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「声と精神的な問題(メンタルセラピー)」 No.292-1

○ともかくリラックスを☆

 

何事もリラックスは、よいプレーの前提です。でも、プロセスにおいては、リラックスを覚えることとトレーニングは別なのです。

 何をするにも慣れるまでは、緊張して、心身を固めてしまうものです。ですから、心身をリラックスして発声さえすれば、よい声は出ます。

プロのアスリートでも、歌やせりふとなるとリラックスできない人は少なくありません。こういうケースは同じことです。充分にリラックスしている時の声が取り出せたらよい、というレベル、接客や面接あたりならそれでよいでしょう。私がバッティングセンターでリラックスしていれば、少しはうまく打てるのと同じです。でも何かおかしいと思いませんか。

 それは、100パーセントの力を出せたら、それでよい場合に限るのです。

 慣れないことをすると固くなるのをほぐす。それは前提です。しかし、私が、もしプロ野球で活躍したいと考えたら、それが入団テストなら、誰も「リラックスしてこいよ」とは言わないでしょう。リラックスも実力がなければ何ともならないのです。ギターやドラムの演奏でも同じでしょう。

 なのに、声や歌は、発声であり、声は出せるから、初心者などはなくて、リラックスしたら通じる。つまり、カラオケレベルの目的をとるかのようになってしまったから、ヴォイトレもわかりにくくなったのです。

 とはいえ、それは、あなたの求めるレベルによります。声の出せない人のリハビリに、言語聴覚士はリラックスを中心に声を導きます。元に戻ればよいのなら、それでよいでしょう。しかし、元の発声ができない状況、あるいは、元々できていない状態で行うとしたらどうでしょうか。

 声そのものを音として取り出すことに向けて、強化、鍛錬しなくてはいけません。それも、新しいやり方で行うと慣れるまで力が入ります。リラックスしてできるまでは仕方のないこともあるのです。

 このプロセスでの、一時的に脱力できない状態を経ずにリラックスできるとするなら、すでにそれはできているということなのです。ですからリラックス本位の方針は、新たなレベルに達するトレーニングでなく、調整や現状維持のトレーニングとなります。極端にいうなら、リハビリテーションなのです。

 

○心と体のスキャン

 

 心と体の問題に入らざるをえなかったのは、発声以前の問題がそこに大きく障害のように横たわっているからです。声、ここでは、その人の行っていることや内面で思うこと―心の声というようなものでなく、まさに声そのものです。が、声をずっと聞いて、その問題点を頭で考えるのでなく、まず自分の体で同化して、イメージですが、体でスキャンしているわけです。すると心と体の問題も感じてしまうことになるのです。そのままスキャンすると心身を壊しかねないので、ブロックしてしまうこともあります。

 体のことは、姿勢、呼吸の不具合や、まだ準備できず足らないという条件としてわかります。しかし、精神的なことや心はそれだけでは、なかなかわかりません。

 表情や所作、そして、ことば、話し方や会話の中に、そのヒントはいろいろと潜んでいます。育ちや経歴、声について、さらに家庭や学校、仕事場といった、周りの環境、そことの接し方、さらにコミュニケーションの相手とそのあり方が、声には深く関わっているからです。感情、感性やの能力、病気、健康などと関わるのも、気、呼吸、霊性と声は、深くつながっているからにほかなりません。

 

○声を出すだけでよくなる

 

 まずは、今の自分のままの声をしっかりとみることから始めてください。そうでないと、いろんなところをぐるぐる回るか、あるところを気に入って最初は順調にいって、23年も経たずにパタッと進歩しなくなるのです。そこでOKとか、できたと思ってやめる人も少なくないでしょう。それで目的達成ならそれでよいのですが。

他のところへ行く人もいて、それはそれでよいのです。他のヴォイトレを批判して、自分のところはそれと違うとPRしているところの109は、そういう自転車操業をしているのです。それは、生徒のことは言うまでもなく、トレーナー自身や、その方法、メニュが進化しない、変わらないからです。

 

○変革する

 

 心を扱うカウンセラーの半分は、かつてカウンセリングを受けてよくなった人、あとの半分は、まだよくならない人、病んでいる人だといいます。それに対し、フィジカルトレーナーやヴォイストレーナーは、大体において明るくて元気でよいと思っています。

 覇気やパワーが人を動かすのです。元々それが足らない人は、パワーを増量するか、せめて相手の前では絞り込んで、最大に使わなくてはなりません。

 医者が本当にその責任を果たしていたら、病人は減るはずです。カウンセラーもヴォイストレーナーも同じです。でもクライアントがどんどん増えているというのは、どうでしょう。歌手や役者がますます食べられなくなっているというのはどうでしょう。それは、効果を上げていないことだと認めた方がよいでしょう。このままでは、病人や薬の売り上げを増やす病院と製薬メーカーと同じです。大きく変革が求められているのです。

 

○病気と障害

 

 病気は治せるが障害は治せない、そういう意味ですが、表現者にとっては、治してもゼロ、何ら価値は生じません。障害があるといってもハンディとは限りません。それを知り尽くしたら活かせると考えるべきです。この2つをきちんと区別しましょう。

 素質と育ち、性格と行動、そのどちらかのせいでうまくいかないのか、本当にそうなのか、いずれすべて突き詰めていくか、よい方向に変えていくことになるのです。

 

○感情と範囲☆

 

 人間が関わること、特に個人レッスンは、マンツーマンであるから感情が入ってくるのは当然です。それは、クライアント側だけでなく、トレーナー側でも同じでしょう。精神分析では、それを転移、逆転移といって戒めています。感情が生じるのは当然ですから、それを認めた上でレッスンに影響を与えることを避けるわけです。これは、相手を尊重し、自分を守るために必要です。

 トレーナーの熱意がクライアントに負担になったり、無理強いになったりすることはよくありません。また、親身になることは大切でも、それが声の指導を超えるのは考えものです。専門外の問題にまで、家族や職場での人よりもトレーナーを最大の相談者としてしまうことも避けたいことです。

 トレーナーとしては、責任感が強いのはよいとしても、問題を一人で抱え込まないことです。誰しも万能ではないのです。原則として、分を知り、受け持てる範囲を限定して対処するべきです。

 

○だめでよい☆

 

 すぐれたトレーナーでも、いや、すぐれたトレーナーゆえ、そうでないタイプの人にはうまくいかないことは、声の場合は、よくある、どころか、あたりまえと述べてきました。これまで述べてきたように、構造的に、トレーナーの長所が、レッスンを受ける人の誰かには短所となるのです。また、トレーナーの他の人よりもすぐれた資質が、学ぶ人にはネックになりやすいのです。

 トレーナーの能力を、クライアントが本当に伸びることだとすると、案外と、だめなアーティストがよいトレーナー、だめなレッスンゆえによいレッスンとなることもあるのです。

 だめなというのは、何も自分が声でうまくいかず悩み努力し尽したということではありません。悩んでがんばっても、解決しないこともあります。そういうコンプレックスが邪魔することもあります。しかし、そうした苦悩をたくさん抱えた経験がないと、よいトレーナーになれないのも確かなように思います。

 ですから、若くして、すべて恵まれてトレーナーになった人はあまり続かないし、人を育てられていないのです。

 本当の意味で、すぐれたトレーナーとは、自分のことで悩み、挫折したような経験をもつだけでなく、他人の指導で日々それをくり返してきた人です。求めるレベルが高く、厳しくあるほど、何事も、そう簡単にうまくいくわけがないのです。

 だから、私は、巷のどんなトレーナーもどんなレッスンも、大前提として肯定しているのです。どんなレッスンもないよりはある方がよい。それをどう活かすかは自由、その人しだいだからです。

 

○仮のレッスン

 

 どうすればよいのかばかり聞かれるのですが、なかには、何もしない方がよい、今、言わない方がよい、ただ保つだけの方がよいというケースは、随分と多いのです。レッスンで黙っていられるか、我慢できるかの方が、そこで説明したり説得するよりも、ずっと難しく大変なことです。

 すぐ効くような早急なアドバイスを求めると、よほど自信のあるトレーナー以外は、ペラペラと答えてしまいます。

 レッスンでたくさん話していれば、時間も早くきます。充実感もあります。相手に満足感も与えられます。私はこれを「偽のレッスン」と呼んでいます。それがひどいなら「仮のレッスン」です。

 ことばのやり取りで安心して満足するのは、カウンセリングであり、レッスンやトレーニングとは違うからです。それとて、聞く方が大切です。

 ときには、気まずいまま、あるいは沈黙で、ことばにならないまま終わる、というのもあってよいのです。そこから得ることも大切なことです。

 このあたりは、トレーナーをサービス業と捉えている人やレッスンを顧客満足で評価する人にはわからないことです。

 大切なのは、何十回もあるレッスンのなかでの12回です。たった何回かのレッスンで得られることのために、何十回も何年も通うのです。

 毎回、顧客満足度さえよければよいのか、応対のよいトレーナーでいればよいのか。レッスンを自分のトレーニングに活かせるスタンスをもつことが、いかに難しいかと思います。

 

○総合失調症

 

 理論などは大体、願望していることの具体的事例の落としどころを知りたいためにあるものです。しかし、理論を受容し続けると、あらゆる行動も意味をもってきます。

 わざと人に嫌われることをして人の関心を引きたい、好きなものをうまく選ばないとうまく褒められないと勘ぐる、これらは総合失調症の特色です。

 自己満足でなく自分の再構築を支えていくことです。

 そのために、1、自分の意見を頭から出さない。2、その人の言いたいことをよくする、よいことばにする、代行してあげるとよいでしょう。

 日本人は、心と物との区別が曖昧です。イメージによる治癒、これは意識的でなくてもよいでしょう。言語化よりは直感の方が大切に思います。

 

○会うことでの治療

 

 くり返して会うことが重要なので、それについて話します。ことばも歌も口から出てくるとしたら、それは、自らが毎回、研鑽しているからです。

 意識が、一つのことに固執して、固まると悩みは深まります。意識すれば直るのに、こだわって深まるために、うまく解放しにくくなります。

 くり返し会うというレッスンの関係で因果を外していくのです。そこから自由になることで芸術療法としてのヴォイトレになります。トレーニング用法での「交換」として深く関与しつつも、第三者的に観察するようにしておくのです。

 

○うつ病

 

 うつ病は、内分泌系の異常です。原因や経過でなく、症状そのものに着目することです。操作的診断とならないようにします。気分が沈むのが2週間以上で、他の病名がつかないときに、そう命名するということになりました。

 これによって、診る人によって診断が異なることはなくなりました。が、うつ病の人が増えていったわけです。誰でもそうなるものであり、早く発見したら薬で治るという製薬会社のPRにのせられているといえなくもありません。

 ここでは、トレーナーにすべて任せるのでなく、チームとして支えているのですから、あらゆる症状を出して整理して系統だてて評価していくようにしています。今の状況とともに症状や経過についても入れます。

 

○認知行動療法

 

 相手の何かに感心できるということは才能です。例えば、トレーナーの立場を経験してみるのもよいと思います。

 ・主体的に悩めずにもやもやしている、悩めないという問題。

 ・問題の解決の方法、メニュ、正誤を早急に求める。

 ・自分の内面、思考をことばで表せない。

 ・対人関係で、自立できない、巣立てない。

 認知行動療法では、ものごとの受け取り方を考え方のくせ、歪みとして自覚して、そこからの行動を訓練で修正していきます。今の感情を本当にそうなのかと、きっかけからの「自動思考」を疑い、修正していくのです。

 こういう理論は、そのままレッスンに適用すればよいのではありません。今すぐ通用しなくても、いつか役立つときがあると思って待てばよいのです。経験者のアドバイスは参考になります。ただ、あなたとって有用だったもの、有効なものが他人にもそのままそうなるわけではない点には注意することです。

 

○主体性をもつ☆

 

 かつて、日本人は、ものと心の区別をしないでいたので、ものによって心をコントロールできました。死にたい、というなら深呼吸で落ち着いたというようなものです。ところがメールやネットで外のことを捉え、そのまま、外への要求がエスカレートするのは、症状の悪化を促しかねないのです。

 声について、そういう知識と問題への対処を与えるのもトレーナーです。話を聞いて受け止めて、不安定で内省できない相手を落ち着かせつつ、問題を整理するのです。そして何よりも悪い想像を切らせることです。

 話し方教室は、かつて対人恐怖症や赤面恐怖症の人が、よく行っていました。1970年代の境界例も解離性障害に変わると、多重人格者などが多く現れるようになりました。やがてこれは、発達障害に替わられます。もはや主体のなさゆえに、です。内外の区別がつきにくい社会では、自分の内面と向き合えないのです。それは、甲状腺疾患などにもみられるようです。サービス産業全盛となり、人を相手にする仕事が増えたためでもあります。

 

○時間をかけて変わる☆

 

 人が変わることは、ハイリスクで、場合によっては命にかかわります。表面の動きのよさと裏腹に、内面は、あせりとゆとりとのくり返し、ということもあります。

 レッスンを受けるためでなく、話を聞いてもらいに会いに来る人もいらっしゃいます。そういうときは、すぐに解決を目的にしなくてもよい、と思います。共に少しでも深い心理を探っていくのです。自分への信仰心のようなもので表向きの悩みを絶つのです。とことん困らないと悩まないものです。また、古い観念を壊すのは難儀なものです。

 トレーナーが守ってあげるから安心して壊せと言うのに壊さない、でも変わりたい、変えたい。トレーナーが壊そうとしたら、守ろうとするものです。それでは何のためのレッスンかわかりません。

 ですから、待つしかないのです。これでよいのか、このレッスンでよいのか、と問いながら、本当は、こんなものを求めているのではないのかと疑問を、深く投げかけながら…。本人も気づいていないことを明らかにしていきます。

 心身での組み換えは、相当に若くタフでなくては耐えられないはずです。共倒れをしてよいのがというと、否です。でも、引きあげなくてもしぜんとよくなります。

 レッスンで自分の見方のバイアスを知ることでしょう。質問にコメントする前に、その人のスタンスや考え方がみえてくるようになるのです。

  

○合わせる

 

 クライアントがトレーナーに合わせているのを、合っているとトレーナーは安易に肯定しがちです。それではいけないのです。なんといってもトレーナーなのですから。

 トレーナーがそれに気づかないと、どうなるでしょうか。クライアントは皆、同じ発声、同じ歌い方、同じ表情になっていきます。合唱団病というようなものです。

 本人と周りの人たちがよければ、気づかないのが幸せというものなら私は何も言いません。

 マンツーマンのレッスンは、クライアントと、そのトレーナーがお互いに気を使って合わせています。かつての師と弟子のように同一化を求められる、そんなものだけだとしたら不幸なことです。

 その世界やその人への憧れから入った人は、自分からの脱却よりも、トレーナーへの同一化を目標としてしまうものです。同一化が目的で、上達、充実、幸福なのですから。

 その間違いに気づくために、2人以上のトレーナーにつくように言います。トレーナーは誰しも、多かれ少なかれ「自分が正しい、間違っている生徒を自分のように直す」と思っているのは確かです。そこで裸の王様のようにならないようにしましょう。

 

○日常からトレーナーに

 

 トレーナーのレッスンによって変わるのではなく、日常から自ら変わっていくように努めることが理想です。自分のことはわからないのはトレーナーも同じです。それゆえ私は彼らにアドバイスします。そして、それを私自身のアドバイスとするのです。

 心身のプロフェッショナルであることは、なんて難しいことなのでしょう。

 ・話をよく聞く。

 ・師事した人、有名人、学派、学会などを宣伝にしていない。

そういう人をトレーナーにお勧めします。

 よいトレーナーに35年で出会え、よいトレーニング法に510年でもっておけたら幸せと思うことです。しかし、それは求めたら誰でもいつか得られるのです。

 

○トレーナーとの出会い☆

 

 トレーナーは、レッスンの方針や説明を、どこまで自分のことばでできるのかというのが大切です。声には、生活、仕事、日常のことが全て関わるのです。評価はそうした体制とメニュ、ノウハウ、プログラム、そして何よりトレーナーに声そのものがあるかではないでしょうか。

 それを見抜けないでトレーナーについても、かまいません。そのレッスンだけでなく、その後、幅広く学んでそれに気づいたら、次のレベルへのアプローチをすればよいのです。

 トレーナーを選ぶのはあなた自身です。それは、決して運などではありません。人との出会いも、それ以上のものを求めていれば、必然的に必要な人と出会えるように人生はなっています。

 ただ、求めたときにすぐにみつからない、あるいは、気づかない。そこでギャップ、時間がかかるのは、まだ、学ぶ力、気づく力があなたに足らないからです。それで、どこでも学べないのです。あまりに学ぶ環境が整ってないならトレーナーも引き受けられないかもしれません。世の中もそうして成立しているのです。当初、会ったときに私も目的や理由を聞かなこともあります。すべてのことにタイミングで時期があります。

 セールスでもないのですから急いではなりません。人と人なのです。時間がいるのです。その人のなかで満ち足りていたら1回の出会いで決まるし、そうでなければ、また後日に、改めて決めればよいのです。

 

○掘り進める☆

 

 声が出るとしても、それでは、まだまだ充分に出してないのかもしれません。声のおかれている状態ほど雄弁なものはありません。発声の道は、計画的のようにみえてもその場しのぎというのもあります。ヴォイトレは、長くコツコツのなかでしか体得できないという価値なのだと思います。

 ここは、何よりも皆さんのレスポンスに支えられてきました。よし悪し、どちらのレスポンスも刺激になりました。より深くしていくのには、孤立は避けられず、まだまだ闇の中にいます。しかし、そんなことは関係ないところで、研究所で皆さんとつながっている、トレーナーを通じてレッスンで必要なことが成り立っている、それでよいと思います。炭鉱夫のような毎日でも、私は真理を求めて掘り進めていくだけです。

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