「一般的な話とトレーナー論」 No.299
○得意、不得意とノウハウ
才能と素質があって、たやすくできてしまうがゆえに、人を育てる術を学べないことはよくあります。若くしてプロになる歌い手などは、その典型です。習わないでできてしまったからです。
心技体で分けて、どれかが弱くて努力して乗り越えた人なら、そこのアドバイザーになります。すべてが強かった人は、気づかなくてもできてしまったゆえ、伝えにくいでしょう。優秀ゆえにできてしまったことは、まさに、そこが教えるときの盲点となるのですね。
一人のトレーナーでみると、誰でも得意、不得意があります。案外と、優秀というのも欠点です。その「得意」を周りの人は学ぼうとしますが、それは、伝えられません。
べテラン歌手が年をとると、健康のアドバイスをするようになるのと同じく、できなくなって、わかることもあります。できないのをできるようにするところから教えられる。そこで経験してようやく手順化できるのです。
つまり、得意なことも不得意なことも教えられず、不得意を得意にしてきたところで、その人のノウハウとなります。それをいうと、私は声が弱かったのです。
若いときは周りのレベルが低くて、できたことにされていて、その後、求められるレベルが高いところに行くと、あるいは、周りのレベルが下がってくると、できていないのに気づく、そのできないのをどう乗り越えるのかがノウハウなのです。
○メインの効果
「○○のためには、○○のメニュがよい」ということについて述べます。
私たちには、声のさまざまな問題に対して、対処するメニュ、方法がいくつもあります。だから、そういう形で伝えることは、少なくありません。
トレーナーがメニュを教えて、その人がよくなった。するとメニュの効果のように思われますが、必ずしもそうでない、というか、大半は実は違います。
わざわざ言わないのは、「そのメニュでよくなった」と思っているのが、本人のためになるからです。メニュを利用するごとに、一定の安定した効果の出るパターンになって、儀式化していくのはよいことです。評価、信頼となり、トレーナーとしてもありがたいし、やりやすいからです。
しかし、実のところは、本人の力が60%、トレーナーの力が20%、メニュの力は10%、かなりバラつきがありますが、こんなものです。
これは、3つの条件の1つを変えて、他の人、他のメニュ、他のトレーナーで試してみるとよくわかります。このパーセントは、私の、トレーナーたちをみてきた経験なのですが、他のところでは、こういう経験、いや、試行さえしていないでしょう。トレーナーをみるスーパートレーナーのような存在がいないと、ただ「メニュのおかげ」「トレーナーのおかげ」となってしまうのです。
本人の自主努力、トレーナーの教え方や与えるタイミングに信頼、信用の強さ、そしてメニュ、この3つの関係でもっとも変えてもよいのはメニュです。私のところは、二人以上のトレーナーが異なるメニュを出しますから、常に比較もできるわけです。
○効果の実証
声の成果を完全に客観的に実証するのは無理です。それでも、十数人のトレーナーと十年以上継続してきたレッスンを受講している人の間での差をみていると、そのような機会のない人たちには想像もできないほど多くのことがわかってきます。
あたりまえのことがそうなっていないこと、かなり特殊に思われていることが一般的に求められていることなど、これまでにも述べてきました。
結論としては、レッスンやトレーニングの進行上は、ある一つの「メニュのおかげ」にしておくことでやりやすい。しかし、この3つの関係で、特にトレーナーとの信頼関係、つまり心が大きく影響しているということです。
問題は、多くのケースで、単一の原因ではないということです。心技体、身口意が混ざっており、この問題と一口で言っている問題は一口では言えない、複数が複雑に絡み合って問題だからです。
例えば「高音が出ない」でも、「滑舌が悪い」でも、10も20も、その要因があります。解決法を400字くらいで述べられるのは、一般的に、個人の事情を切り捨てるからです。一人ひとりをみると、多くの要因が複雑に絡み合っています。本やブログの限界はそこにあります。
なのに、多くの人が、結核に、医者が抗生物質を処方して完全解決してくれるように、万能のメニュがあると思っています。結核の患者はいなくなったのに、多くの人が病院に通い続けているのは、そういう特定の分野以外での医学の無力の証明です。
声の問題にはトレーナーが完全に対処してくれると思っている人も少なくありません。ヤブ医者のように、すぐに、何でもできると言うような人もいて、最適というメニュで対処します。命や痛みに関わらないから、その場で少々よくなればよいというのを処方しているに過ぎないのです。それは、即効のように思える対処法ですから、心と使い方での調整だけです。根本的には、何ら問題は解決していないのです。
心には、そこまでの育ち、その人の価値観、考え方、性格まで全てが入っています。メンタルからの声の問題になると、現在の生活だけでなく、生まれたときからその人の半生も含めてすべての歴史を含んでしまうのです。
逆に言うと、ヴォイトレで効果が上がるというのは、声がよくなるのでなく、あなたを取り巻くすべての環境がよくなっていくことに現れていくものと思ってください。☆
○原動力としての声
仕事にも人にも恵まれた人でも、自分の声にコンプレックスをもっているということでいらっしゃいます。そういう人に、私は、「ヴォイトレの必要を感じませんが」と正直に述べます。「いや、カラオケが…」というなら、引き受けることもあります。
人生でうまくいっている人の声は、個性であり、顔と同じです。声は何でもありです。荒がある方が魅力的なものです。それで人生がよくなっていたら、声も魅力的なことが少なくありません。しかし、そうでない例外もいます。また、完全主義者もいます。この二つのタイプには対応しています。あとは、発音、滑舌といった、部分的、機能的なことは直ります。
むしろ、人生でうまくいっていないと、大半の人が、その一端である声に症状が出ます。声は、心や体と連動しているからです。一端といわず、けっこう声に出ます。身口意の代表としての声に症状が出ていると申し上げています。
半面、声に大きな問題を残しながら、人生がうまくいっている人がいます。それをみると、かなり苦労されてきたり、無理をされている人が多いようにも思います。それは、けっこうな危ない状況です。こういうときは、基礎からのトレーニングをお勧めします。
声は、アドバンテージにもハンディキャップにもなるものです。だからこそ、その人の顔と同じく正解はないのです。もし目指すべき目標があるとしたら、しぜんに、周りも自分の全てがうまくいっているということでみることです。その原動力としての声ではないでしょうか。
○アドバイスについて☆
ここに述べていることに正誤はありません。いつも、ここの何かと、あなたとどんな関係ができるのかが問題です。私は、あなたの横にいないのですから、それは、私の放り投げたものをどう受け止めるか、どう気づくかでしょう。私の述べたことにどんな意味があるかでなく、どんな意味もそれはあなたの意味として、どうあるかです。それは、音楽と同じ、作品としてどうなのかでなく、あなたがどう聞いているかです。
歌やせりふのための声と自分のための声を考えましょう。
そこまでを、結論を言うより、私は考える材料を与えるように心掛けています。
○ヴォイトレと学習の関係
ときに、人の持つ声を生得的なものと後天的なものとで分けて考えることがあります。つまり、遺伝か環境か、みたいなことです。生まれながらに獲得されるものなのか、学習していくものなのかです。
日本人にとって、日本語を話す能力は、大人であれば、獲得されています。4歳くらいでかなりのレベルです。しかしアナウンサーになるなら、共通語でのアクセント、イントネーションを含めた、より正確な学習が必要です。歌になると、歌手は、声楽家なら10年、ポップスでも、勉強という名でなくとも、10年近くは、デビュー前に歌ってきて、獲得しているでしょう。
ヴォイトレの方針は、そこでの不足を学習していくのか、そこから先のハイレベルを学習してくのかでも、大きく分かれます。
獲得しているものがすぐれていると、特殊性があり才能とみなします。創造的で演繹的で無意識、トータル的、潜在的なものです。それに対して、学習していく方は、模倣、帰納的で意識的、顕在的です。
生得的なものは必然で、普遍的であるのに対し、後天的学習は偶然で多様的になります。ヴォイトレが複雑なのは、まさに教え方で変わるし、多様なものとしてあるからです。
Q.トレーナーとして、生徒の本音が気になります。
A.その人の生い立ちなどを聞いて、ストーリーを読み取るのは、よし悪しがあります。今や、多くの人が自分について他人に語るためにストーリーをつくっています。本人もつくっているうちに創作が本当のことになり、信じ込み、抜け出せなくなっているのです。そのストーリーをこちらが、そのまま信じるのは丸め込まれることになります。そこで、あっさりと騙されてしまう未熟さでは、何事も務まりません。それは、本人がそう解釈したいストーリーと思えばよいのです。私も、トレーナーから「生徒にこう言われました」と聞いて、それを鵜呑みにしないように注意することもあります。何が本音かは、ことばの裏にあるものです。
Q.トレーナーは、誰よりも曲のよし悪しを知っていますか。☆☆
A.好き嫌いでなく、すぐれているかどうかをみるのが仕事だからで、甲乙をつけるのがよいということではありません。まして、知っているいないなどは、どうでもよいでしょう。常に知らないものへ、未知の可能性へどうアプローチできるのかという応用力が問われているのです。
Q.作品について、人に聞くか、自分で決めるか迷います。
A.自分のキャリア、既得権、権威、専門にしがみついて、それを守るところからの立場に固執してはなりません。本質に入らず、表層ばかりでズレまくるので、そういう論議をするなら、他人の意見は参考にしても、一人でじっくり深めた答えを考える方がよいでしょう。
Q.プロに聞くかアマチュアに聞くか。
A.私も一部のプロの人の固定観念、安定、保守路線よりは、アマチュアの発想、欲、生きているパワーに惹かれるときがあります。しかし、餅は餅屋です。長くやれている人には、やはり、それだけの理由や実力があるのです。
Q.教える人が気をつけることは何ですか。
A.一つしか正解がないと思わないことです。というのは、多くのトレーナーが「一つのことを正解と示す」、そのこと自体が私から見ると不正解です。レベルが低いというのでなく、「正解がある」と教えるのは教える側の便宜でしかないからです。
大体は、本で読んだり、人から聞いた方が正しいことというくらいです。せめて「今の段階では、仮によしとする」と伝わればよいのですが。それを言わなくてはならないようでは、混乱と不信を招くので、言えないものです。誰もが断言してもらうことを望むからです。だから、そうしてはよくないのです。
Q.見本を忠実に学べばよいのですか。☆☆
A.見本は、手本でなく、一つの叩き台、タッチと言っています。最初は、何かしら基準を与え、まねさせるというのが一般的な教え方です。初心者だから、わかりやすくと。
でも声には、最初も初心者もない。顔に不正解がないのと同じで、それをすぐ変えるとなると、メーキャップのようなものにしかなりません。
かといって、徹底すると、整形のように別の顔になります。表情を豊かにすることがトレーニングの目的のはずなのに、そこでなくメーキャップを教えられるから大して根本的によくならない。「魅力的に」を、アラを隠すことと思ってしまうのでしょうね。レッスンでは化粧を剥ぐこと、声でいうなら、マイクを取り上げ、現実の声に向き合わせることなのです。
Q.何でもできるようになれたらと思います。
A.何でもできる、は素人の中ではすごいのですが、プロの中では、多くの場合、使えないのです。プロの活動はプロ同士のコラボですから、絶対的強みがないと成り立たない。一人ですべてはできません。それがわからない人は参加できません。
Q.すぐれたトレーナーとは、どんな人でしょう。☆
A.声にすぐれていることは次点で、相手に、そのトレーナー本人よりも大きな力をつけさせられる人だと思っています。早く楽に、をあえて問わないことでしょうか。どんなに声や歌にすぐれた人でも、相手が自分と同じ年月や年齢、練習量で追い越せないくらいの上達であるなら、何をやっているのかということです。
Q.目標が決まりません。
A.目標がそう簡単に立てば、それはもう実現したも同然ですから、計画といってもよいでしょう。目標がある方が必要性、優先度、モチベーションなどによいということにすぎません。一つは行動することです。その前には、目標を決めるという目標でレッスンをスタートすることです。レッスンが行動です。
もう一つは、でたらめでも、「こうなる」と決めておく。迷ったらいつでも差し替えたらよいのです。自分には不可能だなどというほど大きな目標で、堂々と目一杯大きくしたらよいのです。小さいより大きい方がよいのです。多くのアーティストも最初は「絶対不可能」だったのが「もしかして」、やがて「きっと」になっていったのです。
Q.悪いことが続きます。
A.それは生きる力が落ちているのです。神前や仏前で祈り、心機一転、生活を変えてみてください。考え方も、悪いことを引き寄せていると言うと、占いのように思われるかもしれませんが、多くのケースでは、やはり本人が引き寄せています。そういう表情や振舞いが出てくる、そして身につくと、ますます、周りもそうなり、あなたもそうなるので、それを切る努力をしてください。好きなことに専念して、生きる力を回復、強化してください。ヴォイトレなら、呼吸を変えるのです。考え方は、弱っているときに「強くもて」と言っても難しいです。しかし、呼吸は、強くできます。
Q.トレーナーにかけられることばで、よし悪しが大きく変わります。
A.ですから、ことばの使えないトレーナーは勧めていません。トレーナーには、ことばは声よりも大切かもしれません。私も、声については任せていても、ことばについてはトレーナーにいろんな要求しています。特に、ことばを使い過ぎないように、と。
トレーナーは、最初は本人が話せたらよい、歌えたらよいと思っているかもしれませんが、レッスンとなると、ことばを使えなくては、コミュニケーションが制限されてしまいます。だからといって、ことばは万能どころか、かなり制限されたものです。両刃の剣です。一言で信用、信頼をなくすことも、やる気を奪うこともあります。そこをわからずに、今の時代のヴォイストレーナーは務まりません。
Q.レッスンをすると、何がわかりますか。
A.本人の力の不足がわかります。その課題を具体化するのがレッスンです。それを解決するのは、そこからのあなたの時間と努力です。本気でやると不足が大きくなり、解決に至らないものです。それが現実であり、それゆえ、トレーニングを必要とするのです。でも、人の世でうまくいっていれば焦らなくてもよいともいえるのです。
Q.目標を達成できないので、レッスンを受けたいです。☆
A.目標は、自分の延長上にあれば、時間が解決してくれます。そこまで生きられるかどうかです。レッスンは、その時間を縮めてはくれるでしょう。
しかし、目標が延長上にないときにワープしなくてはなりません。それを達成できるようなレッスンは少ないものです。レッスンは今の延長上を早く進むのでなく、ワープするきっかけをもたらすようなセッティングになっていること、そこが私の考えるレッスンの真価です。
でも、レッスンをする人もレッスンを受ける人も、大抵、そんなことを考えていないのです。だからこそ、本人のスタンスを定め、それに応じられるような体制が必要なのです。
Q.レッスンで先生から何でも学びたい。☆
A.どんなレッスンでも何かは学べます。何でも学んでみたらどうなるかを考えるとよいでしょう。よくないのは、レッスンそのものの知識、メニュややり方や説明の仕方ばかり覚えてしまうことです。先生と同じことを他の人に話せるようになっても、あなたは先生ではないのです。先生から学ぶべきは自分です。先生の言わないこと、知らないこと、できないことを学ぶのに先生が必要なのです。☆先生は、この世の基準の一つに過ぎないのです。なので、先生と同じことをくり返しているだけでは、時代に遅れるだけなのです。
Q.活かすべきは、自分の力、それとも他人の力ですか。☆
A.自力と言いたいところですが、自分の力だけで、それなりの物事を成し遂げることではありません。他人の歌を全く聞かずに歌えるようになった人は一人もいません。
かといって、他力本願で自分の努力を怠っていては他の人も認めてくれないでしょう。今あるものを目一杯活かしているうちに、自分の力以上の力、天の力が働くように思います。人事を尽して天命を待つ、この、天命とは、認めてくれる人との出会いのようなものでもあります。相手にとってもまた、あなたと会うことでプラスになる、win-winになれる関係です。ともかく力が必要なのです。
混乱するかもしれませんが、自分も他人も天も神も、区別などないのです。それが一体だとわかったとき、物事は成しえているということなのです。
Q.ヴォイトレの本やレッスンで、できるようになりますか。
A.本やレッスンについていうと、碁やサッカーなどと同じです。ルールや成り立ちについて知ることで、初歩的なプレーを楽しむことはできます。本もレッスンも、そのためにあるようなものでしょう。
「誰でもすぐに、何でも、できるようになる」などと言うところでの習得レベルは、誰でも同一のところ、平均値までです。やっていない人に対してやった人は、それよりもできるというレベルなのです。そのレベルで何でもできるのであって、世の中に通じるレベル、プロとして、ではありません。とはいえ、歌では必ずしもそうもなりません。やらない人でも、けっこううまい人もいるからです。
私のところでも、アマチュアで趣味の人には楽しく、プロには厳しくやっているわけです。
Q.ヴォイトレを学んだのは、なぜですか。
A.それで何かができるよりも、声やヴォイトレの限界を知ること、あるいは、自分の限界を知るためでした。そのことで、自らの可能性や才能の勝負どころもわかる。自分の本当に好きなこともやりたいこともみえてくる。それが大切だと思ったのです。
Q.なぜ、いろんなメニュがトレーナーごとに違うほどにあるのですか。
A.ありとあらゆるメニュがあります。その大半は私も知っています。そのなかには、結局、日常の健康改善に役立つ、その結果、声もよくなるといえるものも少なくありません。メニュや方法として間違いとはいえないが、特別にありえるようなものでないというレベルのものです。
メニュからトレーナーのタイプ、得意不得意や経歴、日常生活、活動などもおよそわかります。それに対して、あなたが自分自身のものとして、使えるようにしていかなくてはいけないのです。問題は、メニュを与えられるのでなく、その使い方、つくり方を必要に応じて与えられているのか、あなたがそれを使えるようにしているのかでしょう。
Q.トレーナーが固定した方法やメニュを持って行うのと、相手によってメニュを自在に変えるのは、どちらがよいでしょうか。
A.どちらも一長一短があります。その二極の間にもさまざまなスタンスがあります。これまでの「トレ選」を参考に。
Q.ノウハウをどう身につけるのですか。
A.ノウハウを身につけるのでなく、身につけたものがノウハウと呼ばれてしまうのです。ノウハウとして切り出せるもの、メニュやマニュアルなどが、大して、他の人に通じないのはそのせいです。わかりやすく使いやすいだけだからです。
Q.メニュがたくさんあって、混乱します。☆
A.メニュをすべて使わなくてはいけない、と考えない方がよいでしょう。本当に必要な一つか二つのメニュがあればよいのです。他は、余分なものを捨てるために使うのです。無駄か有用かも考えなくてよい。考えないために数えきれないほど無駄をすればよいのです。やっているうち、有用になるようにしていく。そうなる感覚を学ぶのがレッスンです。
Q.声のテクニックを評価されるようになりたいです。
A.技術を使うのは、それでしかもたないケースです。声のテクニックも同じです。ひけらかす必要はないし、それでアピールしないと伝わらないくらいなら大したことはないし、それで伝えられる人も、大したものにならないです。ものまねやボイパなら別ですが…。
Q.なぜこんなに下手で、うまくいかないのかと悩みます。
A.声でも指導でも、とことん悩むことは、人生や仕事、生活での悩みと変わりません。贅沢なことと思い、楽しんでください。
Q.考えるばかりで、疲れてしまいます。
A.考えることも体力がいるから、運動です。寝ることも運動です。頭ばかり疲れることは心によくありません。考えるよりは動きましょう。声を出していましょう。
Q.鍛錬ということばをよく使われていますが、どうしてですか。☆
A.私としては、強いたり力の入るニュアンスもあり、あまり使いたくないことばです。でも、それだからこそ心身の必要をはっきりとさせるために、わざと使います。
「朝鍛夕錬」は、宮本武蔵のことばです。五輪書「水の巻」に有名なことば「千日の稽古を鍛とし、万日の稽古を錬とする」とあります。私流に解釈すると、鍛は応用、練は基本です。「仏神は貴し、仏神をたのまず」も彼のことばです。
Q.未熟なトレーナーでは使えませんか。
A.私も含め、誰もが未熟です。そのことがわかっているトレーナーなら、よいと思います。それがわからないトレーナーは使いたくありません。でも、人間ですから、ときに自惚れたり、勉強して自信をもったりして、得意になっているときもあります。過去の事や実績をひけらかすようでは好ましくありません。そういうときは、私は、プロや難しい症状の人を任せて、レッスンをゼロから考えさせる機会を設けることもあります。
万能なトレーナーも、完璧なトレーナーもいません。日々、それを補う努力をしていることが大切です。生徒さん以上に学んで成長しているなら、よいトレーナーです。少々器用で声が出てうまくても、日々の報告やレポートを怠るようなトレーナーでは続きません。
生徒よりうまいとか、キャリアがあるとか、先輩だからというのでなく、生徒よりもすぐれた学び方、問題の見つけ方、解決のアプローチを知って対処できる力、日々成長できる力のある人を求めています。
Q.トレーナーにつく本当の理由は。
A.トレーナーによってですが、レッスンの内容でなく、その存在によって、どう声に接するかからどう生きるべきかまでを学べるものです。
Q.レッスンを使う意味は、何でしょうか。
A.早くできること、速くでなく効率よくできること、そのために便利な存在がトレーナーで、その手段がレッスンとみなされがちなのでしょうか。便利とは、早くできること、確実にできることです。技術などと言われるのはその対処法の一つです。でも、人が競って早めてきたものは、必ずしもよくないのです。高め、深めていくのでなく、ただ浅くなっていってはいませんか。本質を学ぶような時間をかけられなくなってきたのは、曲をみてもわかります。いつもレッスンの本質を問うてください。
Q.トレーナーが、本の答えと異なる答えをしました。
A.答えは、そのときその場で違います。聞く人も答える人も時も場も違うのに、同じ答えなら、トレーナーはもういらないではないですか。私も、変化、成長していますから答え方も変わるのです。本だけでなく、こうして最新の答えを出しています。標本、過去の遺物にしないで欲しいと思います。
レッスンで、相手が違えば、同じ質問に反対の解答をすることがあります。あなたも、10歳の子と30歳の大人に同じ答え方をしますか。答えだけでなく、その答え方も違うでしょう。首尾一貫していない、それもよしとします。
Q.トレーナーに「違う」と言われたのですが。
A.そこが違うと言っても、わからないなら、私は何度も言いません。ほとんどすべて違っているからです。でも間違いではないのです。直させると間違いになることを恐れることです。ですから、「違う」ということばをあまり使いません。
違っているままでは通用しないとしても、そこに本人が気づき、自ら、それで決めたら、違っていても通用するようになることもあります。そこだけを取り上げてはいけないのです。深みに落とし込めるようになるまで待つことです。
「違う」に対して「いや合っているはずだ」と言う人には何を言っても仕方ないでしょう。「はい」と受け止めたあと、なぜ違うと言われたのかを研究して自分なりの結論を出せばよい。ただ「違う」だけをくり返すトレーナーもいます。それも不親切なことのようですが、必ずしも悪いことではありません。一体、違うとは、同じとは、どういうことかということです。
Q.トレーナーのことばの意味がわかりません。
A.わからなくてもよいと思います。聞いてもよいし、心に留めておいてもよいです。あまり大したことと思わないでください。たえず自分で新しいことばをつくって、使うようにしていくとよいでしょう。他の人のことばや聞き慣れたことばを頼って行おうとすると、必ず、誰かのようにとか、過去にやったようになってしまいます。
Q.いつも、やり過ぎて注意されます。
A.エネルギッシュにやる気満杯でやり過ぎはよいのです。過剰は押さえられます。不足こそ補わなくてはいけません。これまでの考えに囚われず、自分なりに追求して打ち破っていくことです。
Q.トレーナーに反発したくなります。
A.コミュニケーションをよくしましょう。説得されたがらないのは、どうしてでしょう。受け取れるものは貪欲に吸収しましょう。反発して、心が乱される分、損です。そうなれば、トレーナーを変えることですが。
Q.最終的な基準は何ですか。☆
A.私の論では、ただの一声です。「ハイ」とか「ララ」「ハイララ」で声が伝わらなければ、歌もせりふも伝わらないということくらいです。とても簡単なのに、まだ受け入れてもらえないことですが…。声の使い方でなく、声そのもの、器の違いというものです。
Q.スタンスとは何ですか。
A.スタンスというのは、立ち位置のことですが、いろんな意味で使っています。姿勢、呼吸、発声でも、立ち位置としての軸があります。心にもあれば、表現にもあります。狙い、存在意味、存在理由など…。
Q.一番学べた人は、どんな人ですか。
A.彼は、私が次に何とコメントするかが、「すべてわかった」と言いました。何を学べたというかにもよりますが。
Q.不器用です。
A.不器用なこともあれば、そうでないこともある、というようにして考えてください。
Q.過去の失敗に囚われます。
A.引きずらないこと、「莫妄想」です。
どうみるか、そこでわかったなら、もう半分は完了したものです。安心してトレーナーに任せられます。
Q.芸事を成就させるための師を選ぶには、どうすればよいですか。
A.人を見る、選ぶのは、自分の責任です。自分の自由勝手でも、結果として親や先生や社会が壁となるのは、未熟なときの特権です。肚がなくては、物事は成しえません。
Q.伸びるためには、どう処すべきですか。
A.全体をみる視野を、未来を含めてもつことです。
Q.人を笑わせるのが苦手です。
A.笑いは、呼吸、間、コミュニケーションの機微であり、ギリギリでのリアル感です。季語があって俳句が成り立つように、相手と共通のベースがあって、コミュニケーションがとれるのです。
Q.「前にやったことを忘れろ」と言われました。☆
A.秘訣は、覚えては忘れることです。覚えなくてできるならさらによい。覚えなくてもくり返せばいいのです。覚えてしまうと囚われます。忘れられなくなります。忘れないと、しぜんに深くできなくなります。頭を使うな、考えに囚われるな、過去に囚われるな、成功に囚われるな、ということです。同じ状況は二度とないのです。
覚えて忘れてしまったことしか使えない、基本はそのためにくり返すのです。覚えるためでなく、覚えなくてもできるように、忘れてしまっても覚えているために、心身に練り込むのです。しぜんと、もっともよく応用できていくために、基本に囚われないために、応用に走らないために、です。
Q.喉が不快になったり痛くなるのを克服したいです。☆☆
A.一つの原因で悪くなるのでないケース、それがきっかけで、複雑に要因が絡んでいるときは、根本からの対処が必要です。人に頼るのでなく自分で直す、直せるようになる、それ以外はないのです。一時的によくなっても、また、過度に使ったら喉が痛くなるものでしょう。
トレーナーは、過度に使わないようにと言います。でも、現場では使わないと仕事にならないし、何よりも、ベテランはもっとハードに使っているのです。
量よりも質ばかり求めるご時世ですが、まず量ということもあるのです。なぜなら、伸びない人は器が小さい、つまり体やメンタルが全く足りていないことがほとんどだからです。
Q.レッスンも質より量ですか。
A.人によります。この研究所に月1回くるより、近所のカラオケに月8回行く方がよい場合もあります。そういうときは、そうアドバイスしています。
Q.体の不調が直りません。☆☆
A.いろんなものが組合わさって原因となっているものです。でも、どこか1つから改善していくことです。それが全体に及んでいくこともあるでしょう。肩こり、腰痛、むくみ、頭痛、風邪 倦怠感、うつ、めまい、耳鳴り、不眠、便秘、自律神経失調、これらは外見、表情、身のこなし、姿勢までつながっているのです。血行不良、これは、声帯での発声にも影響するでしょう。
対策としては、これまでと異なることをします。右を使っているなら左を使うとかでバランスを修正する。自律神経は呼吸で整えられます。
デトックスとしては、体の温まる食材を摂りましょう。味噌汁、豚汁、味噌は、血圧降下、整腸作用、老化防止と万能です。
Q.腰は、どう大切なのでしょうか。☆
A.腰は、体の要と書きます。免疫力向上、疲労回復、代謝促進、肥満防止、アンチエイジング効果、スタイル維持、パフォーマンス向上など、すべての要です。
Q.コツコツくり返しをしているのでよいでしょうか。☆
A.くり返しの練習で伸びるのは、一定のところまでです。そこで、条件を変え、メニュを工夫して変じようとしなくては結果も変わらなくなります。安定したことで、そのまま鈍く固まってはなりません。安定するというのは、鋭く柔らかく、どうにでも変じられる状態に保つことです。つまり、さらなる刺激がいるのです。
Q.こうやるとこうなるって本当ですか。
A.いかに早く効果に無駄なく、でなく、ゆっくり無駄と思えるまで過剰に、じっくりと行うようにしてください。
Q.マニュアルが正しいか、疑問です。
A.マニュアルを真に受けてはいけません。それだけで正しいとか、完璧なものなどありません。
Q.マニュアルは効果的ですか。
A.かつて、内弟子、見習いは、住み込みの生活から芸を盗もうとしたものですが、それは、なくなりました。マニュアルを使うことで、早く進めると思うものです。しかし、その分、制限や限界も早く来るのです。それを、現実の場での矛盾をたくさん経験することで回避しましょう。
Q.内と外、どちらで学べばよいですか。
A.例えば、しぜんとの触れ合い、外で遊ぶことは、本当の学びです。身体を丈夫に強くしていくことは、発声に関わっています。また、いろんなリスクの中で対処する術をつけることです。それを内でまとめるのです。
Q.発声にメカニズムは、どのくらい解明されていますか。
A.現実の仕事まで含めて考えるとなると、肝心なことは99パーセント以上わかっていません。でも、わからなくてはできないのではありません。
Q.自主トレーニングに満足しています。
A.充実はよくても満足はよくありません。惰性に陥るからです。常に欠けているところを発見し、補いつつ、不要なものをカットしていくことです。一つひとつ疑うことが大切です。
Q.わからないままにも、レッスンで満足しています。
A.すべてでなく、少しもわからなくてもできていくようならよいでしょう。脳の意識で妨げてはよくないでしょう。そうでないことに気づいていくのです。
Q.すぐにできました。
A.すぐ「わかった」「できた」と言う人は、多分、わかっても何もできてもいません。
Q.「最高が出ました」といわれました。
A.最高が出たら終わりということになります。
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