第 57号 「創造のためのレッスン」
○習得することと創ること
世の中、いろんなレッスンがあっても、習得するのに楽なところを選びがちです。
先生が手とり足とり教えてくれる。誰もが誰もと同じところまで一緒に確実にいく。それが教わることだと、日本人は思っています。
私は「レッスンで習得して、自分で創る」というので満足しないで欲しいと思います。習得の教材は、本もCDもあふれんばかりにあるのですから。
「レッスンで創る、自分で習得する」、それがレッスンとトレーニングとの関係でありたいと思っています。
習得には目的が必要です。それは高い方がよいでしょう。そのために気づきを与えているのが、レッスンです。習得は、1ヵ月に何回かのレッスンできるものではありません。欠かさず、トレーニングする。自分の時間を使い、芸を血肉にして身につけていくのです。
○世に問う
音楽や歌は、実力のないタレントでも、人を集めたり稼いだりするツールとして、安易に使われてきました。健康のためや友だちづくりのため、コミュニケーションの媒体として、使うのが楽、加工しやすくごまかしやすいからです。音楽に親しむ人がこうした効用を求めるのはよいことです。しかし、創るのと使うのは、売るのと買うのほど違うのです。
創ろうとすると、何が足らないのか、何がそのために必要なのかがわかってきます。それによって、習得できるのです。創造という出口のないところでの習得は、自己満足、自己本位、自己陶酔になりかねません。世に出るかどうかは、結果でも、目的は先に外、後に内にもつ方がよいと思います。
自分のレベルを聞く人も増えました。簡単です。他の人に受け入れられないのは、まだそのレベルなのです。
そういうと、人に受け入れられようと、逆の努力をする人もふえました。しかし、客が受け入れられるだけのものを示すことが、先です。
○表現の創造
表現の創造の厳しさを知ってか知らずか、多くの日本人は目をそらし、習得に満足する方向にいきます。
音楽は楽しいもの、楽しむもの、確かにそうです。それゆえ、私も関わり続けています。
しかし、同時に厳しいものです。表現が、その名に足るとしたら、我が身を粉にして練り上げるからです。創造とは、渾身の力を振り絞ってやるから、人の心を打つのです。習得したら創れるのではなく、創るのに習得が必要となるのです。
○創造のためのレッスンのためのことば
「あなたはどうして、そう弾きたいの ことばで語ってごらん」
(アイザック・スターリンのレッスンより 諏訪内晶子さん)
「日本の音楽家は、『先生の言われた通り』としか答えない。
「なぜそう弾くか、ことばで説明できる人は少ない。聴衆も情緒的で語ることができない」(三枝成彰さん)
「一流であるには、強者に対して、妬みでなく尊敬で接することが大切だ」(野村克也監督)
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