「トレーニングの本質」 Vol.247
日本の場合でも現実的にやれている人は、トレーナーが評価する土俵のところにのっていきません。するとトレーニングが無駄なのかと思われかねませんが、そうではありません。 私の思うヴォイストレーニングは、自分の中で自分の声を徹底して掘り下げていく作業です。
たとえばリズムや音程の練習は研究所でもやっています。それは皆が早くうまくなりたい、そのプロセスを確実に自分で確認したいと急ぐからです。これはステージで求められていることと同じです。お客さんが求めているなら、それに対応するのもありです。トレーナーとしては妥協してはいけないのですが、「本人がそうしたいのならその線でやりましょう」ということもあります。
本来、5年10年で音楽を入れていくのを、音さえ取れないという人に対して、音程という観念を持ち出し、楽譜を使って教えたほうがよいのは確かです。音程練習をやらなければいけないような歌い手はいません。だからといって生まれたときから歌えている人もいないわけです。たまたまそういう耳で捉え、そういうふうなプロセスを経てきた、その感覚が欠けているなら、その感覚を入れていかなければいけないのです。 ですから、音程練習をやらなくても済むような耳の鍛え方と声の調整能力を持たせなければいけないのです。
その辺が学校の教育と違います。特に日本の学校の教育というのは、優れた人を出すのでなく、全体の平均化を目指すことに重きがおかれています。底上げをして、落ちこぼれをなくすということです。よりよい生徒や学校での落ちこぼれの別の才能をさらに伸ばすということはやらないのです。どこでも皆が皆、優れるわけではありません。ただ、そういうやり方をとってしまうと、教えられても実社会にあまり役に立たないということになってしまうのです。昔はそうでなかったのは、教師の資質が高かったからでしょう。その場限りの成果でなく、遠い将来に対して本質を観ることができた人が少なくなかったからでしょう。