○三流声国家の日本の背景 NO.250
自国文化に厳しいフランスでは、国立劇場の俳優のせりふが手本といいます。日本では、声優やナレーター、朗読、ミュージカル、浪曲と民謡も発声はかなり異なります。
それにしても、バラバラな声の使い方が業界ごとにそれぞれ理想とされるものが何となくあり、形づくられているのは、世界広しといえども、日本だけではないかと思います。
ジャンルができてしまうこと自体、日本人の日常の声がそのまま表現に通じないということを示しているのではないでしょうか。
というよりも、そういう日本語を使ってきた我々には、そもそも日本語の音声についての強い表現力を必要としなかった、少なくとも外国人よりは使ってこなかった、ということです。
英語の習得に世界一苦労しているのは日本人だと思うのですが、そのあたりからも、日本人にとっての声について考えてみるのもよいことでしょう。うまく声をイメージすることが、あとの声のレッスンにとても効いてくるからです。
日本人の以心伝心、言った言わぬをよしとする“察し”の文化、話が筒抜けるため、「壁に耳あり」といって声を立てられなかった、木と紙の家といった音響環境は、やや特殊だったのかもしれません。加えて、明治維新後、欧米の文明、文化の急速な導入において、受け入れの優先順は、コピーしやすいところ(=書物)からになったことも、これに拍車をかけたのではないでしょうか。
欧米の演劇の作品なども、日本語に訳し、上演しますから、人々はそのストーリーに感動するわけです。世界中のワールドミュージックを輸入しえた柔軟な国、日本では日本の歌い手もそれと似たようなものであったのかもしれません。
舞台ではストーリーに加えて、役者の顔やしぐさに目を奪われます。ですから、照明、舞台美術などは、日本では、比較的早くから重視され、認められてもきたわけです。
黒澤明監督の映画は、私は三船敏郎氏から、仲代達矢氏に至る日本人の声の珠玉の作品と思っているのですが、日本ではその点でなく、画像やストーリーばかりが言及されてきました。もちろん、その方が評するのも理解するのもわかりやすいです。ただ、日本人はそこばかりを芸と思うのでしょうか。文芸としてみているのです。
海外では、小説家もストーリーテーラーとして、自分の作品を朗読します。
当初、福沢諭吉がスピーチを新たに造語として、演説と訳さなくてはいけないほど、音声を公で表現する文化は、日本にはなかったのです。
詩人も音声で朗じるのが普通です。そういう活動をしている詩人に、日本でも谷川俊太郎氏などがいますが、私は氏との対談で、日本人の歌や声について述べたときのことが忘れられません。ここでは、その話の元について、氏の書いたことを引用します。
「そしてもうひとつ考えられるのは、言葉のここの音には敏感であるけれど、組織された音の構造については、私たちは五十音ほどに秩序付けられたものではなくては、もともと感受する能力をもっていないのかもしれないということ。或いはまたむしろそのように整然と表現された言葉の音の組織になれ親しむことが、私たちの耳を敏感にせずかえって鈍化させるということも考えられる。そういう視点から見ると、五十音は整然と美しいがゆえに、あまりに微妙さを欠くと見ることさえできるのではないだろうか。
異論ついでにもうひとつ、私の経験では五十音を口論するやりかたは、ひとつに限られていた。ひとつひとつの文字をすなわち音を等価に、等しいリズムで読めばそれでおしまいだった。これは数年前に私が幼児むけの絵本で試みたことだが、たとえば<アイウーエーオ>とか<カッキクケッコ>とかいうように、五十音をひとつの素材として、耳と口を通してその発音を楽しむことは教えられなかった。そこにはひとつながりの言葉を、メロディやリズムや発声のしかたをいろいろ変えて表現するという、詩の音読や演劇のせりふまわし、さらには伝統音楽へとつながってゆく言語表現への配慮は全くなかったといっていい。そんなことも、私たちの耳を覚えさせた原因のひとつであろうか」
(「詩を書く なぜ私は詩をつくるか」詩の森文庫 谷川俊太郎)
日本人のよいと思う声はあまり説得性をもつものではありません。イタリア人のセレナーデにみられるように、声が口説きの武器として使われてきた多くの民族に対して、日本にはそれにあたるのは文(手紙)だったのです(歌垣、万葉の歌の頃までは、それでも謡いがありました。)