「次元と変化」 No.304
○問題にするということ
ときおり、次元ということばを使います。世の中には一つ上から考えると問題にならないことを問題として、悩み苦しんでいる人がたくさんいます。これは何も私が一つ上から見下して言っているのではなく、きっと、私のことを一つ上からみて、ここで問題としていることも問題にならないと、もっとすぐれている人はみているのだと知った上で述べています。必ずしも上がよいというのではありませんし、上下というのも仮のイメージですから、考えるための設定と思ってください。私自身が悩み、あるいは、他人の悩みを問題として取り上げ、考えるときの一つの方法です。
ヴォイトレにおいて、私が学ぶのは、一流の人たちのいる世界からです。日本の歌い手や役者よりは、他の世界から学んだことが多かったかもしれません。最初に走り出すと、他の業界に学ぶしかないわけです。
それは、一流の人(それが何を示すのはともかく、世の中で何かで知られている人、その何かがどうかということは、また改めて取り上げたいです)やプロで続けてきた人と、それを目指す人、そして普通の人がいて、そこの違い、ということです。
○ステージで声が出なくならないために
本番で声が出なくならないためにはどうするのか、私は、ヴォイトレで、うまくなることよりも、タフになることと考えています。それは、続けるための条件、よりよいものの出るための前提だからです。
ステージは、時と場所を選ばないからです。それを避けたければレコーディングだけという方向もあります。高品質な作品をつくる、これは、ライブと考えやみせ方が異なると思います。
現場に対応するのに2通りの考え方があります。一つは、正面突破、もう一つは逃げです。攻めと守り、両方必要ですが、力をつけるときは攻めの姿勢が欠かせません。やり過ぎてうまくいかなくなり、初めて本当の守りの必要がわかるからです。
最初から守りを考えると、守ることはとても複雑になります。つまり、100攻めていたら、100戻してもゼロですが、ゼロで守ったら少しでも戻したらマイナスです。大きくみると、その方がリスクがあるのです。
○守りでは守れない
そこで抜け出せなくなる人が大多数です。なぜなら、ゼロに戻すことが目標となり、そこでOKにしてしまい、それで本当の力がないという事実に気づかなくなるからです。「よりよくする」でなく「こなす」ことで終えているからです。それを、今やヴォイトレやヴォイストレーナーが、拒むところか助長しているのが現状です。
この問いへの答は、「気力、体力を日頃つけておき、倒れないようにする、そうしたらできる」というものです。その上で、基礎力をつけ直すことです。
乱暴かもしれませんが、長くプロを続けている人は、皆そこで乗り切っています。守りの答は考えてみてください。あるいは、トレーナーに聞いてみてください。
なぜなら、今や、トレーナーにつくのは医者に行くのと似た、守りの考えで入る人が多数だからです。私は、若いトレーナーをみて、ここのトレーナーとの違いをいつも感じています。つまり、今のトレーナーは、守りを教えているのです。それは、トレーナーのせいだけではなく、トレーナーにつく人、ヴォイトレをする人が、守りの手段として考えているからです。トレーナーはニーズに忠実に対応しているだけなのです。トレーニングはトレーニングですから、医者や言語聴覚士の方針とは重なるところはあります。とはいえ、マイナスをゼロにするのと、ゼロをプラス、プラスをさらにプラスにするのは違うことです。声の場合、どこをゼロとするのかは、考え方によりますが、少なくとも、現状復帰程度で満足してはなりません。
○現場より厳しく
かつて、ハードすぎるトレーニングとそのキャリアを当然としていた歌手や役者から、ヴォイストレーナーが信用されなかった時代がありました。歌、声は本人のもの、それは現場でのみ鍛えられていくものだというのです。元より、現場にトレーニングの場が負けていたのです。大体、リラックス、スマイルとか脱力をメインにするトレーニングの場などはないでしょう。それには、先にプロのメンタル面でトレーナーが必要とされていたという事情があったのです。
そういえば、演出家も指揮者も、その地位を得るまでには、大変だったのです。大相撲では、横綱の実績が理事(哀悼、北の湖関、2015.11)の条件となるわけです。日本らしいところ、伝統のあるところでは、未だにそういう体質があります。
そういえば、私のヴォイストレーニングが声を壊すとか云々言われたこともありましたが、実名で名乗り出た人は一人もいません。昔は、声を壊しても医者に行かなかったのに、今や、高い声が出ないくらいで医者に行き、ここに回される人も増えました。以前に出ていた声が出なくなるなら、医者も処方のしようがあるのですが、これまで出なかった声を医療で出せるようにして欲しいというのが、冗談でなくなってきたのです。声も整形のように、新たな時代に入る予感はしますが、それについては、いつか述べます。
○マッチング
私が指導するのは、トレーナーのスタンスとレッスンを受講する本人(ここからは、「あなた」とします)の目的とのマッチングです。あなたのどんな目的とレベルを目指すかで、方法もメニュも、判断の基準、優先順位、重要度なども、すべてが変わってくるということです。
特に大切なことは、耳にタコにできるほどくり返したつもりですが、本番とトレーニングとの違いです。本番とは、ステージやレコーディング、試合などのことです。
レッスンの位置づけは、リハーサルでのレッスンなら本番に対応させます。それ以外、トレーニングのレッスンなら基礎固めです。これが、未だに混同され、ヴォイトレの質問や悩み、迷いの半分を占めています。その悩みや迷い、混乱が、その人の本番、ステージパフォーマンス、歌の力を削いてしまうこともあります。バランスが崩れるからです。
そのために、トレーナーも守りに入らざるをえなくなります。すると、本番仕様の短期の付け焼刃のレッスンになります。そのくり返しで、力がつく人も僅かにいますが、大体は、同じところをぐるぐると回ってしまうだけなのです。
○否定論
ヴォイトレ否定論について、ヴォイストレーナーにも、呼吸や筋トレを否定する人がいます。それが、こうした問題をさらにややこしくしているのです。それを言うなら、私はヴォイトレそのものを否定しているともいえます。だから、ヴォイトレは必要悪というのです。どんな芸事やスポーツ、武道も、特別なトレーニングなしにできたら一番よいことでしょう。でも、そんなことはありえません。
何回も歌っているうちに、あるいは、何曲も歌っているうちに、うまくなるカラオケは、最高の遊びのツールの一つです。でも、カラオケ業者が儲かるだけ、ゲームセンター、アミューズメントパークと同じで、あなたは、お金を支払う参加者、消費者に過ぎないのです。ステージサイドでなく、客席サイドにいるからお金を払うのです。
歌の変容がそういう誤解を助長したのは確かです。オペラのような特別のトレーニングのいらないものとして、ギターを買ってコードを覚え、いつもの声でそのまま歌ったらポピュラーだと思われたからです。マイクとスピーカのおかげで普通の声で歌ったらプロにもなれたのです。そこでのプロという要素が、声でないのは確かです。そして、歌唱力でないことも多いですね。
ここでも「声がプロ」とはどういうことかという問題については以前述べました。特に、日本は、歌の力が歌手でなく作詞家、作曲家からアレンジャー、プロデューサーまで演出家の方へ、プロの力が偏っていったのでわかりにくいのです。
○歌と声
「呼吸法を教えられて、それを使ったら前より声が出なくなった、喉を痛めた」と言う人がいました。これは、私の例えでは、バッターボックスに入る前に、フォームを変えてみたとか、腕立てを100回やったら打てなくなった、というようなものです。この辺りは、いつもの声の基本図表で納得いただいています。
a.歌 応用 バランス 全体 総括 無意識
b.声 基礎 強化 部分 各論 意識
いうなれば、この頃のヴォイトレは、このb:声というのが、限りなくa:歌に近づいているのです。となると、筋トレや呼吸トレもバランスを乱す悪者で不要となるのです。
○慣れと量
目指すのが少しの上達、自分の100パーセントに戻すこと、すぐに楽しく、迷わず、考えず、うまくなりたいーのであれば、基礎に入ってはいけないのです。
A:何もしなくともうまく歌える人と、B:どんなにやってもなかなかうまく歌えない人がいますね。そこも分けなくてはなりません。
A:素質に恵まれた人であっても、それを開花させるには、b:基礎が必要です。才能を確実な実力にしていくのです。
大半は、慣れていないだけで、入力と出力の絶対量が足りません。ですから、aの応用とその引っ掛かりをとるカラオケレッスンをすればよい、そこが先に述べた若いトレーナーのスタンスです。なのに、そこに、生じ自らも本当にはまだ得られていないbの基礎らしい呼吸法、発声法などを持ち込むから、ややこしくなるのです。
入力―出力の足りない人に対しては、たくさん聞く→よく聞く(量→質)、たくさん声を出す→よい声を出す、の順で本当は勧めたいのです。
トレーナーがつくと、量なしに質にこだわり選別します。私のことばでは、ベターを取り出して、それでよしとすることはしないわけです。
○(選別、調整)と(鍛錬、ブラッシュアップ)
バランス(声域、高音)を優先して成果をみえやすくするのです。これは、どちらがよいとか悪いとかでなく、何を優先し何を重要視するのかの違いとはいえます。
基礎が大切なのは言うまでもありません。応用してからの基礎は完全なフォームのつくり直しになる。それもよしとしています。
私は先に、自分で応用し、量を経て、そこからトレーナーと基礎をやるのが理想と言っています。トレーナーと応用から始め、1、2年よくなっても、そこで成長が止まって終わる(応用は基礎の上にのっていないなら、くせと言う方がよい)のでなく基礎からやるのです。
トレーナーは、基礎をやるべきなのに応用をやる。ポピュラーでくせ声があたかも個性のように扱われてきた、その人の声は変えられないものとされてきたといえます。発声も発音のポイントもそのままに固めてきた天性のヴォーカリストで、しぜんのまま、うまくバランスが取れているケースもあります。
その辺りをやりくりして、自分でトレーナーのスタンスをきちんと理解しないと、どれだけトレーナーをまわっても混乱するか、正解は一つと思い込んで固めるだけです。バラバラに行っても吸収できないのですから、統一された体系づけが必要です。それを経ないでは、蓄積されず、大して身につかないのです。歌とヴォイトレの切り分けを知る、次につながりをつけるということです。
○目的
シンガー、エンターティナー、アーティスト、あなたはどれをメインにするのですか。そのことでも違ってきます。それを決めたら、あとは本人の考えることではありません。
A.声 芯 (胸部)
B.共鳴 (頭部)
C.歌 (バランス)
D.表現 話 シャウト ハスキー
○2つの関係
ここで気をつけなくてはいけないことは、深めることと響きをまとめることの相関関係です。縦の線での上と下、あるいは、支えと解放との関係です。別のことばでは、A:芯、B:共鳴がそれにあたります。そのバランスのとれた状態をC:歌としています。
私は、共鳴をA:胸-B:頭とも捉えています。(A―B)=Cともいえます。また、Aは体―呼吸―声と捉えられます。で、Bは補充、共鳴の絞り込みです。共鳴の焦点化は、調整Aは、声のポジション、本来、外国人のもっているところをつくる、Bは深めるのですから日本人にとっては条件づくりとなります。
そのために外国語の発音を彼らの発声からすることです。そこは喉で固めたり押し付けたりしがちで、自主トレにはリスクのかかるところです。「ハイ」のトレーニングで背骨から尾てい骨まで響くような声づくり、体づくりをするのです。
そのポジション言葉で表現すると、Aは、Dの表現となります。A=Dの一致のなかに、B共鳴が含まれていたら、B=C歌となります。AとDの間にB=Cが含まれる、つまり、発声のなかに歌が含まれると理想の形となります。
BとCを区別したのは、Bは声の共鳴、Cはその応用としての歌だからです。Dのことばでの表現をそのままCの歌に取り入れると、ラップ、ポピュラー、シャウト、ハスキーといった歌になります。ことばのフレーズからのアプローチはこれにあたります。
○ベルディング
B→Cの一般的な歌の練習をA―Dで補強した向うの人のもっている前提を確保する、日本人特別の強化メニュがこれなのです。声楽でいうと胸声、ポップスならベルディングにあたる地声のことです。それ自体を否定するトレーナーもいます。
欠けているものの補強ですから、私は必然のものと思っているし、そうでない人は獲得しても使わなくてもよいのです。得るのは、支えとことばの力ですからタフになります。喉を疲れさせないので安定に役立ちます。しかし、中途半端な発声状態(=声の芯が捉えられていない)では不安定になるので、そこで引き返す人が多いのです。経験の浅いトレーナーが、間違いと判断してしまうところです。
不安定になるのは、ピッチや音程、リズム、メロディ、発音、歌詞、頭声、共鳴、表現、ファルセットなどです。そこでしかみていない大半の人やトレーナーは、役立っていないどころか害のある間違った使い方をしてしまったトレーニングと思います。そういう人は、この冒頭の「本番とトレーニングの違い」を読んでください。
○間違うということ
ときどき、誰かの覚えていた、私自身の言ったことばにはっとすることがあります。いつも、例えを変えているので忘れていることもあるからです。そのなかに「運動不足の人が10階まで階段で上がり、途中で足が痛くなったからといって登り方(足の使い方)が間違っていたとは言わないだろう」というのがあります。事実、私の考え方は、こういうことで間違っていると思われてきたきらいがあります。なかには、わざわざ一歩一歩をがちがちに、力一杯踏みしめて登って、足を痛めた人もいるのかもしれませんが、それは、いくら何でもおかしいのです。
本人の情熱が限界を超えて力を入れてしまう例はあるのです。そこは気をつけましょう。でも、だから何なのでしょう。1フロアごとに休みを入れたら、時間がかかっても足を痛めずに登れるはずです。その休みを短くしていくのが、しぜんな解決法です。そこまでをくり返すのが慣れです。どこかで筋力を鍛えたら、より早く、より楽になる、それがトレーニングです。目標と方針を本当に正したいのなら、一流の人のもつ感覚に学ぶ、そして、そこを変えるのが第一です。
○回避法
AとDで、喉が疲れていたり、喉に負担のかかる発声の人は注意しなくてはなりません。そうでない大半の人は、喉に負担をかけていないので話したり歌ったりできていますが、それは、できているのでなく浅いからです。
浅いのは、深いの逆です。でも、浅くして応用すると一般のレベルでは、楽に早く疲れずに使いやすいのです。そのため、発声やヴォイトレがきちんと喉を使うことの回避になっていることが少なくないのです。ヴォイトレにくるきっかけが喉を荒らしたことだから、安全第一からそうなりやすいのです。(話し声を喉の負担にしないため、浮かして高く浅く共鳴させるのも一時の回避策です)
しかし、ハイレベルで問うなら、そこは不安定さ、耐久力のなさが目立ってきます。腕の力で竹刀やバットを扱っているようなものだからです。
日本人は、大きな声で話すとなったりしたら喉が疲れるし、長く話しても痛くなったりします。試合の応援やカラオケくらいで喉に異常をきたすのです。若い人は、そういうことでそこまで使わなくなったし、そういう体験のない人が増えています。喉の状態が悪い人、しゃがれ声が目立つ人に、裏声や頭声共鳴で高めに話すのは、やむをえないのです。
○アスリート並みに
すぐれた歌手や役者の心身はアスリート並みです。そうであっても、できないところからヴォイトレに入るのが正攻法です。
一般の人からアスリートまではいかなくても、かなりの体力、集中力を得て、大きなエネルギーをもってスタートするのです。若いときに始める方がよいのは、この前提があるからですが、今や、そうともいえません。声が肉体に支えられていること、歌手や役者は、そこからみると肉体芸術家ということです。
体の力、筋力を声にそのまま使おうとするから、無理がきます。次元、あるいは、段階を間違えてはなりません。どれも中途半端になったり、打ち消し合っては何にもなりません。やたらトレーナーを増やして混乱するのと同じです。整理と分担が必要です。
基礎を終えて応用としていきたいですが、基礎を知るために応用も必要です。呼吸法だけで呼吸のトレーニングがきちんとできているかはわかりにくいからです。
少なくとも、発声、ヴォイトレの成果としては、声に出してわかることです。声と結びつかない呼吸トレーニングは、ヴォイトレでは不要です。
とはいえ、武道などの呼吸法も深いレベルでは共通するものです。彼らはヴォイトレという名で行っていなくても声が鍛えられ、かなりのレベルの声をもっていることがあります。それで歌えても、せりふを言えても、歌手、役者のプロとは違います。そのギャップこそがヴォイトレの肝なのです。
アスリートはヴォイトレでも伸びが早く、上達目標はファンサービスのカラオケのようなものですから1年もかからないことも多いです。本当は、そこからヴォイトレが始まる、アスリートの心身を持って、まかなえないところをヴォイトレで補う、と思ってください。彼らは、オペラや長唄は歌えません。歌としている声というところでみて、まだまだ足らないということです。
○基本トレーニング
A=Dのアプローチは、体―息―声の結びつきをつける「ハイ」のトレーニングと息吐きのトレーニングが基本です。外国語の深いところで読めるところも外国人や役者の声のポジションと言っています。
その上で、共鳴としての「ラララ」「ガグギゴ」「マメミモ」などをよく使います。
歌手には、外国語の歌を勧めています。その人のもっとも出る音域で、本当は半オクターブ内が理想です。1小節でもよいでしょう。キィを変えて声をみましょう。
次に、イタリア語で読んで歌うのです。日本語より楽に声になるはずです。ことばのフレーズを深い声でつくっていきます。(拙書「読むだけ…」参照)それを歌ののせると「メロディ処理」という基本トレーニングに入ります。
こうして話と語りのレベルを同じにするのです。日本の歌手はこの一致を成しえていません。声が浅いためメロディに引きずられるのです。低く音域の狭いところで、外国語で声を練っていくのがよいアプローチとなります。その発音のままことばとして伝わることを主として表現して日本語にすればメロディから離れてよいのです。しかし、大半の人は外国人も含めて、日本語では浅くなります。
○深さということ
グラシェナ・スサーナのアドロのサビを、1番をポルトガル語、2番を日本語で比べてみてください。シャンソン歌手のアダモのフランス語と日本語でもよいでしょう。アメリカ人よりフランス人など、ヨーロッパの方が深さは学びやすいです。
当時、外国人の日本語は、外国語の発声の上にのっていたので、とても深いです。今の日本語のうまい外国人は、わざと日本人の浅いポジションでJ-POPSのまねをして歌っていますから、日本語らしく聞こえます。同じ曲を異なる歌手ので比べて聞くと、外国人と日本人の、この違いはよくわかります。
甲高く細く芯のないのが日本人、それゆえカラオケはエコーでフレーズをつくってくれるので、日本人がもっとも実力よりうまく聞こえるのです。メロディ、リズムと歌詞の弱点とともに声量、メリハリ不足を音響で補うのです。
○聞き方、聞こえ方から
外国語なら、最初は聞こえないし言えない。昔の人なら書けないと言えないから、単語なども書いて覚えたものです。幼児期にしぜんに覚えるのと、母語でない言語を意図的に学ぶのとは方法が違うのです。声について変えていくのなら、声の捉え方を変える、つまり、聞き方を変え、聞こえ方を変えることです。それを意図的に起こしていくのです。言い方と聞き方のトレーニングとなります。呼吸も同じです。
最初に述べた私のメニュは、歌やせりふの「息を聞く」でした。「息を吐く」はその次です。これまで深い息を聞いていなかったら深い息は吐けません。吐く必要を感じないからです。歌やせりふは聞いてきた。だから今のあなたの歌、せりふがこのようにあるのです。
でも、息や声は聞いていないでしょう。では、聞く、いやその前に感じるところからです。
1. 体で感じる
2. 声を感じる
3. 歌を感じる
これをくり返してください。
○方針
基礎と応用を両立させて進めざるを得ないのが、プロの現状です。
アマチュアでも感覚的に同様といえます。日本人向けのやり方として、B:頭声の共鳴とA:発声のうち、調整でできるものから入ります。姿勢と発声の形、軟口蓋、喉頭の位置での声道の確保などが、入門の教科書のようになっています。ここは、日本のほとんどの歌唱指導で一般化してしまったところです。喉声を外す効果を狙ってと、高音に届かせるため、響かせるためです。先述のB―A´、これを一本通します。そこは声楽家のトレーナーがよいでしょう。C:歌、そこはきれいに響く柔らかい声を目指します。
もう一つは、長期的な練習としてのA:体づくり、息づくり、声づくりと、D:表現のためのイメージトレーニングです。こちらが本当の基礎です。主として新たに聞いて変わっていくことを促していきます。聞いて体で感じることから、発声も共鳴も歌も変えていくのです。ここで何を聞くのかは「読むだけで…」に詳しいので略します。Aでは呼吸、Dではフレーズの捉え方が肝となります。
○仮の扱い
要素別に基礎と応用を考えてみます。ここでいう応用は、基礎ができた後の応用でなく、基礎をつくっている間にステージを凌いでいくための応用、切り換えて使うための応用です。これは今の現場のニーズに応えるものです。基礎はないけど出番のある人には欠かせないのです。
大半のヴォイトレのノウハウ、方法、メニュはこの一部に当てはまります。これは仮の扱いなので´をつけて比べてみます。
A´お腹の使い方(腹式)―A息吐き
B´頭部共鳴(軟口蓋、喉頭下げ)―B体の共鳴
C´歌にまとめる、メロディと歌詞をこなす―C聞く、感じる、リズム強弱、フレーズ処理
D´MC(喉守る)表情、演出―D発声、発音、ポイント
B―B´のときにA、Dが邪魔しないようにすることです。仮のところで、腹式呼吸や深い声が身につかないのは当然といえます。
○レベル
一流というのは、何事を一つとっても数段深いのです。ちょっとした違いがちょっとでなく、とても大きいのです。後々のことにも備えができています。さすがに、そういう人は声の分野では本当に少ないのです。直感、実感が素の感覚を妨げているのには、もっとも気づきにくいからです。
ヴォイトレなくしての一流はありえないのでなく、むしろ、ヴォイトレあっての一流の方がありえない、この厳しい現実の認識なしにヴォイトレを語ってはいけないと思うのです。健康やリラックスというならよいのですが。すぐに効果を求めるヴォイトレが声の基礎づくりを妨げているとさえいってもよいのです。☆
トレーニング法が発達して、たくさんの指導者が出てきて一般化すると、相対的にレベルが落ちるのはどこでも同じです。多くの人がやり始めるからです。しかし、層が厚くなることで、一流や天才が出やすくなるとしたら、それは大変に重要なことです。
でもヴォイトレは、そこまでの成果を出していません。その過度期であって、というならよいのですが、そうでしょうか。今となれば、現状を反省して、次に向けて準備するための停滞期くらいに思わなくてはなりません。歌の凋落、歌手の地位の低下、それは役者、声優などの個性やスター性のなさにも通じます。
結果がよくなっていないとき、いや、そうなっているときは、自らが行っていることが違っているとの自覚をもつこと、これは、まさに、この20年のヴォイトレの現状把握を必要とします。映像がメインとなったことによる声のレベルの低下、などと逃げてはいられません。人間の声の力をもって、これからのデジタルでの音声革命にどう対処するかも問われているのです。
○使い込む
それでも体の器官、機能としての声は、長い歴史のなかで、ことば、歌とともに発展させ継承してきたものです。一人ひとりの個体に生活上も必要なものです、根本的に人類の種の存続に必要であって、その目的に合うように発展してきたのです。ですから、今でも、コミュニケーションに欠かせません。
声を出す力は、誰にでも備わっています。ですから、それを働きやすくする環境と自分の心身を整えていくことです。さらにもっと働く必要を与え、足らないものを補充するのです。それがトレーニングです。
早く楽にすぐに役立つものなど、深まりもせず長くもちません。誰もが即効的、実践的、すぐ役立つものだけを求めるようになりました。そんなものでできることは最大のテンションで一時的に使った力によるものです。じっくり時間をかけて苦労し努力し、面倒な手間をかけてこそ、深まり、生涯使えるものとなるのです。
使わないものは衰え、使うものは強くなります。声によい、体によい、やさしい、そうしたバランスだけでは、表現として印象に残るものには成りえません。絶対的なパワー、それには、練習の絶対量を、声を使い込むことを必要とします。
○問題以前のこと
体は一人ひとり違います。平等でもありません。また、同じ人でも体は毎日違います。よくも悪くも日々、変わっていきます。その全てに対応できる一つの方法などありません。方法も対処のし方も変わっていくのです。
それを固定したときからギャップが広がります。ハイリスクで基礎に支えられていないから、いつか壊れます。そこまで活躍していないから、使い続けなくてすむからもっているだけなのです。わかった、できたと言うときにそうなるのです。
トレーナーが、チェックにこだわるほど本人も守りに入ります。本人も守りに入ります。低い次元でチェックにこだわるのでなく、高い次元での小さな差異に丁寧な対処が必要なのです。医療のように高度な器材を入れてチェックを厳しくするほど、平均値からみた異常がたくさん見つかるようになります。それを全て直して平均の人の値に戻す、そのように変えてみることが何になるのでしょう。マイナスをたくさん発見して一つずつ潰してゼロにする、それは、トレーナーのすることとは違います。すぐれたアーティストのすることでもありません。健康オタクのように、ヴォイトレオタクもいてもよいかと思いますが、ヴォイストレーナーなどは、そうなりやすいタイプの人が多いのです。
マイナスにマイナスをかけてでもプラスにしなくてはいけない世界でマイナスをゼロにして、またマイナスをみつけてゼロにする、そんなトレーニングは、病気を探しに毎日病院に検査にいくのと変わりません。
よくないところの早期発見は大切、そういう話でなく、発見やチェックよりも、その前に発見やチェックをしなくてもよい健康な生活を心がけるべきです。他人に全てを任せようという依存は、一人で自主的にやる人の足元にも及びません。自主的に動き、そこで一人でできないと知り、トレーナーを使えばよいのです。ときには、自分の実感や直観の限界を知り、トレーナーの経験に委ねてみることも必要です。
○声とライフスタイル
その人のライフスタイルを変えることを強いることはありません。その人のヴォイトレの必要性を高め、基準をアップさせ、材料を提示します。あとは、その人がどう感じ、どう動くかです。感じるよりも動くことが大切でもあり、動くだけで感じられないなら、止まってみることも必要です。そうしたらいろんな手段が出てきます。自ずとその人の目標を遂げられるライフスタイルに変わっていくはずです。急いで自分で決めるのではなく、遊びをもって、よい流れにすることです。
その人のライフスタイルに合わせ、その人の望むものを早くできるようにすることは応用でしょう。それは、基礎づくりのためにやむなくするものです。基礎を踏まえた応用のところへもっていかないなら、大してその人は変わりはしないのですから。まして、声は変わらないでしょう。声が変わるというのは、少し比喩的な表現です。でも声の力、その扱いや内容、変える範囲や声の威力がアップするのは確かでしょう。
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<守りとバッテリー論2>
○守りの限界
マイナスからゼロに戻るのは、トレーニングでなくケアであると、述べてきました。それが必要なケースも当然あります。いや、むしろ、今の日本では、本人がそれを望んでいるケースがほとんどなのです。ですから、ヴォイトレでもケアがメインになり本流になりつつあると言いました。先に、それを勧めてこなかった理由をまとめておきます。
1.ケアはトレーニングではない。しかし、ケアがトレーニングの前提となるケースはあります。前提と目的を取り違える人も多く、トレーナーにもその傾向が強くなっています。
2.守りでなく攻め、次のことを考えなくては衰える一方である。前に「バッテリー理論」で述べたように、いくら回復させようとしても、それだけでは総力は目減りしていくのです。
3.調整や回復しても、元の実力よりも力がつくことはない。
つまり、早く楽に少しよくなるくらいのことは、トレーンングと私は考えていないということです。そこは、医者やメンタルコーチの担当ですが、トレーナーも一部として引き受けるというものです。
○カムバック
回復を優先する必要があることは、少なくありません。
第一に、ケアそのものが目的のとき、医者からの紹介の人です。手術後のリハビリのケアはトレーンングどころでありません。言語聴覚士の役割に近いところです。このときも、本来は、回復後のプランをたてておくことです。そうなった原因を突き止め回避する、でも、それだけでは根本的な解決ではありません。多くの人は、そこは発声や呼吸の方法が悪かったから直せばよいと言うのですが、求められるレベルが本人の実力よりも高ければ同じことは起きる、だから、長く強く声を使わないようにする、これでは何ら解決していません。陸上選手に「このタイムより速く走ると怪我をするから、これより速く走るな」と言うようなものです。a喉の回復、b実力の回復、cさらに実力をつける、cは希望次第です。
第二に、ベテラン勢、元プロ歌手(日本では、一度プロとなれば、その後はいつもプロ歌手として扱われますから本当に甘いのですが)で元の実力がなくなった人のケースです。体力など、体のメンテナンスはするのに、声はしないまま、歌を復習して備えるだけです。日本の聴衆は、昔の歌と同じことの再現を求めます。本人と合わなくなっているのを無理に昔に合わせるのです。となると、若い頃の本人のものまねレッスンとなることが多いです。プロは、と述べましたがアマチュアにも多いです。
加齢のために生じている問題、これは元より基礎がないことで出てきたのですから、まさに「バッテリー理論」を地で行くものです。
第三に、ステージが目前にある、あるいは、常時ある場合です。
○ プロと「バッテリー理論」
「バッテリー理論」を私なりにまとめておきます。
1. バッテリーは古くなると充電時間がよりかかるが、それに反し、出力時間は短くなる。(つまり、休みがより多く必要になるのに、それでも声はもたなくなります)
2. 出力そのものが落ちてくる。100→90→80
3. いくら充電しても100以上にならない。
私が、デビュー本で述べたように、根本的な解決は、容量=器として大きくするしかないのです。
つまり、声として使えるパーセンテージが落ちるとして100%→80%→50%となるなら、器として100,125,200となくては同じ出力はキープできません。しかし、この減らした分をステージパフォーマンスか人柄でもたす、MCの話で日本のプロはカバーしているのです。それがまた、声に悪い影響を与えています。
素質、才能で200をもってプロとなっている実力派では、少々落ちても人を惹きつける力は残っているのです。
○三重苦
第一から第三のケース、この3つが重なることも少なくありません。ここに最後の助けとばかりに駆け込んでくる場合では、1.声が出ないので医者に行き、2.昔のように声を出す練習をあまりしていなくて、あるいは加齢などもあり、その前から調子がよくなく、3.ステージが近づいてくる。この三重苦です。
これではどうみてもケア、原状回復が先決です。普通の人のカラオケが歌えるレベルに戻すこと、後は本人のステージパフォーマンスでもたせることになります。
○音源代替
究極的な方法として、プロなら別の音源で凌ぐこともあります。元より日本の歌手の8割は、実力派ではないので、こうなると声は素人と同じレベルです。話し声で喉を痛めるのもそのためです。でもプロとしてのステージパフォーマンスでしのげるのです。しかし、さすがに役者、声優などはそれではごまかせません。ただ、話は日常化しているので実力を保ちやすいです。
ビジュアル重視のダンサブルな時代になって、歌手が声よりパフォーマンスで問われる現実が、すでに現場にあります、そのうちオペラや邦楽もそうなりかねません。マイク=音響技術のあるところで、先に導入されたのは当然のことです。ダンスや踊りをみせるステージでは歌っていても、うまくマイクに入りません。息も切れます。聞いている音源は別で口パクであったからです。そういうケースを除くと一番楽しくないのは歌い手自身のはずです。
以前は、懐メロ、高齢歌手の昔のヒット曲の再現にしか使われなかった音源での代替が、調子の悪い時のステージに使われるようになりました。ステージまでライブでなくアテレコ、吹き替えのようなものとなりつつあります。
○CD教材の見本の害
実際のヴォイトレの大半は、B-Cだけです。それも声楽家ならまだしも、ポップスは、トレーナーが、のど声と区別がついていないケースが多いということも指摘してきました。
トレーナーのCDの見本を発声として聞いてみてください。多分、日本では200種以上ありますが、2、3くらいが声としては合格、10もまともなものはありません。これが日本のレベルです。外国人のものと比べてみるとよいでしょう。
よくない声を聞くくらいなら聞かない方がよいのです。悪い見本も一度くらい聞くのはチェックとしてよいけど、あまり聞くとよくありません。レクチャーとトレーニングは違うのですが、一流のアーティストの声に直接学ぶべきです。そうでないなら、楽器音の方がよいと思います。
よい声、一流の声でも同じ人ばかりなら、聞いている本人と違う声なのに、どうしてもまねしてしまうものです。私はトレーニング用のCD教材に自分の声を使うことはしていません。一般用のサンプルにはナレーターや声優というプロとしての職の人の声を入れています。理由は、声だけでなく、滑舌やイントネーションなども練習として使われることが多いからです。ヴォイトレがヴォイトレのトレーニングになっていない現状は、再三、述べているので省きます。
○実力をつける順
先に、A芯、B共鳴、C歌、D表現と述べました。C(A+B)→D、このうち、A、Dは日本の歌手があまり重視していません。トレーナーも触れないのです。A胸声、B頭声、そのバランスとしてのC歌とも述べました。
普通の人が、A―A´―C´―D´でプロが実力があり、プロの器がある理想がA―B―C―Dとすると、先の3つの事例でケアからのヴォイトレを超えて実力をつけるには、次の順をとります。B´―Bの共鳴、特に頭部共鳴での回復、これは100のバッテリーが80や50になったとき、一時、放電するのに適しています。この場合、充電は休みでなく、補給です。
A´を体力を戻し、柔軟、呼吸を戻すとみてもよいでしょう。鐘なら小さく叩いて大きく響かすことです。強く叩いたり、鐘を大きくすることは控えます。少しずつ力を増していきます。
そのまま歌に結び付け本番に備えます。
1. B´―C
2. B´―C´
こうしてみると、使いようによっては、喉にリスクのあるのが、特にポピュラーのトレーナーです。現に喉を壊すトレーナーはとても多いです。そして声域高音重視の日本のソプラノ、テノールのトレーナーがあまり触れないことがわかります。
3. A´―[B´―C´]
4. A´―[B´―C´]―D´
これで現状としての回復、リハビリ終了、調整としてもヴォイトレなら、ステージ対応になりました。
ここまででよいと言う人も少なくありません。この場合、実際は、B´―C´で、A´、D´は、そこにそえただけですから、アイドルやカラオケのうまい人、歌える人のレベルです。
○声の世界へ
そこからA―B―C―Dの世界は、器が違うのです。その次元を変えなくてはなりません。まずは、D、歌の表現に対して材料の取り込みです。聞き方を変える、つまり、インプットです。インプットするものを補充していくことで、インプットの仕方を変えます。例えば、Aの器を得るのに一流の歌い手の体と声、息を徹底して聞くのです。聞くというよりも感じることです。
どんな一流の歌手も行っていることは、一流のものを聞く、量が最初ですが、必ず同じもののくり返し、深読みがそこにあります。一流の耳にして聞く、質が肝心です。この2つが伴わないから、一流の器ができなかったのです。それにもプラスαが必要ですが、トレーニングは確実なところとして器をつけるところ、量のところを確実に、できたらその質的転換までを目指します。A、D先行で、B―Cは、そこの伴うものとしてみています。しかし、意図的にBを声楽教本(コンコーネ50)、Cをカンツォーネ、スタンダードポップス、オールデイズなどで進めることもあります。声楽科の4年生~6年生レベルです。劇団四季のオーディションならB―CでOKでしょう。
ケアはB´、C´から行うのです。でも、トレーニングならA、Dからと考えています。後はスルーしてもよい、なのに、そこがヴォイトレということで、私は“ヴォイトレ”不要論を唱えることになったのです。
結果、効果をどこに求めるか、対象が誰か、目的が何か、そのレベルに応じて異なるので、いろんなヴォイトレがあってよいと思います。ただ、ヴォイトレが声のトレーニングになっているのかということに、私はこだわっているのです。
○共鳴について
1.声道の共鳴 声帯と口、鼻の間(喉頭―軟口蓋)
2.顔での共鳴 共鳴洞=共鳴腔
3.体での共鳴
4.スタジオでの共鳴
1、2は歌のヴォイトレや声楽で教えられていることが多いから簡単に述べます。軟口蓋を上げて喉頭は上がらないようにして眉間、頬骨に響きの焦点をもってきましょう。私は1、2より3、4をよく使います。3は、イメージ、体幹ですが、頭のてっぺんから背骨、尾てい骨まできちんと声の出る人は、体中から響くのです。
頭声、胸声は、頭や胸が響いているのでなく、そこで響くように感じているということです。体は振動するというイメージ、それは、顔も同じことです。顔に空洞があっても声の共鳴は声道で起きていることなのです。でも、イメージで体、そして体の存在する部屋の中に響くように、響かせるのではなく響くのです。それが声の器づくりとして、とても大切なイメージづくりです。その辺りは、拙書に任せ、戻ります。
○共鳴
体の要素、姿勢、柔軟、表情、筋肉、呼吸、声の要素は、1.高さ、2.強さ、3.長さ、4.音色(発音、母音、子音+母音、ハミング)です。リップロールも脱力、呼吸と顔の柔軟運動の一つです。使えない人は無理しないでよいでしょう。巻き舌やハミングと同じで、手段なので、難しい人はスルーしてかまいません。後日できるようになっていたら効果を実感したら使えばよいと思います。
○トレーニングメニュ
トレーニングメニュは、メニュそのものが目的ではなく、目的のために使うのです。☆
ですから、すぐにできなくてはだめなのではありません。順番や重要度には柔軟であることです。使いにくい人は、使って却って力が入ってはなりません。なぜできないのか、苦手なのかということでいろいろと知ることができるのです。チェックとして使うことはあります。
1. 全身の柔軟運動、特に肩、首、腰
2. 呼吸、均等にロングブレス、表情筋、舌、唇、口、顎、頬、眼、鼻の運動
3. リップロール、声帯でなく唇で音を出す(高さ、強さ、長さ)
4. ハミング、頭声ハミング、鼻や筋、眉間に。胸声ハミング、胸に(できない人は不要)
5. もっとも出しやすい母音、高さ、大きさ、長さを、様々に変えましょう。
しゃがれ声、ハスキー声を避けることが近々の目的となります。
○しぜんということの限界
守りのときは「ベターをベストに」でなく、「ベターに」までを目的とします。実力を向上させるのでなく、復調する、調子を戻すのですから何よりも無理は禁物です。
私がこれまで述べてきたことでは、守りのヴォイトレは、調整ゆえ力はつかない、正確にはとても時間がかかる、ゆえにしぜんなことで、理想ではあるのですが、よほど恵まれた人以外、他人よりすぐれることはない。
他人に対してでなく、自分自身に対してすぐれていくことだけを目指す人には理想のようにも思います。ただ、そこでクローズされたものでは、ヒーリングになりかねず、私としては、その時点で可能性を閉ざすのはお勧めしません。
でもそこで今の自分の100%を知るのによい機会となります。
○プロと次元
再三述べていますが、次元という考え方です。10代で歌でプロであった人が、20代では歌はふつう、声は人並みで、無理すると壊す、すると、当然のことながら、医者に行くが、プロということは関係なく症状としてみられてしまう。それは勉強するよい機会ですが、そこで知識でなく基礎のトレーニングを必要なのを勘が鈍っているとわからなくなってしまうわけです。
特に、日本は、20代以降、知名度やMCでもたせているのに実力がついていかない、つまり実力が相対的に落ちている、いや絶対的に落ちていることの方が多いのでなおさらです。声力、歌力、ステージ力を分けて考えることなのです。
シンガーかエンターティナーかアーティストか、そこも微妙で、大半はマルチタレント化してしまうので、もはや、声など省みられないから壊して医者にいくまで自覚がないのです。
しかも、医者や調整のトレーナーはプロの次元でなく、一般、いや病人のケア、リハビリの次元で考えるのですから、そこは区分けしないと二度と元の次元で、できなくなります。
もちろん、プロといえど、アイドル、モデルなど、ルックス、ファッション、ダンシングでなく、それなりの歌唱力、声の力で成り立った人に限ります。そうでないケースは、元よりステージとしての次元が高かっただけですから。
天性の素質や勘でやってこれた希少なヴォーカリストへの対応は、次元のことだけでない。しかし、そこで失われたものが原因なのですからトレーニングで補うことが必然になります。インプットから高次なものに引き上げる、そのために次元の低いところでの問題はスルーし、そこで喉など部分的にあまり囚われないことです。悪循環になってしまうからです。ミスターのこと、長嶋さんはスランプでもデータ分析をしたり医者には頼らずに、その日の練習を増やした、それが長いスランプに陥いらなかった要因です。まあ、ここは1%にも満たない人のために述べたところです。
○ベターのレッスン
ベストでなくベターというのは、今のもっともよいところに声をもってくることです。声域、声量も、使う音(ハミング。母音子音)も一番やりやすいものを選びます。
まずは、一音です。確実に声にします。かすれずにハスキーにならない方がよいです。そして、最も均質に吐いた息で声を使います。
かすれないためには、ハミングやマ行がよく使われます。コーラスのような声でかまいません。しぜんなビブラートがついていたらよいでしょう。高さとしては裏声と地声、2つにそれぞれよい声があるといえるかもしれません。それだけを1時間ほどくり返してチェックするとよいでしょう。ピッチを正しくとか、発音をクリアに、母音を揃えて、といった課題ではありません。楽器の音のように、声を音として意味なく、共鳴、響きとして捉えます。あえていうなら音色のキープ感を養うのです。
○声明に学ぶ
声明を学んでいます。そこでの実習は、音色に節をつけて動かす、というもので、まさに発声の応用課題のようでした。しかし、私は、これこそがヴォイトレのフレーズであり、今の一般的なヴォイトレに欠けている基礎課題と思いました。
一人でもっとも声の出るところで行えば、高低半オクターブとしての1オクターブとなります。短いフレーズでは、私が基礎といっている半オクターブですから、まさに理想のヴォイトレになるといえます。10~15秒というけっこうな長さゆえ、呼気のコントロール、呼吸の支えも求められます。
○不調に学ぶ
何でもできているとき、何でもできていると思って、実のところ、できていないということが不調になると明らかになります。甘い基準でOKにしていたものからできなくなるからです。好不調は、声の場合、体という生体の楽器ですから必ずあります。絶不調の時こそ、素人でもチェックしやすいのです。
○ベターよりベストのために
上達には的があって、そこへ全てを集めます。そこへ絞り込んで、可、不可を決めていくのです。しかし、私は、その基礎→応用の前に、遊びという、応用をおくように提唱してきました。自己流での量の時代です。その必要性を強く感じるのです。
ですから、早急に仕事のあるプロ以外の人は、最初、自由にさせたいと思っています。(トレーナーに対してもけっこう自由にさせています)
つまり、声も今、よいと思うものを出していながら選ぶのでなく、何でもいろいろ出してみることからです。ひどいのも、使えそうにないないのも含め、出したことがないのも何でも出してみます。たくさんの経験をありったけ積む。すると限界がみえます。その方が、声のマップもわかりやすいのです。
○選ばない
最初から自分で選んで、歌に使えそうな声だけ使ってきて、さらにトレーナーに選んでもらうのは、限定を急ぎすぎです。むしろ、最終段階に行うことです。これまで出したこともないが出せる声、出るようになる声もあるのです。それを取り出さないと本当のパワーは出ません。
何でも出してみると、さして何でも出せないことに気づくものです。いろんな声をいろんなふうに出せるのは可能性を広げ、器を大きくすることにつながります。選ぶのは後でよいのです。
しかし、現実のヴォイトレのレッスンでは、トレーナーはすぐに選んで、よし悪しを判断し、よいものを教え、それを伸ばすことを求められるでしょう。だから本当に大きくは伸びないのです。声もまた、選ばれるのです。歌ったときにベストが出てくるのを待つのです。
○守りの前に
例えば、調子の悪いときは、声量が出せません。仮に出せてもセーブすることです。リスクが大きいからです。高いところ、そこで大きく続けて歌うからカラオケで声が出なくなるのです。しゃべりすぎやアルコールも原因となります。
ですから、調子のよいときは、声域、声量に関心をもちましょう。器を大きくする可能性は、声量と共鳴でみる方がわかりやすいです。
調子の悪くないときにも、声量を抑えることで、声域、特に高音へ届かせたりファルセット、裏声との切り替えをフォローするのは、手っ取り早い教え方です。それ自体はバランスと調整の方法で優先せざるをえないのも否定しませんが、そこだけで固定すると、もう処理法になります。可能性も、そこで終わるということなのです。
私が守りについて述べたのは、攻めのあること、そこが主体であることを確認したかったからです。ヴォイトレで忘れられていることがほとんどだからです。
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