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2011年10月

「事なかれ主義からの脱却を」 Vol.242

義理人情が欠け、恩や感謝の念がなくなり、ギスギスしている世の中になりつつあると感じることがますます多くなりましたが、年長者の尊敬された社会から実力主義の社会への移行は即ち、農耕社会から狩猟社会へ、いわゆる16世紀から20世紀までを支配してきた欧米化をなしてきた方向でもあります。本当の実力社会ではリーダーが尊敬され、その稼ぎを惜しみなく分け与えるのですが、一方で独裁的な強大なカリスマがいなくなり、むしろ、欧米が日本化していくようになりました。そういうなかで、責任あるリーダーシップを荷うよりも安全なところでリーダーを批判だけする“事なかれ主義”がはびこって、よいリーダーをも育たぬように閉塞状態にしているように感じます。

1.誰も本質をみない 2.誰も今を犠牲にして明日のために備えない 3.誰も子孫のために命を賭けない

絶対に自分を正しいと信じ、それを貫くことがあたかも正義や、理想のような、今のままの自分でよい全肯定的な人生観が幅を効かしつつあります。「何でも言ってよい、そして、それは当然受けいられなくてはいけない、自分が大事にされ、義務を何ら背負わなくとも、自分なりにやっただけの見返りは自分の思うままに得られるべきだ」という、一人よがりの価値観が、20代での社会人デビューでも、大人の儀式を経ることがないので、離れない。誰でも夢は努力したらかなうと、それをかなえた人たちのことばを信じても、彼らの労力を比べることもなく、同化して、その権利だけを主張するような人が、たくさんいるようになりました。最低賃金で目一杯働くよりも生活保護の方が大きい日本では、人のために働くことさえ、その価値を認めていないかのようです。
うまくいかないとすぐに第三者を巻き込み、大ごとにしようとし、己を反省したり、相手の恩義を感じることもない。過保護かつ甘えの環境のなかに己がいることを気づかない。それは、かわいそうなことですが、早く現実の壁にぶつかって気づくしかありません。しかし、その機会さえ、甘えさせる親やまわりが共感、同情、ことばだけのサポートをして奪ってしまう。
自由は、過酷な戦いの上に獲得されたものであり、その権利は義務の上に成り立ちます。それを、生まれたときに与えられていたとしたら、それは先人たちの血と涙で得られたものであり、同じだけの努力の対価を払いつづけなくては、いずれ、それはなくなります。歴史は、興亡をくり返してきたのです。おごれるものといえ、最初からその状況に育ったり生きていたら、わからないからです。「高度成長期以降の日本に生まれること」は、そういうことだったのです。
だから早く、現実に世界に気づいた方がいいでしょう。ゼロから築いてきた人よりもすべてをゼロにして築き直す方が困難のようだからです。21世紀は、物質面でなく、精神面でリストラクティングしなくてはいけないのです。それは20世紀に先進国といわれた全ての国民に課せられているのだと思います。

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