第75号 「方法と実践」
○ブレスヴォイストレーニングと声楽
声楽は、オペラの基礎づくりです。それに対し、ブレスヴォイストレーニングは、話し声から歌まで含めた人間のコミュニケーションのための音声の基礎づくりです。広くは、叫び声、泣き声、怒り声なども含めます。
ブレスヴォイストレーニングは「アー」や「ハイ」の一声から、母音やシャウト、レガートなど、フレーズでの統一音声レベルでの解決をめざします。声楽はかなり広い声域、ハイトーンまで、しかもかなりの声量を体から歌唱するためにトレーニングを必要とします。それは呼吸から発声、ビブラート、ロングトーン、ヴォーカリーズ(母音)、歌唱フレーズでの共鳴統一のための基礎練習です。
○声の日常とドラマティック
オペラが非日常なものに対し、ブレスヴォイストレーニングは日常ですが、区分は、あいまいです。もともと舞台は、非日常とはいえ、日常のハイテンションでの集約に過ぎないともいえるからです。
日常生活の中でも、ときにはドラマ以上に、ドラマが起きることがあります。いえ、しばしば、ドラマにもできないほどのドラマが成り立っています。そこで発される声や歌は、ドラマティックです。
○深い声と高い声
声楽は日本人の場合、多くがテノール、ソプラノ中心なので、ハイトーンと頭声共鳴が優先されているのは否めません。
私はそれを逆手にとって、日本の声楽をJ-POPSなどのハイトーン、ファルセットの習得に利用しています。ポピュラーの本人しか通用しない、中途半端な発声をまねたトレーニングよりは、声楽は多くの人に通用してきた実績のある分、万人向けということで、安心かつ信頼も高いからです。
○組み合わせる
ブレスヴォイストレーニングと声楽の組み合わせで、相互の弱点を補完することもできます。共に、イタリア人のような体からの深い声を得るのが目的です。
バスやバリトンの人には、ブレスヴォイストレーニングと同じことを声楽で行っているようなものです。ことばは、レガートでなく、スタッカート気味な歌唱の一つと大ざっぱに捉えたらですが。
○遅れている
声楽の中にも、いろんな考え、価値観、方法論、適用の仕方があります。優先順、重要度も異なります。とはいえ、百年を超える歴史の中で、オペラの伝統と権威ゆえか、お山の大将も多数いらっしゃいます。
ポップスや役者声、ふつうの人の日常の声に偏見をもち、本人独自の声だけをよしとする人、それを教え方一辺倒のまま人も少なくありません。学生の頃、習ったことをずっと受け売りしで、続けている人もいます。共同研究や最新の科学技術を用いた解析などが遅れているように思います。
○方法の差異について
私がいえるのは、ヴォイトレに特別な方法などというのはないということです。言語を発声として、幼いときからしぜんと習得していっているのが人類です。そこで楽器のように人工的につくられたものへのマニュアルなどあるわけがない。大切なのは、こうした原点をきちんと押さえた判断です。
その上で、一流の人は、日常の中でより強度に、かつ短期に身につけた人のプロセスを効率化し、質を高めたものとして使って、自分を高めて(深めて)いくのです。
同じ方法も相手やそのレベル、使い方によって毒にも薬にもなるし、方法の違いよりも、どう使えているかの方がよほど違いが大きいのです。ですから、方法論を議論しても仕方ないのです。
研究所では、私も他のトレーナーも、相手によって全く違う方法を用いています。相手による違いの方が、他のトレーナーの方法との違いよりも大きいといえるくらいです。☆
ヴォイストレーニングを行わなくても、声をしぜんの中で相当レベルまでマスターしている人もたくさんいます。しかし、そういうプロセスを取れなかった多くの人のために、ヴォイトレはあります。シンプルに絞り込んで、感覚を鋭くし、丁寧にコントロールし、体(呼吸器官や筋肉など)を強化、柔軟に調整していくということです。
○方法を工夫する☆
特別なやり方があって大きな効果がすぐあがるというのもないことですが、間違ったやり方があって、それでのどをつぶすと捉えるのは、さらなる誤解です。
ノウハウとは、役立つように使うためのものです。それを役立たぬどころか、ダメにするように使うというのなら、おかしいのです。与えられたものを役立つように変え、工夫すればよいのです。
方法も道具も、思想や考え方も使い方しだいです。使って役立たない、毒だというなら、工夫して変えればよいのです。そうして人間は独自のものを編み出していったのです。変える力をつけていくことです。
○叩き台として☆
声楽もブレスヴォイストレーニングも、変える力をつけるための叩き台にすぎないのです。私の示している方法やメニュ、考え方もすべては叩き台です。問いにすぎません。
話を聞いて、納得できない、やってみてうまくいかないと、人のせいにするのでなく、自分が活かせるように学ぶことです。活かせるところがないのなら、ないというところから学べます。すべては、その人次第です。
誰もがその通り、同じように、同じ期間で、同じようにできるようなものに価値はないでしょう。もちろん、やらないよりはやったという価値はあります。しかし、真の価値は、やっている人のなかで問われるのです。そうなると、方法などというものほど、つまらないものはないと気づくことです。
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