「本日のレッスン(肉体マネジメント)」 No.302
○バランス
歌やせりふをよくするのは、バランスを整えることになります。今の、呼吸―発声―共鳴に100の力があるとしたら、それの70%で完全な円をつくるようなイメージです。体―呼吸―発声、その発声も、発声-キープ―終止となります。
もっている息を均等に同じスピードで吐いて確実に声立て、声に変換してそれを同じ息で声としてキープするのです。すると、ピッチと声量にもっとも規則的なビブラートがかかります。フレーズは、共鳴を残したまま納めて、終止となります。
そこで素人は、息から完全にコントロールできずに声にするのも少し時間がかかり、円をはみ出して大きめに出て、それを円に戻すのにふらつき、伸ばすときも不規則にビブラートすることになり、納めるところもぎごちなくなります。そこは、懐メロで、老いて、声のコントロールできなくなった歌手の、歌唱フレーズの不安定さを思い浮かべたらよいでしょう。
だから、「バランスを取りなさい」というのが仕上げや不調の調整の目的となるのです。素人なら100でできないから70に、つまり、器を丁寧に小さくしてバランスをとり、マイクで拡大するのが、上達法になるわけです。
○呼気
そこで忘れられてしまうのが、呼気のことです。このケースでは、円でも呼気、発声だけでは半円にすぎない。発声後の吸気、吸気から呼気は行われていますが、円というほど懐がありません。
充分な呼気がないと、入るときにパワーがなくなります。パワーを出すと乱れるのは、呼気―呼気の大きさ、それを支える体がないからなのです。
そこで、強化するのです。70パーセントを100以上で使えるための150の器、大きな円を目指すのがトレーニングです。しかし、100で乱れるからと70にした人には、150を求めるのは無理です。
私のところでは、体、呼吸に時間をかけ、大きめにつくります。それをそのまま使うと、バランスはさらに崩れます。それをよしとします。根本的に目的が違うからです。
これは基礎―応用の関係にあたり、そこが結びつくまでには対立さえするわけです。正しいとか間違いではないのです。
円でいうと上から右回りに右側が呼気―発声とすると、下から左側が呼気なのです。左側のトレーニングで右側が乱れるのは必要悪です。それをだめと言うなら円は小さいままです。左がないのに右だけで大きく強くしようとすると破綻します。
楕円にしてから大きな円にはできるので、先に右を大きくすることで覚えていく方法もあります。大声で歌っていたら呼吸も大きく伴ってきたという天然での上達の人、素質や感覚に優れ、一流のアーティストの写しができたような人です。
ヴォイトレに来る大半の人は、そこで伸ばし切れずにいますから、左側だけの部分に、集中して、意識的にトレーニングをします。これが呼吸トレーニングとか呼吸法とか言われるものです。私は、「息吐き」と言っていました。体と声を結びつけるのは、息だからです。
○歌の声☆
高音、裏声の発声コントロールの甘さは、固めて当てる、J-POPSの悪しき生声、共鳴の方法とも似ているのですが、邦楽でもよくみられます。ただ、邦楽も名人級となると口内や共鳴するところをうまくミックスして独自の声色をつくってしまうのです。その負担や効果の悪さ、安定性のよさを、声楽家は拒みます。ジャズやポップスのヴォーカルは個性とするかもしれません。
体を楽器として楽器そのものの完成を問うクラシックと、楽器を自分のイメージに合わせ、加工、調整して独自の声、フレーズをつくる邦楽、ポップスの違いがそこにみられます。
○イメージのギャップ
その人のタイプ、声のタイプとイメージして求める声とのギャップを遠いと捉えるか近いと捉えるか、あるいは差を埋められるのかは、トレーナーの最大の難問といえます。ギャップのあるとき無理をしても埋めていくのか、もって生まれたものに従うのかです。前者の例は長渕剛さんやもんたさんです。
その人の世界観や価値観が優先するので、ポップスにおいては、そういった距離と難易度を伝えるようにしています。可能性と限界の割合、そしてそのプロセスや結果として得られるものと失われるものの可能性です。
絶対はありませんが、およそ、わかるものはあります。使い道や使う人にもよります。ハイリスクを承知で世界観をとるなら、いつもケアを人一倍、万全にしなくてはなりません。かなりストイックにならないと、ハードに使うとリスクが限度を超えるからです。例えば、XJapanのトシさんなどです。もっと固めたところでは、スガシカオ、徳永英明さんなど。
○期待について
1.応用 2.基礎 3.自在
いらっしゃったときに、最初に、どのくらい急いでいるのかそうでないかをお聞きします。つまり、トレーニングの効果の時期についてです。極端なことを言うと
a.今日明日に結果を出したい、出さなくてはいけないケース
b.10年後、20年後のために
というのでは、全く対処が違います。aのケースでは、原状復帰、治療のようなことが主となります。調子が悪い、元に戻らない、だから状態をよくしてほしい、というのは、自分のよかったときの状態に戻したいということです。
さすがに今日一日で、これまでできなかったことをできるようにしてくれという方はそれほどいませんが。9割の人は、できても安定させられません。
○ゼロとプラス
医者がポリープの手術をして元通りにする。これも本当は、2週間以上、ケースによって違いますが、できたら何か月かの休みを取る必要があります。ですから、その日に解決しません。声が出ない、でもステロイドで出せるようになります。この方が例としてはよいでしょう。つまり、医療は治療であり、元よりよくなるのではないのです。
言語聴覚士(ST)のトレーニングも、本来はリハビリです。そして、マイナスをゼロにすることと、再びマイナスにならないようにする、なりにくくする、なってもゼロに戻しやすくするという、そこまでできたら充分すぎる効果なのです。
それは、私の言うヴォイトレとは違います。調子を崩したから元に戻すというのは調整です。心身の回復、喉や発声法や共鳴などの状態をよくするのは、トレーニングではなく対処です。私のよく言う、使い方での修正です。今の日本のヴォイトレのほとんどは、こういう類のものです。
短期でも長期でも部分的に意識的に変えて、よくする、マイナスをゼロにする(戻す)、それは原状回復ですから、プラスにはなっていないのです。しかし、潜在していた力が発揮できてプラスにみえることもあります。特にメンタル、心の力は大きいものです。褒められたり一言のアドバイスで初心者や若い人は自信をもち、みるみる上達するし、年配の人も若い頃の声に戻せたりすることがあります。
しかし、それは私のなかでの応用であって、基礎ではないのです。もし、楽に簡単にできたとしたら、それは基礎でなく応用なのだと考えるとよいでしょう。楽と楽しいとは違います。基礎づくりの楽しさは、応用の楽しさと違います。将来の自分の変化、大きな器になることで自在を得られると感じられるところからの将来、イメージでの楽しさです。それは、常に迷いと一体にあります。なぜなら、ゼロの地点と違ってみえないからです。
将来の自分の力だからです。1でも2でも5でも10でも、辿り着いたところから、また限界と可能性への挑戦が求められるからです。そう、今すぐに役立たないものを仕込んでおくのが基礎なのです。
○応用と基礎
その点では、医師も応用としてのヴォイトレも、基礎とは対極にあるということです。医療は基礎のようですが、そこでの治療も予防も応用なのです。「○○法」とか「○○の技」などと同じです。
で、本当に基礎からスタートできる人はとても少ないのです。最初は応用して目先の効果を見せないと、トレーナーとしての信頼関係も築けないからです。そういう浅はかな世の中になりました。トレーナーも自在の境地であれば、今すぐここですべてを解決してみせることができる?人もいるのでしょうが、マジシャンでなくトレーナーなのです。トレーニングでよくする、そのトレーニングをする人なのですね。
最近は結構いらっしゃる人のなかに本人もなされていらっしゃることもありますが、ヒーリング、セラピー的なこと、やっていることはマインドコントロール、スピリチュアルで声や声以上のことに施術する人がいます。私のヴォイトレではメントレ(メンタルトレーニング)に入るわけで、カウンセリング、コーチングとして対しています。
しかし、これは地力がつくのではありません。心のコントロールや考え方の訓練での自信の回復です。昔の話し方教室のように、大勢の人前に慣れさせることです。それは声をよくする、もっとも応用的なものと私は位置づけています。先に述べていたことは、力が100の人に70パーセントでの球を仕上げさせていくものです。
それは声だけでなく自分を守るモノであって、他に働きかける力を得ていくものでないからです。要は、先生だけがカリスマとして、弟子を支配する構造です。でも、そのコミュニティで生きていきたい人もいるので、あとはご自由に、です。
○100と1000
一言で言うと、100の器の人と1000の器の人は見える世界が違うということです。そこで生じる問題も違います。医者やトレーナーをどんどん回ってここにいらっしゃる人もいます。それは、なぜ一人の、あるいは一つのところに長くいられなかったのかから考える必要があります。そこの先生のすべての教えを吸収し終え、その先生を超えたというのならわかります。そんな人は1パーセントもいません。大体は、よくならないうちに、もっとよいところがあるのかと思い、とか、他の人に勧められて移った、といったところでしょう。
日本はヴォイトレのレベルが低いので、世界で成功したコーチ、トレーナーにつくという人もいます。世界に通じるアスリートやアーティストを育てた人たちはいます。フィジカルトレーナーやメンタルトレーナーにも秀でた人がいます。
声は心身で大きく左右されるので、声よりもほかの要素を補う方が声もよくなることが少なくないのです。特に、一般の人は、そういう要素、条件を整えていません。複合的なチェックでそこを補強する、調整するとか強化するのは基本的なことです。
最近のヴォイトレ本の中にも、柔軟、体幹トレ、体力づくり、メントレが中心のものが多くなりました。昔は心身が強く、あるいは、プロになる人は周りからそういうことを求められ、その前に気づき、鍛えていったものでしょう。
声の強さ、耐久性も必要です。鍛えなくてはいけないのは喉だけでなく心身です。ヴォイトレの前に整体やフィジカルトレーニングする必要のある人はたくさんいます。今、ヴォイトレをしている人の半分は、マッサージ師やフィジカルトレーナーについた方が早く確実に声がよくなるでしょう。そういう分野のすぐれた人の方が、声をよくするということです。
つまり、1000の器のフィジカルトレーナーは、1パーセントしか声がわかっていなくても(声はかなり難しいので、喉頭のなかに入っている、整体の外になるので、よくて1パーセントとして)、10の力以下のヴォイストレーナーに勝るということです。しかも、頭―足先の全身とその働きを熟知していますから、柔軟や呼吸に関するケアなどは、より細密です。この細やかさが必要なのです。
一流のアーティストのなかに、ヴォイストレーナーでなくフィジカルトレーナーを連れてツアーに行く人がいるのは、アスリートと同じく、体のケアのためです。ここから声と歌にとっても体の重要性がわかります。ヴォイストレーナーが行くこともあります。曲を覚え切れていないし、発声もまともにできないレベルのヴォーカルの場合、伴奏や歌唱(代歌)での必要です。元は、歌の先生はピアノでの作曲家であったというのと同じ役割です。
○声の力をつけるとは
いろんなところを回ってここにいらっしゃるアマチュアの例は前にも述べたと思うのですが、日本のプロの場合、必ずしも声としての実力レベルがアマチュアの上位にあるわけではないので、トレーナーについて同様、述べると長くなります。ともに、ヴォイトレとか声とか、声の基本とか言いつつ、あまりにもそれ以外のことが中心になっているからです。
私が述べてきたことは、ゼロからプラス、プラスからマックスです。100メートルで世界に勝つかと、日常で不自由なく安全に歩くのとは違います。みる世界もやり方も考え方も違うのに、声ということで一緒くたにされています。
一流になる、本物になるには、力をつけるしかないのです。声の力をつけるのがヴォイトレという基本を忘れては、ヴォイトレはトレーニングでなくなります。もはやカウンセリングになりかねないのです。
例えば、呼吸のレッスンで、トレーニングをする。でも、家で毎日、それを続けて、ハードにレベルを厳しくして体が変わっていかない限り、それは3年経っても5年経っても、プラスにならず、意味はないのです。週1回でも老化防止や健康のためにはなるというのでは、ゼロ状態のキープです。
つまり、日常が10レベルの呼吸の人がレッスンで呼吸を週1日やってトレーニングを6日やらなければ、10~15レベルでしょう。それなら、毎日フィットネスで汗を流す方が、日常が20レベルになるので伸びます。病弱になって日常が5レベルになったらレッスンにきても6~10レベルをキープするのが精一杯でしょう。
ですから、いくら医者に喉の状態がよくないと通っても、トレーナーに調整してもらっても10+-5くらいから抜け出せないのです。
医者やトレーナーをいくら変えても10レベルの世界でみているのですから永遠に100レベル、1000レベルにはなりません。フィットネスでは100レベルになるかもしれませんが、発声に必要な呼吸トレーニングは、そのままベースとしての100レベルが発声、歌唱には結びついて×10にはならないということです。だからこそ、体―呼吸―声を結びつけるヴォイトレの必要性があるのです。
○要素のチェック
1.メンタルトレーニングーモチベート、集中力、忍耐力、持久力、プランニング、リラックス
2.フィジカルトレーニング―体力、筋力、瞬発力(運動神経)、柔軟力
3.声 発声、共鳴
4.歌 歌声
○耐性
プロについては、心身が一般の人よりはるかに高いレベルでの高い管理ができている前提です。それが欠けていたら、そこからです。
a.調整、修正、原状回復、老化防止、リタイアからの復帰、応用
b.成長、強化、変化、完成度を高める基礎
aで、もっとも早いのは、トレーナーの発声をコピーすることです。となると、似たタイプのトレーナーがわかりやすい。早く仕上げるのに有効で、歌となればカラオケ上達法です。
でも歌のうまい先生やプロヴォーカリストについてみて伸びた人はそう多くないでしょう。かなり本人の地力が問われます。
それよりも、私はその時点で最適な目標となるヴォーカリストや作品をサンプル、材料として聞かせるようがよいと思います。どちらもまねとして固めるくせのつくリスクがあるので、毎回チェックします。
すでに固めている人が、そういうものでイメージから固めなくなったり、一時、別の固め方に移動して今のくせから解放されるのは修正とみてよいでしょう。
口内の形を変えたり共鳴のポイントを教えるのは、私からみると、応用、技術です。そこで基礎としてつかめる何かが得られる人もいます。そういうことでは、否定はしていません。
しかし、軟口蓋をあげて喉頭下げて声道の共鳴空間を広げると、より響く歌声になる―というのは、基礎というより応用の一つのように考えています。
早く喉声や喉の負担を脱し、発声の感覚を変えるのです。そこで便利でわかりやすく結果の出やすい方法の一つです。ここで述べた、一時移動の応用なのです。
○その先を
応用を否定しているのではありません。そればかりでは限界があるし、本当の基礎にならないと言っているのです。数打てば当たるのも一理あります。弓でもゴルフでも、それで距離や方向をあるところまでよくできます。歌ったことのない人は、カラオケで1000曲も歌ったら、それなりにうまくなるでしょう。要は、その先をみているかということです。他の分野ではけっこう低レベルな話です。
あなたにでなく医者、トレーナー、その他の専門の人に対して、述べています。ここほど皆、基礎がやりたい、基礎を固めたいと言ってくるところはないでしょう。
基礎が身につかない、身についたと思っている。身についたかどうかわからない、そこで基礎の定義や基準をいくつかつくりました。他の分野と異なり、人によって違うのです。
昔、若いときの声を出したいという人は、それが目的です。元のが基礎に基づいていなくては、応用していたのを応用で出すので、ものまねのようにしかなりません。今出したものが昔と大きく違ってもよいと考えることです。若い年齢での天真爛漫な発声をまねても同じにはなりません。ファンが求めるのに合わせられたらよいと言われることも多いです。その天真爛漫さに基礎に基づくものがあるというタイプでは可能です。しかし、それを続けたために、喉に異常をきたしたような場合は、その歌い方をよいものとはできません。ポップスはそういう固め方やくせでも売れてしまうので困ります。
ヒットしていたときに、その声の先行きは大体予想がつきます。成長、あるいは加齢によって中心の軸が変わっていくのです。若い時に若さで回復できた発声に無理が少しずつ回復できなくなっているということです。
月に1、2回叫んでも大丈夫な歌い手が、ツアーで毎日となったときに同じように声を使うと続かないのと似たことです。
中心の軸を元に戻せるのか、それは、調整、修正力が必要です。声だけではそうなりますが、そこから歌やステージとなると声以外のものを補助で使えます。クラシックや邦楽と違い、エレキの力もあります。ビブラートが乱れてもエコー(リヴァーブ)で通用します。元より、それで歌っていたのですからステージングの補助によって、歌を大きくするのです。そこはヴォイトレではありません。
歌唱の中での調整はよく行っています。声量を落として声域を確実にする、高音、ファルセット、裏声のチェンジ、ピッチや音程の安定、発音、感情表現などにそのバランスを移すのです。私は、ここもヴォイトレでなくヴォーカルアドバイスとして区別していますが。
○基礎に戻す
それでは、根本的な解決として、応用でなく基礎に戻してから応用する方向で述べます。イメージとしては、器を大きくするのです。そのときに、声でみるのか歌でみるのかは違ってくるのです。
私は声を基礎、歌を応用としています。しかし、クラシック、ともかく、邦楽、ポップスは、歌声を基礎という考えをとらざるをえないこともあります。プロ歌手の声がよくない、話声は素人ということは、新しくないどころか当たり前になって久しいからです。クラシックではテノールの話し声はひどいというケースもありますが、一流となると必ずしもそうではないと思います。これはまたの機会に。
そこは、日本の声楽家よりは役者の声をベースにと始めた私が、今、歌声のベースを声楽家のトレーナーの協力で育てているのです。4半世紀の時の流れと歌の変容を感じざるをえません。むしろ、その矛盾に研究所で分担し彼らに任せたといえるかもしれません。劇団の役者の声も浅くなり、ミュージカルの方が人気となり、というものも背景にありましょう。
○仕上げより分析
プロに、急ぎで仕上げを求められるというのは先に述べました。つまり、ほぼ調整のレッスンとなります。
では、時間がかかってもよい、基礎からしっかりと身につけたいと本来の目的でいらしたときには、今の力を分析します。2曲、違うパターンの歌をアカペラで聞くこともあります。もっともよいと思う歌唱のフレーズ(4小節くらい)と、もっともよいと思う声のフレーズで(4小節くらい)聞きます。歌手以外でしたら、せりふなどを使います。それから、問題があると本人が自覚しているフレーズがあれば加えて聞きます。面談カルテ(プロ用)を使います。※
○限界の見分け方
限界まではできるのですから限界前を早く知った方がよいので、ハードトレーニングというのがあります。バーべル の持ち上げ(リフティング)や走ることはもっともわかりやすいですね。普段、持ち上げていないし、走っていないのでは、すぐに限界がくるのです。
呼吸なども声よりはわかりやすいです。鍛えていない人がハードにすると過換気症状群になります。高地の酸素の薄いところに行くようなものです。ハードさが危険なレベルに達しないうちに避けることです。トレーニングの質が下がるからです。
若いときには質がわからないから量を行う、そこで質的転化を起こすのは理に適っていると思います。年をとっても学べますが、量については若い人の特権です。無駄や無理ができるからこそ、そこから見つかることもあるのです。長く活動を続けられるのも、そこで得られたもののおかげということです。
限界は、「もうできない」でなく、「同じことはできない」と思ったときに訪れるものです。同じ以上のことができなくて引退する人もいるでしょう。
可能性を切り拓くには、同じことが確実にこなせて、その上に成り立っているのですから、同じことができなければそこがトップ、ピークとなるのです。しかし、ピークであり続けなくてはいけないのは自己新記録狙いで、その7,8割でも成り立つのなら、続けられます。興行の世界ならピークの力の5割で、仮に客が半分以下になっても大丈夫ということもあるでしょう。
○ルーティン
ゲンをかついで儀式化するのは、よく行われます。毎回、一流の人ほど決まった型ができています。でも条件も違いますから囚われてはよくありません。同じように準備しても結果が違うことはあります。固定するとその分析がやりやすい、つまり、データとして変数を少なくするのです。
トレーナーには、いつも誰にでも同じメニュを同じ順で行う人がいます。相手に対して柔軟に変える方がよいというトレーナーが必ずしもすぐれないのは、この継続して得たデータへの分析力の差だと思います。
生徒にとってやりやすいのがよいのか、やりにくいのがよいのか、そこは簡単には言えません。私は、どんなメニュであれ、どんなトレーナーであれ、使い方が違うのですから、こだわってはいません。目的とスタンスの問題です。それをいちいち説明しないと続かない人が多くなったのは、難しいですが…。
○トレーナーの助言
自分について、自分が一番知っていると言えるのかどうかです。トレーナーのアドバイスに従うべきか迷う人もいます。助けになるときに、あるいは、助けになるように活かせるように活かせばよいのです。
しかし、声は全くわからないようなときもあるので、一度白紙にしてトレーナーの言うのに素直に合わせてみるのも大切でしょう。
トレーナーの前ではトレーナーの言うことを受け入れる、これも応用です。そして、トレーナーのいないところで自分なりに応用してみるのです。
メニュややり方を変えるのも最後まで自分の感覚です。そこを信じられるところまでトレーナートレッスンして学ぶということでしょう。
○大勝負
思いを入れすぎて失敗することがあります。ビギナーズラックは、思いの入れすぎで起きるときと、思いを入れずに起きてしまうことがありそうです。私も、2度ほど最高のレベルの発声、歌唱の経験があります。録音していなかったので、客観的にはわかりません。マラソンでもありました。中学の時の10キロでしたが、そのときは楽に終え、さらに走れる余力さえありました。
○リスクのとり方
今の自分の力が変わったら方法も変えざるをえません。無理も効かなくなります。頑張りすぎがマイナスに出ます。否応なく年を経るとともに自己管理を徹底しなくては、同じ力さえキープできなくなるのです。
感覚が鋭くなるのも、よいことですが、同時にハイリスクになります。がんばってトレーニングを休むのが怖くなるのも、同じ時間とか同じだけの量をこなさないと落ち着かなくなるのもハイリスクです。
そこにハイリターンがあればこそのハイリスクであって、ローリターンなら、リスクはとってはいけないのです。自分の一人相撲とは、上達でなく、やることこなすことが目的になってしまっている状況です。
力をキープしたい、なら、ローテーションを守ることですが、目的がキープでは守りに入るので、同じ実力の維持も難しくなるものです。つまり、ゼロ―マイナス―ゼロの循環と似てきます。年をとるとゼロの位置が下がるので、結局小さなマイナス―大きなマイナスのくり返しになってしまうのです。そこで変革が必要です。そのためにトレーナーにつくことをお勧めします。ときに、メンタル的なことで底まで行って跳ね上がってマイナス×マイナスでプラスになる人もいます。
○力がつく
アスリートをみていると、素質のある人はコーチにつき、ハードトレーニングをしますが、補強として効率のために筋トレをします。力がつくと、力任せになりハイリスクになります。すると偏り、バランスが崩れ、怪我をして治療に専念する事態になります。
どこが間違いなのかというと、力がつく→力任せになることです。力がつくと、誰でも力で通じてしまうかのように思うもの、あるいは、もっと通じたいと思ってしまうので、急についた力で自分を壊してしまうともいえます。力がつくとその力の使い方は、更に難しくなるのは、どの分野でも同じです。
○ルールとコントロール
見え方が違う、聞き方が違う、それは、捉え方が違うのです。そして、そこにルール、この場合は一貫性ともいえますが、があって、人に伝えられるのです。一筋の光が射すというイメージでしょうか。
レースには、レースまでの配分が大切です。正しい動きを覚える。覚えるとは正すことです。ではなぜ正せなかったかというと、力が入っていたり、力が偏っていたり、バランスが崩れていたからです。体の左右のバランス一つでも変わるのですから、声のコントロールの前に心身においてトレーニングすることです。
○ストックの力
若いとき、トレーニングしないで、もしくは少しのトレーニングで長く応用できたのが、年とともに、長いトレーニングで少ししかもたなくなるのが、ポップスです。それに比べ、声楽や邦楽は、若いとき応用できない、何もできない、年とともに長く応用できるようになります。若いときに培った体が助けてくれるのです。
第一に、日常の活動量が減るから、その分、補う必要があります。応用もレベルの高いものが求められたら、それなりの基礎がなくてはもちません。学ぶ力、ストックする力と学んだ力、ストックした力の違いかもしれません。
若いとき、100しかなくても100出せたり、ときに120出せたものが、年をとると100あっても100でなくて70くらいになります。となると、150や200をもたなくては通じなくなるのです。若いとき100パーセント出せるというのがポップスです。声楽や邦楽では年をとらないと効率よく出せず、年月とともに効率的に出せるようになります。体幹、コアトレの流行もそういうことが関係するのでしょうか。
○喉でなく、体で歌う
歌うことも衝撃であるなら、部分で支え切れないので、体支えるようにと言います。今、腰や腹から声を出している人はどのくらいいるでしょうか。
○自分のメニュを自分でつくる
自分の持論を本一冊分書くようにと述べています。
1日半ページでも、2年で1冊になります。感覚、技術、考え方と、すべては他の人とも私にも違っているでしょう。そこから常に考えることです。歌、声とどこでつながっているのかというトレーニングと実践との結びつきも大切です。
第一に、体と対話して動きを引き出すのです。もう一つは、作品、歌やせりふ、そのイメージから引き出すのです。声を引き出す、感覚をマスターしていくのです。
○喉に囚われない
喉と対話するのではありません。喉の動き呼吸の仕方などは、フォローの一つにすぎません。そこは、サブでメインではないのです。喉に囚われるとみえなくなり、捉えられなくなります。細かい問題がたくさん出てきますが、どれを解決しても本当の大きな問題の解決になりません。
小さなことに囚われるのは、マイナス―ゼロです。マイナス―プラスのためには大きな問題、根本的な要因にアプローチすることです。それが声なのです。声の感覚とトレーニング、そこが肝要なのです。
○結びつきとフォーム
フォームの分析というのは、1コマずつみるのでなく、コマの流れを見ることです。自分のと一流の人のをくらべることができます。1コマずつまねしても、つながらなければ無意味です。そこでも感覚―フォームの結びつきで捉えられなくては使えないどころかバランスを崩しかねません。
○再現のスイッチ
よかった感覚のところだけ、さらによくしていくのが基礎です。できなかったところ悪いところだけ直すのは応用です。その感覚を意識していきマッチさせることです。再現できるようなスイッチ、ボタンを得ていくのです。一発屋は、1000押したら一つ当たった、でも、その一つしかどこかわからず、二度と押せないのです。
○アファーメーション
イメージトレーニングは欠かせません。聞くこと、待つことです。降りて来るまで待つこと、準備しておくこと、それが何なのかを考えることです。
○本日のレッスン、バランスと強化
声も歌もステージも総合力です。発声で100の器、その声量を50としたら、声域に20、伸ばすのに20、共鳴や音色には10しか当てられません。声域を80にしたら声量は10も出せないでしょう。レッスンでは、それぞれを別にして80くらいを目的にします。声量で80とか、声域で80など。
トレーニングでは100の器を大きくするのですから、声量を100,150としたり声域を100,150に伸ばします。これは1オクターブを2オクターブとか3オクターブにするということです。発声でも、ことばをつけると、そこに母音や子音の要素が入る、すると、また20とか30が割かれるわけです。読むだけなら30、大きく読むと50、叫ぶと80から120などと。
こうした数字はあてずっぽうでよいのですが、レッスンで、トレーナーと本人の間で共通するイメージになります。声のマップというのも、もう少し声を左に右に、上に下になどというイメージでの伝え方の一つです。
○力の配合
発声の100、歌の100、ステージの100は、別々に考えます。プロの勝負とみたときに、300の力があるとして、発声に50、歌に50、ステージに200の力の配分をする人もいます。ダンスやルックス、ファッションでみせるとか、MCで成り立たせるなら、歌の発声の比率が少ないということです。
それと別に、それぞれの力をつけて、500、1000の器を作っていくというのもトレーニングです。ステージまでには、演出、総合力も借りることになります。しかし、ヴォーカリスト独自の力も必要です。プロとして、何か強みか、どういうバランスでいくかは、トレーナーとして知る必要があります。もちろん、本人も把握しておくべきです。
○10代のプロ
10代の天才歌手やアイドル、これは、プロダクションのトレーナーや演出家の調整レベルを配慮します。日本の場合、一度売れると実力が伴わなくてもやっていける、楽なようで怖いことです。なぜなら、力がつかなくてももつので、力の必要性が突きつけられないからです。衰えていくのに自覚がないのです。
力にも、能力、実力、基礎力、応用力といろいろあります。でも、歌の好き嫌い、音楽的なフィーリングではみても、声でみる人は少ないのです。応用でみて応用で修正して、不足を感じたら体力を補強する程度で、基礎を固めないまま20代も終わってしまうのです。日本のように、ルックスメインで歌手も声優も役者もアナウンサーも、アイドルタレントの基準で選ぶところではなおさらです。女優などにも多いパターンです。
つまり、カラオケでできてしまう、マイクとエレキの助けだけでもってしまうゆえに、声の基礎などで省みる余裕も必要もないのです。ある意味で、ビギナーズラックや一発屋に似ています。自ら把握し、再現し、応用し、基礎をつくり、考え判断するというしっかりしたプロセスがないものは、何かあると崩れるのも早いし立ち直りにくい。そして長く活動はできないのです。
やがて30、40、50代で声の問題が大きく表面化してくるのですが、それは、本当は10代、20代ですでに現れていたものです。どこかで年月をかけて基礎づくりに専念できたかどうかが問われるのです。
○老化
年をとると回復力が遅れます。蚊に食われても子供のように簡単に跡がなくなりません。
よく知られている高齢者の生活上の注意を喚起するものに、「ころばないこと、足の骨折は寝たきりへの道」というのがあります。いくら健康で規則正しい生活を心がけ気持ちは若くても、現実は現実として、チェックは必要です。
大体、10代、20代で活躍した人はそこで心身ともハイレベルに保っているので却って難しいのです。素人から、そういう心身をもつだけで、例え何歳でも大化けする可能性があります。20代まではうつで病弱だった人が40代で心身とも最高レベルになれば声も歌も、絶対によくなっているのです。
○アイドル
アイドルは元より、応用ベースで基礎がないので、音大に入り直したつもりでベースを学べば1、2段上げられる可能性はあります。ゼロからつくるつもりで取り組めたら、ということです。難しいのは、天才子役や天性の子供歌手です。あるいは、基礎を誰かに教わらなくても対応できて歌唱にすぐれた人です。ヴォイトレや発声のトレーニングをたくさん受けてきた人もです。こちらは、やるべきことをやってきて伸びしろが少ないからです。
○習慣に加えて
初心者はやるだけで伸びます。メニュでも毎日、くり返すだけでよくなります。授業を聞かない人が聞くようになったら伸びる、勉強したら、復習したらもっと伸びる。これは、ヴォイストレーナーの手腕でなく、メンタルコーチングの成果です。
家庭教師でいうなら、学習計画を実行させる、つまり、学校から帰ってきたら、机について教科書を開きノートをみる。それをクラスの半分が行っていないなら、それでクラスの真ん中以上の成績になります。何もしていないでも真ん中の成績だった人ならトップクラスになるかもしれません。勉強を教えるのでなく、勉強する習慣を教えるのです。そこまでは、勉強を教えられない人でも教えることができるのです。
私がみるに、ヴォイトレもその辺りで70%以上の人は回っているように思います。発声練習の習慣をつける、毎日声を出す、歌うこと、それができていない人は、その日常を変えることが前提となります。家でできないなら、毎日とか1日おきにレッスンを受けることになります。
○トレーナーの使い方
レッスンにはお金もかかるので、自分でできることは自分でしましょう。トレーナーは、そこで使うものではないのに、そこだけで使われていませんか、ということです。
トレーナーは、自分できないことを教えてくれたり、できるようにしてくれると思っている人が大半です。でも、それは、私からみると応用なのです。私は、みえないものをみることができるように、聞こえないものが聞こえるようになるようにセットするのがトレーナーの存在する意味だと思っています。すると、基礎の力がつくのです。もちろん毎日のトレーニングは欠かせません。
○内なるヴォイトレをとり出す
徹底してトレーニングをやった、ということでなくとも、それと同様かそれ以上の体験を積んでいる人はいます。歌やセリフの表現をプロレベルで誰よりもステージとして行った人です。活動のなかにヴォイトレが含まれているのです。普通の人の日常に対し、プロの非日常は心身も呼吸も声も、たくさん使っています。それゆえ、目一杯やってきた人をどうするのか、そこにこそトレーナーの意味が、本当はあります。
どの世界もa.素人対象、b.プロになる素人対象、c.プロ対称、d.一流になるプロ対象は、それぞれに全く異なるのです。
日本では、ほとんどa、b、でもプロはなかなかできません。dはいないし、cは基礎でなく応用、鍛錬はなく調整、つまりアスリートにとってのフィジカルトレーナーはいないのです。
私も研究所のトレーナーも、マッサージ師ばりのトレーナーもcの基礎やdの体制を持っていても、プロダクションなどのトレーナーは、ほぼbやcの応用が最高と思っています。
アメリカなどに行くと、確かにcの応用、でもそれはハイレベルに基礎ができているからで、そこを学んで日本で行っても応用で基礎が身につくことは、ほとんどないはずです。
○早熟のヴォーカリスト
天才型少年少女ヴォーカリスト、それは、日本ですから海外とはかなりレベルが違いますが、「日本では、すごい」というタイプです。応用力が並外れてすぐれていたため、10代半ばでけっこうな歌唱力を身につけている、ほとんどは女性、少女です。男性は声変わりがあるので圧倒的に不利ですし、そこで応用するとジャニーズ的な歌声になります。およそ20代半ばになります。
これらは圧倒的にプロデュースする側の役割が大きくなり、日本ではそのファン構造に独自な違いがあります。ヴォイトレの本道となかなか一致させられないゆえんです。
○バッテリー論
応用力100パーセント、つまり、10代20代(特に前半)を容量100のバッテリーの100を目一杯使ってきた、使えた人のケースです。同じバッテリーをくり返し使うのですから、古くなると充電に時間がかかり、しかも、持ちが短くなります。同じ力を出すには、休みを多くして活動(発声や歌唱)時間と期間を短くするしかありません。あるいは、力を加減してもっぱらパワーを抑えることになりますが、時間をなんとかもたせるかです。容量、出力、時間は、つまり、器、パワー、時間の関係でつかめます。
○パワー不足
日本人ヴォーカリストが優先するのは、時間です。パワーを捨てます。海外ではパワーを捨てたらファンも離れますからパワー優先です。
となると、日本なら8割潰れて2割しか残りません。向うは8割以上残ります。最大の違いは、パワーをセーブすると器も小さくなり、パワーを保っていると器も大きくなるということです。
この根本的な差の原因は、いつも述べていますが、客の確かな耳とアーティストへの厳しさです。
彼らは日常レベルで歌っているので、日常がハードになればそこがヴォイトレになっていくのです。日本人は日常レベルで声量声域も使わない、使えないところで歌っているので、非日常がハードに続くと壊すということです。彼らの日常の声のパワーは、私たちの非日常的に高めた声のパワーと同じかそれ以上だということです。
私は、彼ら外国人日常の声(言語生活)は、日本ではかつての役者の養成所での声(せりふ)であると述べてきました。それゆえ、舞台=役者の心身をつくって歌わなくては、というのが、私のヴォイトレであったのです。「歌やせりふのレベルを日常化し、そこまでを鍛える」というのが私の目指すヴォイトレだったのです。つまりは、バッテリーの容量を大きくすることでした。それしか根本的な解決はないのです。
○日本のヴォイトレ
しかし、ヴォイトレは、バッテリーの使い方の調整に陥りました。ですから、喉や軟口蓋での声道の拡張での共鳴で声を効率化で、省エネにするという最終レベルで完成につなげる応用技術でも、小手先の技巧となったのです。(再三述べるように、この指針を否定しているのではありません。
私もここのトレーナーも、その部分的効果や全体への影響のメリットも知っています。最終的であるものは、最初に行っても悪いのではありません。何よりも、今の日本の声楽のトレーナーやヴォイストレーナーほど、これにこだわるはいません)問題は、使い方の調整と言っても限度があるということです。そこでその先にどうつなげるかを、いつから考えているかということです。
そうでないのなら、充電しないでできるだけ持たせ、充電回数を少なくするとか、出力を抑えるということになります。となると、100%(もちろん、声のコントロールをした歌ですから、先に述べた声量での100%とは違います)で歌っていた人を半分くらいにセーブする。トレーナーもですがトレーナーに言われなくても、今の日本のプロになる人は、皆、そういう守りの発声を選んでいます。
○日本のヴォーカル
20世紀にハイパワーで歌ったヴォーカリストほど、日本では声そのもののパワーは失われてしまっている、潰れている、ハスキーから喉が荒れ、喉の病気を引き起こしているからです。
声への負担や不調が神経質なまでにタブーになったのは好ましいことではありません。ヴォ―カリストのスケールが小さくなり、ましてトレーナーという保守的なアドバイザーがついてしまったことによるのでしょう。
そこは昔なら、心身の強くないヴォーカリストに対する処方なのです。最悪になるまで医者に行かなかったヴォーカリストが、今や真っ先に病院に行く。医学も進歩したので何でも経験したり知ることはよいのですが、結果として、迷ったり振り回されたり、大したことでないことを大問題のように思って、いろんな制限がかかるのです。声が自由になるためにトレーナーは制限させることはありますが、ヴォイトレの調整のために、あれもこれもだめ、となったら、もう先もないでしょう。この辺りは直感として今も変わりません。スポーツでは、もう「日本人は向うの人と体も力も違うから勝てないね」などと言いません。が、声楽や歌手には、そう言う人が少なくありません。もはや、挑戦も比較もしなくなったのでしょうか。
○再びバッテリー論
バッテリーは取り替えられない。でも、目一杯使って大きくしてきた人は大きくできる、ということです。ここで大きくというのは、声量でなく、声の器ということですから間違えないようにしてください。心身+αの大きさのようなものです。ただ日本人の場合、根本でつかんでいないのに、基礎のないまま大きくしようとしたのです。
ちなみに、私のサポートに、体の専門家、心の専門家の神レベルの人がいます。私は、声の神レベルになりたいのですが、なかなかなれずに研究所としてトータルでの神レベルを目指しています。体の神や心の神のところで、声の問題が解決することもあるので、私が必要と思うと活かせることもあります。
バッテリーを大きくするというのは大きさでなく質です。高密度にするとか、ニッケルからリチウムに変えるとか、もちろん、ロスを抑えるのが前提ですから、無駄に使わないようにします。
○音色のズレ
全盛期には、ベクトルがきちんと合っていた人も、心身の成長とともにバランスが変わり、同じベクトルではズレが生じるのです。そのズレは疲労のようなもので、蓄積すると発声に関わると思ってください。まして、ステージだけに打ち込めたときとは状況が変わっていることもあります。心身の変化が第一です。それが昔、どのレベルにあり、今どうなっているかを、そのプロセスとともにきちんと把握します。メインは、声と歌です。
声域(キィ)やピッチの乱れから衰えを感じてくる人が多いのですが、その前に音色、共鳴が変わっているのです。でも、音に届かせたり、ピッチのキープに力を入れたり、変な固め方をして、本人が自ら乱してしまいます。
○プロの修正
素人ならば届かなかったりピッチが乱れるだけですが、音楽性が高いと、それが発声の負担になり、そこを避けるくせでカバーします。この辺りを声区のこととともに説明し、理想のメカニズムに戻そうとアドバイスするのです。
これはプロが素人状態になってしまったこと、それゆえ、すぐれた音声区でも、それに対して素人に対するアドバイスをしているのに等しいのです。
素人は、やってきていない分、心身にプロほどの限界はなく、伸びしろがあります。ですからトータルの器づくり、まさに体―息―声と、ベーシックに時間をかけていくと伸びるのです。
プロにも、初心に戻ってそういう王道を取る人はいます。
○悪循環を避ける
部分的問題を部分的な対処で取り上げていては、解決したようにみえても、また同じことが起きる。私は、マイナス―ゼロ間の悪循環と言っています。
それよりは、かつての発声を基に、そのときの最高のイメージに心身を合わせ、一声でもつかんで一つ深くする、そこの根本をつかめるのなら、きっかけとなります。
日本では、本人もファンも、昔の音色やキィを望むので、これは、昔を100として、そこへどこまで近づけるのか、昔の本人に似させる、まねさせると言うのは、他人をまねるよりもましですが、100に戻せるとは限りません。
元より100の器で終わっていたのだから正しくトレーニングして200にしておけば、その50%しか使えなくても100になる、これが正攻法です。つまり、器を大きくしていくことで、古さ(年齢のことをバッテリーで例えると、こうしたシビアなことばになりますが)をカバーするどころか、もっとハイレベルにするということです。天然でのしぜんの壁を超えるということです。
○引き受け方
心身は、年と共に、どころか毎年、いや毎日変わっています。10代の心身はシンプルですから、そこに何万人に1人くらいにピタッと合わせられた、当たったという宝くじのようなヴォーカリストであったとしても、そこから普通のプロセスを踏んで、今の自分の心身に合った声、歌にするのが、もっともしぜんです。
そこで、心身の、人間の手出しできない声そのものの接点の付け方を、私は神見習いレベルで、他のトレーナーと本人とともに模索することになるのです。
そういうプロの10人に1人は100点、3人くらいは50点、後の3人は、ここのトレーナーの声楽レッスンで50点、残り3人の内1人は、心の神、体の神、あるいは他の専門家や医師へ紹介をよしとします。2人は引き受けられません。
一方、医師やヴォイトレはマイナスをゼロにする、せいぜい30点を目指すくらいのことを目指しているのです。
○天性の歌唱力の保ち方
男の子には少ないが女の子で、ときに天性の歌唱力をもつ子がいます。世界と比べて日本では一流のヴォーカリストは少ないのですが、そこで育つプロセスの違いを述べてみます。
10代では、子どもの器ですから、体―呼吸―発声-共鳴のバランスが一本通っていると、リズム、メロディ、ことばが正されているだけで歌になります。そこから器が大きくなるままにバランスがとれたまま、20代になると理想的です。
1. 体―呼吸―発声―共鳴 歌
2. 体―呼吸―発声―ことば(発音) 表現(感情)
これを略してA(体―呼吸―発声、声の基礎)としますと、それは声の芯、声のポジションを深めていくことを必要とします。
○天性のヴォ―カルでの国際比較
10代でも浅い順に声の深さをA2、A1、A0とすると、日本人はA2、欧米人はA1と、すでに10代で差があります。そこは、日常会話のところでは意識されませんから、歌Cは、共鳴Bとなるのです。この共鳴Bはおよそ頭声です。(その点、A=胸声とみてもよいでしょう)ことばCとすると、ここでCはことば、感情、ハスキーヴォイスとみてよいでしょう。
1. A―B…歌
2. A―C…表現(話)
日本のヴォーカリストは、小さい器のまま表現に入ります。役者型(実際はタレント)になるのです。つまり日本人ヴォーカリストの大半は、A2+B2の歌から、そのままA2+C2の表現力を得るのです。なかには、ことばを重視した感情表現をC2からC1にしたものの、A2+B2+C1でバランスが悪くなることもあります。Bを失うと高い音、裏声ファルセットが出にくくなります。理想は、海外のヴォーカリストのようにA0+B0+C0となることです。
ヴォイトレは失われたバランスをとるため、Bで共鳴(頭声)の統一を行います。崩れた器の補修です。しかし、それが元に戻っても、B1どころかB2止まりです。なぜなら、A1が伴わないからです。そこでA2→A1→A0を目指します。
A1―B1、A2-B2というバランスがとれたら歌にはなるのです。最後にC2→C1→C0と感情表現を加えます。多くの人が伸びないのはA2―B1のまま、Cを出そうとするからです。
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