「プロとサービス化」 No.319
教育のサービス化は、よくもわるくも、標準化、平均化を推進します。日本のような気風の社会ではすべてが同質になりがちです。
私は教えることを生活の糧としては、あまり考えないように生きてきました。先生が、門人、門下生、弟子、生徒を抱え、そこで生計を立てて頑張ろうとすることは、悪いことではありません。まさにプロの仕事として教えることの責任を伴います。しかし、相手に関わることからそこにいる時間を義務として負ってしまうことにもなります。創造や革新よりも、おのずと人を通して、その場や体制を守ることが第一になってしまいます。(教えるのを生計と生活の場とするシステムが、家元制ともいえます。)
教育はとても売り買いできません。確実に独り立ちさせるところまでと、そう考えるなら持ち出しが多すぎて、続かなくなります。経営破綻で多くの教育事業や文化事業はつぶれています。教育や文化活動は、採算だけで考えては続けられません。改革も必要です。それをAIやITのインフラが助けてくれるなら、素晴しいことだと思います。システムもお金もあくまで補助であって、成したことの評価は後世を待てばよいのです。
年齢をとり経験をつまなくてはわからない意味が、ここにいらっしゃることで少し早くわかるようになればよいと思います。すると、年をとることが楽しくなります。
何をどう成し遂げていきたいのかを学びましょう。
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