「初心と守破離」 No.300
「守破離」ということばがあります。どこでも、破ったり、離れたりしないで守りに入って固まってしまう人がいます。日本人は、特にそれを美徳とする傾向があるようです。
破る離れるというのは、反抗するとかやめるとかいうような表面的なことではありません。そういうことは 「守」さえ、できなかったということですから番外です。
長く「守」を固めている、そのこと自体はとてもよいことです。
ただし、それが一つの理論、方法、やり方や一人の先生に負うものであれば、それは、自立していくプロセスの「破」、独自の世界を打ちたてる「離」でなく、「守」での同一化となります。
ある人やある組織の影響下で、その評価ややり方にすべてをゆだねるのは、まさに、「守」のための「守」に陥っているのです。内部の蓄積ならともかく、自己満足での空回りになっているケースも多いのです。それは、自分、または自分たちの満足です。
多くのスクールで、とても満足して通っているのに、ほとんど人が育たない、実力がつかないのは、そういうことなのです。そうならないように研究所自体は何度も革新してきました。
「守」として、学ぶのは、よりすぐれているものから学べるようになるためです。
なのに、そこで満足し、始めたときの好奇心、向上欲、新鮮さ、勇気を失い、より大きな出会いを拒んで閉じこもる。そこに身近で自分を理解してくれる人の存在が使われてしまうのです。少し、大きなひきこもりとも言えます。
偉い先生や有名人にレッスンを受け、その名の威光を借りている人たちも同じです。トレーナーが自分への信頼に加え、依存心を大きくするなら、逆行にさえなるのです。
同一化は奴隷化ともいえます。そのままでは、自力して輝く、その人独自の芸に育ちようがないのです。
初心のときの一つ、踏み出す勇気を忘れないようにしてください。
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