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第83号

○レッスンとトレーニングの意味

 

 私のレクチャーはかつては46時間でした。今は2040分くらいです。それでオリエンテーションも兼ねています。

 レッスンの目的をしっかりさせることは、自分のトレーニングを定めて、プロセスを歩むために必要です。

 レッスンの目的やスタンスは、あなたの情報(目的、キャリア、今の実力)で決めていきます。私が本や会報に多くのことを語っているのは、レッスン中、必要以上に話さないためです。レッスンからムダ話をできるだけなくすにはどうすればよいでしょう。私たちのところにいらしたらわかります。

 私がしゃべっておわったら、そのレッスンは私の負けと思っています。体感させられないと、ことばが必要になるということです。

 グループのレッスンでは、参加者や一流のアーティストのフレーズの声があれば充分でした。実演までしたら、そのレッスンは成り立っていない。トレーナーのショーです。厳しくいうとそういうことです。(レッスン前のオリエンテーションで実演することはありますが。)

 レッスン時間にレッスン受講生よりも声を出すトレーナーは、役者です。ステージの代わりか練習をしているのです。レッスン受講生は観客ではありません。トレーナーの歌や声だけ聞くなら、一流プロの舞台を、その分、繰り返しみることです。

 人の心を動かさない声や歌とはこういうものという反例ならよいのですが、重なるとそれが移ってしまいます。トレーナーがよほど気をつけないとなりません。

 

〇ヴォーカルのレッスン力

 

 ゴルフのレッスンプロの多くは、プロのトーナメントでは勝てない自分の立場や位置を知っています。しかし、ヴォーカルは、そうでないのです。ヒットしたからといって、他人に教える声は自分の声とは違う要因がたくさんあります。しかも、相手によっても違ってくるのです。自分自身の体験は、そのままで生きるのではありません。カウンセリングのようなアットホームな雰囲気が問われているので、ここもすごく温かくおだやかです。音楽は、コミュニケーションツールと考えるような若い人には、上から目線では力をつけることを阻害しかねません。今の受講生はそれを望んでいて、そこだけで評価してしまうのです。

 実力向上が目的なら、声そのものへの厳しい指導が必要です。誰でもできる声やせりふ、歌だからこそ、世に出るには、続けていくには、どのくらい厳しいものなのかを想像できるようになることからスタートです。

 

○トレーナーの評価

 

 私のところのトレーナーについては、レッスンごとに受講生が評価します。しかし、それとは別に、私は、プロセスと成果をみています。声としての成果が中心ですが、レッスン受講生の本当の目的に対して本当の成果です。

 プロになりたくてきた人はプロになったことが成果です。歌がうまくなるというのは、一つの条件にすぎません。私の考えるヴォイストレーニングは、単に声を出しせりふや歌をうまくするのが目的ではありません。音声表現で、他の人に働きかけられることです。そのために歌も声もあります。もっと有効なツールがあれば、それを使って成功しても成果です。声だけではなかなか成功をなしえないからです。

 

〇声に反映する

 

その人の意志、本質(内容)持続力、生活や考え方すべてが声に出てきます。レッスンよりも運動したり海外を放浪していたほうが、歌や声がよくなることもあります。それもよいことです。

 より大きな自然に身をゆだねると、声が自然と出てきます。そのためには邪魔しているものを除くこと、それをともに活かし切れていないものをもっと鍛えて磨くことです。それがトレーニングであり、それを知りにくるのがレッスンです。

 トレーナーは、そこに気づきを与えます。本人が知らないことを本人が理解しようがしまいと指摘し続けていかなくてはいけないのです。ことばでなく、声や楽器を使って感じさせてあげられたらベターです。

 

○レッスンの実とは

 

 私は無言で成り立っていたグループレッスンでの評価を、最後の頃は、一人ずつへのワンコメントせざるをえなくなりました。気づけない人が多くなってきたのです。自分を知らず、一流のアーティストの世界をのぞいた経験のない人が増えてきたからです。

 研究所をつくって、よかったと思ったのは、人間の声は、誰でもすごく魅力的にもなるし、すごい表現もできることにあらためて気がついたことです。そこからみるとトレーニングやレッスンやトレーナーの方に問題があります。それらにあまり振り回されないことも大切です。ことばで論じられて、立派なことに思えても、世の中、社会に対し、無力で声が届いていないことに、謙虚になることです。その前に届けようとしていますか。大声を出して届かないことに気づくことで、小さくも大きな表現ができるようになるというのならよいのですが・・・。トレーナーなら人を育ててなんぼ。人数を誇るのは愚です。あなたは一人でよいですから、どこまでの成果をもたらしましたか、ということです。

 

〇気づきのレッスン

 

レッスンでは、アーティストの演奏のかけあわせなどを加えました。一流といっても全ての作品が一流でないし、かけあわせなどで偶然にすごいものが伝わることもあります。一流アーティストだけでなくとも、声せりふ歌では、誰でもいつでもそのチャンスがあるということです。

 レッスンは、気づきを与えるためですが、多くは気づきが起こる環境づくりに過ぎなくなります。あなた自身への問いかけです。答えをことばで求めると、正解も誤答もなく、やっていく人には関係ないものです。あまり神経質にならないことです。

 何かを知るのは自分の至らなさに気づくためです。他人に対し優越感を味わったり、それを自慢して自己保全を図るためではありません。形にとらわれずに、実をみることです。形だけは間違っていなくても、うまいようにみえても実につまらない、心に働きかけないせりふや歌が、どれほど多いでしょうか。

 

○失敗する

 

 私は人を育てるとか教えるという立派な目的やそこから自己満足を得たくてやり始めたわけではありません。多くの失敗もしました。

 私自身は、今からみるとかなりのハイリスクのトレーニングで声を鍛えてきました。年間30勝以上(生涯400勝分)した金田正一投手の腕のように、声を酷使してきました。トレーナーになっても1日に12時間、使っていたので、日本のクラシック歌手や役者よりもよほど強くなったのです。

 30代になると外国人もお坊さんも、声がよいとほめてくださるレベルになり、ようやく目標達成レベルが視野に入りました。とはいえ、私の声は私自身がトレーナーとして客観視すると、大してよい声ではありません。耐久性にすぐれた声です。一種の仕事病かもしれません。

 甘やかされ気味のポピュラーと違い、お笑い芸人、邦楽やエスニックの人たちは、声に厳しいので、そこを耐え抜いてきた声になります。

 声は一声ですべてわかるので、私は声を専門にしてよかったと思います。どんな根拠があるかとか、科学的に正しいかとかではないのです。誰の前でも、一声、一秒で、声は実証できるのです。シンプルイズベストの世界ゆえ、私の性に合っています。

 

〇歌の成り立ち力

 

 日本にいると日本人らしく何曲か聞いてくださいという人に会います。表現力があるなら聞かそうとしなくても聞きたくなります。こちらからリクエストしてしまうものでしょう。相手の心に何の動きが生じないことに、歌手まで鈍感になってしまったことには悲しくなります。

 歌うというのは、何か特別な時空が与えられるように思うのでしょうか。マイクや楽器を持てば心に通じるかのような勘違いが、日本の音声レベルをひどくしました。

 ヴォイトレをしなくても、民謡から小唄、都々逸と一般の大衆レベルで高度に成り立っていたものがありました。国際化、舶来品大歓迎の流れのなかで、浅草オペラから美空ひばりを代表とする歌謡曲も、あと一歩まで行ったのに、今世紀には絶望的な状況です。あらゆる分野に根がなくなりつつあります。いまや、成り立っているのは、お祭りのかけ声くらいでしょうか。

 

○リスクヘッジ

 

 トレーニングに、大声を使うかどうかは、相手の声の状況によります。何でも禁ずるのはよくありません。よくない結果が出たら、そこを指摘して、その判断材料か別のメニュを与えることです。判断は、いつか本人自身ができるようにしたいものです。

 崖の上から下を見たことのない人は、小さな崖をのぼって、12度落ちてみるのもよいかもしれません。トレーナーに判断されるのでなく、自らの感覚で知っていこうとすることが大切です。

 トレーナーにつくのは、いつも状況にふりまわされるのでなく、そうなりがちな声を長期的に考えていくためです。トレーナー自身が長期的視野をもたなければ何ともなりせん。

 私は皆さんにつける2人のトレーナーを、2つの目的として、今の状況改善と将来の条件改善に分けることもあります。トレーナーの扱う問題は似ているようでも別にみる必要があります。トレーニングとしても両立しやすいものでないからです。

 

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