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2019年2月

No.330

すぐやらずにみる

口よりも耳

間は体内リズム

仕込む

アクを抜く

かなぐり捨てる

つぎ込む

くせやアカをとる

「満ちてあふれず」    

鼻持ちならない

まずいはわかる

うまいはわからず

甘んじない

「何を」より「どう」

うだつが上がらぬ

意志あれば道あり

その気になれば方法あり

信仰と神をみる

うまずたゆまず

奥義を見究める

根気と努力

修行するのみ

ばかになる

こだわらず素直に

理屈が妨げる

脇目をふらない

迷う余地はない

一念

雑念と雑音

純粋で敬虔

流儀にのっとる

見て聞いて盗む

 

第47号 「しぜんな声の可能性」

 

○天然声の限界

 

 

 

 “天然声”は、マイクなしではあまり通らないことです。ポップスはマイクを前提にしていますので、それでよいのですが、発声において、最初からマイクに頼るのは本末転倒でしょう。

 

 少なくともマイクを使わない声楽のレッスンでは、マイクを考慮しないところでの完成度を目指しています。

 

 10代の玉のような声が、20代、30代で失われると、取り戻せないパターンになります。特に女性によくみられます。この声は、裏声に似た性質のものといってよいかもしれません。

 

 もっとも大きな混乱の原因は、日本の歌手への歌の期待が、音声表現の完成度よりも、それ以外のことに重きをおいているからです。純粋性、純真性、ある意味では幼児性でしょうか。プロたる条件が、確かな発声の再現性(厳密性)に、根ざしていないからです。

 

 現実に対応するのも、トレーナーの仕事です。トレーナーや声楽家では、自分の素の声や発声がよいために、表現の判断が声そのものでしかできない人が少なくありません。トレーナーだから、声だけ育てればよいという人もいます。しかし、表現の判断を知らないと、結局は育ちません。天性の声のよい人を選ぶしかないからです。

 

 若いトレーナーの大半は、それにあたります。特に発声が伴った、素の声がよいトレーナーに限って、表現を学ばずに他人を教えているから、大きな勘違いが起こります。

 

 天然声の人の場合、それがものになるかどうかは、高次の判断力が必要です。何ヶ月、あるいは何年かみないと、適確に判断できないこともあります。可能性は、レッスンによって大きく変わることもあるし、本人の希望やスタンスも無視できません。

 

 

 

○声のよい人のリスク

 

 

 

 カラオケ教室なら、歌い方を教えれば声のよい人は、それなりにすぐになります。ポップスのヴォイストレーナーの大半も同じようなことを行なっています。それは歌唱指導というもので、私の考える、ヴォイトレではありません。そこから導入するのを、一時的によしとすることはありますが。

 

 トレーナーは、自らの求める方向を示しつつも、常に自問自答しているものです。ときには、本人の目的や方向で価値観を照らし合わせることが必要になります。

 

 トレーナーの期待するように歌わせることが、仮の正解としてもよいとは限らないのです。思い切って、天然を捨てさせるのも一つの判断ですが、できれば、両立を考えておくことでしょう。

 

 

 

○声楽は発声のクラシック

 

 

 

 私は声楽家に手伝ってもらいつつも、”声楽”でなく「発声のクラシック」、その人の声、体に合わせて、可能性を伸ばすベースづくりを求めています。クラシックの発声ができるようになるのはよいのですが、クラシックな発声をめざすことです。

 

 発声を忘れて、歌って欲しいのです。アプローチとして、感覚や体の日常レベルでのギャップを確実に埋めていく手段として、声楽を取り入れているに過ぎないからです。☆

 

 のどもその使い方も、声もことばも音色もピッチやリズム感まで、一人ひとり全く違います。そこを細かくみていきます。それを本人が知るためには、J-POPSのコピーやカラオケよりも、声楽曲などが分かりやすいので使うのです。

 

 

 

 

第46号 「しぜんな声と言語音声力」

 

○しぜんなままの天然声

 

 

 

 しぜんなままの声を天然声と私は述べています。素の声がよいときは、そのまま歌わせてあまり”本格的な発声”に変えないようにすることもあります。

 

 ポップスとクラシックの差というよりも、個性やステージで求められるものの違いです。ですから、プロを教えるトレーナーは、発声だけでなく求められる歌唱や表現についてよく学んでいなくてはなりません。

 

 20代くらいまでの軽く透明で伸びやかな声は、そのまま活かします。一方で、今後のために、体づくりや呼吸法を行います。素の声、天然声のままで、20代で通じる人は、100分の1、そのまま30代でも通じる人は、そのまた100分の1もいないからです。

 

 トレーナーには、そのレベルになれなかった人が、そのレベルになれない人を教えているケースが多いのです。J-POPSの歌手をまねさせて、本人も生徒もカラオケのレベルから出ません。それではサラリーマンやOLのカラオケ上級者にもかなわないでしょう。

 

 欧米も、天然声のヴォーカルは、多数います。日常レベルで声がはるかにしっかりとできて、鍛えられているので、歌唱のレベルも高く、コントロール力もついてくるのです。

 

 

 

○日常の言語音声力

 

 

 

 私が、最大の問題としてきたのは、日常での言語音声力の強化です。それは歌とかせりふとかいうまえに、「アー」と一言発した声の力の差です。

 

 そのギャップを埋めるには、

 

1.声そのものの発声力を高める(発声器官の調整、強化)

 

2.共鳴の調整、強化(発声・歌唱の調整)

 

が必要です。

 

2は胸部共鳴と頭部共鳴に分けて考えてもよいでしょう。

 

 腹からの声は、日本人にもありますが、胸で芯をつかんだ声、頭で焦点を放った声(ひびき)が少ないのです。日本人にもいないわけではないのですが、高音域が求められる歌い手には、とても少ないのです。さらに近年、減っていっています。

 

 ニューミュージック系とシャウト系で、日本では圧倒的に前者、ロックでさえ、歌謡曲っぽいやわらかい声になりがちです。それは、日本語と日本人で日本で生活していることに深い関わりがあります。

 

 日本人は、頭部の鼻腔、共鳴があたかも発声法のように、教えられてきました。教える人※もそれをまねして使っています。強い息やシャウトは、のど声、地声として、排除されています。少なくともトレーナーには、好まれません。

 

頭部共鳴だけを教えることのポイントにすると、目的が絞られるので、楽でもあるのです。日本の合唱団の指導によくみられます。確かに、一理あるし、私も相手や目的によっては、似た方向をとります。とはいえ、すべてのケースにあてはまるのではありません。

 

 

No.330

みる―みられる 

選ぶ―選ばれる

ルックス、学歴、財力、

きれいな体

清潔から潔癖になる

声も澄んでくる 

浄化と洗練

たばこも酒もやめる

デトックス

他者との触れ合い

他人は異物

声は触れ合う音の干渉作用

同一性 アイデンティティ

子供を産むと汚いものと接する

他者への関わりで自己を規定する

自他は相互補充するもの

でたらめな人が存在、意味を感じさせる

コスメチック(化粧 仏)とコミック(コスモス ギリシャ)

魂と宇宙

セクシャリティを消し服の解体

ルーズフィット=まとう 

外してずらして崩す

「非風をまぜる」

非風とは正しくない型(お能 老本の花 世阿弥)

みえないものを出す 

みえてもみえないものを出す 

みえるようにするのが詩

1970年代の前衛派(三宅、山本、川久保、高田)

第45号「トレーナーをすることのデメリット」

 

○ヴォーカルの副業としてのトレーナー

 

 

 

 ヴォイストレーナーの仕事は、誤解を恐れずにいうと、音楽の仕事ではないのです。研究所のようにプロやそれなりにできるレベル以上の人が集まっているなら別ですが、それは特別のケースです。自分に上の人とやるなら、教えることは、自分の勉強になります。

 

 プロと接することの機会は、ふつうのトレーナーにはないでしょう。駆け出しのヴォーカルがトレーナーをするなら、初心者相手にしかありません。スクールも同じです。

 

 多くの生徒は、12年で交代していきます。スクールのトレーナーをやるのは、テレフォンアポインターとあまり変わらないところもあります。

 

 若いうちは、喉はタフではありませんから、自分の喉によくありません。

 

 世の中に出るのには、最高の喉の状態をキープできることが必要です。“ひどい声”を聞いて、それを直す、音程やリズムのはずれたのを聞き続ける、これはかなりの負担にならないはずがありません。生徒のコンサートやレコーディングまで関わると、かなりの負担になります。もっと自分のことで、すべきことがあるはずです。自分の客やスタッフとして、生徒を頼ることになるパターンが多いです。

 

 こういう人は、とても面倒見のよい人です。それゆえにアーティストではありません。一流のプレーヤーは引退後、一流の弟子を育てることもありますが、ヴォーカルに関してはあまり当てはまりません。

 

 自分の世界を創り上げてから教える方にまわるか、きっぱり断ち切って自分の活動に専念することです。生徒が先生くらいにはなれると勘違いするのもどうかといったところです。

 

 

 

○スクールのステージ

 

 

 

 トレーナー業を食べるために自由で割りのよい職と考える人は少なくありません。先生ともなると、生徒は自分のライブの安定した客にもなります。音大ならともかく、ふつうはやめさせないためにおのずと指導に甘い先生になります。ステージという環境もベースもない生徒に、そういう場を与えることで、生徒の自立を妨げかねません。 生徒に「がんばったらやれる」と励ましながら、客観的には、「これでやれっこない」というようなレベルにしてしまいます。

 

 トレーナーは、本人が精一杯やることで教えることです。時期がきたら、追い出してでも、独り立ちさせることも大切です。

 

 スクールでライブをやっても、客は、身内であって、純粋な客ではありません。表現を徹底させるのは、厳しいものです。

 

サークル活動、カルチャーセンターでの歌謡教室の役割なら、それでかまいません。他の本業のある人が、趣味で歌をどう楽しもうと自由です。

 

 トレーナーが作曲家やプロデュースもやるなら、ステージも実践の場として与えられます。ただ、生徒を同じ舞台にあげ、完成度を下げるのは、結局は続かない原因となります。

 

 ヴォーカルはオンリー1で、かつナンバー1でなくては続きません。役者のように、オンリー1だけでは、場がなくなるのです。スクール内イベントであるのに満足する人は、そこが合っているからよいのです。そこでやっていけば将来が開かれていくと勘違いしてしまう人がいるので困るのです。

 

 

Vol.71

〇声はことばよりも深い

 

 人は、死して声を残すものだと思います。死んだ人の声が聞こえてくるとしたら、少し恐いようですが、これは、あながち嘘とはいえません。

戦場で死ぬときに母の顔が思い浮かび、母のやさしい声が聞こえてきた。そういうことを、何度か聞いたことがあります。

 そのとき、親しい人の顔よりも声の方が、心に働きかけているように、私は思います。亡くなった人の顔ははっきり思い出せなくとも、声が聞こえてくるというのは少なくありません。その人の元気だった顔とともに、笑い声や言葉などが思い出されるのではないでしょうか。

 たとえば、映像を声を消して見ましょう。そのときの味気なさが、わかりますか。私は、映画を吹き替えでは観ません。原作の味が半分、失われるからです。もちろん、吹き替えの声優さんの仕事は大変な意義あることで、その必要性や技量を否定しているのではありません。

 でも、「あの人の生の声が聞きたい」というのは、人間の大きな欲求の一つでしょう。

 高齢になって、ぼけても、音を聞いて、声や歌で我に返ったとか、忘れていたことを思い出したということが、よくあるそうです。音楽療法や老人医療にも、童謡、唱歌はよく利用されています。声をかけ、手を握ることほど、人を励ますことのできることはありません。

 

〇声は記憶に深く残る

 

 目で見るものが情報の大半を占める今も、匂いや音、つまり、人間にも動物としての原始的な本能のもつ感覚は、深いところに根づき、生きています。なかでも聴覚は、生物が太古に獲得した能力の一つです。匂いや音は、目でみたものよりも、原始の脳に刻まれます。

 生まれるまえから、私たちは、音声を聞いています。そのため、母親の声の影響は、体内の胎児に大きく働きかけます。ですから妊婦は、ヒステリーでストレスをためた声を、あまり出してはいけません。赤ちゃんに精神的に不安定な状態を聴かせることになるからです。

 近年は胎教としても、クラシック音楽を聞かせたり、お腹をさわりながら声をかけることなどが一般的に行なわれるようになってきました。生まれるまえも、生まれてからも、目がしっかりと見えるまえに耳が、いろんなものを探り、情報収集しています。胎内で聞いていた母親のザーという体内音を聴かせると、赤ちゃんは安らぐそうです。

 

〇耳は古く、声は新しい

 

 人間が古い生物のときから、耳の機能はありました。年老いてぼけてきて、目が見えなくなっても、昔聞いた歌は覚えていたり、歌ったりできるのは、音声は、記憶の奥深いところへ埋もれているからなのでしょう。

 それに対し、声はもっともあとで獲得された能力です。聞いて歌うというのは、この2つを結びつけているので大変なことなのです。

 

〇声でしきる

 

 勝ちどきの声というのは、勝利の喜びです。

戦さで突撃のときは、「ワーーーー」と声をあげ、自らの勇気を奮い立たせました。敵をおびやかすために声をあげた名残でしょう。そういえば、日本人の好きな「第九」の最終楽章は、歓喜の歌です。

 声の大きさは、その場をしきるためにも必要でした。昔の教師や父親は、子どもを叱るのに大声で一喝したものです。

 もちろん、弱い犬ほどよく吠えるともいわれます。沈黙が金という言葉もあります。特に日本では、やたらと声を発しないのが美徳とされてきました。

 しかし、責任ある人の発する一声の重みが、歴史を動かしてきたのは、確かです。

 

〇喧嘩もクレームも、声で納まる

 

 身近なところでも、声のやりとりというのは、人間関係の象徴です。声の調子一つで仲よくもなるし、険悪にもなります。片方が声を荒げると、もう一方も同調し張り合うことになります。

 売り言葉に買い言葉、これも、売り声に買い声とでも言った方がよいくらい、言葉の内容より声の調子によって感情は刺激されるのです。ですから、その場をおさめたければ、共に自分の声の調子をゆったりとさせればよいのです。

 これを利用しているのが、客のクレームなどを処理する人たちです。決して相手の感情的な声に同調せず、受けるだけ受けて、ゆっくりと返します。すると、相手もだんだんと落ち着きをとり戻してくるわけです。

 逆に相手をあおって興奮させ、失敗させたり、ことを有利に運ぶ、こういう使い方もあるのです。

 

〇役者は、一に声

 

 「一声二振り三姿」といいます。役者にとって声は、動きや内容を伝える最大の武器だということです。その一番目に声をもってきたのは、やはり演じる人間にとって、第一の基本は声ということを伝えたかったのではないでしょうか。

 劇場のすみまで通る声があってこそ、芝居は成り立つのです。

 振る舞いや表情も大切ですが、目でみるものは、みえないところでは無力です。

 遠い、暗い、かげになっているとき、頼りになるのは耳、音の世界です。飛び込んでくるのは音声です。特に人の声は、とてもよくひびいて聞こえます。

 それは、人が人の声を求めてきたからでしょう。そのためにか、人のしゃべっている声は、殊のほかよく聞こえるのです。

 

〇人の声はよく聞こえる

 

 ざわめいたパーティのなかでも、一人の声を聞こうと耳を澄ますと、よく聞こえます。聖徳太子でなくても、一人の声なら数人のなかから私たちは聞き分けられるのです(さすがに同時にすべては無理ですが)。これを、カクテル効果といいます。

 今からは想像もつかないほど、陳腐な音しか再生できないレコードが発明されたのは、オーケストラなみに荘厳な音が出るオルゴールができたあとでした。しかし人々は、人間の声を求めました。そのため、レコードは急速に普及し、ついにオルゴールを凌駕していったのです。このことからも、どんなに人間は人間の声の方を求めていたのかが、わかりますね。

 

○声が自殺を救った

 

 マヘリア・ジャクソンの「サイレント・ナイト」(聖しこの夜)の歌声に元気づけられて、死のうと思っていたのをやめた人がいます。日本でも、坂本九さんの歌を聞いて、自殺をやめた人がいたそうです。

 歌は、人々を元気づけます。

 日本の戦後は、並木路子さんの「リンゴの唄」から始まりました。その歌は、日本人の敗戦の悲しみ、生活のつらさを一時、忘れさせてくれました。

 最近、日本で大ブームのゴスペルもそうですね。アカペラの声の魅力にとりつかれて、老若男女、ハモる人たちがたくさん出てきました。カラオケも、私たちの娯楽、ストレス解消として、なくてはならないものとなりましたね。

 「リリー・マルレーン」は、一次大戦中、その歌がラジオで流れる時間だけ、銃火をとめたといわれています。慰安にも、歌はよく使われますね。

 ラストソング、白鳥の歌に、あなたは何を選びますか。

 

〇大女優は声美人

 

 作詞家の松本隆さんが、“声美人に恋する”というエッセイのなかで、「大女優は口が大きく声が低めでやわらかい、でもよくひびく声美人だ」と述べていました。イングリッド・バーグマン、ソフィア・ローレン、マリリン・モンロー、オードリ・ヘップバーン、ブリジッド・バルドーなど。音色は先天的なもので、心のあり方がそのまま反映される声の方が、恋人を選ぶときにも、重要とまで、おっしゃっていました。

 声には知性や性格、精神的なものが、隠さず表われるからでしょう。

 

〇美空ひばりは声で永遠となった

 

美空ひばりさんは、亡くなられて13回忌が過ぎたというのに毎年、何十億も売り上げています。石原裕次郎さんの声も、消えません。桂枝雀さんから林家三平さんにいたるまでの落語、浪曲など、作品とともに、そういう人の声は、ファンでなくとも生涯、忘れられることはないでしょうか。岡本太郎さんや田中角栄さんの声も、思い出せませんか。

 個性的に生きた人の声は、永遠に人の心に残るのです。

第44号 「トレーナーに必要なこと」

 

○トレーナーに必要な経験

 

 

 

 トレーナーの経験としては、次のことが必要に思います。

 

1.プロを育てたり身近かで長く見てきた経験

 

 できたら、外国人プロ、外国人トレーナーを使った経験

 

2.本人の俳優、声優、歌手などの実際の体験

 

 アーティスト活動、世の中での仕事の経験

 

 教えるというのは、多くは自分よりも若い人、未熟な人を相手にするので、初心者相手にしか経験を積んでいないトレーナーがほとんどです。

 

1.歌の判断(業界、ステージでの経験)

 

2.声の判断(自分の声)

 

3.体の判断(自分の体)

 

 これらは、プロや一流のアーティストと比較してこそ、わかるのです。

 

秀れたトレーナーの資格は、その上で、他人の声や体にどう働きかけられるかです。

 

1.国際的基準、発声や音楽として専門レベルの判断をすることができる。

 

2.オリジナリティ優先の判断ができる。

 

3.声づくりの方法が確立している。(試行できる)

 

これらを合わせて、最低限の条件です。ただし、対象を絞り込んでいるときは、その相手に必要なことでよいのです。

 

 

 

○専門の力をつける

 

 

 

タイプ別にわけると、出身や経験が次のような人が多いです

 

1.プロデューサー 2.声楽家 3.音声医 4.作曲家 5.役者や声優 6.ヴォイストレーナー

 

 トレーナーのよく陥りがちなのは、なんでも自分一人で引き受け、他の専門家やその人に合った人を紹介しないことです。

 

1.自分でできなかったことに向き合わない。

 

2.マニアック、知識中心で、過去のやり方に偏向。

 

3.固定観念をもちやすい。

 

 ヴォイストレーニングメニュのうち、矯正については、音声学を参考にするとよいでしょう。

 

 音の流れや呼吸としては、指揮者のように音を観る感覚と連動していきます。日本語教師や言語聴覚士などの勉強も役立つでしょう。

 

 

 

○演出家的な視点をもつ

 

 

 

 演出家、プロデューサーは、自分が歌ったり演じるのではなく、それを人にやらせることによって、人の心を動かす仕事です。トレーナーならそれもわかっていないと困ります。

 

 世の中には両方をできる人もいますが、ふつうはどちらかをベースにしています。ですが、歌手が教えて大成したケースはあまりありません。

 

 

「少しの違い」 No.330

バッターで打率2割というと下位打線か2軍、3割というと強打者(4割ともなれば歴史に残る大打者)となります。その差は、10球であれば2球と3球で、1球の違いです。78球打てないことには変わらないわけです。しかし、1,000球となれば、100球違ってきます。1万球で1,000球。となると、1割というのは、どれほど大きな違いでしょうか。100m走なら1­10m近くです。そこがわかるかどうかでしょう。

「自分の方が相手よりも遥かにできると思えば自分と同じくらい、自分と同じくらいと思えば遥かに自分が下」というほど、人は自分に甘いのです。人と比べているところで勝負になっていないから、嫉妬と妬み、そねみになり、囚われるのです。

運とか才能とかいうのも同じです。少しやっているとかできていると思う人は、ずっと自分よりやっているしできているのです。少し認められていると思う人は、ずっと自分より努力しているし時間をかけてきているのです。

そこをしっかりと知るところからがスタートです。

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