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2017年10月

「自己鍛錬と場」

〇一体化する

 

一つとして見る、一本としてみる、頭のてっぺんから足の先まで突き抜けているところでみると、世界観、身体観が変わるものです。それは、空間的なのですが、時間としての連続性もあります。何かが始まり、終わるのです。

 

○先を観る力、創る力☆

 

音楽は、聞く前にすでに始まっています。聴いた後に終わっているのでなく、また始まるのです。つまり、1コーラス、2コーラスとあって、2番から3番で曲は終わっても、歌詞は終わっていても、3456、…と続くのです。

音楽のもつリピート効果について、度々指摘してきました。元よりリズムなのですから、音楽の始まる前も、私たちの鼓動は、リズムを刻み、終わった後も刻み続けているのです。

 先を予測する能力、これは直観力の中の一つですが、音楽のなかでは、本来は創る側に促されて、聞く側が順化させられるものです。

いかにこれまで、そうでない作品、つまり聞く側として、トレーナーとして、私は、こちらが先に行って待っていなくてはいけない作品を聞いてきたのでしょうか。それは、作品、作られた品として駄作です。でも、そこで、それを一瞬でも永遠に引き延ばす作品にする可能性をみるのが、トレーナーの役割です。

もしそれが作品として成立しているなら、私は、純粋に客として、その対価を支払い、トレーナーを抜けられるのです。そこを目標にしていたら、基準は揺らぎません。

 

〇変じるために、対応、察知、感応力、共感力

 

先見力は、リスクマネジメントからくることが多いことを、昔、教わりました。生命の危機のとき、火事場のバカ力よろしく、最大に発揮されるのです。

その場を与えるのがレッスンであったと思うのです。裸の肌感覚です。

こうしたリズムと鼓動の関係は、そっくり、呼吸の問題と通じるのです。

一心同体、自分と同体になることも難しいものです。同体であるのに、意識できません。怪我をするとそこを意識することで、体がわかりますが、離れているから把握できるのです。それは、異質なものとして現れ、治ると消滅するのです。

 

反対のもの、嫌い、苦手をぶつける

多様性をキープする

運動性、柔軟性を高めておく

緊張せずリラックス状態にする

固定せず、流動化、気体化する

音楽は動いています。止まったら終わりです。

 

○集団を個とする

 

ときに、一人で完結するより、二人でやりとりする方が可能性が高まることがあります。

スポーツには、記録を目指すのと、勝負とがあります。ボーリングは一人でハイスコアを目指せますが、やはり対戦形式をとります。他の球技のほとんどは、相手との対決です。攻めては守らなければなりません。

敵をライバルとして認めることで、お互いに成長するのは、確かです。戦いがスポーツに変わった理由かもしれません。相手を殺したら、その先、自分も成長できません。

 一人で演ずるよりも、何人かで演ずる方がパフォーマンスとして伝わりやすい、これを私はディズニーランドのショーのようなものとして批判してきました。日本人の、数を頼み、個としての実力をつけないものの象徴として、です。ゴスペル合唱などについてもです。

しかし、使いようによっては、その方が実力は向上するのです。ただし、個としての実力をつける努力を、それぞれが怠らなければ、です。そこがなくなるのが、個としての、自立心としての弱さです。

 日本では、名選手がその組織の理事長になる。マネジメントの専門家を使いません。それもまた、私は批判してきました。が、一理あるのです。戦いに強い人は、人心を読む力もある、といえます。

 

〇自由と型☆☆☆

 

 未来の取り込み方は、予測しておくのですが、それだけでは、その通りに得られないので、状況に応じて変化させていくことが必要です。レッスンもトレーニングも、未来を取り込むものでありつつ、現時点での最大のパフォーマンスを求めます。

開かれていない心身では手間どります。そこで、そのままトレーナーの価値観、トレーナーの方針やメニュでやってしまいがちなのですが、本当は、そこで待たなくてはなりません。しかし、待つことの重要性が、そういう人に限ってわからないのです。そして、自分だけの考えで、トレーナーやメニュを選択する、というよりも選り好みします。

プロのスタイリストの前で自分の考えだけで服を選ぶというのなら、単に販売員がいればよいのです。そのようなもったいないことをしていることに、どう気づかせたらよいのかと思うのです。

 

○序破急

 

これは、雅楽や舞楽からのことばですが、芸道論でよく使われます。世阿弥で有名です。能、浄瑠璃、歌舞伎では、序でゆっくり、破で拍子、急で加速します。

序が徐行の徐でないのは、ピークにもっていく前の準備としての意味合いでしょうか。となると、ゆっくりでなく抑えてというようなこと、あるいは、前触れ、伏線、イントロと訳するのがよいのかもしれません。次にくるものを予感させるという段階です。水戸のご隠居が印籠を出すまで、という感じですね。歌では、Aメロです。bその後B、メロ、サビとなります。

 

〇セッティングと終わり

 

 何事も準備することは大切です。今日の状態をみて、もっともよい状態にもっていき、切り上げることがベストです。明後日以降のことも考えて、もっともよい状態で終わらせることが重要です。今日もっともよいのでなく、将来に、もっともよいということです。

そこまでわからないうちは、明日、よりよい状態に入れるように、早くよく、よりは、よりよい、に重点をおくのです。

 

〇これくらいとこれ以上

 

 これくらいのことを、これ以上に行っている人の技、顔、体、ことば、なんでもよいのですが、それは人を惹きつけ元気を与えるのです。ジャンル分野を超えると、まさに神っている人たちのことです。

 

〇ピュアと耐性

 

 スピリチュアルに接していくと、心身の異変が次々と起きるものです。

私の知人には、そこに行くと治ると言いつつ、10年も20年もそこへ通っている人がいます。治るがまた悪くなる、新しく悪いところができる、そして治しにいく、それがずっと、次々と続くので、私には、ちっとも治っていないようにみえます。その人にとって、マイナスを解消することがプラスになっていると思うしかありません。

シンクロナイズされた共生空間は、心地よいと思うし、嫌いではないのです。が、私自身は、安住できないのです。マイナスが解消してもゼロ、そこはスタートですから、プラスにしていくことが必要だと思うのです。

 

〇鏡でのチェック

 

 自分の全身は、鏡かカメラからのモニタリングでしかみられません。ミラーニューロンでのまねが学びになることで様々なことを学んでいくのは、確かです。

多くの人は、憧れのアーティストに同化し切って、そのコピーをすることから歌を始めます。習字でも同じで、最初はスキャン、そこで問われるのはトレース能力です。

 トレーナーは、歌い手がどう歌うかをスキャンします。プロデューサーは、観客がどう聞くのかをスキャンします。ここが欠けているトレーナーも少なくありません。

好きなものしか聞かないなら比較ができない。下手なものしか聞かないなら、その先を読めない。下手がよくなっていくプロセスを聞くことが、もっとも重要です。

多くは、うまいだけを聞いているトレーナーと、下手だけを聞いているトレーナーだからです。

 

〇学べない理由

 

 他の人や親などから強いられたものには、反発できるものです。しかし、「自分自身が選んだ」と信じているものからは、なかなか抜けられないものです。ですから、人との出会いというのが大切なのです。

 誰にでも、同一のメニュを使うトレーナーは、相手の個性に合わせる能力がないとみられる時代になりました。 しかし、同一のメニュの繰り返しをすることは、大切です。一律に当てはめてこそ、厳しい基準をもって比較できるのです。データがたまり見識が深くなるからです。 受け止める方も、同じことを繰り返すことで深まるのです。ところが、最近は、同じことのくり返しだから他のトレーナーに変えたいという人が出てきました。よくよく考えてみることでしょう。

一方、人によって違うメニュを与えるトレーナーは、その段階を長年、多数の人と踏んだ人以外は、ただの気まぐれになりがちです。受ける人も、本人の思い通りにやるというのなら一人でやればよいのです。一人でやれないから、トレーナーがいてくれたらやるというのは、程度の低い家庭教師です。一人でやれないことを、トレーナーに求めるのでは、トレーナーは、机につかせるための役割です。一人でやれることは一人でやっていなくてはいけないのです。

 

〇目的を高める目的

 

自分がこうしたい、目的は何かというのは、私は必ず聞きます。しかし、それにそのまま答えるのがよいのかは、また別問題です。

ビジネスライクにみたら、丁寧にお客さんの要望に答えるのがよいのでしょう。でも、芸としてなら師匠は、答えないでしょう。

トレーナーと生徒というのが、クローズの関係にならないように、他のトレーナーや私が関与するのは、第三の眼としてです。その二者で同一化を俯瞰するためです。

二者間でうまくいくのはよいのですが、うまくいきすぎて二者間でクローズするくらいなら破たんした方がよいと思います。それは序でとどまるからです。しかし、多くの人はそれを望むので、その先を開示すべきかは別問題です。

私は、この点では、選べるところの力までつけることを第一目的としています。技量でいうと、自分が歌いたいように歌うよりも、有名な劇団のオーディションに通る、選ばれる力をつけておく、それが基礎というものです。

 

○答えから問う★

 

何を聞けばよいのかわからない、最初はそうならないために、そして、その後はそうなるために、膨大なQ&A集とストックして、できる限りの質問に答えているのです。とはいえ、その答え自体には大した意味がないのです。

 「聞いたことに答えていない」と言う人が、たまにいます。聞かれたことの大半には、すでに私はどこかで何回も答えています。それは今の時代、調べたら簡単にみつかるのです。

それより大切なことを答えています。なぜ聞いたことにそういう答えが返ってきたのかを考えて欲しいのです。 答えよりも問い、ステップアップした問いを返しているのですから、そこを考えて欲しいのです。

 

○深めるということ

 

 何かを求めるのは、それがその人のアイディンティティであり、不安です。何を求めているか不安だから練習するのですから、それを動機として使えばよいのです。 すると不安は、そのときに途切れます。うまく途切れさせなくては、心身を傷めるか、鈍感になってしまいます。

同じことを繰り返すと、変化に気づくことができます。そして、早くそれに対処できます。儀式、ローテーションというものです。

 わからないからやらない、みえないから存在しないとみなすのは、よくありません。わからないからこそ、やるのです。みえないから、感じられるようになるのです。

 

○教えるということ

 

教えるというのは、教えられたことから一歩、それをさらに教えることです。その間に立つことになります。

トレーナーが教え、生徒が教わる、というのはわかりやすい関係です。その生徒に教えられることがあるというのは、できたトレーナーです。

しかし、トレーナーが生徒に教わるのは、教えなくてはいけないことを教わってくるように教わるべきです。

トレーナーも生徒として、どこかから教わるわけです。そのうち、自分が教わっていないことも工夫して教えるようになるのです。

私も自分の工夫などよりも、すでにある教えを、そのまま伝える必要を感じてきます。つまり、自分が下手に加工しないこと、生徒のためにわかりやすくするほど内容が薄くなることに気づくからです。

 

○シンプル、基本ほど難しい。

 

 「アー」と声を出します。それをどうみるかからです。どう直すかでなく、いろんな出方のあることを捉えることからです。それぞれの声の発声の原理、可能性、今のよいもの(ましなもの)、条件次第でよくなるもの、伸ばすべきもの、伸びる可能性の大きなものを見抜いていくのです。

たとえば、長く伸ばせる、大きくひびかせられる、疲れない、変わらない、これは、声としては発音が明瞭とか、高く出せるとかいうよりもすぐれています。効率がよいのです。

多くのケースで10秒も保てませんから、それを15秒、20秒、保てるだけでも課題となります。シンプルすぎてわかりにくいから、少し複雑なメニュ、スケールやヴォーカリーズは、使ってみるとよいというようなものです。

 

〇理に通う

 

 少しの動きで大きく結果が出るパフォーマンス、そして、レスポンスのよさを目指しましょう。観客も演奏者もハイレベルであってこそ、よいものができます。レッスンも同じです。

レスポンスの悪い相手とは、レスポンスの改善からしなくては、先がないでしょう。レスポンスの回数を多くするのは、精度を高めるためです。最初は急がないことが必要です。少しずつ、質に転換していくことです。

 

Q.どれほどうまいのですか、うまくなれるのですか。★

A.私が言えるのは、私の周りにうまい人、うまくなる人がいるということです。うまいということ、うまくなるということを、大した価値と思っていません。もちろん、周りはどう思ってもよいと思います。

「何曲歌えるのですか」とか、「何曲知っているのですか」と聞いて、答えてもらって、それが多かったらすごいとも、少なかったらだめとも思いません。

人生とどうリンクしているのか、うまくともうまくなくとも、人に頼まれようと頼まれまいと、進んできた道を作っているかどうかだと思うのです。

 

Q.どのくらいの量、時間がいりますか。

A.どこかで集中してすべてを投じてみたらよいと言っています。そういうことができるのは限られた人とも思いますが、そう聞かれるなら、それに没頭した経験から、そう答えるしかないのです。

 

Q.うまくなって、プロのアーティストになりたいと思います。

A.うまくなることとプロのアーティストになることは、必ずしも一つにまとめられません。どれか一つから目指していくとよいと思います。

 

Q.たくさんの人のいるところに行って、磨かれたいです。★

A.それも正しい方法でしょう。私もそうしていましたし、ここも、そういう場にしていました。しかし、そこから人のいないところで、人のやらないことをやってみることにしました。その他大勢というのは、あまり心地よくなかったからです。こうして何もないところから何かを紡ぎ出していく、それが私の考えるレッスンです。

 

Q.周りの世界とのつながりがもてません。

A.つながりがもてないと思っていても、生きているのですから、いろいろとつながっているのです。何かを食べて生きているのですから、そのことだけでもそこに多くの人との関わりがあるのです。海で自分で魚を取って、それで生きているようなら別でしょうけど、それをみようとしていないだけでしょう。つながっていないようにみえる世界でつながりをみるのか、別のつながりをつけていくのか、自らが動かないと、わかりません。動かないと、つながりでがんじがらめにされてしまうのではないでしょうか。

 

Q.集まりがつまらなくて、面倒で嫌です。

A.集まりは、祭であり、他の人とともに生きることで生命を活性化させる手段です。どこに座し、誰と語り、一時を過ごすかは成り行きです。それゆえ、即興的なレスポンス能力という生きるために必要な力が磨かれていくと思うのです。人としての修行です。

 

Q.かつて、アーティストは、TV出演を拒んでいた、と聞きました。

A.その後、テレビで歌が全盛となって、そこから50年もたたないうちにTVでは、歌はあまり流されなくなりました。

歌はもっと鋭く、強く、恐ろしいものです。そうであったのに、あまりに当たり前になってしまったと思うのです。歌うものにも、聞くものにも畏れがなくなったのです。新しい世界、より新しいものをみせてくれていたものだったのに、です。

 

Q.グレードをつけて欲しいです。★

A.昔、グレードを、まさにグレードという名で、私はつけていました。それをセットしたときに、本当は、自分について、ゼロにしたかったのですが、初心者も少なかったので、真ん中くらいの格付にせざるをえなかったのです。

日本では、格付けは年功序列になりがちです。年齢とか続けている年月でグレードが左右されることが多いので気をつけていました。結局、学習意欲向上のツールと堕してしまったので中止としました。

点数の付くような歌は歌でない、演技も同じです。そんな小さなスケールを与えては伸びるものも伸びなくなってくるからです。

 

Q.よくわからないからと、何もしなくてよいですか。

A.そうは思いません。わかっているものは誰かが説明してくれるのですから、せめて、わからないものくらいは自分でアプローチしようと思ってほしいのです。

 

Q.欠点をなくしたいのですが。

A.なくしてしまうのも一手ですが、なくなると取り返しのつかない気がします。それが、あって欲しいと思う、そこが存在理由でもよいと思うのです。

 

Q.声のトレーナーとは、何に役立つ人ですか。

A.歌と同じく、声にも声の道という筋があります。それを自分勝手に扱ってもうまくいかないので、一度無心になって、声そのものの動きを知ってみるとよいです。そのためにトレーナーがいるのです。

 

Q.トレーナーが率先して判断を与えてほしいです。

A.他人が、ああだ、こうだと言うのは、声によくないでしょう。わかるようにわかっていくから、本人が声を妨げないように、またトレーナーにも、そう願っているのです。

 

Q.発声法で間違って声を壊す人はいませんか。

A.発声というのが法となり、声そのものとかけ離れてしまうことがよくあり、よくみます。そんなに簡単に呼吸や発声を扱ってよいのかというのが気になって仕方がありません。しかし、身につけたいとなるとノウハウ、マニュアル化され言語化される、このように言語でのやりとりとなり、すなわち、法となるのです。実体が伴わない、伴うまでやらないからなので、それを間違いなどと言うのもよくありません。

 

Q.機能性発声障害は、ヴォイトレで直すのですか。

A.機能性発声障害では、正常な機能を回復させることが必要です。そこばかりみると医療となり、トレーニングとは目的を異にします。リハビリは回復することですが、トレーニングは、その基礎から力をつけることで機能を向上させます。

 

Q.ヴォイストレーニングは、声を直すのですか。

A.トレーニングは、普通以上の向上を目指します。向上に、メモリはありません。いわば、できたとかできないなど言えるものは、浅いからであって、本当は、その深さを問うのです。

 

Q.心身は緻密に組み立てられ、それに合わせて動きを学んできているのではないでしょうか。

A.はい、ゼロから始めるよりも、半分、または9割は合っています。あとを詰めていくと考えることがあってもよいと思うのです。そして、あるときは全て合っていないと思うこともあってよいでしょう。

演技と歌は、特にそういうものでしょう。日常にあるのですから。すでにあるもの、そして学んだものを、結果からよりよくくみ上げて引き出してみると、よいものが出てくると思うのです。

 

Q.よいものが出てこないときは、すでにあるものや学んだものが劣っているのですか。

A.多くは足りないのですから、入れていくことです。すると自動的に調整されていくのでしょう。そのときに、入れ方にいろんな工夫があります。大量にいろんなものを一気に入れるとよいケース、それでは入っているものと同じものしか選ばれないので、わざと、相反するものを入れるケース、入っているものと入っていないもの、好きなものと嫌いなものをワンセット入れるとよいケース、など。真逆なものを共存させようとするほど、大きな能力となるのではないでしょうか。

 

Q.出口を見て学ぶとは、どういうことですか。

A.ある程度、発声をこなしたらステージで試すというのは、そういうことです。そこに飛躍があればこそ、超えられるのです。延長でなく飛躍したところに本当の着地点があると思うのです。☆

 

Q.トレーニングは、どう役立ちましたが。

A.目的への手段として、地道に学ぶことが役立ちます。誰もが目指すこと、それをはっきりと決めつけがちですが、もっと重要なことがあります。起死回生、土壇場での判断を結果として最良の選択をできる力を養うということです。

たとえ、目指した職につけずとも、人生を歌い演じて生き延びる力をつけることです。勉強やスポーツなども、本来はそういうもののためにあったのでしょう

 

Q.人生のテーマとは、何でしょうか。★

A.夢や好きなこととは、興味、関心をもったことです。それもずっと持ち続けられていることなら、それが人生のテーマでしょう。私は、歌手とか役者とかでなく、声に興味を持っていたことに人生半ばになって気づいたのです。いちいち人前に出ていくようなことを、さして楽しいと思わず、週1回ならよいが、毎日、人とまみえるのはいやだ、というなら歌手や役者に向いていないのです。

 

Q.天職とは、何でしょうか。

A.多くの専門家に会ってきましたが、その人が、なぜそれを専門として人生を賭けるようになったかというのは、興味深いことでした。最初は食うために仕方なくであっても、人は、全く興味のもてないことは選びません。  まして、食えないのに続けているのなら、しかるべき理由、いや魅力があるのでしょう。

 

Q.本質的なことに、いつ気づいたのですか。★

A.人が集まらなくなりつつあったときに、私は、これは、深いことをやっている、つまり、すぐに成果や力になることをやっていないと思ったものです。

その深いことを伝えるには、こちらがさらに身を削らなくては、人は集まらないし、続かないと思いました。そこで、対人効果のみえやすい個人レッスン形式で、教え方のうまい先生、やさしい先生にも加わってもらうようにしたのです。

 

Q.知恵とは、何ですか。

A.力がなくてもできる、学んでなくても知っている、それが知恵です。即興的に今、あるもので対応し、対処してしまう能力です。インスピレーションとか、アイディアとかギフトといわれるもの、才能、それも一つかもしれませんが、それによって、それなりのことができていくのです。

 

Q.社会人となるべきですか。

A.人は、他人が思っているように社会的に存在していて、それが社会的な価値です。そこはそこで認めて、よりよく振る舞うことは、社会人としての、大人としての役割だと思うのです。

 

Q.他人の批判は、するべきではないですか。

A.他人の批判をしたところで自分が向上するわけでないし、それで向上が妨げられることの方が多いのですから、やめた方がよいです。

 

Q.いろんな人がいる場が苦手です。

A.自分のことが好きか嫌いかはわからないとして、自分のような人ばかりが周りにいて心地よいとは、多くの人は思わないでしょう。逆に、いろんな人が自分のなかにいると思うのなら、自分を好きか嫌いかで二分することもできなくなるのです。いろんな人がいてよいでしょう。皆、正しく真面目で努力家ばかりなら息詰まるでしょう。その反対も困るでしょう。

 

Q.トレーナーとは、何ですか。

A.自分を適正に評価してくれる人です。それをみつける能力をもつことが必要でしょう。合うトレーナーを求めるもの大切ですが、トレーナーに合わせる能力をもつことです。

 

Q.科学と情報との関係は何ですか。

A.情報は、元より、刺激として入ってくるものを受容する感覚器の得たものです。次にそれを自ら探りにいくように働きかけるセンサー機能を伴います。それで発展させたのが科学のようにも思うのです。

 

Q.なんとなく始めてもよいのですか。

A.なんとなく続き、なんとなく誰よりも長く向上する人もいます。理由がわからなくても、始めて続けているのは、何か理由があります。それがわからなくとも説明しなくとも、続けていればいろいろと得られるものは大きいのではないでしょうか。

 

Q.自分が好きでなくても続けるべきですか。

A.好きであって周りが向いてくれないとか反対するとか、そういうものほど、その人にとって、大きな力を与えてくれるものはありません。まして、好きでないものなら、さらに力になります。元より足りていないものゆえに、大きく得られるのです。

 

Q.ヴォイトレでのメリットは、何ですか。

A.本当のメリットは、説明できないほど大きいと思うのです。それに興味を感じていたら続く、やめられなくなるところに、もっともよいことが潜在していると思うのです。

 

Q.気配りできないのは、よくないですか。

A.できないなら、あなたは使い物にはなりません。生きる業に役立っているのでなければ無意味と思うのです。役立てようなどと色気を出してはいけませんが、一心不乱に取り組んでそれで役立たないことはないのです。

 

Q.運がよいとは、どういうことですか。

A.不運なことを除ける力があるということです。他人をまとめ、動かす、共にうまく生きる力を養うことを伴っているのです。

 

Q.想像力とは、なんですか。

A.具体的に細部まで浮き上がらせる力でしょう。

 

Q.直らないと言われて、直らなくなった気がします。

A.口にするとそうなるのですから、イメージというのは恐ろしいのです。直らないもの、いわば、欠点はアイディンティティになるのですから、直らない、を見つめ続けてください。それを個性と言おうが、くせと言おうが、どうでもよいと思うのです。

 

Q.人は、加齢で老化するのですか、成熟するのですか。

A.人には歴史があります。年齢とともに多様化できるのです。そこに立ち返ってみることのできる記憶、出来事、人をもっていることが、長く生きるとよいことと言えるのかもしれません。私んはまだ早すぎる質問です。

 

Q.近頃、言ったことばがあれば教えてください。★

A.私は、先日、講師先の学校の卒業生に、駅から校舎までの道を毎日、歩いて同じ門をくぐったことを忘れないように、何かあれば、その道をまた歩き、門をくぐり、できたら先生とも会う、会えなければ道を歩くだけでもよいと言いました。同じ人々と毎日過ごす日々というのは、これから、それほどあるものではないと思ったからです。

 

Q.わからないものを、わかろうとする努力は必要ですか。

A.わからないから惹きつけられてきたものや、人や国、遺物など、わからないから近づき、旅し、観たり、聴いたり、味わったりしてきました。無理に理解しようと急ぐことは不要です。

 

Q.耳と音について、何か教えてください。☆☆☆

A.聞こえないものを聞く耳をもつことです。

聞き終えたあとに流れ出す音、思い出すたびに聞こえる音、聞いていないのに予め聞こえてくる音、など。

次の音を予期する、それは、前の音と今の音の流れから、先を音で予知して待ちかまえ、当たったら心地よく、外れたら新鮮に聞くものです。

今、生きているなかで、過去と未来を同時に感じているのです。

それは、時間を聞こえるようにした音楽でわかるのです。

ある意味で、超えるのです。それを神と呼んでも、霊性と呼んでもかまいません。

 

Q.トレーナーの見本の見せ方についての注意をしてください。☆☆☆

A.それを感知する能力を磨くことに尽きます。第一に変化に気づくこと、気づかないなら、その変化を大きくしてみせることが、トレーナーの仕事です。まねるのは、必ずよいところを小さくして、悪いところを大きくしてしまうので、そこがよくないとわかるのです。

 

Q.感受性に鋭くなることがよいのですか。

A.この能力は、諸刃の剣です。微細な徴候まで受け止められるほど感受する能力が高まると自らを傷つけてしまうのです。繊細ゆえの神経質、センシティブであるほど、すでに傷を負った心身としてあるのです。それも身体性です。

傷つかないと傷ついた人のことはわからないのです。しかし、一から十は知ることができる、いや、できる人もいるし、努力でそうもなれます。切り替え力が重要です。

Vol.55

○ハイテキストとしての声

 

私が、芸や仕事で声を扱ってきてよかったことは、相手のことだけでなく、自分自身を知らないことに早く気づいたことです。特に自分が相手にどのようにみえているのか、思われているのかということについてです。

「自分のもので自分が使っているのに、一番自分がわからないものは何でしょうか?」

その答えの一つは、「声」です。

声は一生、自分で自分の声をリアルに聞くことができません。自分に聞こえている声は、相手の聞く自分の声ではないのです。

 

ここで、次のように分けて考えてみましょう。

 a.相手のことば

 b.自分のことば

 c.相手のことばの裏のメッセージ(声)

 d.自分のことばの裏のメッセージ(声)

 aを聞き、bで対しているのは、初心者のコミュニケーションのレベルです。

 ビジネスや政治のベテランは、12でジャブを打ち合いながら、34でかけひきします。

 特に日本では、長らく同じ日本語を使う同じ生活習慣の島国の日本村でした。ですから、12でのコミュニケーションの力がなくても、34の以心伝心力に長けていたから通じていたのです。日本の社会では、言う力よりも、察する力が必要でした。

これは、お母さんと子どもとの関係みたいなものですが、こういう特定の人間関係の閉じた社会でのコミュニケーションのとり方は、ハイテキスト化(高度特殊化・暗号化)します。

 

 その極まった例は、京都でしょう。

 A.「ぶぶちゃ、いかがどす?」(お茶づけいかがですか。ですが)

 →本音では、「もう帰りぃな」

 B.「おおきに」

 →「帰るわ」

そして、ぶぶちゃは出ずに、客も「さいなら」、となるのです。

外国人など、他のところから来る人には、ことばの意味はわかっても正反対の行動ですから、わけがわかりません。

ことばで言われたままに居残った人は、「無粋な人」となります。つまり、文化をわからない野暮な人、ということです。

これは、地域での符合のようなものですから、よそ者には通じません。

声の感じでは、本音がわかるときもあるのですが、この場合は符牒、しかも愛想よく言われるのです。

ここまで極端ではありませんが、こういう例はいたるところにあり、今も続いて行なわれているのです。それは生活習慣となっているのです。

 

○ことばの裏を声で読む

 

こういう例は、日本のビジネスの現場でしばしばみられます。交渉の最後に、「まあ考えときますわ」と言われたら「もう考えません」ということです。待っていても返事はこないでしょう。ことばだけでなく、表情や声の感じを合わせて受けとると、誤解はかなり防げます。

だからといって、あきらめるかどうかは別です。誠意をもってあたれば変わる可能性もあるとも考えられます。考えないのを考えさせるようにもっていくのが、仕事だと私は思うからです。

 

まずは、相手のことを知らなくてはなりません。人によってことばの使い方は違います。それ以上に声の使い方は違います。とても強い語調でいわれても、相手にとっては普通のことであったり、逆にさらりと言われたのに、内心怒りふっとうの人もいるからです。

特に外国人には、「No」と言わない日本人、「No」なのにうなずいて聞いていたり、応答の「ハイ」に「Yes」を使ってしまう日本人は、ひんしゅくをかいがちでした。

 本人も知らないうちに、発した声にメッセージが入ってしまうこともあります。笑顔で「また今度」と言えば、向うの人は「ほぼOK」ととるでしょう。

 

○マナーと気分と声

 

 自分が好感をもっている人に楽し気な声で返されて喜んでいても、それは相手が他でよいことがあったからということもあります。逆に、すごく沈んだ声で返答されて、何か悪いことを言ったかと考え込んでいたら、単に相手の機嫌や体調が悪かっただけということもあるでしょう。

 

声のメッセージはあらゆる状況を読み込んでしまうのです。その度合いが、相手によって、あるいは、TPOでも大きく違ってくるので、やっかいなのです。

 

 その人の成長によっても違ってきます。

 A.幼い子どもは、すべてが、声に出る。(100%正直者)

 B.小中学生ともなると、ことばを本音と使い分け始める。(50%正直者)

 C.大人になると、きちんと切り分ける。(それができない人はただのバカ正直者)

 さらに、本人の加工が入ります。それは社会人として求められる振る舞い、マナーというものです。

結局、人間は嘘つき(嘘も方便という意味ですが)にならないと、大人になれないということです。

 しかし大人でも、ポーカーフェイスのように、表情や声に全く感情が出ない人と、それが比較的正直に出る人がいます。感情的な人もいれば、感情と関係なく、表情に明暗が著しく出る人もいます。

 

○相手の声の調子に影響されすぎない

 

誰にでも好感がもてる返事というか、期待をもたせる声を使うホスト、ホステスタイプもいます。

どんなことも悪い返事に聞こえるような声を使う喪中タイプ。

この二タイプには、私もずいぶんと翻弄されてきました。

相手のことがよくわかっていないうちは、声の感じに信用をおきすぎると、「エーッ」っという結果にもなることもあるのです。

 

 こんなタイプもいます。

 メールでは、いつも“悲観っぽい”

のに、電話では、なんだか“普通”

で、会うと、とっても“上機嫌”

 

 その人の社会人としての経験や職場環境によっても大きく違いますね。

 いったいどれが本当なの?と思っても、当人は、いたくノーマルなのです。

 私が行くと不機嫌なのに、若い女性が行くと上機嫌という人もいます(多くはそうですね)。

だからといって、ビジネスの結果が、それによるというわけでもないのです。本当に人間も、ビジネスも、奥が深いものです。

 

あなたも自分の気分、機嫌、体調で、けっこう安易に使う声が変ってはいませんか。

もし思い当たる節があるのなら、そういう人が身近にいるなら、気をつけましょう。他の人のことばや声にあまり左右されないようにすることも大切です。

 

○声は伝染する

 

声で損している、声を出すのが苦手という人の中には、相手の情報を読み込みすぎる人がいます。

それが、仕事などにうまく活かせることもあれば、徒労となることもあります。よくないと思ったら、そこは割り切ればよいのです。つまり、必要以上に相手の情緒(感情を含む声成分)の入力をストップするのです。

「このように聞こえているけど、本心はそういうふうではない」と判断するのです。

相手の状態、状況のよくないとき、その暗い声に影響されると、自分の声も暗くなってしまうものです。すると、仕事まで、前途多難に思われてくるので要注意です。

 

 声は、場であり、雰囲気をつくるのです。

 コンパと同じ、メンツや飯が悪くても、お互いの心意気で盛り上げることもできます。人は、お通夜でも騒げるのです。

 暗い声でボソッとまわりに水をさすような、地雷といわれるような役割をしている人は、すこしがんばって変わるとよいと思います。ずっとサングラスをかけっぱなしのような人生にしたくなければ、発する声や表情に気をつけてください。

「レッスンと世界観」 No.314

 

 欠点の指摘をして、そこを直してあげると、レッスンは一見うまく成り立ち、満足を与えることができます。でも本当の実力はつきません。

 

すぐに実感でき、実践的なレッスンを求める人に、レッスンはそうではないことを伝えなくてはならない、そのことで、すでに最良のレッスンでなくしているのです。

 

私は、「そこを直せ」「直さないとだめ」と言ったことはありません。いつも、その背景と世界観を器として、示そうと試みています。教えたり、与えるのでなく、示すのです。そこで自ら選んだり、選べるようになるために、そして、次に創れるようになるためにトレーニングをするのです。

 

すぐに実感できないこと、すぐに実践できないこと、それが唯一、トレーニングで感覚を磨き、実感できてくると真に実践的な力となりゆく可能性のあるレッスンだと思うのです。☆

 

 

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