第13号「誤解の生じる理由」
○学び方のレベルでの限界
本を読んだ人の多くもミスを犯します。レベルが違うのならまだよいのですが、明らかな方向違いも多いです。つまり、そこで受け手の才能ともいえる学び手におけるレベル(これは、キャリアでなく、才能、勘のようなもの)が問われてしまうのです(独学の限界)。
たとえば、舌の使い方について。舌が長くて柔らかい人と、舌の短くて固い人なら、発声時に比較的のどの奥が自然とあく人と、逆に狭くなる人では、アドバイスもまったく変わってきます。
それを文字からつかむことで間違う、基準において勘違いしてしまうのです。その結果は、何年か後でないと言えないのですが。それでさえ、どこまで効率よく、最短で最高の効果に対し、できたかは比べる術がありません(ヴォイストレーニングの効果測定の限界)。
○教え方のレベルでの限界
トレーナーから言われると、疑いもせず信じ込むのはいかがなことでしょう。この積み重ね、師→弟子→弟子の実体を伴わない、ことばだけの口移しの伝達が、真実の成果を損ねていきます(トレーナーの指導法でのことばの限界)。
右によりすぎたのを左に戻そうと、あるトレーナーが試みているなら、そこを、他のトレーナーがみたら、左にいきすぎているから右へ戻しなさいとなるでしょう(バランス優先か、個別課題優先かという問題)。また、ステージ(歌唱)をいつにセットするかによっても、大きく異なります(一通り仕上げる時期の問題)。
目標とともに完成した声のイメージも、それぞれのトレーナーで違います。さらに同じ完成のイメージの声であってさえも、それに至らせるプロセスや優先順位や方法は、トレーナーによって違います。それゆえ、どのトレーナーも、他のトレーナーの指導を受けた人や、レッスンを併行している人を好みません。
しかし、私などは、この少し考えたらわかりきったことに、トレーナーが甘えていることの自覚がないことの問題の方が大きいと思うのです。トレーナーの好みでヴォーカリストがつくられるのではないということです。
トレーナーは、第一に、最高の耳とともに、声に対して指摘できることばをもった最良の客であるべきだからです。そのトレーナーを離れたら、何一つやれない。認められないのでは、いったい何を得たといえるのでしょうか。 日本では、プロデューサーや演出家の耳の方がまだ表現を知っているだけ、トレーナーとして的確といえるようです。他のところで応用できないなら、基本の力がついたとはいえません。
○本当に大切な問題をどのように考えるか
ことばと実際にできている状態がどこまで対応しているかということになると、ことばでのやりとりは、およそ無効です。たとえば、この場合、二つの発声をきちんと高度なレベルで区分けして、できているなら、使い分けたらよいだけのことです。どう活かせばよいのかがわからないなら、自分の歌のイメージの不足なのです。
問題にすることが問題とは、こういう意味です。どちらが響いていようと、そんなことは歌という作品には関係ありません。
ほとんどのことは、対処マニュアルやメニュなどで正せばよいのでなく、本質的にはあなたの歌唱のイメージの問題、つまり、ここで述べた最初の段階(第一段階)の問題になるということがおわかりいただけたでしょうか。
「発声や響きから歌うのではない」のです。問われることは、人の心を揺さぶる表現がどう生じているかということです。たぶん、どちらもそうなっていないから、あまり意味がないのです。
〇真の声は迷わない
私は「迷わない声でも間違っていることが多いのに、本人が迷うくらいなら、すべて違うと思った方がよい」、それは「間違っているのでなく、深められていない」と思えばよいと述べてきました。すぐにできて、そのため深められなくなるのが、間違いであるのに、トレーナーにすぐできること、あたかも声にエコーをかけるようなことを望み、親切なトレーナーは、それに対応しているのです(トレーナーに即効性を求める誤り)。そうしないと、生徒の要求に応じられないから、彼らの立場もわかります。
ここで述べたことは、声楽家やヴォイストレーナーのやり方を否定しているのではありません。レッスンもトレーニングも、必要悪であるという私の観点から、誰にでも通じるように思われるマニュアルやノウハウの限界について述べたものです。発声やヴォイストレーニングは補強にすぎないことを忘れずに、それ自体に正解を求めぬようにと願いたいのです。あなたの夢は、声を共鳴させることではないでしょう。
〇トレーニングの目標
かつては、ここに演歌の人も多かったのです。当時は、レッスンのトレーナーは作曲家の人か、クラシックの人しかいませんでした。大体、作曲家が教えていました。音楽を分かっている人があまりいないので、作曲家が自分で曲を作って歌い手に教え、デビューさせていました。演歌のほとんどがそうでしたが、その流れはなくなってきました。ジャズがそういう形で生き残っています。
ますます、いったいどこに対して、ヴォイストレーニングをするのかという目標が、取りにくくなってきています。
〇教えることは伝承ではない
ヴォイストレーナーも多くなり、いろんなトレーナーもきます。
声は、相手にもいろんな問題があって、一人の専門家だけでは対処できないものです。私も医者や声紋分析、語学音声学の学者も含めて、情報交換しています。それでさえ、どうしても分からないことがたくさん出てきます。
およそ多くのトレーナーは、自分がやってきたことをやればいい、自分がやれたから、他の人もできるだろうと考えます。
しかし、十年くらいやっていれば、実際にはそうではないということはわかるでしょう。10年、20年見ていると、結果が出てくるからです。
プロになりたい人にとっては、歌がうまくなるとか、声がよくなることでなく、結果ということであれば、プロになれたかどうかに帰結するのです。
少なくても自分レベルで基本ができている人が、千人くらい出てきたら、1ステップ上にノミネートされるというレベルで私はやっていました。
試行錯誤で体制を改めつつ、いつも変えていきます。
個人レッスンでやっていますが、歌のヴォイストレーニングの割合が半分、役者さんや声優さん、あるいは一般の人のほうが声に関して厳しく求めるようになってきたのを感じます。
〇トレーナーとの接点をつける
あなたがヴォーカルであるなら、めざすヴォーカルとして必要なものをはっきりさせていかないと、ヴォイストレーニングとの接点がつきにくいです。トレーナーと、接点をどうつけるかです。
どんなトレーナーでも、接点のつけ方を変えていけば、学べることはいろいろとあります。最初は合わないようでも続けていることで、大きな効果を出している人もいます。
相性の問題や好き嫌いの問題が、障害になっていることが少なくありません。ここは10数名のトレーナー体制でやっていますから、よくわかります。トレーナーが合わないことで変えることもあるのですが、合わないといわれてしまうトレーナーの方が、何人も高レベルに育てている場合も多いのです。
結果として、判断していく、それは本人にはわかりにくいことです。
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