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2015年1月

Q.日本人が英語を話せない理由について。 No.281

Q.日本人が英語を話せない理由について。

 

A.1、英語の必要性のなさ

 私たちの日常生活において、日本語以外は、ほぼ使う必要がありません。また、学問などの専門知識の分野でさえ、翻訳などが高度に発達しており、日本語でほぼ理解できることも大きいでしょう。

 これは、英語など外国語を使ってしか学問知識を取り入れたり、最新の問題を論議できない国では考えられないことです。日本の翻訳技術、書物などの発行、映画などの字幕、吹き替えなどの多さ、早さと取り入れの体制のよさは豊かさの恩恵ですが、日本語の柔軟性も、その一端を担っています。

 

2、日本語の文字としての機能の高さ

 日本語は、文字として、表意文字の漢字(音読み、訓読みをもつ)、表音文字のカタカナとひらがながあり、さらにラテン文字(ローマ字)やギリシャ文字なども用います。また、縦書き、横書きがあります。擬態語、擬声語、オノマペトなど、多様に言語や音や感情の表記機能をもちます。(ex.静かさ、閑さ)

 

3、日本語の音声としての機能の弱さ

 日本語には母音5つ、子音13くらい、その組み合わせを中心とした音数はわずか108200くらいです。そのなかで、認識するので、同音異義語が多く、誤解も生じやすいのです。反面、ほぼ似た音で即時、認識してカナで書きとれます。音声ではシンプル、音数も少ないことが、他の人とも似たように聞こえ、同じようなカナ文字にして共通に認識できるわけです。音数の少なさが、他の言語や音の取り込みを曖昧ながら容易にしているのです。

 それは同時に、言語以外の音も表記しやすく、オノマペトも多いことになり、さらにそれを補うために絵文字なども発達しています。(この点で、デジタル記号というよりもアナログ絵(GUI:グラフィカルユーザーインターフェイス)のような性格のものでしょう)

 どの外国語も、外来語としてカタカナで、多くを似て異なる発音で取り入れ、すぐに日本語に編入してきました。それが、反面で発音矯正の障害の一因にもなっています。(ex. va→バ)

 当然のことながら、母語で音の種類が多い言語を使っている人が少ない音数の言語を学ぶのは簡単であり、逆は新たに学ぶべき発音が多い分、難しいのです。

 

4、日本の歴史、風土、生活、性格

 日本は、かつては、あらゆるものを大陸から漢字(漢語)で、明治維新以降は、欧米から西欧の言語(外来語)で精力的に取り入れてきました。世界の情勢のままに、ポルトガル、スペイン、その後は、蘭語、そして仏語、独語、英語と、見境なく吸収してきたのです。(そのため、向こうに行ってきた人や、翻訳家、プロデューサーのような立場の人が偉く扱われることになりました)

 元より、日本人は、話す聞くよりも読み書き中心で生活し、その上に、学問、生活、芸能文化なども発達してきました。農業中心の島国であり、長老制、一子相続で家や村中心、以心伝心で察する文化の国です。人見知りをし、シャイで、見知らぬ人との音声でのコミュニケーションや自己表現を苦手とし、説得や交渉、自己主張をよしとしない文化風土だったのです。

 日本語もその性格を帯びています。息を強く吐かず、表情筋も、口、顎などをあまり動かさないで発することができます。体から大きく響かせない、明確に発音したり、語尾まで強く言い切ったりしない。

 教育においても家庭や学校でスピーチや討論も大して学ばない。敬語などの複雑なマナーなど、立場や使い方が優先され、音声表現のことまで気にかけられません。公の場での対話経験は少ないし、話し方や朗読の練習も大してしない。自分の意見を主張しない、ぺちゃくちゃしゃべらない、歯を見せたり声を出したりして笑わないなど、口に出さないことをよしとする精神文化がありました。

 現在でも、どちらかというと、会話は1,2分以上も続けて話すことはなく、相槌のなかで曖昧に進めます。そして、以前ほどに論争や口喧嘩もなくなったこと、メールなどの発達が、さらに日本人の音声言語力の劣化を進めることになっています。日本において、このような音声には、文字や書面ほどに信用がなかったということもあります。

 付け加えると、日本人でも、日本語より他の言語の方が、明確に意見を伝えやすい、他の言語の方が話しやすいとか歌いやすいと言う人も少なくないほどなのです。

 

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〇鍛えるということ

 

Q.喉を鍛えるのはよくないと言われました。

 

A.私は、トレーニングとは鍛えることだと思っています。ヴォイトレは、ヴォイストレーニング=声トレーニング=声を鍛えるです。筋トレ=筋肉を鍛える、ですが、これと異なり、声を鍛えることは、よくわからないことがたくさんあります。喉の筋肉を直接鍛えることも難しいです。

 鍛えられるということは、そこが弱っている人がいることからも確かですが、鍛えた筋力で声を押し出すわけではないからです。また、他の筋肉や骨のように壊して再生、強化するのでもないでしょう。

 声のトレーニングとなると声に関して行うトレーニングとなって、もっとぼやけます。でも「鍛えられた筋肉」というのに「鍛えられた声」というのを対置するのはおかしくないでしょう。それは確かに存在すると、多くの人が感じているからです。現実に、言語機能回復のリハビリでは「鍛える」ようにしているわけです。

 今のヴォイトレというのが、鍛えられた声を目指すとは限らない、むしろ、目指していないから、わかりにくくなっているともいえるのです。

 

○鍛える=柔軟に働く

 

 私は、自分のブレスヴォイストレーニングを、声を鍛えるトレーニングと位置付けています。筋トレも筋肉を鍛えたらよいというのでなく、目的(競技)に合わせて、より応用度が高く柔軟に働くように筋肉をしていくのですから、声も同じです。ボディビルダーのように、外側だけ美しくみえるようにだけ鍛えても何ともならないのは、アスリートも歌手も同じです。となると、歌手のため、役者のため、一般の人のための筋トレというのもあってもよいと思います。

 英語には、発音のための表情筋や他の筋トレなどあるようです。呼吸筋も大いに関係するでしょう。発声についても同じことが言えます。

 

○負荷=器づくり

 

 さて、ヴォイトレを特別なものと思うがあまり、あたりまえのことがわからなくなっている人が少なくありません。毎日、正味30分話している人が、ヴォイトレで15分声を出しても声は鍛えられません。発声法をよくするからといっても、30分間、声を出せない人ならわかりやすいのですが、30分間出せる人が30分間のレッスンをしているだけでは、2時間、目一杯に使えるところに至るのは難しいのは言うまでもありません。

 そのギャップを埋める。それには、出し方、やり方(口内を広げる、共鳴を集めるなどの方法)だけでは限度があります。下半身が安定していないから、投げられない、打てない野球選手は、走り込むことで体を変える=鍛えるしかないのです。そのギャップを埋めるのは、負荷をかけることになり、結果、器が大きくなってレベルアップするのです。

 

〇絶対量の必要性

 

 何事であれ、初期のレベルでは絶対量に時間をかける方が効果的なことが多いものです。

 筋力のない女性にプロのピッチャーコーチが投球フォームとコントロールを教えても、キャッチャーミートに届かない、あるいは10球で力尽きてしまう。それ以上、球種や投げ方を教えても、生涯、試合に出ることはできないでしょう。そこには、体=筋力のなさという、絶対的に使って鍛えてきた量(=時間)が不足しているという問題があるのです。

 2時間、目一杯声を使いたいなら、2時間以上、声を使う経験が、普通は必要と考えるのはあたりまえです。毎日、5~6時間、あまりよくない方法でやっていても…。楽なレッスンだけしかしていないことで、キャリアを積んできた他人に勝ることは稀でしょう。

 

〇刺激する

 

 声は声帯で息を音に変換するのだから、体の大きな筋肉の増強のプロセスとは、多分、異なるものです。といっても、舞台での肉体芸術ということでは、そこを支える心身に求められる条件は、かなりアスリートたちに近いのです。ですからトレーニングにおいて、いつも与えられている刺激量よりも小さいというのでは、はなっから変化は期待できないはずです。

 「軽く弱く出す」ような発声のレッスンを否定しているわけではありません。しかしそれは、「重く強く出す」のよりも本当にずっと難しいのです。誰でも軽く弱くは出せます。誰でもピッチャーとして投げられます。しかし、軽く弱く、絶妙のコントロールなどというのは、重く強くを支える体からの感覚を丁寧にしていかなくては、身につきません。通じるものにはならないのです。通じるものにするには、器を大きくする、つまり、支えをもっと大きくしなくてはいけないのです。

 

○トレーナーの死角

 

 しばしばトレーナーは、テクニックとして、自身が軽く弱く声をコントロールしてきたことの方向から人に教えます。しかし、自分がそこまでに身につけていた基礎力を忘れている、気づいていない、無視している、もしくは、無駄だったと思って捨ててしまっていることが多々あります。大体は、無駄と思ってしまった方法や長い時間のもつ効用を把握できていないのです。

 器を大きくせず、根っこを深くはらずに、表向きを調整して、出しやすくすると、発声は早く直ります。しかし、それでは、12割よくなって、そのままです。短期にみるとよいことでしょう。初心者は、そこでうまくいった、できた、身についたと思ってしまいがちなのです。しかし、それではその先にはいけません。そこから先は伸びません。

 まして、重く深くすることで、鈍く固めてきたような人は、トレーナーにつくとマジックのように声が変わるものです。苦節何年と苦労した人ほど、「新しく画期的な正しいやり方を教えてもらった」とか、「苦労の末、ようやく自ら気づいた」「発見した」「マスターした」と、得心してしまうのです。そして、自分の過去を全面否定してしまう、これは困ったことです。

 

〇マスケラ、ベルカントのマスター

 

 マスケラ、ベルカントをマスターしたという人の中でも、案外と合っているような人ほど大した声にもなっていないように思います。技術としてマスターした声が、それ以前より表現力に乏しくなっている人もいます。単に「楽に高い声を出せた」だけで判断すると、そういうことになるのです。そこが、ヴォイトレ、発声法、共鳴、マスケラ、ベルカントなど技術の習得を根ざす人が、マニアックに陥る罠です。ここは、本当は判断力での問題ということです。

 

〇充実感

 

 トレーニングで、もし自分を根底から変えるようなものがあるなら、それは、軽、弱、楽でなく、重、強、苦です。そこで練り込んだことを忘れた頃にできているものへアプローチは、それだけ厳しく辛いものなのです。

 とはいえ、辛いからといって、そのことがトレーニングと思うような人をみると、そうではないとも言いたくなります。辛いための辛いは、楽なための楽よりもよくないとも思います。長くなればなおさらです。自分を高める、向上していくための苦しさ辛さというのは、同時に充実した喜びでもあるはずです。自分を超えることに対しての大きな救い、歓びがあるのです。

 

○絶対量としてのトレーニング

 

 私がマシントレーニングを好きでないのは、スクワットを100回行うくらいは、階段で100段以上登っていることで行っているからです。それ以上、時間があるなら、山にでもいけばよいですし…。時間や場がないから効率的に行うのが、マシントレーニング、ジムなのです。

 若さゆえに私が間違っていたのは、急にたくさんのことを行いすぎたことです。少しずつ、ハードにしていくべきでした。どこかに述べましたが、人の10倍やって、12倍くらいの効果だったのかもしれません。しかし、それは若いために可能だった時間やエネルギーの使い方でした。絶対量としての、まさに量、そして、かけた時間でした。

 トレーニングというのですから、少ない時間で、より大きな効果を求めて、メニュや方法をつくっていくのですが、私は、声に関しても、基礎か表現か問わず、最低限の絶対量なくしては通じないと思います。芸事は声がすべてではないので、ややこしくなっているだけです。こんなことを論じることになるとは、という思いですが…。

 

〇マッスルメモリー

 

 長期の絶対量からは、効率的ではなくても、フィジカルやメンタル面で、得たものが多々あったと思っています。自信というのも、そこにしか根拠はおけません。それに加えて、継続していくことの大切さを身に入れました。その上でようやく、今の自分を把握して、うまくバランスをとれるようになります。

 そうこうしているうちに、体調が悪いときにハードな練習を行って、さらに悪化させるようなこともなくなりました。無理ができなくなったともいえますが、年を経ると知恵と技術がつくものです。

 若いときのトレーニングは、昔とった杵柄で、体に記憶されているものです。声を扱う喉のマッスルメモリーは確かにあります。ただし、他の筋肉よりも本当に微妙にコントロールしなくてはなりません。

 この辺りが、「声が太く鍛えられている人は、どちらかというと音楽的に鈍く、器用で音楽的な才能に恵まれている人ほど、声は鍛えられていない」という、日本人の独自の問題があるように思います。私は、そこをずっと追及してきたのです。

 なぜ、日本人は(特に歌手)、デビュー時でマックス、その後、34年で歌唱力が落ち、平凡で器用なだけになるのか、向うの人のようにしぜんに声を扱えないのか。それを取り巻く環境と共に研究し続け、ヴォイトレに結び付けてきたのです。

 

〇判断の違い

 

 喉の筋肉における運動強度の判断を、私は30年前から行ってきました。そこでも、きついくらいがよいトレーニングになるのは確かです。今の状態よりは将来に向けてということです。

 表現力が豊かなときの喉の状態は、ベストよりはやや悪いことが多いのです。つまり、すでに疲れてきているのです。これを歌手や役者は、感情や声の表情が出やすく客に伝わりやすいので、表現力になっていると思い、好んでしまいます。その区別のできていない人が、プロでも大半なのです。

 しかし、それは、あたりまえのことです。彼らはトレーナーではありません。表現を発声より優先するからです。だからこそ、プロデューサー、演出家、アーティスト、そして、本人自身と、トレーナーとは判断を異にしなくてはいけないともいえるのです。そして、その判断こそ、日本という環境で、日本人として歌い続ける歌手に対しては、独特なものとなっています。世界のレベルと異なるものを優先してしまうのです。(欧米では、日本人にとってはこの「疲れてきているくらいの声」は、「全く疲れていない声」として何時間も同じように使えているということです。このあたりは「トレ選」を参考にしてください)

レクチャー・レッスンメモ No.281

器→歌、フレージング 

陽水(個性の音色フレーズ)

ヴィジョン

耐久力

器大きく 深く>歌声

口内 妨害をトル 

3次元 

倍音共鳴

レッスン 一人でやれないことをやる 

どこをみるか 

よいかわるいか

強さ しつこさ ロングトーン 

細く 踏み込み太く 

ため/つめ

息の用意

音色かけあい 

凝縮と解放

自立 世界観

クライマックスとリラックス

速度とインパクト 

表層のイメージ

下での支えキープ

より長く 大きく 広く 

声をとり載せていく

Time to say good-by

Taei bai

Tatu

u:

Gagegigogu

んまめみもめ

んまん

んま

んかげ

声中心と表現中心

Vol.35 

○謝罪、心からの謝意を伝える声

 

基本トレーニング

1.「申し訳ございません」

2.「すみませんでした」

3.「失礼しました」

4.「大変失礼いたしました」

5.「心よりお詫びを申し上げます」

 

□チェックポイント

A.姿勢、体 呼吸、フレーズ

  少し背を丸めて立ち、首をうなだれます。

B.顔の表情

  申し訳なさそうな気持ちで、力を抜きます。

C.発声、高低、強弱、トーン

  低めに入り、トーンを落とします。語気や響きは抑えます。

D.発音

  あまりはっきりと発音、発声しない方がよいこともあります。口ごもるものです。

E.声の表現法

  相手が話したらすぐに引けるように、ワンテンポ遅れて切り出す間をとるとよいでしょう。

 

○謝る声

 

 低姿勢ということば通り、やや姿勢を低くして、頭を下げて出しましょう。相手よりも低い声で、沈みがちに言います。ただし、相手やケースによっては、はっきりとした声で、明確に自分の誤りを認めることも必要でしょう。

 

○謝罪するときの話し方

 

 謝罪は、内容とことばも大切ですが、声にどれくらい「申し訳ない」という態度が表われているかです。

 謝意をもった姿勢や表情がそれを伝える声を導きます。平身低頭、声はややこもり、低く落ち着いたトーンとなるでしょう。テンポはゆっくりめに、早口は禁物です。ことばで伝えようと思わず、声のトーンで誠意を示そうとしましょう。

 少しでも傲慢さや口先だけのことばのようなニュアンスが出ていると、決して相手に納得してもらうことはできないのです。ただ謝ることよりも、今後に向けての対応などが問われていることも少なくありません。

 電話などで頭を下げて謝っている人がいます。一見、意味がなさそうですが、声はその感じで変化し、その気持ちは伝わるものです。ふんぞり返っていては、誠意のない、その場にそぐわない声になるでしょう。態度や姿勢は、そのまま声に表われます。

 クレームや謝罪はピンチですが、クリアできれば信頼回復となります。声には最大の注意を払うようにしましょう。

 

○クレームに対応する声

 

 クレームへの対応や謝罪については、声のトーンは落とし、低めでゆっくりとていねいに声を使わなければなりません。間違っても、テンションの高い、カン高くて大きな声は使いません。また硬く、事務的に対応したのでは、相手の反感を買いかねません。

 しかし、クレームの対応は、謝罪とは違います。きちんと相手の言い分を受け止めて、どのように解決するのかを考えます。何もかも謝る必要はありません。相手に非がある場合も少なからずあるからです。

 まず、相手の言い分をしっかりと受け止めるために、相づちを打ち、先方が言いたいことを、できる限り聞いてしまうことです。

 途中で反論はしません。その場で結論を出すのではなく、改めてかけ直すほうが有効なときもあります。相手が感情的になっているときには、こちらの言い分を聞いてもらえないことも多いからです。

 まずは、相手のペースに臨機応変に対応することが大切です。しかし、つられて早口にならないように気をつけることです。怒りにまかせてまくしたてるような人には、ソフトにゆっくりと対応しないと、さらにそのテンションを上げてしまいます。おろおろせず、毅然とした態度を保ちつつも、声は心地よく感じさせられるようにしましょう。

 

○はっきりと言い切りすぎない

 

 言い分をしっかりとさせようとするあまり、はっきりと言いすぎると、力が入ることになります。これは、余計な緊張を相手にも強いてしまいます。

 口とあごの動かしすぎも注意しましょう。一語一語はよく聞こえるのに、感情の伝わらないしゃべり方になってしまいます。まずは緊張をほぐしましょう。

 

○甘えた声、鼻にかかる声、舌ったらずの声にしない

 

 どちらのケースも、甘えた声は禁物です。すぐに鼻にかかってしまう人は、「アン、ヤン、ナア、ネエ、ウウン」を鼻にかけないように意識して言ってください。鼻にかからずに発音するコツは、もっと鼻に抜くことなのです。肝心の鼻がつまっていては、無理ですが。

 鼻づまりは、m、nが、b、dになります。たとえば、「ママ」が「パパ」、「ナニ」が「ダヂ」に聞こえます。

 あまりに鼻にかかりすぎてことばがはっきりしないときには、蓄膿症やアデノイドなど、鼻の病気の可能性もあります。耳鼻咽喉科に行ってください。

 甘い声、鼻にかけた声は、舌たらずでラ行がうまく言えません。これは眠いとき、寝起きの声などで、場合によっては色気のある声ともいわれます。しかし強さ、高さがなく、一本調子になりがちです。

 舌たらずの人は、舌の運動をしましょう。サがヒャやタにならないように。セがシェになる人は、スェにしてみましょう。

 

○クレームの電話に対応するには

 

 クレームの電話は、相手の顔が見えません。次のようなことを踏まえて、より声の使い方に気をつける必要があります。

・相手の怒りを鎮めるために、まず「申し訳ございません」などのお詫びのことばを入れる。

・「でも」「そう言われましても」といった否定的な表現で相手の話の腰を折らない。

・きちんと相づちを打ちながら話を聞き、クレーム内容をつかもうとしていることをわからせる。

・こちらに非があるときには言い訳をせずにお詫びをする。

・自分の手に負えないと判断したら上司や担当者に取り次ぐ(自分一人の判断で対応しないのも大切なことです)。

・すぐに答えられそうもないときは、いったん電話を切り、対応策を練る。

・取り次ぐときは内容を正確に伝え、相手に二度手間がかからないように処理する。

 

□口とあごのトレーニング

1.口を閉じたまま、下あごを左右に動かす

2.口を開いて下あごを左右に動かす

3.下あごを大きく下げて、もどす

4.下あごをすばやく下げて、もどす

 

□鼻声を明瞭にするトレーニング

 次の音をはっきりと発音してみましょう。

1.「ガヤダガヤダ」

2.「ラレリロル」

3.「カケキコク」

4.「ガゲギゴグ」

5.「ダテヂドヅ」

 

応用例文トレーニング

<電話応対のケース>

1.「申し訳ございません。あいにく××は、ただ今他の電話に出ております。……」

2.「××はただ今席をはずしております」

3.「申し訳ございません。あいにく××は休ませていただいております」

4.「××はただ今、外出しております」

5.「私でよろしければ、代わりにご用件を承りますが」

6.「××は外出中で、夕方には戻るかと存じます。いかがいたしましょうか」

 

<謝るトレーニング>

お詫び申し上げます。謹んでお詫び申し上げます。

申し訳ない次第です。申し訳なく思っております。

平にご容赦ください。

肝に銘じております。

お詫びの言葉もありません。お詫びの申し上げようもありません。

ご迷惑をお掛けしました。

ご心配をお掛けしました。

ご面倒をおかけしました。

弁解の余地もございません。

ひと言もありません。返す言葉もありません。

うかつにも、私の不徳の致すところです。

今後はこのような不手際のないよう

やむなく○○に至った次第です

考えが及びませんでした

ご指摘のとおりです

こちらの手違いでした

二度とないよう十分に気をつけます

恐縮の至りです

至らないところが多くて、恥じ入っております

お役に立てなくて、面目ない次第です

「基本に戻るということ」

この頃の世の中では、すぐによくするというのが、もてはやされています。トレーナーとしても即時に相手の状況に対応できる、その日によくして喜ばれるのはよいことですが、ここに大きな落とし穴があります。
研究所では「徹底した基本を身につけ、応用し、また基本に戻れ」と教えています。応用は、さらなる基本の力をつけるためにするのです。そこからみると、ステージ、作品、現実社会も、切りとられたプロセスにすぎないといえます。
一人で基本トレーニングをしても、自己中毒になりかねませんから、レッスンを受けるのですが、即効的な効果をねらった教え方は、目先を変えているだけなのです。(それもモティベートをあげる技ですから使ってはいます。)なのに、それで本人はすべての問題が解決したように思いやすいのです。自己中毒とは、目先の効果にとらわれ、基本に戻れなくなることです。
本当のところ、その日の効果は状態がよくなった、その人のなかでバランスが整ったというだけです。病気でいえば完治にはほど遠く、習い事でいえば方向づけにすぎないのです。それでは、もともとのその人の力以上のものは出ないのです。力をつけるには、そこまでの備えを整える時間がかかります。その手間を短くするのでなく、受け入れる覚悟をすることが、本当のレッスンに必要なことなのです。

「Q.脳の研究は発声にプラスですか。☆☆」No.281

A.脳細胞の働きがよくなったなら、頭も声もよくなると思いたいものですが、脳の細胞の働きと必ずしも関連がないのです。それどころか語学学習などでは、できるようになるほど、脳の言語中枢活動は低下しているそうです。

 私は、α波研究の頃から関わっているので、「逆は真ならず」と疑念だらけでした。今も鵜呑みにはしていません。

 血流量が増えること=活性化であっても能力向上に結びついているとは限らないのです。大まかにいうなら、細胞が効率よく動いている状態より、新しい事態に対処するために不慣れで刺激的な方が大きく表示されやすいようです。ですから、脳の活動が低下した人ほど反応が表れやすく、常に高度に頭脳活動を続けている人は表れにくいともいえるでしょう。

 だからといってトレーニングへの研究を否定するのではありません。トレーニングにも新たなものとルーティンのものと2通りあるからです。新しく表面的な修正の方が、ベースの積み重ねとコツコツ行うものよりも大きな効果のあるように表示されやすい、それはそのまま人々の判断にも通じるのです。それゆえに困ったことに思うのです。

 効果は人によるので、やったあとにしかわからないということ、さらに、初回にはかったからよしあしとして出すのではなく、数年経ってからの結果と比べてみることが大切です。

 こういう本質をわからないまま、数値やグラフをそのまま信じてしまう人が多くなりました。短絡的に考える人が多くなったのは、どの世界でも同じようです。

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