第12号「高音域にとらわれないこと」
○声の高さから考えない
最初は、あまり声の高さということを考えない方がよいでしょう。何かを相手に強く訴えたいと思ったら、声は高くも強くもなります。そして本当に説得しようとしたら、低くなるわけです。それは結果として決まってくるのです。そういうことを方法論だけから考えるのは無理があります。
トレーナーに習うと、多くの場合、その方法論からのメニュを一方的に与えられます。自分が本当によい声と思っていなくても、それをやることで制限してしまうのです。そうして、おかしくなった人をたくさんみてきました。
たとえばテノールの発声でロックを歌う人は、いないでしょう。テノールの発声の勉強をする必要があるかどうかも、考えるべきことですが、やってみる分にはよいでしょう。
○高音発声法での誤解
高い音が苦労しないで出る人には、ちょっとしたコツで浅く口先だけで響かせて歌っている人が多いのです。そのため、出ている響きが拡散して、まとまりに欠けます。あるいは、やわらかく抜いて高い音に届かせています。どちらも、体の支え、胸での声のないのが特徴です。実際には、胸部の共鳴はしていなくてもよいのですが、多くのトレーナーの教えているのが、この浅い高音です。
そのメリットは、すぐに高い声にあてられるようになることです。カラオケのようにエコーの中で高音に届けばよい人には、効果的です。
そこからパワーを出すには、どうするかを考えてください。響きをより集約させることと、深い声を探求してみてください。
何でもやってみるのは悪いことではありません。やりやすい方法でやってみるのもよいでしょう。きっかけを得たり、あとで効いてくるかもしれません。応用してみるうちに柔軟性が高まったり、気づいたりすることもあるからです。人によって、よしあしは違います。
高音を学びに高音のヴォーカリストの元に、多くの人がいっていますが、結局、生来、高音のヴォーカリストに、根本のノウハウはありません。生来もっている声がそこになければ、さしたる効果をあげないのです。
最近のトレーナーの本には、高い声を出すことについてのしくみやその鍛え方が丁寧に書いてあります。これにも多くの勘違いがあります。メニュをみても、その高い声を出してトレーニングすることができるなら、最初から出せているのです。それは少なくても高い声を出せるようになるトレーニングとは違います。すべての人の声区やチェンジのポイントを一つの音高にしている乱暴な教え方もあります。人それぞれによって全く違うし、曲や歌い方によって異なるケースも少なくないのです。
○声をそろえる
苦手な母音は、どうしても響かない声になってしまうものです。こういう場合、弱点をなくすより、できているところをより厳しくチェックして、完成させていく方がよいでしょう。他の条件が宿るまで放っておくのも、一つの方法です。もっとも出やすい音(発音、音高)で、トレーニングしてみてください。
ほとんどの場合は、根本的な問題として、体からの深い息づくり、深い声づくりができていないからです。これには、ブレスのヴォイストレーニングから徹底してやりましょう。共鳴を頭部、胸部と分けるのでなく、そこに一本の線があって、喉にかけずに自由にバランスを変化できるようにイメージしてみてください。
○響き、共鳴をつけるということ
歌うときに、胸の真ん中と軟口蓋を意識して響かせるのか、それとも眉間に響かせて意識して歌うのか。この問題は、歌唱発声について、簡潔にしか答えなかった私の真意を説明するため、意図的に詳しく解説してみます。
教科書的に答えるなら、低い声は胸声、高い声は頭声で眉間や頬骨などを意識してくださいということです。でも現実面、相手の状態をみないで与えるアドバイスは一般論にすぎず、すべて有効なのは各論(個人別のそれぞれの問題に対するそれぞれの対処法)でしかありません。やり方に対して、やり方を考えて、複雑にしていくのはおかしいのです。
まず第一段階として、体(発声原理)に基づいた回答でよいのか、どうかです。ポップスのヴォーカルや役者にとってのめざす声のイメージは、このような質問のベースとなっているクラシックと異なるものであることが多いのです。クラシックでも、全く異なる見地の人もいます。つまり、その人の目標として、何をめざす声なのかから、切り離せないのです。ところが、本によるメニュやそれを使った独学のヴォイストレーニングのレッスンによって、多くの勘違いが生じています。
軟口蓋、眉間に響かすなどということばは、たぶん、声楽家やトレーナー、もしくはその類の本から得た受け売りでしょう。それに従って学ぶこと自体が、目標においては、正しくないこともあります。つまり、こういうステレオタイプから、一流のポップス歌手は生まれ得ないということです。
次に、主としてトレーナーの述べるこういうことばがどのくらい妥当性があるかということです。まずは、どこかに響くという感覚を、どう認知したかということです。同じ発声でも、個人によって認知の仕方は違います。同じ状態を頭のてっぺんと思う人も眉間と思う人もいます。それをトレーナーの指摘することばで覚えるからです。
そのように、多くは同じことばが使われながら、行われていることが全く違うケースは、少なくありません(認知の問題)。まれに、ことばが実体を伴わず、明らかに誤用されても、マンツーマンで指導が理想的になされている例もあります(二者間伝達におけることばの実体の意味のなさの問題)。