ご案内

私は10数名のヴォイストレーナーとともに、ヴォイストレーナーにも指導しているため、内外のヴォイストレーナーのアドバイザーやヴォイトレをしている人のセカンドオピニオンもたくさんやってきました。ヴォイストレーナー志願者の人や「ヴォイストレーナーの選び方」などに関する質問も多くなりました。そこで、この件について以前に述べたものを再掲載しておきます。http://www.bvt.co.jp/trainer/buntrn.htm

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「1.ヴォイストレーナーの選び方」

「2.ヴォイトレの論点」

Vol.53

○できる人は、声の切替力がある

 

 とても悪いことが起きたあと、仕事の電話があったら……。普通は、明るい声にはなりません。

 しかし、プロの営業マンやベテランの受付嬢なら、ていねいに明るく受け応えるでしょうね。瞬時に切り替えられるのです。

 声の<切替力>のある人が、仕事のできる人です。その切り替え力のプロが、先に述べた、役者や声優なのです。

 でも、ノーマルな人は、尾をひくのです。自分では、そういうつもりはないけど、素直で、悲しみから抜けられない心のやさしい人ほど、そうなるのです。表情はがんばっても、声を切り替えられないからです。

 

○声は、みえない情報を相手に与える

 

 悪いことがあったあとは、誰でも暗い声になります。もごもごした、低い、テンションのない声になります。

 しかし、その状況を知らずに、あなたの声を初めて聞いた人は、次のように思うのです。

 「具合悪いのかな」

 「やる気ないな」

 「こっちのこと、よく思っていないな」

 「この人、仕事がうまくいっていないのか」

 声がそういうメッセージを送ってしまうのです。

 

 初めて声を交わした人は、あなたのことをわかっていませんから、そのときの声がそのまま、あなたという人の能力を伝えます。

 「仕事のできない人だな」「つまらない人生、生きている人かしら」

 好き勝手に、悪い方にあなたのイメージはもっていかれます。

 そして現実は、本当のあなたと関係なく、その声の感じを受けて、進んでいくのです。だから恐いわけです。

 

○声でわかること

 

 あなたの声を聞いて、人は、次のようなことを瞬時に察します。

 あなたの体調、気力、意志、やる気、気持ち、気分など

 能力、実績、自信、意志の強さ、こちらへの気持ち、状況などを勝手につくりあげられてしまうのです。

 

 あなたがうまくコミュニケーションのとれない人のなかには、この声の情報に振り回されている人もいます。そこで私も、初対面の方には、無難に笑顔とやや明るい声で対応するようにしているのですが…。

 

 たった一つの声という情報をヒントで、どんどんと相手の思い込みが進んでいく。そこであなたも余計に緊張したり、委縮したりします。

 

 でも、それでよいのです。それが、センサーの正常に働いている状態です。見知らぬ人や偉い人に、自分の胸の内をすぐに明かすような方がおかしなことです。

 すぐ握手するのは、日本では、票の欲しい人か、どこかに悪巧みのある人が多いでしょう。ときに人間的にとてもできた人もいますが。外国に長く住んだ人は、別ですが。

 

 初めて会っても話しやすい人は、ノーマルな状態が比較的、これに近い人でしょう。いつも待ちで、きちんと準備して臨んでいる人です。もちろん仕事ではそれが理想でも、そんな悠長なことは言っていられないことが多いですが。

 

○声を使いやすいとき、使いにくいとき

 

 ここで、あなたが声を考えるために、もう少し声の作業をしてみましょう。

 あなたがその人の前で声の出しやすい人、出しにくい人を三人、ピックアップしてみてください。それぞれ、分野別に一人ずつで構いません。声を出しやすい、がわかりにくければ、声をかけやすいでもよいでしょう。

  1.仕事

  2.プライベート

  3.その他

 

 次に、声を出しやすいと思ったのはなぜか、を書き出してみましょう。

 もし、その人に対して、時によるのであれば、「―のとき」という条件も入れてください。

  ・私に好意的だから

  ・長くつきあっているから

  ・いつも悩みを分かちあっているから

 など。

 

 さらに、あなたが声の出しにくい相手についても、理由をつけてみましょう。

  ・いつも、いぱっている

  ・目を合わせてくれない

  ・気が合わない

  ・私を嫌っている

  ・喧嘩をしたまま

  など。

 

 声の使い方では、声だけでなく、状況を考えることが重要です。状況と声には、密接な関係があるからです。

 

 誰でも、一方的には話せます。しかし、相手があなたの言ったことを受け止め、あなたの話した目的が達成できなくては意味がないのです。つまり、相手がどう聞くかが、かなりのポイントを占めます。そこでの声の重要性ということになります。

「伝統を伝統に」

 すべては、そのまま使うのでなく、新たに再生する必要があります。

考え方というのも受け入れた後、再考し再生するのです。思想も技術も、すべては自ら創始者と同じか、それ以上の手間をかけるプロセスを組み立てなくてはならないものです。

合うものをとり入れたときに、合わないものを忘れないことです。理解したときに理解していないものを残しておくことです。

 すでにあるものを研究し、その本質をつかんだら、再生して、世の中に打って出るとよいでしょう。

結果として、時代を超えた独自の境地に至るのかを問うのです。まさに守破離です。

 自分でつかむこと、人や方法を選ぶにも、それなりに学んで自分のものをもっていないとできません。本質は見抜けないし、まして現実に活かせないものです。何よりも、そのものを学ぶのでなく、そのもののうしろにあるものを学ぶことです。

「トレーナーを複数にするメリット」 Vol.85

○トレーナーの長所が弱点となる

 

 一人のトレーナーに、評価と指導を任せた場合の問題をまとめます。

 トレーナーですから、何かについてはすぐれているのです。しかし、何かにすぐれているからそのことを教えられるということとは、必ずしも一致しません。その問題が一つあります。

 すぐれていなかったことをすぐれていくようにした人はともかく、最初からすぐれていた人は、教えられません。いや、最初からすぐれている人には、よいアドバイザーになります。しかし、それは声でなく、心身のコントロールについてです。現役時代に活躍した有名なトレーナーの多くは、このタイプです。

 他の芸事では、習って上達するので最初からすぐれることはありませんが、発声、歌は、幼い頃からのしぜんな習得での個人差が大きく、自分なりのトレーニングでかなりのレベルにいく人がいるのです。しかも、トレーニングという意識なく、しぜんに上達しているタイプが、日本のプロには多いのです。

 

〇プロセスでの条件

 

 次に、自分のすぐれていることについて教えられるとします。この場合、見逃してしまうのは、すぐれているということを具体的に評価できるようにすることです。そこに至るステップを客観的につけることができ、しかも、評価することができることです。ここは、トレーナー自らの体験での主観的なステップづけにならざるをえません。

 ですから、発声や歌の本は、ほとんど初心者用しかないのです。つまり、人より下手なのが人並みになるというノウハウ止まりなのです。チェックで気づきは与えても、せいぜい状態を改良するだけ、条件を満たすように鍛錬するプロセスがないから当然なのです。でも、初心者は、その気づきで万能感を得て、トレーナーを全信頼してしまうのです。

 

○通じるということ

 

 他人を教えるのに、自分を元に他人の習得プロセスのステップをつけるのは、かなりの難問でしょう。それが誰にも、とは言いませんが、新たな人や違うタイプの人にも通じるのかという点で大きな疑問です。

 通じるというのはどういうことなのでしょうか、最初から確証があっても、どのくらいの試行錯誤でどのくらい修正が加わり、どのくらいの許容範囲で結果、効果が表れるのか、さらに、効果とは何なのかということまで、どのくらいつかんでいるといえるのでしょうか。

 その項目を100くらいあげてみて、比較するとよいでしょう。

 

100の能力

 

 その人に必要な能力が100ほどあるとして、トレーナーが、その100のすべてにすぐれていることは、それほどありません。仮に、すべてが教える相手よりはすぐれているとしても、もっとそれに優れ、教えるにもふさわしい人は、他にもいるということです。

一人で教えるのは、それを混乱しないようにプロデュースしているともいえます。いえ、プロデュースしていなくてはならないのですが、これが至難なのです。

 

○見逃すリスク

 

 トレーナーであるからには、どれかを優先しているわけです。トレーナーになるにも、どこかがすぐれているからトレーナーとなっているのです。その売りは、何かということです。

そのときに優先していない項目がみえているのかというと、その存在すら気づいていないのが普通です。100のうち、90を落としていることも少なくありません。

 そのトレーナーが、何かですぐれている、そのことが特別であり、周りに認められ、価値があるほど、そのことを求める人の占める割合が増え、特化していくわけです。その結果、その他に見落とす項目は、増えるのです。

 

○区別する

 

 本人がプロとして活躍できるのに必要なことと、身につけるとよいこととは、必ずしも一致しません。まして、すぐにとか同時には、一致しようがありません。

 トレーナーがすぐれていること、評価されていることと、学びたい人が必要なことを区別することです。さらに欲をいえば、他の誰かから学べることを区別しておくことです。

 たとえば、ヴォーカリストに必修の100の項目があるのなら、今や、作詞作曲、演奏、パフォーマンス、ルックス、ファッションなどがメインで、声は10分の1くらい、もしくは、大して必要ないケースさえあります。

しかし、他の分野は、他に才能のある人に依頼できます。だからこそ、10分の1の声、そのヴォイトレが重要なのです。

 

○教えない

 

 プロのヴォーカリストの多くは教えようとしません。本人が、元よりの素質、素養によって、人生を歩むうちに、トータルとして気づかないで得られているものあり、それは、人に教えられないと知っているからでしょう。

 教えるとしたら、同じレベルのプロに自分の得意なことに限ってアドバイスするか、初心者がそこそこうまくなる程度のところについてチェックするかです。

 それは最初からそのヴォーカリストのレベルを超えないと約束されているようなものです。アスリートで、専門のコーチでなく、選手が選手に教えるときの限界と似ています。自分が学んだトレーナー(先生)から学んだものは、学んだトレーナー(先生)を追い越せない、と思っておくとよいでしょう。

 また、本人がプロゆえに、他のヴォーカリストを客観的に評価できないことがあります。評価はできても教えられないこともあります。

 プロでも、プロになってヴォイトレで学んだものは、必ずしもプロでない人がプロになるためのノウハウにはならないのです。

 重ねて述べますが、チェックすることと育成プロセスを与えることは違うのです。☆

 

○世界一ふさわしい手本に学ぶ

 

 となると、手本として学ぶ人の選定は、けっこう大変なことです。学んだ先生が世界一のレベルなら、世界一は無理でも、日本一になれるというように考えるのがよいというものでしょうか。

 優秀すぎるトレーナーにつくと、アーティストでなくトレーナーになってしまうということがよくあります。蛇足ですが、食べられないからと、トレーナーをやりつつ、アーティストを目指すのは、かなり注意するべきことです。

 世界一に学ぶのでなく、それを学んで自分の手本として世界一ふさわしいアーティストや作品を知ることです。それを大いに参考にして学んでください。

 

○先生の先生に学ぶ

 

 それと、手本として学びたい人よりも、その人が手本にした人を、手本にすることです。

 たとえば、先生に習うとは、結果として100人のうちの一人、うまくいった一人の人に学ぼうとするのです。

 先生の先生という大先生をお手本にしても、大先生になれるどころか、99人は、100分の1として結果を出した先生のようにさえなれない、まして、先生に学んだら100分の1100分の1、先生を超え、大先生のレベルになれる可能性は、1万分の1くらいです。では、大先生は…となると、究極には、先生を、人間を超えたものに学ばなくてはならないということなのです。

 ですから、レベルを目一杯上げ、必要性を上げるように言うのです。

 

○他のトレーナーに学ぶ★

 

 他のトレーナーと一緒に指導に関わっていて、もっともありがたいのは、自分のみえていないところ、優先しなかったところに気づくことです。教えることでの偏向を恐れ、すべてを曖昧にまとめて、中途半端に進めてしまう愚も防げます。

 他の多数のトレーナーと評価することは、自ずとレッスンでの役割分担となります。これが、トレーナーそれぞれの長所をもっとも引き出せるのです。他の1人か2人のトレーナーと自分を比べるだけでも勉強になります。まして、4名以上なら、比べていくとそれで10倍学べるでしょう。まあ、ヴォイトレで6人、8人、10人となると多すぎて混乱してしまいかねないようです。

 

○タイプとメニュ数

 

 どのトレーナーにも長所短所があります。短期的な効果を上げるトレーナーも、長期的に効果を上げるトレーナーもいます。また、一人のトレーナーのなかにも、いろんな方針やメニュが混在しています。

 私などは自分のなかに、100タイプ、そして、それぞれ100メニュ以上あり、その上に、研究所の他の10人以上のトレーナーのメニュで、各100×10人=1000メニュ、さらに、私のと彼らのを組み合わせると1千万メニュは、軽く超えるでしょう。ですから、メニュでなくメニュ化する方法を教えているのです。

 

○トレーナーの学び方に学ぶ

 

 本当は、トレーナーになって、どれだけ学べるのか、その学び方や学べる大きさが、トレーナーから学ぶ人にもっとも必要なことです。現役やプロになるまでの自己流や、学んだ経験だけのノウハウをくり返すトレーナーと、時代や生徒に学び続けるトレーナーとの決定的な違いがそこに出ます。

 時代も世代も変わるのに、トレーナーもが与えることも同じではなりません。かといって、目先の流行に合わせた教え方だけでは、もっとよくないわけです。

 そこを役割分担すると、呼吸を教えるのにもっとも長けているトレーナーが、音程、ピッチを直すのに労力を割かれてしまうようなことも防げます。今すぐに役立たない深い基礎を、一方のトレーナーがゆっくりと教えることもできます。そうなると、そのトータルマネージメントが何よりも重要ということです。

 

○選択する

 

 どのトレーナーにつくか、誰を選ぶかというのは、最大の難関のようです。

 第一に、トレーニングの成果を考えるのなら、相性や人間関係で選ぶのでなく、そのトレーナーのキャパシティや方針を自分の対象として考えなくてはいけないのです。

しかし、多くの人は、人間関係での相性で選んでしまいます。同じ技量というなら、それもよいのですが、同じ技量のトレーナーがいるでしょうか。いたとしても、それを誰がどう判断できるのでしょうか。

 

〇問題を出す

  大半は、自分にすぐ合う人、教え方がわかりやすい。

この場合、とっつきやすいということでトレーナーを選びがちです。それは自分と似たタイプになりがちです。それゆえ、わかりやすくやりやすい分、大きな変革をもたらす可能性は狭まるのです。トレーナーそっくりになっていくのです。

 オペラ歌手になりたい人が、日本のトレーナーにつくだけでなく留学するのは、そのためでしょう。しかし、そこで自分の先生と違うと、どうすべきかわかりません。先生の習った先生につくと、その分スムースですが、問題が出てこないのは、よいことといえません。

 

○選択の失敗

 

 トレーナー選びに失敗する人は、必要なものがわからず、一人のトレーナーに委ねる、あるいは、技量でないところ、サービスと精神や打ちとけやすさで厳選するなど、つまり、好みのうるさい人です。

 トレーナーとのミスマッチは、本人には一番見えません。マッチしたはずのトレーナーとレッスンは和やかに進んでいるのに実力がつかない例は、とても多いのです。多くは、自分の思い込みや人間性のような、身につけていく内容と直接の関係がない、自分だけの評価で一方的に決めてしまう、どちらかというとサービスの部分でマッチしたと思ってしまうのです。

 

〇トレーナーのスタンスを知る

 

消費者志向が高まっているため、多くのレッスンが楽に楽しく、すぐに誰でもうまくなる、ということに集中してしまっているのです。

 それをうまく逃れたとしても、そのトレーナーのスタンス、あなたに対するスタンスのことですが、どの面(方針、メニュ)を与えてもらうのか、引き出すことができるのかということです。

 それには、トレーナーの位置づけを知ることです。トレーナー自身は、そこがわかりません。自分の歌の評価をするようなことと同じで、トレーナーとしての自分を評価するには入り込みすぎているからです。

 

○スタンスの決定★

 

 私が、希望者に面談して、いろいろお話してから、研究所でのレッスンを引き受けるのは、そのスタンスを決めていく、いや、いずれ本人が決められるようにすることが大切だからです。

そのためには、あなたのスタンスを決めることが第一です。大体はすぐには決まりません。少しずつ決めていくというプロセスをとることになります。そこで急ぐと、トレーニングも大して効果をもたらさないものになりかねないからです。

 

○マンツーマンレッスンのデメリット★

 

 あなたとトレーナーの二者間でクローズするのは、よくありません。あなたとトレーナーの二者間の関係を第三者がみて、初めて、客観的なチェックができるのです。でも、多くの人は、マンツーマンでクローズするのを好みます。トレーナーだけでなく、生徒さんもそれを好む人が多いので、なかなかオープンにできません。

 最初は違っていても、長く行ううちに、その人の気に入るトレーナーにもベスト1、2、3と序列ができます。そこで、ベスト1しか選ばないのが大半の人です。その方がわかりやすく、やりやすく、とっつきやすい、つまり、自分の感覚で、楽だからです。それは楽であることを優先しているのに過ぎないのです。

 

〇他のトレーナーに通じるか

 

 本当にすぐれているなら、すぐれていっているなら、他のトレーナーとも、楽に得られるところが出てくるものです。教えられ上手になっていくからです。なのに、逆に他のトレーナーとやりにくくなっていく、これは自由ではなく、力が付いたのでもなく、限定されていっている、声にくせがつかなくとも、やり方にくせがついていくということです。声そのものはともかく、方法に固定、くせが出てきているのです。一時的なのはやむをえないとして、それが進んでいくなら重症です。

 つまりは、一人のトレーナーのやり方に特化して、そのトレーナーだけには評価される分、他には通用しなくなるのです。そのトレーナーの評価に満足してしまうからです。そして、価値観が固まっていくのです。自分でなく、そのトレーナーの判断しかできなくなります。

 

○トレーナーを見本としない★

 

そのトレーナーをその分野、ジャンル、アーティストなどに置き換えると、学ぶときは、そうなってしまう理がわかるはずです。一つの歌、一人のアーティストがきっかけになるのはよいのですが、いつまでもそれだけからしか学ばなければ、ファンにこそなれ、確立した個としての自分のものは出てこないというのと同じなのです。

 仕事は応用ですから、こういう人は、そのままでは、深めるほど現実の社会では、使えない、使いにくいのです。

 

○一人のトレーナーのメリットの裏

 

 一人のトレーナーと徹底することでわかりやすいとしたら、それは、短期に早く、形になることです。トレーナーのくせでうまくこなせるようになるのです。このくせは、芸風とか演出のようなものですから、その形を借りてうまくみせられるようになるのです。

 しかし、アマチュアから抜けるには早くとも、それゆえ、プロのなかでは通じません。よく、知名度があったりルックスがよい人に、プロデューサーやトレーナーが入れ込んで、早く仕上げたときにみられる形です。早く出たために、その後、何ら自ら学べず、だめになっていった例をたくさんみてきました。

 唯一、音楽の中でも、歌だけは「向こうのものみたいでかっこよい」で通用してしまうようなものになってしまっているから、なおさら勘違いしやすいのです。

 一人のトレーナーからは、いかに秀でていても、そのメリットとデメリットを両方受けているのです。少しのメリット、多くのデメリットとみた方がよいです。そのメリットを捨てないと次のレベルにいけない、よほど注意しないと、この国ではそんな人ばかりになってしまうのです。

 

1.トップレベルをみて、その上を目指すこと

2.一般化するのでなく、個別化(見本)して自分のところ、自分に合うところまでもってくること

 まず、トレーナーをトップレベルとしないことです。

 子弟関係にあり、師の仕事を継承するのなら、そのジャンルらしく深める、そういう時期が必要だとは思います。固まるときがあっても仕方ないでしょう。しかし、そうでないなら、トップレベルを一人でなく、学ぶアーティストを複数名とすることです。同様に、トレーナーも複数名をお勧めしています。

 

「古人の跡を求めず、古人の求めしところを求めよ」(「許六離別の詞」松尾芭蕉)

No.311

○腹式呼吸の身につけ方

 

大きさを優先します。

わかりにくければ、それを長さでみるとよいでしょう。

1234123412341234

141小節の計 4小節を書く小節ごとにブレスを入れて伸ばします。

最初は、1141秒ずつ伸ばし「4秒でブレス」を×4小節

22秒ずつ「8秒でブレス」×4小節

3、「12秒でブレス」×4小節

4、「16秒でブレス」×4小節

すると、多分、2から3で後半がもたなくなるでしょう。ちなみに、1が♪=60ということです。わざと大きくとか長くして、体を使わざるをえなくします。これは、野球のバッターやテニスなどでの素振りです。あるいは、コーチが子供に腰を動かして打たせることで、全身の動きを学ばせるのです。

 

○ことばの変化(フレーズの実習)

 

はるの

あうお―母音にする

はふほ―ハ行にする

らるろ―ラ行

なぬの―ナ行

まめも―マ行

それぞれの違いをおさえつつ、3つの音を1つの流れでもっていき、統一することです。

どれがよいのかの前に、どう違うのかとか、どう伝わっているのかを把握します。

正しい、間違いで決めつけるのでなく、どれもできる上で、もっともよいものは後で選べばよいのです。一つの正しいものに絞るよりも、まずは、多様な変化を感じ、それが、なぜ生じているのかを自らのなかの変化、違いと結び付けて把握するのです。

 

○レッスンメモ

 

発声とフレーズ

ポップス、ロックと声楽

楽器音の情感

ことばの感情

Key、テンポの設定

ui

nma a

n ga a

 

呼吸の大きさ

吸うことのリピート

1.声域 高低 調整 正誤 カバー

2.発声

3.声量 大小 強化 深さ 程度

4.声質

12.より34

5.深呼吸長く 5101525

 

01 ベストへ

12 ベターへ

イメージと伴う体

焦点とマスケラ 共鳴

支え

 

1.共鳴

2.発声

3.息 呼吸

4.体 支え

脱力感覚

響きが勝らないように

 

1.優先する(メリット)

2.優先しない スルーする(デメリット)

共鳴して喉にかからない(ビブラート)

大きくして喉にかかる(生声)

1コーラス分の息吐きトレ

縦、上下、距離をとる

揃える、集める、力抜く

集中する

地―裏声

3面鏡

ama a

a o i

iko u

n m Ha

1.共鳴 発声 呼吸

2.ことば メロディ リズム

3.気持ち 舞台

ゆっくりとテンポアップ

 

1.低―高

2.大―長

3.音色―共鳴

楽器―演奏

体力―反射

拡大 ばらつく 量

統一 一本化 質

基本1オクターブ

 

ゆとりとスピード

ペースとベース

決めつけ迷わない

バランス支えられない

バランス足らない

固い しなやかに

スタンス 立ち方

盛り上げ方 ピーク

解放 開いた感じ

演出 実感

器 創造と処理

加速 速度 ふかす

のせる

「心身の使い方のミスと人間発声学(対処から統合へ」 Vol.20

○声楽という治療法

 

 クラシックは、西洋のものですから、西洋医学と似ていると思うことがあります。

 西洋医学は、病気をどうするか、そこから始め、それをみて処理をしてなくすのをよしとします。単純にいうと、痛みをなくすために傷んでいるところを切り取る、薬で痛みを感じなくするなど、消したり取ったりするのです。マイナスが出ているとみて、元に戻すという発想です。病人からスタートするのですから、すでに病気があることを前提としています。

 クラシックは、教育体系がプログラムされています。普通の日本人が歌うと、それは発声が違っているとして、それを正そうとします。しぜんに歌ったままでOKと言われた人はいないでしょう。自分なりに歌ってきた人は否定され、直されます。

 日本人のトレーナーに習った人ほど、徹底してダメ出しされ直されるとも言われます。下手に習った、ということになるわけです。

 

○声楽の功罪

 

 声楽というのを、西洋の治療法としてみると、それを処して100余年、未だに日本から世界へ出た成功者が増えていかないことと本場との大きな技量の差をみるに、うまくいっているとはいえません。

 ただ、初期に何人かのトップレベルのオぺラ歌手が出たこと、その後、全体的に底上げしたのは確かでしょう。底辺レベルを平均レベルに引き上げたのは、日本人らしい受け止め方と教育のせいだったのでしょうか。昔のようにスターは出なくなりましたが、全体として、ひどいというレベルのオペラや合唱はなくなったわけです。悪いのをなくした、まさにマイナスをなくす効果を上げたのです。

 マイナスをゼロにするというのは、元に戻すのですから、予め、明確な目的、正答があるわけです。つまり、向こうのお手本に似せる、向こうの人と同じように普通にするということです。しかし、プラスというのは、個々に違うので、創造的な分、形は予めわからないのです。

 

○ミュージカルという病い

 

 一方で、ポップスのように、自分なりに歌って、そのままプロになっている人も世界中にいます。どちらが正しいとか、この2つは違うものと言いたいのではありません。私は、同じ歌ということで捉えています。

 その混合地帯が日本ではミュージカルともいえます。日本では、かなり特殊に二極化しているからです。役者出身と声楽出身では、得手不得手がかなり違ってきます。大ざっぱにいうと、役者は個性、声楽家は技術がみえます。

 ブロードウェイの出演者なら、何が出身かなどわかりません、両方を学び、共に極めているからですが、技術と個性が両立して一体化しています。

 日本では、声楽家出身者は、高音域に届かせることとロングトーン、ビブラートの技術に秀で、役者出身者は声やせりふ、演技での表現力に秀でています。さらに、ダンスで秀でた人がいる、となりましょうか。

 

○劇団四季の先に

 

 劇団四季は、興行としては、日本での成功例です。音声面、歌唱技術に限っていえば、ブロードウェイのレベルとは比べ物にならないものの、ダンスは、少しずつ近づいていると言う人もいます。そこで、役者から声楽出身者にメインが替わっていくのは、原調での無理な高音共鳴が必修となってきたからです。

 さらに、韓国、中国出身者に替わられていくのをみるに、その理由を日本人の発声力不足に求めざるをえません。

 ミュージカルなのに、発音ばかり優先されるのは感心しません。私は、歌では、音楽面を主にみているので、根本的に違います。

 日本語を優先し、話の内容が初心者や子供にもわかりやすく伝えられるようにして、日本語の教育にも関わるようになった、日本語発音第一の劇団四季は、発音が不明瞭な日本人の舞台へのアンチテーゼとして登場してきたと思います。そして、そこに学べることは、日本人の受け止め方ということと日本での興行に成功するための優先順でしょう。

 

○総合して超える

 

 この問題は、日本の歌が洋楽曲を取り込んで日本語詞をつけたところから始まっています。メロディとことばの矛盾です。それは、今はラップでリズムとことばの矛盾として起きているのですが。

 それはともかく、せりふからの歌へのしぜんな移行、それに伴わせた発声のマスターを考えると、次のようなことが言えます。

 後天的に出てきた病を、そこで捉えて治すのでは遅すぎる、対処治療の前に後天的に出てきた理由を探り、その前に出てこないようにする、未然に防ぐ、東洋医療でいう未病で治す、ということです。医療保険制度での治療費を減らすために、日本でも、ようやく未然に防ぐことの方に注意がいくようになってきました。予防医学というものです。

 発声は、ポリープや声帯結節ができたら病気と言われ、治療となります。喉がかすれたり痛くなっても、将来の芸術や芸能の歌唱、せりふに影響しないようにすればよいのです。それは一時の病、風邪のようなものかもしれません。そこでヴォイトレなどで予防することを覚えていくのがよいのです。

 

○達するレベル

 

 芸事ですから、達していたのが達しなくなるのと、まだ達する実力がないのとは、違います。日常の中に、声、せりふ、歌もあるので、なかなかややこしい問題です。

 間違っているのと達していないのは違うのです。

 しかも、間違っているのは、直すとか正しく戻す必要があるのですが、達していないのは達するようにしていくのです。しかし、達するに上限はないので、そこに求める程度問題、いや、達せられる程度問題となります。

 ですから、初めて声楽を学んだときには、正しく歌っていないとか、間違っているというのはおかしいのです。それは、達していないにすぎないからです。でも、声は出て歌っているから、その発声では舞台に通じない、OKは出ないから、間違いといわれ、正しい発声を覚えなさい、となります。

 

○「正しい発声」

 

 声楽の「正しい発声」とは、多くの日本人には、これまで出したことのない特殊なもの、あまりに日常から離れているものに思います。まるで、初めて楽器を習うようにも思われます。楽器なら、初めてではなんともなりませんが、せりふや歌は、少々はできるのに通じないので間違いと言われます。外国語の発音を学ぶのと似ているかもしれません。

 しかし、私は、その「正しい発声」でなく、それを可能とする体づくり、呼吸づくり、発声づくりを学ぶように声楽を取り入れています。声楽の共鳴も歌唱も、声の可能性を大きく開花させる手段としてみていますが、目的ではないのです。そこが、私の考えるヴォイトレと声楽との違いです。これまでの自己流や日本人らしい発声を打ち破る手段として、声楽は大いに使えるということです。

 

○生来の声と健康

 

 人は、生まれて、声が出て、母語を学び、話せるようになります。そして、歌えるようにもなります。そうして過ごしてきた幼少期から十代、ここでベースができます。ことば同様、その民族の生活や風習によって、歌や踊りは習得されていくといえます。とはいえ、同じ環境下でも、かなりの個人差はあります。

 同じ時代に同じ日本で育っても、いつも歌ったり踊っていた子と、関心のなかった子では、十代でかなりの差がつくはずです。カラオケによく行く人と、行かない人でも大きな差がつきます。歌でも、TVをみて育った子と、ラジオやレコードで聞いて育った子では、違ってくると思われます。

 とはいえ、そこでは、小学生の100メートル走のように、特別にトレーニングするわけでもないので、あまり努力と関係ありません。遺伝や環境に大いに影響されての特技、才能として表れます。

 とにかく、健康である人には、関係のなかったはずの健康づくりが、日本では当たり前の世になってきたのです。話して歌っているのが当たり前の人がヴォイトレのレッスンなどで声づくりをするようになったわけです。似ていませんか。

 

○直すのでなく、達していく

 

 病気を心身の使い方のミスから生じると考えるのなら、発声も同じようにミスと考えられなくもありません。となると、その発現の時点に立ち戻って直せばよさそうなものです。

 発声がよいとか悪いとか、歌がどうこうという前に、それに有利な考え方に変えて、それに沿ってトレーニングをして、変えていこうというのが、日本人の声楽です。

 それに対し、直すのでなく変える、間違いを正すのでなく、達していないのを達するようにする、できているのをもっとよくする、そのように考える方が、私はよいと思うのです。

 正しい、間違いの二極でなく、程度で考えるのです。

 老いも病も不運にして起きるのでなく、病いが出るのでなく、すべては体の変化の中でのプロセスです。健康な人も、100パーセント完全でなく、必ず病いをもっています。ガンになっていない人もガン細胞をもっています。

 生きて変わって死んだら何もありません。老いや病いも私たちの頭でつくり出したものです。いえ、そう教わったものです。発声も同じではないでしょうか。

 

○発声依存からの脱却を

 

 声は、宗教とも深い関係があります。生活全体から人間発声学として捉えるならば、そこには無限の可能性があります。病院に行って薬に依存して、いつも病気を引きずっているのは、よくありません。

 風邪で病院に行くような国はありませんから、日本人は病院依存症です。

 一方、東洋医学でも、そこに依存してずっと抱え込んだままになったり、直ってはまたすぐ繰り返すという人は少なくありません。そこは直っても別の個所がよくなくなる、転移のようなことも多いようにみえます。

 残念ながら、発声やヴォイトレも、そういう人がたくさんいます。いろんなところをいつも回って悩んでいる人もいます。そういう人には、是非、この研究所で終止符を打って欲しいものです。

 

○ライフワークにする

 

 私のところには、10年、20年といる人がいますが、それは、直らないのではありません。達していこう、極めていこうとしているからです。途中、かなり踏み外しているようにみえる人もいますが、続けていくと、そういう人の方が大きく育っています。そこで、どういうアドバイスをするのかも、なかなか難しいことになるのです。武道のようにその人のライフワークとなっているのです。

 

○ヴォイトレの誤解

 

 「声が思うように出ない」「喉を傷める」などで医者に行く人の多くは、医者から紹介され、研究所にいらっしゃいます。そのほとんどは、病気とか怪我をしたのでない、治すというのでなく、達していないのです。発声や歌い方が間違っていたり、できていないのでなく、中途半端なのです。もっと大きく伸びる余地をみて挑んでいないのです。

 そこがわからないと、発声法を教わったところで、少し無理をすると壊します。それがわかると今度は無理をしなくなります。それで壊さなくなるのをヴォイトレと思ってしまう人が多いので、私は残念です。

 目一杯の無理をしても壊さなくなる、昔より大きく強く声を出せるようにならなくては、トレーニングではないでしょう。

 「発声が直らない」とか「歌がうまくならない」と思っている人は、考え方を変えてみることです。キャリアを重ねていくように考えて続けることです。そこでレベルアップするためのレッスンに気づき、ヴォイトレでは、ロングスタンスで声の器づくりをしていく力を蓄積していくのです。

 「すぐに、間違いを直す」ということばは、使いたくありません。そういう指導は、本質を見誤りかねません。

 

○発声は間違えない

 

 歌詞を間違えたり、音程やリズムを外したとは言いますが、発声は間違えるというものではありません。地力のなさでのコントロール不足といった力の問題がほとんどです。それは、訓練していかない限り安定しないのです。

 丁寧な発声と、それを再現しキープできる体力、技術を身につけていくこと、それが基礎たるヴォイトレです。歌唱には、発声や共鳴のバランスやコントロールとともに、表現のためのパワーとメリハリがいるのです。そのときに、声の芯や声量、共鳴と言った基本の力が大きく効いてくるということです。

Vol.52

○よい声、悪い声とは何か☆

 

 「あなたの一番よい声はどれですか?」

 といっても、すぐにはわかりませんよね。

 「一番よい声を出してください」

 それで、出せますか。

 でも、「あなたが一番好きな声の人は誰ですか」とか

 「あの人の声で一番好きな声はどれですか」

 というと、少しわかりやすくなりませんか。

 「それは、どんな声でしょう」

 

 次に、身近な人を思い浮かべてください。

「家族の○○」

「隣のおばちゃん」

「会社のAさん」

「上司の○○」

「部下の○○」

「親友の○○」

 それは「どういう声」でしょうか。そして、そのなかのもっともよい声は、どういうときの声ですか。

 多分、機嫌のよいとき、笑顔のときの声でしょう。

 「笑っているとき」「驚いたとき」「目覚めたとき」「眠そうなとき」など。

 

 まだ、はっきりしない人は、逆に「嫌な声」で考えてみましょう。これも、どんなときの声かでイメージすると、わかりやすいですね。

 「怒っているとき」「叱っているとき」「ヒステリーのとき」「わめいているとき」「喧嘩しているとき」「泣いているとき」などでしょうか。

 さらに、一番嫌いな人の嫌いなときの声を考えてみましょう。

 

 その一声を聞くと、殺してやりたくなるときがあるような相手がいましたら理想的です。

 どんな声でしょうか?(サンプリングしたら聞かせてください。)

 「怒りまくっているとき」「ムスッとしているとき」「ため口のとき」「皮肉っぽいとき」「嫉妬、妬み、悪口のとき」など。

 

 こうしてみると、同じ人でもけっこういろんな声があるのがわかりますね。いや、いろいろと声が変化するということでしょう。

 それとともに、一人ひとりが違う声ですから、たくさんの声が世の中にあるのでしょう。

 

 案外と、声の印象、イメージから、あなたも判断しているものです。そして、あなたが○○と思うなら、きっと相手もあなたのことをそう思っているでしょう。

 

 最後に、あなた自身の声に耳を傾けてみましょう。あなたの好きな、あなたの声はどれですか。

 あなたの一番好かれている声は、きっとあなたが笑顔のときの声、笑っているときの声となるでしょう。

 仕事と切り離して考えてくださいね。

 

○自分の笑い声、好きですか

 

 自分の笑い声は、めちゃくちゃ恥ずかしいというか、聞きたくないですよね。

 私なんか裸よりも恥ずかしいかもしれません。すべてはぎとられて身もふたもないように聞こえませんか。

 「アハハ……」とか、「イヒヒ……」とか、「ウフフ……」とか、「オホホ」、「エヘヘ……」、「エヘッ」なんて、ゾッとしますね。

 もし私の笑い声は天下一品、なんていう人がいたら、まさに「私、脱いでもすごいんです」を地でいく人ですね。

 

 でもまあ、俳優や声優は、それで勝負しますから、とことん研究しています。つまり、顔としぐさと声で演じることを売っているから商売です。

 といっても、多くの仕事も、その延長上にあるのです。

 俳優には、どんな役柄も演じ、本物らしくみせられる変身能力がいるのです。

 あなたの仕事で本職で、俳優に負けていたら大変です。たとえば、寿司屋の板前が、俳優に負けていたら……失業です。

 ちなみに、私の専門は、そういうプロに声のアドバイスをすることです。

 

 一般の声のワークショップには、大声や笑い声から入るのがたくさんあります。そうして心を素っ裸にすると、緊張もとれます。温泉気分ですね。そこには背広で行かないでしょう。まず、ネクタイと上着をとっぱらいましょう。ちなみに私が一目みてトレーニングになってない現場は、トレーナーも生徒も厚着をしているところです。

 

 さて、話を戻して、あなたが好き嫌いで挙げた人を考えてみましょう。

 好きだけど声の感じが悪い、声が嫌いという人は、あまりいないでしょう。

 私の知る限り、多くの人に愛される人というのは、だいたい話はうまいかへたか知らないけど、声の感じがいいですね。

 そしたら、世の中は声の感じのよい人と悪い人で分かれているのでしょうか。それも違うのですね。

 なぜなら、あなたにとって声の感じのいい人を嫌いな人がいたら、その人は、その声の感じをよく思っていないということでしょう。でも待ってください。そこには大きなトリックがあります。

 

○相手や状況しだいで、声は変わる

 

 あなたは、相手によって、声の感じを変えませんか。どうしてでしょう。

 嫌われないために、声の感じをずっとよくしていたら、いいじゃないの、と思うのでしょう。

 

 「それでは疲れる」、そうですね、笑顔と同じで、ちょっといい感じを保ち続けるには、なかなかのプロ根性がいるのです。

 でも、その方がいい。そのことは、わかっているはずです。

 なのに、ノーマルな人は、もしあなたがそうなら、あなたは自分が好きな人には、いい感じの声を使い、そうでない人には、その声を使わないのです。

 なぜでしょう。それは、声はあなたのメッセージを伝えるからです。

 

 特に、あなたが女性なら、親しくなりたくない人に、感じのよい声は、あまり使わないでしょう。それを使って気をもたれたり、まとわりつかれるかもしれませんからね。強引なセールスマンには、何でも買わされてしまうかもしれません。

 だから、人は声をしぜんと使い分け、そこに相手にメッセージを伝えるように使ってきたのです。

 

 そこから人類の悲劇、ことばの欠点、誤解が始まるわけです。

 サルなら赤くなったら尻を向けたらよいのですが、ことばは、簡単に変えることができてしまう。

 

 声を変えることは自分の意志でもできるけど、自分の気持ちや感情でもやってしまうのですね。できるというより、やってしまうのです。声は知らずに変わっているのです。何よりも、あなた自身が知らずに、です。これは危険なことでありませんか。

「教わったことを捨てる」

教えられたことでは、教えた人を超えることはできません。教えられたことを元に、常に自分でその先を考えていくようにしましょう。

教わって身についたと思うのなら、一度、忘れることです。身についたことは忘れてこそ、使えるものなのです。

教える人を目指して、ずっとまねするようになって、その人やその芸に似させることが目的になると、その人の足元にも及ばないで終わってしまうのです。気をつけましょう。

「身体のレスポンスと声の判断~声の過去から未来へ」

○身体のレスポンス

 

 レスポンスのパフォーマンス、演出の文化が、欧米やアラブには根強くあります。握手やハグはその一つです。それに対し、他人にあまり触れないのが日本の社会です。そのため、身体の感覚は、より早く失われつつあるのかもしれません。

 身体を使って他人と触れ合う、もみ合う、ぶつかり合うような遊びがなくなってしまったことも大きいでしょう。スポーツなどには、そういうのが残っているので、その体験の有無で、差がとても大きくなっています。

 大きさや強さへの挑戦として、たくさん食べることも、しゃべることも、走ることも、歩くことも、若いときや幼いときに無理をした体験が、鍛錬となり、器の大きさになるようです。

 

○頭より身体

 

 正念場で踏ん張った経験が、人生では、ものを言うのです。

 それには、経験したことを自分で咀嚼すること、それは腹に落とすことです。

 癒しやきずな全盛の世の中で、挑戦する目標がみあたらないから、それを求めている人が増えました。しかし、頭で考えている分には何も変わらないのです。

 ネット社会では他人の評判やランキングに左右されがちです。ただでさえ、日本人は他人をみて、それに合わせる国民性だったので、なおさらです。

 

○踏み込み

 

 すぐに「疲れた」と言う、つまずいてよく転ぶ、じっとしていられない、腰痛、腹痛、頭痛、平熱が低い、咀嚼力が弱い。

 私たちの小さい頃も、年配の人に、最近の子は朝礼で倒れる、貧血しがち、ぞうきんが絞れず、鉛筆が削れず、懸垂も大してできないと言われました。その傾向が強まり、今や、老人以下の身体能力の子供も多いのです。

 戸塚ヨットスクールの教育の思想にも通じるスパルタ教育には、一理あります。船の揺れる感覚は、平衡感覚をつけるのによいし、姿勢をつくります。しかも落ちると死ぬという水への恐怖感が緊張を高めます。閉ざされた逃げ場のない船に開かれているのは海だけです。海の匂いが五感を刺激します。そこに心身を解放できるかが問われるのです。

 過保護の子供が自ら落ち着きがなくなったりするとしたら、それを鎮めようとせず、逆に与えたらよいわけです。刺激を求めているからです。アドバイスするには、読み込みだけでなく踏み込むこと、そういうつまずきを理解して、身体へのアプローチが必要なのです。

 

○先と今

 

 声楽の基礎は、人間の共通の体から、その呼吸、発声、共鳴を構築していきます。ゴールは、オペラ歌手ですが、一般の人は、その手前で、心身の強化までで充分でしょう。

 一方、プロデューサーや演出家は、「今、ここで」の価値を最大限に出させる人のことです。それは歌手や役者単位としてでなく、総合的に他の人や装置の力も使い、出させます。

 先のことより「今、ここで」なのです。

 私は、その間に入り、「いつか、どこかで」を、舞台でないところにセットしつつ、そのプロセスでの可能性、限界をみています。声楽家とプロデューサーの要素をもちつつも、その2つに囚われないことが大切です。

 

○総合化と整理★

 

 いろんな人にいろんな教えを得ても整理できないとき、たとえば、複数のトレーナーの指導やいろんな人に言われたことで迷うときに、それを整理するのが、今の私のもう一つの主たる役割です。それはトレーナーのプロデュースであり、トレーナーと受講生との関係づくりともいえます。これをトレーナーやノウハウから考えるのではありません。指導を受ける本人をみて深く考えます。

 何をみるのかというと、

1. 感覚の未発達、歪み

2. 感覚の総合、整理

トレーナーのなかで行われているこれらのことを、トレーナーすべてをみて組織化して総合していきます。次に、レッスンを受けている人たちすべてをみてきた無意識化のビックデータから本人をみて、与え方を整理していきます。そのことによって、さらに、レッスンの効果が出るわけです。具体的に、次の3つを定めていくのです。

1. 考え方

2. 優先順位

3. スケジュール

 

○感覚と身体

 

 目的や状況に対応力をつけるため、感覚と身体能力の活性化は欠かせません。歌唱、せりふの前に、基礎となる発声があります。そして、その発声の前に呼吸や感覚という基礎があるのです。基礎を身につけるためには、そこに早めに着手するのがよいでしょう。

 

 声のトレーニングは、くり返して感覚を増幅していくことです。

 読み聞かせも、声の質感、響きを通して触れあっていくのです。それは、他の人と一緒に寝るのに似ています。身体を緩めて響くようにしていくのです。

 整体、マッサージ、足裏マッサージ、ヘッドスパなども、発声にプラスです。私は発声でマッサージをするのを理想的に思っています。

 

○子供の身体能力づくり

 

 かつては、日常のなかに、身体のレスポンスを促す遊びがたくさんありました。

 おんぶ、おしくらまんじゅう、カン蹴り、かくれんぼ、木登り、竹馬、一輪車、スケボーみたいなもの、相撲、腕相撲、草相撲、馬乗り、縄跳び、砂遊び、土いじり、虫取り、魚とり、キャッチボール、ジャングルジム、ブランコ、スイカ割り、ベーゴマ、メンコ、かるた、トランプ、神経衰弱、花札。

 小さいときに、母親の代わりに、赤ん坊をおんぶして子守歌を歌うような経験もなくなっているわけです。少子化、核家族化で兄弟も少なく親族の付き合いもあまりないからです。

 おんぶや自転車の2人乗りも、他人との一体感や重心を得るのには、わかりやすい体験です。触感は、触ると触られている、スキンシップですが、作用反作用=レスポンスが生じるのです。

 

○成長と退化

 

 体の変化、声の変化について、成長期、身長が急に伸びると体がうまく使えません。体重も同じです。それまでの感覚を得ていた入力を是正しなくてはいけないのです。

 思春期に身体を使わず食べる量も減らしてしまうなら、調整が追いつかず、能力が落ちてしまう人もいます。

1.自分の体型の変化

2.従来の日本人の体型との比較と脱却

 

○質感と感じ

 

 声の質感について、見ても聞いても嗅いでも、五感は必ず何らかの質感を促します。もっとも豊かなのはしぜんです。日本のように複雑に多様性に富んでいることは、感覚を磨くには、とてもよいのです。

 感じを人は求めているからです。その感じ方がことば、語彙などを生み出します。そこが文化に連なるのです。

 ですから、才能というのなら、そういう感覚がよい人でなくてはなりません。でも、長い眼でみると、むしろ、最初は悪くてもそこに気づいて、努めて磨いてきた人の方が追い越してしまうことも少なくありません。

 そこを評価する社会、観客がないと、若いときに知名度を得た人のタレント活動に勝てません。それが今の日本でしょう。

 日本には観客ばかりで聴客がいないのです。みる方、みせ方、みられ方にばかり問われることが集まるのです。

 

○聞く力

 

 長く球技をやると、音は視野の不足を補います。たとえば野球の守りでも、全体の視野で選手を見つつ、打つ音で瞬時に打球の行くところを判断し、捕れるところに素早く移動します。

 みるときには同時に聞いています。みる力はわかりやすいのです。が、聞いている力はわかりにくいものです。スポーツの選手などでは、聞く力、これは、人の話でなく、スポーツという競技のなかで発される音です。

 それを聞いて、正しく判断し、行動する力があるとすぐれます。音の情報は、経験とともに大きく効いてきます。あるときまでは大して使えない、だから、あとで飛躍的に伸びます。

 

○使い切る

 

 回し読みでは、前の人の言ったあとに入るのでなく、言い切る直前に入らないと、続かずに切れてしまいます。

 トレーナーは、生徒と呼吸を一緒にすることで、呼吸を移していきます。☆

 身体を動かしてコミュニケーションをとろうとする人に、理論やノウハウは敵わないわけです。自分の手で卵を握って割ってみて、ようやく握力というものの存在がわかるということです。

 

 基礎をマックスでやるのは、そのためです。応用でマックスを出しては怪我をしかねません。練習で最大限の力を出すとか、長く続けるとか、乾燥したところで行うとか、限界を知っておきます。マックスと共に悪条件下でどうなるかを知っておくのです。

 

 やり切ることで、限界まで出し切ることで、ようやく先に行けるのです。

 身体は、使わないと弱くなり、使うと大きくなるのです。使い切るのが怖くならないためには使い切ることを経験しておくことです。

 

○ゲームからリアルに

 テレビは一方的なのに対して、ネットは双方的です。

それで、はまりやすいのです。そこに足元をすくわれるのです。よくも悪くも、親や先生、友だち、恋人よりも何でも応えてくれる、すぐに反応してくれるからです。

 ただし、それは身体に、でなく、指先に対して、それも触覚でなく視覚ということですが。

 テレビゲームが引きこもりの要因となるのは、外でエネルギーを放出しなくなるからです。ゲームのなかがリアルになり、生活の場になるのでしょう。

 そこを抜けられたら、見るより体験する、つまり、場が求められてくるのです。イメージしてデザインプランニングしていく。

 できるならメールでなく肉声で伝えましょう。

 火、花火、祭りの火、燈り、ろうそく、などリアルなものに対して、自分の感覚について記述してみましょう。

 「太鼓の達人」などの、ゲームから和太鼓など、リアルの体験へいくなら、とても望ましいことです。

 

○すぐに判断、選択しない☆

 

 よし悪しの判断をすぐにしないことです。

 よい声、悪い声があるわけでないのは、よい顔やよい色がないのと同じです。

 よい味、よい匂いがあるのは、その逆に、身体によくない危険なものがあり、それを取り込まないための身を守る本能です。

 嫌な音はあります。つまり危険とか、かつて危険だった音です。

 似ている声は、よいとはいえません。

 怒り、驚き、泣き声など、強い声、強い息は緊張をもたらします。反対に、息が弱く不健康な声、暗い声は生命の危機を表します。

 

○呼吸の深さのチェック☆

 

 ワクワク、イキイキするときは、呼吸は深まっています。

 相手の呼吸を読むことで、武道家は命運を分けてきたわけです。

 息をつかみやすくするメニュはいろいろとあります。

1. 手のひらにあてる

2. 長く伸ばす

3. 強く吐き切る

 片方の鼻穴をふさいで、もう一方の鼻からだけ出します。

 洗面器に顔をつけて数えます。

 息こらえはプールや風呂など、水の中ならできます。こらえられないで水中で吐くと、ぶくぶくと泡で出ます。

 持続できることをトレーニングでがんばりましょう。楽に長く使えるようになることです。姿勢も呼吸も発声も、技術、技なのです。

 年齢とともにおいしくなるもの、深くなるものは、年寄りに学ぶ方がよいでしょう。コーヒーやお酒でも、そういう人といると味の違いが細かくわかっていくのです。

 

○日本語の浅さ☆☆

 

 五木寛之氏は、「日本語は、口先で歌う方が歌詞が明瞭にわかる気がする」と言っています。確かにそうです。それは、素人やトレーニングの途上で声が定まっていない人のことです。

 しかし、プロの深い発声での発音が日常感覚で違和感になるのはわかります。明瞭な発音のアナウンサーほど日常会話に聞こえないのと似ています。

 ソーラン節は、日本では、もっともポピュラーな歌の一つですが、まだまだ新しく、昭和19年あたりに出てきたものです。しかし、ニシン漁は明治がピークだったそうです。

 

○オープンとクローズ

 

 手軽に持ち歩けるギターの普及は、音楽を一般の人に解放しました。しかし、ヘッドホンは、逆に、音楽を聞く人の耳に封じ込めたといえるかもしれません。20世紀、誰でも音楽のある生活がおくれるようになっても、日本では、音楽とともにある生活は、定着していないように思います。

 ウォークマンの登場で、私たちは音楽を自由に持ち歩けるようになりました、それは、他人に聞かせない、他の人とともに聞かない、閉じた音楽として流行しました。早期に二人で聞くための出力が2つのものもあったのは、シェアしてこそ音楽だという認識があったということです。

 歌い手が、生で歌っていてスピーカで流していた盆踊りも、今や、カセットレコーダー、CDiPodなどで代用されています。

 

○なぜ、その音なのか

 

 日本人は、畳の生活で埃がたたないように、すり足でした。水田の泥もはねないようにして歩き方をつくっていったのです。

宴会社交の唄芸、和歌、連歌、茶の湯が栄えました。

遊郭での不謹慎、闇の間、そして、喉声だったのです。

日本では「舞台に出て、楽屋に帰る」と言うそうです。

寮歌、軍歌、バンカラなどは怒鳴るように歌います。

三波春夫さんは、シベリア体験を経て、歌の研究に打ち込んだということを、ふと思い出しました。

 

○メタボ化                        

 

 人は動物ですから、動くことが大切です。動くことで健康を維持しているのです。

 1980年、当時、ドラマで、池中玄太は80キロ(30代では62キロくらい)で、デブの代表扱いでした。それに比べ、今のメタボは、やはり太りすぎといえるのです。

 高度成長期の頃より食べていないのは、確かですから、太るのは運動不足からきています。

 コアトレーニングのコアとは、体幹と肩甲骨、股関節のことです。

 血圧の高さを気にするのでなく、上下の差を50mmhg内に保ちましょう。

 

○コミュニケーションの基礎

 

 円滑な人間関係で避けるべきことば、言い替えた方がよいことばがあります。

1. 「知っている、あれね」「わかっている」→「そうなのですか」「さすが」

2. 「要するに」などと、教える、正す、こだわるのは、やめましょう。

親しくなりたいなら、その相手と比較、競争をしないことです。こちらが負けておくことです。差別化は不要なのです。違いより同じことが大切だからです。

3. スルー、切る、話題転換などのことば、「ところで」「さて」などは、気をつけて使いましょう。

4. 否定、拒絶のことば、「でも」「しかし」は、相手に敬意を払っていないようにとられかねません。

5. 弁解、自己弁護のことば、「だって」は、被害者になって加害者のように責めることになりえます。

6. 何事も陳腐化、一般化(よくあること)にしないようにしましょう。

7. 悲観的なことば、「どうせ」、脅し、非難のことばは避けましょう。

8. 疑い、不信のことば、「はあ」「そう?」「ええ」「まあ」「別に」も避けましょう。

 

○人というのは

 

認められ、褒められ、聞いてもらいたい。

共感され、特別視され、もっと理解され、大事にされたい。

 人は、そういうものです。ですから、

聞いて、共感し、勇気づける、いたわることです。

逆に、勝ち負けにこだわったり、自分を守ることばかり考えたりしては、よくありません。脅すこと、上下にこだわったり、無関心、無視すること。

自慢話、自己主張、自己正当化など、自分のことだけ語ったり、自分を全く語らなかったりするのも、よくありません。さらに、避けた方がよいことは、

評価、解説、忠告、同意の強制

専門語の多用

言い訳、メンツ、保身のことば

言うべきことを言わない、挨拶しない、社交辞令ばかり

決めつける、見切る、切り捨てる

「がんばれ」「リラックスして」もケースによります。

別の人の話、他人ばかり褒めるとかで、厚意が伝わらないと孤立化します。

嘲笑、群れるのは、タブーです。

また、頼んで断られたくないとか、遠慮ばかりしていては、嫌われかねません。

受け取る意味は人によって違うものです。「私(自論)は正しい(正義)、だから受け入れよ」とは、ならないのです。

 

○善の根拠

 

 なぜ、人はよいことをすると褒められるのかというと、それが、しがたいことだからです。で、悪いことをしないように禁じられるのは、人は悪いことをしたがるからです。つまり、人は悪になりがちなのを、強いてよい方へ向けさせているわけです。それを強いているのは、自分以外の存在です。

 自分以外の人の言うことを聞けばよいのではなく、自分と自分以外のものがあるということを知り、認めることです。そこで、自分を、初めて意識するのです。ゆえに、自分は存在するのです。

 他人がいなければ、自分はないのです。親がいるから子であり、会社の人と働くから会社員です。自分の証明書は、他人が発行するのです。

 自分が自分を何と思おうと、他人が自分を思うように自分はあります。他人がそう思わなければそうありえないのです。自分が誰かも何者かも、決めるのは周りなのです。自分の価値は、他から与えられているのです。

 自分を受け入れるのに、他人が肯定する、他人が育て、雇い、評価をする。あなたに価値を与え、ようやくあなたが存在する。そこで認められ愛されるということなのです。 

 他に認められている自分を受け入れないことこそが、悪となります。

 

 所有するということは、人が欲するものをもつことです。今すぐ自分が使わないものなら、誰がもつのか、誰もがもってもよいと考えることです。それなら、シェアすればよいのです。

 ことばにすることで、すでに何かが誰かに伝わっているのです。

 そのとき、相手の自己の成立に配慮し合うことが大切です。

 

「歌うことのソフトウェア」Vol.19-2

〇デジタルの進化

 

 文化での大きな改革期を20年ごとに、1967年のアメリカ、1987年のイギリス、2007年の日本とみる人がいます。

 2007年に、ヴォーカロイド初音ミクが登場しました。これはサンプリング音源、販売の会社から生まれたのです。(クリプトン社1995年~)

80年代のDTMMIDIDTMは和製英語)、

1983DX7発売(ヤマハ)、DXはシンセサイザー、QXはシーケンサー、RXはリズムマシーンです。

(背景)

1965年ベンチャーズが来日

1966年ビートルズが来日

1967年~ポプコン(ヤマハ・ライトミュージック・コンテスト)

1967年「帰ってきたヨッパライ」(フォーククルセラーズ)

196710月~「オールナイトニッポン」

19698月「ウッドストック・フェスティバル」(アメリカ)

ヒッピーカルチャー

(デジタル化)

196910月~ARPANET(インターネットの前身)

 

○歌うことのソフトウエア化とバーチャルシンガーの登場

 

 1968年「2001年宇宙の旅」HAL9000が「デイジー・ベル」を歌いました。これは、1961年、ベル研究所のIBM7094が実際に歌ったところからきたようです。

 以下、初音ミクを中心にみていきます。

 

1964年冨田勲のモーグのシンセサイザー、富田氏は、のちに人形浄瑠璃と初音ミクの共演を実現します。

「着メロ」と「着うた」「歌ってみた」の投稿、ネット発クリエーター ニコニコ動画 同人イベントの開催

20091月 バイリンガル(英語音声データベース)

カラオケ JOYSOUND

2009年 「ミクフェス’09夏」

20097月 PSP用ゲームソフト「初音ミク―Project DIVA」(セガ)

20104月「初音ミク アベント」6つの声

20115月 米国トヨタのCM

20117月 ロサンゼルスでアメリカ公演

201311月 パリ、シャトレ座でヴォーカロイド・オペラ「THE END

歌声ライブラリー「がくっぽいど」(GACKTの声)「ハルオロイドミナミ」(三波春夫の声2016)などの開発と発売。

「嫌いなものをなくす」 No.310

 自分の好きなものばかりに接しては、同じくり返しとなり、学べなくなります。見本のレベルやとり方によっては、大いに学べることはあると思いますが、普通は、どこかから効率が悪く、いや、深めるのが難しくなるはずです。自分の好みでの得意が、今度は限界をつくって自分のそれ以上の伸びや可能性を抑えてしまうのです。

 そういうときに、自分の不得意なものや嫌いなものに目を向けることです。きちんと学べていたら、そういうものは苦手でなくなったり、少なくとも、嫌いではなくなっていくはずです。嫌な人などに対しても、そういう感情は希薄になっているでしょう。

そういうときに、これまで対応してこなかったことを学びましょう。そういうものから学ばなくては先に行けなくなるからです。

再び師につく、師を求めたり戻ったりするのもよいことでしょう。

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