「創造のための教育論」 No.305
先生は、その肩書、地位を与えられたら誰でもできるものです。人は、誰でもその気になれば教えることができるものだからです。むしろ、教えられる方が、ずっと難しいのでしょう。
教えるというのは、そこに今までなかったものを引き出すことが狙いです。知識などは、自分で調べればよいのです。ないものをつくりだすには、それが出てくるのを信じる力をもつことです。
私はこれまで相手が、こちらが教えたこと以上のこと、教えてもいなかったことを学び、成し遂げられるのを見てきました。
そのために、知っていることを教えようとしないことを気をつけています。すると、それを覚えることしか相手は考えなくなるからです。
同じことをくり返し、そこで同じようにみえても、同じでないことに気づいていくことを促します。
何を学ぶべきかを知らなくとも、何かが出てくる、何かを知っていると信じられることの方が大切です。
理解を超えたものがあるからおもしろいのです。
自分が知らないことを教える。
先生の知らないことを学ぶ。それが、レッスンという共有された場の力です。
教えられないことが、教えられたことを超えるのです。
それこそが、知識でない―知恵、発想力、創造力です。
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