第77号「学ぶ対象のあいまいさ」
○今に学ぶこと
トレーニングやレッスンは、トレーナーが学ぶ経験を積むに従って、発展してくるものです。即ち、トレーナー自身がどこまで自分の理論(仮説)を多くの人との実践の経験で、フィードバックできる能力があるのかが問われます。
私は早くから、個人レッスンから複数のトレーナーで組織的に内部結果をフィードバックするシステムをつくりました。研究誌の発行や声の分析など、外部の専門家とも協力して研究をしてきました。
相手の要求や声の基準は、時代と共に変わります。人の心身さえ同じではありません。今の若い人とは、今の40、50代の若いときと違うのです。
○新たに学ぶこと
次のようなことは、常に新たに学んでいかなくてはなりません。
1.人間としての心身
2.時代で変わる心身と発声器官
3.とりまく環境と状況
4.表現とスタイル
○生まれと育ち
たとえば、単純な大声トレーニングでも、かつては、多くの人に有効だったのに、今では多くの人は害になります。
トレーニングは、人間として、共通の体を前提に行ないますが、赤ん坊から大人に至る課程に、生まれと育ちという2つの大きな因子があります。
生まれは赤ん坊の時点での違いです。遺伝的要素は、赤ん坊として生まれたときから個人差として生じていきます。育つにつれ、差は大きくなります。人種間での違いもあります。もっとも大きく違うのは、性別です。
育ちからの差となると、もはや分類しきれません。成長とともに、発声発語器官そのものも変わります。後天的な違いで大きく違うのは、言語習得からの差です。聞こえてくる言語によって、耳での音の捉え方から、発声器官の使い方も大きく違ってくるわけです。
○トレーニングの日常の不可分な関係とあいまいさ
最も難しいのは、声の場合、日常の発声発語とトレーニングとが明瞭に区別できないということです。声帯を中心に発声の楽器が体内にあります。歌唱や発語は、歌手や声優など専業を目指す人でなくても、相当のレベルにまでマスターしているからです。
日本で生まれた日本人にとって、日本語を使えるのが当たり前のように、ほとんどの人間において、発声発語は、生活の中で習得されています。そこから歌唱、せりふという舞台表現に要求されるレベルとのギャップは、個人差が著しく生じているのです。
歌や演劇は、専門のトレーニングをしなくても、こなせる人がたくさんいます。専門のトレーニングを必ずしも受けていない人も多いのです。となると、専門トレーニングとは何を意味するのかも、あいまいです。ヴォイストレーニングもその点では、一般的には、とてもあいまいになっています。
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