Vol.73
○アナウンサーの声が見本なの?
日本のアナウンサーの声は、NHKの放送における統一基準としての価値観の表われであっても、よい声の見本とは思えません。言葉をはっきり正しく伝えることに神経を使っている点で、確かに一つの基準ではあるでしょう。報道という公の場での伝達術として日本語の発音、アクセント、イントネーション、用語における標準といえます。
しかし、自然な声とは思えないし、まして魅力的な話し声ではないからです。
私が魅力的というのは、個性、人柄が出ており、自由であることが前提です。そういうことなら、ラジオの深夜放送のパーソナリティの方が、ふさわしいでしょう。でも、そこでは自由すぎて基準がありません。いや、語り口としてのいい加減さがよいのですから、そう考える方が変でしょう。
○日本の音声言語の見本
声にうるさいフランスなどでは、国立劇場の役者が、音声言語の見本です。言葉を伝えることをプロとして鍛えられた役者が代表というのは、そう間違っているわけではないでしょう。
日本では、かつては弁論部などが説得する声としての見本でした。でも、今や時代がかりすぎて、使えません。
応援団の声は、使いすぎて、つぶれています。他の国では、声やスピーチの模範となる政治家も、日本人で思い浮かべてみると、かなり無理がありますね。つまり、日本では音声言語の模範は確立されてこなかったといえましょう。(特に西欧文化の翻訳輸入のときに漢語での表記にのみこだわり、音に関心を払わなかったため、同音異義語が多くなり、音声で伝える際の混乱の一因となってしまいました。)
○日本人の声のなさが役者声、歌声をつくった
私は、普段の声の延長上に役者のせりふも歌手の歌もあると思っていますが、西欧から輸入するときに、日本人は声域、声量とも、全く足りなかったのだと思います。それは、日常レベルでの声の鍛えられ方や耳での聴きとる能力、両面において、大きな差があったからです。その結果、まずそれを形として満たす方法がつくられ、それに合わせた教育がトップダウンなされてきたのが日本ではないでしょうか。私は、特に歌に関しては、声楽の規範で平均律かつ原調で同じように歌うところから入ったことが正しかったとは、思えないのです。
○誰の声かで、ものごとは決まる
営業マニュアルには、ドミソの「ソ」の音で話しましょうなどがありました。実際には、かなりテンパった高い音です。暗くこもりがちな日本語としては、高くすることで、わかりやすくインパクトがありました。営業などでは、声が高く明るく大きな人がイメージがよいのは、確かでしょう。
日本では、高い声の方が好感がもたれていました。また、声の大きな人か英語のうまい人がリーダーになるようなところが、けっこうあります。誰の声かでものごとが決まってきたのです。
かつて、女性アナウンサーなどの声が低く太かったら、威張っているなどという批判がきたとも聞きます。確かに人間の身分関係として、座する位置の上下、左右などとともに声も低い高いによる序列はあると思います。本来は太く低い声の人が、決定権のある人ともいえるのです。しかし、そういう人が、必ずしも人心を捉えられるとは限らないでしょう。
○音声表現力のいらない日本
音声表現力が重視されていない日本では、声を大きく張り上げる人は結局、傍流かあて馬で偉くはなれないというジンクスもあったように思われます。男たるもの、寡黙で腹で人を動かせることが評価されてきました。“男は黙ってサッポロビール”だったのです。
日本人の声に対する感性は、西欧のように力強さ、表現、議論に耐えるもの(論理的)でなく、やさしさ、丁寧さ、明瞭さにありました。それは強く出るのでなく、一歩も二歩も引くのをよしとする文化だからでしょう。
○日本人の“声の敬語”
日本人が高めに声をとるのを好むのを、私は「声の敬語」といっています。つまり、高い声によって謙譲してみせるのです。これは、他国でもみられますが、日本では特に顕著です。日本語は母音中心で、音高によって、言葉が動くからでしょう。それに対し、外国語は子音中心で、強弱リズムで動くため、身分差をつくらなかったというのは、私の仮説です。敬語の存在も大きな要因でしょう。
○メンタル力と声
声と能力との関係は定かではありませんが、人前に出る機会の多い人は、おのずと声での表現力を高めていくでしょう。声もまた、人間関係を通じて磨かれていくからです。
一昔前の日本人は、人前で話すのがとても苦手でした。スピーチをする場でも、必ず原稿を読み上げていました。これは、話に即興や機敏に対応するトレーニングを経てきていないからです。
今は、カラオケなどで度胸がついてきたせいか、マイクを持ってもあがらずに、それなりにアドリブでうまく話せる人は増えてきたように思います。しかし、話し方の講座なども、相変わらず盛んなようです。
○声には知性があらわれる
若い人では、とても流暢に話す人と、まったく話せない人の、両極のようです。心配なのは、個性化が叫ばれている割には、皆、同じようなことをいい加減、適当にしゃべっているような気がすることです。
日本人の話し方の特長の「とか」、尻上がり調などは、自分の主張として責任とリスクを持とうとしていないことの表われの一つです。さらに、言葉の使い方からしゃべり方まで、幼稚化しているところもあります。精神的な未熟さもありますが、TVの悪い影響のようにも思われます。
○欧米との教育と耳の差
日本の国語教育は、文章の解釈や読み書き中心でなされ、音声表現力を疎かにしてきたといえます。確かに日本語は、言葉(口語)で伝えるとあいまいなため、文章にすることが重視されてきました。発音は簡単なので、漢字の書き取りなどに時間をとられました。日本の英語教育も同じで、ヒアリングや会話力よりも翻訳力、単語・熟語の暗記力の方が優先されてきました。日常生活においても、音声で表現する重要性は、さほどなかったのですから、当然のことでしょう。
欧米では、言葉を扱えなければ、子供扱いされます。幼い頃からスピーチ、ディスカッション、ディベートなどを通じ、自己主張の能力を教育で鍛えあげています。それが、結果として、一般の人はもちろん、歌い手や役者の音声力の差にもなっているように思います。
○客は声に涙する
ブロードウエイのミュージカルで、私はただ一つの声が聞こえてくるだけで涙したことが何度もあります。それらの声が合わさると、さらに心が高ぶります。オペラなどでも、何度かそういう経験をしました。プラシド・ドミンゴの「トスカ」などは、ビデオでみられます。マドンナ主演の「エビータ」などもよいでしょう。是非、見て、聞いて、味わってください。
映画や演劇、アニメでも、演じられている場面、ストーリーのなかで、声の表現そのものに心打たれることは少なくありません。確かにドラマの筋やせりふにも泣けるのです。しかし、小説や漫画では、感動はしても、そういうことがあまり起こらないことを考えてみると、やはり声で泣かされていることがわかります。効果をあげる音楽、そこにだめ押しの声という感じがします。
○泣きと声
バンドの解散コンサートなども同じです。歌よりも、声が泣かせます。長嶋茂雄さんやアントニオ猪木さんの引退も、そこに彼らのあの声がなければ、あれほど伝わったでしょうか。心に残ったでしょうか。
美輪明宏のヨイトマケの唄、「母ちゃんのためならエンヤコラ」には、泣きが入ります。藤原寛美の新喜劇、落語の芝浜など、泣かされ笑わされるものに働く声の力、あげていくとキリがありません。
日常においても、同じでしょう。きっとあなたは、誰かの声に嬉しくて、あるいは悲しくて、泣いてきたはずです。
○世界に通じる声
私は、日本では、よく役者と間違えられます。太く柔らかく、体中によくひびく通る声だからでしょう。もともと弱く細い声でしたから、まぎれもなく、これはトレーニングの成果です。
ただし、残念なことに世界をまわると、欧米に限らず、世界にこういう声はありふれています。ただ日本には、お腹から声の出る人が少ないから、目立つようです。私がみるところ、ますます日本人には、そういう声の人は少なくなっているように思います。
私のはトレーニングで鍛え上げた声ですが、ときたま、自然とそういう声を使っている人をみます。すると私は、声に惚れ惚れしてしまうのです。たとえば、僧侶、お坊さんです。しかし、少し考えてみてください。これは日本でもっともよい環境下で、理想的なヴォイストレーニングをしたといえるのではないでしょうか。
○日本人の好む声
日本の政治家は、かつてはダミ声、塩辛声でした。落語家にも何タイプかありますが、だいたい高い声でなければ、しわがれ声です。それは人の心に働きかけ、人情のきびを伝えるからでしょう。日本人には、浪花節のような、塩辛声が好まれたのでしょう。私も日本で話していると、オペラやミュージカルや宝塚の人の声のようにではなく(それもできますが)、そういう人たちの声に似ていきます。つまり、日本人へ働きかける方向で感性が働くからです。声の良し悪しからいうと、苦しく聞こえる声や、出すのに苦しい声は、決してよいとはいえません。
○日本語は声帯を損ねる?
世界のオペラ歌手に著名だった音声医の米山文明先生は、その著書「日本人の声」(主婦と生活社、平凡社文庫)で、日本語は声帯を損ねると言っています。私も、同感です。というのも、私は、それを避けるために日本人の日本語を発するところよりも深いところで発声しているからです。ドイツ人やイタリア人も、同じように深い発声です。
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