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第6号「理論と実際の現場での違い」

○価値あることの演出と鏡のトレーナー

 

 トレーニングの考え方や方法に対し、科学や医学、身体学などの進歩は、マニュアルの誤りや誤解、誤用を解くヒントを与えてくれます。

私は、当初からプロとやってきましたから、自分のできることが必ずしも相手ができるわけではない、相手のできることが、必ずしも自分ができることではないということを痛感してきました。そのために、相手が価値あることができることが、最重要であるということを基本の考えとしてきました。自分と違う相手、違う目的の相手にどう対するかということです。自分と異なる時代や場に出ていく相手に対して、どう把握するのかを考えるわけです。

 

 多くのトレーナーの、自分にできたことを相手に、いかに早く簡単にできるように伝えるかでは、本人の本当の力を引き出すことはできません。少々うまいといわれるところまでもっていけても、そこまでです。第一線の現場に通用しないし、そういうプロを支えることはできません。

 

私自身はもっとも厳しく声で伝わるものを聞く“鏡としての役割”に徹してきました。自らも客観性を求めるため、専門家と声の分析も行なっています。

 とはいえ、いつになっても、私はデータ(仮に真理だとしても)を、自分の感覚よりも信じることはないでしょう。専門家と共同研究を続けながら、私は自分の耳を、これからも世界中をまわり、音や声でもっともっと鍛え続けていくつもりです。

 なぜなら、現場で私に問われることの目的は、声を正しく出すことでなく、結果的に、声で人々に感動を与えることだからです。それを自分の耳で聞き分け、誰よりも厳密に判断し、アドバイスすることだからです。

 

〇指導者の生む誤り

 

 私は単に呼吸法や発声法でなく、音楽や表現として、どう声を捉え、導くかを主にやっています。この分野は、まだまだ未開で人材も乏しいと思います。

 これまでの科学的な説(仮説を含む)や声楽家やトレーナーの指導書、方法論こそが、多くの誤りを生む原因にもなってきました。これもイメージを介しての指導であれば、端から記述されたことで正誤を判断すればよいというものではありません。

 

 声や歌は個人差(民族、言語や文化の違いも含めた上に)体や声帯の差、日常の言語や歌唱で得たものでの差、目的の違いが大きいからです。

さらに、声の発信体としての研究だけでなく、声の受信体(客の反応)としての研究も必要です。(音楽心理学や大脳生理学、音声知覚など)とはいえ、次のようなことが前提として、あるといえます。

 

1.スポーツのように、目的が一定でなく、個別の設定によるため、真似から正しく入りにくいこと。

2.目に見えない音であるため、耳にすぐれた人でないと、難しいこと。

3.指導上の感覚・イメージ言語の誤解、継承、解釈、使用の誤りが必ず起きること。

4.現場と研究との乖離、日常と芸術、舞台との距離があること。

5.音響や舞台装置など応用技術効果の導入で、表現の到達レベル、基準があいまいになったこと。

6.舞台、ショースタイル、客の趣向で大きく左右されること。

7.本人の生き方・考え方・パーソナリティが優先されること。

8. 才能より好みが優先してしまうこと)が優先されがちである。

 

〇常に表現、ことば遣いの修正の必要性

 

 私は、引用していた図表や理論、他書や他の方に教わった方法・用語を新しいものへと、差し替えてきました。私自身が直感的に述べてきたところは、今のところ、大きく変更する必要にせまられていません。それでも、思いがけなく、誤解を与えかねないところをみつけては、表現上の修正を常に重ねています。

 

 私の根本での考えは、同じですが、伝え方は日々変じています。相手により、時代により、違ってくるのです。

 現場と理論では、現場での効果が優先です。アーティスト相手の仕事である以上そうなります。トレーニングにどう対するかは、ケースによってまったく異なります。同じケースで全く逆の対応をすることもふつうにあります。

 

〇早くうまくなることのリスク

 

 たとえば、一時悪くなるけど、あとで効いてくるものと、一時、効果は出るが、大してあとも変わっていかないものがあります。これに関しては、トレーニングとして、前者をとるべきですが、なかにはそれを一時でみて、間違ったとか、下手になったと見切ってしまう人もいます。また、現場では後者をとらざるをえないことがほとんどです。そのため、いつも二段構えで臨みます。トレーナーが、この区別ができているのかがもっとも重要な点となります。

 

 スポーツのように、コーチに言われたようにやったら新記録とか勝ったというように、結果にすぐには還元されないし、試合もないから明らかな結果というのも難しいのです。結果がよければすべてよしという結果が公の場でなく、個人の感覚や好みで判断されるからです。レベルの低い日本では、長期的な成果は、促成栽培的な効果のまえに否定されがちです。結局、声も歌も、所詮、本人が選び、本人が決めるのです。

しかし、アートですから、教えるのでなく、刺激すること、気づかせること、自分の声の可能性を認識させることが、トレーナー本来の仕事だと思うのです。

 

 本人の要望に答えることと、それ以上の深い真理へいざなうことを、矛盾させないためには、神(この場合、一流のアーティスト)の手を借りるしかありません。

そのことのわかるアーティストとのトレーニングを行なってきた実績をもって、私は確信をもって述べているのです。プロは、投資分を必ず回収する力を持つ人です。力のある人はいわずともわかるのですが、それを一般の人にどう持っていくかは、難問です。本当に効果的な方法は、単独にあるのでなく、トレーナーと一体なのです。

 

〇科学的説明の限界

 

 たとえば、いかに高音が周波数で決まるから、そのように声帯の振動をどうこうでしょうといっても、人間が反応する高音は、音響技術のようにはいきません。

私たちは、現実には次のように声を使っています。表現として強めたいとき、息は強く吐かれ、声も強くなり、高くなり、それが強く伝わる、何よりも受け手は、それに反応してきた現実の生活と歴史、つまりDNAがあるのです。

 

 声の高さは、まだ比較的確かなものですが、そこでさえ、声帯の周波数ほか、いろんな要素で決まり、そのしくみも厳密には解明されているわけではありません。

周波数(音高)とピッチ(これは受け手の感覚値)も違うわけです。

倍音や音色などの要素が入ってくるので、複雑です。

 

 しかし、現実に、聴衆は声の高さや大きさ、長さを聞きたいわけでも、それに感動するわけでもないのです。現実の声の効果を聞きたいのです。

それゆえ、声の問題は、総合的に捉えざるを得ません。これをいくら基本的な理論や知識で理解しても仕方がないのです。つまり、声を高く出すため、などという問いは、歌を形(1オクターブ近く、高く出し、メロディと歌詞で歌うもの)と決めたところからきているのです。「高音コンクール」などがあるなら別ですが、それを目的にすることで、すでに本当の目的を飛ばしているのです。

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