「問い続ける」 No.338
私は声のことがわからずに、それを問うために研究所をつくりました。同じように問いたい人が学ぶのにもよいと思ったからです。
わからないのと、「何が」わからないのかがわからないのは、違います。“わかる”というのは、人に伝えられることと、私は思っています。
レッスンでも、レクチャーも何千回もして、書物やブログなどでも発信し、伝えようとするとともに、「何が」を深めていっては問いかけてきました。
自分でよいと思えばよいのでなく、相手に対処できることが、本当に“わかる”ということと思います。その点では、まだまだです。
ことばにすると、自分の理論に位置づけられます。そこに組み込めないとき、うまく通らないとき、理論は仮説に戻り、解体されます。そして、自分に足らないことが、わかっていないことがわかるのです。そこから「何が」をつきつめ、問いを見い出すのです。
人に伝えるのには、わからなくとも、ことばがなくとも、いや、その方が深く正しく伝わるとは思います。
でも、そのクローズな関係は、「自分はできている」、「自分は正しい」といっているだけの自己満足で、自己陶酔の愚を犯すことになりかねません。それがその人にとっての答えなら、それでよいと思います。
でも、一つの答えより、すべてに通じる問いとして、私はつきつめていきたいのです。
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