基準と基礎から、一流と大衆性 No.285
○基礎と基本の定義
基礎とはfoundation、下部構造、大本、基い、土台、建築物でいうとコンクリートの基礎であります。基本はbase、物事の成立に基づくもの、判断や行動、存在の基、基い、根本、土台という感じでしょうか。
とはいえ、英語でもどちらにも使われ、日本語も区別されないときもあります。ちなみに私の本では、基礎、基本講座とついたものがあります。基礎、基本に対応するのは応用やアドバンスで、上級などになるのでしょうか。
そんなことはさておき、ここではヴォイトレにおいて、歌唱やせりふ、朗読に対しての位置づけのことです。声のヴォイストレーニングに対して、歌はトレーニング、せりふ、朗読はせりふ、朗読トレーニングでしょう。そんなことは何回も述べてきたので、ここでは定義で考えてみたいと思います。つまり、芸能の判断をするときの基準としての基礎や基本ということです。これは、とても大切なことです。そこから伝統と芸、時代を生き残るための基本、芸術性と大衆受けまで述べていきたいと思います。
○基礎のある人
よく「誰を聞けばよいのか」と聞かれます。基礎のある歌い手や役者は誰かということです。また、プロの人は「基本を教えて欲しい」とか「基本をやり直したい」とか「基本を知らないので」などと言って、ここにいらっしゃいます。
特にポップスでは、歌っていたら、バンドを組んでいたらプロになれたという人が、自分は基礎をやっていない、正規の教育を受けていないといいます。そういうコンプレックスがあるのかもしれません。しかし、基礎や基本とは何なのでしょうか。
今、研究所では、そこを「声楽家の体としての基礎」においています。音大のカリキュラムのような統一されたものではありません。しかし、どこかで学ぶべき基礎といわれるのなら、ある程度の統一は必要です。
これは、以前から述べてきましたが、トレーニングが特殊なものゆえに、基礎トレーニングというくらいなのですから、どこでも迷いが生じることです。声楽では教育を受けずに、つまり発声の基本を身につけずに、オペラ歌手になるのはとても難しいので、発声の基礎が、何となくですが、明らかにあるということなのです。しかも10年ほどのプロセスとして歌唱と力や分離されて声楽、発声練習としてあるのです。もちろん、邦楽でも10年、20年で基礎どころか、50歳で小僧という深い世界です。そこからも多くを学ばせていただいていますが、分離ということ、さらに、流派(一人の師)ということ、日本だけで、という点で扱いにくいのが実状です。
○一流を入れる
スポーツや音楽の世界では、ときに教えられずに、あるところまで才能を発する人がいます。しかし、それにはやはり条件があります。必ずやそれ以前、一流のプレー、試合、作品などに接して、自らそこから吸収しているのです。独力で伸びる人は誰よりもそこから多くのものに気づき、学び、自分をコントロールし、足らないところを補っています。語学などもラジオだけで何か国語もマスターした人もいますね。何から、あるいは誰から学ぶかもセンスであり、才能の一つです。
オペラにはメソッドがありますが、ポップスや邦楽にはありません。メソッドといっても、その時代の流行のもので、全世界で統一してあるというわけではありません。
ここで述べたいのは、独力であれ、学校であれ、一時期はしっかりと他の人に学んでいるという事実です。歌を聞いてもいないし歌ってもいないで歌手になった人もいません。最初からうまかったとしても、しゃべれなかった時には、プロのように歌えていないでしょうし…。実力は、何に出会い、どう反応してきたかの積み重ねなのです。
○天然型の基礎
基礎への探求は、これまで、何事にも基礎があるということで、なされてきました。しかし、それをメソッドとして学ぼうと学ぶまいと、人から教えられようが教えられまいが、ともかく、身についているかどうかということです。そして、それは、よい早くとか、より高く(ハイレベル)、より深くとか、より長くとかのために必要であるということです。
歌っているだけで、実力派の歌手になれた人は、そこに全ての基礎も、必要なことも入っていたということです。聞いて声を出すだけでハイレベルに対応でき、つくりあげることのできた人です。
そして、そうでない大多数の人のために練習法、メソッドやトレーニングがあるのです。そして今の私の立場は、そこを突き詰めることが主になってきたのです。しかし、それに加えて、あまり論じられないことですが、さらにプロの力をつけるにはどうするのかということです。
歌手や役者になれた人でも、その実力を維持し続け、向上させ、時代に対応するには、たくさんの課題があります。そのための声の研究がメインなのです。
○「歌がうまい歌手」リスト
新年の週刊現代の「歌がうまい歌手」日本人で、プロデューサーたちが選んだリストをみました。その翌週には、歌手やヴォイストレーナーが異論を、それぞれに述べているのですが、私は、そこともスタンスが違いますので、結局、述べられませんでした。私としては、一般論ですが、歌手であれ何であれ、世の中でやれていたら皆それぞれによいという立場です。
それは音楽、歌、発声だけの実力に限りません。そこは研究所のトレーナーとも違います。(スタンスというなら、レッスンでの声の可能性と限界においてみるようにしています)
私のところには、マルチな才能をもつ人がたくさんきます。声を、何にどう使おうとでやれていたらよいということです。これはやれていなければダメということではありません。芸能であれ、ビジネスであれ、やれている人の声は、それゆえ、ひとまず肯定するというスタンスです。
プロなら声で伝えている、その伝えているということを、広く捉えているということです。
私もその一人です。それを歌とか朗読、アナウンスでは、プロでないと言われたところで畑違いなのです。
このなかに、私の知人もいるのであまり述べたくもないのですが、具体的でないと論じにくいので引用しますと、
ヴォーカルランキング
1、桑田 2、中島 3、山下(達) 4、小田 5、井上 6、五木 7、沢田 8、都 9、石川 10、玉置 11、桜井 12、中森 13、松任谷 14、坂本(冬) 15、稲葉 16、布施 17、吉田(美) 18、高橋(真) 19、椎名 20、松田(聖) [週刊現代1月17、24日版]
これに対して、最新号で、歌い手やトレーナーらが異論を展開しています。
○声に戻る
私の自論はこれまでも述べてきました。(拙書「読むだけで…」に、リストあり)
トレーナーとしては、すでにプロとしてやれている歌手のよしあし、好き嫌いはどうでもよいのです。そうでない人が誰をどう見本や参考にして、何をどう学ぶかということです。しかし、それは一概にいえないでしょう。相手(生徒)の目的やレベル、方向、優先すべきものによって違うのです。
他のトレーナーのように「この人だけを聞きなさい」とは言いません。また、「この人は聞かない方がよい」とは、もっと言いません。どんなプロ、いやどんな人からでも学べる、学ぶ力がプロであること、それをプロのように学べる力をつけていくことがトレーニングだからです。
それでも私がこのようなものに学び、気がかりになるのは、何よりも、現実、現在の日本人のなかでも、耳があると思われている人の評価のあり様です。このケースでは、プロデューサーや歌手、トレーナーは世間の一端を代表しているからです。
私なりのランキングは、声中心ですから、すでに今の時代、日本の歌は、声中心でないので合わなくなってきています。それも踏まえた上で、声、そこに戻ることこそが基本だと言いたいのです。ですから、いささかクラシックな考えになります。1960年前後のポップスなどでは、すでに50年経ち、現役つまり当時のリアルタイムで聞いていたファンが伝えてきたとしても、すでに少なくなってきているので、クラシックになりつつあります。
つくられたときにいた人がいなくても継承し続けたところでクラシックとすると、そうなるのは早くて80年、およそ100年経てからです。ちょうど著作権の切れたところあたりから後ですね。
つまり、時代を超えた、ということ、しかも、国を超えて自国のファン以外にも愛されてこそ、ということです。それは、このランキングではなしえていないのです。
○ワールドサイズで考える
歌や宗教をワールドサイズで考える視点が、どうもこの国では欠けていて、ガラパゴス化を超え、自家中毒になっています。それは批判ではありません。時代や国、時間や空間を超えて通じるものであってこそがクラシックということです。そして、そうであろうとなかろうと、これは基準と基本を知るためには、とても大切なことなのです。
これは、アーティストに声の基本を強要したいのではありません。音大に行かなくてもプロになれた人は、音大に行った人より才能(努力も含めて)があります。音大を出た人こそ、そこに学ぶべき基本があるともいえます。
それをクラシックとかポップスとかで二分するのではないのです。長く多くの人たちを惹きつけるものには、根本に共通のルール、つまり基本が宿っています。私が、このリストを前振りにして、本当に述べたいのはここからです。根本、基本があることと、世に認められる大衆性を得ること、および芸術性との関係、その成立の確認についてなのです。
○根本のもの
美空ひばりは、玄人受け(プロから目標とされた)だけでなく、大衆受けし、死して十数年経ってもセールスは続いています。紛れもなく、偉大なアーティストです。これで国際的なヒットがあればと残念な限りです。歌は、その大衆性こそが、このリストの歌い手の名に表れているのです。
誰をあげるかで、その人の基準、判断がよくわかります。好き嫌いであげる人もいますが、音程、リズム、発音などでみる人、音質、発声でみる人もいます。歌は歌唱力とはいえ感情表現、感覚的なこと、聞く方の個人的な感情や育ちが入るので、なかなか客観的にならないものです。
ゆえに私は、会っていない人、自分の人生と別のところに見本をとることを勧めています。まして、学ぶというのなら自分に入っていないものも学びたいものです。それは苦手や嫌いなタイプの歌手、トレーナーがもっていることが多いのです。となると複雑なものです。
・表現レベルに芸能としての歴史、浪曲―歌謡曲―JPOPS(日本)
・それに対するワールドミュージック、世界のPOP・
・さらに大きなくくりでは、学校、小説家、歌、声優、お笑い、神話、詩、本―漫画―アニメ、演劇―映画、ラジオ―TV、レコード―CD-DVD、
世の移ろいにつれ、いろんな流行り廃りがあります。
そこに仕掛けたプロデューサー、それを受けとめたり流していく大衆、群衆、個衆(個人志向)、一見すると、とりとめのないもののなかで、そこに普遍的に共通しているものがあります。その根本を学ぶことを知ることが大切なのです。
○21世紀には
オペラも邦楽も21世紀になり生き残るのに青息吐息、歌の番組はプロレスやボクシング、野球並みに低迷しています。スターが生まれなければ滅びる、ヒット、人気商品が出なくては、やがて衰え潰れていくのです。
多くの人が長く愛するもの、それこそが基本のあるものであり、私たちの学ぶべきクラシックとしての基準です。(ここでのクラシックは、オペラ、声楽のことではありません)それは、ときに、その時代、その国や地方のその場限りの大衆性と反します。
ですが、根本を考え、そこをトレーニングします。それは世の中を、次世代を先駆ける感覚を形にすることです。その一つのツールとして、ヴォイトレを捉えるということなのです。ちなみに、ローリングストーン誌が世界のシンガーのランキング100を公開しています。それをみると、いろいろと考えさせられるはずです。
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