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2019年10月

第82号「まねとほめ」

○声の見本の危険性

 

 よく、トレーナーにつくと間近に見本がみられてよい、という方がいます。距離として間近で、時間のプロセスとしても、ゆっくりと同じ一つのフレーズだけくり返してくれたら、確かにわかりやすいですね。しかし、こうした内容と表現法は、芸、表現、歌としては違います。

 今は、師匠につかなくても落語は覚えられます。作品も教材も売られ、学び方の方法まで、ていねいに解説されています。

 私も本や教材はつくっていますが、それはレッスンに来られない人のためです。レッスンに代われるものではありません。とはいえ、必ずしもレッスンが必要でないのです。

 

○師につく目的

 

 師のところにいくのは、いくつかの目的がありました。

1.内容(落語なら噺)を覚える昔は、寄席でしか噺は聞けませんでした。噺を仕込みこむのが、最大の目的でした。歌手なら楽譜を入手する、あるいは歌(詞や曲)をもらうことにあたりました。

 いまやCDで音声、DVDで振りまで学べます。客席の正面からしか見られないのを、弟子は横からしか見られない。DVDは、繰り返し多角的見られるので効果的です。

2.自分に対するアドバイスがもらえる。これは、師によります。友人や先輩よりもよいはずですが、芸の名手、必ずしも教える名人ではありません。

3.見本がそばで見られる。これも声は楽器と違い、個人差があるから、まねがくせになりやすいです。つまり、耳でとらえるようにやっても、師と同じフレーズまわしになりません。なったとしても、よくないのです。同じ声を出すには必ず、無理が生じることは覚えておいてください。

 師と似た声の人ができることを、違う声の人はずっとできません。

 

○似ていること

 

 似たらよいのかという問題も大きいです。似ていると思われるのは、表面しかとっていないからです。本質的なものを学べていたらおのずと師と異なる自分の声と呼吸での表現がでてくるからです。

 そのプロセスの判断は、声に関しては師といえども容易ではありません。すぐれている師ほど、潜在的に自らのもつ条件を意識していません。自分の体験や練習法を伝えても、それはその上でのことです。

 ですから、「俺はそんなところでつまずいていなかった」という人ほど、教えられないのです。小さいころからプロとして歌っている人に、いい年齢で音をはずす人の直し方はわからないでしょう。声にはそこまで生きてきたすべて、体、心、感情を伴って入っているのです。形で入れるくらいなら、苦労はしません。

 

〇まねること 

 

師のようにやろうとして、すぐにやれるところはどういうことでしょう。条件にめぐまれていてやれたのか、条件がないのに表面だけ合わせられたのかで大きく違います。表現力が伴っていれば師と同じ力があるのに、それがないというなら大きく何かが欠けているのです。まねたつもりで、本質の問題を素通りしてしまった、先にいってしまったのです。つまり、基本がなおざりにされたということです。

 それをほめる客はしかたないとして、トレーナーがほめるからやっかいです。早くそれなりにできたということにしてしまうと、レッスンの対価には見合ったと相手も喜んで、生涯、そこの限界から抜けられないようになったということになりかねません。しかしそこに気づかないレベルでレッスンが成り立っているのです。これはトレーナーを変えるか、トレーナーが変わるかしかありません。

 

○ほめることと評価すること

 

 できないことができたら、それは認めてあげることです。ほめる必要はありません。ほめると自信をもったりやる気をもつ人も多いからほめるのです。逆にいうと、これはほめられないとなると自信もやる気も自分ではもてないから、トレーナーがいつもほめてあげないといけないという関係になりがちです。これでは続くことはないでしょう。

 若すぎるためにそうであって、その後、成長するなら別です。それを、だめとはいいません。しかし、逆に若いからこそ、ほめられないことをやってみることでしょう。本当に一所懸命に練習していて成果が出ないとき、トレーナーは励ますのです。励ましたくなれば励ませばよいのです。

 

○ふさわしいトレーナーを考える

 

 トレーナーですから、レッスンで依存されるのはある程度仕方ありません。しかし、私はいつも次のことを考えて行なっています。

1.自分以上に、この人にふさわしいトレーナーはいる。もっとよい方法も必ずある。

2.自分がこの人が目的を遂げられるまでみられないこともある。お互いの事情や万一のケースを考え、用意しておく。

 トレーナーのレッスンは、そのトレーナーがいなくてはできないものです。しかし、その上でそれをなくしていかなくてはいけません。常にほかのトレーナーでも引き継げるようにすることを念頭におきます。それより大切なのは、本人が自分自身でできるようにすること、次に進めるようにすることです。自分でできるようになればなるほど更なる高い課題設定とチェックが必要です。そのためにトレーナーが必要と私は考えているくらいです。

やはり、誰かにつくとよいのです。そのときに前のトレーナーのレッスンを引き継げる人がよいのですが、もっとよいのは、本人が次のトレーナーのレッスンに対応できる力をつけていることです。最終的にトレーナーを選ぶ眼力もついているべきでしょう。よいトレーナーとか、自分に合うトレーナーでなく、自分の力を伸ばすトレーナーをみつけ、選ぶ力です。

 

〇やり直しのレッスン

 

 現実にトレーナーを変えるときに前のトレーナーから知識やうんちくは教えてもらっていても、深い声が身についている人や呼吸が明らかに素人とは違っている人というのは、ほとんどいません。そういうヴォイトレをやってもらっていないからです。トレーナーについても本を読んだような知識が思い込みをつくるだけにしかなっていないケースが多いのです。

 トレーナーの事情でレッスンができなくなって、困ってここにくる人も少なくありません。日本の場合、トレーナーを変えると、最初からやり直すとなる人がとても多いのです。

 トレーナーが誰であれ、きちんとトレーニングをしていたら、体や声は変わって、次のレベルにいくはずです。「レッスンのときしか声を出さなかったの」と聞くとそうだと答える人も出てきました、このあたりもどのレベルで述べるのかに悩むのですが、今は一般化して日常化してしまったヴォイトレ、カウンセラー化したトレーナーということを抜きに考えざるをえなくなってきました。

 

○技術としてのギャップ

 

 声を武器にして人前で表現するとしたら、日常以上の条件や技術が求められます。師というのはかつては高所にいて、弟子ののぼってくるのを見守ればよかったのです。しかしトレーナーは、そこまで求心力がないので、はしごをかけて下まで降りてくるタイプが多くなりました。何とかしてあげようと、親身になって考えてあげるのはよいのですが、成果が上がらなくとも満足します。これだけやってもらってよくならないのは、自分の素質や才能、努力が足らない、と多くの人は、素質のせいにします。

 一方で「こうしろ」とか「なぜできないの」とムチをふるうトレーナーは、最近は嫌われますから少なくなりました。顧客満足の時代ですから、コミュニケーションをとり、説明はていねいになりました。医者でさえ、サービスで問われるのですから。

 でも本当は技術でしょう。医者は弱った人を社会復帰させるのですから、カウンセラーのような要素も入らざるをえません。まわりのスタッフや看護士が行なえたらよいのですが、医者のことばを信じるのです。トレーナーは、生徒のレベルに降りていったらいけないと思います。技術としてのギャップを示す必要があると思います。

 

〇声力の補強

 

 声においては相手の発声から、その体に支え(体・呼吸・・・)などの不足を知り、補強するメニュ、トレーニングをします。そのギャップ、補強をトレーニングで待つしかないのですが、レッスンでそのギャップが埋まるのを待たずに先に進めたり、できているようなフリをして認めてはいけないということです。

 グループでも体や息の基礎条件が足らないと常に周りが無言で圧力をかけてくれるような環境なら、おのずと力はついてきます。トレーナーの話に和気あいあいとして、時間がたって、楽しくすっきりしたというなら力はつきません。汗をかくアスレチックジムのエクササイズやジャズダンスのほうがましです。

 

DVDで学ぶ 

 

 トレーナーの声だけでなく、DVDなどでアーティストの声を再現したものを何百回も見ることです。プロセスはスローや部分再生でみればよいでしょう。

 ただの客やファンからすぐれた客になるプロセス、自らも演じるための武器を心身に入れていくプロセスを個人で家で行なえるようになったのです。マイク・タイソンは、13歳から20歳まで世界戦のVTRをみることを欠かす日はなかったといいます。これが相手のすべての動きやクセを自らに叩き込んでいた下積みともいえます。きっと1万時間以上の試合のシミュレーションをしていたでしょう。(ドキュメンタリー映画「タイソン」)

 一流は必ず成功するのに共通のことを行なっていて、アマチュアのままの人は、必ず失敗するのに共通のことをやっています。

 あなたがアマチュアなら、自分によかれと思ってやっていることや判断は、共通して失敗することであることが多いということです。そのために一流のDVDCDから正すということです。

 

〇判断レベルの違い

 

 歌にしろ、せりふにしろ、声に正誤があるわけではありません。顔に正誤がないように声も個性です。しかし、表現として通じる個性、伝わる機能をもつところで違うのです。それを補うのがトレーニングであり、気づかせるのがレッスンです。

 声は、正誤ではなく程度問題です。判断もあいまいです。発音・滑舌は、ピッチやテンポと同じく、機能だから判断しやすいのと対照的です。同じ声でもある人はよいといい、別の人はだめということもあります。初心者と上級者に対しては判断が違ってくる。ことばに紛らわされてはいけないのです。誰が何といおうと何を参考にしても自分で判断していく力をつけなくてはならないのです。そのためにトレーナーを使うのです。

 

No.338

苦労

必死

融通

掛け合い

反り

道理

正確

筋道

幕間

頃合

所作事

ハイカラ

純粋

燃焼

面白さ

最高

全身

大輪

魅力

愉快

自然

理屈

神経質

乏しい

親しみにくい

遊び

徹する

迫力

情緒

調子

第81号「トレーナー依存からの脱却」

○教えすぎない

 

 私自身はどちらかというと教えすぎるより、教えないタイプのトレーナーに好感をもっています。声や歌は、誰でも扱ってきたのですから、できていないなら教えられない、本人の感じ方やイメージが変わるまで待つしかないものです。今の時代、それではもたないので、対応としては、変わらざるをえないとは思うのです。

 ここには口伝の邦楽のお弟子さんも、師匠の許可をもらっていらっしゃる場合は、改めようと思ったのです。師も声の扱いは、自分の体験でしかないし、すぐれていたからこそ、他へ学ばせに行く度量もあるのでしょう。受け入れ先の私が同じでは困ることになると思ったのです。

 ヴォイストレーナーは、相手をトレーナーの好みへ沿わせようとしてしまう結果になりがちです。

 条件づけといって、初めてみたものを親と思う、生まれたての鳥のように、初めてついたトレーナーによって、その人の発声は、大きく左右されてしまうのです。それは多かれ少なかれ起きてしまうことです。自分を変えるためにトレーナーにつくのですから、よかれあしかれ、そこからスタートするのは、普通のことです。

 

○前のトレーナーの判断を知る

 

 先日も関西で有名なトレーナーに6年ほど師事した人が来ました。私のところは、長くやっているので、同じトレーナーのところから45人ほどくることが少なからずあります。すると、そのトレーナーがどういう考えやプロセスを教えているのかは、およそ、見当がついてきます。(来た人一人だけで判断することはなりません。)

 しかし、私も、私のところのトレーナーも、そこに6年どころか、12年のキャリアを感じることはできませんでした。

こういう例は、よくあるというよりも、ほとんどの場合が、そうだといえます。そのトレーナーの教え方が悪いのではなく、そのトレーナーから大きく学べた人もいるし、そうでなかった人もいるということです。

 うまくいかないから、他のトレーナーのところへ移るというケースは、当たり前です。

 うまくいっていないのに、本人やトレーナーが評価することもあたりまえのようにあります。この人は上京してきたためにいらしたのであり、そこにいたらずっとそのトレーナーについていたのです。

 

○客観化への努力

 

 私たちだけが結果を出しているといいたいのではありません。ただ、少なくとも私たちは組織でやっているので、客観的な位置づけや視点が得られやすいのは、確かです。トレーナーの方法との相性やプロセスの検証が、ある程度できるからです。つまり、研究所には、いくつもの学校が入っているみたいなものです。

組織といってもカリスマトレーナーの言う通りに、全トレーナーが同じやり方、基準でやったり、トレーナーがすべて同じトレーナーの生徒なら、私のいう組織ではありません。トレーナーの出身やキャリアが違うこと、特に皆が同じトレーナーに学んでいないことを重視するようにしました。

 

〇依存しすぎないこと

 

 なかには、あるトレーナーについたために他のトレーナーの指導を受けつけられなくなる人がいます。トレーナーといっても、それぞれにやり方や判断基準もプロセスも違います。組織やチームでやるなら、そこで統一すべきだという考え方でしょう。

しかし私は、トレーナー個々のノウハウや考え方を最大限、尊重しています。生徒が混乱してもよくない方向にいきそうなとき以外、口出しはしません。ときどき振替、代行をしてシャッフルするのです。私の経験からいうと、23年一人のトレーナーで早くよい結果をあげた人は、そのままではそのあとに伸びていきません。固まっているのです。ですから、サブのトレーナーを追加するか、一時交代させるととてもよくなります。

 

○やり方を統一しない研究所

 

 ここは、トレーナー全員が福島英のブレスヴォイストレーニング法という方法で教えていると思っている人が少なくありませんが、そうではありません。

 ブレスヴォイストレーニングとは方法やメニュでなく、それらを使うときの考え方なのです。といっても、どんなトレーナーのどんな方法でもよいということではありませんが。

 私自身、自分の本のメニュ通りに、教えたことはありません。10人いたら10通り、全く違うレッスンとなります。

 トレーナーにノウハウがあるのでなく、それぞれの人に、引き出すべき個性(違い)や能力があり、それを導くのがトレーナーだと思っています。

 

 トレーナーがいかに有能でも、あまりにトレーナーに左右されることを防ぎたいと考えています。指標を与え、ギャップをみせ、その埋め方のノウハウをわかりやすく教えるトレーナーは人気があるでしょう。しかし、そのコースは、トレーナーが一方的に引いただけにすぎません。ノウハウは、そのトレーナーのノウハウです。あなたがそれを材料に、自らの基準を高め、自らを知ることで、異なる自分独自のスキルにしなくては大した力になりません。

 

○トレーナーのノウハウ

 

 トレーナーについて一所懸命学んできた人の出す声は、そのトレーナーの半分以下の完成度もないのが日本のレッスンの現状です。腹式呼吸や声さえ、素人と変わらないことも大半です。

 考えてみてください。本当に伸びていたら、声なのですから、誰もがすぐにわかるものです。それが、変なくせや歌い方がついて、次のトレーナーがゼロから教えるよりも大変ということが、あたりまえのように起こっているのは、なぜでしょうか。

 トレーナーは自分一人で全てを与えられるなどと思わない方がよいでしょう。自分よりその人に向いているトレーナーがいると思い、知っていて紹介するくらいの度量は必要です。

 トレーナーの大半はお山の大将で、その判断さえつかなくなっていくのです。合わない人は黙ってやめるのでそういうことを学ぶ場や機会をもてなかったのです。優秀な声の使い手イコール有能なトレーナーでないということです。長年、歌の実績のある人がトレーナーとしてあまりうまくいかないのも、声の問題の特殊性でしょう。

 

○実力をつける

 

 私はトレーナーを信じてはもらいたいのですが、トレーナーがいなくては何もできないような学び方をしてほしくはありません。

マンツーマンのレッスンのよさは認めていますが、トレーナーに依存しすぎるのは、よくないことです。知らずとマンネリにもなり、お互いだけの了承下で進みます。できる人ほど早く、トレーナーの好みに声の出し方や歌い方になります。トレーナーそっくりになって、そこから抜けられなくなる人もいます。しかも、そのことに気づかないのです。それなら、歌をカラオケでまねているのと変わらないし、その方がまねている自覚がある分、ましかもしれません。

 

○長期で考える

 

 ノウハウなど、小手先のことを教えるよりも、精神的、メンタル的なトレーニングであった方が、長い眼でみると、よいとも考えます。

 私もいつ死ぬかわかりません。来る人のなかには、ここに510年以上いらっしゃることもあります。何年も経って才能が開花することもあります。担当のトレーナーや私がいなくても成立するように、私は当初から組織化しました。

 担当のトレーナーも留学したり、辞めたりすることもあるでしょう。そのときに、他にどのトレーナーを惹きつけないような実力、そして学び方をしていてはどうなりますか。

 

○基本の基本 

 

 ポピュラーや役者にまねは不用です。人が教えたり、人がつくったりすることはできません。タモリさんが自分は(故)赤塚不二夫の作品といったのは、最大の賛辞のことばにすぎません。

 基本の基本とは、声を育てたり、声を扱う体、呼吸をつくるという条件づくりです。どんなトレーナーからでも、どんな方法からでも、自らがもっとも厳しい条件を知り、そこで使えるようにしていけばよいのです。すべてを使う必要はありません。多くの場合、たった一つのメニュでも死ぬまでに充分なのです。その使い方を変えればよいのですから。

 

○トレーナーの教え方の違いと相性について

 

 いろんな本やここの会報でトレーナーのノウハウ、メニュを見ても、よくこれだけ違うと思えるほどいろんなやり方があります。

 ですから、ここにトレーナーや邦楽の師匠などもくることになるのでしょう。

 

○やりやすいのがよいのではない

 

 すべてやってみて、もっともやりやすいものから入るというのは、必ずしもよくはありません。しかし、それでもチェックができるなら、自分の中によいのと悪いのがあれば、よい方に悪いのをそろえる、そういうことになります。それをもし一人でできたら、けっこういいところまでいきます。多くは、悪い方にそろってしまうのです。そこでトレーナーが必要なのです。そこが一人ではなかなかできないので、トレーナーにつくのです。

 すると、けっこう合わなそうなやり方に出会うこともあります。自分にないものをつける、かなり足らないものを補うのなら、そうならないとおかしいのです。自分の中のよしあしを一度すべて捨ててトレーナーの体や感覚を盗むしかありません。まねても盗めないから、身につくまで待つしかないのです。

 

○合うトレーナーがよいのではない

 

 トレーナーも自分に合う人や、やり方がわかりやすく合わせやすい人が本当に自分にベストのトレーナーとはならないともいえます。ベターのレッスンとして、そういうトレーナーは、自分の悪いところを消してくれるでしょう。しかし本当に根本的に変わりたいなら、合わなくて、やりにくく、手こずるようなトレーナーやそういう方法の方がマスターできると、効果は大きいともいえます。

 ソプラノは、ソプラノの先生から学びやすいのは確かです。しかし、もしバスの先生から学べたら、もっと得るところが大きくなる可能性があるということです。パートに関わらず、性別も超えた人間の体というところの基礎で身につくからです。そう考えて、私は2タイプのトレーナーをお勧めしています。

 依存せず、主体的に自立してくださいということです。その判断をどうするか、自分ですると失敗する、トレーナーに依存できない、だからいろんなトレーナーから盗み、高度に判断できるようになるまで待つしかないのです。だから、一人より複数のトレーナーがよいのです。

 

No.338

喉声と体声(腹声)

つまる声とひびく声

ひびきすぎる声と芯のある声

軽い声と圧のある声

ひびく、腹にひびく、心にひびく

頭声と胸声

頭部共鳴のみにする

頭声共鳴をなくす

生理的と心理的

発声と歌唱と表現

声の力、音波、波動、体振、影響

発声でこもるのと発音の明瞭さ

暗い声と説得力のある声

硬い声とメタリックな声と柔らかい声

怖い声、冷たい声、悲しい声

No.338

「面談にて」

 

本人の生き方、考え方

「どうなりたいのか」「どうなりたくないのか」を問う。

個性化でなく、それを実現しようとしているふりをする。

周りからはみ出ないという制限がある。

行動を書くだけで、感じたことの感想がない。

 

「仕事の設計」

 

影響力、成長、収入、奉仕、特技、楽しむ

研鑽か生計、継続か単発、時間の自由度

キャリアデザインとライフステージ

パフォーマーとクリエイター

職人気質(かたぎ)

 

「いい子は、危ない」

 

理解する、受け入れる、話す気持ちにさせる

原点を探る、プロセスをたどる

共同作業をする

否定を肯定に転換する

迷惑をかけたことを思い、迷惑をかけられたこともあることを思う

小さな迷惑で人とつながる

感情を抑制せず表現をする

外から統制、コントロールしない

自信がないと高慢になり、プライドが高くなる

ネガティブな過去から自由になること

「なぜ」と考えないこと、原因を考えるのは過去に戻る

手放すのでなく向きあう

弱いから、強くなる

悪いがまんは抑制して爆発する

弱さを認め、ありのままに受け入れる

固い決意、がんばる、には不安があって当たり前

逃げたのでなく必要

自ら選んだ芯の強さと笑顔のもろさ

価値観にこだわると人とうまくやれなくなる

心の病いが体に出る

情緒が必要、感情吐露する

「大丈夫?」でなく、「痛かったでしょう」と言う

「手伝って」「助けて」という、甘える、頼る

「えらい、りっぱ」と評価して比較してほめない

「嬉しい、ありがとう」味方だということを伝える

 

第80号「やり方を教える限界」

○声の使用度合別にみる

 

 声は体に内在しているところから外に出ます。楽器として体のなかにあるということと共に、あなたの感覚・イメージ・意志と一緒に使われています。すでに表現のツールとして個性もくせも伴った声として演じられているのです。

 ですから、新しい声を習得したりつくったりするのではありません。よい面も悪い面も含めて、あなたの声の素材としての可能性と、使い方の可能性を追求しトレーニングで変えていくのです。今ある声でかなりの部分は、実現されています。

声の実力としては、これまでよく使ってきた人ほど有利で使ってきていない人ほど不利ですが、トレーニングでの実力アップの度合いとしては逆です。使ってきた人ほど、よほどのことでないと大きく変われる可能性はなく、使ってきていない人は少しでも好転する可能性(少しやっている人並レベルですが)は大きいのです。伸びしろのことです。

 

〇力がつかないヴォイトレ

 

 声楽家や役者、私のヴォイトレなどはプロも含めますが、ふつうのヴォイトレは、初心者をターゲットにしています。初心者は状態や使い方だけでも大きく変わります。しかし、プロレベルの人は、初期条件である体、感覚を根本的に変えなくては大して変わりようがないのです。

 外国人の有名なトレーナーのトレーニングとなると、生徒となる相手が日本人のプロレベル以上に基本が身についているために、使い方、テクニックが主になります。それゆえ一見、日本人にもすぐにあてはまるように思えるのです。実のところ、大きな錯覚です。結局、声の使い方だけ変えても力はほとんどつきません。

 実際には、初心者に(日本はプロやトレーナーでも声の力では初心者に近い)応用プレイを教えて、本人たちにスキルを習得したつもりにさせているだけです。まさにフレンドリーな関係づくりのプロテクニックです。

 

○ヴォイトレのタイプ別5パターン

 

 次のような5パターンに考えてみるとよいでしょう。

 

1.初心者 A小さな器 a)状態と使い方

2.一般 A小さな器 b)条件と鍛錬

3.声楽・日本のプロ A小さな器 b)条件と鍛錬

4.研究所のヴォイトレ B大きな器 b)条件と鍛錬

5.プロのアドバイス・欧米のプロ B大きな器 a)状態と使い方 欧米のヴォイトレ

 この場合、器とは、声域、声量についてもですが、最終的にはプロの音色(体、呼吸、発声)とコントロール力ということです。状態とは、状態をよくすること、使い方というのは、歌においては音楽的処理となります。

 もちろん、単純にこの5パターンに分けられるものではなく、一人ひとり、けっこう違います。しかし、こういうことを知っておくのは、ハイレベルをめざす人や渡欧(米)を考えている人には、有意義でしょう。

 

○欧米のヴォイトレの結果

 

 欧米にいってヴォイストレーナーからテクニックを覚えたとしても、ほとんどの日本人は、声が大して変わっていません。それは、Aa)、向こうでは初心者(一般ヴォイトレ)扱いとなっているからです。声を聞いて比べてみればよくわかることです。何回か本場で体験してほめられて自信を得てきただけなのです。向こうもビジネスです。それを売りにする人は、歌手にならない(なれない)し、何よりも声は大して普通の人と変わらないでしょう。器用に歌えるけど、声のない人が、ますます器用な歌い方になるか、器用をとって素直な歌い方になってきたというのが、私のみているところです。そこがおかしいと思いませんか。

 

第79号「客観視ということ」

○客観視するために

 

 誰かに声を学ぶのは一人で学ぶよりもずっとよいことです。最初は仲間やサークルの同輩でもかまいません。一人でやるのと、比較・対象とするものがあるなかでやるのとは、違います。

 録音して聴くことで、相手からの視点も得られます。作品として完成されたプロのを聞くのと違い、生のまま、ほぼ同じ条件のものに収録されると、違いもわかりやすいはずです。

 先生と同じことができるレベルになることをめざして行なうと、楽器プレイヤーに比べて、声は著しく不利な点があります。一人として同じのど=楽器をもっていないからです。

 噺家の師匠を弟子が同じようにしては超えられず、別の芸風で乗り越えようとしたように、守破離のプロセスが必要です。声だけならなおさら、より早い見極めと離脱に移るのが大切です。これが複数のトレーナーを勧める理由です。☆

 

○リスクの分散

 

 最初から見本を一人に絞り込まず、複数に分散しておくことでリスクをさける点、複数のトレーナーをもつことは理にかなっています。一人のトレーナーを選ぶなら、最初のレベルでの相性や好き嫌いで自己制限してしまいます。それよりは多くのパターンとまねを経験するチャンスを得ることでしょう。絞り込むまえに広げておくのです。自分の好き嫌いを超えた得手不得手を見極めるためです。

 師を選ぶのは好き嫌いです。多くの人が芸の道に入るのは、好きな芸、好きな人からです。それは自ずと、自己否定から、そのまま師の見本コピーへと入ってしまいます。相手がトレーナーとなると自己肯定、つまり自分の判断で選んでいくのが、絶対という人が少なくありません。

 一人でやっている人は、常に自己否定か、一人よがりの両極端から抜けられません。

 

○根本的な問題

 

 師はスターであり、トレーナーのこともあります。しかしヴォイストレーナーはトレーナーで、師ではありません。本人には客観視させる能力をつけさせる力が問われます。

 発声法だけとして教えるのであればテクニカルコーチとして、トレーナーは最適かもしれません。しかし、そのやり方はどこに使えるのかとなれば、多くは、弱点補強にしかならないでしょう。

 問題がそれだけであることは少ないです。それが根本的な問題をみえなくします。オリジナリティや長所をみつけたり伸ばしたりする妨げになることです。現実は、効果が早く出やすくわかりやすく、習う人も実感しやすいから優先されます。それが目的となることが大半なのです。

 

Vol.79

○腹式呼吸のトレーニング

 

 声を使うときに必ず言われるのは、腹式呼吸です。しかし、これほどやっかいなものはありません。なぜなら、腹式呼吸が大切なのではなく、どのくらい声を呼吸でコントロールすることができるようになっていくのかどうかが問われるからです。

 腹式呼吸は、特別にそういう呼吸法があるのではなく、誰でもやっています。あおむけに寝ころがって息をすれば、そうなっています。しかし、それが、いつもの声に応用でき、声を出したときに腹式中心にコントロール(常に腹式と胸式は共存するのですが)するのは、大変なことなのです。

 まずは、ブレストレーニングからやってみましょう。

 

 よい姿勢をキープしたまま、息を吐いてみましょう。のどがカラカラとかわくような吐き方でなく、お腹の底から楽にゆっくりと吐きます。喉はしめず、深く絞り出すようい吐いてみましょう。吐き切ったら、少し止め、そしてゆるめます。すると、自然と息が入ってきます。

 これを、体の動きとして意識します。口で息を吸っているのでなく、息が体に入ってくるように感じてください。

 首を回したり、肩を動かして、常に緊張を解きほぐしておきましょう。肩と首の間、胸とわき、肩との間の筋肉は、もみほぐしておくとよいでしょう。

 上体を前屈させると、お腹の前のほうが押されるので、背筋や側筋が使いやすくなります。息を何回か吐いてみましょう。横隔膜は、肺の下にお椀をふせたような形でついています。前腹を鍛えるのでなく、胴回りを均等に動かせるようにしていきます。使いにくい背筋や側筋の動きを加えていきましょう。

 

  • 息を吐くトレーニング

1.ゆっくりと息を出し、出し切ったら、23秒止め、自然と息を入れる(10回)

2.息を(ハッハッハッハッ)と犬が走り終えたときのように速く吐きつづける(30秒)

3.時計をみながら、5秒、なるべく速く吐き、5秒休む(30秒)

4.全く均等になるように意識して息を吐き出す(10回)

5.少ない息から、少しずつ吐く量を大きくしていく(10回)

6.まっすぐすくっと立ち、上半身を中心に大きく体を動かしながら、息(声でもよい)を出す(オイチニイ、サンシ、ゴー、ロク、シチ、ハチ)

最後に息をコントロールして、一定に吐いてみましょう。「Si(シー)」でチェックしてみましょう。

 

○腹式呼吸とは何か

 

 深い呼吸は、健康の証拠です。お腹の底から発された声は、おのずと説得力があるのでしょう。

 お腹からの呼吸を、腹式呼吸といいます。これをうまく使うと、息をうまくコントロールして声にメリハリがつけられ、話の調子をつくり出せます。意味のまとまりを語勢につけ、話を力強く展開していくことがしやすくなるのです。

 しかも、あがりからくる緊張などの影響をあまり受けません。

 あがると、声が細かくふるえたり、声の大きさがうまく調整できなくなります。ひどいときは裏返ります。心臓がドキドキして呼吸が浅くなり、お腹で支えられなくなるからです。

 しかし、腹式呼吸が中心なら横隔膜で支えるため、のどに負担がかからず、よい声が持続して出せるのです。

 そこで、日頃から腹式呼吸を意識して身につけていくことをお勧めします。

 話すとき、歌うときには、腹式呼吸が、大切なのです。

 

○深い声と共鳴(ひびき)の確認

 

 日本語がとても浅い息で発音できる言葉であるため、また、日本人の生活の慣習もあって、体や息を使った発声があまり習得できていません。日常の言葉の発声のひびきにおける外国人との大きな差を感じる人もいることでしょう。腹から、胸から、声が出しにくいのです。

 そのため、日本人の多くは、しっかりした声にせずに口先や口内でこもらせています。その結果として、声量や声域がなく、くせはあっても個性的な声も出にくくなっています。

 ヴォイストレーニングといっても新しい声をつくるのではありません。まずは自分の本来、機能としてもっている声を最大限に発揮できるようにしていきます。それには、今のベターの声の発見と、それを常時、使えるようにするためのトレーニングが必要です。

 

○ことばのひびき

 

 多くの人が、ひびきというと歌のことを考えるでしょう。でも言葉としてのひびきも、大切です。声だけを無理にひびかそうとしても、うまくいかないものです。声は深い息で出すことを身につけないと、後々、自然に伸びていきません。

 深い声で出た言葉は、しっかりと相手に伝わります。日常的に出している声が魅力的になるので、すぐにわかります。

 少し大きく出して、のどの、どのあたりがひびくかチェックしましょう。のどがビリビリというのは、よくありません。

胸の中心にひびきを集めてみましょう。言葉としては、「ハイ」がやりやすいようです。子音で強い息でも、出せるからです。

 肋骨、背骨、尾てい骨に手を当てて、チェックしましょう。体の下のほうまでひびいているほうがよいのです。うまく均等に、結果として、ひびくイメージをもちましょう。あご引いて、首や肩、舌などの力は抜くことです。

 

○声のひびきを確かめるトレーニング

 

1.んアーんエーんイーんオーんウー

2.んガーんグーんギーんゴーんグー

3.ナーネーニーノーヌー

4.マーメーミーモームー

5.んーアーん、んーエーん、んーイーん、んーオーん、んーウーん

 

○ミラートレーニング 

 

鏡を使います

 口もとや、顔をくしゃくしゃにして、自由に動くようにしましょう。

 黒目はまん中にくるようにします。上目、下目、横目づかいは悪い印象になります。

 

○声の高低、強弱、メリハリ、テンポ(ペース)

 

 話を聴いている人は、話に心地よいリズムとテンポ、声に流れと心地よさを求めています。話が単調に続くと眠くなったり、飽きてしまったりすることもあります。

話し手は、話の伝え方に注意しましょう。内容だけでなく新鮮なパワーを入れなくてはいけません。

 自然にリラックスしていて気持ちのよいことと、パワーやインパクトの、どちらを優先させるかは、その人のスタイルにもよります。この二つがよいバランスで整うと、聞きやすくなります。つまり、聴き手に努力を強いない声になり、耳に残るのです。

 あなたが主役の立場であれば、厳かにゆったりと話し出しても、耳をそばだてて聞いてくれるでしょう。しかし、そうでなければ、人をひきつけるためには、出だしに声のインパクトとパワーをもたせ、高いテンションで切り出しましょう。話す人が熱意にあふれていてこそ、その声は人の耳に届き、人の心をひきつけるのです。

 

○声量を変えるトレーニング

 

1.(大きな声で)

「おーい、誰か、呼んでくれ。高波が来るぞ。」

「そこの人、おーい、早く出なさい。」

「波が来るぞ。おーい、すぐに出なさい。」

2.(小さな声で)

「これは誰にも言わないで。本当はあの日、行かなかった。だけど、そんなことになっていたなんて」

3.(大きな声と小さな声を組み合わせて)

「いったい、どうした。これ。」「えっ、なぜ泣いているの。」「誰も知らない。いなかった。」「今まで放っておいたわけ、いったい。どうして、本当にまったく!」

 

○感情をとり出し、表現にメリハリをつけるトレーニング

 

 次のどちらかの言葉を選び、( )内の感情を込めてニュアンスが伝わるように表現しましょう。

1.(意外そうに)

「どうしてここにいる? 実家に帰っていたんじゃなかった。」

2.(びっくりして)

「まだ帰ってないの?」

3.(驚いて相手を見る)

「いったい、何があった」

4.(おづおづと)

「怒っているの?何か悪いことを言った?」

5.(いらいらして)

「いいかげんにして、もう!つきあっていられないわ。」

6.(ムッとして)

「それは、どういう意味ですか?」

7.(反抗的に)

「知りません。なんですか」

 

○テンポに変化をつけるトレーニング

 

 読む早さに変化とメリハリをつけてください。

1.(ゆっくりと やさしく)

「おばあさん、大丈夫ですか。荷物をお持ちしましょうか。同じ方向ですから、気にしないでくださいよ。」

2.(急いで あわただしく)

「すみません、どいてください! …もう、時間がないっていうのに。どうにかならないの?どいてください! ああっ、もう間に合わない」

3.(緩急組み合わせて自由に)

「おーい、まってくれー。忘れ物。早く早く、行かなければいけないんだから。ああ、よかった。もう」

 

○強調の方法

 

 言葉の意味を強調するには、次のような方法があります。

1.高くする 低くする

2.強くする 弱くする

3.のばす 切る

4.速くする ゆっくりにする

5.間をあける 間をかえる

 

「久しぶり、何年ぶり、少しもお変わりありませんね」

 強調したい言葉で、高く、強く、大きな声にします。その逆もやってみてください。

 

○抑揚と強調のトレーニング

 

「じっと している だけで は よくない」

 これをいろいろと語調、語気、語勢、間を変えてやってみましょう。

1.語調 高低

2.語気 強弱

3.語勢 緩急(テンポの変化)

4.間 その前後の音の高さに気をつけましょう。

 

 そこで、言葉のニュアンスを発見し、感じてください。

 言葉の一つひとつに、いろんな情感(エモーション)が入っていて、それが伝わることが大切です。そういう表現ができるためには声、言葉に関心をもって、いつも感じてみることです。こういった音の世界の動きを、感性で快さとして捉えていくことが目的です。声の魅力に親しみましょう。

「問い続ける」 No.338

私は声のことがわからずに、それを問うために研究所をつくりました。同じように問いたい人が学ぶのにもよいと思ったからです。

わからないのと、「何が」わからないのかがわからないのは、違います。“わかる”というのは、人に伝えられることと、私は思っています。

レッスンでも、レクチャーも何千回もして、書物やブログなどでも発信し、伝えようとするとともに、「何が」を深めていっては問いかけてきました。

自分でよいと思えばよいのでなく、相手に対処できることが、本当に“わかる”ということと思います。その点では、まだまだです。

 

ことばにすると、自分の理論に位置づけられます。そこに組み込めないとき、うまく通らないとき、理論は仮説に戻り、解体されます。そして、自分に足らないことが、わかっていないことがわかるのです。そこから「何が」をつきつめ、問いを見い出すのです。

 

人に伝えるのには、わからなくとも、ことばがなくとも、いや、その方が深く正しく伝わるとは思います。

でも、そのクローズな関係は、「自分はできている」、「自分は正しい」といっているだけの自己満足で、自己陶酔の愚を犯すことになりかねません。それがその人にとっての答えなら、それでよいと思います。

でも、一つの答えより、すべてに通じる問いとして、私はつきつめていきたいのです。

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