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2019年3月

第52号 「判断を保留する」

 

○やりやすく合っている方法がよいのか

 

 

 

 今、やりやすいやり方が必ずしも長期的にみてよいとはいえません。そこを優先すると、すぐに効果がでるやり方だけになりかねないからです。すぐに効果をだすのは、本人のモチベートをあげ、トレーナーや研究所を信頼してもらうにはよいのですが、トレーニングの本質的な目標とは一致しないことが多いのです。

 

 すぐ実感できて、やりやすい方法を否定しているのではありません。それが最初のステップとなるなら望ましいことです。初心者ならそれがよいとも思います。

 

 ただ、そうでない方法や自分と合いにくいと思うやり方をとるトレーナーの能力を否定するのは、浅はかなことです。今まで自分の感覚だけでやってみたり、別のトレーナーについて学んできたというのなら、なおさらです。何らかの目的、あるいは問題解決のために、ここにいらしたのであれば、一度自分の判断を保留しては難しいからこそ、すべて活かす方へ努めてほしいのです。それでも自分の判断は働きます。だから、急がないで欲しいのです。

 

 すると、どのトレーナーの方法が正しいとか間違っているとかいうことでなく、すべては自分への気づきのヒントとして、あることがわかります。

 

 

 

○客観視の徹底のために

 

 

 

 私はホームページやブログや会報に、トレーナーの名や生徒の名を入れません。表現の世界ではID(その人であること)が大切ですが、研究所というのは自分研究の場です。

 

 一人のトレーナーのいくつもの方法も一人の生徒の学び方も、年月やその人の名や属性でくくらずに、すべて均質に並べておくことにしています。できるだけ、ご自分に役立つ材料にして欲しいからです。何ら価値観(独断偏見になってしまいがち)を入れないで、そのままにみて欲しいのです。歌も、歌手名や曲名、歌詞も、余計な知識=先入観なしに、好き嫌いを抜いて聞いてほしいといっているのも同じことです。

 

 

 

〇ノウハウより基準と材料

 

 

 

 私が、「ノウハウ(やり方)とメニュ」というニュアンスを、どちらかというと否定して、「基準と材料」という言葉を使ってきたのは、ノウハウ、メニュ集めになるのをやめさせたいからです。研究者やトレーナーの立場なら、確立したノウハウやメニュも必要でしょう。

 

 トレーナーには、自分自身の勉強で、他に教わったり本で読んだメニュを自分に試してよかったから、初心者に使う人もいます。それは、けっこう乱暴なことでしょう。

 

“熱心な”トレーナーですが、トレーナーと初心者とは違うのです。

 

 一つの声さえまともに出せない人にビブラートのつけ方やミックスヴォイス、ファルセットなど、○○ヴォイスなど何種類もの発声をやらせてどうなるのでしょう。

 

 少なくとも私のところには、そういうトレーナーはいません。

 

 すべての材料を自ら、主体的に判断するのでなく、判断の基準がアップするように使ってください。すべてを使う必要はありません。たった一つでも使えるものを最大に深めて使えるようになっていくことが基本です。私自身は、歌唱や声楽は、声を高度に応用されたものと位置付けています。

 

 

No.331

自然体であれ

あぶく銭とらず

悪いくせをうつさない

焦らず騒がず

たゆまずかぶれず

師匠一生涯

性根をつかむ

無言だんまり

言われずに悟る

うまく例える

「師は釣鐘弟子は橦(しゅ)(もく)

手練して撞()

聞かせどころ

素直にていねいに

褒められるようおもしろくすな

心得

地と詞と節

悟りと節

教訓の書

ルーツ

後々に伝える

元にあたる

性根

ツボ

味わい

精魂

十人十色

格式不要

物知り不要

第51号 「成果の実証」

 

○方法論に陥らない

 

 

 

 トレーナーのレッスンやレクチャー、本などからの影響は、間接的なものとして、参考にするのはよいのですが、必要以上に大きな影響を受けている人がいます。熱心であればあるほど抜けられなくなるものです。

 

 誰でも自分が尽力したもののおかげで成果を得たと思いたいものです。それが下積みになっていても、すぐに成果を認められなかったものについては(そのトレーナーやその方法か)間違いと思いたいものです。

 

 結論からいうと、どちらも本人の実感と思い込みだけで、何ら客観的な実証はされていないのです。トレーナーには、大した経験も経ず自分の方法を絶対視している人が多くて危なっかしいといえなくもありません。

 

 

 

〇変幻自在のマニュアル

 

 

 

 研究所には、私と研究所のトレーナーのマニュアルがライブラリーとして、また、本やブログなどでの記録があります。

 

 ここでも二人以上のトレーナーにつくのでマニュアルや、方法論としては混在するわけです。初心者にとっては、わかりづらい状況です。

 

 「正しいのはどれかを教えてくれ」といわれることもあります。そこを、ことばで問わずにねばって欲しいのです。

 

 一つの方法でもいくつの方法でも同じです。誰かの方法というよりも、あなたのことを重視すれば、やり方はおのずと多様になってくるからです。一人ひとり違うのです。

 

 ここのレッスンのメニュや進行は、相手によってすべて違います。相手やその状態、状況が変わると、やり方も変わります。全てが正しいのでなく、今までの経験上もっともよかれとトレーナーが思い込んでやっていることです。必ずもっとよい方法もあり、もっとふさわしいトレーナーもいると、考えています。だからいつも私は組織的運営をしつつ判断しているのです。最終的には日本人の口伝を欧米人のようにプログラム化することを目指しています。

 

 

 

○トレーナーの個々の才能を生かす

 

 

 

 トレーナー二人の方法が違った場合(ほとんどは違いますが)、私が間に入って、トレーナーにどちらかの方法に合わせてくれとはいいません。私は、トレーナー一人だけに任せられるというレベルで、トレーナーを選別していますから、本人の強い要望がない場合を除いて、行いません。トレーナーのこれまでの経験や手腕を否定して得られるものはないからです。

 

 私のいうように教えてくださいともいいません。それもトレーナーを否定することになります。私自身も自分の本の通り教えたことはありません。本とレッスンとは違うのです。

 

 二人のトレーナーの方向や判断が逆にみえるときは、そこにどう表われていくのかをみます。

 

 トレーナーとミーティングをして調整すると、多くは優先順位の違いです。ときに、目的についての解釈が異なることもあります。

 

 本人の欠点はわかりやすいのですが、すぐには直しません。その人の長所についても、すぐに決めつけないようにはしています。

 

 大体はどちらかのトレーナーの方法がやりやすいと本人は思うものです。それも比べてはじめてわかることがたくさんあるのです。こうして気づきが多くなることが一番大切なことなのです。

 

 

 

 

第50号 「プロになるのが目的なら」

○プロを定義する

 

 

 

 プロになるには、自分のめざすプロというのを定義しなくてはいけません。歌い手、ヴォーカルというのは、もはやエッセイストと同じくらい、誰もが使える肩書きです。リズムネタや歌を使うお笑い芸人の歌唱力も、場合によっては、今のプロ歌手を超えているでしょう。彼らが提供しているスタイルこそ、オリジナリティです。でもヴォーカリストとはいわれません。芸人、タレントですが。アーティストとは、独自のスタイルをつくる人のことですから、それに含まれると思うのです。

 

 CDを出して売っているのはプロのヴォーカル、売れたらプロというなら、マツケンサンバの松平健さんも、プロヴォーカルです。声優も役者もタレントは言わずもがな、スポーツ選手やアナウンサーでもCDは出しています。

 

 あなたにとってのプロって何かということからスタートしましょう。

 

 

 

〇プロのための、と、プロになるため、の違い

 

 

 

1.プロはプロに認められなくてはいけない

 

2.アマチュアのなかでやれることと、プロとは問われるものが違う

 

3.プロになっても続く人は、ほんの少ししかない、続いてこそプロ。

 

 まずは、このことを知ってください。

 

 アマチュアとして楽しく上達するのとの違い

 

1.プロの作品は、結果としてお客が満足するものである

 

2.プロのステージは、結果としてお客がすっきりするものである

 

3.プロは、お客の期待以上のものを出すものである

 

これらの力を養うためにトレーニングがあるのです。

 

 

 

○デモテープづくり

 

 

 

 デモテープにお金をかけることなど、考えなくてかまいません。何十万円以上かけても、プロデューサーは評価しません。その心意気くらい見てもらえるかもしれませんが、プロデューサーは、作品の完成度でなく、可能性でみるのです。

 

 早々にまとめよう、完成させようとしているのは、方向違いです。

 

 私がもらうものには、高度に加工してまったく声の判断がつかないものも少なくありません。

 

 それは、プロのスタッフの力です。バンドならともかくソロなら不要です。かえってあなたの魅力や個性が出てこなくなります。あなたの声のアピール力と声が何を伝えるかを問うてください。

 

 

 

○プロになるのに必要なことは

 

 

 

 メジャーデビューを目指すなら、有能なプロデューサー次第でしょう。自分のスタイル、バンドなのかソロなのかでも違います。「デビューしたらプロ」と考えるのもどうでしょうか。

 

 それで食べているというのと、食べていけたらというのもかなり違います。今やヴォーカルは、職としては成り立たなくなりつつあるのです。

 

 すぐれたプロデューサーが、人をみるときは、ヴォイストレーニングの成果など折り込み済です。1、2年、ヴォイストレーニングをやって、そこで奇跡が起こることはありえません。

 

 主に行われているのは、ピッチが安定しないことへの、ピッチトレーニングと無理な高音トレーニングです。急に腹式呼吸などやっても、かえって歌がくずれるだけです。歌とトレーニングの関係をきちんとふまえないからです。

 

 

 

○ヴォイトレが必要なとき

 

 

 

 俳優、声優、アナウンサーなどになるには、養成所、事務所があります。ヴォーカルもありますが、今は歌手ではつぶしがきかないため、タレント、役者に転向させられた人も少なくありません。役者はエキストラや誰もが替われるちょい役でなら、どんな舞台でも出られる可能性が高いのですが、ヴォーカルには脇役はありません。

 

 プロというなら、所属するか、自分でプロデュースするかです。

 

 ストリートでライブやって、CD一枚千円、これを10枚売って日給1万円、といえ、プロでも手取り月収30万円は、簡単にとれないのです。

 

 ヴォーカルにはプロデューサー、俳優には演出家、映画監督、ドラマ、CMのプロデューサーなどとの仕事が生じます。多くの人は、そういう人に認められるために、ヴォイストレーニングにきます。本当は認められた人こそ、ヴォイストレーニングを必要としているというのが、ここにいるととてもよくわかります。

 

 

 

○ヴォイトレによる効能

 

 

 

1.健康になる

 

心身が弱いなら、声を出すための体と呼吸づくりからです。

 

2.積極的になる

 

性格が弱いなら、テンションを最大に保てるようにすることです。

 

3.リラックスできる

 

緊張するなら、心身を解放できるようにすることです。

 

 

No.331

<「人は『のど』から老いる『のど』から若返る」の本でのレクチャーメモ> 2019.2.6

 

のどと声

のどはブラックボックス

のどは鍛えられる 筋肉である

飲みこみチェックテスト

赤ん坊、死産かどうか

無呼吸のように飲める 馬と赤ん坊

「プハー」しない 

軟口蓋と喉頭蓋が接す

喉頭下がるー立体交差(しない)

発音、調音サ~ワ(タカラパ)

拳上筋(P105

喉頭筋群の劣化と水分(ドライマウス)

のど仏はぶらさがっている

姿勢、呼吸、発声、表情筋(舌、あご)

食事、睡眠、生活(充実感)

20歳からの老化

年齢とともに男女同じ高さに

誤嚥性肺炎の誤解

スマホ疲れ

声出すのは歩くことと同じ

だえき腺(あご、舌、耳下腺)

音楽療法

芸術療法

リハビリ

自己治癒力

声出しの日常化

のどが強い

1.あご、歯かむ力 のみこむ力 

2.声が大きい 長く使える 

3.声がよい

声帯がふるえての声でない

1曲10cal

社会性

RT視能訓練士(P118

笑いのトレーニング 笑いころげる

アホな顔、しぐさでアホなことをいう

お笑いと芸人

イイダコウジと朝日先生

梅原猛、橋本治の死

 

第49号 「プロとトレーナー」

 

○トレーナーは相性より使い方

 

 

 

 ヴォイストレーニングは、どこかで目的を決め、その後も絞り込んでいくことです。それによって、トレーナーをどう選ぶか、トレーナーに何を望むかも違ってきます。

 

 私がみるに、トレーナーとの相性よりは、方法とのミスマッチ、内容について目的にそっていないのが問題です。それでは、目的とする効果はのぞめません。トレーナーを変えるのでなく、トレーナーの使い方を変えるのです。

 

 たとえば、ヴォーカルの場合、

 

目的……プロになること

 

効果……声域・声量がつくこと、歌がうまくなる

 

 これをよく考えてください。果たして、この目的に対して、目指すべき効果がこれでよいのでしょうか。

 

はっきりいうと、この効果は目的にさほど必要なことではありません。これが初心者のうちは、わからないことです。

 

 あなたが初心者なら、歌も声もわからなくてもよいでしょう。しかし、声や歌はわからなくとも、自分の目的の設定を間違えてはいけません。そのためにトレーナーがいるのです。多くのケースでは、トレーナーが気付かずに間違わせてしまっているので、始末が悪いのです。

 

 

 

○トレーナーが勘違いしやすい理由

 

 

 

 トレーナーをやらせてみると、トレーナーとしては育ちます。それを歌の力がついたと勘違いする人もいます。その実績で歌手としても通用すると思うのです。

 

 トレーナーに歌を習いにくる人は、大体はそのトレーナーより歌が下手な人です。ですから、少しでも歌った経験のある人なら、先生として通じてしまうのです。

 

  日本では、1.長くやっている 2.海外でやった 3.偉い人についた 4.知名度がある

 

そのくらいで、お客さんは、わからなくなるのです。肩書きで評価します。

 

1.学会への所属 2.他の権威の利用(特にアメリカとか海外の人や学校) 3.有名人の名の利用

 

 権威をたてに仕事を得ている人は、問題外です。

 

 英語がぺらぺらにしゃべれる外国人が、日本人にとってすぐれた教師とは限りません。一流のスポーツ選手が、高校生に教えるのにもっとも適任とは限りません。カウンセラーなら精神面などに高次のアドバイスはできるでしょう。歌を教える場合、ヴォーカルアドバイザーと名のる方がよいと思います。

 

 

 

○プロがつくトレーナーを選ぶ

 

 

 

 本当のトレーナーとしての力は、歌や伴奏や編曲の能力ではありません。その技量は、自分よりうまい人、すぐれた人、プロとして長年やってきた人に通用しなくてはおかしいのです。イチローや松井のトレーナーは、彼らに試合の打撃成績で勝ることはありません。しかし、彼らが頼る的確なアドバイスができます。

 

 アマチュア相手の経験しかないトレーナーは、お金をとっていても、プロのトレーナーとはいい難いのです。プロに頼りにされてこそ、専門職は成り立ちます。これは、ヴォーカリストでも同じです。

 

 

 

○トレーナーにつくということ

 

 

 

 ヴォーカルに譜面を読む力はいりません。人並みにできなければ、そこから入るのもよいでしょう。

 

 役者などと違い、10代で芽が出なければ、かなり遅いのです。そこまで生きていて他人よりうまくできないなら、よほどの奇跡を起こさなければ、ヴォーカルとして食べていくことは不可能と、知ることです。

 

 これは、これから、やろうとする人を絶望させるために述べているのではありません。他の分野なら絶望的なことを、学校へ行ったり、トレーナーについたくらいでプロになれるなど、甘くみるなということです。

 

 つまり、奇跡を起こすトレーニングを目指さなくてはいけないのです。

 

たとえば、

 

25オクターブ出る

 

・ハイトーンを出せる

 

これらのことは、歌の上達やプロへの道に関係ありません。よほど気をつけないと、欠点をフォロー(ごまかす)だけになりかねません。まして、それを第一に掲げるトレーナーはどうなのでしょう。

 

・誰でも一流に育てます。

 

・やさしく指導します。

 

・楽しみながら上達しましょう。

 

というようなセールストークも、本物志向の人なら度外視すべきでしょう。

 

 

 

 

Vol.72

〇うるさい国、日本

 

 日本人は音に無頓着、日本は口害、それも音声の公害の国といわれているのを、ご存知ですか。

 音に敏感な人には耐えられないことが、この国にはたくさんあります。公共の場、駅のベル、アナウンス、車内放送のうるささなど、です。自販機から家電までしゃべるのですから、親切を通り越して、ありがた迷惑、どこもかしこも騒音だらけなのです。

バイオリニストの中島義道さんの「うるさい日本の私」(新潮文庫)は、そういったことについて書かれたおもしろい本です。

 

〇声の悪いのは、口害。

 

 しかし、声がよくない、伝わりにくいというのは、困ります。これも口害ではないでしょうか。目と違って、見えない、何度も見直せない、出たところから消えていく音声は、当の本人が、もっとも気づきにくいものです。

 自分の話していることがよく聞こえない。それは、相手も不便ですが、やはり巡り巡って損をするのは、本人でしょう。何度も聞き返されるはめになります。

 いえ、外国人のように、きちんと聞き返してくれるなら、まだよいでしょう。日本人は失礼と思って聞き返さず、推測して済ませてしまいがちです。つまり、聞こえたふりをされてしまうのです。これでは、後々トラブルにもなりかねません。

自分の声がよく聞こえていないこと、不快なことを、そうである人ほど気づかず、悪循環となってしまうのです。

 人の口に戸は立てられませんが、せめて声くらいはよくしたいものです。

 

〇察する文化からの変容

 

 かつてのオヤジが家で使う言葉は、「おい、メシ、フロ」の三つだけといわれていました。何もいわずとも、まわりが意をくんで伝わったのが日本人の社会でした。まさに声いらず、察する文化だったのです。

 しかし、一般の社会において、これはもはや例外です。大半は「○○さん、今、戻ってきました。あすは○○時に出ます」「今日は○○が食べたいが、君はどうだ。それでは○○にしよう」とすべてにおいて対話してコミュニケーションをとりあっていなくては、意志は通じないものです。しかも、日本語という言語は敬語や複数の人称、代名詞など、日常で使っている言葉をさらに変化させる必要があり、複雑です。

 国際的にみると、どこでも、自分自身の考え、意志、意見をはっきりともち、常にそれを口頭で表現していかなくては、うまく生きていけないのが社会というものです。黙っていたら、無視されるどころか敵意さえもたれるのです。そこで、大人になるにつれ、話す技術をマスターしていくのです。

 しかし、日本という同質の人たちで成り立っていた村社会では、あまりにもその必要がありませんでした。何も言わず、以心伝心できずに、声に出すのは野暮でさえあったのです。

でもはっきりとものを言わないと、通じない社会に変わりました。

 その一方で、ため口にみられるような目上の人への話し方の変化や言葉の使い分けが、いい加減になってきているところもあります。

どちらにせよ、以前にまして話し方やコミュニケーションが重要視されるようになってきているのは、確かでしょう。

 

〇あなたのリラックスした声とは

 

 ここで、話し方や話の内容よりも、親しい人と話をしているときのリラックスした状態を確認しておきましょう。声は意識すると、途端にぎくしゃくしたり、うまく口がまわらなくなったりして、不自然になります。

 親しい人との話は、おたがいがわかりあっているから、話の内容や意味にさして大きなウエイトはありません。むしろ、声の調子やトーンなどによって、言いたいことを伝えています。それは意識したとたん、くずれます。

 

 たくさんしゃべるカップルは、まだ知り合って間もないか、破局の危機にあると思ってもよいでしょう。沈黙に耐えられないからです。親しき仲では言葉以外のニュアンスで、大部分のコミュニケーションは成立しているのです。

 片や、パブリックなスピーキングでは見知らぬ人に自分自身をアピールすることになります。言葉を適確に使った上で、自分の考えや話の内容を伝える必要があります。このときには、声という要素は、とても大切なのです。これらをうまく使って働きかけているのが、うまく話せる人です。

 その違いを知るとともに、あなたも今日から日常の言葉やコミュニケーションに使われる声に、関心をもってください。声に関心をもつこと、これこそが上達の第一歩なのです。

 

〇会話は内容よりも声

 

 自分の声はよく通らないという人がいます。

 しかし、私の知る限りでは、日本人は、さして声そのものをよく聞いているわけではありません。そこにちょっとした声への気配りや、気遣いがあれば、かなり伝わるはずです。

 むしろ、そういう努力をほとんどしていないで社会生活を営んでいるのが、今までの日本人といえます。これは、国際的にみてもかなり、低いレベルのことに思われます。もちろん、言葉に出さずとも、ニュアンスまで伝わるということでは、ハイレベルのコミュニケーションが成立しているといえるのですが。ここでは、身内ではないレベルのコミュニケーションにおいて述べていきます。

 アメリカの心理学者メラビアンの調査※では、声の力は話の内容よりも大きく相手に働きかけるそうです。パフォーマンス学の第一人者、実践女子大の佐藤綾子教授の日本人対象の調査でも、同じようなことを指摘されています。

 顔の表情、姿勢に加えて、声から感じられるイメージでその人への信頼度も大きく変わるし、言っていることの説得力も違ってくるのです。そして、決め手となるのは言っている内容よりも声なのです。

 

※アルバート・メラビアンの法則……人が相手に伝えようとするとき、言葉7%、声の調子(音声)38%、態度55%。(表)

 

○異性へアピールする声とは

 

 動物や昆虫が、その鳴き声で求愛することは、よく知られています。

 人間も、こういうところでは同じなのでしょう。愛しい人の声は、他の人の何倍も、あなたの心を揺さぶるはずです。

 なぜ自分にとって、特別の人の声は、大きく心に働きかけるのでしょう。たとえば、好きな人、好きなタレント、好きなアーティストの声は、声でその人を好きになったわけではなくても、あなたにとって特別なものでしょう。

 声に恋してしまった人たちもいます。相手は異性とは限りません。歌い手や、声優のファンは、まぎれもなくその声に魅かれたのです。そこから、それを天職としてしまった人も、少なくありません。

 顔やファッションと同じで、人に好かれる声にも流行や好みがあるでしょう。その人に似つかわしい声、個性的な声は、一概にいえません。しかし、声は顔と違い、その機能として言語化して活用します。そのため、魅力的な声というのは、何となく一定のイメージがあるようです。それはきっとモテる人のもつ要素とも一致するでしょう。男らしい声、女らしい声、包容力のある声、優しい声、明るい声、落ち着いた声など…。

 どういう声が異性にアピールするかは、役者、声優、歌手などの人気度などからも、ある程度、推測することができます。あなたの声が、誰かに似ていることで得したり損することもあるでしょう。

もちろん、声は素質だけでありません。声の使い方や語り口によっても違ってきます。また、相手の個人的な趣向によっても、かなり違うでしょう。

 一般的に声がよいといわれる人というと、誰が思い浮かびますか。自然な語り口のパーソナリティ、それとも、声優や役者として活躍されている人あたりでしょうか。

第48号 「やり方における差異」

 

○トレーナーの方法への影響力

 

 

 

 トレーナーは、まず自分の体験上で得られたもので自分の方法論を確立します。ポップスの場合は、よくもあしくも自分の思い込みの感覚で、仮想して感覚を得ていくことが多くなります。とはいえ、必ず、誰かの影響を受けているので、その元となるアーティストの感覚が、大きな影響を及ぼします。

 

 このときに、誰を選んだかは、本当は大きな問題です。本人も気づかないうちに大きな影響が入っているので、本来は第三者にみてもらうしかないのです。

 

 次に、声は楽器と違って、自分の体(もって生まれた発声器官など)が大きな制限としてあります。アーティストをまねて始めるのは誰でも同じでしょう。そのなかには、まねやすい人もまねにくい人もいます。まねて基礎を学びやすい人も基礎を学びにくい人もいます。それが結果として大きなプラスに出るときも、マイナスとなるときもあります。そのアーティストが好き嫌いではなく、上達のプロセスとして合う人も合わない人もいます。合っている場合も、細かくみると必ずよしあしの両方があります。

 

 

 

○まねがくせにならないために

 

 

 

 即効性のあるようなまねが、後でうまく伸びる基礎になる人もいます。即効性のある方法については、それがために限界となることも少なくありません。これらはその人の目的やレベル、その後の変化や成長にもよります。から、純粋に捉えることはほとんど不可能です。

 

 稀にたった一人のアーティストだけ聞いてきたという人もいます。この場合、くせがのりうつっていて本人も気づかないことが多いものです。

 

 音大生のように最初からトレーナーに導きかれた人はよかれあしかれ、そのトレーナーの影響をストレートに受けます。すぐれた一流の作品を聞いていることでその限界を突破できるかが将来を決めます。

 

 

 

○ノウハウの伝達ミス

 

 

 

 トレーナーもアーティストと同じように、レッスンでの関係は多岐にわたります。

 

 アーティスト的な影響が歌や作品という応用されたものから無意識的にくるのに対して、トレーナーからの影響はストレートです。どのくらい信じているかもありますが、直接、直されるので影響は大きいでしょう。

 

 教わったことはトレーナーとして教える立場になったときには、独立したノウハウとして、よりダイレクトな影響を与えます。トレーナーにとって自分とは異なる相手を教えるときにも、自分が教えられたように教える、あるいは、自分の同僚や先輩、後輩が教えられたように教えることにおのずとなるわけです。ことばの使い方も孫引きのようになり、受け売りの方法で、トレーナーの意図とは別にトレーニングが行われてしまうこともあります。

 

 

 

 

「永遠と至高、そして、道」 No.331

今の瞬間と永遠については、これまでにも度々語ってきました。

未来に役立たせようとする今は、今すぐには役立たない今ですから、今においては、本当は無意味です。勉強も修行も練習も、将来の目的のための手段とするなら、先で活かすために、生きなくてはなりません。

それに対し、今は今のこのときを満喫すること、遊びなども含め、楽しい、夢中、三昧であることです。それは、一時としては目的を遂げているときかもしれませんし、目的から逃げているときかもしれません。そうして切り出された時間は、しばしば、いわゆる至高といわれるときです。 コツコツと貯めた金を使い切るときみたいなもので、消費、蕩尽、破壊のときでしょうか。

有限の人生で、本当に大切なこととは、何でしょうか。それをするとしたら、どのようにしていくのでしょうか。

確実なものなどは、ありません。でも、それを自ら決めて向かっていく、両立しがたい手段と目的を同じくしたのが、“道”であるなら、それを肯定していけるように生きたいものです。

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