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「身体のレスポンスと声の判断~声の過去から未来へ」

○身体のレスポンス

 

 レスポンスのパフォーマンス、演出の文化が、欧米やアラブには根強くあります。握手やハグはその一つです。それに対し、他人にあまり触れないのが日本の社会です。そのため、身体の感覚は、より早く失われつつあるのかもしれません。

 身体を使って他人と触れ合う、もみ合う、ぶつかり合うような遊びがなくなってしまったことも大きいでしょう。スポーツなどには、そういうのが残っているので、その体験の有無で、差がとても大きくなっています。

 大きさや強さへの挑戦として、たくさん食べることも、しゃべることも、走ることも、歩くことも、若いときや幼いときに無理をした体験が、鍛錬となり、器の大きさになるようです。

 

○頭より身体

 

 正念場で踏ん張った経験が、人生では、ものを言うのです。

 それには、経験したことを自分で咀嚼すること、それは腹に落とすことです。

 癒しやきずな全盛の世の中で、挑戦する目標がみあたらないから、それを求めている人が増えました。しかし、頭で考えている分には何も変わらないのです。

 ネット社会では他人の評判やランキングに左右されがちです。ただでさえ、日本人は他人をみて、それに合わせる国民性だったので、なおさらです。

 

○踏み込み

 

 すぐに「疲れた」と言う、つまずいてよく転ぶ、じっとしていられない、腰痛、腹痛、頭痛、平熱が低い、咀嚼力が弱い。

 私たちの小さい頃も、年配の人に、最近の子は朝礼で倒れる、貧血しがち、ぞうきんが絞れず、鉛筆が削れず、懸垂も大してできないと言われました。その傾向が強まり、今や、老人以下の身体能力の子供も多いのです。

 戸塚ヨットスクールの教育の思想にも通じるスパルタ教育には、一理あります。船の揺れる感覚は、平衡感覚をつけるのによいし、姿勢をつくります。しかも落ちると死ぬという水への恐怖感が緊張を高めます。閉ざされた逃げ場のない船に開かれているのは海だけです。海の匂いが五感を刺激します。そこに心身を解放できるかが問われるのです。

 過保護の子供が自ら落ち着きがなくなったりするとしたら、それを鎮めようとせず、逆に与えたらよいわけです。刺激を求めているからです。アドバイスするには、読み込みだけでなく踏み込むこと、そういうつまずきを理解して、身体へのアプローチが必要なのです。

 

○先と今

 

 声楽の基礎は、人間の共通の体から、その呼吸、発声、共鳴を構築していきます。ゴールは、オペラ歌手ですが、一般の人は、その手前で、心身の強化までで充分でしょう。

 一方、プロデューサーや演出家は、「今、ここで」の価値を最大限に出させる人のことです。それは歌手や役者単位としてでなく、総合的に他の人や装置の力も使い、出させます。

 先のことより「今、ここで」なのです。

 私は、その間に入り、「いつか、どこかで」を、舞台でないところにセットしつつ、そのプロセスでの可能性、限界をみています。声楽家とプロデューサーの要素をもちつつも、その2つに囚われないことが大切です。

 

○総合化と整理★

 

 いろんな人にいろんな教えを得ても整理できないとき、たとえば、複数のトレーナーの指導やいろんな人に言われたことで迷うときに、それを整理するのが、今の私のもう一つの主たる役割です。それはトレーナーのプロデュースであり、トレーナーと受講生との関係づくりともいえます。これをトレーナーやノウハウから考えるのではありません。指導を受ける本人をみて深く考えます。

 何をみるのかというと、

1. 感覚の未発達、歪み

2. 感覚の総合、整理

トレーナーのなかで行われているこれらのことを、トレーナーすべてをみて組織化して総合していきます。次に、レッスンを受けている人たちすべてをみてきた無意識化のビックデータから本人をみて、与え方を整理していきます。そのことによって、さらに、レッスンの効果が出るわけです。具体的に、次の3つを定めていくのです。

1. 考え方

2. 優先順位

3. スケジュール

 

○感覚と身体

 

 目的や状況に対応力をつけるため、感覚と身体能力の活性化は欠かせません。歌唱、せりふの前に、基礎となる発声があります。そして、その発声の前に呼吸や感覚という基礎があるのです。基礎を身につけるためには、そこに早めに着手するのがよいでしょう。

 

 声のトレーニングは、くり返して感覚を増幅していくことです。

 読み聞かせも、声の質感、響きを通して触れあっていくのです。それは、他の人と一緒に寝るのに似ています。身体を緩めて響くようにしていくのです。

 整体、マッサージ、足裏マッサージ、ヘッドスパなども、発声にプラスです。私は発声でマッサージをするのを理想的に思っています。

 

○子供の身体能力づくり

 

 かつては、日常のなかに、身体のレスポンスを促す遊びがたくさんありました。

 おんぶ、おしくらまんじゅう、カン蹴り、かくれんぼ、木登り、竹馬、一輪車、スケボーみたいなもの、相撲、腕相撲、草相撲、馬乗り、縄跳び、砂遊び、土いじり、虫取り、魚とり、キャッチボール、ジャングルジム、ブランコ、スイカ割り、ベーゴマ、メンコ、かるた、トランプ、神経衰弱、花札。

 小さいときに、母親の代わりに、赤ん坊をおんぶして子守歌を歌うような経験もなくなっているわけです。少子化、核家族化で兄弟も少なく親族の付き合いもあまりないからです。

 おんぶや自転車の2人乗りも、他人との一体感や重心を得るのには、わかりやすい体験です。触感は、触ると触られている、スキンシップですが、作用反作用=レスポンスが生じるのです。

 

○成長と退化

 

 体の変化、声の変化について、成長期、身長が急に伸びると体がうまく使えません。体重も同じです。それまでの感覚を得ていた入力を是正しなくてはいけないのです。

 思春期に身体を使わず食べる量も減らしてしまうなら、調整が追いつかず、能力が落ちてしまう人もいます。

1.自分の体型の変化

2.従来の日本人の体型との比較と脱却

 

○質感と感じ

 

 声の質感について、見ても聞いても嗅いでも、五感は必ず何らかの質感を促します。もっとも豊かなのはしぜんです。日本のように複雑に多様性に富んでいることは、感覚を磨くには、とてもよいのです。

 感じを人は求めているからです。その感じ方がことば、語彙などを生み出します。そこが文化に連なるのです。

 ですから、才能というのなら、そういう感覚がよい人でなくてはなりません。でも、長い眼でみると、むしろ、最初は悪くてもそこに気づいて、努めて磨いてきた人の方が追い越してしまうことも少なくありません。

 そこを評価する社会、観客がないと、若いときに知名度を得た人のタレント活動に勝てません。それが今の日本でしょう。

 日本には観客ばかりで聴客がいないのです。みる方、みせ方、みられ方にばかり問われることが集まるのです。

 

○聞く力

 

 長く球技をやると、音は視野の不足を補います。たとえば野球の守りでも、全体の視野で選手を見つつ、打つ音で瞬時に打球の行くところを判断し、捕れるところに素早く移動します。

 みるときには同時に聞いています。みる力はわかりやすいのです。が、聞いている力はわかりにくいものです。スポーツの選手などでは、聞く力、これは、人の話でなく、スポーツという競技のなかで発される音です。

 それを聞いて、正しく判断し、行動する力があるとすぐれます。音の情報は、経験とともに大きく効いてきます。あるときまでは大して使えない、だから、あとで飛躍的に伸びます。

 

○使い切る

 

 回し読みでは、前の人の言ったあとに入るのでなく、言い切る直前に入らないと、続かずに切れてしまいます。

 トレーナーは、生徒と呼吸を一緒にすることで、呼吸を移していきます。☆

 身体を動かしてコミュニケーションをとろうとする人に、理論やノウハウは敵わないわけです。自分の手で卵を握って割ってみて、ようやく握力というものの存在がわかるということです。

 

 基礎をマックスでやるのは、そのためです。応用でマックスを出しては怪我をしかねません。練習で最大限の力を出すとか、長く続けるとか、乾燥したところで行うとか、限界を知っておきます。マックスと共に悪条件下でどうなるかを知っておくのです。

 

 やり切ることで、限界まで出し切ることで、ようやく先に行けるのです。

 身体は、使わないと弱くなり、使うと大きくなるのです。使い切るのが怖くならないためには使い切ることを経験しておくことです。

 

○ゲームからリアルに

 テレビは一方的なのに対して、ネットは双方的です。

それで、はまりやすいのです。そこに足元をすくわれるのです。よくも悪くも、親や先生、友だち、恋人よりも何でも応えてくれる、すぐに反応してくれるからです。

 ただし、それは身体に、でなく、指先に対して、それも触覚でなく視覚ということですが。

 テレビゲームが引きこもりの要因となるのは、外でエネルギーを放出しなくなるからです。ゲームのなかがリアルになり、生活の場になるのでしょう。

 そこを抜けられたら、見るより体験する、つまり、場が求められてくるのです。イメージしてデザインプランニングしていく。

 できるならメールでなく肉声で伝えましょう。

 火、花火、祭りの火、燈り、ろうそく、などリアルなものに対して、自分の感覚について記述してみましょう。

 「太鼓の達人」などの、ゲームから和太鼓など、リアルの体験へいくなら、とても望ましいことです。

 

○すぐに判断、選択しない☆

 

 よし悪しの判断をすぐにしないことです。

 よい声、悪い声があるわけでないのは、よい顔やよい色がないのと同じです。

 よい味、よい匂いがあるのは、その逆に、身体によくない危険なものがあり、それを取り込まないための身を守る本能です。

 嫌な音はあります。つまり危険とか、かつて危険だった音です。

 似ている声は、よいとはいえません。

 怒り、驚き、泣き声など、強い声、強い息は緊張をもたらします。反対に、息が弱く不健康な声、暗い声は生命の危機を表します。

 

○呼吸の深さのチェック☆

 

 ワクワク、イキイキするときは、呼吸は深まっています。

 相手の呼吸を読むことで、武道家は命運を分けてきたわけです。

 息をつかみやすくするメニュはいろいろとあります。

1. 手のひらにあてる

2. 長く伸ばす

3. 強く吐き切る

 片方の鼻穴をふさいで、もう一方の鼻からだけ出します。

 洗面器に顔をつけて数えます。

 息こらえはプールや風呂など、水の中ならできます。こらえられないで水中で吐くと、ぶくぶくと泡で出ます。

 持続できることをトレーニングでがんばりましょう。楽に長く使えるようになることです。姿勢も呼吸も発声も、技術、技なのです。

 年齢とともにおいしくなるもの、深くなるものは、年寄りに学ぶ方がよいでしょう。コーヒーやお酒でも、そういう人といると味の違いが細かくわかっていくのです。

 

○日本語の浅さ☆☆

 

 五木寛之氏は、「日本語は、口先で歌う方が歌詞が明瞭にわかる気がする」と言っています。確かにそうです。それは、素人やトレーニングの途上で声が定まっていない人のことです。

 しかし、プロの深い発声での発音が日常感覚で違和感になるのはわかります。明瞭な発音のアナウンサーほど日常会話に聞こえないのと似ています。

 ソーラン節は、日本では、もっともポピュラーな歌の一つですが、まだまだ新しく、昭和19年あたりに出てきたものです。しかし、ニシン漁は明治がピークだったそうです。

 

○オープンとクローズ

 

 手軽に持ち歩けるギターの普及は、音楽を一般の人に解放しました。しかし、ヘッドホンは、逆に、音楽を聞く人の耳に封じ込めたといえるかもしれません。20世紀、誰でも音楽のある生活がおくれるようになっても、日本では、音楽とともにある生活は、定着していないように思います。

 ウォークマンの登場で、私たちは音楽を自由に持ち歩けるようになりました、それは、他人に聞かせない、他の人とともに聞かない、閉じた音楽として流行しました。早期に二人で聞くための出力が2つのものもあったのは、シェアしてこそ音楽だという認識があったということです。

 歌い手が、生で歌っていてスピーカで流していた盆踊りも、今や、カセットレコーダー、CDiPodなどで代用されています。

 

○なぜ、その音なのか

 

 日本人は、畳の生活で埃がたたないように、すり足でした。水田の泥もはねないようにして歩き方をつくっていったのです。

宴会社交の唄芸、和歌、連歌、茶の湯が栄えました。

遊郭での不謹慎、闇の間、そして、喉声だったのです。

日本では「舞台に出て、楽屋に帰る」と言うそうです。

寮歌、軍歌、バンカラなどは怒鳴るように歌います。

三波春夫さんは、シベリア体験を経て、歌の研究に打ち込んだということを、ふと思い出しました。

 

○メタボ化                        

 

 人は動物ですから、動くことが大切です。動くことで健康を維持しているのです。

 1980年、当時、ドラマで、池中玄太は80キロ(30代では62キロくらい)で、デブの代表扱いでした。それに比べ、今のメタボは、やはり太りすぎといえるのです。

 高度成長期の頃より食べていないのは、確かですから、太るのは運動不足からきています。

 コアトレーニングのコアとは、体幹と肩甲骨、股関節のことです。

 血圧の高さを気にするのでなく、上下の差を50mmhg内に保ちましょう。

 

○コミュニケーションの基礎

 

 円滑な人間関係で避けるべきことば、言い替えた方がよいことばがあります。

1. 「知っている、あれね」「わかっている」→「そうなのですか」「さすが」

2. 「要するに」などと、教える、正す、こだわるのは、やめましょう。

親しくなりたいなら、その相手と比較、競争をしないことです。こちらが負けておくことです。差別化は不要なのです。違いより同じことが大切だからです。

3. スルー、切る、話題転換などのことば、「ところで」「さて」などは、気をつけて使いましょう。

4. 否定、拒絶のことば、「でも」「しかし」は、相手に敬意を払っていないようにとられかねません。

5. 弁解、自己弁護のことば、「だって」は、被害者になって加害者のように責めることになりえます。

6. 何事も陳腐化、一般化(よくあること)にしないようにしましょう。

7. 悲観的なことば、「どうせ」、脅し、非難のことばは避けましょう。

8. 疑い、不信のことば、「はあ」「そう?」「ええ」「まあ」「別に」も避けましょう。

 

○人というのは

 

認められ、褒められ、聞いてもらいたい。

共感され、特別視され、もっと理解され、大事にされたい。

 人は、そういうものです。ですから、

聞いて、共感し、勇気づける、いたわることです。

逆に、勝ち負けにこだわったり、自分を守ることばかり考えたりしては、よくありません。脅すこと、上下にこだわったり、無関心、無視すること。

自慢話、自己主張、自己正当化など、自分のことだけ語ったり、自分を全く語らなかったりするのも、よくありません。さらに、避けた方がよいことは、

評価、解説、忠告、同意の強制

専門語の多用

言い訳、メンツ、保身のことば

言うべきことを言わない、挨拶しない、社交辞令ばかり

決めつける、見切る、切り捨てる

「がんばれ」「リラックスして」もケースによります。

別の人の話、他人ばかり褒めるとかで、厚意が伝わらないと孤立化します。

嘲笑、群れるのは、タブーです。

また、頼んで断られたくないとか、遠慮ばかりしていては、嫌われかねません。

受け取る意味は人によって違うものです。「私(自論)は正しい(正義)、だから受け入れよ」とは、ならないのです。

 

○善の根拠

 

 なぜ、人はよいことをすると褒められるのかというと、それが、しがたいことだからです。で、悪いことをしないように禁じられるのは、人は悪いことをしたがるからです。つまり、人は悪になりがちなのを、強いてよい方へ向けさせているわけです。それを強いているのは、自分以外の存在です。

 自分以外の人の言うことを聞けばよいのではなく、自分と自分以外のものがあるということを知り、認めることです。そこで、自分を、初めて意識するのです。ゆえに、自分は存在するのです。

 他人がいなければ、自分はないのです。親がいるから子であり、会社の人と働くから会社員です。自分の証明書は、他人が発行するのです。

 自分が自分を何と思おうと、他人が自分を思うように自分はあります。他人がそう思わなければそうありえないのです。自分が誰かも何者かも、決めるのは周りなのです。自分の価値は、他から与えられているのです。

 自分を受け入れるのに、他人が肯定する、他人が育て、雇い、評価をする。あなたに価値を与え、ようやくあなたが存在する。そこで認められ愛されるということなのです。 

 他に認められている自分を受け入れないことこそが、悪となります。

 

 所有するということは、人が欲するものをもつことです。今すぐ自分が使わないものなら、誰がもつのか、誰もがもってもよいと考えることです。それなら、シェアすればよいのです。

 ことばにすることで、すでに何かが誰かに伝わっているのです。

 そのとき、相手の自己の成立に配慮し合うことが大切です。

 

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