第11号「オリジナルの発掘」
○才能と勘
何ごとも、才能がいります。誰でもなんらかの才能はあり、それを生かせる人生は輝きます。才能をものにするにも認めさせるのにも、それなりの努力も必要です。
しかし、それをとことん試すための試練も与えられずに、楽しくやっているうちに歳月が過ぎ、才能がなかったと本人が諦めていくケースは少なくありません。それをトレーナーが引導してはならないでしょう。
才能は、楽しいレッスンで輝くほど甘くはありません。それは必ずしも、歌の世界だけとは限りません。当人のために、あえて、レッスンを引き受けないという選択もあるべきです。
私は、自らの才能を音楽を聴き、判断し、声にみて導くことに見出せました。歌い手には私よりも才能があり、そういうことが大好きな人に委ねます。私の知人にはプロ歌手として、二番手に売れっ子だったのにやめ、プロデューサーとして大成した人もいます。
プロ歌手として成功するかどうかなどというのが目的なら、1000人のうち999人が挫折します。無理だったとか夢だった、運がなかった、向いてなかったということになります。そんなことでトレーニング期間が費やされているのは、もったいないと思います。その期間の充実が、そこに賭けたエネルギーが、あなたの人生で次に活きるようになっていくのです。もちろん、それはあなたのとりくみ次第です。
歌や声は、それでやれるとか、やれないとかいうものではありません。声は、人生で命を失う日まで使います。もし、ヴォイストレーニングをして、人生が好転しないなら、何の力がついたというのでしょう。私はそういう声の大きな力を、信じています。いくら声の知識、発声がうまくなっても何にもならないとしたら、ヴォイトレのせいでなく、ヴォイトレにとらわれ、使えていないのです。自分を知らずにはうまくいかないということです。
○話す声と歌う声の違い
話す声と歌う声が違うのかという問いは、何で分けるかという基準と定義で変わるだけのことです。歌は音域やリズムを生かすように、話す域よりは高めにとります。
発声は、声がきれいに響けばよいと考えます。すると、歌っていて何を言っているかわからない、歌(響き)に流されてしまうことになるのです。これが合唱団、音楽スクールで発声トレーニングをした人、トレーナーなどに多いのは皮肉なことです。発声トレーニングを習ってきた人ほど、歌い方にトレーニング臭さが出ます。
私は、トレーニングの立場からは、話と歌の声を同じに考えています。自分の声は同じように使っているつもりです。美しい声や共鳴より、パワフルでタフな声をトレーニングの成果とするのは、素質より、鍛錬の力にトレーニングが負うからです。
○体格や外国人とのギャップ
演劇の日本語は、欧米からみて音楽的なものではないために、日本語とまったく違う発声をしなくてはいけないと考えている人もいます。これは、おかしなことです。
歌での外国人との違いの何よりも大きな原因は、日本人の今の音楽が、欧米の言語にベースをおいたものだからです。外国人は、話しているときの声とリズムのまま歌に入っていけるのです。
トレーニングとしては、日本語と違っても、もっとも有利な発声をして、あとは何でもできて、使うときに自由に選べばよい、そうなれば、おのずと応用力のあるものが選ばれてくると思っています。その有利な発声を深いポジションでの外国語(特にイタリア語)に求めるところは、声楽と同じ考え方です。
最近は、体格、骨格や背の高さなども外国人と変わらないようになりました。きちんとした発声を身につけることができれば、同じように声が出せるはずです。ただ、声を引き出すのは、必要性ですから、文化、環境の問題の方が大きいのです。邦楽では、80歳でも朗々とした声を出す人もいます。
○自分の「オリジナルの声」とは
プロの鍛えられた声というのは、すぐにわかるでしょう。かつて、声は歌唱や演技の重要な要素として、喉を鍛えたのです。その結果、プロの声となったのです。
声帯や体というのは、誰一人同じ人はいません。それぞれにめざす声も、声の使い方も上達のプロセスも異なるといえます。そこでは、一つのトレーニング方法が万能というわけにはいかないのです。その人によって、時期によって、目的によって、優先順位によって、すべて変わるのです。
しかし、多くの先達の方法や、私自身の経験、100人100様に対して、対処してきた中から、ある程度、共通したものはあります。
「オリジナルの声」というのは、ヴォイストレーニングに関して、私が使っている意味でいうのなら、その人の体(声)の原理から導き出されたものです。楽器なら、もっとも共鳴する音、何も邪魔しないで共鳴する音、そういうところが働いて鳴っている音をオリジナルといっています。
自分で考えて勝手に作ったような声ではありません。演奏効果として歪(ひず)ませたような独自の音、色、タッチであったとしても、ここでは除外します。自然な声というと、そのままの素の声と思われるので、造語しました。
他に「ベターな声」(今のもっともよい状態の声)、「ベストの声」(将来の鍛えられたプロの声)とも言っています。もちろん、一般的にオリジナリティというのは、音色や演奏方法も含めて言います。
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