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88号 「基本と一流のもつ厳密性」

○基本のポイント

 

 世の中は、10年、20年と人を続けて見ていないと何とも言えないことが多いものです。それを残していくことが、この世界で生かされてきた私の努めと思っています。

 一つは、基本ということです。誰もが基本といっていながら、基本が身につかないのはなぜかということです。

 これは、二つのポイントがあります。一つはイメージ、判断の基準の厳密さ、もう一つは、声であれば声としてそれを示すことでの厳密さです。みる人がみたら一目でわかるというのが野球やゴルフの素振り=フォームです。それよりもずっと発声の基本はシンプルに示されます。

 

○基本は1フレーズ

 

 基本はいくつかのフレーズを1015秒(歌のフレーズでもよい)を23回見せていただければほぼわかります。そこにどういう条件があるのでしょうか。

1.今ここで、声で示すことに日頃の充分な準備ができているかということ、そういう体と感覚を獲得して維持していること

2.相手の要望に応じて、今ここで自分の持つ声を調整、応用してもっとも相手の期待するもの、それに近いもの、それ以上のものを出せること

3.もし1回目うまくいかなくても、23回で修正してよりよく出せること。また13回でうまくいかなくても、本人がそれを自覚し、その原因や解決法を知って、次の機会までに解決できること(解決できない場合はそれがどうしてか、そうであればどのようにすればよいのかがわかること)。このあたりのことでわかります。

 

○基本に要する力

 

 基本には、次のような力が必要です。

1.フィジカル  体力 筋力 瞬発力

2.メンタル  精神力 モチベーション

3.イメージ力と判断力

4.実行力(実現力)

5.フィードバック力  反省し、誤差を把握して修正する力

これらは誰でももっていますが、そのレベル=厳密性において、区別されるのです。

 

○一流へのプロセスのとれない理由

 

 「早く楽に簡単に人並みになる、あるいは、人よりも上達する」というのと、遅く楽でなくとも苦労しつつも、明らかに常人とは違うレベルになるというのは、結果から省りみて、方向や順番、やり方が違うことが少なくないのです。

 目標があいまいでレベルが低いとき、うまい人をまねて通じるところでは、表面的な効果やコストパフォーマンスを求めることになりがちです。プロでも、感覚やイメージ、条件が伴わないときは、そうなります。その違いが声において厳密にわかる人は、日本ではほとんどいないのかもしれません。これは海外との音声での実力の差の原因の一つです。

 

8020

 

 芸の世界は、人並みの80パーセントまでは、20の努力がいるとすると、残り20パーセントを詰めるのに、80の努力を要します。それ以上になるためには、労力でなく、100から無限という世界へと挑むことになります。

 要は、人並みかそれ以上になったとして、その80パーセントの上に、20パーセントがそのままのっかればよいのですが、そういかないものなのです。

 声や歌については、この80パーセントは、プロやうまい人のまねにすぎないことが多いからです。80パーセントでの限界にあたるのです。これはデビューはできた、人前でできた、CD出したで終わってしまうレベルです。1015年以上続いているのをプロというなら、アマチュアに毛が生えたくらいです。素質のある人なら1年半で到達できます。

 100パーセント以上の世界をつくることが念頭にあれば、80パーセントは目指さず、あとで100以上にいける基礎の20パーセントをしっかりと創りあげることです。

 トレーナーがつくときの、最大の問題として、ずっと積み上げ式で1020305080パーセントと進めがちなことです。それではブレイクスルーできないのです。

 

○アナウンサーの声

 

 私のところでは、本格的に声のことを身につける人には、最初は、あまり発音、滑舌を重視していません。発声から考えると発音は後の位置づけです。実践的に考えるのなら、口をはっきり開けた方がビジュアルの助けも加わって、新人としては早く通用します。新卒で半年でTVに出る女子アナなどが、その例です。しかし、そこから2030年たつと、アナウンサーでも残っているのは、個性豊かな声となった人だけです。口もほとんど動かさなくても明瞭な発音になっています。母音は口形でなく、口内でつくられるからです。

 

○新入社員のトレーニング

 

 新人社員をセールスや接客での即戦力とするには、滑舌練習からアナウンストレーニングをするのが手っ取り早い、話す技術の向上になります。しかし、声はほとんど変わらないか、人によっては浅くなります。歌も全く同じ構造上の問題をかかえています。

 日本人の社会風土や日本語の性質(高低アクセント、高出し)がそれに拍車をかけます。高く浅い方が、新入りとしては受けがよいからです。そこには日本人の幼くかわいいを好む傾向があります。個性や独自の説得力や表現力への方向性を奪われるのです。それを評価しない日本の社会の問題が大きいです。

 アナウンサー、声優に問われる初期の声は、役者やリーダー(にもいろいろいますが)とは異なります。形から入って実を伴うことができるなら、よいのです。しかし、形から入って形に終わり、そのまま、人並みの表現力ももてない人が多いのです。

 

○発音と声の深さ

 

 声が深くなれば、口形は少しの動きでも発音は明瞭になります。共鳴効率がよいからです。私のところでは、根本的にはこの考えをとりながら、その上で早く必要とする場合は、滑舌、早口トレーニングも同時に始めています。

 発音がはっきりとして、語尾まできちんといえるためには、次のような要素が必要です。発音での口形や舌の動きの問題は、一つの要素にすぎないのです。

1.フィジカル 体 姿勢 呼吸(腹式)

2.感覚  調音について 耳から発声、発音器官へ

3.メンタル 集中力 TPO 対応力

4.発声

5.共鳴

 

○低音と発音

 

 歌唱では、高音になると表情筋まで関わり、ひびきも前に出て、発音も明瞭になります。低音トレーニングは、深い声、芯のある声になり、声そのものを支えますが、そのままでは発音にはあまり絡みません。しかし、これがあってこそ高い声も活きるのです。事実、トレーニング中には本当に出ている高い声の支えは、太ももあたりにくるものです。

 体力づくり、体の柔軟、呼吸筋、表情筋のトレーニングをしておくとよいでしょう。大きな声で外朗売りや早口ことばで、喉を疲れさせるより、効率のよいトレーニングとなります。役者やアナウンサーは、長年に喉をことばで酷使することで、声が鍛えられることもあるのです。そのリスクを減らしたのが、私のヴォイストレーニングです。

 

○ヴォイトレと発音トレーニング

 

 発音のための滑舌トレーニングは、20パーセントくらいの要素で、それを長く大きくやり続けることで、体や感覚が巻き込まれていき、50パーセントくらいの要素のトレーニングが伴うと思えばよいのです。「外朗売り」のトレーニングでも、使い方しだいです。報道として早口の発音にこだわるアナウンサーより、感情表現として声の流れやメリハリをつけていく役者が、しっかりした声を得られるのは当然でしょう。

 

○科学的な効率主義と一流主義

 

 一流になるためには、いくら理論や分析をして、方法を取り入れてそれだけでは不可能です。音声科学は、近年、進歩を遂げ、いろいろなことがわかってきました。多くの発声に関する理論や方法の間違い(というか、仮説)も修正されました。

 トレーナーは、研究者でなく、他人の声を育成することが仕事です。トレーニングによって人がどれだけ育つかがもっとも大切です。しかし、秀れた人材の輩出という点では、30年前よりも劣っているのでないでしょうか。平均の人は多くなったのに、トップクラスの人が出なくなったのは、教育の方向や方針、トレーナーの問題が大きいです。声に限っては、その傾向は顕著です。同じルール上で競うスポーツのように、比較は単純ではありませんが。

 どの分野であれ、セミプロ化すると、底辺のレベルは上がりますが、ずば抜けたプレイヤーが出なくなってくるわけです。昔の人は理論、分析をしていません。努力の量と時間によって、すぐれた技量を手に入れる人がでたわけです。現実に結果を出した条件や方法を、もっと研究することです。一方ですぐれた人を分析しても、その分析ですぐれた人を生み出せるわけではないことを知ることです。

 

○喉の指標

 

 喉頭の能力について、一般レベルでは、喉からその人の可能性や素質のよしあしはわかるのです。しかし、一流の人が必ずしも声帯で恵まれていたわけではないという例はいくらでもあります。体重があればラグビーに向いているというレベルで選手を選んでも、それは素人集団にとって有利な要素の一つにすぎないわけです。

 同じことは声でもいえます。その人が加工して出した音の波が、楽器ならある程度、分析して、一流のプレイヤーと同じものが出ていたら優れているという指標になります。しかし、声は個人差が大きすぎてそうはなりません。

 一流のすぐれた要素を多く持つ人がそうでない人よりは有利でも、一流とはならないのです。それを証明しようとして実験したこともあります。結果、現実に売れなかったのです。

 この傾向は、J-POPになり、その人の声、歌い方と曲と詞とアレンジが密接に関わってくるにつれ、なおさら高まってきました。もはや詞と曲と声だけでの判断では、よい歌になるといえないでしょう。

 

○外国人のトレーナーの判断基準

 

 アメリカに行って、私たちのどのトレーナーの方法とまったく違うやり方で、声を開花させたという人がいました。こんなことは、いろんな国に行っている私にはよくわかっていることです。結論からいうと、それぞれ国のトレーナーはその国ですぐれていても、日本人のことは、それゆえによくわからないのです。

 私は最初に向こうに行ったとき、誰からもバランスのことを言われました。力を抜き、リラックスして、しぜんな声を取り出すとよいと。それでいくらやっても彼や彼ら並みの声にはなりませんでした。

 

○ベースの声から

 

 私は、彼らのやり方も日本の声楽の8割で行なわれているやり方は、その頃の私のように声のない(声の芯や深い声のない)人にはあてはまらないことを知りました。そこでベースの声を本格的にトレーニングをして鍛えてから、のちに向こうに行ったところ、ようやく彼ら並みの声になりました。そういう方法もわかりました。

 この人は、私と同じような経験をしたのです。年月やキャリアはずっと浅いし、声もまだまだだったのです。こういう初歩的な判断ミスによって、私のところでは向こうと反対のやり方と誤解されることもとても多いので、明確に説明しておきます。

 

○外国人との違い

 

 外国人は一般の人であっても、日常言語で、深くひびく太い声をすでに持っているのです。それを邪魔する要素を取ればよいのです。まして、歌手、役者をめざせる人ならかなり体=声ができています。しかし、日本人の大部分はそれがないので、その獲得から始めなくてはならないということです。

 もう一つの理由は、あまりに日本には、無理するだけの高音発声をよしとする人が主流です。うまく無理をしていたら、中には鍛えられる人もいますが、今は抜くだけ、あてるだけの発声ですから、本当にバランス調整だけなのです。歌手、トレーナー、演出家、作曲家にも元からそういうタイプゆえに、カラオケの先生やヴォイストレーナーをうまくやれる人の方が多いため(歌の指導はそういう人ばかりなので)、本当の意味で体からの声や胸声というのか、理解も獲得もできていないのです。高くきれいな声だけで、表現力、説得力、個性がない声、それゆえトレーナーにふさわしいという考えもあるのですが…。

 

○体の声

 

 疑う人に対して、体からの声がどういうのかを示しています。本当の基本とは、シンプルです。簡単そうにみえ、誰でもできそうで絶対にできないものです。でも、一瞬で示せます。

 こういう声は、歌に限らず映画や演劇などにも、外国人のオペラでもエスニックな歌にもけっこう共通してあります。そういう観点で、世界中の声を聞いてみてください。

 体の中にあり、トレーニングの年月が、体内で育って血肉になっている声においては、純粋にあるトレーニングの方法の結果(効果)だけを分離して判断することができないのです。

 

○声の鍛錬について

 

 私のところにも、舞台で無理に声を使い、手術したような人がきます。トレーナーにもいます。(生徒の喉の状態を注意してみています。)

 しかし、これもその人たちがその結果、歌や芝居から引退したというのなら不幸なことですが、今も活躍しているというなら、ケガの功名、それもまた一つの経験、自動的にトレーニングのプロセスにくみこまれたと捉えられなくもないのです。

 いらぬ苦労をさせない方がよいので、トレーナーの立場としては、喉に無理が生じるときはストップをかけます。それは簡単なことです。すべてその判断でよいかは全く別問題です。

 

○休止の判断リスクと勇気

 

 医者や専門家は、何よりもリスクを回避させます。芸人や歌手自身にもそれを超える直観がいります。高いレベルをめざすほど本人がリスクを負うからです。

 あるトレーナーは、手術後、半年安静といわれたドクターストップを2週間で切り上げ、舞台に復帰しました。

 

 これを読んでいる人には、理屈や知識を知って注意深くなっても、臆病になって欲しくはないのです。たまたまそのときは、そのトレーナーの判断はうまくいったが、他のときや他の人がそうしたら、再び手術するはめになったり、より悪くなったかもしれません。そのような選択も含めて、人生であり、自分の実力です。私なら他人に聞かれたら、このケースは、2ヶ月は出演を控えるべくアドバイスします。しかし、そこに最大のチャンスがきたら…!

私なら、医者やトレーナーが反対しても出たでしょう。

 

○喉の個人差と可能性(仲代達也さん)

 

 俳優の仲代達也さんは、何度も声を壊しては直し、鍛えて一流の声になりました。彼にとって、そのやり方がベストだったのかどうかもわかりません。多くの人はそのやり方では、彼ほどにはうまくいかないでしょう。しかし、彼と同じような素質(喉なのか、感覚なのか、勘か、熱意かわかりませんが)をもつ人にとっては、それがもっともよい、あるいは正しい、早いヴォイトレかもしれないのです。私が判断するのは、正しい早いでなく、「より大きな可能性をもたらす」=「もっともよい」ということです。

 

○喉が痛いとき

 

 私たちの多くは、外国人のシャウトの声を毎日、続けてハードにまねしていると、喉を壊します。しかし、現実に彼らは壊していないのだから、それが間違っているとはいえません。私たちがF1レースに出て勝とうとしたら、死ぬでしょう。プロレスでも同じかもしれません。そういうことに対して、トレーナーのアドバイスは、一面での注意にしかすぎないともいえます。

 「痛いならやめましょう」、これはヴォイトレでの基本的なアドバイスです。こういうセンサーが壊れていたり、鈍かったり、情熱のあまり鈍感になったりすると、過度に偏向して壊しかねないからです。

 

 

 

 私は鈍感だったのか、敏感だったのか、すごく過度にやりましたが、壊しませんでした。無理に高いところをやらなかったからか、10年もかけたからかよくわかりません。8時間に耐えられる声をつくるのに、毎日35時間ハードにやりました。

 こんなことは他人には勧められませんし、効率もきっと悪いでしょう。それはプロの人をたくさん教えるようになってわかりました。今の私ならそのようにしないでしょう。

 しかし、今でもまったく声が疲れないのは、その頃の基礎がきいているとも考えられます。

 誰よりも、あるいは、二度とそんなにできないくらいにやったというのは、自信になっています。検証もできません(まして10代から20代にかけてですから)。もうすっかり他人と違う体や喉になっていると思われるからです。量がやり方やメニュを凌駕することもあるのです(多くの一流の人は、やはり相当な量をやっており、そこから質に入っているのです)。

 

○階段

 

 初期の条件の獲得のための声づくり、発声とその歌唱のための共鳴とは、次元の違う問題です。

 登山の勝負とします。もし私が日頃平地しか歩いておらず、10階まで階段を上がったら足がつったり、翌日痛くなったとします。だからといってそれは歩き方が間違っていたのでしょうか。このケースでは方法がおかしいといえますか。登山の前に10階まで、毎日上り下りするようなことをやっておくとよいということ、それが、トレーナーがアドバイスする気づきということです。

 

○お坊さんの声

 

 私は日本で唯一といってよいほど、声づくりがしぜんにうまくいっているのは、お坊さんだと思います。彼らを見るたびに、なるほどと思います。高い声や発音や音階、リズム、歌詞、共鳴などに関わる前に、自分のもっとも出せる音の高さ、自分の呼吸に合わせて声を出して、しぜんに使えるだけの声にする期間が必要だと思うのです。私の日常の声は、1020年かかりました。外国人にも認められましたが、京都や九州のお坊さんに認められたときの方が嬉しかったです。

 

○声が変わる革新

 

 シンプルな基準、ヴォイトレをしっかりしていくと、誰にでもわかるくらいに声が変わるというヴォイトレが、日本では行なわれていません。欧米では、あまりその必要性はありません。元から声が深いからです。

 今、考えられていないことで、これから、多くのやるべきことがあると思っています。ここしばらくは、幸い、いらしていただいている能や邦楽、読経・声明の関係者の人々と世界を広げて、日本人の声を追求し、革新していこうと思っています。

 

J-POPと声のサンプリング

 

 私は練習曲に、外国曲や演歌、歌謡曲まで使わせていますが、J-POPの曲は声のベースづくりとしてはあまり使っていません。

 歌が詞と曲と声の総合的な組み合わせの妙で成立しているので、声のシンプルな見本になりにくいのです。曲、詞、歌唱それぞれ独立してみた完結性や完成度がないのです。ヴォイトレは声を独立させて判断する音楽を必要とします。

 ヴォイトレは声そのものの技術、完成度を求めていきます。一方、シンガーソングライターなら表現から入っていくので、トータルでの完成度となります。声、そのものの正解というものがないともいえます。

 

○標準化しにくい声

 

 アーティストのもつ生来の声や音色、フレーズのくせを生かしたように曲になっている、他の個性をその曲で発揮するのは難しいです。そのアーティストのようなくせで歌わないと歌が成立しにくいからです。歌だけでの完成度がなく、歌い手の作品として成立しているのです。個性にサウンドのアレンジまで加えたところで完成しているから声の参考にしにくいのです。

 

○プログラミングとしてのヴォイトレ

 

 私がJ-POPを評価していないのではありません。真のオリジナリティとは、そのアーティスト以外がそれをやると間違いになってしまうという持論ですから、標準化できないほどの強いオリジナリティはないのです。しかしそれゆえ、基本の発声やその人のオリジナリティをみつけ育てるヴォイトレは使いにくいわけです。

 体からのしぜんな声、発声原理にそって最大限、声の可能性を追求しようというヴォイトレでは、共鳴では、声楽=クラシック=オペラに一つの範をとることができます。その下位に発声があります。そこからヴォイストレーニングを考えるとわかりやすいわけです。

 

○歌と声の判断

 

 私は、ポップスのシンガーに接して、共鳴やシャウトの中にも、一つの芯(あるいは線)を捉えるような感覚で判断しています。デッサンの線をひものようによじって細く鋭くをめざしつつ、ハスキーやため息のように、解くことも許容しています。この絞り込みの程度も、まとめるのと同じく、ヴォーカルの裁量に任しています。要は、センスということになります。

 声楽家の判断は、アカペラを前提とした歌唱ですから、共鳴や声量、特にハイトーンでの焦点化(ベルカント的なものとして)の条件の上に問います。しかし、ポップスは、マイクでの音響加工をも含めて、何でもありです。オペラの条件の声量、声域、共鳴を絶対とはしないからです。

 ポップスの何をもって判断するのかは、声楽家、合唱団、ハモネプ、ミュージカルと異なり、複雑です。聞く人の好き嫌いや気分に大きく左右されています。言語と同じく歌われる風土(国、民族など)によっても好まれるものは異なってきます。

 

○優れている基準

 

 私はアドバイスを求められる立場ですから、好嫌でなく、秀劣において明確な私の基準をもって判断するように努めていますそこが仕事のもっとも肝要なところです。

 

 優れているという基準をいくつかあげてみます。シンプルに聞いて、表現性をもつこと(ステージの成り立つこと)です。それは今ここで、立体的に(リアルに)、生命感をもって(生き生きと)働きかけてくることです。聞き込まなくても聞こえてくること、その上で流れがあって(時間軸、リズム・グルーブ)、心地よい、バックのサウンドと合っている(空間軸、コーラス)、構成(空間配置)や展開(時間的メリハリ)でのまとまりのあることなどです。

 それには、起承転結や期待通りのフレーズの線の安定度と、オリジナルフレーズの飛躍や冒険(創造性、心地よさとその裏切りのインパクト、破格と収め方)、そのための確実なテンポ感(とリズム)、音感が音の動きに必要となってきます。

 

○日本人の欠点、センス

 

 ポップスの歌を世界的にみて、日本人に欠けているのは、メリハリ、リズム・グルーブを表せる声です。太く引っ張られるようなことばをつかみ、リズムに従えられるようなインパクト、パワー、ドライブ感、加速度です。つまり時間軸にそった横読みでなく、それを空間の広がりにして、時空を変えてしまうほどのパワフルさです。

 これは、俳優のせりふなどでは、一流のレベルに達しているものもあります。しかし、歌になると、発声、音程(メロディ)、リズム、ことばなどを消化しきれず、多くの場合、声質(音色)、声の線(動き)が犠牲となります。

 

○判断を迷わす二つの理由

 

 日本人の多くの歌は、初心者のドラマーが頭だけ合わせているリズム、メロディだけ正しく弾いているピアノの演奏に似たものになっています。声からいうと、平たく薄く浅いのです。それでも歌として許されているのは、次の二つの理由があると思うのです。

 一つは、一人ひとり声が違うから、それが個性やオリジナリティと思われていることです。楽器のプレイでは、同じ音色からタッチとオリジナルフレーズで、その人の音を出さないと評価されないでしょう。それと比べるととても安易です。

 もう一つは、ことば(歌詞)があることです。人の声、人のことば(物語、ストーリー)があることです。本来、楽器レベルでの声の演奏という技量を高めていかなくてはいけないのに、その人自身の声で感情を出すと伝わるために見えなくなっているのです。特に、詞、ストーリーを優先する日本人です。日本の歌のスキャットや声の楽器的な使い方の少なさをその例として指摘してきました。

 

○世界との差

 

 私は、1.楽器演奏として歌詞を介さないで聞く、2.欧米ほか、一流のアーティストの耳で聞く

 ここで一流と共通のものを守り、一流がそれぞれ独自に創っているところに、オリジナリティをどう創っているかでみています。

 残念なことに、このレベルでのヴォーカリスト(世界に通じ、歴史に残る人)は、あまりにも少ないのです。その代わりに、曲、詞と声の一体感で迫る、独自の世界のある歌い手と、ビジュアルで注目されるような人はいます。残念ながらオーディアルでの声の表現としてはまだまだというか、日本では一昔前より弱くなってきています。これは、体に基づくものだからともいえます。

 

○両面からチェックする

 

 どういう歌にも歌い手もファンがいて、世の中に必要なものだとは思います。私がこうして述べているのは、ヴォイトレをする場合での方向や可能性、つまり、レッスンというものを本人やその声にどう位置づけるのか、ということです。これがあいまいであると、それなりの成果しか期待できないからです。体からの声と、表現からの声の使われ方の両面を常に押さえておくことですトレーニングが、それにかけた年月分実を結ぶセッティングが必要なのです。

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