「“正しい”」 を疑うこと
これまで述べてきたのは、2つの対立項です。
くせと個性、理解することとできること、頭と体、知識と実践、正誤と程度、浅いと深い、などの違いのことに尽きます。これを前者のだけをやって、「学んだ」、「教わった」、「わかった」と言っている人が多くなったのです。
正しい先生の教える正しい理論や正しいレッスンや、正しいトレーナーの書いた正しい本などは、多分に無益なものです。それは、無害なもので、一見即効性があるようにみえるので、ありがたがられるのですが、無難であっては、無害であっては、本当は大して使えもしないのです。毒であってこそ薬だからです。
でも、現実はそういうものばかりになっています。
偏ってはいけないからと浅くしていくのと、偏りを恐れず深めるのとは全く違うのです。「正しい」って、そんなに心地よいことでしょうか。
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