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2011年3月

「プレイヤーとマネージャー」 Vol.235

私がスポーツの世界がうらやましいと思うのは、どんな理屈であれ、方法がどうであれ、勝てばいいからです。最初は何やかんやいわれても、それを持続していると、まわりも認めざるをえなくなります。お前やってみろといわれても誰もやれないのだから、何もいえなくなってきます。結果から方法が肯定されていくのです。
もちろん、それがデメリットになる部分があります。本人が自己流にやって、他の人には成り立たない理論でやっても、選手としてのトップをきわめてしまったりすると、その人の発言力が大きくなります。
人を指導したり育てたりする力と、競技に優れていたり長く活躍できた力とは、必ずしも同じではありません。通じることもありますが、逆のことも多いでしょう。まして他人にどこまで当てはまるかは定かではありません。
ただ、実力社会では、実力をもって成績を残した人、人気のある人に対しては、なかなか言いにくいものです。特に日本では、古橋(水泳)北の湖(相撲)のように強者が引退後、長となっていました。
本来は指導者と、実力者を分けるべきで、マネジメントやコーチの才能は別です。野球での広岡達朗監督は、そういう地位をつくりました。一流の役者にもの申す演出家や監督もその地位を得るまでには苦労したものです。
日本の場合は、精神主義といったら変ですが、自分の成績を上げた人がそのまま長になって、弊害も出ています。偉業までの努力は立派ですが、そこから、リーダーとなると(特に個人スポーツなどでは)ワンマン(専制暴君)になりやすいようです。日本の旧軍隊もそうでしたが、会社、体育会、官僚などにはそういう脈がまだ根強く流れているように思います。ここのところリーダーになってからの身の処し方について、あまりにも訓練されていないことがますます顕わになってきていると思うことが多くなりました。

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