「ヴォイトレの本質」 No.292-3
○材料と基準
前提として、どうして「受けた人がよいと思うレッスンがよい」というトレーナーが、自分のレッスンを正しいと確証をもてるのかから入ります。世界一の歌い手ならわかります。世界一のレベルの歌い手を育てたならわかります。世界一の歌や声だというならわかります。私も多くのトレーナーに学びました。日本だけでなく、海外にも行きました。そして、これまでここで学んでいるトレーナーも含め、誰よりたくさんのトレーナーと接してきました。教え方のうまいトレーナーも、歌や声のよいトレーナーもみてきました。
今も、研究所のなかでも、他のスクールでも、どのトレーナーのやり方をみても、間違っているとは言いません。その意図や理由をいつも読み取っているからです。ケースによっては、やり過ぎや、もっとよいやり方があると思われることはありますが。
私自身、学んできた経験として、トレーナーはやり方(ノウハウ)やメニュでなく、材料と基準を与えるべきと思います。
世の中に通用するには、10のうちのたった1つ、役立つものをみつけ、それを自ら10として使える能力がないと何にもならないのです。最初はその能力をつけるための期間です。自分を知ること、自分の本当の目的を知ることが第一なのです。
ゴールは人に頼ってもどうしようもないとわかったら、それでよいのです。そこから、初めて本当に人を活かせます。
○苦労を積むこと
現実として、腹式呼吸でも発声でも、100人いて、私の思う基礎のレベルができている人は1割もいません。(ここでいう基礎は音大オペラ科4年生くらい)ですから、私は、教え方やノウハウでは、1、2年で2、3割うまくなっても、その後5年、10年伸びていない業界の現状、それを知ってから本当の基礎をやっても遅くはないと述べています。この研究所でも基礎を本当の意味でとことん掘り下げてやっていく人は3割くらいです。それほどに、声の基礎というのは大変なものです。
早く、楽に、誰でも身につくなどということは、やっていない人のなかでは価値があっても、やっている人のなかでは、何ら価値にならないものです。
私は10年などすぐに経ってしまうから、きちんと努力し、苦労し、きちんと悩めるようにさせたいと思っています。きちんとした下積みとなるトレーニングをお勧めしています。それは、可能性から早く限界に行きつき、絶望のなかで一筋の可能性を見つけて、ものにしていくプロセスなのです。
○本質と本物
本質について述べる資格があるのかと、いつも自問するのです。そういえば、私が、本物とか、本当とか、本質とかを、現場で、ことばとして使うことはあまりありません。私に接した人は何千人か何万人かいるでしょう。そういえば、ビジネスマン相手に「感性」の関係で、本質把握というのを話したことはありました。そのとき以外に、こういうワードが使われた覚えのある人はいないと思います。
本物というのも、「あの人は本物だ」とか、「あの○○(芸)は本物だ」と、他人が勝手に祭り上げていくものです。「私が本物です」などと言うのは、一時、流行したTVの番組か、戦後、現れた自称天皇とか皇族とかいった偽物か、真犯人くらいでしょう。
しかし、トレーニングにおいて、いえ、教育や勉強など、意識的に学ぶことや他人に対して働きかけるときに、効果を出したいと欲するのなら、目先でなく長期的にみて大きな効果をと願うなら、結果として本質をつかんでいくことが大切になります。
○本物とにせもの
本質を把握すること、そして、動かす、変える、変わるなど、行動すること、そこでは、つかんで動かすという、もっとも原始的な原理のままに、ものごとは成し遂げられます。五感でキャッチして行動する、つまり、この2つの動きで成り立つのです。
トレーナーが、なぜ本質をとらえなくてはいけないのかというと、そこのことばを口にする必要はありませんが、他人のことを見て、変える、変わるようにするからです。
自分のことなら、それは、黙ってやっていればよいのです。歌い手や役者なら、これを読む暇があれば、練習すればよいのです。
トレーナーも自分のことなら練習をする。しかし、他人に対応するには、自分の本質を述べても仕方ありません。「私は本物だ」とか、「本当のレッスンはこうだ」と言うとしたら、きっとそういうことがわかっていないからです。仮に本人が神か仏でも、「私が本物だ」とか言わないでしょう。同じように、他人のことを「にせものだ」「他人のが間違っている」と言うような人は、自分が本物だと言う人と五十歩百歩だと思うのです。
○スタンス、「どう」するのか
その人の本質をつかむこと、それはとても大変で、私も、まだまだ未熟ですから、そこをスタンスと言い換えています。第三者からみて、その人の今の声や歌がどうなるべきか、なればよいか、この2つをつかむのは、トレーニングの基本でしょう。
プロデューサーなら、歌が「どう」あって、「どう」作品にするのか、「どう」売るのかを見抜く力になるのかもしれません。プロの歌手や役者なら、相手が「どう」であって自分と「どう」違うかはわかるでしょう。ただ、トレーナーは、未来ヘ将来への軸をもつ、そこで補佐したり変えたりして、次の「どう」を実現させていくのです。
このときに、この「どう」を今日の効果にとるのか、5年、10年後の「どう」にとるのかは、全く違うということをくり返して述べてきました。そういう条件をはっきりさせることがスタンスです。
プロの歌手の半分はきちんとスタンスをもっていらっしゃいます。4分の1は、自己把握していない天然(歌手ならではです)、あとの4分の1は、ここに来られる方に限る特殊な例ですが、白紙→再びスタンスから問いにいらっしゃるケースです。(これは、他のスクールやトレーナーのところでは珍しいと思います。ポップスを歌っていて声楽も勉強したいくらいなら、よくあるでしょうが…)
○歌から入る
ポピュラー歌手は、
1.歌は、欧米という模範への挑戦に
2.日本のプロレベルの模範での厳密なチェック、
3.プロとしてのレベルの到達
とわかりやすく、多くのトレーナーが、2.3.のことで現実に対処しています。
ヴォイトレも、多くのヴォイトレ本やCDが声のメニュよりも音域、音程、リズム、発音、歌のフレーズなどで占められていることからも2.3.が中心とわかります。
声になると一人ひとり違うので、歌では音域で男女2パターンつくっておくくらいしか、一般化しにくいのでしょうか。ともかくも声については、ほとんど扱われていないのです。ほとんどヴォーカルトレーニングメニュです。ちなみに私のつくった教材もそうです。ただし、ビジネス用について、私のには、声色までアプローチしたのもあります。(中経出版刊)
ステージとしての歌唱でみるのか、発声の応用としての歌唱でみるのかは、反対の方向です。私は、楽器の演奏レベルという高度なところからみて、そこに統一した基準を出しました。☆
が、現実としては、ステージらしく仕上げるのか、発声がうまく歌に活かされているのかのどちらかで見ることになります。この2つは、下(初級者レベル)でみるとけっこう隔たってしまうので、どちらかを選ぶことになります。現場に近いほどステージらしく歌える、その声ということでみることになります。それが、ヴォイトレもヴォイストレーナーも、カラオケ指導スタイルになっていくというのが、これまで述べてきたヴォイトレの構造的な障害です。
相手のレベルによっては、音程、リズム、発音のチェックとなります。こうなると、ピアノを伴奏する人やバンドの人でもチェックできるし、修正させることができるわけです。かつての作曲家、プロデューサーなどがヴォイストレーナーということになるのです。ステージより発声、発声―歌―ステージの一本化と、上(トップレベル)でみる必要を強く感じます。
○真逆のアプローチ
・高音域でパワフルに
・息を混じらせずに音色輝かせる
・中低音までしっかり太く
・声量ある声でメリハリつけて
このあたりから、ヴォイトレでどのくらい改善しているのかをみていきます。
いつも、私の述べるのは、芯と共鳴の同時進行です。つかんでうく、にぎって離れる、集中したら解放する、一見、矛盾の2つの動作のようなことを瞬時に同時に可能とすること。それが他のプレーと同じく、ヴォイトレにも求められます。
そのために、やりたいことができないとしたら、そのとき、やりたいことの逆のことをやるのです。つまり、やりたいことができることではないのですから、ある程度チャレンジしたら中途半端にごまかさずに諦めます。そして、真逆のことをすべきなのです。つまり、「基本講座」で私が説いたように、高い声が出したいなら低い声からです。
○高い声へのアプローチ
高い声が出ないから出したいのですから、高い声で練習する。すると、あるところまでいって、限界となります。ただ、これを自主レッスンで行うと、将来、もっとできるはずの可能性を、自ら雑にして疲れさせ、悪い状態にして、はるか手前で障害にしてしまうのです。そこで、トレーナーにつくように勧めています。
本当の限界にきたら、さらに必要か可能性をどのレベル(質)として捉えるかも考えながら(トレーナーに考えさせながら)何でもできた方がよいというなら、さらに挑みます。しかし、そこまでの発声の完成度を高めることが第一であることを忘れないことです。具体的には、中高音の質の向上です。
そして、限界がきたらアプローチを変えるのです。裏声からのアプローチもあれば、低音からのアプローチもあります。高いところを出していると高く出やすく、低く出しにくくなるのと出しにくくなる。この慣性の法則のようなことに振り回されるから、うまくいかなくなるのです。☆
○裏声アプローチとハミング☆
やたらファルセットを使うのが増えたのと、高音は弱くしか求められなくなった、先の慣性も含めて、この3つの理由で、いつ知れず裏声でのアプローチが全盛となりました。それにはリスクが少ないことも大きいでしょう。しかし、これは本質でなく、使い方での応用、つまりは、やり方のノウハウに過ぎないのです。
裏声アプローチは、もとより、高い声の人に向いています。やりやすいだけでなく、低声からのアプローチが難しいので、それが頼りになります。そうでない人は、慣れていないので、少し慣れて出せるようになるだけでマスタ―できたように思います。ただ、力で出していたのを脱力させて出すことが、その秘訣の正体なのです。
今の日本に限ると、なぜかいつの間にか、これが主流になりました。一定レベルまで早く安心して達しやすいので、日本人の性格に合っています。それゆえ、目指すところが必ずしもアーティストに向くのではないのですが、ミュージカル、合唱の人にはよいでしょう。最近はJ-POPSの人にも私は勧めています。共鳴(頭声)から入るので、目標を絞り込みやすいのです。
ちなみに私のハミングでの高音レッスンは、ほぼ同じ考えです。声帯に負担かけず響きを拡散せずにまとめるので、喉声を外すのにわかりやすいからです。一言でいうと無駄無理のないメニュです。
初心者なら第一、上級者ならそこを使います。しかし、これで実力が鍛えられるのかというとどうでしょうか。声帯、その周り、呼吸関連、まして、全身でのコントロールは難しいでしょう。そのために、私のハミングのレッスンには、独自ともいえる中低音の共鳴(胸声)が芯づくりとしてあるのです。
○比較でなく絶対
地声で低い声、さらにオクターブ下までの完成が、同時にマスケラを兼ねるということを何回か述べてきました。最高音と最低音は、極端ということでは同じ感覚なのです。ただ、周波数、倍音が異なることで体感するところが頭と胸での比率が異なるように感じるのです。当然、高い方が頭で、低い方が胸です。
日本人は、ハイCはともかく、高いだけの声はさして苦手ではないのです。現に、声楽ならテノールとソプラノばかりでしょう。民謡や詩吟、邦楽でも、高い声の名人はいます。そういう世界でも、今のJ-POPSとは比べられないほど質的に厳しかったのです。質とは、音色と共鳴です。ただ弱々しいものやキンキンするものは、素人でした。
以前のヴォイトレ、特に声楽家のレッスンは軟口蓋を上げて、咽頭を下げて、口内の空間を大きくしたら共鳴を眉間とか、頭のてっぺんに、でした。今もさほど変わっていません。とはいえ、いろんな試みは、長く続けられているので、多くの蓄積があります。
○技法ジラーレほか
高音域にもっていくときに声が裏返ってしまう、これを防ぐためのカバーリングが声楽からヴォイトレに入ってきました。高音で喉を壊す人は少なくなりましたが、それは、ストレートに大声にしなくなったからです。それが最大の貢献といえるものです。
ステージで調子が悪いときに失敗する人や外す人も少なくなりましたが、それが二番目の貢献です。ところが、決して昔の人を上回る成果になっていません。ジラーレ、アキューゾ、デッキィング、など、カバーリングはカバーであって、カバーすべきときに使えばよいのですが、正攻法でないのです。できの悪いときの非常手段、高音アプローチのためのノウハウ、ハウツーです。
日本の邦楽家には、そんなものを使わなくても素晴らしい高音をもつ人もいます。また、海外のポピュラーヴォーカルはいうまでもなく、私からみるに、一流のオペラ歌手も必しも使っているようにみえません。このあたりの判断は難しく、技法として習わなくても使えている人がいるとか、習って使っているうちに、使わなくてもできるようになったとかいうことになるのです。「あ、ジラーレした」とわかるのでは、まだまだだということです。
○シンギングボール
研究所には、直径40センチくらいのシンギングボールがあります。歌うのではありません。鐘、お寺などで、あるいは、仏壇でカーンと鳴らす鐘のようなものです。これをホールに響かせるには、もっとも響くところをもっとも強く打ち、鐘を座布団の上にのせ(本当は、スピーカの下に置く接点の小さいもので支えるとよいでしょう)共鳴を邪魔しないようにします。弱く打っても邪魔しなければかなり響きます。強く打っても、そのまま押しつけていたら、全く響かなくなります。
ということで、ヴォイトレでも、この邪魔しないことだけをノウハウとして伝えてしまったのでないでしょうか。特にポップスは、マイクが使えるので、それだけが中心、私は、日本のオペラ界も似たものに、と言いたいのですが、そこはやめておきます。
強く打って鐘を抑えたり、歪ませたり、壊したりしては、元も子もないのは確かです。本当は、強くでなく、速く、つまり最高スピードで一瞬に打ち、すぐ離す、そのインパクトがパワーです。
ここは打楽器で、声帯の発音原理が違うので勘弁してほしいのですが、パワーの無視ということが、部屋には響いても大ホールに大きく響かない(小さく響く)スケールのものにしてしまったと思います。
○響くということ
鐘のどこを打つとどうなるかは、音響物理学に任せて、これを人間のどこに響かせるかということに置き換えます。私の基本的な考えは、響かせるのでなく、響かせてはダメで、響くのを待つということです。しかし、プロセスとしては、(つかむ)打つ、(はなす)響くがあると思います。それを芯―共鳴としています。
芯で鐘を打つこととすると、それは、ど真ん中の一点に絞り込んでジャストミート、つまり、打点としてスピードの最高点で、もっとも飛ぶ角度でミートするわけです。バットは振り切りますが、鐘は瞬時にターン、離すわけです。声にこのイメージはよくないので、シンギングボール本来の使い方のように、バチでまわりを回すとかになるのでしょうか。打つときは、音はほぼ同時に響いているのですから、次に響かすというのでなく、打つ=響き、つまり、打つだけとか響きだけと捉えられてしまうことになります。打つだけの人は強く大きくだけ、響かすだけの人は緩めて離すだけと誤ってしまうのです。
○大げさに
共鳴体感部がどこなのかというようなことしか、発声では教えられないのですが、弱く響かすより強く響かす方が簡単なのです。第一に、体や呼吸が動員しやすいからです。全身でバントするより、全身で全力フルスイングする方が正しくとりくみやすいのに似ています。
トレーニングは、最初は大げさにやることというのが私の原理でしたね。しかし、過保護ゆえに、最初に全力で振って空振りしたら体を痛めるだろうから、バントからやりましょうなどというノウハウができてきたようなものです。体を痛めるなら、痛めない体をつくるまで振らないのが、まっとう、いや基本的な考えというものです。
強く大げさなのは、荒く雑に乱暴になりがちです。それゆえにトレーナーとして禁じたくなるわけです。痛めてわからせるわけにはいかず、痛めないように危険を排除するのはともかくも、少しずつ丁寧にしていく。そこは、トレーナーのとるべきスタンスであり、考え方です。ただ、そうしてあらゆる可能性から選んだならともかく、そこに一つしかプロセスや答えがないと考えるようになってきたのがよくないのです。結果として、誰もが同じ発声、同じ声質、同じ歌になっていくのです。強くと雑は明らかに違うのです。なのに、「強く」がだめという、「雑」なのがだめなのでしょう。
○荒削り
昔は、若くて荒削りな方が成長したものですが、それは、自ら壁にぶつかり、修正し学んでいったからです。リスクを知り、限界を知り、自分を知ったからこそ、その先に行けたのです。もちろん、最低限のセンスはあったからです。
いえ、時間をかけたから、わからなくても体得できたのです。今は、その前に止めてしまう、まとめてしまう、引きさがる、方向を変えてしまうのです。本人が行きづまり、迷い、考えるまえに、頭のよいトレーナーが方法を変えてしまうのです。もちろん、よくない例として述べています。残念なことに、他の人に教えられて、そうしてしまう人が多いのです。
センスの伴わない人が荒削りでやると、やるほど、力がつくほど、荒っぽくなり、喉にも異常をきたすだけです。(それだけなのかどうかは、人にもよりますから、そうとも言えませんが)です。そういう人ばかりみると、トレーナーも早めにアドバイスせざるをえません。
同じようにくり返せない、やりにくい、痛いなどいうのは、修正への警告です。そこで加減を覚えていくのは楽器でも同じです。ただ、今の世の中、「思い切ってやれと言われて思いっきりやって、喉を壊した、責任をとれ」などと言う人も出てきかねません。
以前にいくつかのチェック法を述べました。大きく出すことや喉を壊すことを目的にしないこと、休みを入れること、調子に応じて練習時間を考えること。疲れは注意、痛みは警告といったことです。
○共鳴の練習
共鳴しないのは、きちんと声にしていない、がなっている、声帯が合わさっていないというイメージ言語で言う人もいます。ただ、ポピュラーを扱っていると、「ハスキー=だめ」ではないのです。でも、できる限り、声に活かせぬ息の音はなくたいものです。表現でなく発声の基本としては、です。
共鳴については、鼻音(ハミング、n、mほか)も5母音(a―i、a―u)も、微妙に音によって響きが違います。
歌を共鳴(ハミング、母音など)で歌ってみて、出しやすいものを知るのもよいでしょう。以前、ことばの成り立ちと世界の音楽(ヒカキンとか)を関連づけて共鳴について述べました。ここはヴォーカリーズでの練習です。低音はG(ガ)の行、中音はm、高音は ハミングなど、分けるのもよいでしょう。
いろんな共鳴をアップして、どう響いているのかを整理してみましょう。わざとこもらせたり後ろに回したり「オ」で、えなりくんのイメージ?掘ってみたりしてみるのです。
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