「信じ切るためにすべきこと」 Vol.241
研究所は、道場でもあるつもりですから、必しも目的をもち、目的のために通うだけではないと思います。ふつうのスクールやトレーナーでは、あなたが目的を告げると、「大丈夫、達成できます」というでしょう。そして、1年、2年たって、ときにその目的を思い出したりまだ達成されていないことを自覚し、さらに熱心にがんばろうとしたりするでしょう。しかし、それだけでは多くの場合、決してその目的はかなうことがないのです。だからといって、そのスクールやトレーナーが嘘をいっているのではないのです。人や方法を信じて、通い、その教えを受けるのは、目的達成の第一歩です。
しかし、私はそうはいいません。あなたのおかれている状況や条件と、達成すべき目的があろうとなかろうと環境や習慣について述べます。
自分で一つずつ疑い確かめていき、その上で信じようが信じまいが、自分の人生に役立てられるようにするというもっと大切な視点をもてる人は少ないものです。
多くの人はどこかに通ったら、大丈夫と思うようなのです。なぜ、そんなに簡単に人を信じられるのか、それよりも、その判断をする自分を信じられるのでしょうか。信じてみるのと、信じ切るのは全く違います。ですからスクールやトレーナーが変わったくらいで、何ともならなくなる人がたくさんいます。
私がここをつくったのは、10人に9人が使えなかったトレーナーや方法でさえ、自分のために大きく役立てることのできる、自分の器を大きくするところをもって、とりくんでいく人のためです。本当に信じるためには、私やトレーナーであれ誰であれ、そんなものでなく、自らの発心の元に立ち戻り、いかなる状況や他の変化にも対応できる力のつくことが必要なのです。研究所やそのレッスンは、そのための環境や習慣づくりなのです。
日本人はおてんとうさまのなりゆきにまかせて、まわりの人の行動に習えと生きてきました。しかし、これからの時代、自分の判断する力をつけ、それを信じ切れ、すぐに行動にうつせるかどうかが生死さえ分けかねないのです。まして、芸事や仕事では、いうまでもありません。
それだけの徹底したトレーニングを自らくりかえすこと、誰がトレーナーでも、研究所がどうであれ、それを超えて、黙々と自らの力をつける機会としてレッスンをプラスに活かしていくようにしてください。
一流の人は、誰からも何事からも誰よりも学べます。そういう自分をもつために、そうでない多くの人は一度、そういう人たちからみると、とても狭い自分の了見をはずしてみることをお勧めします。他人や方法を信じられないなどという人は、つまり自分を信じ切れるだけのことをまだ自分でやっていないのです。