「世迷い言」 No.340
真理は、正しいと価値判断されたものといえます。
しかし、事実というのは、そうではありません。
ことばでは、いくら共感でき、憐れむことはできても、
心身の痛みというのは、やはり、その人一人だけのものです。
その身体を自然の一部としてみると、痛みは、自然災害で、事象です。
心が、それをどう捉えるかとなると、そこでは正しく判断できるようなものではないように思います。
我にとらわれるのを断ち切ると無我となりますが、それでも身体の痛みは、忘れられないでしょう。
無我とは、無常、「変わらないものはない」ということと思うのです。経験のなかでも、それは開かれていくものでしょう。
そして、関係から全てが生じていきます。
でも関係が結ばれていくわけでもないのです。
そういうことでは、関係というのもまた、実在はしない、関わり方に過ぎないと思うのです。
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