〇うるさい国、日本
日本人は音に無頓着、日本は口害、それも音声の公害の国といわれているのを、ご存知ですか。
音に敏感な人には耐えられないことが、この国にはたくさんあります。公共の場、駅のベル、アナウンス、車内放送のうるささなど、です。自販機から家電までしゃべるのですから、親切を通り越して、ありがた迷惑、どこもかしこも騒音だらけなのです。
バイオリニストの中島義道さんの「うるさい日本の私」(新潮文庫)は、そういったことについて書かれたおもしろい本です。
〇声の悪いのは、口害。
しかし、声がよくない、伝わりにくいというのは、困ります。これも口害ではないでしょうか。目と違って、見えない、何度も見直せない、出たところから消えていく音声は、当の本人が、もっとも気づきにくいものです。
自分の話していることがよく聞こえない。それは、相手も不便ですが、やはり巡り巡って損をするのは、本人でしょう。何度も聞き返されるはめになります。
いえ、外国人のように、きちんと聞き返してくれるなら、まだよいでしょう。日本人は失礼と思って聞き返さず、推測して済ませてしまいがちです。つまり、聞こえたふりをされてしまうのです。これでは、後々トラブルにもなりかねません。
自分の声がよく聞こえていないこと、不快なことを、そうである人ほど気づかず、悪循環となってしまうのです。
人の口に戸は立てられませんが、せめて声くらいはよくしたいものです。
〇察する文化からの変容
かつてのオヤジが家で使う言葉は、「おい、メシ、フロ」の三つだけといわれていました。何もいわずとも、まわりが意をくんで伝わったのが日本人の社会でした。まさに声いらず、察する文化だったのです。
しかし、一般の社会において、これはもはや例外です。大半は「○○さん、今、戻ってきました。あすは○○時に出ます」「今日は○○が食べたいが、君はどうだ。それでは○○にしよう」とすべてにおいて対話してコミュニケーションをとりあっていなくては、意志は通じないものです。しかも、日本語という言語は敬語や複数の人称、代名詞など、日常で使っている言葉をさらに変化させる必要があり、複雑です。
国際的にみると、どこでも、自分自身の考え、意志、意見をはっきりともち、常にそれを口頭で表現していかなくては、うまく生きていけないのが社会というものです。黙っていたら、無視されるどころか敵意さえもたれるのです。そこで、大人になるにつれ、話す技術をマスターしていくのです。
しかし、日本という同質の人たちで成り立っていた村社会では、あまりにもその必要がありませんでした。何も言わず、以心伝心できずに、声に出すのは野暮でさえあったのです。
でもはっきりとものを言わないと、通じない社会に変わりました。
その一方で、ため口にみられるような目上の人への話し方の変化や言葉の使い分けが、いい加減になってきているところもあります。
どちらにせよ、以前にまして話し方やコミュニケーションが重要視されるようになってきているのは、確かでしょう。
〇あなたのリラックスした声とは
ここで、話し方や話の内容よりも、親しい人と話をしているときのリラックスした状態を確認しておきましょう。声は意識すると、途端にぎくしゃくしたり、うまく口がまわらなくなったりして、不自然になります。
親しい人との話は、おたがいがわかりあっているから、話の内容や意味にさして大きなウエイトはありません。むしろ、声の調子やトーンなどによって、言いたいことを伝えています。それは意識したとたん、くずれます。
たくさんしゃべるカップルは、まだ知り合って間もないか、破局の危機にあると思ってもよいでしょう。沈黙に耐えられないからです。親しき仲では言葉以外のニュアンスで、大部分のコミュニケーションは成立しているのです。
片や、パブリックなスピーキングでは見知らぬ人に自分自身をアピールすることになります。言葉を適確に使った上で、自分の考えや話の内容を伝える必要があります。このときには、声という要素は、とても大切なのです。これらをうまく使って働きかけているのが、うまく話せる人です。
その違いを知るとともに、あなたも今日から日常の言葉やコミュニケーションに使われる声に、関心をもってください。声に関心をもつこと、これこそが上達の第一歩なのです。
〇会話は内容よりも声
自分の声はよく通らないという人がいます。
しかし、私の知る限りでは、日本人は、さして声そのものをよく聞いているわけではありません。そこにちょっとした声への気配りや、気遣いがあれば、かなり伝わるはずです。
むしろ、そういう努力をほとんどしていないで社会生活を営んでいるのが、今までの日本人といえます。これは、国際的にみてもかなり、低いレベルのことに思われます。もちろん、言葉に出さずとも、ニュアンスまで伝わるということでは、ハイレベルのコミュニケーションが成立しているといえるのですが。ここでは、身内ではないレベルのコミュニケーションにおいて述べていきます。
アメリカの心理学者メラビアンの調査※では、声の力は話の内容よりも大きく相手に働きかけるそうです。パフォーマンス学の第一人者、実践女子大の佐藤綾子教授の日本人対象の調査でも、同じようなことを指摘されています。
顔の表情、姿勢に加えて、声から感じられるイメージでその人への信頼度も大きく変わるし、言っていることの説得力も違ってくるのです。そして、決め手となるのは言っている内容よりも声なのです。
※アルバート・メラビアンの法則……人が相手に伝えようとするとき、言葉7%、声の調子(音声)38%、態度55%。(表)
○異性へアピールする声とは
動物や昆虫が、その鳴き声で求愛することは、よく知られています。
人間も、こういうところでは同じなのでしょう。愛しい人の声は、他の人の何倍も、あなたの心を揺さぶるはずです。
なぜ自分にとって、特別の人の声は、大きく心に働きかけるのでしょう。たとえば、好きな人、好きなタレント、好きなアーティストの声は、声でその人を好きになったわけではなくても、あなたにとって特別なものでしょう。
声に恋してしまった人たちもいます。相手は異性とは限りません。歌い手や、声優のファンは、まぎれもなくその声に魅かれたのです。そこから、それを天職としてしまった人も、少なくありません。
顔やファッションと同じで、人に好かれる声にも流行や好みがあるでしょう。その人に似つかわしい声、個性的な声は、一概にいえません。しかし、声は顔と違い、その機能として言語化して活用します。そのため、魅力的な声というのは、何となく一定のイメージがあるようです。それはきっとモテる人のもつ要素とも一致するでしょう。男らしい声、女らしい声、包容力のある声、優しい声、明るい声、落ち着いた声など…。
どういう声が異性にアピールするかは、役者、声優、歌手などの人気度などからも、ある程度、推測することができます。あなたの声が、誰かに似ていることで得したり損することもあるでしょう。
もちろん、声は素質だけでありません。声の使い方や語り口によっても違ってきます。また、相手の個人的な趣向によっても、かなり違うでしょう。
一般的に声がよいといわれる人というと、誰が思い浮かびますか。自然な語り口のパーソナリティ、それとも、声優や役者として活躍されている人あたりでしょうか。