第84号「すぐれているものをとり込むには」
○進化と退化
ゴルファーについての話です。これだけ道具、ボール、テクノロジーが進歩しているにもかかわらず、20年前とアマチュアのハンディキャップは進歩していないというショッキングなデータがあるそうです。
コンピューターで分析するほど、枝葉末節に関わり、多くの人が悩んで迷ってしまっているからです。
これは歌や役者にもいえます。科学や分析、理論、技術ということばが一人歩きをはじめています。底辺のレベルはそれなりにあがったと思いたいものの、大成する人は、少なくなっています。
声や歌において、スポーツやダンス、バレエのように、世界レベルでの活躍ができる人や天才スターは生まれそうにありません。レッスンの変容をみているとよくわかります。
〇ていねいでテクニカルでだめ
他のスクールによばれることがあります。すると以前のように、黙々とやらせるような放任的なレッスンや、叱ったり、無言だったりする厳格なレッスンは、みられなくなってきました。それに代わって、分析やメカニズムを説明するテクニカルな傾向が強まりました。発声のしくみや原理、メカニズムに関する”科学的”ということばが、よく使われるようになりました。欧米とかの海外のトレーナーの流れも出てきました。かく言う私も、またがって展開していましたから、批判できませんが。
こういう流れは、創成期から停滞して、膠着期になると出てくるものです。そこにそのまま、のっかっているのです。
いらっしゃる人が一般化するにつれ、アーティストが、生徒となり、お客様化していく。そうなると、レッスンの方針もマイナスを凌ぐプラスをつくることよりも、マイナスをなくすことにばかり目がいくのです。お客様は、「安心、確実、わかりやすい」が欲しいからです。トレーナーもその流れに合うような、タイプに変わっていきます。型破りなアーティストから、先生になり、今や、カウンセラーや販売員のようになってきました。憂うべきことです。
○嘘になる
トレーナーにすぐに「何がよくて何が悪い」「どうすればよいのか」を知りたいという人が多くなりました。それに対し正直に「全部悪くてよいところは一つもない」などというトレーナーは、いなくなりました(というより聞かれなかったし、言う必要もなかった)。つまり、そこをあいまいにするかほめるようになります。
結果、期待レベルが下がるのです。すると次に、そこがよくない、わからない、確かでないということもいえずに、よくないものさえよいとみてしまうようなトレーナーも増えるのです。「知ってしてしまう」でなく「知らずに言ってしまう」のです。(わからないというより、わからないことがわからない)嘘のない分、困ったことです。
それで、誰も困りません。トレーナーは生徒と、良好な関係になります。力はあまりつかないとなります。嘘になるのです。
時代とともにレッスンも受講生も変わりました。変わったのはトレーナーです。もっとも一般化、大衆化したのです。
〇科学的対応とは
私が一貫して、耳を鍛え、一流のものを入れ、感覚を磨き、体を変えるということを主張してきたのは、「何が悪いか」を知り、直すためではないのです。何がすぐれていて、何が劣っているかを、いくら科学的に、技術的に説明し、生理的、物理的に理解させても、何の力にならないということを知っているからです。
そういうことが言えるのは研究所は、どこよりも早くから声の分析器や人体の模型、解剖図などを入れ、専門家と共同して、声の科学や医学の研究を最前線で続けているからです。誰よりも、理論や科学的な裏づけを求め、まわりから求められてきたのは、私であったからです。
〇わかりやすさのワナ
TVや本や雑誌の取材や依頼では、目でみてわかるようなメニュや方法を求めてきます。そこにうまく対応していったトレーナーもいます。一般の人に初歩的にわかりやすいということは、トレーニングのスタートラインに立てることとは別です。そこを勘違いさせるテクニックを求められるのです。そこで私は今のワークショップやそういうツールにあまり肯定的ではなくなりました。
私がずっとトレーナーを十数名を束ねている立場として、適切な判断をするためです。その人にできる範囲とできない範囲、他の人(他のトレーナーや専門家)に委ねるべき範囲を知り、もっとも適任な人や方法を求めたり選んだりするためです。そういうことを、レッスンを受講する人は知らなくても、かまわないのです。そのために私の元にトレーナーがいるのです。
〇本のメリット
独自にトレーニングをする人が本などで知識を得るメリットとしては、急いで、独りよがりになるのを保留する、思い違えたまま、違う方向へ行き過ぎるまえに、トレーナーの元に行くことで、防ぐ効果はあります。
たとえば、声は力で出すのではないことを、生理学的に知ると、正しい理解でのイメージづくりになります。もっとよいのは、一流の作品群から、それと共通している理想のイメージを得ていくことです。
悪いのをよくみえるように表面的な誤りだけ正していくのは、あまりに低いレベルです。これは基礎といえないのです。最も高いことを支えるための力が基礎力です。それをするためでなく、それができるようになるためにトレーニングをするのです。
○ヴィジョンの大切さ
時代と音楽と自分と、三つに分けて考えてみましょう。ヴォイトレは、本来の自分の潜在的能力を出し、その可能性の最大のところへもっていくために行なうものと、私は考えています。
ゴルフでいうなら、理想のイメージをするのと、それで一回だけでもよいから、理想のインパクトを体感することが第一歩です。一人では、よほどの人しかできないから、そのプロセスづくりとしてトレーナーがいるのです。
トレーナーのいうことは、形ばかりで複雑で、というのなら、歌でも歌っていた方がよいのではないでしょうか。複雑なメニュや広い声域でやるのなら、少なくとも声のためになりません。よく知っている歌のほうがシンプルの基礎練習になる、とつっこみたくなります。
歌を何回も歌っても、それ以上にならないから、声の問題に戻してレッスンをするのです。
〇必要条件で満足しない
トレーナーが、難しいこと、できないことを与えて、それをこなしたら、上達と思わせているようなことも多いのです。できないということは、トレーニングの必要性を知るためによいのです。できる人がいるなかで、できないなら、到達目標はできます。しかしそれでやることがよいのではありません。
早口ことばをマスターしたら、ベテランのアナウンサー並みになれますか。でも、その練習を行きづまるまでやるのはよいのです。できたような錯覚を与えることで留まるのがよくないのです。
すべての基礎は、本人ができていると思っていることがいかにできていないかを実感させることからです。明らかなギャップを知り、それを埋めるきっかけとプロセスを示していくことです。
その上に理想のイメージへのアプローチがあるのです。悪いところを直すといって直っても、大した力にはなりません。
〇ヴィジョンの違い
安易なレッスンがカラオケのレッスンではメインでしょう。最後まで歌い切れるレパートリーを増やすことが上達と思う人がとても多いです。確かに、最初の1、2年や50~100曲くらいまではそれでもよいでしょう。そういうのは、慣れです。人並みになるプロセスですからトレーニングでなく、慣れなのです。そこをもってヴォイトレと思う人がトレーナーにも多くいます。
高い声をすぐ出せるようになるなどというのもこの類です。問題はそこからなのに、高音、2オクターブを3オクターブとがんばっているような人たちです。がんばらせているトレーナーもいます。
やれない人がやれるようになっているのでなく、やっていない人がやっただけの成果なのです。結局、やっていない人よりもできるようになりたいのか、やっている人のなかでできるといわれるようになりたいかの違いともいえます。これもヴィジョンの違いです。単にデビューしたいか、生涯活躍したいかの違いです。
〇早く行きづまること
行きづまってまでやらないうちにレッスンにくるとそうなりがちです。早くくるのが悪いことではないのです。レッスンで早く行きづまればよいのです。誰でもトレーニングになるためには時間がかかるものです。レッスンでトレーニングの本当の目的やプロセスを知るのに、時間を惜しまないことです。
器用に対応していった人ほど早く頭打ちがきます。そのやり方でのりこえた分、そのやり方を離さないと、上にいけないのです。その必要性を感じなくなるから伸びないのです。そこを指摘するのが、トレーナーの役割です。
即効的なものほど応用の応用です。くせやくずれになるから、基本に戻し、固めたのをとらなくてはいけないのです。でも本人は、その位置づけがわからないから、うまくなったと満足して、そのままで前に進みたがるのです。これを自分で把握するのは、至難の業です。
○声の力はついたか
ピアノがとても上手でうまくて歌がうまく聞こえるように弾いてくれるトレーナーもいます。生伴奏で歌うのが好きな生徒さんにはよいでしょう。トレーナーがピアニストを兼任してくれるからです。でも、その分、声のチェックは疎かになっているものです。それでうまくいく人は、本当に素質があり、よい発声にめぐまれた人だけです。昔のプロには、そういうタイプの人が多いです。実践しつつ、自ら気づけて伸びた人です。トレーナーがいないからよかったといえます。
トレーナーがあなたに出せない声域や声量、ビブラート、ひびきなどをみせて、それを目標にするなら、自問自答してください。その声で感動できるもの、可能性があるでしょうか。
ちまたでは、そんなメニュができたらトレーニングなどいらないというような難しいメニュや方法に挑んでいる人が多いです。間違いとはいいません。そこから入るのもよいでしょう。それがどのレベルでやれているかをみなさいということです。
誰でも、1ヶ月あれば落語も漫才のネタも覚えられます。しかし客を感動させて帰せますか、ということです。あなたの声は本当にしっかりと伝わるようになっていっていますか。
〇声の力とは
少なくとも私の考えるヴォイストレーナーは、ひと声、ひとことで、あるいは「アエイオウ」「ドレミレド」だけで大きな基礎を学ばせる力がなくてはならないと思うのです。
せりふや歌は総合力です。リズムや音程、声域、声量、声の使い分けや、いろんな音色の出し方もトレーニングに含まれるのですが、その基礎は感覚、体、発声そのものです。
理想のイメージを少しずつ実感できるようにしていきます。それを100日に1日、100回に1回から10回に1回と、精度をあげていきます。最終的に身体やのどの状態が悪くても、確実にできるようにしていくところまで必要です。シンプルなメニュをあくなき繰り返すことで、確実にしていくのです。それが、最も高いレベルに結果として早く到達するプロセスだと思います。
ゴルフではトッププロさえ、毎日50センチほどのパットを50回連続で入れるようなトレーニングをしているのです。一人で打ちっぱなしばかりして、10回に5、6回バットが入ればよし、あとは難しいコースばかりまわっている人は、いつまでたってもうまくなりません。繊細さや緻密さ、ていねいさを欠けたままだからです。しかし、ヴォイトレでは、そういうことが当たり前のように行なわれています。
シンプルな反復練習をしていますか。それが少しずつ深くていねいに、確実になっていますか。
私は、本の読者やレッスン生にそういうことでトレーニングを問うように述べています。メニュが変わるのでなく、同じメニュに対して、あなたの声の質が変わっていくのです。
○シンプルに難しく
私の述べたことを読んで、よくわかったとお礼やコメントをいただきます。
いつも「難しいことは、それ自体がおかしいからやりなさるな。」「簡単なことがどんなに難しいかを知っていくようなトレーニングをやりなさい」といっています。
難しいことを難しくやっている日本人は、もっと難しいことを簡単にやれている向こうの人に勝てません。どうしてでしょう。シンプルな第一声で、すでに誰もがわかるほど明らかに負けているからです。
簡単そうにみえることがいかに難しいかというセンサーがないことです。
次々に難しいというよりは、ややこしいことや複雑なことばかりやっていこうとするからです。それをレッスンとかトレーニングと思っていませんか。スキーヤーや登山家なら大けがで命をおとしているでしょう。そういうトレーニングやメニュや方法を形だけで評価する人が多いからです。
真の表現の成立に、声、ことば、音楽、それぞれ、きちんとくみ上げていく労力を毎日、惜しんではいけないということです。
次の3つのプロセスを頭に入れておいてください。
1.理想のイメージ
2.イメージと現実との接点づけ
3.その接点から確実に強化していく
神経回路-感覚をつけ、足らない筋肉などを補い、使い方も柔軟に自由にできるようにしていくということです。
〇できないことをやるな
高い声を出すためのような本が、最初から高い音域のメニュで書かれている、そのような本がよく売れる程度ですから、まずは、本質に気づくことから学ばなければなりません。
できないことはできません、できたら不思議、おかしい、どこか間違っている、と思えばよいのですが、そこがマジックのようにわからないで、間違いさえ生じさせない低いレベルでの対応になっているのです。本当に大きく間違っていたらステップアップできる可能性があります。大きく間違えることさえ、できないトレーニングがよくないのです。
多くのトレーナーは、自分のことは棚にあげ、自分のように相手をしたいと思い、そうすることがあなたの上達と信じているのです。それはトレーナーの指導テクニック上の上達にすぎません。トレーナーのことばにのせられないように。
できるところでできていないことをきちんと感じて認めましょう。そこを克服していくことです。
○間違いを恐れるな
私の思う個性やオリジナリティは、その人以外の(トレーナーも含み)すべての人がやったら間違いというものです。本人だけにあてはまるのですから、その探究のプロセスは、他の人がみると間違いだらけ、その中であなたが勘づき、他人が間違いといえないところまで深めて提示し、納得させてこそ成立していくのです。
できないことは、できなくていいのです。これまであなたはそう生きてきて、そのように声を使ってきたのですから、トレーナーのいうようにできないことができたらいいというようなものではありません。
あなたのよいところをもっと出して、その上で、伸ばすようにすることです。よいところを探しまくりつくりまくることです。今もっているものをどこまで完全に使い切るかを考えてください。それがどれだけ大切で全てであることを知ってください。
今、もっている以上の声域や声量は、その範囲をよりよく使うために過度に学んでおけばよいことです。余力、余裕となります。使う必要もありませんし、大して使えなくてもよいのです。
〇自分と向き合う
トレーナーと向きあうまえに自分と向きあいましょう。レッスンも本も、そのためにあります。トレーナーもそのためにいます。そしたら「声域を3オクターブとか5オクターブにしたい」などということは考えなくなるでしょう。私は「ハイ」「ラー」「ラーラーラー」「アエイオウ」「ドレミレド」に何年かけてよいと思います。そこで体も呼吸も感覚も筋肉も変え、ていねいに100%コントロールできるようなことを目指していくようにするのです。私は10年で変わりました。それだけかかりました。
応用メニュやせりふ、歌の練習を併行して進めていくのはかまいません。これも接点や必要性を知り、軸をぶれないようにするためです。ヴォイトレのためのせりふ、歌は、声づくりが目的です。ステージのためのせりふ、歌とは使い方が違うのです。ですから、あえてレパートリーにしない作品を使わせることが多いです。
「1.ヴォイストレーナーの選び方」カテゴリの記事
- ブログ移動のお知らせ(2023.07.01)
- 「歌の判断について」(2021.10.30)
- 「声道」(2021.10.20)
- 「メニュ」(2021.10.10)
- 「感覚について」(2021.09.30)