー

 

ヴォーカル活動中のトレーナーには、自分の活動と他人のトレーニングの両立の大変さを伝えています。

私は人前で歌うことはトレーナーを選んだときにやめました。私のなかでは歌は決してやめたつもりはないのですが、ライブやコンサートという形では、退いたのです。プロデュースを手掛けたときは、演出家と歌手、演出家とトレーナーも両立しえないと、私は思っていました。

二十代の頃は、睡眠の研究さえしてしまったほど、時間がありませんでした。他人のことをかまうことと自分のこと両方に神経がまわりませんでした。歌や声に頼らず、自分が自立することに専念しました。

トレーナーの依頼を引き受けたとき、自分の声については充分にやるだけやった思いもあったし、当時、そこまでの人生設計しかしていなかったのです。

PS. ですから私は、研究所をつくっても、他の人には最初はヴォイストレーナーとしてではなく、ピッチトレーナーや歌唱のアドバイザーとしてのトレーナーをお願いしていました。

 

〇ヴォイトレのアルバイト

 

もっともエネルギーのいるのは、力をつけることでなく、世の中に出ていくことです。

ですから、私は本当にプロをめざしたいという人に、トレーナーをアルバイトにすることは勧めません。お金が必要なら、他の仕事を勧めます。たとえ音楽の仕事でなくともよいのです。自らの声を守るためが第一だからです。 日本のような環境(音楽、声のレベルは厳しくない)では、他の分野の厳しさをもって、音楽や歌には入ることはできても、その逆はなかなかできないことを知っているからです。

 

〇ヴォーカリストのヴォイトレ

 

ヴォーカル出身のプロデューサーでも、日本の場合は、基本的なトレーニングを経て力をつけたヴォーカリストはあまりいないので、その人自身の売りものとなるカラーが共通している人にしか、アドバイスが通用しない、むしろ逆効果となることも多いようです。それができたとしても、ヴォーカルに二番煎じは必要ないのです。

ポップス、特に歌い手の指導者でよくないのは、個人的趣向(好き嫌い)が、本人の知らないところで、必ず判断に入ってしまうことです。そして、そこを本人が気づいていないことが困るのです。それは、選曲にも表れます。ファンのような受講生が多いので、学びにくる前と似た曲しか使わないことになります。

 

〇安易に始められるヴォイトレ業

 

指導上ですぐれている、いないの判断は、多くの経験を持たなくては難しいものです。

最近は、

1.歌手への目的をやめ(あるいは、あきらめきれぬまま)

2.食うために他に手段がないから(まともに働くのがいやだから)

3.他の職がつとまらないからとか、ヴォイストレーニングは、楽しそうな先生稼業、しかも好きな音楽だからと、安易に始められます。好きで始めるのはよいのですが、とてもたくさん学ぶことがあるので、指導との両立は大変です。

 

〇アーティストのヴォイトレ

 

アーティストでは、引退でもしないのに、教えている人はあまりいません。プロとして両立できるほど甘くないからです。まず、自分のステージ活動に専念することをお勧めします。ステージの方が厳しいので、教えるのが後回しになるか、ステージが疎かになります。何よりも若いときは喉の負担が、大変です。

自分のステージを成り立たせるため(集客のため)教える人もいますが、その目的はどうかと思います。最初は、そのつもりがないのにコミュニティづくりになってしまうことが多く、これは、目的が別、集客や集金などと考えたら、悪いことではないのですが。自分の好みでの声をまねさせるトレーナー、歌をまねさせるトレーナーの方法には弊害もあります。

 

○スクールのトレーナー

 

スクールでは、最初からうまかった人は上達して、少し器用に曲をこなせるようになって伸び悩みます。それ以外の人はたいして変わらないままです。

トレーナーの音楽観や自分の歌の欠点を突きつけられ、自分には才能がないということを思い知らされ、あきらめるという結果になりがちでした。それは今はそういうこともわからないまま、伸び悩んでいる、あるいは悩みもできていない、それが問題です。

 

○プロデューサー出身のトレーナー

 

ステージとCDをつくることが売りになっているトレーナーは、その経験を積むにはよいでしょう。でも、基本の習得に使うのにはほど遠いです。

プロデューサーなら、すでに実力のあるヴォーカリストにはよきアドバイザーとなるかもしれません。しかし、それ以外のほとんどの人に教えるとなると、その力を発揮できないことが少なくありません。すぐれた人をどう売るかという仕事だからです。

論21.「ことばの壁」

〇信用してみることの壁

 

最近、こういう注意をすることがあります。

「トレーナーがわかりやすく説明してすぐに実感させられるのがよいとは限りません。説明しないことも、ことばにできないこともあります。」

質問されたらトレーナーは答えますが、それは、説明であってマニュアルのやりとりにしかならないことが、ほとんどです。

レッスンではトレーナーを判断したり、その内容を考えるのでなく、ご自分の声やその変化をじっくりと感じることに集中してください。ことばややり方ばかりにとらわれているのは、よくありません。

 

自分なりに理解して考え、自分なりにやってみて、次回のレッスンでトレーナーに「こうやってみました」「こうなりました」「この2つで迷っています」などと問うてください。ことばでなく、実際の声や体で問うのです。そこから、あなたのレッスンが始まるのです。

 

〇自己判断の壁

 

歌やせりふは、ことばだけでなく人に声で働きかけるものです。だからこそ、多くの人はここにいらしたと思います。

自分が判断する(そんなことはあたりまえのことですが)、それでどうなろうと自己責任という人もいますが、一緒にやっている以上、無駄に不利益を被られるのは、トレーナーにも迷惑なことです。何のためにアドバイスをしているのかわかりません。

トレーナーの判断は少なくとも、多くの人の自己判断よりも客観性があります。レッスンは、その客観性を元に行うのです。ですから、ご自分の感覚を一時、保留する必要があります。

 

〇聞くことの壁

 

一から手とり足とり、わからないから、どうすればよいと、すぐに聞くのもあまりよくありません。自分なりに工夫して、ことばでなく声や自分の考えたやり方をみせて、トレーナーに問うてください。

たとえば「脱力できません、どうすればよいのですか」聞くのはかまいません。聞いたらやってみてください。  「どうして、そうすれば脱力できるといえるのですか」と聞く人もいるのですが、何でも説明できる理由があるわけでないのです。

「脱力」できなければ、次回まで工夫してみるのです。そこで気づいて変わってこそ、学べていくのです。

 

〇答えることの壁

 

レッスンの中での応答で、疑問が解消されたらよいのではありません。そこで実感できたからといって、完結するのではありません。ことばの説明だけの疑問解消や納得、さらに自分本位の実感や効果の感覚に全て頼ることほどレッスンをムダにすることはありません。

もちろん、本当に実績があり、トレーナーを上回る判断をする人がごく稀にいます。かなりハイレベルの感覚をもつ人たちですが、そういう人でも歌や声でそういうことはほとんどありません。

 

自ら失敗しないと学べないことと思うので、これ以上は同じことを同じレベルでは、述べません。これまで失敗したことがあったら、それをよく考えたら、早く気づけるかも知れません。レッスンが悪い意味で同じ繰り返しにならないようにしましょう。

 

〇配線の追加と修正

 

レッスンを最大に活かすには、これまでの思考回路と違うとりくみが必要です。白紙にして臨んでみることです。

ことばのやりとりで、その場で納得、満足させることを求めると、そこをトレーナーも目的としてしまうことになります。それは決してよいことではないのです。形だけになります。レッスンが本当の意味で成り立ちません。

 

レッスンは共に創っていくものです。おたがいに12回でチェックしようとするような使い方はよくありません。

説明されなかったことや聞きたかったことは書きとめておいてください。どうすれば身につけるかは、体験です。これは、毎回、常に進展があるとは限りません。

 

〇納得や実感の虚

 

「それは、何のためにやる」「どこに効いている」「いつどういう効果がある」というのを納得しないと始められないという人もいます。どんなことも理由を聞かないと、聞いて納得しないと始められないという人もいます。 それは、トレーナーを信用していないということです。

何でも説明したらよい、そうしないとできないというようにコンプライアンスということを誤解しているのでしょう。

 

〇試行錯誤

 

トレーナーは理由を求められると説明をします。それはマニュアルかその応用としてです。

トレーナーもそのときのあなたの状態だけですべて把握するのではありません。まして初回なら、なおさらです。

間違っていることは直せますが、これから創っていくことは時間をかけて試行錯誤を交えながら、修正しつつ、進めていくのです。12回で間違ったレッスンもムダなレッスンもありません。

自分で合わないと思っても、その判断はとても難しいものです。継続を前提としているレッスンでは、そのときだけで判断してよいものではありません。

 

〇説明の虚

 

ここには、本を読んでいらっしゃる人も多いのですが、正しくできていないと思うのでいらっしゃいます。正しくできないのでなく、大体は正しいといえるほどやっていないだけですから、正誤を問うまえに充分にやること、つまり、スタートすることが大切なのです。

 

喉に支障がでる人は、マニュアルの使用での間違いも多いです。頭に体の感覚がついていっていないのです。 そういう人に限って、さらなるマニュアルを求めます。1ページが使えないのに、それを何ページにもしては、もっと、よくありません。

 

〇パラダイム

 

「一声が使えずに一曲歌えない」というのが、ここの方針です。しかし声を充分に使えなくとも、誰でも何十曲も歌っています。マニュアルなしでも、相当にうまく歌っている人がたくさんいます。どんな声でも、「声さえでれば歌は何とでもなる」のも、確かなのです。

その上での問題なのか、そこまでもいかないことでの問題なのか、そこまでいっていないことを本人がわかっているのか、わかっていないのかでは、問題の質が違うのです。☆

となると、本やマニュアルで支障がでた人は、そこのパラダイムを変えなくては、逆効果になります。

 

〇トータルの感覚と体現

 

私は昔、合気道をやりました。ひたすら型を繰り返します。いちいちその型は何にどう役立つのかは聞きません。いろんな理屈で解説している人もいます。教則本もでています。科学的にも生理的にも、今はいろんな解釈がされています。

しかし、まともな師匠なら、「だまってやりなさい」といいます。それは、暗黙知、経験知として、継承されています。

トータルとして身につけるものだからです。部分をとりあげ、どこが正しいというのはありません。

立ち方一つ流派によって違います。その理由を聞いて、他の流派のはすべて間違いとしますか。立ち方一つでも、自分のものとするには、生涯の問いとなるわけです。

 

どこでも基本を繰り返し、そのなかで自ら創意工夫した人が力をつけてなっていきます。人とでなく自らの体、感覚と対話していくのです。学者と違い、実践して、自ら体得体現することにしか意味はありません。

 

〇材料の使い方

 

理論、方法、メニュは、役立つように使うのです。どれがよいとか悪いとかでなく、材料にすぎません。型もメニュですから同じです。もしそこに説明を求めるなら、「他のメニュでもよいけれど、これがよいと思うよ」とか、「よいと自分は思った」としかいえません。すべてを試すこともできないから、目のまえのものを使うのです。

説明はあとづけです。確証はありません。なぜなら、その型やメニュで、どうしてもうまくいかない人もいるからです。別のやり方でもっと早くとかもっとうまくいくこともあるはずだからです。

トレーナーやレッスンは身になるように使うことです。質疑応答は答えを聞くのでなく、自分でやってみたことで問うのです。

 

〇自分の質問とトレーナーの質問

 

「初回のレッスンは皆、質問だけになるはずでしょう」という人がいました。ここでは、本やレクチャーを経てから、レッスンを入れているので、質問はそれほどありません。そう思う人は自分のなかで考えることが、必ずしも世の中と同じでないことから知ることがよいでしょう。少なくてもここでは通じないことの一例です。

もちろん、他の人と考えが違うのはかまいません。ただ、質問が多いのがよいのではありません。

内容によっては、よいことですが、知識のやりとりではレッスンではないからです。

初回はトレーナーからの質問は、若干多くなることもあります。トレーナーがその人と距離を感じているときでは尚更です。

その日のレッスンを確実に自主レッスンに取り込むことができるにも、何ヶ月も要します。形だけはまねられますが、実まで本当にできたら、問題は解決しているということです。 それがわかるために、型=メニュはあるのです。

 

〇自分の考え

 

成長が無意味に遅くなったり、無意味なムリやムダを被むらないためにトレーナーがいて、レッスンがあるのです。レッスンをわざわざ活かしにくくしている人もいます。それはあまりよくはありません。ここにこられる前と変わらないならもったいないことです。

 

他の分野での実績からの自信で自己肯定してくる人もいますが、本当に自信のある人は己を無にして新たなことにとりくみます。だから多くを早く得られるのです。

発声や歌に関しては、これまで、できていないのに、気づくことはよいのです。しかし、あとは根拠のない主張となっていることが少なくありません。「自分の考えでは」という、あまりにあたりまえのことは、いくら主張しても何も言っていないに等しいのです。声で問うてください。

 

〇試行錯誤

 

質疑だけで、レッスンに入っていかない人もいます。そういう人には、「一度、トレーナーの言うとおりに進めてみてください」とアドバイスします。

あなたのために、すでに選別したトレーナーなのです。初回、うまくいかなくとも二回目は、一回目のレッスンを元に修正して対応しています。それでまた考えたらよいのです。

 

トレーナーに指導でなく、その解説者、コメンテーターを求めているような人もいます。トレーナーと同じ考え、意見だから自分もすぐれていると安心したり、自信をもつ人も少なくありません。それは違います。

 

〇頭を切る

 

私はレッスンが始まったら、本は必要ないと言っています。

レッスンが受けられない人に、わずかばかりのことを本で伝えているつもりです。

レッスンでは、本や理論は一時おいてください。

レッスンはトレーナーの指導の元、進められます。その指示に従って進めてください。

質問は終わってからトレーナーへのレポートにまとめてメールするとよいでしょう。それをふまえて次のレッスンが行われます。

レッスン時間はどう使ってもよいのですが、話だけでおわるのはもったいないです。

トレーナーは出す声からの改善を導くのです。発声や実践にレッスンの時間をかけてください。

 

〇受け入れてみる

 

他の人と違うから、よくないというのではありません。学んで変えようとしてきたのに、自分の感覚だけを元にして判断し、自分だけのよしとする方向に進みたいのは、おかしなことです。進もうとして、足踏みして踏み出せないままになりかねません。

その判断も自分だけが第一というのなら、よい結果にならないでしょう。

 

声については、ふつうは、トレーナーがあなたのことわかるほどにあなたがトレーナーのことをわかることはないのです。わかるとはイメージですが、それを最初は、わからない、納得できない、合わないと思うかもしれません。しかし、頭から否定するなら、信頼しないとしかいっていないに等しいのです。

今の力でできない、合わない、向かないものであっても、必要なら、時間をかけて身につけていけばよいのです。

 

〇必要を満たす

 

 あなたは欲しているものを求めにきたと思います。しかし、それは、人生で手に入るかわかりません。私たちは、あなたに必要と思うものを与えたく思ってやっています。

そこでいらないというのなら、やめるというのも選択の自由です。

そういう可能性や限界がみえないから、人生はおもしろいし、自由だという考えの人もいます。私もそう思います。

トレーナーはあなたよりも、あなたの可能性、限界がみえます。いえ、レッスンでみよう、変えようとしています。それは、多くの経験と直感からきています。しかし、いつも簡単に適切なことばにできるものではありません。

レッスンやトレーニングで変えていけることは、しっかりやると、必ず変わっていきます。そこを私は、おもしろく自由なものと思います。ですから、必要なものを与えたいと思います。

 

〇欲しいものを離してみる

 

変わらない人の多くは、自分の考え方、判断にとらわれすぎているのです。それが正しければうまくいっているのに、いっていないから学びにきた、なのに、そこに執着するのはよいことでしょうか。

欲しいものに捉われすぎると必要なものがみえないのです。欲しいもので手に入れられるものなら与えてもよいと思うのですが、すべての人がそれを得られるわけではないのです。得ても使えないものなら、目的、目標から考えることも必要です。

 

〇レッスンとカウンセリング

 

頭で考えてばかりで感じることが疎かになっている人が多くなりました。説明しないのも、説明できないのも、トレーナーの能力でなく判断と思うのです。何も言わないのも、とりあわないのも、悩んだり迷った末の判断です。返答があるのがあたりまえ、返答がくるのが、親切、サービスと思っているのなら、残念なことです。

 

私はトレーナーを性別や年齢では分けていません。その人の伸びるために必要な要素をより多くもっていたり、与えられる可能性で選びます。直感的に、です。正直にいうと、そこで必ずしも充分な説明はできるとは限りません。

具体的なこと、方法ややり方で選ぶだけではないからです。

 

納得させたり説明するのは、レッスンの目的ではありません。そこは、特別に必要なケースではカウンセリングという形で行っています。

体で身につけていくものに説明ということばでの説得は、必ずしもうまく使えるものではありません。使ったところで、よくないことが多いです。何が正しいのかというのは、不毛な議論となります。

 

〇サービスの受け手

 

その場ですぐ、提示したり、体感させられるトレーナーは有能なのか、器用なのかはすぐにわかりません。でも、この頃はそういうトレーナーやサービスばかりが求められます。

そうした方法が、その人のために本当によいかは、簡単に判断できることではありません。よしあしの判断でさえ、しばらく様子をみていかないと何ともいえないことは普通のことです。

 

形だけをもち帰って、家でやって、それでうまくいくのなら、本でもDVDでもすみます。レッスンの意味はないとはいいませんが、その方が便利でしょう。レッスンでは、それ以上のことが成り立つように思います。

 

〇究極の目的

 

プロもまた、ここのトレーナーから多くを長年かけて学んでいます。

自らの作品をよくしたくて、自分のもつ条件を変えにきたのなら、その環境を最大限活かすことを考えることです。自分の条件だけを主張しているのでは、ただのお客さんです。もちろん、ワンポイントレッスンや専属のトレーナーの補助として使うのは自由です。

 

私は、ここにくる人は変わりたくて、いらっしゃると思っています。

自分の正しさ(学び方や考え方も含めて)を主張しにくる人もたまにいます。そういう人はご自身のお客さんのまえでそれを問えばよいと思っています。それで成り立てばそれでよいということです。

あるいは、レッスン受講生でなく、あなたをお客さんとして扱う方がよいのかと本人に問うこともあります。

トレーナーをお客さんから自分のファンとするというなら、究極の目的として是非、のぞんでほしいことです。

 

 

論20.「心身の使い方のミスと人間発声学(対処から統合へ」 

○声楽という治療法

 

 クラシックは、西洋のものですから、西洋医学と似ていると思うことがあります。西洋医学は、病気をどうするか、そこから始め、それをみて処理をしてなくすのをよしとします。単純にいうと、痛みをなくすために傷んでいるところを切り取る、薬で痛みを感じなくするなど、消したり取ったりするのです。マイナスが出ているとみて、元に戻すという発想です。病人からスタートするのですから、すでに病気があることを前提としています。

 クラシックは、教育体系がプログラムされています。普通の日本人が歌うと、「それは発声が違っている」として、正そうとします。しぜんに歌ったままでOKと言われた人はいないでしょう。自分なりに歌ってきた人は否定され、直されます。

 日本人のトレーナーに習った人ほど、徹底してダメ出しされ直されるとも言われます。下手に習った、ということになるわけです。しぜんもだめ、習ってもだめとは、いったいどういうことでしょうか。それこそが、クラシックの特殊性ということになるのです。

 

○声楽の功罪

 

 声楽というのを、思い切って西洋の治療法とみると、それを処して100余年、未だに日本から世界へ出た成功者が増えていかないこと、それと本場との大きな技量の差をみるに、本当のところでうまくいっているとはいえません。

 ただ、初期に何人かのトップレベルのオペラ歌手が出たこと、その後、全体的にレベルの底上げしたのは確かでしょう。底辺レベルを平均レベルに引き上げたのは、日本人らしい受け止め方と教育のせいだったのでしょうか。昔のようにスターは出なくなりましたが、全体として、ひどいというレベルのオペラや合唱はなくなったわけです。悪いのをなくした、まさにマイナスをなくす効果を上げたのです。

 マイナスをゼロにするというのは、元に戻すのですから、予め、明確な目的、正答があるわけです。つまり、向こうのお手本に似せる、向こうの人と同じように普通にするということです。しかし、プラスというのは、個々に違うので、創造的な分、形は予めわからないのです。

 

○ミュージカルという病

 

 ポップスのように、自分なりに歌って、そのままプロになっている人も世界中にいます。クラシックとどちらかが正しいとか、この2つは違うものと言いたいのではありません。私は、歌の声ということで同じに捉えています。

 その混合地帯が日本ではミュージカルともいえます。日本では、かなり特殊に二極化しているからです。役者出身と声楽出身では、得手不得手がかなり違ってきます。大ざっぱにいうと、役者は個性、声楽家は技術がみえます。

 ところがブロードウェイの出演者なら、何が出身かなどわかりません、両方を学び、共に極めているからです。技術と個性が両立して一体化しなくては、プロとして認められないからです。

 日本では、声楽家出身者は、高音域に届かせることとロングトーン、ビブラートの技術に秀でていて、役者出身者は声の個性やせりふ、演技での表現力に秀でています。さらに、ダンスで秀でた人もいる、となりましょうか。

 

○劇団四季の先に

 

 劇団四季は、興行として、日本で大成功した例です。音声面、歌唱技術に限っていえば、ブロードウェイのレベルとは比べものにならないものの、ダンスは、少しずつ近づいていると言う人もいます。そこで、役者から声楽出身者にメインが替わっていくのは、原調での無理な高音共鳴が必修となってきたからです。

 さらに、韓国、中国出身者に替わられていくのをみるに、その理由を日本人の発声力と音色力、特にパワー不足に求めざるをえません。

 ミュージカルなのに、発音ばかり優先されるのは、感心しません。私は、歌では、音楽面を主にみているので、根本的に違います。

 日本語を優先し、話の内容が初心者や子供にもわかりやすく伝えられるようにして、日本語の教育にも関わるようになった、日本語発音第一主義の劇団四季は、発音が不明瞭だった日本人の舞台へのアンチテーゼとして登場してきたと思います。そして、そこに学べることは、日本人の受け止め方ということです。それは日本での興行に成功するための優先順ということでしょう。

 

○総合して超える

 

 問題は、日本の歌が洋楽曲を取り込んで日本語詞をつけたところから始まっています。メロディとことばの矛盾です。それは、今はラップでリズムとことばの矛盾として起きているのですが、あまりみえていないようです。

 それはともかく、せりふからの歌へのしぜんな移行、それに伴わせた発声のマスターを考えると、次のようなことが言えます。

 後天的に出てきた病を、そこで捉えて治すのでは遅すぎるのです。対処治療の前に後天的に出てきた理由を探り、その前に出てこないようにします。未然に防ぐ、東洋医療でいう未病で治す、ということです。医療保険制度での治療費を減らすために、日本でも、ようやく未然に防ぐことの方に注意がいくようになってきました。それが予防医学です。

 発声は、ポリープや声帯結節ができたら病気と言われ、治療となります。喉がかすれたり痛くなっても、将来の芸術や芸能の歌唱、せりふに影響しないようにすればよいのです。それは一時の病、風邪のようなものかもしれません。そこでヴォイトレなどで予防することを覚えていくの

とよいでしょう。

 

○達するレベル

 

 芸事ですから、あるレベルに達していたのが達しなくなるのと、まだ達する実力がないのとは、違います。これは、日常の中に、声、せりふ、歌もあるので、なかなかややこしい問題です。ともあれ、間違っているのと達していないのは違うのです。

間違っているのは、直すとか正しく戻す必要があるのですが、達していないのは達するようにしていくしかないのです。しかし、達するに上限はないので、そこに求める程度の問題、いや、達せられる程度の問題となります。

 ですから、初めて声楽を学んだときには、正しく歌っていないとか、間違っているというのはおかしいのです。それは、達していないにすぎないからです。でも、声は出て歌っているから、その発声では舞台に通じない、OKは出ないから、間違いといわれ、正しい発声を覚えなさい、となります。この場合、間違いでなく、違っているというべきです。

 

○「正しい発声」と使える声楽

 

 声楽の「正しい発声」とは、多くの日本人には、これまで出したことのない特殊なものです。日本人の日常から離れているものです。実際に接するとまるで、初めて楽器を習うようにも思われます。楽器なら、初めてではなんともなりませんが、せりふや歌は、少々はできるのに通じないので、間違いと言われます。外国語の発音を学ぶのと似ているかもしれません。ただ、合唱や学校の唱歌などの歌唱、童謡などでは、声楽と共通しています。

 私は、「正しい発声」でなく、それを可能とする体づくり、呼吸づくり、発声づくりを学ぶように声楽を取り入れています。声楽の共鳴も歌唱も、声の可能性を大きく開花させる手段としてみていますが、目的ではないのです。そこが、私の考えるヴォイトレと声楽との違いです。感覚や体づくりとして、これまでの自己流や日本人らしい発声を打ち破る手段として、声楽は大いに使えるということです。

 

○生来の声と健康

 

 人は、生まれて、声が出て、母語を学び、話せるようになります。そして、歌えるようにもなります。そうして過ごしてきた幼少期から十代、ここでベースができます。ことば同様、その民族の生活や風習によって、歌や踊りは習得されていくといえます。とはいえ、同じ環境下でも、かなりの個人差はあります。

 同じ時代に同じ日本で育っても、いつも歌ったり踊っていた子と、そういうことに関心のなかった子では、十代でかなりの差がつくでしょう。カラオケによく行く人と、行かない人でも大きな差がつきます。歌でも、TVをみて育った子と、ラジオやレコードで聞いて育った子では、違ってくるでしょう。

 そこでは、小学生の100メートル競争での実力のように、特別にトレーニングするわけでもないので、あまり努力と関係ありません。素質や環境に大いに影響されての特技、才能として表れるところです。

 とにかく、健康である人には、関係のなかったはずの健康づくりが、日本では当たり前の時代になってきたわけです。話して歌っているのが当たり前の人がヴォイトレのレッスンなどで声づくりをするようになったわけです。どうも似ていませんか。

 

○直すのでなく、達していく

 

 病気を心身の使い方のミスから生じると考えるのなら、発声も同じようにミスと考えられなくもありません。となると、その発現の時点に立ち戻って直せばよさそうなものです。

 発声がよいとか悪いとか、歌がどうこうという前に、それに有利な考え方に変えて、それに沿ってトレーニングをして、変えていこうというのが、日本人の声楽です。

 それに対し、直すのでなく変える、間違いを正すのでなく、達していないのを達するようにする、できているのをもっとよくする、そのように考えるのが、私はよいと思うのです。

 正しい、間違いの二極でなく、程度で考えるのです。

 老いも病も不運にして起きるのでなく、すべては体の変化の中でのプロセスです。健康な人も、100パーセント完全ではなく、必ず病をもっています。ガンになっていない人もガン細胞をもっています。

 生きて死んだら何もありません。老いや病も私たちの頭でつくり出したものです。いえ、そう教わったものです。発声も同じではないでしょうか。

 

○発声依存からの脱却を

 

 声は、宗教とも深い関係があります。生活全体から人間発声学として捉えるならば、そこには無限の可能性があります。風邪で病院に行くような国はありませんから、日本人は病院依存症です。病院に行って薬に依存して、いつも病気を引きずっているのは、よくありません。

 一方、東洋医学でも、治療や薬に依存してずっと抱え込んだままになったり、直ってはまたすぐ繰り返すという人は少なくありません。そこは直っても別の個所がよくなくなる、転移のようなことも多いようにみえます。

 残念ながら、発声やヴォイトレも、そういう人がたくさんいます。いろんなところをいつも回って悩んでいる人もいます。そういう人には、是非、この研究所で終止符を打って欲しいものです。

 

○ライフワークにする

 

 私のところには、10年、20年といる人がいますが、それは、直らないのではありません。達していこう、極めていこうとしているからです。途中、かなり踏み外しているようにみえることもありますが、続けていくと、そういう人の方が大きく育っています。そこで、どういうアドバイスをするのかも、なかなか難しいことになるのです。武道のようにその人のライフワークとなっているのです。

 

○ヴォイトレの誤解

 

 「声が思うように出ない」「喉を傷める」などで医者に行く人の多くは、医者から紹介され、研究所にいらっしゃいます。そのほとんどは、病気とか怪我をしたのでない、治すというのでなく、達していないのです。発声や歌い方が間違っていたり、できていないのでなく、中途半端なのです。もっと大きく伸びる余地をみて挑んでいないのです。

 そこがわからないと、発声法を教わったところで、少し無理をすると壊します。それがわかると今度は無理をしなくなります。無理しないことで壊さなくなるのをヴォイトレと思ってしまう人が多いのは、私としては残念なことです。

 目一杯の無理をしても壊さなくなる、昔より大きく強く声を出せるようにならなくては、トレーニングではないでしょう。

 「発声が直らない」とか「歌がうまくならない」と思っている人は、考え方を変えてみることです。キャリアを重ねていくように考えて続けることです。そこでレベルアップするためのレッスンに気づき、ヴォイトレでは、ロングスタンスで声の器づくりをしていく力を蓄積していくのです。

 「すぐにうまくなる」「間違いを直す」ということばは、使いたくありません。そういう指導は、本質を見誤りかねません。

 

○発声は間違えない

 

 歌詞を間違えたり、音程やリズムを外したとは言いますが、発声は間違えるというものではありません。地力のなさでのコントロール不足といった力の問題がほとんどです。それは、訓練していかない限り安定しないのです。

 丁寧な発声と、それを再現しキープできる体力、技術を身につけていくこと、それが基礎たるヴォイトレです。歌唱には、発声や共鳴のバランスやコントロールとともに、表現のためのパワーとメリハリがいるのです。そのときに、声の芯や声量、共鳴と言った基本の力が大きく効いてくるということです。

論19-2.「歌うことのソフトウェア」

〇デジタルの進化

 文化での大きな改革期を20年ごとに、1967年のアメリカ、1987年のイギリス、2007年の日本とみる人がいます。

 2007年に、ヴォーカロイド初音ミクが登場しました。これはサンプリング音源、販売の会社から生まれたのです。(クリプトン社1995年~)

80年代のDTMMIDIDTMは和製英語)、

1983DX7発売(ヤマハ)、DXはシンセサイザー、QXはシーケンサー、RXはリズムマシーンです。

(背景)

1965年ベンチャーズが来日

1966年ビートルズが来日

1967年~ポプコン(ヤマハ・ライトミュージック・コンテスト)

1967年「帰ってきたヨッパライ」(フォーククルセラーズ)

196710月~「オールナイトニッポン」

19698月「ウッドストック・フェスティバル」(アメリカ)

ヒッピーカルチャー

(デジタル化)

196910月~ARPANET(インターネットの前身)

○歌うことのソフトウェア化とバーチャルシンガーの登場

 1968年「2001年宇宙の旅」HAL9000が「デイジー・ベル」を歌いました。これは、1961年、ベル研究所のIBM7094が実際に歌ったところからきたようです。

 以下、初音ミクを中心にみていきます。

1964年冨田勲のモーグのシンセサイザー、富田氏は、のちに人形浄瑠璃と初音ミクの共演を実現します。

「着メロ」と「着うた」「歌ってみた」の投稿、ネット発クリエーター ニコニコ動画 同人イベントの開催

20091月 バイリンガル(英語音声データベース)

カラオケ JOYSOUND

2009年 「ミクフェス’09夏」

20097月 PSP用ゲームソフト「初音ミク―Project DIVA」(セガ)

20104月「初音ミク アベント」6つの声

20115月 米国トヨタのCM

20117月 ロサンゼルスでアメリカ公演

201311月 パリ、シャトレ座でヴォーカロイド・オペラ「THE END

歌声ライブラリー「がくっぽいど」(GACKTの声)「ハルオロイドミナミ」(三波春夫の声2016)などの開発と発売。

論19.「「AIとこれからの声」へ。~ナレーション、声優、歌手、ヴォイストレーナーの職のソフトウェア化」

〇カラオケバトルという歌謡番組

 

 日本では、カラオケに続き、ヴォーカロイドが実用化されました。これは、ロボット、アンドロイドという2つの進化に相当します。

 歌番組もほとんどなくなりつつある日本のTVで、カラオケ採点機能での点数を競うカラオケバトルの放映が増えました。カラオケ採点機能が改良され、ある面で、審査員以上の公正な判断をしているとみたのでしょうか。そのセンサー機能を人の耳よりも信用をおいたわけです。

ゲームのようなことが、いつの間にか、その点数を1点、いや、0.1点でも上げようとして、参加者が競うようになっています。歌手のゲストコメンテーターでさえ、その点数を基準として聞こうとしているようです。歌の先生、ヴォイストレーナーの仕事を、代行していることになってきたのです。

 十代のオリコンランキングの上位の半分が、ヴォーカロイドの歌曲となったこともあります。高い声と滑舌(早口ことば)を楽しんでのことです。それが生理的快感らしいのは疑いようがありません。ランキングのあとの半分も、AKB48とかジャニーズ系ですから、もはや、ここでとりあげる対象にならないのです。

 

〇コンピュータの進歩と音楽

 

 カラオケバトルをクイズやゲームのように興味本位でみていましたが、声の世界での大きな変化であるのは現実なのです。歌番組として、カラオケ採点機を入れないものよりも、多くの人に視聴されているのです。紅白もそうして競った方が視聴率は上がるかもしれません。

 20世紀後半、シンセサイザーの登場で、バンドの音づくりは打込みになりました。人間よりも正確に音楽の演奏を文句一つ言わずにこなすのです。しかも、それまでにない音色や音の動きまでつくれます。ドラマーも、人間では32ビート、64ビートなどを正確に持続しては叩けません。同様に、歌手はヴォーカロイドのもつ声域、リズム、音程の正しさに敵いません。まだ勝っているのが発音、高低アクセント、イントネーションの変化ですが、これらもいずれカバーされるでしょう。残るは、音色、その人だけの声です。しかし、それさえ近いうちに代替されそうです。あなたの求める声や有名人の声で読み上げるソフトは、間違いなく出るでしょう。

 

〇日本でのAI化と“かわいい”

 

 ハイテク技術での技量、正確さの向上、再現性と、人の耳を通しての音楽、歌の捉え方、脳での聞き方での評価とは、必ずしも比例しません。とはいえ、AIとなると、そういうものさえ取り入れるでしょう。いずれはiPSでの生の声帯で発声できるようなアンドロイドも出てくるでしょう。声帯の代用の発声として、医療リハビリ面での必要から開発されるでしょう。

 CDのレベルなら、そこまでの必要もなく、人の声の合成だけでも、ほぼ間に合いそうです。カラオケバトルで、正確、完全な歌唱を競うだけなら、人は、音声ソフトに敵わなくなるでしょう。

 “かわいい”カルチャーに席巻された日本の若い世代は、歌手の歌声が人間の声でなくとも、さほど違和感をもたないようです。それどころか、合成音に慣れてスムーズに移行しつつあるのです。もしかしたらウォークマンあたりから慣れていったのかもしれません。iPodiPhoneの音にも違和感はないでしょう。すでに、若い世代は、デジタル音をよいものとして、ファミコンあたりから訓練されてきたのです。

 

〇声優、ナレーター業のソフト化

 

 声優、ナレーターの仕事は先細りです。ナレーションのソフトが、かなり高い完成度で販売されています。しかも、日夜、改善を続けています。

 通訳、翻訳も、一流は、どの職では特別ですが、それ以外では、通訳、翻訳ソフトに替わるでしょう。

 余談ですが、私の学生時代では、まさか自分が、日常でパソコンを使うとは思ってもいませんでした。1980年代のことです。電動タイプライターはありましたが、アルファベットに比べて日本語の入力自動化の限界を感じていました。

 女性では、和文タイピストというのが花形職、1枚で何千円かを稼げました。写植屋さんは、もっと高く、二千万円ほどの初期投資で一生安泰などと聞いていたものです。今や、和文タイプライターは職とともに消え、街に写植屋さんもみあたりません。職が消えるというのは、簡単なことなのです。

 ちなみに、当時、動画映像、VTRのマスターを160分ほどをつくるのに1千万円以上かかっていました。機材もスタジオ代も含めると、今と何桁違うでしょうか。今や、小中学生がそのレベル以上のことをできます。無料で、しかも、すぐに配信までできるようになったのです。

 ついこの間まで、浪曲が日本を席巻していたのに、もはや、その面影もないのを彷彿とさせます。

 

○シンギュラリティ

 

 シンギュラリティTechnological Singularity(技術的特異点)とは、人工的な超知能が人の知能を超える特異点です。一説には、2045年(カーツワイルほか)に起きるとされています。

 人工知能(AIAGI)の開発は、DNA解析、原子力の発明と並ぶ大革命といえます。

 

○リオから東京オリンピックへ

 

 たとえば、パラピンピックの選手が、これ以上サイボーグ化したら、オリンピックの記録をすべて上回るのではないでしょうか。

 パラリンピックでは、義足で2015年に10.57秒の記録を出したアラン・オリベイラ選手がいます。ちなみに、ウサイン・ボルト選手の記録は9.58秒(2006年)です。

 すでに走り幅跳びでは、マルクス・レーム選手が8m40まで出しています。(マイク・パウエルは8m95

 マラソンについては、世界記録が2時間257秒、車いすマラソンでは、すでに1時間2014秒となっているのです。(2016.9月現在)

 

AI世界と日本人

 

「マトリックス」の映画のように、培養され夢だけ見ている状態、夢の中で幸せにくらす方が日本人は、自由を求めて命をかけて戦うよりまし、と思うのでは、とは、松田卓也氏の指摘したことです。「永続敗戦」という白井聡氏のベストセラーに思い当たりました。

 

Q.テクノロジーの進歩は、どんどん速くなるのですか。

A.集積加速の法則、The Law of Accelerating Returns、これは「ムーアの法則」より派生しました。集積回路の集積度について1960年代に発見されたものです。指数関数的な進歩をするということです。というのは、1年後2倍、2年後22乗で4倍、3年後23乗で8倍、10年後およそ1000倍、20年後100万倍、30年後10億倍ということです。

 これを、コンピュータの進化のスピードとして、その結果をみると、当たっていると言われます。

 

Q.AIで、すべての仕事はなくなりますか。

A.アンドロイドは、ロボット(産業機械)以上に、人を助け、人のこれまでの仕事を奪うでしょう。人の仕事として残るのは、自由意思を尊重して、判断して関わること、トップとボトムくらいのようです。

 

Q.AIは、音楽の創作もできますか。

A.すでにシンフォビア(SYMPHOBIA)の奏でる音楽は、本物そっくりと言われます。ディビッド・コープのEMIは、特定の作曲家ふうに曲づくりをします。

 

Q.音声入力があれば、キー入力は不要になりますか。

A.iPhoneSiriは、2011年秋、英仏独語、20123月に日本語版がでました。これまでのViaVoiceAmiVoiceとは、格段の違いがあります。事前の訓練もいらないのです。

 ただし、音声入力は、周りに人がいるときなど使いにくいのが欠点です。いずれ、骨振動の入力、喉の筋肉の動きを捉える技術(NASA)などが、使われるでしょう。

 脳波で入力できるようになるかもしれません。これはBCIブレイン・コンピュータ・インターフェイス、または、BMIはブレイン・マシン・インターフェイスと言われています。

 現に、EPOC(エモーティブ社)は、300ドルで、頭にかぶり16個の電極をつけ、簡単に脳波を扱えるように開発し、普及に拍車をかけました。

 

Q.AIの音声応答は、使われていますか。

A.ボットという人工知能ソフトウェアで、音声での応答をすることができます。

 コールセンターのなかには、電話の話し声から客のタイプを判別して、もっとも適切なオペレーターに回しているところがあります。それだけでも相当手間が省けるものでしょう。

 

Q.未来予測のオーソドックスな研究は何ですか。

A.1972年、ローマ・クラブの将来予測での「成長の限界」(MITメドウズほか)が有名です。(ロトカ=ヴォルテラの方程式が使われました)

 

○ロボットからAI

 

「ロボット」(1920年 カレル・チャベック)

AI」(1956年 ジョン・マッカーシー)

MOTOMAN1974年 産業ロボ 安川電機)

Eo1986年)PS1996年 ホンダ)

ルンバ(そうじロボット 2002年)

Sophia20154月)

Pepper20156月)、PALRO PARO 

そら楽(ドローン、ゴルフ場 2016年)

アルファ碁(20163月)1997年 ディープ・ブルー(チェス)、東ロボくん(受験)、ワトソン(クイズほか)

AIBO(ソニー)

ASIMO2011年 ホンダ3代目)

「教えてgoo」なども、AI使用

SiriGoogleNowCortana

NeoFace

 

(映画)

ヴィキ「アイロボット」「マトリックス」

スカイネット「ターミネーター」

 

(マンガ)

ハレルヤ「火の鳥」

「鉄腕アトム」「ドラえもん」「サイボーグ009

「ドラゴンボール」「攻殻機動隊」

 

関連記事をfukugenからあげておきます。

 

〇ことばと手話のAI化と平和

 

TEDで、ASLアメリカ手話を魅せる英語として演じたクリスティーンさんは、「音は、社会的通貨」と述べました。言葉を話してこそ、人は通じ合えるということです。しかし、手話があれば、理解し合えます。

 

私たちが、外国で外国語を理解できないとき、孤立化します。コミュニケーションがとれないと、そこで差別が生じます。しかし、通訳がいると対話ができ、理解し合えます。

 

ことばも手話もなんでも通じるようにAIが発達すると、それで、世界が平和になるということです。

 

〇通訳、翻訳は自動化に

 

多言語コミュニケーションサービス本格化。

ジャパンフィッターが2秒で自動翻訳

日英中韓 202010ヵ国対応予定

JTBとパナソニックのクラウド利用)

手荷物配送もラゲージフリートラベルで。

やがて、通訳、翻訳、ツアーガイドも淘汰の時代に。

 

〇パラリンピックに夢みる

 

パラ=パラレルは「もう一つ」のですが、もとはパラプレジア=対まひということでした。視覚障害や手足切断の人は、まひではないので、こう変わったのです。

 

足を切断したために、自由な長さの足をつけられるようになって、まわりにうらやまれたというモデルの人がいましたが、障害した人の働くことが驚かれた時代から、今や、技術の進歩もあり、障害が個性として強みになりつつあるのです。

 

そもそもカツラもメガネも整形も障害克服技術ですし、コンタクトレンズが望遠になったら、くらいに、身体のサイボーグ化は身近に進みつつあるのです。

 

パラリンピックがオリンピックの記録を塗り替えていくと廃止されかねないのでないか、と心配しつつも、両足50メートルの義足にしたら100メートル走は一歩とか、など、最近、私は、リハビリから競技になったパラリンピックに、余計な心配とともに、人類の夢を重ねて、見ております。

 

オリンピックで日本のメダルは最高の41、入賞は45でしたが、そろそろ国をはずしたいですね。日本などの大国は、選手村の外に完全ケアの施設を完備、金にものを言わせるようなメダルレースはおかしいのに、自国のことばかり考えるな、フェアにやろうよ、と思うのですね。欧米が仕切って日本がそこにのる、何処かで見たような。

 

1ヵ月まえ、867日とエチオピアでは、100人以上が政府の治安部隊に殺害されたとやら、で、マラソンでリレサ選手が抗議のポーズ。

 

夢とともに現実をしっかり、みたいものです。

論18.「声の強さ、耐性について」

Q.なぜ、ヴォイストレーナーの声は弱いのか。☆☆☆

 

〇ヴォイストレーナーの声は弱い?

 

最近、よく聞かれるようになった質問です。きっと、トレーナーは、声が強く大きいとか、太く深いと思って、会って幻滅したのかもしれません。しかし、ヴォイストレーナーというのは、必ずしも強い声を出せる人でも、強い声の出し方を教えることを専らとしている人ではありません。

 

ここは、ヴォイストレーナーに何を求めるのかで違ってくるでしょう。もちろん、全てをできるというトレーナーもいますが、そういう人に限って、大体は、全て薄めている、つまり、平均的にそこそこにできるということが多いでしょう。

 

私の研究所では、一人の受講生に複数のトレーナーがつく複数トレーナー制で行っています。これは、全ての問題に対応できる、あるいは、全てのタイプの人に対応できるトレーナーは、ハイレベルにおいてはどこにもいないと知っているからです。

 

〇海外のトレーナーと日本のトレーナー

 

万能なトレーナーなどは、アメリカやイタリアにもいません。そこで、すでに一流の歌手をみているトレーナーでも同じです。あなたがそうなりたくて、もしその人についても、なれません。 

これまで、たくさんの人が、一流をみているというトレーナーに学びに行ったのを私は知っています。そういうトレーナーの何人かとは面識もあります。しかし、日本人で、そうなれた人はみていません。

もちろん、歌手に限らず、認められるには声の力だけではないのですから、ヴォイトレの第一の目的の声でみるとします。でも、声の力こそ、全くついていないケースが多いのです。

 

海外のトレーナーと歌手の例から切り出しました。それは、大体において、現在、日本で歌手を教えている人は、他の国のヴォイストレーナーより声が出ない、弱い点で特異だからです。また、日本の歌手も役者も同様に、声は弱いのです。

そこで、プロの歌手、役者が自分を見本として教えると似たことが起きるのは、当然のことです。

 

それ以前に、そういう人たちは、声が強くなくてはいけないと思ってはいません。ポップスにはマイクがありますから、歌を上手く歌うことと、声の強さ、大きさは関係ないと思っています。または、本人はそうではないタイプなのでスルーしているのです。

もって生まれた声で、そのままでよいと思い、声の強さを求められなかった、求めても得られなかった、得ることをしてこなかったのです。簡単に言うなら、声を強くするトレーニングをしてこなかったし、その必要性も感じていなかったのです。

逆にいうと、それで人並み以上のことができ、認められてきたのです。つまり、高い声、細い声、きれいな声を求め、あるいは、すでにもっている声、質がよく、恵まれたタイプか、高音域優先タイプが、日本のトレーナーには多いのです。

 

〇ヴォイスコントロールとヴォイストレーニング

 

ですから、プロの歌手やトレーナーで普通の人よりも大きな声が出ない人はたくさんいます。そういう人は、声は鍛えるものでない、その人に合ったしぜんがよい、と考えています。そうなると、どこが声のトレーニングなのかと、私なぞは思うのです。

そこで伝えられているのは、ヴォイトレでなくヴォイスコントロールであると、私は、二つに分けてきました。

 

今の日本の歌の現状から、そういう方向に特化したヴォイストレーナーや声楽家を紹介することもあります。私の研究所には、かつて、声の弱いトレーナーも何人かいました。が、今は、一般の人よりも声が弱いというトレーナーはいません。ここには、あらゆる分野のプロの人もくるので、声が弱いのでは、などと疑問をもたれてはやっていけない厳しさがあるからです。

 

要は、いろんなタイプ、専門のトレーナーがいるので、そこをきちんと知ることです。ご自分のトレーナーに、どこが専門、強いのかを聞くのもよいと思います。それがわからないのなら、私があなたをみて勧めるトレーナーから始めるとよいと思います。

論17.「「まね」で教えること」

○客観化する

 

 自分が一人で行うことと、レッスンのようにトレーナーと二人で行うことは違います。私は、一人と二人とは絶対的に違うと思っています。何十人ものレッスンでも、私は、11の複数形でみて1対多とはみていませんから、二人以上なら何人いても同じかもしれません。

 ですから、自主トレの結果を問うレッスンが大切だと思うのです。よいレッスンは、声が行き来するもの、声が働きかけるものです。トレーナーから教えるのでなく、生徒が声で問うのにトレーナーが応じているようなものです。

 「トレーナー対生徒」の11のところへ、私がそのセッティングみる形をとると「1対(11)」となります。トレーナー二人のレッスンを比べることで、もっと客観視できます。たくさんの個人レッスンを受けるのは、平行ですが、それを統括してみる私がいることで、重層的になるのです。これがとても大切なことです。そのトレーナーと生徒、二人の働きが、より客観的に判断できます。さらに、生徒1人に2人のトレーナーをつけると、1対[(11)(11)]となります。

 昔は、マンツーマンのレッスンを次の番の生徒さんに見学させることで効果を上げているレッスン体制がよくありました。距離をおいてみていると、聞く力もつきます。

 私はステージやCDを自分だけが聞くのでなく、すぐれた生徒やトレーナー、すぐれた観客が聞くのを、その外からみて、つまり、一番後ろからみて、より多くを学びました。秀でたトレーナーや生徒が作品をどう感じるかを知ることで、自らの評価を客観化するように努めてきたわけです。

 

○まねの盲点☆

 

 研究所では、一人の生徒さんに複数のトレーナーをつけています。その分、客観視しやすくなります。

 トレーナーが信頼されると、よい面もたくさんありますが、そうでない面では、トレーナーのくせが入ります。それゆえ、23人のトレーナーにつく方が、もっともよいと自分が思うトレーナーだけにつくよりもよいと思うのです。

 一人のアーティストや一人の役者だけから学ぶと、知らないうちに必ずまねになってしまうと警告しています。これまでに、教えている先生にそっくりな芸風になった生徒さんたちを、他のスクールでたくさんみてきました。

 先生が歌手なら、なおさらその感性が大きく影響します。多くの人は、プロ歌手ほど才能や強い個性があるわけでないから、そこにいると、その影響下にどっぷりと置かれます。喋り方や言うこと、立ち居振る舞いから考え方まで似てしまうのです。そこに出入りする関係者も、先生を評価する人の集まりだから、なおさらそうなります。これは、北島ファミリーの例で以前、説明しました。それも一つの学び方であり、特に日本では徹底してそういう伝え方でした。

 これが有利な点は、形だけは早くできることです。人前に早く出せるのです。そうであるほど後で不利な点に化してしまうのが、怖いところです。自力で出ているのでは、ないからです。まねを外そうにも外せないし、外したら形もなくなるのです。他の芸なら、それを踏まえて次に進めることもあります。しかし、声や歌はそうはいかないからです。個人の体、さらに個人の喉、そこは他人の入り込めない壁があります。なのに、その区別が本人にもまわりにもつきにくいからです。

 

○育つ

 

 教え方がわかりやすく、やさしいトレーナーにありがちですが、いつも自分よりできない人だけを相手にしていると、どうなるでしょう。そのトレーナーの力を5としてみると、半分の2.5の力くらいにまでしか育てられなくなっています。

そういうトレーナーは、自分の力を示すのに、未熟な相手が出せない高音やファルセットなど、わかりやすいことをやって見せます。それが獲得すべき目的であり、技術のようにみせるのです。「私はできるが、あなたはできない」というギャップを示します。そして、自分のまねをさせて、まねができるようになることを目的とします。おのずと器用にまねられることが優れているという評価になります。ロングトーン、ビブラート、ボリュームなどを見せる人もいれば、昔の作曲家のトレーナーのように、歌や伴奏のうまさを見せる人もいます。でも、どれもヴォイトレの本質ではありません。

 自分より有名であったり活躍していたり、違う面でプロである人を相手にしていると、トレーナーの力が5しかなくても相手が10に育つことがあります。学ぶポイントを本人自身でつかみ、何事もできるようにする方が大切です。

 

○勢い☆

 

 年をとり衰えていくと、それを隠すための飾り方、いわば、声や振りの使い方、みせ方がうまくなります。それも芸であり、文化たるものと思うのです。

 しかし、若いうちはパワー、勢い、威力がベースです。エネルギーをムダに使えばよいのです。過剰な放出こそがインパクトとして唯一、アピール力となります。

昨日の自分との競争などは、衰えてきたらでよいのです。最初は、周りに勝とう、より秀でよう、からでよいと思うのです。

 トレーナー業は、そうはいきませんから、そうでないことを教えることになりがちです。それが、トレーナーにつくときにもっとも注意することです。多くの人には、まとめるのでなく、力を出すことが第一の課題だからです。

 

○秘訣★

 

 「特別な教えはありますか」「何回くらい通うとコツを伝授してくれるのですか」

 初日、初回でも必要なら、私はすべてを示しています。私のトレーニングの基本は一声の「ハイ」「アー」で示せます。それがそっくりできたら、初日に卒業です。何ら隠していません。わかりやすいでしょう。

 難しいことなどは学んでも、身にならないものです。ステージは難しいことをできることをアピールする場ではありません。難しく思わせないほどにこなせていてこそ、客も楽しめます。

大切なのは自分を知ることです。自分の声を知るのには時間がかかるのです。

 私よりもよい声の人、高い声、低い声の人、長く伸ばせる人、個性的な声の人など、いくらでもいます。ここのトレーナーも私よりすぐれた声の技術をたくさんもっています。歌のうまいトレーナー、ピアノのうまいトレーナー、せりふのうまいトレーナー、だから、皆で運営しているのです。

しかし、他の人と比べても仕方ないのです。「私はこれができる」「あなたは何ができる」「私と同じことができる」ということではなく、「他の人のできない何ができるのか」ということを問うのです。

 私のできないことをできてしまう人はたくさんいます。ですが、ここのトレーナー全員のことが一人でできるような人は、日本人なら、ほとんどいないと思います。それが総合力としての研究所の体制のもつ力なのです。

 

○プロの能力

 

 問われるのは、できる、できないではなく、できることでどこまでできるか、ということです。私は、歌手も役者も声優もアナウンサーもお笑い芸人、噺家もできません。では、できるとは、どういうことなのでしょう。それは実際、結果で問うしかありません。

 一つの基準は、「それで食べている」ということです。プロよりうまい素人もいるのです。資格のない職では、区別できないものです。何十年も前のヒット曲での知名度であろうと、印税やタレント活動であろうと、それで食べている人は、プロなのです。

 プロとして考えるなら、できるに対してできないというのは、それで食べていないということです。歌手といっても、自称歌手を含めたらカラオケに毎日のように行っている人は、たくさんいるでしょう。プロとして稼いでいても、歌や芝居だけで生計の立つ人は少ないでしょう。作詞作曲の印税は、歌い手とは別の職とも思います。あくまでヴォイトレからみてのことです。シンガーソングライターは、声も含めた総合力ということになります。

 プロとは、人生でそれを選び、あるいは選ばされ、それで生きてきている人といえます。歌手出身の、アナウンサー出身のヴォイストレーナーというならわかりやすいですが、それは、むしろ本職でうまくいかない人も多いのですから、できていても売れない、でもプロの世界では、それはできていないとなるわけです。

 ですから、ヒット曲や出演機会もないトレーナーが、プロの歌手やプロの役者とその分野で張り合ってもどうしようもないことです。トレーナーは、声をみて判断し、トレーニングすることのプロであるべきです。トレーナーとして声がよいとか、カラオケがうまいのは、そうでないよりはよいだけで、本質的なことではありません。それで実力を問いたいということなら、役者や歌手をやればよいのです。なぜ、それで通用しないか、自らを知ったトレーナーでないと、プロをみたり育てたりはできません。

 

○トレーナーの業

 

 私ごときが声のトレーナーをやっている、なら、「自分ならもっとできる」で、アーティスト志願者がトレーナーに転向したなら、それは、よくも悪くも、失敗です。反面教師としても、私の影響下に入りすぎだと思います。それで人生が変わったというのは、必ずしも喜べません。なぜなら、好きなことの周辺で食べられる数少ない職とヴォイトレを考えてしまったと思うからです。

 私は、ライフワークとして、自らの心身のためと後進のために、声の研究のための研究所をつくっていました。アーティストや社会人としての勝負もしないうちから、トレーナーとして先生になって欲しいとは思わないのです。

 世界への人材が出ていない日本で、私は、アーティストの踏み台になるつもりではあったのですが、トレーナーの踏み台にもならなくてはいけないようでは、困惑します。「トレーナーの選び方」を、トレーナー向けに述べているのは、その責任もあってのつもりです。

 

○よいと思うことを疑う

 

 「昔がよかった」という自分が、まともだとは思ってはなりません。自分たちがよいと思うよう行動していて、時代がよくなっていっていないというのなら、自分の「よいと思うこと」を疑うところから始めるべきです。

大人はバカだといって、大人になってみると、バカになっているものなのです。それに気づいているのといないのとは、天地ほどの違いがあります。私が語るにあたり気をつけているのは、次の2つの事実です。

 

1.海外の外国人の声、歌唱のレベルは総じて高い。

2.今の日本のレベル、日本人の歌唱力、声の力は向上していないどころか低下している。(平均レベルはカラオケレベルで上がっても、トップレベルは下がっている)

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