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2015年8月

レクチャー・レッスンメモ No.288

○本日のレッスン
1、共鳴の処理 語尾の処理
2、ことばとメロディの一体化
うたい、ノンビブラートの伸びを避ける
甘さ 音色 色付け 艶について、柔らかく

○頭蓋骨がみえるように
共鳴-発声-ことば-息-体
響く-汚れる 響かすシンプルに
pp<ff ppでの声の芯

○強化練習のストップ 痛みは警告
くせでのハイリスク回避
シャウトよりアコースティック
出やすい、楽なのは、ステップの1、それですべてよいのでない

○メンタル 声のベースをつかむ 
無理しない 息漏れ使わない
すぐできる器用がよいのではない
実感すべてが正しいのではない
偽りをどうみるのか

○共鳴の絞り込み
息のゴール、トレーニングとバランス

○やりたいこと、好きなことと向き合うこと
力みを抜く
やれていない←やっていないことを入れること

Vol.42 

声について知っておくこと

 

○声についての最低限の知識とは

 

 最近は勉強熱心というか、情報収集にたくみで、理を先に学んで来る人も増えました。どの世界でも、お客さんの方がものを知っているそうです。しかし、中途半端な知識は、体に身につけるものについては、害になりかねません。まだまだ解明のなされていないこの分野で、知っておいて欲しいことは一つだけです。あとは、トレーナーになる人は知っておいた方がよいのですが。私はたかだか二十年前に、医者としても著名なこの分野のある先生の方で、「裏声は仮声帯で出す」と学びましたが、それは大きな間違いでした。しかし、レッスンや指導には何も影響なかったのです。

 知って欲しいのは、声帯は打楽器でなく、声は力で出すものではないということです。

 

1.正しい声・・・よい声ということの定義の困難

 人の顔と同じで、正しいというのはありません。一人ひとり、個性です。流行もモテ顔はありますが、相対的なものでしょう。商売や状況によって、問われる声も違います。また相手の好嫌も聴覚ですから、臭覚と同じくけっこう根深いものがあります。逆に、ほとんど声を判断の材料として重視しない人もいます。その人のキャラにあっていない声は、たとえ声だけがよくても、うさんくさく説得しがたいです。

 

2.のどの器官としての未完成

 他の構造器官、特に筋肉系については、人間の体においてはかなり完成しており、その結果、分析を元にトレーニング方法の構築、および結果をみてのよしあしの判断と改良ができます。のどと発声のメカニズムはようやく解明されてきたところです。その新知識を得るのはよいのですが、最大の難点は、のどそのものが食摂や空気弁であったところから、発声に応用されてきたため、最終的な完成された形をとっていないと思われることです。仮に、よいのど、よい声帯というのを定めても、使い方などによって、けっこう大きな順応性をもっていることです。ある不足を他が補う柔軟性もあるそうです。スポーツのように、早く、遠く、高くといった、強さを争うものでないだけに、尚さらわかりにくいのです。

 

3.声は判断を、脳で聴覚を通じてするため、単なる物理現象で割り切れるものではないこともやっかいな要素です。ですから、発生源としての生物学、医学・運動生理学としての体で考えるだけでなく、心理や聴覚というアダプターの研究を含めなくてはできません。

 たとえば、大声を出したいという人は、物理的に大声を出せなくとも、人間の捉えやすく、大きく聞こえる30004000Hzの高さに声を集めれば、その方が大きく聞こえるなどということです。

 トレーナーは、科学・医学・音声的な知識は最低限持ちつつも、より感覚や心理で判断せざるを得ないといけないということになるのです。

 

○声は一人ひとり違う

 

 私の考え方の大きく違うのは、本人ありきということです。私自身は、教えるという立場で声の見本をみせることはあっても、それを真似させるのは、用心しています。野球選手であっても、古くは王、張本、野茂、イチローにいたるまで、常識的には理解しにくいフォームで一流の成績を打ち立てました。また、長く現役を続けている選手は、自分独自のトレーニングとその理論をもっています。工藤、桑田、清原、落合、野村と、その実力、センスの裏に多大な研究と自己改良の努力があったことが知られています。

 

 まして、これがスポーツでなく、歌手や役者、声優など、アート、ビジネスの範囲の声であれば、どれが正解、どれが問題と、決めつけられるものではありません。先生の見本をそのまま真似るのでなく、あなたはあなたに合った声を探求すべきです。つまり、どんな立派な声でも、あなたに合っているかは別問題であり、それを表面上、真似ることは危険でさえあるということです。

 

 次の理由としては、キャラクターに合っていない声では、説得力に欠くということです。かつて、ミスタージャイアンツ長島茂雄さんのチョー甲高い声に、愕然としたという女性がいました。胸毛のもじゃもじゃ、男の中の男のミスターとのギャップがそう思わせたのでしょう。あそこまでのスーパースターなら、それもあのカタカナを多用する話し方と合間って、魅力ともなりますが、声からみるといかがでしょうか。

 さらに、シチュエーションや相手によって、声は臨機応変に対応しなくてはいけないのです。本書で述べた、交渉から謝意まで、声にキャラクターが必要であるとともに、キャラクターにあった声であるべきなのです。

 

 状況に応じて、声の出方はそれぞれに違ってきます。これまではそれを何パターンかの声に分けて、習得させているトレーナーが多かったようですが、私の考えは違います。基本はあなたに合った声一つ、あとはその声を変貌自在に応用させて対処するのです。つまり、あなたのキャラクターも踏まえた最もよい声を単に選ぶのでなく、磨き上げ、場合によっては、あらゆる状況に対処できるように鍛えあげて、習得していくのです。そして、その基本の習得具合は、応用した結果の効果、仕事が人間関係や恋愛関係がうまくいったかで返ってくるのです。つまり、現実の成果が伴わなければ、さらに基本を深めていくことなのです。

 

 そのためには、他書には、触れられていない体や心の声を聞くこと、他人の声をはじめ音を聞くことのトレーニングもいわれました。人の表情を読み取ることと同じく、人の声の表情を聞く力がつくことで、コミュニケーションも格段に上達します。

 

1.本人だけの声を求めよう

2.本人のキャラと一致すること

 

 一見、応用編にみえるかもしれませんが、実はもっと基礎に踏み込んだのです。それは、例文を見ていただければ、分かると思います。誰にでもすぐにいえるし、毎日使っていることば、これで大きな差をつける声の使い方や、それを充分に相手に伝わる声づくりをして欲しいのです。端的にいうと、相手の心にひびく声で、「ありがとう」といえるようになって欲しいということです。

「眼の人と声の人」 No.288

 日本人が、元より自由を求めないで自主規制する。その傾向が、ますます高まっているように思われます。有事に対し、無口になる、無言になるのが日本人なのでしょうか。
 かつては対話の決裂でけんかする欧米人に対し、対話もなく無言からいきなり罵り合い、けんかするのが日本人だったそうです。これからは、常に主張して自衛する能力、自己表現能力は、誰であっても必要です。
 「眼の人と声の人」と、木村尚三郎氏は日本人と西洋人との違いを述べていました。日本と欧米(西洋)とは、抽象的・観念的と具体的、実感的の差があるとしています。
 日本人の世間のもつ共感は、発声不要、眼で察するわけです。眼が口よりもものを言うため、目配りに留意します。観念、美学、実技と、知っているのに、力となっていないのが日本人です。
それに対し、文字の意味ではなく発音で暗誦するのが西洋人です。一人ひとりが、はっきりした声で自らを表現したところから思想は生まれたということです。
ことば、対話は、武器です。それは発声、発言する主体として、生きるための自衛の活動なのです。
 沈黙は、無関心、殺意、自殺、無視、敗北であるということです。

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