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第3号「判断力そのもののアップとサポート体制」

〇ヴォイストレーナーやそのやり方での混乱

 

 ヴォイストレーニングの位置づけは、人によってまったく違います。

それぞれの人の求める目的も違います。ヴォイトレをする人の要求レベル、得たいもの、方向性、それに対して今のレベル、今の声、体や声帯などに、かなりの個人差があります。

 

 さらにヴォイストレーナーも、出身畑、経歴やキャリア、得意分野もそれぞれに違います。方法だけでなく、声の見方、判断の基準、めざす方向も違います。まして歌となると、千差万別です。

誰にでもあてはまる唯一のメニュなどないというのは、一流のアーティストのトレーニングプロセスからも明らかです。現実に、私のところでも一アーティストごとに違うし、それぞれいくつもの方法を持っているのです。

 

〇ヴォイトレの発声のテクニックは捨てる

 

 自分の表現のイメージを描き、体や呼吸を鍛え、音楽を叩き込み、内面から変わるのを待つのです。ヴォイトレのすべてはそのためのきっかけにすぎません。

方法やメニュというなら、私は千も一万ももっています。どれがよいというものではありません。相手を知らずに、これは絶対に誰でも通用するよい方法などといえるものはないのです。

 

 できないことができるようになるためには、そのギャップについて、考え、自分でメニュをつくるとよいでしょう。もっとよいのは、他の一つ上のことをやっているうちに、自然とできてくるのを待つことです。そういうトレーナーを求めましょう。そして自分の心のなかに音楽を宿し熟成させることを見つめることも大切なことです。

 

 入っていないものは出てこないのです。気づかないものに気づく、足らないものは補う、入っていないものは入れる、すぐにできる方がおかしいでしょう。発声のテクニックなどは捨てましょう。

それは大体は無理にやって、できたと基準を甘くしているだけです。

できたのでなく、ごまかしてこなしたのです。解決したのでなく、問題に気づく機会を見逃したのです。だから、トレーナーが必要なのです。

 

〇ステージとヴォイストレーニングとは分ける

 

 トレーニングとステージとは、分けてください。トレーニングは、結果として表現に反映されてくればよいのです。この場合、“表現”というのをどう定義するかです。私は、立場上、音声表現は声の応用形の一つとしています。応用(歌やせりふ)は、何も考えず思い切って行い、基本(トレーニング)でチェックするべきだと考えています。

 

 ステージでは、「ヴォイストレーニング?そんなものはないと思え」、ということです。

トレーニングは、そのときの課題と克服を目的として、ある期間、「意識的に、不自然に、部分的に、強化、調整する」ために行います。歌は、「無意識、全体的に統一され、自然」になるようにします。

私は、歌と声を816小節(半オクターブほど5秒~15秒くらい)で徹底してチェックすることで、そこをフレーズとして、歌とヴォイストレーニングを結びつけています。これをオリジナルフレーズでのデッサン練習といっています。

 

〇声や歌の判断力をつけてから放すこと

 

 トレーニングをすれば、上達するのはあたりまえです。常にどのレベルをめざすのか考えてください。それは必ずしも歌のうまさや声のよさを条件にするとは限らないのです。歌のうまさや声のよさと、世の中に出ていけることとは違います。まして、高い声が出る、声域が広がることは、歌がうまくなることと違いますし、声がよくなることとも違います。

 

 歌というのは、まずは自分がもっているもののとおりにしか出てきません。そこは、あなたが自分で判断するしかないのです。その力をトレーニング(レッスン)でつけるのです。

他人の判断に一方的に依っていくと、あなたの歌ではなくなってしまいます。しかし、自分の判断もあるところからは保留にして天任せにするようにしましょう。何かが降りてこられるように我を消し、器だけにするのです。☆

 

〇正しいのは、間違え以前が多い

 

 日本人は、正しい方法で正しい発声での指導を望みます。この場合、正しいというのは、誰か(プロ)のようにというレベルを目的にしがちです。

現実には、誰もアーティストを正しい発声や正しい歌ということでは評価しません。

トレーナーを利用するなら、正しい判断してもらうのではなく、そこで自分の判断基準を学ぶことです。判断などされてしまうくらいのスケール、テンションでは、世の中を切り拓けないでしょう。

 

〇気づいて変える

 

 今のあなたが、思い通りにいっていないなら、その下にあるものを変えなくてはずっと同じです。でも、変えられる人は、とても少ないのです。その気づきや問いを与えてくれるのが、レッスンです。

「自分自身が選んだ」と思ったときでさえ、多くの人のその決断は定まっていません。むしろ、よりすぐれた師や世の中から、自分自身のめざす世界から見限られていることが大半です。まだ、決めるには早ということです。準備がいるのです。

 

 自分で早々に決めるのは悪いことではありません。自分の器以上に望むことは、想像以上の苦労を強いられるからです。やがて多くの人は、そこまでしてそれを成し遂げようとはしなくなります。

それをノウハウや他人のせいにする人も多いのです。そうしないのなら、まだ何とかなるかもしれません。いつも、そこが大きな人生の分かれ目です。それは、才能、努力でなく、決断です。

自分の判断の力、決断、選択の力をアップするために学ぶようにしているのです。

 

〇お勧めできない

 

 世の中には、正解が一つと思う人が多いのには、閉口させられます。正しいやり方、正しい声、正しい歌、正しい人、そんなものの考え方、見方ほど、アーティックなものと反するものはないのです。

 プロとして、世の中でやっていくのには、世の中に出ていない人、何らやり遂げていない人は、私の経験上では、あまり参考になりません。

一つのやり方のみ、正しいという人、誰にも同じようにやらせる人(レベルによっては可ですが)もあまりお勧めできません。

 そういうトレーナーが多いので、私も地方などをよく紹介を頼まれますが、ヴォイストレーナーに関しては、大いに人材不足です。トレーナーが、自分を見本にさせて、相手の本来出てくる力を下げてしまいかねないのです。

 

〇自己実現のための声

 

 私のところには、お笑い芸人だけでなく、若い映画監督や演出家などがいます。ヴォーカルとして声のまねごとの追求する人よりは、求めるレベルが高いのです。やるべきことがあって、それをやるのに声のコントロール力が必要だということに、気づいたのでしょう。

そういう人には、きっと自分の世界を創るのに、声が大きな武器となることでしょう。

「今の人生は自分の選択、判断の結果、正誤を追うな!問いをつくれ!」ということです。

 

〇ヴォイストレーニングで人生好転へ

 

 私は、その人が音楽や舞台を続けようとやめようと、楽器を習う以上に、声のトレーニングは確実に豊かな人生づくりに役立つことを確信しています。

その人が本当に声を磨き、鍛えてきたというヴォイストレーニングであれば、人生が好転しないはずはありません。

 ところが、ヴォイストレーニング、あるいは声や歌の術中にはまりこんでか、うまく世の中に活かしていない人の多いのが残念でなりません。声もよく、歌もうまいのに、それゆえ、プライドにしばられて不幸なままの人も少なくありません。

 

 声は一生使うものです。仕事でも、生活でも、多くの人にとって、声のない人生は考えられません。(声を失った人でも、声を発します。声を伝えるというのが、ただの音ではなく、意志、心という意味で使われているのが、その証拠です。)

 ですから、ヴォイストレーニングに深く親しみ、何よりもそれを活かし、あなたの人生を豊かで実りあるものにしてください。これが多くの方々の声に助けられ、これまで生きてこられた私の真の願いです。

 

〇トレーナーの相性

 

 一人で指導しているトレーナーやカリスマトレーナーのいわれるままに分担しているトレーナーのところでは、伸びない人は文句など言わずやめていきます。その文句は、次に訪れたトレーナーのところで出るわけです。すると、前のトレーナーはうまく教えてない、とみなされるわけですが、実際はそこで伸びていた人もいるから、トレーナーを続けられているのです。どちらの立場もみられるスタンスが必要なのです。私は、複数トレーナーでの個人レッスンプラス、第三者のチェックという体制にしています。

 

 最初は意見があっても、合わなくなることやらの繰り返しもありましょう。トレーナーとは、とても合ってうまくできたといっても、ただ、くせで固めただけのことも多いのです。だから、学んでいることでの問題点をきちっと見ていかなければいけないのです。

 

 問題は、プロセスと結果を第三者をおいて検証していないことです。私が十数名のトレーナーと共に行っているのは、そのためです。養成所などでは、残った人だけができたとなり、やめてしまった人の理由というのは、当のトレーナー本人にも、わからないわけです。それを解消したかったのです。

 

 一人で指導しているトレーナーやカリスマトレーナーのいわれるままに分担しているトレーナーのところでは、伸びない人は文句など言わずやめていきます。その文句は、次に訪れたトレーナーのところで出るわけです。すると、前のトレーナーはうまく教えてない、とみなされるわけですが、実際はそこで伸びていた人もいるから、トレーナーを続けられているのです。どちらの立場もみられるスタンスが必要なのです。私は、複数トレーナーでの個人レッスンプラス、第三者のチェックという体制にしているわけです。

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