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Vol.50

○話し方がうまいのには、ご用心

 

話し方については、多くの人がいつも関心をもっています。たくさんの本も出ているし、TVや雑誌などでもよく特集されています。そういうところのノウハウを聞くと、私は不思議に思うのです。

というのは、本当に人間関係が豊かな人や、仕事で業績をあげている人は、必ずしも話がうまいわけではないからです。むしろ話し方は下手、なかには愛想さえよくない人もいます。

もしそこに共通した一点をあげるなら、時折、本当に人に向ける、いい感じの声や表情が窺がえることです。

それは、初対面で、まだ打ち解けていないうちには出てきません。緊張し、固い感じで好感とは程遠いときもあるのですが、それだけ実直ともいえるのです。

それが、信用の礎となるのです。そういう人は、相手が自ら選ばれたいと望んでくるような関係づくりをしているのです。

 

○トークテクニックを捨てる

 

「私も前まで、こんなふうには話せなかったのです。でも今では、思うことを話すことができるようになりました。あなたもすぐにそうなれますよ」

話し方セミナーや自己啓発書では、こういうのがレクチャーの定型パターンです。

邪気ムンムンで、スラスラしゃべれる人は、マニュアル、TV番組のプロなどの話し方の口うつしです。

ファーストフードで大声でだべりまくったり、電車でソフトクリームを食べている高校生と変わらないのです。店内一杯に声を反響させている人ほど、始末が悪いのです。現実にはおかしい、フィットしていない。そこに気づけないのでしょうか。

一方、自信がないから話す力のない人は、感覚としては、人の話を聞くことができているので上級者なのです。

一般的に、話し方や表情がよいと言われるのは、営業、交渉、販売、サービスといった方々です。経験と慣れから、いつでも誰にでも勢いのある元気で明るい声と笑顔を向けられます。もっとも顕著な例は、選挙前のときの政治家でしょう。

私が打ち合わせや仕事に使っている店にも、そういう人は、やや大きすぎる耳障りな声を延々と出しているのでよくわかります。

それは、話力でも説得力でもないのです。聞くほどに説得されたくなくなってくるのです。そこに学べることは、反面教師としてなのです。

 

○話がうまくては印象に残らない

 

私は、三十代のときには、けっこう講演をしていました。JR東日本からNTTなど、大企業から新興ベンチャー企業まで。で、あるとき気づかされて、ハタッとやめました。口先だけが回るようになってきて、自分が不快になったわけです。自分の伝えたいことを伝えているという実感が失せてきたのです。

当時、たぶん、人の二倍くらいの量の話を早口で流しっぱなしにやっていました。最後まで話し切っておしまいで、質疑応答がでなければ勝ったみたいな、力づくの一方通行でした。今、考えると赤面ものです。

その若さで人情話なぞ語れないので、質を情報量でカバーしていたというのは、言い訳です。

話ができないのは、少しずつ直るけど、話ができたつもりになっているのは、たちが悪いということです。自分のことですが。

 

そして、私の専門とする声について、なぜか話をしているときの私は、声そのものには思いあたらなかったのです。私自身、トレーニングしたつもりの声があって、それは一般の人に使うのとは別もののつもりでした。そのつもりが、一つのおごりになっていたに違いありません。

ですから、声に自信がない、うまく人に言いたいことを伝えられないと思う人は、逆に大いに自信をもってよいといえます。

なぜなら、もしあなたがそうであり、そう思っているなら、そういうあなたは極めてノーマルな、私よりずっと感覚の鋭い、まともな人だからです。

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