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2018年11月

第34号 「トレーナーの出身の違い」

○ヴォイストレーナーの出身の違い

 

かつての歌手の育成、声づくりは、作曲家がしていました。坂本冬美さんを七年かけて育てた猪俣公章さんが亡くなった頃、そういう時代も終わったかのように思えます。つまり、かつては弟子入り、住み込み十年でデビューというものでした。まあ、声のよい人を見つけてきて、よい歌を渡せば、ヒットした時代です。

それに代わって、シンガーソングライターの歌手(やバンドの作曲担当)が楽曲提供をプロデューサーとしてやっています。

落語家のように、師匠、つまり歌手の大御所が弟子をとる例もありました。しかし、これもうまくいってはいません。

オペラ歌手や邦楽については、触れません。国家の予算で育成にお金をかけて・・・というのも、私から言及するだけムダでしょう。しかし、実力の底上げはできてきたようです。あと、どのくらいか待てばよいのでしょうか。

 

〇歌手を育てる人

 

歌手は歌手をなかなか育てられないということを、頭に入れておいてください。

これまで作曲家、アレンジャー(サウンドクリエイター)、プレイヤー、プロデューサーが、トレーナーの役割をヴォイストレーナー以上に果たしてきたとも思います。

日本の業界の構造も変わりました。声や歌について問われるものが変わったり、プロデュースシステムになったが、歌や声はあまり育たなかったというところです。

 

○トレーナーの出身別活用法

 

出身別にトレーナーの得意なところを述べます。私は自分で体現できたことを自分でない他人にも通用させるのに、また自分の直感を客観的基準としてみるために研究してきました。才能ある他人の判断基準を学び、科学的な測定や実証に携わってきました。

トレーナーもそれぞれのタイプによって、目的や判断基準が違っています。

1)プロデューサー 1.曲、詞、声 2.バンドの色 3.キャラクター

2)声楽家     1.発声、呼吸法 2.ひびき 3.声域、声量(歌唱法については、のぞく)

3)音声医     1.のどの状態 2.声の診断 3.病気の治療

4)作曲家     1.メロディ、ことば(感情) 2.歌心投入 3.曲に正しく合わせる

5)俳優       1.ステージパフォーマンス、動き 2.ことば、発声、感情表現 3.表情、表現力と演出

6)ヴォイストレーナー(私の考え方)

 1.歌の構成、表現力 2.フレーズの音声力(音色、グルーヴ) 3.発声の基礎

 

○歌手兼任、歌手出身のトレーナー

 

ヴォーカル活動中のトレーナーには、自分の活動と他人のトレーニングの両立の大変さを伝えています。

私は人前で歌うことはトレーナーを選んだときにやめました。私のなかでは歌は決してやめたつもりはないのですが、ライブやコンサートという形では、退いたのです。プロデュースを手掛けたときは、演出家と歌手、演出家とトレーナーも両立しえないと、私は思っていました。

二十代の頃は、睡眠の研究さえしてしまったほど、時間がありませんでした。他人のことをかまうことと自分のこと両方に神経がまわりませんでした。歌や声に頼らず、自分が自立することに専念しました。

トレーナーの依頼を引き受けたとき、自分の声については充分にやるだけやった思いもあったし、当時、そこまでの人生設計しかしていなかったのです。

PS. ですから私は、研究所をつくっても、他の人には最初はヴォイストレーナーとしてではなく、ピッチトレーナーや歌唱のアドバイザーとしてのトレーナーをお願いしていました。

 

〇ヴォイトレのアルバイト

 

もっともエネルギーのいるのは、力をつけることでなく、世の中に出ていくことです。

ですから、私は本当にプロをめざしたいという人に、トレーナーをアルバイトにすることは勧めません。お金が必要なら、他の仕事を勧めます。たとえ音楽の仕事でなくともよいのです。自らの声を守るためが第一だからです。 日本のような環境(音楽、声のレベルは厳しくない)では、他の分野の厳しさをもって、音楽や歌には入ることはできても、その逆はなかなかできないことを知っているからです。

 

〇ヴォーカリストのヴォイトレ

 

ヴォーカル出身のプロデューサーでも、日本の場合は、基本的なトレーニングを経て力をつけたヴォーカリストはあまりいないので、その人自身の売りものとなるカラーが共通している人にしか、アドバイスが通用しない、むしろ逆効果となることも多いようです。それができたとしても、ヴォーカルに二番煎じは必要ないのです。

ポップス、特に歌い手の指導者でよくないのは、個人的趣向(好き嫌い)が、本人の知らないところで、必ず判断に入ってしまうことです。そして、そこを本人が気づいていないことが困るのです。それは、選曲にも表れます。ファンのような受講生が多いので、学びにくる前と似た曲しか使わないことになります。

 

〇安易に始められるヴォイトレ業

 

指導上ですぐれている、いないの判断は、多くの経験を持たなくては難しいものです。

最近は、

1.歌手への目的をやめ(あるいは、あきらめきれぬまま)

2.食うために他に手段がないから(まともに働くのがいやだから)

3.他の職がつとまらないからとか、ヴォイストレーニングは、楽しそうな先生稼業、しかも好きな音楽だからと、安易に始められます。好きで始めるのはよいのですが、とてもたくさん学ぶことがあるので、指導との両立は大変です。

 

〇アーティストのヴォイトレ

 

アーティストでは、引退でもしないのに、教えている人はあまりいません。プロとして両立できるほど甘くないからです。まず、自分のステージ活動に専念することをお勧めします。ステージの方が厳しいので、教えるのが後回しになるか、ステージが疎かになります。何よりも若いときは喉の負担が、大変です。

自分のステージを成り立たせるため(集客のため)教える人もいますが、その目的はどうかと思います。最初は、そのつもりがないのにコミュニティづくりになってしまうことが多く、これは、目的が別、集客や集金などと考えたら、悪いことではないのですが。自分の好みでの声をまねさせるトレーナー、歌をまねさせるトレーナーの方法には弊害もあります。

 

○スクールのトレーナー

 

スクールでは、最初からうまかった人は上達して、少し器用に曲をこなせるようになって伸び悩みます。それ以外の人はたいして変わらないままです。

トレーナーの音楽観や自分の歌の欠点を突きつけられ、自分には才能がないということを思い知らされ、あきらめるという結果になりがちでした。それは今はそういうこともわからないまま、伸び悩んでいる、あるいは悩みもできていない、それが問題です。

 

○プロデューサー出身のトレーナー

 

ステージとCDをつくることが売りになっているトレーナーは、その経験を積むにはよいでしょう。でも、基本の習得に使うのにはほど遠いです。

プロデューサーなら、すでに実力のあるヴォーカリストにはよきアドバイザーとなるかもしれません。しかし、それ以外のほとんどの人に教えるとなると、その力を発揮できないことが少なくありません。すぐれた人をどう売るかという仕事だからです。

第33号 「日本の音声と指導について」

〇トレーナーの探し方

 

「東京にはよい先生がたくさんいるのではないかと思います。よい先生を確かめたいと思っているのですが、どうすればよいですか。また、どういう生徒がよいのでしょうか」というメールをいただきました。

私も十代のときに、全国の先生を探し回りました。その結果、クラシックの方に行くしかなかった。今も、そう変わりないと思います。ポップスのトレーナーも人数が増えただけのように思えます。納得のいくまで、大いに探してください。あなたに大切なことならあたりまえでしょう。一生、信じるに足りる声とは、そう簡単にめぐりあえません。めぐりあっても、それは自分のものでないうちは、意味はありません。

 

○日本の音声教育の現状と対策

 

私がアドバイスできることは、「他人にノウハウやメニュを教わろうと思わない方がよい」ということです。もっと大切なことを学んでください。

第一に、多くの音を聞き分ける耳を持つこと、そういう人は少ないです。歌での声とオリジナリティの作品への評価と、それをよくするための方向を与えてもらうことです。長期にかつ高度な経験のあるトレーナーが必要です。

第二にトレーナーの声をよく聞いてください。大半は、話し声さえも普通の人と大して変わらないでしょう。歌がよいのと声がよいのは違います。日本人の音声に対しての意識がいかに低いかということがわかります。(すぐれたトレーナーには、惚れ惚れする声をもつ人もいます。欧米のトレーナーの声を機会があれば聞いてもらいたいと思っています。)

第三に、だいたい、何もわからないというのが、可能性です。だから、一途に突っ走れるのです。今の日本人の場合、芸事の経験や、そういうものにとりくむ基本の考え方がありませんから、そのままでは難しいでしょう。まずは、目的と、そのプロセスをはっきりさせていきましょう。

 

〇信じることと依存

 

こういう世界は独学がベースです。どんな先生についても、24時間一緒にいるのではありません。

何事も、信じる分には、効果は出ます。だから、とことん迷っても、決めたら、相手を信じ切った方がよいでしょう。

私は、最初から一方的に信じてくる人は、どちらかというと敬遠します。信じるということは、効果を出すための条件ですが、責任を相手に任せるだけの依存症に陥らせることも多いからです☆。創造や表現が目的なら、これは、もっともよくないのです。

 

○人を選ぶ能力、使う能力

 

何事もノウハウやマニュアルの効力というのは、個人に帰すものです。たまたま、他の人がまねてうまくいくことはあるかもしれませんが、本当に成功するとしたら、それは使う人の能力によります。

一流になる人は、一流の人につき、そうでない人はそうでない人を選びます。やれていく人は、やれる人に、やれない人はやれない人につく。ここで本質を観る眼、選択眼もまた、才能です。

同じ人についても、その人の能力をどこまで生かすかは、人によって千差万別です。同じ時間とお金を費やしても、得られるものは全く違います。私が思うに、すぐれた人は、相手のもっとも高い才能を自ら引き出していくものです。

 

〇始めてから見失うこと

 

多くの場合、最初に見えていたはずのものが、渦中に入ると曇ってくるものです。青い鳥を求めるように、どこかに正解があると、それを探したがるからです。相手にそれを求めるのです。日本人は、殊にそれを他の人のもっているものへと追い求めます。追う間は、自分を見ない、見えないのです。この状況のままでは、何事も実現不可能です。

師とは、何かを成し遂げる人が自分自身を知るためにいるのです。いるだけでよいのです。

トレーナーと同じようにやりたがる人が多いようです。何をやってもよいのですが、もし間違えというのがあるとしたら、そこが唯一の間違えなのかもしれません。

 

○真の指導とは

 

真にすぐれた指導というものは、本人さえわからないうちに、本人に努力を強いている結果、本人の力でものごとを成し遂げさせます。そこで感謝もお礼も求めません。やれる人は自分の力と信じてやっていくからです。

本人がひたすらやりつつ、工夫しつつ、成功するまで続ける。そのようにしたら、その邪魔をトレーナーがしないことです。信じて待つ、見守るしかないのです。技術よりも精神的なことや思想の方が、ずっと大切なのです。

ところが、日本人というのは、類に交わり赤くなります。写しとることを上達を思うから、教え上手にいわれる人について、早く教えられて、教わったことに満足して終わるのです。もったいないことと思うのです。

 

〇カウンセラーとトレーナー

 

結果を早く求めるとうまくいかなくなり、一緒に悩んでくれる人を求めます。トレーナーがそういう対応をすると、そこに情を感じ、親しみを感じるものです。それが本当に自分のためになることと混同してしまいます。そういう人には、トレーナーはただのカウンセラーになってしまうのです。そうしないトレーナーをわかってくれないと遠ざけることになるからなおさらです。

教えたがりの先輩を選ぶか、師を選ぶかは、その人の精神度と成熟性にかかっています。こればかりはどうしようもありません。その人の器(と将来)ほどに、人は自分の意思として選ぶからです。

 

〇同じパターンから抜け出す

 

これまで、やり方よりも選び方が悪かったこと、学び方よりも生かし方が悪かったこと、それを省みず、さらに最悪の選び方、生かせない道を、その人がその人の判断ゆえにしてしまうのです。

私が、こういうことに気づけたのは、私よりも人生経験を積み、判断の適確な師やアーティストに会えたおかげです。他の人は、私ほどにそういう人たちを活かせなかったように思います。

ですから、私は本人がトレーナーを選ぶよりも私自身がその人に必要と思うトレーナーをお勧めしているのです。もちろん請われたらのことですが。

No.327

目的と目標

とり入れること、全力傾倒集中と拒むこと、スルーすること

集中できない理由を知る

集中力 持続力と瞬発力

本気と全力

見える 感じる 気づく

充分に使われていない機能の引き出し方

パワーは、力×スピード

鍛えて高めていく

そのための呼吸と呼吸法

神経回路と筋肉

場になじむ 悪条件をものともしない

スタンス、自分のルーティン、スタイル

方法とその先

量から質、時間短縮

Periodization、ピークへもっていく

メニュのくみたて、変化、計画

単調もオーバーワークもさける

質を高めないと飽きる

慣れ 継続 反復から変則

量、やりすぎ、調整ミス

休みの必要

ムリなことは、やっていてもやれていない

治療や休み 不安、不満、故障

道具を大切にし、一体化する

感覚での捉え方をデータに優先

上達のプロセスの把握と移行と応用

変化を与え、状況に対応していく

不規則、イレギュラーに対応する

整った環境を出て、しぜんのなかで

時間とリスクをどう考えるのか

やりたいこととやるべきこと

Sportは、気分転換の意味

よいときと悪いときの違いの把握

弱点、欠点に向きあう

過信しないで努力

練習と結果は違う

感覚のズレと修正

教えない、何を言わないかが難しい

誰に何を求めるか教わるか

自分が育った、できた以上に伸ばすこと

 

第32号 「トレーナー間を移ること」

○組織としてのメリット

 

研究所では、かなりの部分について、他の人に任せるようにしてきました。私がすべてをやってしまったのなら、発展がありません。いろんな人がくるので、相手によっては私よりもうまく対処できる専門家やトレーナーをみつけたり育てることも必要です。また、私も含めそれぞれのトレーナーが、専門を深める研究や勉強をすることも欠かせません。声楽家やヴォイストレーナーには、ずいぶん会いました。今も毎年、何人かと面接しています。そのことも私や研究にとても役立っています。

 

〇他からいらした人への対応

 

レッスン受講生のなかには、他のところのトレーナーについて学んできたあとに、あるいは、そこで学びながらここに来ている人がたくさんいます。

他のところをやめて、新しくトレーナーにつく人は、自分の判断の正当化を求めています。自分をわかってくれるトレーナーを探し、これまでのやり方で納得できないことを確かめにきます。そこで、トレーナーがその人の不満にすぐに合意したり、一緒に前のトレーナーのやり方を批判したら、信用を得て、さいさきのよいスタートが切れます。トレーナーが自分のやり方で進めるのには、やりやすいでしょう。しかし、考えようによっては困ったことです。それまでになにがよくなかったのかも知っていくことなのです。

 

〇これまでの学びを活かす

 

 他からいらした人は、当人はリセットしたい、トレーナーもその方が楽だから、ゼロからスタートしたがります。心機一転、最初はそういうスタートでもよいでしょう。しかし、どこかで、考えてほしいことがあります。

このことは当人一人でできないことだからこそ、トレーナーが知って、少しずつ伝えていくべきことです。前のところで前のトレーナーで伸びた人もいたのです。相性ややり方だけではなく、自分の判断の仕方、学び方など、トータルにみて、どこに問題があるのかということを知ることは大切なことです。

前のところを辞めて次にいくなら、トレーナーややり方のせいでなく、自分の問題として捉え直すことです。そうでなければ、最初はよくても、また同じ轍を踏むことになります。習うべきことをマスターせずに、トレーナーを、二転三転としている人は、特に注意することです。やったことは、どんなことでも意味があるのです。ただ、多くの場合、レベルが違うので、レベルが上がれば消化されていくのです。

 

〇トレーナーを替える

 

トレーナーもまた、学ぶ力こそが、もっとも大切な能力です。他のトレーナーのトレーニング法が自分のやり方や評価の仕方と違うものなら、よくないといいたいのはわかります。だからといって、どこでも学ぶべきものはあります。

やめた人がいうことは、必ずしも信用なりません。なぜなら、そこでうまく吸収して伸びた人もいただろうに、それができなかったともいえるからです。

 

〇学ぶ力をつける

 

経験がどう生かされるかというのは、あとにならなくてはわかりません。合っていないようでも、長い人生においては、否定できることはそうありません。人生には何一つ無駄がないのです。それに投じた時間とお金を無駄にしないように、頑張ってください。

何事であれ、一所懸命やることです。そして次の場でも、今まで一所懸命やったものをどう生かせるのかの方が大切です。そうしないと、何でも無駄になります。安いから、自分にわかりやすいから、合っていると思うから、よいとは限りません。何事も生かすも殺すも自分次第なのです。学んだことより学ぶ力をつけることこそが、レッスンの役割です。

 

〇トレーナーに盲目的につく人

 

私からみると、やめた人がいうことを一方的に信じるトレーナーは、勉強不足です。多くは、自らの生計のために、生徒が欲しいから迎合します。あるいは生徒の先生になりたいのです。

それに気づかない人は、生徒としてトレーナーに隷属したいのでしょうか。トレーナーでなく、アートに仕えるべきではありませんか。

気分よくやれることと、実力のつくことは、違います。

トレーナーのせいにしている限り、本当には伸びません。甘く、優しいトレーナーを見つけて、そこでほめられ、自己満足に終わります。

 

〇ついたトレーナーの先をみていくこと

 

何年かたてば、世の中で自分が声の力でもって、やれるようになっていかないという現実で、わかるはずです。

トレーナーと慣れ親しんで、そういう判断さえしなくなるでしょうか。もしくは、それまでに限界を悟り、やめてしまっているでしょうか。トレーナーがそこをカバーして、みえないようにしてしまうことがもっとも多いように思います。 つまり、そのトレーナーの下でしか通用しない力でおわるということです。

やめた人より、やれた人。

始めた人より、続けている人。

やっている人より、その実力。

もし、本当に実力をつけるのなら、1000人で1人しか続かない世界に、その他999人の1人でしかない今の自分やトレーナーの判断を、もち込まないことです。それが、あなたが、すぐれていくために、もっとも改めることであり、根本的に大切な考え方です。

Vol.68

〇声力で人生に勝つ

 私は、これまでいろんな人を声を通してみてきました。すると、人生において、確かに声で得している人、損している人がいるのです。それも生まれつきの声ではなく、ほんの少しの声への意識の差、声に関心を払うかどうか、によるようなのです。それどころか悪声であっても、使い方しだいで、個性的かつ魅力的なものになっていることも少なくないのです。

 このように人間関係において、大切な声について、まだまだ無自覚な人が多いのは、とてももったいないことに思います。

 ビジネスの現場において、いえ、日常生活、全てにおいて、声は、人間関係を形成する上でのとても大きな要素です。なのに、あまりにも無関心に放置されているのではないでしょうか。

 

〇イメージからヴォイトレへ

 

 魅力的な声とはどんな声なのか、それを手に入れるためにはどうすればよいのかを考えてみましょう。

 そして、理想の声を目指し、トレーニングをしてください。そのために、まずは声について意識することです。それだけでも自分自身の声の魅力のかなりの部分を引き出せるのです。

 

 次のことを考えてみましょう。

1.ビジネスの現場、日常の生活など、実際のシチュエーションにおいては、話し方や、その内容よりも、声そのものが重要ということ。

2.自分にとって使える声、人を引き込む、ひいては成功をつかむ声の力とはどのようなものかということ。

3.今の自分の声をどう意識すればよいのか、欠点を知り、自分にとって理想となる声とその使い方を知るために、どうすればよいのかということ。

 自分の目指すべき声をイメージし、それに近づいていくための実際的なトレーニングとメンタルな部分での心構えをつくりましょう。

 

○声で人生が変わる

 

 声を変えて、人生が変わったという人は、案外とたくさんいると思います。しかし、まわりの人も自分自身もそのことには、あまり気づいていないものです。

 たとえば、話し方が変わっても、人は自信がついたとか慣れてきたという言葉で表わします。確かに、慣れて自信がついたから、態度、話し方、声も変わるといえるのかもしれません。しかし、私がみていると、声が力強く出るようになることで、能力が備わっていくという方が確かなのです。

髪型やファッションが変わるだけでも、その人のイメージは大きく変わります。まして、人の心に直接、働きかける声ならば、その影響は決して少なくはありません。

 男の子は声が太くなることで、成長への戸惑いを覚えつつも、大人になっていくことを突きつけられます。子供の声から抜けていくプロセスは、大人の条件を備える期間なのです。

 しっかりとした声を使うことで、商品を売りやすくなって業績が上がったというセールスマンもいました。声を張ることで、教室の生徒に声がよく聞こえるようになり、授業に集中させられるようになったという先生もいました。

 このように、仕事や日常生活における声の影響力は決して小さいものではありません。

 

○声の使い分け

 

 年齢、職業、コミュニケーションの目的によって、有利な声、不利な声というのは、確かにあります。それを知り、自分をどうみせたいかを考えてみましょう。それは、声をどのようにすればよいのかというヒントにもなります。

 もちろん、このことはすでに私たちが無意識のうちにも、やっていることです。誰でも、やりたいことを説得するときの声と、嫌なことをやらなくてはいけないときの声は、違うでしょう。人にお願いするとき、謝るとき、感謝するとき、怒ったり叱るときと、異なる声を使い分けているわけです。

 その声のかけ方一つで、相手のあなたを受け入れる感情は、大きく変わります。その感じで好かれたり信頼されたりするのです。ですから、声力こそ、成功の素といってもよいでしょう。

 声の使い方一つで、コミュニケーションのうまい人とそうでない人の大きな差が生じるのは、言うまでもありません。

 

○自分をアピールする声を演出しよう

 

 心の中では謝っているのに、声がぶっきらぼうにきこえるために誠意が伝わらないこともあります。確かに気持ちは声に出るものですが、人によっては、あるいはそのときの状況によっては、必ずしもうまく出るものではありません。

 しかし、本当の気持ちの多少に関わらず、表情や声など外に表出されたものをみて、相手はあなたの心を判断するのです。同じくらいの気持ちでも、それを声でうまく伝えられる人とそうでない人の将来が全く異なるとしても、不思議なことではありません。

 二人の女の子が同じものをもらい、同じくらいに感謝して、「ありがとう」と言ったとしましょう。それなのに一人は喜びの表情も声も生き生きと出るのに、もう一人の子はうまく出なかったとしたら、相手は、後者の子はありがたく思っていないと思い、二度と施してくれないかもしれません。

 とても具合の悪いときに、一人は死にそうな声、もう一人はいつもと変わらない声なら…、後者は治療を後回しにされて死んでしまうかもしれません。

 どう伝えたいかということを踏まえた上で、それに見合った声でアピールする、それが声による自己演出なのです。

 

○魅力的な声づくり

 

 自分自身の魅力的な声を知り、磨いていくためには、次の3つのステップが必要です。

1.今の自分の声の自然な状態を知ること。

2.次に、声やトレーニングの基本知識を得ること。

3.そして実際のトレーニングをするのです。

 そのために、声を改善するヒントを充分に生かしてください。

第31号 「トレーナー探し」

○ヴォイトレの効果は、組みでみる

 

私は、多くの人をみてきました。多くのトレーナーもみてきました。さらに、多くのトレーナーとトレーニングしている人を組みでみてきました。この数と質においては、日本ではトップクラスに思います。最初から、この分野は  私が一人でできるほど、生やさしいものではないという直観があったからです。

今や、こぞってコラボレーションの時代です。

私は、きっと唯一、日本では、同時期に複数のトレーナーを一人の受講生につけ、その結果を十数年以上にわたって見届けた稀有の経験をもつものでしょう。

しかも、一流の声楽家から、音大生レベルまでと、ポピュラー、加えて外国人など、研究所外でもですから、例には、ことかかないのです。(L.A.など、海外に、私のところのトレーナーはトレーニングもトレーナーもしていたので、日本人が外国人を教えることでも知りました。)

 

〇日本中のトレーナーを知る★

 

レクチャーにくる人やここの受講生は、どこで何年、何というトレーナーについて、やっていたという体験を述べてくれます。声専門の研究所ですから、私は日本中のほぼすべてのトレーナーを、会わずに知るはめとなりました。

その人たちの口上を鵜呑みにするほど愚かではありません。トレーニングやトレーナーについての批判についても、私にとっては、その人自身の考え方や方法、目的を、深く知りたいがためにすぎないからです。

私のところもいつ知れずやめたり、他のトレーナーのところにいった人もいます。どう考えるべきかは、私なりに示していますが、ここでは出るまえに私以外の十数名のトレーナーの誰かがそれを補ってくれることが多いのです。

 

○効果の客観的判断

 

私が科学(音響)や医学の機器での測定に真剣になっていったのは、声や歌に関するトレーニング効果ほど、あいまいなものはないからです。それで他の人に自分の理論、正しさを示したいというなら、それほど程度の低いことはありません。

芸術において、科学や分析は、後追いの実証しかできません。簡単にトレーニングに使えるようになるとは、思っていません。

そういう方法を使ったら、関わった音大や専門学校、教授名、海外のトレーナー名などをPRするのと同じく、受講する人の心理的に安心や信頼感を与えるでしょう。しかし、データや客観的根拠を欲している人に喜ばれる反面、その弊害もあるからです。

 

〇検証の難しさ

 

効果、成果とは、目的に対してあるのですから、効果があがったというのは、目的に近づけたり、目的がかなうことによって、実証されるのです。科学的にという人ほど、非科学的であるのは、よくあることです。

 

○トレーナーからの評判

 

どこの分野でもあることでしょうが、どれだけ手間とお金がかかるか、想像してももらえないのです。どこの援助もなく、研究活動を続けるのは大変なことなのです。

私のやり方についていろいろ言う人もいます。しかし、その多くは、私自身の直接のレッスンを一度も受けていない人たちです。

伝聞だけで、すべて判断する。こういうことは、素人には(日本ではプロの人でも)よくあります。

トレーナーなら、そこで学んだ生徒が私のところに在籍していることが多いので、そのトレーナーの特徴や教え方についての方向性や判断ポイントを知ることもできます。

私はそれについて、反論はしません。私自身が、経験したことではないし、経験したからわかるとは、思わないからです。ただ、私自身が学びに行くなら、どんなレッスンであれ、最大に自分に生かせるよう努力すると思います。きっと、学べるだけ学びとるでしょう。声はそこに行ったら、手に入れられるようなショッピングではありません。

 

〇有名トレーナーめぐり

 

さて、トレーナーをめぐりめぐってくる人がいます。

1.前のところをやめたということ

2.やめたあとに他のところを探したということ

3.最終的に私のところに来た

何かしら、こうしてここに来た人も、特徴があると思うのです。

なかには、権威筋に弱く、著名なトレーナーに順番にあたっていくタイプの人もいます。(本を読む人は、私のところにもよく来ます。それでよしあしは判断できません。私のところを選んだ時点で、ここに合った人ともいえるのですから。

 

〇医者めぐり

 

たとえば、医者へ、ここの受講生が行くと、「私のところでは何をやっているのか」と医者が不審に思うのも同じです。どこよりも多くの人数を抱えて、しかも医者の使い方を紹介しているのですから。

いつも私は、声を壊してからでなく、壊すまえに行くように、医者に行くように、と言っています。これは将来のことも含めてのことです。多くののどのよくない状態という人に勧めているので、あたりまえのことです。医者には誤解されているとは思いつつ…。最近は、優れたお医者さんと共同して研究できるようになりました。ご紹介もいただいています。いつでもいらしてくださいね。

 

〇演歌の時代から

 

20年前は、演歌の人も多かったのです。当時は、ヴォイストレーナーは作曲家の人か、クラシックの人しかいませんでした。大体、作曲家が教えていました。音楽を分かっている人があまりいなかったかです。作曲家が曲を作って歌い手に教え、デビューさせていました。演歌がほとんどそうでしたが、その流れはなくなってきました。

いったいどこに対してヴォイストレーニングをするのかという目標が、取りにくくなってきています。

 

〇情報と経験

 

ヴォイストレーナーも多くなり、ここにもいろんなトレーナーもきます。

声は、相手にもいろんな問題があって、一人の専門家だけでは対処できないものです。私も医者や声紋分析、語学音声学の学者も含めて、情報交換しています。それでさえ、どうしても分からないことがたくさん出てきます。

およそ多くのトレーナーは、自分がやったことをやればいい、自分がやれたから、他の人もできるだろうと考えます。しかし、30年近くやっていれば、実際には全くそうではないということはわかります。10年、20年見ていると、もう結果が出るわけです。プロになりたい人にとっては、歌がうまくなるとか、声がよくなることは、結果ということであれば、プロになれたかどうかに帰結するのです。

 

〇基本はハイレベルのために

 

私がここでやっていたことは、少なくても自分レベルで基本ができている人が、千人くらい出てきたら、トップにノミネートされるというハイレベルでやっていました。そこから、試行錯誤で体制を改めつつ、いつも変えてきました。

今は個人レッスンでやっていますが、歌のヴォイストレーニングの割合が半分、役者さんや声優さん、あるいは一般の人のほうが声に関して厳しく求めるようになってきたのを感じます。

 あなたがヴォーカルであるなら、ヴォーカルというのをはっきりさせていかないと、ヴォイストレーニングとの接点がつきにくいです。

 

〇トレーナーとの接点

 

トレーナーとも、接点をどうつけるかが問題です。どんなトレーナーでも、接点のつけ方さえうまく変えていけば、学べることはいろいろとあります。例えば、最初は合わないようでも続けていることで、効果を出している人もいます。

 相性の問題や好き嫌いの問題が、障害になっていることが少なくありません。

ここは10数名のトレーナー体制でやっていますから、よくわかります。

 先生が合わないので変えることもあるのですが、合わないといわれてしまう先生の方が、何人も高レベルに育てている場合もあります。結果として、先を見て判断していくのです。

 

「高いところに昇る」 No.327

 

日常を離れて、長期的なヴィジョンをみつめたいときは、高いところにあがってみます。

 

高層マンションやホテルも試してきましたが、とかくそれが面倒になるとよくないので、10階くらいでも充分です。

 

こうして少し天に近づくだけで人や車が蟻のようにみえます。宇宙に出て地球をながめた人の人生観が変わるのは、あたりまえのことに思えます。古今東西、偉い人や金持ちが高い所に住みたがったのもわかる気がします。バベルの塔以来、いやそれ以前から人間は、高層建築にあこがれていました。高い山へチャレンジする人も尽きません。

 

旅先では、そこのもっとも高いところ、丘でもタワーでも昇ります。すると、ぱっとその街全体がつかめます。鳥瞰というのでしょう。同じことを誰かから遠い昔に聞いた気がします。

 

 

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