「『ヴォイトレ』の限界とステージ」 NO.255
発声とステージ(歌・せりふ)は、練習と本番の関係です。
私が最近、口をすっぱくしていうのは、発声が練習でなくて、リハーサルのようになっていないかということです。発声トレーニングというのは、練習であるはずなのですが、ほとんど今の『ヴォイトレ』といわれるものが、調整(状態のチェック、バランスを整えること)になっています。それは、本来、ステップが違うこと、次元の違うことなのです。
本番というステージは、即興です。何が起きるかわかりません。だから、それに備えて、日頃、トレーニングをしておき、調整だけで足りるようにしておくのです。
そもそも、本当によいステージは、トレーニングの延長上や調整だけでは成り立ちません。何かが起きます。その不安を解決するために、「こうしたら、こうなるはずだ」というトレーニングをしますが、そこでは、「こうなるはず」で終わってはなりません。思いがけない何かを待ち望むことです。
いつも、思い通りにならないことを恐れたら、ステージに立てなくなります。思い通りにならない分、そこで変じ、創る、のです。だから、トレーニングが本番で役立つなど思わなくてもよいのです。
調整しかしていない『ヴォイトレ』では、思い通りにいって100点、あとは減点法です。私の思う『ヴォイストレーニング』の結果は、点数がつきません。終わってみないと結果がわからなくてよいのです。(結果もわからなくてもいいのです)
本当にトレーニングしておくことで、自由に創造的になるということです。そういうステージを期待しています。何かを起こすのを楽しみにすることです。
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