第72号 「声楽の独立性のもつメリット」
「トレーナーの判断の違いと、複数トレーナーの必然性」
○声楽の先生と前提
最初は一人のトレーナーで基礎を固め、それが身についたらようやく、他のトレーナーにみてもらうというのは、声楽によくある考え方です。昔は、自主トレも禁じて、トレーナーの前でのみ、発声させて、学ばせるというスタイルもありました。
彼らは、目的のために、1.長期にわたり、2.集中的にトレーニングし、3.同じステージに立つ(コンクールなど、評価が一応、基準として確立されている)という前提があります。
これが、ポピュラーや役者にあてはまらないのは、目的も前提も、資質やレベルも個々にあまりにも違うからです。たくさんの観点からの刺激やアドバイスを受けた方がよいのです。
○ポピュラーと理想イメージ
ポピュラー歌手は10人ほど声を考えるだけで、その声や使い方の多彩さはわかるでしょう。ポピュラーや役者の声は、声楽で定められた条件よりもずっと自由なのです。日常にも近い声です。
多くの場合、声楽やヴォイストレーニングのトレーナーの理想とする歌手や歌唱像そのものは、コーラスの指導者とも似て、現実にいる歌手と異なっているのです。理想的な発声のイメージだけで人を育てようとしているトレーナーがよいのかというと、案外とそうともいえないのです。ここでは、声楽のトレーナーを声楽の基礎を中心に活かし、その応用に対して、かなりの自由度をもたしています。
○トレーナーなのに声をみない
プロデューサーやアレンジャーに近い人は、作品中心で、流行に翻弄され、ヴォーカリストや役者の体やのどから声を考えられません。将来の可能性よりも、今の状態での使いやすい声やバランスのよい声を選びます。日本人をみる外国人トレーナーもこの傾向が大きいです。
プロ歌手出身のトレーナーは、プロとして自分の世界を確立しているがゆえに、好嫌が強く、その判断がおのずと自己肯定に偏ります。自分とは違うタイプの可能性を否定しがちです。そのトレーナーには未知、いや認めてこなかった世界だからです。
○歌でなく声をみるということ
私が多くのポピュラー歌手、役者などと巡りあいながら、今のように、声楽家のトレーナー中心の体制にしたのは、共同の場をもつ以上、個人の価値観や見解においての違いがあっても、オリジナルな発声づくりにおいては、認めあえる必要があったからです。歌と切り離し、声の独立性を確固としてみることのできるトレーナーであることが必要だったのです。声そのもので一流やプロとわかるだけのものを示せるというのが、私の思うヴォイストレーニングの基礎だからです。
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