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2019年1月

第43号 「トレーナーへの誤解」

 

○トレーナーの思い込みと喉ロス

 

 

 

 トレーナーが手っ取り早くまねて、歌って、それをそっくり真似させて習得するのは、形をつけるのに早い方法です。いわば、口移しのようなものです。ただし、皆、トレーナーと同じような発声、歌い方になります。

 

 若いトレーナーには、人を育てたり、5年、10年と人をみつづけた経験はありません。

 

 なぜ、そのトレーナーは、プロ歌手にならなかったのか、なれなかったのか。ルックス、スタイル、カリスマ性、ヒットに恵まれなかった、それとも、教えているから、教えたかったから、教える才能があるからでしょうか。

 

 他人に声を教えることは、自分ののどをロスしがちです。少なくとも自分の声が鍛えられ、自分の声を知り尽くしてからでないと、トレーナーという危険な仕事は、お勧めできません。

 

 

 

〇曲を歌うだけのレッスン

 

 

 

 日本のポップスのヴォーカルは、曲を正しく歌うことを教えられているだけです。ですから、ピアノの伴奏のうまい人か作曲家で充分です。

 

 歌謡曲の時代、ヴォイストレーナーは、ピアノで音をとってあげるのが大きな役割だったように思えます。すでに選ばれた個性、声、歌がその人にあったからです。

 

 プロにも、楽譜が読めない人はいます。美空ひばりさんやサザンの桑田さんは別格です。海外でも口うつしで歌を教えられている人もいます。その仕事はヴォイストレーナーのものとは違います。

 

 

 

○トレーナーの経験からの判断ミス

 

 

 

 20代後半以降にトレーニングした人のやり方は、必ずしも10代や20代前半の人にあてはまりません。若い人は、トレーナーにではなく、それ以下の世代に歌うのです。年配の人の思いもしないことができるのが、彼らにとっての最高の歌だと思います。

 

 

 

〇トレーナーとトレーニングの効果

 

 

 

 よく、トレーナーを変えやり方を変えたら、成果があがったという人がいます。これもどこまでがそうなのか、本当のところは本人には正しくわかりません。ほとんどが思い込みなので、そのように言う人は注意しましょう。

 

 また、下積み期間を、自分に効果がなかったからといって、そこでのキャリアを無視してはいけません。知らずにベースづくりが、声が強くなるなどということが起きていて、それが違うやり方、引き出し方で開花することが多いのです。ベースづくりとその使い方は、異なるものだからです。

 

 

 

○トレーナーのPRにとらわれるな

 

 

 

 知り合ってすぐに、その人の名をPRに使用したり、あるいは○○を育てたなどという人がいいます。そこに大して、声のよい人の名が出ていないのは、残念なことです。人を育てるというのは、10年がかりのものではないでしょうか。

 

 実際、その人と会ったときに聞くと、そのトレーナーのことを覚えてないこともよくあります。プロは何人ものトレーナーにつくことも少なくないからです。トレーナーは黒子役、あまり宣伝がましいことは避けるべきでしょう。

 

 10年で成り立つものに、「何回かで上達しました」というなら、マジックです。

 

 

第42号 「トレーナーの経験と能力」

 

○教えられた経験について

 

 

 

トレーナー本人の教えられた経験の有無について述べます。役者やヴォーカリストには、器用で、すぐに現場でプロとなれた人がいます。こういう人は、同じタイプで、仕事にすぐに選ばれた人にアドバイスするにはよいでしょう。しかし、一般の人や初心者を教えるには苦労します。

 

長嶋茂雄さんがリトルリーグのコーチをやるようなものです。プロとして選ばれてきた人には、よき先輩としてアドバイスできるかもしれません。プロ野球のように才能と実績がある人しか入らない世界では、いる人は選ばれた人です。

 

教えられた経験のある人は、最初は自分が教えられたように教えるでしょう。特に日本人はその傾向が強く、そのため形ばかりの伝承になっていることがたくさんあります。

 

そこから自分のやり方を創出したり、相手に合わせた指導をするような人もいます。が、稀です。むしろ、それが行き過ぎて自己流と偏向する人が少なくありません。

 

邦楽のように、自分と師との関係をまったく同じように弟子と自分の関係にもちこめるなら、まだよいでしょう。でもまったく違うタイプや違う目的には、かなり限定した目的でないと、効果が出にくいです。何より、同じ関係をとれなくなっています。

 

声楽出身の人がポップスを教えるときにも、その傾向が強いです。それでいつまでも、先生のレベルに追いつきません。それでも、私はトレーナーには、ポップスより声楽の人を、ピアニストでも、クラシックの人を採ることにしました。客観視する能力、特にトレーナーには、自分の好きなポップス歌手の歌唱に左右されないことが大切です。そして、学んで得ていく力があることです。

 

 

 

○グループレッスンのよさ

 

 

 

グループで教わると、そのなかでの違いやオリジナリティに敏感になります。声楽では、本当の個性差を見出せるのは、かなり高いレベルになってからです。共通のベースを学ぶのが先だからよいことです。

 

そこでいろんな進歩の仕方があるとともに、生徒のレベルや違いによって、違うやり方をとることも学べます。

 

劇団やミュージカルなどでは、おのずと比較するという学び方ができるのが大きなメリットです。特にダブルキャストや演目がスタンダードで同じなら、比べられます。人や作品をみる目を養うには、とてもよい勉強になります。

 

自らが個人レッスンしか受けていない声楽家やトレーナーには、グループレッスンするのは苦手な人が多いようです。

 

トレーナーによっては、個人レッスンでも他の人とのレッスン(たとえば前の人)を見せる方式を採る人もいます。これもレッスンする人、レッスンを見る人の相互にとって有意義なこともあります。

 

 

 

○複数のトレーナーについた経験について

 

 

 

わかりやすさ、求められるレベル、やり方、優先順位、判断の違いなど、トレーナーの比較から得られるものは大きいでしょう。いろいろと学べます。

 

しかし、受け手に柔軟性がないと、「どちらの先生が正しいの」「どのやり方がよいの」「いったい、どれが正しいの」と迷いが深まることになります。初心者のうちは、異なる目的、内容や期間で使い分ける方が無難でしょう。

 

トレーナーを選ぶことがもっとも難しいので、私はそれを専らアドバイスしています。トレーナーの使い方を限定し、決めたら有無をいわず、その範囲内において、迷わずにやることです。自分の目的、自分自身について、判断力の高さが問われていきます。それは、じっくりと力をつけていけばよいのです。

 

 

 

 

No.329

聞くだけで、参加しにくいクラシック

歌いっぱなしと習うこと、学び

やってみることの大切さ

耳で観る、目で聞く

打ちのめされた経験

人生観の変わる体験

自分の引き出しに入れてもつ

アマチュアのトレーナーはどこが足らないのか

どう直すのかを教える

イメージことばのつくり方

あいまいなイメージ表現

変に驚くようなことばを使う

心身の共振のため

第41号 「場づくり」

 

○プロの育つ場にする

 

 

 

私がここまでやれてきたのは、若い頃からプロの人に重宝されてきたからです。

 

ですから、一般の人にもプロをそのように使えるところまで、なりなさいと、こちらのレベルは下げず、食いついていく課題を与えるようにしました。

 

次に、それを使えなければ、使えるまでは他から学ぶのもよいと思って、組織にしたのです。

 

日本では、やらない人の口ほどこわいものはない。どこの先生方もやさしく、生徒やスタッフも無難に取り巻きにしてしまいます。トレーナーも生徒に言いたいことも言えない。言うとやめてしまうからでしょう。

 

アーティックなことに殉じるなら、他の人からよい人と思われることなどあきらめましょう。実績と結果だけで問わなくてはいけません。そんな覚悟のある人はほとんどいないのです。その結果が、今の日本人の声の力なのです。

 

 

 

〇孤立、孤独のすすめ

 

 

 

才能の世界の下では、どこでもできない人のねたみ、そねみ、そしりでネットワークされています。そういう人との関わりを絶つのは、難しいものです。表現できないために表出やコミュニケーションが生きがいになってくるからです。

 

創造には、膨大な労力がかかります。他人と関わってグダグダいっている時間などありません。

 

暇だから、他人のあら探しのなどで自己充足しようとなります。そうして、どこのスクールも組織も悪しきサラリーマン化、官僚化してしまうのです。志の違いには、本人が気づくまで待つしかありません。

 

人前でやろうとすると、仲良くすることに専念します。いうことを聞いてくれる、頭数としての客を欲しいからです。そうして、純粋な情熱が曲がっていくのをみるのは、悲しいことです。

 

人に寄っていく人は、そうしている限り、何もできないのです。どこでも人が集まるところに、必ず見られる光景です。

 

本気でやれば、中途半端な仲間も客も吹っ飛んでしまうから、孤独にならざるを得ません。そこを乗り越えるためには、それ以上の実力が必要です。自ら常にいろいろと学び続けることです。

 

どこでも、そこにいることが目的になってしまってはよくないと思います。

 

 

 

 

第40号 「トレーナーの使い方について」

 

○日本のトレーナーの限界

 

 

 

レクチャーでは多くのプロ志願者と接してきました。すると、あたかもどこかで親切なトレーナーをみつけて、ゆっくりと自分の才能のなさに気づかぬように夢をあきらめさせてもらうプロセスをとっていくかのように思わざるをないことが少なくありません。

 

大切なことに気づきたくないから、皆、気づかないふりをして、そのうち考えなくなるのでしょうか。トレーナーも、その人のために一所懸命教えているつもりで、それゆえ、結果として引導を渡すことになっていることが少なくないようです。

 

 

 

〇現実を知る

 

 

 

根本的なものが何も変わらず、今の自分の線上でやっていけば、将来がオンしていくと思うことの甘さが、まったくわからなくなりつつあるようです。それがわかる才能があれば、20歳までに日本でなら、プロとなっているでしょう。昔なら、先生といわれる人は、そういう人には、この道はあきらめなさいと言ってあげました。

 

そうならないのは、表現はとにかく素晴らしいものということ。(だからといって、それをプロとして選ぶことは違うし、そんなわかりきったことをいっているのは、おせっかいなことですが。)

 

トレーナーの生活や、アーティスト活動が、生徒という名の客に依存している現実もあります。ポップスでも音大でも、悪しき依存構造をとっているのです。これが先生が先生としての地位を守るために家元制のようになると、形骸化します。

 

他のアートと違い、人が集まれば、成り立ったかのような印象をぬぐうには、よほど厳しい姿勢で望まないとなりません。メロディに歌詞をつけてトータルサウンドでパッケージしただけの、インスタント商品がいかに多いのでしょうか。

 

 

 

〇才能の発掘

 

 

 

私は、常にその人の才能として見出せるものを求めてきました。自分の力をつけるために、来ているのですから、他人に頼らず、自分の力を出し切って、まわりに認めさせていくことを覚えなくてはいけません。

 

お金を払って、お客さんとして対してもらえるスクールでは、なかなか両立しないものです。日本の場合は、先生にも、才能よりもコミュニケーション力、スクールも、内容よりサービスの方を期待されるからです。

 

強くなればマナーが身につき、マナーが身につかなければ強くなれないということがわかれば、誰よりもしぜんにマナーが身につくはずなのですが、マナーをよくすることが目的になってしまう。これでは、アーティックなことはできません。

 

トレーナーは、その人のサポーターであっても、生活上のカウンセラーやヘルパーではありません。ところが、日本では、メンタルトレーナー以上の役割を期待されるのです。

 

人に依存してしまう人ばかり受け入れてしまうと、能力のある人材は去ってしまいます。そこで日本の組織はどこでもダメになってしまうのを、私は見てきました。

 

自分自身を、トレーナーを使って生かし切ることができるようにアップしていくことです。学校のように、誰もを12割能力アップさせ、平均点にするのではありません。23倍の能力アップを目指すことが、トレーニングの必要性を増し、それゆえ効果をもたらします。

 

レッスンには、自覚を持たせ、人前で一人でやるときに充分に余裕がもてるほどの厳しい基準を与えることです。本番よりも厳しい場としてレッスンを置くこと、一人ひとりが他人と違う、自分のための試みや利用をできるように柔軟性を持ちつつ、必要なこと以外に無駄な時間をとらないように専念することが望まれます。

 

 

Vol.70

〇低く太い声の需要が増している

 

 最近、業界では低く太い声が求められるのをご存知でしょうか。従来、日本人の声は、もともと高めの声でした。特に女性は、諸外国から不快に思われるほど、高くキンキンしていたのです。放送などでも、高い声が好んで使われていたものです。

 これは、国際的には不思議なことで、日本にくる外国人には、「かん高い声で長時間、ニュースを読まれたら、聞く方が疲れてしまう」と言う人も少なくありませんでした。

 たとえば、イギリス元首相のマーガレット・サッチャーも、モデルのシンディ・クロフォードも、アナウンサーの小宮悦子さんも、声を低くしました。

 

〇信頼の声

 

 なぜでしょうか。もしあなたが、相手に本当に大切なことを伝えるときには、どういう声を出しますか。自分の言うことを聞いて欲しいとき、信じて欲しいとき、決してカン高い声は出しませんね。これは、説得力、信頼度を増すためなのです。

 落ち着いた太い声は信頼の声といわれるのです。

1. 個性的で

2. 説得力があり

3. 品がよく

4. 印象がよい

 そういう声が、日本でも求められてきたということでしょう。

 

〇求められる声も変わる

 

 ビジネスの決め手の一つは、電話での応対の声でしょう。通信販売だけでなく、取引相手の多くは、顔がみえません。最初のイメージや印象は、声だけで決まってしまいます。ビジネスに勢いのあるとき、社員はおのずと活気ある声を出します。逆によくないことが起こると沈んだ声になります。それをうまくコントロールしないとビジネスはうまくいかなくなります。

 声が元気、明るいのは、とても気持ちのよいものです。一昔前は、無理に営業用のスマイルと共に、営業用の声としてピッチ(音高)を高くしていたようです。

しかし、ここのところ、ただ明るく元気なだけでなく、落ち着いていて、ていねいであること、つまり品のよさも問われてきているような気がします。

 

〇口上の声の独自性

 

 かつては、香具師(やし)といって、もの売りの声が街にあふれていました。その独特の声の口上にひかれて、皆、道に飛び出たものです。「金魚や」「さおたけー」、人に働きかける声が、街に息づいていたのです。そこでは、カン高い声からダミ声やイキミ声のように独特の説得力をもつ声も多かったようです。個性豊かな声が街にあふれていたのです。今はほとんど自動再生の音声テープになり、寂しいものです。

 市場(いちば)や寿司屋、ラーメン屋、居酒屋に行く理由は、食べることはもちろんですが、元気な声を浴びて、元気になれるからではないでしょうか。その声で、食材まで新鮮にイキイキと感じられてきます。もし、暗い声の居酒屋や寿司屋だったらどうでしょう。おいしくなくなりますよね。

 

〇声美人になる

 

 昔から、プロの特殊技術というのは皆があこがれ、やがて普及し一般化していきました。あこがれのスターのファッション、髪型、メイキャップ(化粧法、化粧品)などは、すぐにまねをされます。今やどこの家にも必需品のティシュ・ペーパーは、ハリウッドの化粧落としでした。それが当然のことながら、声にまで及んできたのでしょう。声美人という言葉が、女性誌などに使われるようにもなりました。

 日本では、声の力への意識というのは随分と遅く、ヴォイストレーニングなどもまだ一般化までは至っていません。政治家や経営者、講演者といったVIPには必ず、ヴォイストレーナーがつき、声や話し方をレクチャーする国も少なくないというのに。

 しかし、話し方、マナーとともに、声のメイキャップは、これからの必修のたしなみでしょう。

 

〇声優人気の先

 

 さて、モデルにも、手だけ足だけを専門にする人(手タレ、足タレ)がいるのと同じで、声だけのモデルという人がいます。それこそが、もう大人気のヴォイスアクター、声優さんです。

 声優さんは相変わらず人気が高いです。アナウンサーもモデルさんも、女優やタレントに転身して、自分の声や言葉でしゃべり出す人が多くなりました。好んで声優役をやります。声は、自分の個性の表現だからです。

 誰もが自分の言葉でしゃべる、自分の声でしゃべりたいのでしょう。

 私もパーティなどで、笑顔もファッションセンスも素敵な人を紹介してもらうことがあります。しかし次の瞬間、その声を聞いてがっかりすることがあります。指先、足先にまで、気を回しても、どうも声には、まだまだ無防備のようです。だからこそ、今、声を磨けばもっとも効果的なとき、ともいえます。声に対しての気配りが大きな差となる時代なのです。

 そして先の読める声優さんは、今は、きれいな声、明瞭な発音よりもどんな仕事もできるように個性的な声、タフな応用力をつけるのにいらっしゃっています。

 

〇声を出せば力が働く

 

 声を出すと、大きな力が働くこと、これは、皆さんも経験があるでしょう。祭でも土木工事でも、スポーツでも、「エイヤー」とか「オー」とか「メーン」とか、掛け声をかけます。重量上げ、ハンマー投げ、テニスのサーブ、バレーのアタック……、大きな声がとんでいますね。

 力は、息を止め、吐くときに働きます。ためた息と力を声とともに解放する、そのとき気合いと声とは、しっかりと力と結びついています。

 試合まえには、円陣をくんで、「エイエイオー」と、声をあわせます。これは、選手たちの呼吸を合わせ、心を一つにします。練習中のかけ声も同じです。

 走るときの、「ファイト、ファイト」は、仲間とともに自分を励ますのです。

 もっと大きな声を出すのは、祭りのときです。ミコシをかつぐときなどの「ワッショイ ワッショイ」と。そう、声は他の人と力を合わせ、より大きな力を働かせるのに役立つのです。

 

〇失われつつある声出し

 

 朝、出社して会社の社是を読んだり、朝礼したり、3分間スピーチ、あいさつのトレーニングをしているところは、たくさんあります。これも、どうしてなのか、わかりますね。

 このスピーチも、今や、もう1分間の時代です。時代とともに、話す速さもテンポアップしています。だからこそ、ますます声をしっかりと使う必要があるのです。

 かつて日本の教育は、儒教の影響下、寺小屋などでは音読が行なわれていました。教育も、国歌や校歌を歌い、点呼で声を出し、大きな声で返事をしていた頃は、もっとしっかりと精神が安定していたような気がします。

最近、日本語を音読することがブームになっているようです。研究所にもよく講師の声がかかります。ただ正しく読むだけでなく声の力をつけるのが目的です。とても嬉しいことに思います。

 

〇声は、命につながる

 

 声を聞いて、医者は健康状態を知ります。これが問診です。

 人間は、声が出なくなり、息が弱くなると、身体も危なくなります。息は生きることにつながっています。息が弱くなると、声も弱くなる。弱々しい声はタブーです。

 もし、そういう声を会話で使ったなら、なんとなく信頼がおけないというイメージを抱かせるでしょう。時によっては不吉な予感さえ抱かせます。子供が嘘をつくときも、語気がないので、わかります。声力がすべてを決めているのです。

 親しい人からの電話の声に元気のないとき、何か悪いことがあったのでは?と疑うでしょう。親は子供を、夫婦はパートナーを、声の状態からいろいろと推測し判断します。

 声は健康や体調のバロメーターなのです。

 

〇声はパワーだ

 

 動物は、声を威嚇するのに使います。人間も同じです。声の迫力は、人を動かします。人間関係も、声に心酔する人、させる人のかけひきといえます。

 それゆえ、歴史では、この声の力が独裁者に利用されることも少なくありませんでした。ヒトラー、ゲッペルス、ムッソリーニと、これらの弁舌たくみな独裁者に限らず、ローマ時代、いえもっと以前から、演説の声の調子が多くの人間を動かしてきました。名演説でその名を残した政治家も、たくさんいます。多くの人を救った人もいます。どれも、声が人間に働きかける力の大きさを表わしているのです。

「ライフワーク正念場」 No.329

巷ではヴォイトレやヴォイストレーナーも一般化して、広く知られるようになりました。それは確かによいことでしょう。

しかし、いえ、それゆえ、私は相変わらず、声の世界が低迷していることにじくじたる思いでいます。「何が変わった」「何が効果」「誰がどう育った」「誰が世界に出た」「昔より本当によくなったのか」など。

 多くの試みをして、多くのことを立ち上げてきました。その分、多くの無理難題にあたりました。多くの挫折、失敗、無理、無駄、無謀をしてきました。それは事実なので、何といわれても仕方ありません。むしろ、批判されなくなることを立ち上げてきた者として恐れています。

 それは歌や台詞などという応用でなく、声の力という基礎そのもののことですが、私が思うにいまだにそこで論じられず比べられず行われず深められず、相変わらず、表面的なのです。世界との絶対的な差が広がるどころか、もう見えなくなっているようなのです。

 “なぜ”“どうして”「こんなぐらいでよいといえるのか」「これで満足できるのか」「だからだめなんだ」を、常に自分自身に突きつけてきました。

21世紀になるとき、研究所を大きく変えました。平成の終わりにあたり、今度は世の中を大きく変えようと思います。

ライフワークとして、これまでの生涯、心身を賭けて行ってきたことを、自分だけの一個人の軌跡で終えず、さらなる実践を現実に対して起こしていかなくてはと思っています。

 今年もお互いにこれまで以上に励みましょう。

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