「直すな!」 Vol.244
「この歌を直してくれ」といわれて直すのは難しいことではないのです。直すということはどこかに基準があって、その基準からみたときに正すことです。たとえばピッチとか音程とかというのは、間違いを正すといえなくもありません。ただ、もっと根本的にみたときに、何が正しくて何が間違いかというのが問題です。本来は正誤でみる世界ではないからです。深さの程度、質的な問題です。
誰かがつくったものに対して、私は「コメントしてほしい」と頼まれたら、およそできます。でも、当人がまだ完成度を持って仕上げていないものを、そこで直してしまうというのは、その人の本当にみつけなければいけない才能の可能性の部分をみないことになりかねません。そこというのが、オーディションのように、そのときのそこの必要性で決められているなら、それに左右されます。そこが、「私に」となると、過去の私の経験での判断となります。つまり、「私なりに」というセッティングになるのです。☆
そういうアドバイスのでは、その人に表面的に作用して、整えることだけに偏ってしまいがちなのです。すぐに70点近くはとれるようになる反面、そこでまとまってしまい、その上に煮詰めていけなくなるのです。直すという感覚自体がよくありません。常に創るものなのです。
歌をうまく聞かせられるようにする教え方というのは、いくらでもあります。うまくなった歌というのは、ここのトレーナーの何割か程度に、です。その先の目標をとっていくべき人に対して、それは決してよいことではないのです。そのレベル以上の、というより、そういう比較のできない、その人の歌にどうすべきということは何らいえないわけです。
着想や発想も、声の出し方もそれぞれ人によって違います。声楽の教え方で自信を持っているような先生のところにいったら、手に負えないといわれるくらいでもよいのです。手に負えないけれども、ダメともいわせない何かがあるか、でてくるのか、そのレベルのことであってはじめて、その先の表現というのが人をひきつける可能性をもつのです。