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2019年8月

第73号 「トレーナーのリスクをさける」

○最良のトレーナーでなく体制に

 

 ここにいらっしゃる理由の一つに、前の所でのレッスンでトレーナーがいなくなった、トレーナーをやめたり、海外へ行ったり、他の仕事で忙しくなったなど、トレーナーの事情でレッスンが続けられなくなったということが少なからずあります。あなたがそのトレーナーのレッスンの曜日や時間に行けない、あるいは勤務や仕事の事情でそのトレーナーのレッスンを受けられない状態に陥ることもあるでしょう。

 いうまでもなく、一人のトレーナーの判断は、絶対ではありません。すぐれていると評判があったり、信用していても、プロを育てていても、あなたにとっては、どうかわかりません。今はよくともあなたにとって、いつまでも唯一の最良のトレーナーかどうかは未知です。私も欧米の知名度のあるトレーナーに、会ってきましたが、彼らの評判と私の判断は必ずしも一致しません。長期で関わったり、目的を絞り込んでみなくては、よくわからないこともたくさんあります。それもあって複数トレーナー制を採っています。

 

○最初のトレーナーを過大評価しがち

 

 一般的にいうと、最初のトレーナーの影響力はとても大きいです。その価値観判断基準が後々まで残るケースが多いのです。むしろ、最初に合わずに何人か替えて自分に合うトレーナーにたどりついた方が客観視できるだけ、よいと思います。最初だから、何も知らず惚れ込んでしまうと、他がみえなくなります。そこでそのトレーナーの好みで、声の判断のラインが強くひかれます。それは、そのトレーナーには合っていても、あなたに合うかはわからないのです。というより、合わないことが多いといってもよいのです。そこで評価されても他の人にも認められるとは限りません。

 

○複数トレーナーでリスク分散

 

 複数トレーナーの多角的なアドバイスから、入ることを私はお勧めしています。セカンドやサードオピニオンをもつということです。それによって少しばかり混乱しても、長い眼でみると、比べながら進むことであなたの判断力はずっと早く適確につきます。歌もあこがれのアーティストだけをまねていると必ず偏り、くせがつくものです。

 レッスンとは声を出したり、よしあしを判断してもらうだけではありません。むしろ、自分で判断する力をつけることが、レッスンの目的です。

 

○満足感充実感と成果の違い

 

 私のところでは、日本のトレーナーだけでなく、海外のトレーナーとレッスンをしていた人もきます。いくら著名なトレーナーであっても、リップサービスだけ受けて満足して、会ったことを自慢したいだけの結果になっていることも多いようです。本当に力があれば、声一つでわからせられるでしょう。出身も略歴もトレーナーめぐり歴も不要でしょう。

 

○セカンドオピニオンの難しさ

 

 私はトレーナーについての判断は、アーティストについてと同じく、今、目の前にいるあなたのトレーニングにとって、有効である範囲についてでしか、行いません。声や歌の分野において、ステージはもちろん、レッスンでも見たことだけで、すべての判断はできないからです。相手によっても、条件、状況でもかなり異なります。ある人に対して最悪のトレーニングが、他の人に対して最良の結果を出すこともあります。その逆もあります。

 トレーニングの成果とは何か、ということでさえ、語学などでの上達に比べるとわかりにくいものです。医者や語学の先生も、雰囲気やサービスで評価が左右されるようになってきたということでは、口コミでさえ、トレーナーの技量の参考になりません。

 自分で体験して判断するのはよいのですが、その自分の判断のよりどころを、どう客観的に証明できるのでしょうか。

 

○「誰でも」の意味のなさ

 

 トレーニングさえ、誰でも楽に簡単ですぐに習得できるものがあるようになり、しかも、安いからよいというのが売りになるという最近の傾向は、残念に思います。そこが多くの人のニーズでもあるから、ビジネスとなるのはわかりますが。

 ノウハウと正解だけを一方的なやり方で与える本やレッスンが巷に増えました。誰でも早く上達するくらいのものは、ほとんど使えないのです。安心感に依頼心を増してしまうだけです。そういうのがヴォイストレーニングなら、私は決別してやっていく所存です。

 

○声はすぐわかる

 

 呼吸法や気などに比べて、声の有利なところは、耳に実際に聞こえるところだと思います。みえないのは残念ですが、みえないものこそ、大切です。聞こえるのですから、しっかりと聞いてみればわかるはずです。わかるから、通じるわけです。

 プロの耳でなくても、声や歌は一般の人がよしあしを判断しているのです。他人に対しては、判断できてきます。でも、自分に対してが、とても難しいのです。

 

○トレーナーの声

 

 ときどきにPCのソフトで声をみるようにしています。研究所では、トレーナーの声や歌に対する判断の仕方を、私は誰よりも吸収してきました。これも研究の一面にすぎませんが。

 私は、トレーナーの採用についても、学歴、年齢も問わず、声でみています。どんな立派な理論や方法をお持ちでも、声が伴っていなければ信じません。

 せりふや歌となると、これは応用です。表現に入ると、もう正誤の判断は無意味になります。個性になるのですから。たしかに、アナウンサーは報道の、ナレーターは読みのプロです。それぞれに問われる要素をプロの人はプロとしてもっています。しかし、発声はもっと根本にあるものです。彼らもまた大いに学ぶことがあるから、研究所にいらっしゃるのです。そこでもどうやら声というのは多くの人に混同されているようです。

 

 

No.336

かまえとはこび

武勇と幽玄

引退引隠

引き際

易きに流れず

悪習悪徳

達人下手

非風

見所見風

受けねらい

喝破

熾烈

技芸

世評

権威

素人名人

玄人

研磨

油断

リアリズム

器用

抑制

写実と抽象

空っ下手

男振り

品行方正

貫く

骨格

芸熱心

高潔

 

第72号 「声楽の独立性のもつメリット」

「トレーナーの判断の違いと、複数トレーナーの必然性」

 

○声楽の先生と前提

 

 最初は一人のトレーナーで基礎を固め、それが身についたらようやく、他のトレーナーにみてもらうというのは、声楽によくある考え方です。昔は、自主トレも禁じて、トレーナーの前でのみ、発声させて、学ばせるというスタイルもありました。

 彼らは、目的のために、1.長期にわたり、2.集中的にトレーニングし、3.同じステージに立つ(コンクールなど、評価が一応、基準として確立されている)という前提があります。

 これが、ポピュラーや役者にあてはまらないのは、目的も前提も、資質やレベルも個々にあまりにも違うからです。たくさんの観点からの刺激やアドバイスを受けた方がよいのです。

 

○ポピュラーと理想イメージ

 

 ポピュラー歌手は10人ほど声を考えるだけで、その声や使い方の多彩さはわかるでしょう。ポピュラーや役者の声は、声楽で定められた条件よりもずっと自由なのです。日常にも近い声です。

 多くの場合、声楽やヴォイストレーニングのトレーナーの理想とする歌手や歌唱像そのものは、コーラスの指導者とも似て、現実にいる歌手と異なっているのです。理想的な発声のイメージだけで人を育てようとしているトレーナーがよいのかというと、案外とそうともいえないのです。ここでは、声楽のトレーナーを声楽の基礎を中心に活かし、その応用に対して、かなりの自由度をもたしています。

 

○トレーナーなのに声をみない

 

 プロデューサーやアレンジャーに近い人は、作品中心で、流行に翻弄され、ヴォーカリストや役者の体やのどから声を考えられません。将来の可能性よりも、今の状態での使いやすい声やバランスのよい声を選びます。日本人をみる外国人トレーナーもこの傾向が大きいです。

 プロ歌手出身のトレーナーは、プロとして自分の世界を確立しているがゆえに、好嫌が強く、その判断がおのずと自己肯定に偏ります。自分とは違うタイプの可能性を否定しがちです。そのトレーナーには未知、いや認めてこなかった世界だからです。

 

○歌でなく声をみるということ

 

 私が多くのポピュラー歌手、役者などと巡りあいながら、今のように、声楽家のトレーナー中心の体制にしたのは、共同の場をもつ以上、個人の価値観や見解においての違いがあっても、オリジナルな発声づくりにおいては、認めあえる必要があったからです。歌と切り離し、声の独立性を確固としてみることのできるトレーナーであることが必要だったのです。声そのもので一流やプロとわかるだけのものを示せるというのが、私の思うヴォイストレーニングの基礎だからです。

 

 

No.336

「発声について」

 

発声 歌唱 表現は、別に考える

日本人と外国人の相違点をみる

風土、文化、国民性

叫びと動作、謡と舞

心と体と声の関係

鼻→気道 口→食道

表情筋30くらいのうち、10を使う

喉を開ける 顎を引く

ピアニシモの裏声 細くてよい、ハミングへ

ベルカント

ドイツ唱法(吸気した腹部のキープし、へこませない)

自然を目指すこと

体のバランスチェック

非常時の胸式呼吸

呼気を伸ばすのはふしぜん

息苦しくなることも多い

喚声区

母音の形

言語で発音をするために失われ、くせがついた発声

ことばは、発声でなく、せりふや歌唱で習得する

鼻歌と副鼻腔

均等にする

足の長さ(仰向け)、足先の開き(仰向け)のズレを知る

目を閉じて両手の人差し指の先をくっつける

眼を閉じ足踏みで同じところにいられる

仰向けで腰の隙間のチェック

壁に背中、頭、肩甲骨、尻、かかとがつくか

No.336

「アウトロー史」

 

アウトローは、渡世人(博打打の博徒)と香具師(やし、野師←野武士)テキやと、2つに大別できます。具体的には、次のような別称で扱われました。

厄介者、ならず者、突破者、乱暴者、暴れ者、不良、ふまじめ、極道、無法者

与太者、ごろつき、はぐれ者、半端者、半ちく者、落ちこぼれ、くず、半ぐれ、

・男伊達と芸能者

・やくざ、芸人、水商売

・お祭り、無礼講

・男らしさ、潔さ、見切り千両

 

「ネット社会」

 

サイバーカスケード(集団極性化)=炎上 

二者択一の思考

匿名での非抑制性で暴走する。

バイアスがかかる。

権威、権力への不信

陰謀論

依存性の高い製品で企業が帝国主義化

 

第71号 「声での成立」

○歌より「話」で表現の成立をみる

 

 あるとき、私は歌唱ではまだまだ表現できない人でも、2分くらいのモノトーク(日本語でのトーク)では、人に充分に伝えることができることに気づきました。そこは生活、実体験に結びついたことばがでてくるからです。そこでそのなかからの表現力をみることにしました。

 そこで歌手にも、モノトークを必修にしたのです。

モノトークとは、モノローグ(独白)を表現として成立させたもの、モノローグ=独白はダイアローグに対して用いられているので、それと区別して命名しました。

 

○役者として伝えてみる

 

 どれだけ歌で伝わっているかは、わかりにくいでしょう。本人自身が、歌で伝わっていないことがなかなかわからないのです。

 マクドナルドでの「いらっしゃいませ」程度にしか、伝わっていないこともわからないのです。それではトレーニングにもならないし、トレーニングの必要さえもないでしょう。それは会話やせりふなら、わかりやすいので、日本語でしっかりと伝えるところから、スタートしたのです。この研究所のレッスンが、歌手だけでなく、一般の人、役者、声優にそのまま有効なのは、そういう経緯があるのです。

 

○トータルとしてのトレーニング

 

 まとめると、学ぶことは、次のようになります。

a体と結びついた声-ブレスヴォイストレーニングの声づくり(声楽の体づくり基礎)

bことばと結びついた表現「モノトーク」

c音楽と結びついた歌唱(カンツォーネ)フレーズ、リズム、感覚

 カンツォーネをイタリア語で歌うのはaに、日本語で歌うのはbに近く、ともに念頭に入れていくと、トータルとして理想的なトレーニングになるということです。

 

○歌唱と声づくり(発声)の判断は一時、反する

 

 自分へアドバイスする人が複数であることで迷うとしたら、大切なことなのです。こういうことは、すぐに解決しようとすべきことでないし、できないことを知っていれば、あせる必要はありません。レッスンには、解決するのでなく、問いを求めにくればよいのです。

 

・歌唱へのアドバイス―声の使い方~状態づくり

・声づくりのトレーニング―声の育て方、鍛え方~条件づくり

 この二つは、目的のとり方が違います。場合によっては、明らかに対立するものです。

 

○プロの即実践ヴォイトレ

 

 私はプロの歌唱、それもステージを控えてのアドバイスからこの仕事を始めたからよくわかります。

 すぐ本番を迎える歌手に、根本からの発声トレーニングは、リスクが大きすぎます。シーズン中にバッティングフォームの改良をするようなものです。できるのは、姿勢、呼吸の補完、といっても、ほとんどほぐしてリラックスすること。そのイメージ、集中の意識、共鳴の集約、声の統一くらいでしょうか。

 

○歌唱指導とトレーニングの違い

 

 歌唱指導では、ポップスにおいては全体のバランスをとり、演奏のラインからはみ出すことを防ぐことがメインになっています。客に下手に思われる要素があれば、隠さなくてはなりません。その上できちんと構成し、聴かせどころを強調し、曲の輪郭をハッキリさせ、表現らしさを引き立たせます。今や音響や視覚効果を考慮することが不可欠です。

 それに対して、トレーニングでは、根本的な改革を求められます。12割アップという改善では、大して変わりません。しかし、ほとんどのトレーニングでは、効を急いで少しよくするだけ、マイナスを防ぐことだけになっています。そういうものがヴォイストレーニングと思われ、行なわれています。

 

○声の改革

 

 声の改革というのなら、あらゆるごまかしや不鮮明なところを白日にさらし、一時、バランスを崩してでも、問題点を顕わにすることです。そして解決のための課題を鮮明にしていくことです。

 そこに声以外にも、アーティストのオリジナリティや表現とも絡むことなので、すぐにわからないこともあります。ときにプロのアーティストのイメージに、その声や体がそぐわないときは、アーティストと考え方が相反することさえあります。

 しかし、作品としてのイメージと体(のどの器質)からの可能性は、限界をも知って行うべきでないのに、音響技術でカバー(あるいは、ごまかす)すればよいということにはなりません。アレンジやリバーヴの効果に頼るから、将来の可能性まで損なわれるのです。

 

○日本人の欠点

 

 私が日本人の歌手や役者に決定的に欠けているとみなしていたのは、

1.力強さ、タフさ

2.完全なコントロール力、ねばり

3.声としてのオリジナリティ

4.演奏としてのオリジナリティ

5.即興力

 ほかにコーラスや構成、展開、全体を統一する力などもあります。あまりに多いので、そう簡単に変わりません。

 音響技術での補完が容易になり、客も一層の視覚的効果を求めるようになったので、声の問題そのものの位置づけや、優先順も以前よりあいまい(というか、ダメでもよく)になってきました。そのために、アーティストやプロデューサーと相談せざるをえなくなりつつあります。

 欧米のように、13の条件の上に4がのったヴォーカリスト、つまり、本人のもっとも可能性のある声(オリジナルの声)を取り出した上に、作品のオリジナリティをのせるところにまでいきつかないのです。そこまで求められないということです。

Vol.77

〇自分の声の弱点を知る

 

 顔や服は、鏡を見て、おかしなところを直しますね。声はどうでしょうか。

 「なぜ声の使い方が苦手なのか 」というなら、それは、声を意識して使ってこなかったためです。人に注意されることも少なく、再生で聴いたときも違和感をもったのに直したりしてこなかった、そして、そこからよくするためのトレーニングをしてこなかった、そうならば、あたりまえのことなのです。

 

 まず、自分が今、関心のあることについて話してください。それを録音してみましょう。

 次に、新聞のコラムなど、文章を読んで、同じようにしてみましょう。

 どうだったでしょうか。即興で話すのは、内容を考えながら話すのですから難しいでしょう。しかし、他人の文章を読むのも、その内容が頭に入っていなければ、よほど読み慣れている人でなければ、簡単ではないはずです。

 どちらがやりやすかったですか。録音を再生して聞いてみてください。たぶん、どちらもとても聞いていられないかもしれません。でもそう思うなら、正すべき基準があるので、何回かくり返すとかなりよくなります。しかし、そのまえに何が悪かったのかを自分で考えてください。思いつくかぎり書き並べてみましょう。

 次に3回、繰り返し練習して、4回目に録音し、チェックしましょう。だいぶ、よくなるはずです。

 でも、私たちは普段、テレビやラジオで聞いているプロの話し方に慣れているので、自分のは、あまりうまく聞こえないかもしれませんね。そういうことがわかったら、ステップⅠクリアです。

 

○自分の声をチェックする

 

次のような基準でチェックしてみましょう。

□声は、安定して聞こえるか。

□魅力的で個性的な声か。

□発音、言葉、アクセント、イントネーションが正しいか。

□つっかかったり、言い間違えたり、流れが滞ったりしていないか。

□わかりやすく伝わるか

□インパクトや説得力があるか。

□感情のこもった表現か。

□もれなく内容が伝わっているか。

□余計な言葉、無駄な言いまわし、言いよどみなどのミスがないか。

□相手の心に働きかけたか。

 

○人前で、いつでもうまく声にすることをめざす

 

台本を見なくとも、人に伝わるように表現したいものです。そのとき頭に浮かんだことを話すのですから、何十回も同じことを練習している間はありません。

 大切なことは伝えることであって、読むことではありません。文字を棒読みしているだけでは、誰にも伝わりません。そうかといって、効果を計算したり、感情を移入しようとすると、わざとらしくなります。結局、基本の力がないと、何十回読んでも、プロのようには聞こえないのです。

 その力をつけるためには、いろいろなトレーニングがあります。さあ、がんばって始めましょう。

 

〇よい声と悪い声

 

 誰もがその人特有の声を使っています。そのなかでも、よい声や悪い声といわれる場合があります。でも、多くの人の声は、それなりにくせがあっても、ひどい声ということはないはずです。それは、どう違うのでしょうか。

使える声と、そうでない声はどう違うのでしょう。声と声の使い方とどういう違いがあるのでしょう。プロといわれる人の声での表現を聴き、その違いを理解してみましょう。

 一般的に、日本人は、決して声やその使い方について恵まれているとはいえません。それに対し、外国人の声は、声そのものの魅力や表現力の点で優れています。ですから、参考にするとよいでしょう。言語としてのことばの意味がわからないからこそ、声のことがわかるとも言えます。違いは、体格や言語の差だけではありません。彼らは、声や声の効果に関心を払い、幼い頃から人に声で働きかけるトレーニングをしてきたからです。

 まずは、そういった体から自然と楽に出ているくせのない声をよい見本として、たくさん聞くことです。それとともに、多種多様の声の魅力を感じとっていくことです。

ただし、自分にとって出すのに無理な声は聞くだけにとどめて、まねしないようにしましょう。

最初は、自分にとっての最も自然でパワフルな声を掘り出していくことを優先しましょう。

 

○プロの声を聞いてみよう

 

  • プロの人の声を聞く

□俳優、声優

□歌手(オペラ、ジャズ、ゴスペル、ポピュラーなど)

□声優、アナウンサー、タレント、ナレーター、DJ

 

  • いろいろな人の声を聞く

□外国人の声

□年齢の違う人の声

□異性の声

□住んでいるところの違う人の声

 

  • 独特の(くせのある)声を聞く

□物売りの声

□感情をあらわにしている人の声(怒っている声、笑っている声)

□特別な職業の声(居酒屋、寿司屋 コンパニオン、アナウンサー)

 

○声のマップをつくろう

 

声について、自分の抱いているイメージを書き出しましょう。

最も声のよいと思う人(どうして)

声が悪いと思う人(なぜ)

声が変わっていると思う人(どのように)

 

音声の表をつくり、自分の声や他人の声を、位置づけてみましょう。

 声の種類の中から、あなたが気になるような人の声をチェックしてみましょう。

 次に、自分の声に当てはまると思うものを選んで、黒マルをつけてみましょう。

 

<音声の表>

1高い声-2低い声/3明るい声-4暗い声/5細い声-6太い声/7軽い声-8重い声/9柔らかい声-10硬い声/11やさしい声-12きつい声/13ひびく声-14こもった声/15上品な声-16下品な声/17ていねいな声-18荒っぽい声/19澄んだ声-20くすんだ声/21深い声-22浅い声/23濁りのない声-24濁った声/25ダミ声/26頭のてっぺんから出る声/27地の底から出る声/28黄色い声29キンキン声 30かん高い声 31ど太い声 32ドスのきいた声/33のどのあがった声/34さわやかな声-35不快な声/36効率のよい声-37息もれする声/38芯の通った声-39芯のない声/40生き生きとした声-41死んだような声/42鋭い声-43鈍い声/44のびのある声-45のびのない声/(46浮いた声)-47押しつぶした声/48すがすがしい声 49まろやかな声 50張りのある声/51かすれる声 52なめらかな声 53割れた声 54ねばっこい声/55鼻につまった声-56鼻にかかった声-57鼻に抜けた声/58はつらつとした声-59震える声 60しわがれ(しゃがれ)声 61甘えた声 62あたたかみのある声 63どっしりとした声 64朗々とした声/65ボソボソした声 66重厚な声/67老けた声-68若々しい声/69円熟した声-70キャピキャピした声/71ゆったりした声-72ヒステリックな声 73よく響く声 74おだやかな声 75つやのある声 76セクシーな声 77ハスキーな声 78蚊のなくような声 79えいえい声 80おろおろ声/81金切り声 82きいきい声 83とがった声 84甲声/85玉の声 86甘い声 87かわいい声/88パワフルな声 89迫力のある声 90元気な声/91含み声/92美しい声 93きれいな声/94われ声 95ガラガラ声/96くぐもり声 97塩辛声/98湿り声 99洒落声 100なまめいた声 101うわずった声 102沈んだ声 103忍び声 104なまり声 105いきみ声 106 ねぶり声 107つまった声/108胴間(張)声 109どら声/110透明感のある声/111ウィスパーヴォイス/112ミックスヴォイス/113裏声(頭声)114地声 115粋な声 116ストレートな声 117もごもごした声 118聞き取りにくい声 119子供っぽい声 120落ち着いた声 121かすれる声

 

○自分の声は、どんな声なのか

 

 「あなたは自分の声をよいと思いますか」この問いに、「はい」と答えられる人は、日本人には少ないのではないでしょうか。スマホなどで、今ほど自分の声を簡単に自分で聞くことができ、あるいは、そういう機会が多いことは、かつて、なかったでしょう。そこで聞く自分の声は、慣れ親しんでいる自分の声とは違うでしょう。いつも違和感があるはずです。

 しかし、この「何か変?」という違和感のある声の方が、他人に聞かれて、あなたの声として通用しているのです。これでは、たまりませんね。前を隠してお尻を見られているみたいなものです。

 大半の人が、「自分の声は嫌い」、「できたら聞きたくない」、だから聞かない、それで直らないという悪循環を繰り返しているのです。

 顔は、鏡を見て直すでしょう。化粧もしますよね。なぜ、声は裸のままで、人前に無防備にさらすのでしょう。あなたの魅力も、人柄も、能力も、そこで大きく判断されているのに。ここらで一度、しっかりと自分の声に関心をもち、本当の姿を知ることです。

 

録音再生した声と自分の感じる声は、確かに違うといえば違うのです。自分の声は内耳、つまり内側からの骨伝導で主として聞いていて、それに対し、他人の声は、空気中の伝導で聞いているからです。しかし、再生した声は、誰が聞いても、あなたの声とわかるのですから、それは大した誤差のない範囲での違いなのです。

 

〇声の個性って何?

 

 声の判断を、いくつかの基準で具体的にしていきましょう。

 自分の声というのは、わかりにくいので、まずは他人の声に関して、声のマップづくりをしてみましょう。先の音声の表を使ってください。)

 「あの人の声」といわれて、思い浮かぶ人を4人くらい(ADさんとします)を設定してください。

 最初は、声の大きさです。

 大きい方から小さい方へ、15とか◎○△×のレベルで刻み、そこにADさんを配置してください。

 次は、高さです。これで2軸(マトリックス)ができます。

 太さや明るさを、声がひびいているかどうか、声がかすれているかもチェックしましょう。

 

 さいごに自分の声について、みてみましょう。できたら録ったものを聞いて、できるだけ客観的に判断してみてください。

 わからなければ、他の人にやってもらうのもよいでしょう。

Aさん Bさん Cさん Dさん 自分

1.大きさ

2.高さ

3.太さ

4.明瞭さ

5.ひびき方

6.かすれ方

 

○悪声も使い方しだいで魅力的になる

 

 私は、あなたにきれいで美しい声になることを勧めているわけではありません。むしろ、あなた自身がもっているなかで、もっとも魅力的な声を知ること、それをとり出すことです。さらにそれを少しメイキャップするだけで、ずっとよく聞かせられる声になるということを伝えたいのです。

 それは、今、流行の髪型や服に合わせるようにするのでなく、あなた自身に合ったものでありたいのです。ですから、今、とてもひどい声と思ったとしても、がっかりしないでください。

 多くの場合、それはあなたの思い描いてきた自分の声とのギャップに慣れていないだけです。生まれてずっと、その声を使ってきたのですから、あなた以外のまわりの人は、すべてその声に慣れています。決してあなたの声を変な声として聞いているわけではありません。まわりの人で、とりかえたい人はいましたか。

 ということは、あなたも他人の声をそんなにしっかりと聞いていないのです。だから、ここまでの問いも、思ったよりも難しかったでしょう。

 そこで今度は、身近な人の声をしっかり聞いてみてください。よく聞くと、案外と変な声をしていることに気づくはずです。テレビの出演者などにも、そう思える人がいるでしょう(ただベテランは、慣れているし、それなりに反省して直しているので、うまくなっていくのです)。それがその人の魅力、個性となっているのもわかることでしょう。

 

〇語る力 説く力

 

 話すことに一所懸命になって、話すことにのみに専念している場合は、その意志に反して、案外と伝わらないものです。これは、伝えることを忘れ、自己陶酔した下手なカラオケと同じようなものです。

 声は、ただ出せばよいのではありません。聴き手の心に伝えることが必要です。そこには、伝える努力が必要です。声にあなたの気持ちが入っていなければ、うまく伝わることはありません。

 会社の社長さんにも、声のよい人もそうではない人もいます。しかし、概して聞いている人にうまく伝わります。それはどうしてでしょう。きっと、いつも自分の考え、伝えたいことがあり、それを伝えようと苦心して人に話をしてきたからでしょう。その熱意がなければ、人は動かないし、会社もうまくいっていなかったでしょう。

 つまり、こうして、相手に伝わることが、声の使い方がよいということです。これは話す力というよりも語る力、説く力というほうが適切かもしれません。

 

〇律する

 

 私も、たくさん早く話せば多くのものを伝えられると、のべつまくなしにまくしたてて、自己満足をしていたときがありました。これは聞く人に労を強いることになります。今、そのときのを聞くと、自己嫌悪に陥ります。 

話せたかではなく、伝わったかどうかでみることです。

 聴き手は多くのことをそそくさと聴いて、自分の頭を混乱させたり疲れさせたりしたいのではありません。多くの人は、楽に心地よく、わかりやすい話を最小限で聴きたがっています。できるだけ短く、時間をかけずにということ、です。

 最新の情報や知識の獲得が目的というときは別でしょうが、その場を楽しみたいということが多いからです。そこに気を配らなくては、どんな話も受けません。だからこそ、声が大切なのです。

 話しすぎて失敗するのは、最悪のパターンの一つです。聴き手への思いやりがないということにおいて、話の内容や話し方のうまいへた以前に失格です。声でいうと、大きすぎる声はよくないです。もっとよくないのは、聞こえない声です。

 たった一分間でも、聴き手は人生の大切な時間を、あなたの話に捧げるのです。そこで、聴き手を思いやらずして、話も声もありません。

 聴き手のことを絶えず考えながら、自分の話を律しましょう。その感覚が、声をコントロールするのにもっとも大切なのです。

第70号 「日本人は音色を聞かず、世界に通じず」

○ストーリーをはずして聞く

 

 海外の歌のように歌詞やストーリーの意味がわからないからよいというのは、音色やフレーズ(節回し、メロディ、リズム)から感じていくものだからです。それが演奏、音楽の世界です。

 一見、逆のようで、同じこととしては、歌詞がすでにわかりすぎているというのもあります。落語の定番の噺のようにストーリーがわかっていれば、どう演ずるかに、客の関心がいきます。そこで声や表現といったものの技量、オリジナリティが出ます。同じことをやることで、感覚も判断力も深まるのです。それは、トレーニングの根本的な考え方でもあります。

 

○スタンダード曲のよさ

 

 日本にはあまりなくて、世界にたくさんあるのは、スタンダード曲です。スタンダード曲とは、歌詞やストーリーを皆、知っているのです。その上で歌われるから、歌い手は、楽器としての演奏力と表現力が問われるのです。

 つまり、初物、誰もやっていないからオリジナリティなどという安易な海千山千の世界から、早く質の世界に入ることができるのです。大切なのは、自分の音と使い方(音色とフレーズ)を発見することです。日本では、そのこともアレンジでのオリジナリティで問うてしまうようになったのですが。

 

○定番曲をまねない

 

 日本でも、邦楽や演歌には、定番曲があります。ミュージカルも同じ曲を違う人が歌っています。それは勉強するにはレベルがアップしやすい状況です。ところが残念ながら、安易に真似てしまうことでプラスにはならないのです。特殊な分野である声だから、大して人材は育ちませんでした。

 日本の客は、ビジュアルやストーリーでみてしまうから、尚更です。表面上の形に影響されて、歌手も曲や詞が新しければ、初めて歌うなら何でもよいとなりがちなのです。

 

○日本にもスタンダードがあった

 

 昭和の半ば頃までは、著作権が整備されていなかったのです。また、同じ曲を違うレコード会社専属の歌手同士、同じ時期に競作してヒットを競うこともありました。それとはすでに異なる状況でしたが、私が覚えている最後の競作曲は「氷雨」での日野美歌、佳山明生さんの歌唱です。

 フォークなどの台頭期では、かぐや姫など、ほぼ一曲の繰り返しだけのステージをやっていたグループもありました。「好きだった人」などがその代表曲でした。フォークのヒットは、歌詞の力が大きく、即興の詞づけにも長けていて、必ずしも曲の力とは言い難いです。そういえば、昔は、歌手も1ステージのなかで1曲のヒット曲を何回も歌ったりしていたものでした。

 

○日本語の訳詞

 

 日本はロカビリー、ロック、ポップス、ジャズ、カンツォーネ、シャンソン、ラテン、ボサノヴァ、ファドまで、向こうのものに訳詞をつけて歌う時代となり、同じ曲での比較が容易になったのです。

 当初は英詞の訳もよいのがあったのですが。(この一連のヒットで、出版社をつくったのがシンコーミュージック創設者漣健児氏です。「悲しき・・・」で始まる一連のシリーズが有名です。多くの歌い手が同じ曲を歌ったために比較でき、秀劣や個性がとてもわかりやすかったのです。違う歌詞がいくつか付くこともありました。

 日本人の英語熱もあって、ジャズやポップ、ロックなど英語曲は英語のまま歌う人が多くなりました。その日本訳の詞は、陳腐なものが多かったのです。それに対し、カンツォーネやシャンソンは、日本人にはフランス語、イタリア語がわかる人が少ないせいもあってか、よい詞がつき、日本語で歌われました。宝塚時代、越路吹雪さんの歌を訳詞した岩谷時子さんや、作詞家のなかにし礼さんなどは、シャンソン畑出身です。

 

○訳詞のよいこと

 

 歌詞がよいことは、原語と日本語との両方で学ぶためには、一つの大きな条件です。特に、カンツォーネは、日本詞がうまく付けられているのが多いです。しかし、この頃の詞は、一音節(モーラ)に一音の日本語をあてていたため、原詞の内容の半分から三分の一しか伝えられていません。そのためまったく違う意味に変えられたものが少なくありません。下品な原詞がオシャレな日本語の歌詞になりました。

 なぜ、原語のままの曲で※らせるのでなく、日本語にして歌ってみることが大切かというと、歌はお客さんの生活しているところのことばで支えられているからです。

 

○歌が楽器に勝るところ

 

 楽器に対して、決定的に歌が有利なところは、次の二点です。

1.人間の声である

2.ことばで意味を具体化できる

 日本人で英語でジャズを歌っている人は、英語圏で生活しているのでもなければネイティブのセンスにはかないません。日本語で育ってきた日本人が、セリフや表現を英語で話しても、それを聞いて伝わる程度をネイティブでなければ判断できません。判断の基準は、母語に対してしか通じないのです。

 

○歌唱レベルでの低さ

 

 日本では英語で歌えれば、英語の発音が正しければOKという形での評価が、幅を効かし、表現が忘れられてしまうのです。

 日本の歌でも似ています。合唱、ニューミュージック、J-POPS、演歌、邦楽はなぜ、時代を超え、日本を超え、世界のスタンダードにならなかったのでしょうか。エスニックだからではありません。エスニックでも世界に出ているのは、たくさんあります。声としての表現力としての歌、つまり歌唱力でかなわなかったからです。これは、分野としてではありません。演じる人、歌う人、その個人の音声での表現力においてです。

 どこでも、一人の天才とそれに続くハイレベルな集団が出て、そのジャンルをつくり、ジャンルを超え、スタンダードに芸を成立させていくのです。歌謡曲や演歌のすぐれていたことは認めますが、デビューのあとによくならないのが、日本の特徴です。聴衆が声の世界に寛容すぎるのです。

「歌と歌詞とことばとせりふと音声力」 No.336

 レッスンに価値をつけるなら、気分で聞いているだけでは務まりません。ことばで言い表せない世界を学ぶにも、ことばは重要です。ただし具体的にしていくほど、マニュアル化されるのが難点です。音楽に関しては、文法や構造をもった言語です。そこをふまえて、私は伝えるようにしています。

 「歌詞を大切に」というのとは、異なります。それよりは、せりふをうまく読むと音楽的になるというようなものです。ことばを語ると歌になるのなら、語るように歌ったことばは、歌詞になります。

 欧米の音楽は、言語の強弱アクセントと音楽のリズムが一致しているので、矛盾しません。日本の場合、まだ、そこを解決できたわけではありません。しかし、演歌や歌謡曲では、歌手の声の力でかなり消化できていたと思います。当時の歌詞は、言語と音の区別を明確にはできないところにおいていました。感嘆詞やオノマトペの韻などは、ボーダーレスでしょう。しかし、日本人はスキャットよりは、ことばを好んだのです。 音やリズムよりは、意味や節に耳がいったのです。

日本人らしくなるのがレベルを下げていくのは、いつも舶来品をすぐ国産に切り替えようとしてきた日本人のいっときのプロセスです。ほどなくして海外産を凌駕してきたのです。そうした日本人の底力を信じたいところです。音声力の復活を、と。

よい演奏は、よい語りであり、語りのノウハウにも共通します。日本の歌は、ストーリー本位ゆえに言語に近いです。ですから、歌い手以外の人にも、発声以上に学べるところが大きいでしょう。

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