第47号 「しぜんな声の可能性」
○天然声の限界
“天然声”は、マイクなしではあまり通らないことです。ポップスはマイクを前提にしていますので、それでよいのですが、発声において、最初からマイクに頼るのは本末転倒でしょう。
少なくともマイクを使わない声楽のレッスンでは、マイクを考慮しないところでの完成度を目指しています。
10代の玉のような声が、20代、30代で失われると、取り戻せないパターンになります。特に女性によくみられます。この声は、裏声に似た性質のものといってよいかもしれません。
もっとも大きな混乱の原因は、日本の歌手への歌の期待が、音声表現の完成度よりも、それ以外のことに重きをおいているからです。純粋性、純真性、ある意味では幼児性でしょうか。プロたる条件が、確かな発声の再現性(厳密性)に、根ざしていないからです。
現実に対応するのも、トレーナーの仕事です。トレーナーや声楽家では、自分の素の声や発声がよいために、表現の判断が声そのものでしかできない人が少なくありません。トレーナーだから、声だけ育てればよいという人もいます。しかし、表現の判断を知らないと、結局は育ちません。天性の声のよい人を選ぶしかないからです。
若いトレーナーの大半は、それにあたります。特に発声が伴った、素の声がよいトレーナーに限って、表現を学ばずに他人を教えているから、大きな勘違いが起こります。
天然声の人の場合、それがものになるかどうかは、高次の判断力が必要です。何ヶ月、あるいは何年かみないと、適確に判断できないこともあります。可能性は、レッスンによって大きく変わることもあるし、本人の希望やスタンスも無視できません。
○声のよい人のリスク
カラオケ教室なら、歌い方を教えれば声のよい人は、それなりにすぐになります。ポップスのヴォイストレーナーの大半も同じようなことを行なっています。それは歌唱指導というもので、私の考える、ヴォイトレではありません。そこから導入するのを、一時的によしとすることはありますが。
トレーナーは、自らの求める方向を示しつつも、常に自問自答しているものです。ときには、本人の目的や方向で価値観を照らし合わせることが必要になります。
トレーナーの期待するように歌わせることが、仮の正解としてもよいとは限らないのです。思い切って、天然を捨てさせるのも一つの判断ですが、できれば、両立を考えておくことでしょう。
○声楽は発声のクラシック
私は声楽家に手伝ってもらいつつも、”声楽”でなく「発声のクラシック」、その人の声、体に合わせて、可能性を伸ばすベースづくりを求めています。クラシックの発声ができるようになるのはよいのですが、クラシックな発声をめざすことです。
発声を忘れて、歌って欲しいのです。アプローチとして、感覚や体の日常レベルでのギャップを確実に埋めていく手段として、声楽を取り入れているに過ぎないからです。☆
のどもその使い方も、声もことばも音色もピッチやリズム感まで、一人ひとり全く違います。そこを細かくみていきます。それを本人が知るためには、J-POPSのコピーやカラオケよりも、声楽曲などが分かりやすいので使うのです。
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