第73号 「トレーナーのリスクをさける」
○最良のトレーナーでなく体制に
ここにいらっしゃる理由の一つに、前の所でのレッスンでトレーナーがいなくなった、トレーナーをやめたり、海外へ行ったり、他の仕事で忙しくなったなど、トレーナーの事情でレッスンが続けられなくなったということが少なからずあります。あなたがそのトレーナーのレッスンの曜日や時間に行けない、あるいは勤務や仕事の事情でそのトレーナーのレッスンを受けられない状態に陥ることもあるでしょう。
いうまでもなく、一人のトレーナーの判断は、絶対ではありません。すぐれていると評判があったり、信用していても、プロを育てていても、あなたにとっては、どうかわかりません。今はよくともあなたにとって、いつまでも唯一の最良のトレーナーかどうかは未知です。私も欧米の知名度のあるトレーナーに、会ってきましたが、彼らの評判と私の判断は必ずしも一致しません。長期で関わったり、目的を絞り込んでみなくては、よくわからないこともたくさんあります。それもあって複数トレーナー制を採っています。
○最初のトレーナーを過大評価しがち
一般的にいうと、最初のトレーナーの影響力はとても大きいです。その価値観判断基準が後々まで残るケースが多いのです。むしろ、最初に合わずに何人か替えて自分に合うトレーナーにたどりついた方が客観視できるだけ、よいと思います。最初だから、何も知らず惚れ込んでしまうと、他がみえなくなります。そこでそのトレーナーの好みで、声の判断のラインが強くひかれます。それは、そのトレーナーには合っていても、あなたに合うかはわからないのです。というより、合わないことが多いといってもよいのです。そこで評価されても他の人にも認められるとは限りません。
○複数トレーナーでリスク分散
複数トレーナーの多角的なアドバイスから、入ることを私はお勧めしています。セカンドやサードオピニオンをもつということです。それによって少しばかり混乱しても、長い眼でみると、比べながら進むことであなたの判断力はずっと早く適確につきます。歌もあこがれのアーティストだけをまねていると必ず偏り、くせがつくものです。
レッスンとは声を出したり、よしあしを判断してもらうだけではありません。むしろ、自分で判断する力をつけることが、レッスンの目的です。
○満足感充実感と成果の違い
私のところでは、日本のトレーナーだけでなく、海外のトレーナーとレッスンをしていた人もきます。いくら著名なトレーナーであっても、リップサービスだけ受けて満足して、会ったことを自慢したいだけの結果になっていることも多いようです。本当に力があれば、声一つでわからせられるでしょう。出身も略歴もトレーナーめぐり歴も不要でしょう。
○セカンドオピニオンの難しさ
私はトレーナーについての判断は、アーティストについてと同じく、今、目の前にいるあなたのトレーニングにとって、有効である範囲についてでしか、行いません。声や歌の分野において、ステージはもちろん、レッスンでも見たことだけで、すべての判断はできないからです。相手によっても、条件、状況でもかなり異なります。ある人に対して最悪のトレーニングが、他の人に対して最良の結果を出すこともあります。その逆もあります。
トレーニングの成果とは何か、ということでさえ、語学などでの上達に比べるとわかりにくいものです。医者や語学の先生も、雰囲気やサービスで評価が左右されるようになってきたということでは、口コミでさえ、トレーナーの技量の参考になりません。
自分で体験して判断するのはよいのですが、その自分の判断のよりどころを、どう客観的に証明できるのでしょうか。
○「誰でも」の意味のなさ
トレーニングさえ、誰でも楽に簡単ですぐに習得できるものがあるようになり、しかも、安いからよいというのが売りになるという最近の傾向は、残念に思います。そこが多くの人のニーズでもあるから、ビジネスとなるのはわかりますが。
ノウハウと正解だけを一方的なやり方で与える本やレッスンが巷に増えました。誰でも早く上達するくらいのものは、ほとんど使えないのです。安心感に依頼心を増してしまうだけです。そういうのがヴォイストレーニングなら、私は決別してやっていく所存です。
○声はすぐわかる
呼吸法や気などに比べて、声の有利なところは、耳に実際に聞こえるところだと思います。みえないのは残念ですが、みえないものこそ、大切です。聞こえるのですから、しっかりと聞いてみればわかるはずです。わかるから、通じるわけです。
プロの耳でなくても、声や歌は一般の人がよしあしを判断しているのです。他人に対しては、判断できてきます。でも、自分に対してが、とても難しいのです。
○トレーナーの声
ときどきにPCのソフトで声をみるようにしています。研究所では、トレーナーの声や歌に対する判断の仕方を、私は誰よりも吸収してきました。これも研究の一面にすぎませんが。
私は、トレーナーの採用についても、学歴、年齢も問わず、声でみています。どんな立派な理論や方法をお持ちでも、声が伴っていなければ信じません。
せりふや歌となると、これは応用です。表現に入ると、もう正誤の判断は無意味になります。個性になるのですから。たしかに、アナウンサーは報道の、ナレーターは読みのプロです。それぞれに問われる要素をプロの人はプロとしてもっています。しかし、発声はもっと根本にあるものです。彼らもまた大いに学ぶことがあるから、研究所にいらっしゃるのです。そこでもどうやら声というのは多くの人に混同されているようです。
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