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2015年4月

原因と結果 No.284

○元の原因とあとの結果

 トレーニングは、A→B、やったことと効果を因果関係、「こうしたからこうなった」という形で出そうとしています。しかし、それは違います。実のところ、結果に直接に効く原因はなく(本人が思っているだけで)間接的に効く要因がいくつもあったというべきです。
「できた」といっても、「できなかった」ときとは、何かしらの基礎が整ってきたのか、応用によって働きが違ったことで可能になったのか、それによっても違うのです。そこを分けて判断することが大切です。それ以前に、「できた」とは、どの程度なのかということがもっと大切です。
 「音にする、声をならす」でなく、「音になった、声になっていた」とならなくてはいけないと述べてきました。こうして主観的な判断から客観的な判断にしていきます。「こうしたい」でなく、「こうなった」の世界だからです。
 「響かす―響く」、「あてる―あたる」なども似たようでも違います。前者は試みで、後者は結果です。試みでできるのは、ふしぜんなものです。結果でできてしまっているのがしぜんです。ゆえに時間を待つしかないのです。
 結果が出てからでしか何ら言えず、結果が出ていたら何も言うことはないのです。
 試みるのがトレーニングであってはならず、試みたときにはできているように、もっと深いところ、基礎の基礎、器づくりを行うことこそがトレーニングなのです。
 
○プロセスとスパーク

 レッスンやトレーニングの目的に、「歌手」や「役者」ということをあげて、そのための目標の一つが発声の基礎トレーニングともいえるわけです。目的を先におき、目標は、3年、1年、3か月のように時期で区切っておくのはよいことです。
 声は、その芯を支えていると動きだし、外へ働きかけたとき、共鳴している、そういう結果が出る。結果を出そうとしてレッスンし、トレーニングするのです。
 しかし、結果が出るのはアイディアの閃きと同じで出てしまうものです。出そうとして出るものでありません。あるとき瞬時に、閃きのようにスパークしてしまうのです。できているのです。
 私たちのみる夢のように時系列が消え、体―息―声―共鳴がすべて一体化して、そこで言語や歌を処理しているということです。無心に読経しているような状態が、一つの参考になるかもしれません。
 早い、高い、深い、この3方向を応用としてとるとします。そこでは、好き―嫌いでなく、すぐれているもの―すぐれていないものがあり、すぐれている人―すぐれていない人がいます。
 とはいえ、どれか一つでもよいのです。表現という目的において一致すればよいわけです。
 何をやっても、才能のある人がいて、自分の先がみえないときには、勉強不足と思って勉強しましょう。
 欠点を磨いて長所にするのも、大切なことです。対照してみると、こうなります。b→aでなく、a→bなのです。長所から短所にいくのがトレーニングのプロセスです。
a.長所 概知  くせ、過去、体制的、保守的、こなす、うまい、正しさ、きれい
b.欠点 未知  個性、未来、反体制的、創造的、表現力、深い、インパクト、濃い

○時間と資質

 理想の何パーセントを使えるものとしていくのかというトレーニングが大半でしょう。「やり方」を学ぶというなら、そのまま100パーセント、マックスで使ったら、それで終わりとなります。
 使う方法よりも 結果として、できていることが大切です。ならば、理想を今の100で甘んじずに2倍、3倍にする、という条件を課すことです。
 そこまでして、ようやく体の感覚から変わる必要性を帯びるようになります。変えるでなく変わるであってこそ価値が出ます。それがトレーニングということです。
 歌では、次のようにみるとよいでしょう。
カラオケ<ポップス<声楽
体の感覚<ゆれ<こぶし<ビブラート<共鳴
心身のメンタルトレーニング<フィジカルトレーニング
 
○目的とプログラムの説明

 どの程度に説明するのかは難しい問題です。医者であれば、2つ以上の案を示し、それぞれのメリットやデメリットを説明するのでしょう。どれか1つの方法が、絶対にメリットだけなら選択も代案も必要ないからです。
 ただし、その1つでさえ、他のものに比べてよりよいかも、とか、今のところ一番ましというものでしかないこともあります。
 説明は、デメリットが出たときの逃げにすぎないともいえます。説明責任を果たすというと良心的なようですが、予めリスクを話すのは、その際の責任追及から逃れるためという面も大きいのです。
 何事にも絶対的正解はなく、常にすべてが試行なのです。結果は、本人の意思や努力あってのメニュ、方法によります。そこから芸になります。
 
○意志力

 どんな方法をとるときにも、その説明によって本人に自信ややる気が出てくると、結果が違ってきます。トレーナーや方法が全く同じでも、一人ひとり決して同じ結果にならない。まさに不確率の世界なのです。
 そのために、ともかくも何らかの説明が求められます。それは、原則としてありでしょう。協力していく、トレーナーとクライアントが一体になって症状にあたっていくのはよいことです。
 今の医療について述べるなら、大体は元に戻すのを目的、100パーセントとして、90パーセント戻れば上出来といったくらいです。そのくり返しで100×0,9×0,9×…で、人は弱っていくのです。ヴォイトレも、調整でも復帰だけを目標とするなら同じことでしょう。
 今の力をキープするには、キープ=守ると考えた時点で負けです。「もっとよくなろうとして初めて、何とかその力をキープできる」と述べてきました。

○直すのではない

 長らく怪我や病気をしたあとの治療であった医療が、予防医学へ向かっているのは、よいことです。守りでなく攻めということといえます。先手必勝、時間として早く対策するということは、目標を今より高くおけるということです。そうあるべきに思います。そして、ここで、トレーニングは、治すというのとは違うことだというのを知って欲しいのです。
 ヴォイトレは、うまくいかない、下手なのを直す、間違っているのを正すというのがほとんどです。下手でも間違いでもないのに、そのあたりで直したところで、正しいと言われるようになったところで、通じていないということでは、ほとんど変わっていないのです。なのに、どこがトレーニングかということです。
 
○早くでなく、すごく

 トレーニングは、「早くよくなる」か、「よりすごくなる」というのが、目的です。もちろん、これらが両立すれば一番よいのですが、少しでも早くよくなるということだけが目的にとられがちです。そうするつもりはなかったのに、そうなっていることが多いのです。それもそのはずです。トレーナー自身の考えはともかく、トレーニングする人の大半の目的がそうだからです。
 すごくなるには時間がかかります。いくら遅くなっても、結果としてすごくなるという目的であってこそ徹底した基礎トレができるのです。早く少しよくなら、バランス、調整、使い方、技巧のメニュや方法のオンパレードになるのが関の山でしょう。アスリートの世界で考えたら、言わずもがなです。
 勉強ということ自体、私たちは昔よりもずっとしているようで、理論というまやかしに走って根本が見えなくなってきたのです。学ぼうという人は、理屈やノウハウばかり欲しがっているから、なおさらそういう傾向になります。トレーナーの質も、それに伴ってしまうものです。

○本質と万能 

 一子相伝は、選ばれた一人に直接、師が自分と同じようになるように口伝するものです。型に完全にはめて、型通りになって継承すると形骸化していきます。それでは、せっかく伝承されても、滅びてしまいます。型破りであっても新しいものを創造するから伝統となって受け継がれるわけです。
 ヴォイトレは、相手に合わせ、時代に合わせ、基本をなおざりにしすぎました。かと言って昔のようにトレーナー、先生、師を合わせて、前の世代をそのまま体験させても、もはや何ともなりません。
 なぜなら、本当は自分をまねさせるのでなく、自分も先代もまねしてきた、もっともすぐれた本質的なものを参考にする、それに気づく必要があるからです。そのための手段が、型だからです。
 型は、基本は厳格でなくてはなりません。トレーニングでは、よしあしの判断の厳密な基準ということです。師によって異なるなどというのは、私の意図するものとは異なります。形は問いませんが、その下にある型は、みえずとも万能の器です。それは、語れるものでなく気づくものです。
 
○先に与えない

 一般の人や一流に接している人にトレーナーは、本質に至るための邪魔をとる、それでよいのです。それが理想的なのです。「語らず教えず」でよいのです。
 それでは、生徒はわからないというので、やさしい先生は教えだします。「私の通りに」とか、「こういうふうに」と、生徒が欲しているならまだましです。欲していないのに先に与える、つまり、教えたいから教えているのが、今の風潮です。ただ、教える人が、教えているという充実感、満足に囚われるのです。
 トレーナーが、一つ先に早く行けても、そこから三つくらい先にさえ行けないようなプロセスにしてしまうのです。一つ先に行けたのがすべてとなって、それが百歩の中の一歩とも気づかなくなるからです。
 昔から師に可愛がられ、早くいろんな技を教えてもらい、早く師のようなまねができるようになった人は、およそ大成しないものです。それは、プロセスをまねただけで、プロセスで気づいて体得していくものを得ていないからです。形はつくけど実はない。丸暗記で覚え、正しく言えるけれども内容は伝わらないのと同じです。
 師が可愛がり教えて、結果、潰してしまう。師の形でしかできなくしてしまうのは、大きな誤りです。が、それを後継者とする、他で通じなくしてしまうからこそ、成り立ち、形として続く家元制もたくさんあるのです。皮肉です。

○実質と基準化

 トレーニングは、形(メニュ)を使って行います。大切なのは、そこで実質をつかむことです。ドレミレドで声が届いたとか音程がとれたでなく、少なくとも、ヴォイトレなら、体、呼吸、発声、共鳴が楽器として整ってきているかを目的にする、つまり自分の判断を基準化すべきなのです。
 迷い、悩み、もがき苦しむことでわかってくるものを、トレーナーが先にこうだよと示してしまう。それをまねて、同じようになる。それをレッスンと思っている人が多いのです。レッスンの代価は、トレーナーのノウハウではないのです。確かにやめさせず続けさせるようなノウハウではありますが。
 ヴォイトレは、声のトレーニング、声の力をみるのですから、その目的は、声一つ、一声の違いというように考えたらわかりやすいのです。
 もちろん、それだけですべては得られませんから、同じメニュでもいろんな目的や判断があります。たくさんのメニュもそこから派生します。
 ただし、たくさんのメニュを順にこなしていくだけでは何の力もつきません。何曲覚えたからすごいというのと同じです。すごいなら、一曲でも一フレーズでも一声でもすごいのです。形や数で満足するのが好きなのはよしとしても、そこで終わってしまってはだめですね。
 
○多様なもの、変じるもの

 ですから、メニュもやり方も、すべて変じて自ずと多様なものになります。変じてあたりまえです。トレーナーも多様でありたいものです。多様であることが豊かなことだからです。
 なのに、レッスンで、やり方がどうなのかとすぐに言う人をみると、言う前に、なぜ一度受け入れ学ばないのかと思うのです。私もトレーナーも瞬時に変じているのです。変じたものでなく、変じることを学ぶべきなのです。
 とはいえ、先生でもトレーナーでも、大して変わっていないかもしれません。ここに入ったときのトレーナーも2人に1人はそんな感じです。「私が教えられた発声を教えにきました」というようなものです。それを「私の発声を教えにきました」にしてスタートしていただくのですが。
 どのトレーナーも、自分以外にも、いろんな正解、いや、いろんな方法やよいメニュがあるとわかるのに、案外と時間がかかります。わかっても、それを教えるのがよいのか、それが早くできるようにするのがよいのかは別のところで触れます。
 すぐれた歌唱をする人ほど、自分の今と過去のプロセスに自信をもっているから変わりにくいものです。特に、教える相手が自分よりも未熟であるからそのままです。変わらないのはまだよいのですが、「変われない」のが困るのです。
 
○通じる

 普通、トレーナーは、自分のやり方が、あまり通じない人やあまり合わない人が、他のトレーナーで上達していくようなプロセスを知ったり経験したりする機会がほとんどないでしょう。そのような経験を積むと、基礎があるトレーナーなら一気に変われるのです。しかし、そう簡単ではないようです。
 変われないと、トレーナーが複数ついて教えている、この研究所では生徒がつかなくなってしまいます。本当の基礎があるからこそ、自在に対応できるようになるのです。
 「自分の方法が通じない」ということを認めるのは勇気がいります。どのようなトレーナーでも大半は、生徒よりは声は出るし歌はうまいので、生徒は、それなりにいろいろ学べるからです。
 ところが、ここにはプロの人や異なる分野の一流の人、トレーナーより社会的に活躍している人もきます。他のスクールのすぐれたトレーナー、ベテランのトレーナーに教えられている人にも教えます。これまで学んでことだけでは通用しないことが起きます。そこで、トレーナーも自分の問題として突きつけられるのです。
 そういう機会が多いと学ばざるをえません。トレーナーの方が生徒より学んでいてこそ、生徒も接する価値があるのです。私も、こういう環境で、今も新たに学ばされ、力不足を感じることばかりなのです。ですから、私たちの学んでいるプロセスとして、こういう情報の種は、尽きないのです。
 
○やり方もメニュも無限

 今の私は、他のトレーナーや他のやり方の方が早く、いや早くよりも将来的により大きな可能性を得られるというなら、自分のやり方に固執するのはロスと考えます。
 よくあるのは、トレーナーが自らを絶対視していることです。他スクールでは、よくみました。そのために学べないことは、生徒にも本人のためにもよくありません。他のトレーナーややり方を批判的にみて、試しもしない、意見をも聞かない、それでも充分に通じるとしたら、ただ低いレベルというのでしかなく、対応においていい加減を許容しているからです。他にかわれるトレーナーがいないのも、あまりよいことではないでしょう。
 
○トレーナーの自立

 私は、トレーナーがいらしてから2,3年は本人のやりたいようにやらせます。以前、生徒に対してきたのと同じスタンスです。本人自体が生徒と接して学んで変わるのを邪魔したくないのが、第一の理由です。それと、これまでの私たちと異なる独自のやり方やメニュを、ここで発達させてもらうと、お互いの次の発展につながります。
 ですから、最初に他のトレーナーや私のやり方を学ばせません。ある程度、本人が確立しないと比較もできないからです。もちろん、いらっしゃる時点で、少なくとも5,6年以上のキャリアがあってのことです。
 最初は、新しいトレーナーは遠慮して、誰にでも難なくわかりやすく伝えようと、あまり我を出さないものです。そこでは、大体よくも悪くもない。ベテランのトレーナーとは、違う新鮮さがあり、生徒にも好まれます。それこそが大切な武器です。
 ところが、その後のプロセスで、一時的に新鮮さがなくなり、偏り、個性と共に、くせが出てくることが普通です。そういうようなことを以前述べました。そこからが本当のレッスンになるかどうかの勝負です。独自の存在価値をもって自立できるかということなのです。

○挫折すること

 ともかく、自分を疑い続けているトレーナーには自信を与えますが、疑ったことのないトレーナーには、挫折から学んでもらいたいものです。早く挫折して欲しいので、ベテランや難しい生徒をお願いしたりします。うまくいかないところにこそ、その人の個性やよさも出てくるからです。
 挫折や失敗のないトレーナーでは、人を育てられません。自分が学んでいるということは、より高いレベルのことが求められるようになり、その分、失敗やうまくいかないことに必ずぶち当たるものです。誰でもよくする、すべてうまくできるというような人は、目標が低いか自己の把握もできていないということです。
 多くのトレーナーは、発声を学ぶときの挫折を経験に乗り越えたと言います。それでは、ただのPRになりかねません。ここで問うているのは、トレーナーとしての挫折のことです。これは生徒も同じです。
 私がプロデューサーでオーディション対策というのなら、その人のもっともよいものをまとめ、よくないところをすべて削って出すでしょう。ですが、レッスンなら、悪いものをとことん出してもらうことが大切です。そこから早くよいレッスンになっていくと言っています。
 レッスンは、最初からスムーズにいくとは限りません。目的を高く大きく変えていくなら挑戦であり冒険だからです。すぐにうまくいくようなのは、さして変わりがないのをよしとしているからということも多いものです。順調で楽しかったレッスンが、あるとき、頭打ちになり、うまくいかなくなる。でも、その先からが本当の学びなのです。

○表現力を高める

 ときに、表現力をつけたいと言って来る人がいます。この場合、ベテランの人ほど変わるのは難しいことです。初心者は、一流のものを聞くこと、そこから力が引き出されるようにプログラムすればよいのです。
 しかし、ベテランは、それが終わったレベルに達していますから、新しく入れるにも、入れ方から、気づきから学び直さなくては大して変わりません。特に、よりよいものが相当に入っていると思える人ほど難しい。そこでは自らを白紙にできるか、ということです。(頭だけがベテランになっていて、力が伴っていない人には、さらに難しい問題です)
 表現力をもう少しつけたいというなら、技術の問題ですから、発声の基礎からやり直します。しかし、本当につけたいなら、これまでのキャリアや自信まで白紙にします。
 これまでのうまくやれてきたことが、さらなる成長、可能性の追求を邪魔していると考えるくらいの覚悟が必要です。その覚悟があれば、そこまで高いレベルで自ら気づけているなら、プログラムとして与えることができます。そこから自分にないものを必死で学びます。こういう人は、本当に稀です。ほとんどの人は、自分でやってきたことを取り戻し、確認できたら満足してしまうからです。
 
○トレーナーの支え

 ヴォーカルというのは、自己肯定力がないと続けられないものですから、どこかで自信過剰、自惚れがあります。まして売れた人ならプライドも相当に高いものです。(売れていないのにプライドが高い人は、さらに難しいです)
 よい歌い手でも自己肯定力が、あまりに強いため世に出られないタイプもいます。そこには目をつぶれ、他人に任せよというのですが。
 自分が売れてもいないのに、そういう人たちにズケズケ言うのですから、トレーナーは、歌手や役者と違うものに支えられていなくてはなりません。歌やせりふに対して声、ステージに対してジム、自分一人に対して多くの人、というのが、トレーナーのキャリアの場です。長い年月での声の育成プロセスの把握や、そのプログラム、結果の研究なども、アーティストには大した経験はなく、それゆえ、トレーナーに求められる経験です。よくわからない世界だけに多くの人を長い時間みた経験、それも一人で行うのでなく、多くのトレーナーを介してみているのは、私くらいでしょうか。うまくご活用ください。

○有能ゆえの無能

 一人で指導している人は、その人に合わない人が辞めていくので、もっとも大切な、合わない人への対処について、あまりにも学べていません。残るのは、自分のやりやすいタイプか自分のやり方に合わせられるタイプとなります。
 私は心身が丈夫というか、人並みなので、そこの弱い人への対応は遅れました。喉や心身が弱い人へは、それを克服してきたトレーナーが適任で、うまく対応してくれます。それと同じく、有能なアーティスト、歌手、トレーナーが、一般の人への対応にうまくいかない。これは表面上でなく実質面でのことです。
 特にクレームがあるからでなく、本当はもっと力がついていなくてはいけないのが、少しうまくなって止まっているのは、「教える人が有能ゆえ、他の人に対して無能」ということなのです。ヴォイトレはトレーナー本人が「有能なところこそ、対処に無能になる」です。この有能さを他人に活かすには、トレーニングの経験と、他のトレーナーからの気づきが必要なのです。

○二極論の補足※

 「二極論」については、私のこれまでに書いたものを参考にしてください。以下、補足です。
A.劇場型 視覚 イベント パフォーマー 詞 ストーリーテラー(漫才) 詩人 ことば スタンダップコメディ 熱狂 音楽性 インタラクティブ 詞先 今の長渕剛、美輪明宏、
B.BGM 聴覚 ライブ バンド メロディ、リズム 音楽 スキャット プレイヤー 音楽、インストルメンタル 曲先 昔の長渕剛、憂歌団、横山剣(敬称略)

レクチャー・レッスンメモ No.284

低中意識の強化
高音域パワフル
マーナーガ
芯と共鳴
包み込む
モノトーンから
色つや形を取り除く
同じにする
ガマゲメ
体と結びつける
開くこととみること
ことばのおきかた
体―息―声―共鳴
頭の上下・左右・前後
呼吸と霊気
保前?君子と中川マリ
不自然 硬い 無理
かざつく?かさつく?
チェック 課題
目的 表現への体づくり 器
共鳴 母音 調音 子音
メンタル 意志 聴く ボディランゲージ

掘った
まわした
押した
つめた
あてた
1、 たてに
2、 まとめて
3、 あたる(響く)
集約
方向

Vol.38 

○安心させる声、寛大に伝える声

 

基本トレーニング

1.「少々お待ちくださいませ」

2.「これからご案内いたします。どうぞこちらへ」

3.「申し訳ございません。すぐに戻ってまいります」

4.「ご安心ください」

5.「お気になさらないでください」

 

□チェックポイント

A.姿勢、体 呼吸、フレーズ

 ゆっくりゆったりと呼吸をする

B.顔の表情

 菩薩のような表情で

C.発声、高低、強弱、トーン

 低めにゆったりと

D.発音

 聞き取りやすく

E.声の表現法

 全てを許す心持ちで

 

○キンキンした声を落ち着いた声に

 

電話で奥様方が話すようなキンキンする声は、聞く方も話す方も疲れやすいものです。

 これは、よそいきの声といわれるように、丁寧、上品なイメージなのですが、度を過ぎると不快です。

 一方、生声(のどで雑につくったような声)をストレートに使う人も、疲れやすいという印象を持たれることが多いようです。

 人に安心感を与えるには、おおらかな声がよいですね。体から大きく笑ってみて、気持ちを大きくもち、やや低くゆっくりめに出してみましょう。

 

○声を若々しくひびかせよう

 

 多くの人が、声の響きというと、カン高くひびく頭声をイメージするでしょう。しかし、ひびくのは、頭だけではありません(頭のてっぺんから出るような声は、そう使うものではありません)。声は、顔面、のど、胸、背骨と、全身でひびいているのです。

 発声では、のどをしめつけがちなので、それをはずすため、顔面(口・鼻)や胸に感じるようにひびかせることを目的としてもかまいません。

 のどを開いて、声を出すと、声が自然に伸び、活き活きとして聞こえるようになります。

 さらに、体の深いところから、深い息で支えられた声なら、とてもよく相手に伝わるでしょう。

 

□鼻のトレーニング

1.鼻穴を両方大きく広げる、ピクピクと動かす

2.鼻から息を後頭部のほうへ送るように吸う

3.くさいものを嗅いだときのように鼻を動かす

 

□共鳴のトレーニング

1.「ナーナーナー」

2.「マーマーマー」

3.「ニンニンニン」

4.「ネイネイネイ」

5.「ラーラーラー」

 

応用例文トレーニング

1.「担当の者がまいりますので、少々お待ちくださいませ。」

2.「これからご案内いたします。どうぞこちらへ。」

3.「申し訳ございません。すぐ戻ってまいります。」

4.「大丈夫です。どうぞお気になさらないでください。」

5.「こちらの契約書に署名をお願いできますでしょうか。」

6.「この件に関して、このような案はいかがでしょうか。」

7.「では、今回は残念ですが、あきらめます。」

8.「では、そろそろ失礼いたします。」

 

□受諾・容認のトレーニング

気持ち良く依頼を引き受ける

○○の件、かしこまりました。

ご依頼の件で参りました。

承諾しました。

その線で進めさせていただきます

やらせていただきます

お手伝いさせていただきます

お受けします

 

致し方ないですね

異存ありません

差し支えありません

それで問題ありません

それで進めてください

そうしてもらえるとありがたい

そうしていただけるとありがたいです

ごもっともです

さようでございます

おおせの通りです

おっしゃるとおりでございます

 

まだまだです

いろいろ勉強になりました

貧乏暇なしでお引き回しください

ご指導ご鞭撻のほど

かく言う私も

お察しします

「歌手は残れるのか」 NO.284

私は、お笑い芸人の声力のすぐれている例をもって、歌そのものの力の弱体化、それゆえにファンが離れ、社会的影響力を失ったことを述べてきました。
 私は、役者もお笑い芸人も、歌手と同じくアーティストとして同一に扱っていたのですが、特に、歌い手の、声も含めた魅力の低下を残念に思っています。これまでは歌の中での流行の変容でしたのに、日本では歌が消える、いや歌手が消えようとしていることに危機感をもっています。それは、もっとも魅力的な声の一つ、声の芸が消えることにつながるからです。
 50年ほど前の状況を萩本欽一氏が述べていましたので参考までに、転載します。
 
 「テレビの世界ではコメディアンの地位はまだ低くて、歌手の方がずっと格が上。ゲストの歌手さんたちは見上げるような存在だった。番組中、ゲストに打ち合わせにない質問をすると、あとでマネジャーに「よけいなこと聞くんじゃねよ」とすごい剣幕で怒られる。よほどの大物でないかぎり、歌手が面白いことをしゃべったりするカルチャーはそのころの芸能界にはなかった。僕は歌手さんと一緒に控室にいるのに気後れがして、化粧道具を持って廊下でメークしていた」(「私の履歴書」日本経済新聞2014.12.22)

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