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93号 「Q.しゃべる声と歌声の関係と、トレーニングでの変化や進歩について知りたいのですが。」

〇しゃべる声と歌う声の相違

 

これは、「歌う声と話す声では、一緒なのかどうか」ということで、さまざまな意見、見解が出ています。ここではそれらをまとめた上で私自身の経験もふまえて、今の私の見解を述べます。

 そもそも「違う」と「同じ」との違いとは、何かということです。声に関しては、怒った声と笑った声も違うといえば、違うでしょうし、話し声の中にも、細かくみると、一つとして同じものはないはずです。つまり、違うといえば違う、同じといえば同じ、どの程度かという問題にすぎません。

 

 学者や専門家でも「同じ」とか、「違う」という人がいても、声の使い方ですから、大きくいうと同じ、細かくいうと違うということになります。それなのに、この2種がよく取り上げ、比べられるのは、いろんな声のなかでも、特に意識的にコントロールして使うもの、そして、歌や話し方は、それをトレーニングして上達するという目的とプロセスがあると思われているからでしょう。

 

 

〇しゃべる声と歌う声の区別

 

 人間の声の獲得の歴史からもさまざまな説があり、また一口に歌といってもさまざまで、語りのような歌もあるので、一括りにはしにくいのですが、一応、大まかに区別してみます。

 

[話] ことば(発音)中心

 意味の伝達が目的のことが多い

 

[歌] 節(フレーズ)中心

1.声が高くなる

2.声を大きくする(マイクのある場合は、今はむしろ、より小さく表現することのほうが多いといえます)

3.声を伸ばすことがある

4.ほぼ決まった声調の変化や、節(メロディ、リズム)があることが多い。ことばがつくとは限らない

5.情感や感情を伝える。表現をすることが多い

6.楽器を伴ったり、他者とのコーラスもある

2の大きさについては、話でもみられます。13は話よりも極端に、ということです)

[歌]で述べたことは[]と区別される特徴です。

 

〇話し声と歌との関係

 

 歌の練習となると、メロディ、リズム、(歌)詞の三要素、さらに歌のための発声では、声の高さ、声量、ロングトーンなどが必ず取り上げられます。このあたりは舞台でせりふをいう役者などに必要とされる条件とも一部、重なります。

 つまり、しっかりとした話(せりふ)に必要とされる声の力の応用として歌唱を捉えることもできます。

 場合によっては、より少ない声量、より低い声域、より短い区切り(スタッカート)などが、歌の技巧に入ることでもそれはわかるでしょう。逆に、話には必要だが、歌には絶対に必要ないという要素は、挙げにくいものです(ことばのないときにも歌はあり、その声調の変化を応用して、ことばが生じたという人もいます)。

 舞台のせりふになれば、相手とのかけ合いやテンポ、間など、歌では音楽として組み入れられてしまったものが改めて問われるので、歌手なら誰でも役者ができるというわけではありません(一般の人よりは、いろんな面で恵まれているから、ドラマに出る人もいますが)。その分、歌手は音楽の形式や伴奏、プレイヤーに助けられているともいえます(となると、現実には、日常の話、舞台のせりふ、歌唱、さらに日常の歌などを分けるべきだという見解もあってもよいと思われます)。

 

〇歌手の話し声

 

 現実の歌い手をみてみましょう。すると、話し声もトレーニングされているような声の人も、全くそうでない人もいます。(歌うときの声も全くプロを感じさせない人もいますから、プロの歌手のすべてが声の力で支えられているわけでないし、時代とともにさらに異なってきています。ここでは「アナウンス声」か「役者声」か分けています。)

 

 一般的によくいわれるのは、高い声で歌っている人の話し声の悪さ(素人くささ)です。これにはオペラも含まれます。国際的にもテノールのしゃべる声は、あまりよくないようなことをいわれています。日本では、かなりあてはまるのではないでしょうか。

私は、日本人やポップス歌手を基準にみると、海外のテノールやソプラノはけっこうよい話し声をしていると思うのです。バリトンやバスのほうが話す声の声域に近い分、無理なく使えて、そこの声がよいといえるのは当然ですから、比べるのがおかしいのです。男性の声は、低く太く響くのが鍛えられているのがよいという基準でみたらですが

 

〇日本人の考えるよい声

 

 ”anan”の取材で声についてのコメントを求められた男性は、ケンドーコバヤシさん、大杉漣さん、遠藤憲一さん、宮野真守さんでした。やや低めのバリトンヴォイスです。女性が魅力的に感じる声は、それほど変わっていないのかもしれません。男性が第二次性徴期に声変わりし、複雑なメカニズムでわざわざ獲得した女性より1オクターブ下の低音なのです。

 

〇私の声と「役者声」

 

 私はヴォイトレで声が鍛えられ、変わったのですが、最初は変わり、プロレベルになったあと、18時間以上、人前で話しているうちに、プロの「役者声」の声になりました。

歌のレッスン時のほうが日常よりも、集中して意識的に腹式も使い、のども開くからではないでしょうか。その後、日常にも発声の体が用意されるに従って、全面的に変わっていったのだと思います。何もしなくとも、歳をとったら今の声になっていたのかもしれませんが、私がいえるのは、トレーニングをしないと、まがりなりにも、オペラの1フレーズを歌えるような発声は得られなかったということです。

 私は研究所で30年以上いろんな人の声のプロセスをみています。私ほどに時間をかけて声を鍛錬した人は、それほどいないと思っています。簡単には述べられませんが、2割くらい、私の半分以下の時間で、同じプロセスをたどったような人もいました。2割くらいは、そのようにならない人もいました。男性はわかりやすいのですが、女性では日本人の場合は多く、3割くらいの人は、声そのものは大きく変わりません。第一に変わる必要がなかったといえます。

 

〇声の変化をめざす

 

 今のヴォイトレは、声そのものの変化を目指してはいません。声そのものが少しでも変われば成果は大きく違ってきます。しかし、そのプロセスで不安定になりかねないのでためらわれるのでしょう。声は使い方だけでも大きく変わるので、それがノウハウになっています。一人ひとり異なる楽器で、それぞれに異なるプロセスをみる必要があります。

 

〇役者声から声楽へ

 

 以前は、日本では声楽家よりも、役者のほうがよい声をしていました。けっこう無茶なトレーニングで成果をあげていたので、私は最初、声楽よりも役者の練習場に拠点をおいたほどです。

 まず「役者声」を得てから、歌のレッスンをすべきだと思ったのです。この考えは、今も根本では変わっていません。ただ、世の中、業界の方が変わり、声楽よりになったのです。このあたりは、私が「声の二極化」について述べていることを参考にしてください。

 

 「歌は語れ、語りは歌え」といわれていた時代でした。歌のレッスンは、ピアノに合わせて、高音をかん高くあてて響かせようとしていました。

 私はアンチ声楽(日本の声楽)からスタートしました。語って伝えることの線上に歌があると思っているからです。一方、欧米の高音でシャウトして長いフレーズを一息で歌いきる歌手(クラシック、ポップス問わず)に憧れていました。いくつかの仮説をたてつつ、レッスンにくる人に声楽家も含め、他のトレーナーとともにあたって比べていたのです。

 

 その結論は出ません。かなりの数の人のレッスンのプロセスをみてきましたから、その人にとって、もっともよいレッスンの形態(トレーナーややり方)は、判断できるようになりました。

 

Q.レッスンの充実感と声の成長について

 

〇ヴォイトレの目的と価値

 

 声の変容、鍛錬とは別に声は、使い方によっても声は大きく変わり、歌の成果もみられるものです。「何をもってレッスンやトレーニングとするのか」は、もっとも考えるべき問題です。

 ここは一人でなく組織としてレッスンを行なっている研究所です。トレーナーの選択とその方法については、いつまでも考え続ける問題だと思っています。

 

 消費者的な感覚の人が増えてくると、レッスン以外のサービスに力を入れざるを得なくなるのは、やむを得ないことでしょう。すべてにおいて、満足できるように努めるのも大切なことです。優先順位を決め、指針を明示します。レッスンを受けたい人が、その目的にもっとも合うように選べばよいのです。どんな人がどんな目的でどんな状態でいらしても、それを受け入れる、その懐の深さには自信があります。

 サービスの明示はできても、レッスンの内容というもっとも肝心の点は、個別に対応しているので、明示しにくいものです。

 本人の求める目的が本当に本人のためによいのか、声の場合、いろいろと考えさせられることばかりです。根本の問題へのアプローチの前に、サービスのよしあしだけで判断されてしまうとしたら、残念なことです。

 

〇レッスンの指針とサービス

 

 レッスンの指針というのは個別に違うので、述べられません。たとえば、「誰でもわかりやすく、1年後に50点とれる、しかし、2年後も5560点くらい、ずっと続く」というのと、「誰にもわかりやすいわけでないが、1年後に25点とれる、2年後に50点、3年後に75点になる。」

 こういうケースならどう選ぶかというようなことが、無限にあるのです。残念なことに、今のヴォイトレは、ここまで考えずに明示できるレベルで明示しているだけです。

 

 サービスとしてよくあげるのは、病院の例です。

  1. 受付の応対がよい
  2. 待ち時間が少ない
  3. 待ち時間にくつろげる 待つのが苦にならない (ソファ、TV、本、飲み物のサービス)

 

 これらは、肝心の医者の腕と関係ありません。医者自身が説明を長々として、安心させてくれるのはよいことです。しかし、私はその分、医者は少しでも休み、患者の治療に集中できるようにすべきと思います。治療が風邪か難しい手術かで違ってくるでしょう。芸事は、医学ほどにもはっきり明示できるものではないから、難問です。医学もかなり手探りで進めますが、年々、進歩しているのは確かでしょう。

 

〇回復と実力

 

 声のトレーニングは命に関わりはないので、それに例えるのなら風邪のように扱われているようです。とんでもありません。声は生まれたときから使ってきています。何か問題があれば(健康で、上達したいということであっても)それは、慢性化した、のどの問題なのです。そう簡単に解決しません。

 12割ほどよくするなら、一日でできます。毎日いわれたことをやれば、多くの人は人並みになれると思います。プロや一流を目指すなら、日常が90%、レッスンはそれを支えるチェックや課題の明示、判断力の習得ですが、10%くらいです。大きく変わるきっかけとなる1回、あるいは一瞬のためにあります。

 重病のあとのリハビリくらいの覚悟を持っていただきたい、それなくして真の上達はありません。

 リラックスして心身を解放するだけで声が変わるのは確かです。マイナスからゼロに至ったにすぎません。話さない人が何とか話せるように、歩けない人が何とか立てるようになったくらいです。人を感動させる何かをするために必要とされる基礎には及びようもないのです。

 

〇中低音域と高音域の両立について

 

 ヴォイトレの効果としてわかりやすいのが、

1.高音域、2.声量ですから、それを目的にしている人が少なくありません。

 高音域のトレーニングは、本来は中音域のあとにするものですが、そこはできているものとして、高い方ばかり進みます。

高い方が出しやすく、比較的、発声がよいなら、高めから入らせることもあります。それがよいというからでなく、中低音域からでは、うまくいかない人が少なくないからです。その人の出しやすいところから正していくのが原則です。

ただし、中音域が完成するまで高音を出してはいけないということではありません。高音域へのチャレンジは、調子のよいときは中心課題にするとよいでしょう。そのために悪い影響を与えないことです。やらないよりはやるべきです。

 今もっとも扱いやすい声=ベストの声ではありません。扱いにくい声よりは、理に通っているといえることが多いです。人まねでカン違いしてくせをつけてやっている人は除きます。もっとも出しやすい声は違うので、それぞれで決めていくことと思ってください。

 

〇声区融合

 

声区融合の問題については、あまり本やネットなどをあてにしないことです。現場では一人ひとり全く異なるからです。

 ちなみに、私が高音のトレーニングや理論にあまり触れないのは、思い違いをする人が多く、正しく伝わらないことと、一人ひとり、のどが異なっていて、一般的に述べられる基本の範疇を超えることが多いからです。文章での伝達の限界を超えて、方法を与えるのは、よくないと考えているからです。

 トレーニングの評価は、それぞれに異なるので一くくりにはできませんが、何にでも万能のような方法は、一個人にとっては、有効ではないでしょう。トレーナーが[メニュ、方法]として使うには、便利ですから、安易によく使われていますが)。

 一般的に全体的なこと、半分くらいの人にあてはまる初歩で基本は述べられても、その応用や一個人に対する的確なアドバイスは、本人をみずに、無理なことなのです。それゆえ、私は読者には、いつもレクチャーの場を開放しています。

高い声は、舞台に通じるように音声のコントロール=調整に重きを置かざるを得ません。それで大きい声量のように条件を変えるトレーニングにはなりにくいものです。声楽を応用して、充分に対応しています。

 中低音域での声の問題を、徹底して洗い出すことです。力をつけていくときに、高音域や地声―裏声の切り替えが一時、うまくいかなくなることは、珍しいことではありません。

 最初はギアチェンジのように考えましょう。低いところを一通りできてきたら、高いところをやり、中音域をやって、繰り返していくのがよいと思います。長期的な目的が見えない人と、高い声の切り替えがやりにくくなって、不安を感じるでしょう。

 繰り返しの中で、鍛えられ、調整能力も高まって、ギアがスムーズに切替られるようになっていくのが理想です。

 

〇太い声

 

 ここのところ、私共のところには、歌手も含め、中低音の太めの声で説得力を求めにくる人が男女ともに目立っています。アナウンサー、キャスター、声優なども、高い声でちやほやされた時期は終わったのかもしれません。若く元気で、明るくかわいいような声、子供っぽい声、幼い声、いわゆるアキバ系、アニメ系、フィギィア系の声づくりをした人が増え、飽和状態になったせいもあるのでしょう。

 ようやく本筋(と私は思いますが)に気づいた人が出てきたといえます。

 「小顔がよい」「エラがないのがよい」などという、ガラパコス化した日本人の価値観をどう取り入れていくかに悩みつつも、本道は、表現として説得力のある声でのせりふや歌です。

 

〇声区と喚声点

 

 私は最初から、地声、裏声、チェンジのポイントを決めつけません。チェックしたり、知っておく分にはよく、トレーナーからそういうポイントとなる音の高さを指摘されるのはよいのですが、柔軟に変化していくくらいに考えておきましょう。

 即効的に上達するには、トレーナーの決めたところでチェンジすると早いのもわかっています。しかし、それだけを求めると、表面的なやり方になります。真の基礎の力(呼吸、発声、フレーズ、共鳴)がつくのを妨げかねません。

 常に体操、柔軟、筋トレなどといった基礎をつけるための体や感覚づくりと、試合=Playという本番、せりふや歌での表現を区別しておくことです。

 

〇即効的な成果

 

 即効的に成果をあげるには、固定してしまうほうがわかりやすいし、一見、安定して間違えにくい、リスクを少なくして、早くうまくこなせるようになります。声の実力を求めないアイドルには、その人の器の中での使い方、見せ方を徹底して教え、早くうまくします。私はヴォイスアドバイスといって、ヴォイストレーニングとは分けています。多くのヴォイストレーニングは、そこでなされているのが現状です。どちらがよいというのでなく、目的によって異なるのです。

 そんなことなら、日常、スポーツをたしなみ、元気に歌ったり叫んでいたらよいことです。芸としての、アートとしての表現に耐えるものにするには、プロセスで厳密な判断を伴うレッスンが必要です。一時、ステージのため、何かを固定しても、必ずそれをはずしていきます。いつか自由に解放しなくてはならないのです。

 方法を覚えていくことでは、成立しません。トレーナーに教えられたままの歌がうまいようでもつまらないのは、どこかで聞いて知ってください。

 トレーナーが悪いとは申しません。そういうのをレッスンだと思い、手取り足取りすべていわれたままという取り組みの意識の問題です。

 表現に耐えうる基礎は繰り返し、紙を重ねていくような地道な作業なのです。

 それを支える毎日があるか、そこでのどや声が変わっていく、重なっていっているのかを問うてください。トレーナーを問う前に、自分の日常での声、息、体との接し方をチェックしましょう。

 

〇ハスキーな声と喉の痛み

 

 ハスキーやのどの痛みの問題は、教科書的には、トレーナーや医者は、警告して本人に注意を促すべきでしょう。もともと声がハスキーな人も、ハスキーな歌に味がある人もいます。

 私は判断の基準として、「再現性」(同じことがどこまでの精度でどれだけ繰り返せるのか)でみると述べました。今は、その日だけでなく、23年後、5年後まで視野に入れています。

 若い人や経験の浅いトレーナー(ドクターなら)は、次のようなリスク回避のアドバイスをしましょう。

 

1.声量・声域を無理しないこと(特に高い声での大きな声やシャウト、かすれた声を制限する)

2.練習時間は、より短く集中的にする

3.発声前に充分に準備、発声中での柔軟、脱力をする

4.発声の間での充分な休みをとる(休む回数を増やす)

 

 これは、「初心者のトレーニングの注意事項」にそのまま当てはまります。

 プロであっても、調子のよくないときは、初心に戻り、心掛けるとよいことです。

 

〇音色と声量優先

 

 私は、表現としては声域より声量、共鳴より音色を重視しています。多くの人の関心は、声域(高い声)と、その共鳴に集中しています。トレーナーもそれに応えようとするので、さらにそこを強調せざるをえません。

確かに高い声は、筋トレや呼吸のトレーニングだけではうまく出せません。単に出すだけでなく、そこにコントロールや音色を伴わせたい、伝わる表現を目的にするなら、そうなっていきます。最高音の高さや声量は抑えられてくるのです。フレーズやメリハリのように、声のコントロール力のほうがずっと大切です。

 美しい声、キレイな声、単に高い声は、先天的な要素が大きいです。トレーニングで可能性をつかむなら、素質よりも鍛錬で示せるところに、目的をおいたほうがよいというのが私の考え方です。個性ある声であり、音色やフレージング(声の動かし方)です。

 歌のレッスンには、メロディ(音程、リズム)、詞ばかりに、ヴォイトレには声域、声量ばかりに目がいくものです。大切なものはそれではないと気づくことです。

 

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〇喉の専門医との違い

 

 いつも学者や医者といった専門家に次の3つのことを聞いています。

1.最近の最新の知識

2.心身(特に喉)とトレーニングとの関係

3.私の喉

 

 医者と私たちは、相手とする対象も目的も違います。「声のしくみ」をまとめたときも、のどという楽器が生体であることで、医学、生理学や解剖学、心身や発達学、運動科学、および声の共鳴としての物理(音響)学や心理学などが大切なことを知りました。そして、まだまだよくわかっていないことがたくさんあることを改めて気づかされます。

 

 私は、最新といわれる理論、理屈、知識に振り回されないように警告してきました。

 のどの病気になれば医者に行けばよいし、調子が悪ければヴォイストレーナーをつければよいのです。医者は免許があり、比較的、基礎とする知識がわかりやすいです。それでも、専門としてキャリアを積んでいる領域は個々に違います。

 

〇音声の専門医とヴォイトレ

 

耳鼻咽喉科というのは幅の広い分野なので、音声専門で診ている医者を訪れたほうがよいでしょう。変な例えですが、同じ税理士でも、相続問題を扱ったことのない税理士に相続手続きを依頼すると時間がかかり、成果も芳しくないでしょう。それぞれ専門や強みとしていることは同じ資格のなかでも全く異なります。その後の経験によっても全く違ってくるものです。

 まして、資格もないヴォイストレーナー稼業においては何をいわんやです。ちなみに私のところは最近、医者の治療の後や言語聴覚士のところと併行していらっしゃる人も増えました。医者の紹介でいらっしゃる人もいるので、他のトレーナーよりも、慎重に医療の現場を知って、行なう必要が増えてきたのです。

 医者の目的は治すことです。しゃべれなくなった人はしゃべれるようにする、社会復帰のために最低のレベル、できたら人並みを目指し、発声の障害や痛みの原因に対処します。戻すのであり、力をつけるのではありません。トレーナーは、力をつけるのですが戻すだけのレッスンもよくあります。

 のどの手術の是非などについても、医者の見解は分かれます。しないですむならしないほうがよいというのは同じです。しかし、ずっと悩み、他の手段で、いたずらに時間がかかるだけなら、手術のほうが根本的な解決としてよいときもあります。悩みや時間、費用というのにも患者さんの考え方や感じ方に大きな差があるので、一つの答えに絞れません。目をよくしたい、でも皆が皆、レーシック手術を受けるわけではありません。費用や時間だけの問題ではありません。

 

〇器質的障害と医者

 

 医者の多くは声帯をみて異常を判断します。結節やポリープなら、のどの病気です。しかし、これらは生命には異常ありません。

 発声に対して楽器としての限界が「物理的」「生理的」にある場合は、声帯の緊張度を高め、発声しやすくする手術もあります。声を高くしたい、性同一障害の人(男性女性の場合)には朗報です。ただし声域は、移行するだけで、低いところが出しにくくなるので広がるわけではありません。けいれん性発声障害などにも即効的なようです。 専門のことは、医者によっても見解が違うので、ここでは述べません。

 医者は、のどという部分への処方をするだけです。そこで歌手や俳優が必要とするのどがつくられるわけではありません。発声と呼吸や共鳴は全身の筋肉や神経も関係しているのですから、いわば楽器のメンテナンスにすぎないのです。

 そこで、私たちのようにトレーナーが引き受けるにあたり、トータルでのトレーニング計画が必要となります。そのトレーニングは、一人ひとり異なるもので、これまでにないものを求める分、処方が難しいのです。

 

○日本の治療とアートの力量

 

 日本ののどの手術の技術のレベルは、世界でも一流です。それなのに、のどを一流のアーティストレベルに使いこなせる人や、それを教えるトレーナーのレベルは、まだまだ低く、忸怩たる思いです。

 まず

1.声のトレーニングの成果が、トレーナー本人にも一流というレベルにまで出せていない(ここでは声についてで、その応用の歌唱力や演技力は含めません)。

2.トレーナーの学んできたやり方や得てきたやり方が、相手によってどういう結果が出るのか詳しく検証がされていない。

 トレーナー本人の声もまた獲得したプロセスを分析し、本人が把握しなくてはいけないのです。これがかなりの難問です。

 少なくとも自分ののど(体も含め)を知ること、次にトレーニングのプロセスと結果を記録して、比較していくことです。しかし、それをやってきた人はほとんどいません。

 

〇自分の喉の分析

 

 私は十代後半からの10年にもっとも集中してトレーニングをしたのですが、今の年齢で始めて、同じように10年後を比べたら、同じ毎日のトレーニングができたとしても、決して同じ結果にならないはずです。体や心が、他の楽器の習得よりストレートに影響するのも、やっかいな問題です。

私は、10代半ばで丸2年間で、毎日水泳をしたら、まわりの人よりも細かった肩幅が広くなりました。こんなことは20代以降では起こりえないでしょう。

 私は今回、「自分の声帯の写真」を複数の医者にもらいました。が、「異常がない、医者には通わなくてよい」ということしか、表れないのです。のどを含めて他人に接する以上、自分ののどについて知っておくことは当然のことです。(声帯の写真で、のどを知ったとはいえませんが。)

 医者が呼吸や共鳴を医学的な機械を使ってみたら、もう少しわかるかというと、トレーナーの見立てを最低限のレベルで証明できたら、かなりすごいといえるでしょう。

 

〇研究所の分析

 

 私は科学的な声紋分析に鈴木氏と共著で出すくらいに関わりました。よい歌い手の理由をグラフから読みとることはできますが、それを元に声を判断したり、それを目安として育てるには、無理があります。

耳ですぐれた判断力のある人の、聞いて判断する力に及ぶことはないでしょう。本研究所にも、同じ機材があります。

 私は例え千分の一でも確かなこと、使えることがあればという期待で接しています。今はまだまだですが、いずれはサポートできるツールになる可能性もあるからです。ちなみに、いくつか簡単なものもつくられています。ゲームや占いの領域のものに過ぎませんから、あまり信じ込まないようにしてください。

 

 西洋医学から発達してきた、日本の医療は、今も、部分的によしあしを捉えすぎます。荒れたのどにステロイドを処すれば、きれいに声がでて歌えるようなのは、そういう面では最大の効果といえます。緊急の処置としては、こういうことを知っておくことは助けになると思いますが、体と心とのメンテナンスの一環として留めておくことです。

 

〇トレーニングの現場において

 

長期に最高のレベルを目指すためのトレーニングでは、もっと全体的に捉えなくては、多くの場合は行きづまってしまいます。その結果が今の日本の声の実情です。

 私のところには半数近くの人は、私や他の著者の本を読んでいらっしゃいます。本を読んだ上での判断は、何の情報もないよりもトレーナーの方針、考え方がわかるのでとてもよいことです。

 しかし、レッスン中やトレーニング中に、理解する頭を切らなくては、囚われてしまい、効果が半減するところが方向を違えてしまいかねません。

 ことばは大切ですが、そこからのイメージがもっと大切です。イメージからことばを選びつつも、一通り頭に流したらあとは忘れるようにお勧めしています。スポーツと同じで、頭で考えるのは必要とはいえ、考えて動かすものではないからです。イメージや感覚を磨いて心身がうまく動くような条件(もっともよい反射回路)をつくっていくのがトレーニングともいえるのです。

 

〇動くことから

 

 私がこのところ警告していることは、理屈で考え納得しないと動けない傾向がますます高まっていることです。理解や納得のために行動するのでしょう。若い人は自分のもつ独自性からの才能の発揮よりも、何でもよいから「他人のようになりたい」「周りにすぐに認められたい」というほうにどんどん偏ってきています。

 

ワークショップもレッスンも、今の医者の治療のように同じくマイナス面をみて、そこをゼロにすることに焦点があてられることになりつつあります。心身をリラックスして、状態がよくなれば、しぜんなあなた本来の声が取り出せる、そこまではよいとしても、それが目的のようになっているのです。それは、前提であっても、最低条件の一つにすぎないのです。一回だけ、もしくは毎回、その日の成果で問われるようでは、トレーナーはそのように本人がわかる効果をあげることに専念せざるをえなくなります。ともすれば、本質をみえなくしてしまいます。

 

 例えてみると私が、ビジネスマンの研修で「早口ことば」を使うのと似ています。それを100回もくり返せば、これまでつっかかったこともいえるようになります。それを効果と思ってくれますが、やらなかったことをやっただけですから、声として伝わる力は変わっていないのです。

 トレーナーがメニュのその人に対する意味をこういう位置づけと知って相手に合わせるのはまだよいのです。こちらに寄せられるトレーナーの質問をみると、それさえ把握していない人が多いのです。質問するだけ問題意識があるからよいともいえるのですが。

 確かに、マイナスはゼロにしないと、そこが前提なのだから、それが第一歩という考えもあります。しかし、ゼロになることをいくら続けても、それはゼロであって必ずしもプラスにはならないということがわからない人が多いのです。

 

○スタートとゴール

 

 研究所のレッスンでは、本人の希望があればムチャなことでもやってみます。そこで得られた即興的な結果で満足されるならそれで終了ということもあります。

 声は正解があるわけでなく、求める程度問題です。いらっしゃる人がもう充分といったらそれでよいとも思うのです。そうでなければ、私やトレーナーも、そういう目的をもっていらっしゃる人を最初から受け入れないという、大変に無茶なことをしなくてはならないからです。

 本来は前提条件を整えながらも、トレーナーはその人の最終的な目的とする表現へのプロセスをシミュレーションして具体的なメニュ方法を考えていきます。実のところ、試行錯誤で、その可能性や限界に見通しをつけられないこともあるものです。

 スタートラインにつけるのは、ゴール設定をするためです。なのに、本人はともかくトレーナーもスタートライン(そこは医者にはゴールですが)しかみていないことが多くなりました。歌やせりふについても、トレーナーのレベルによるのは、スタートラインなのにゴールになっているのでは、先がないのです。

 

〇養成所とスクール

 

 トレーニングの前提とするスタートラインについて、医者とアーティスト、トレーナーの見解は違います。医者が6ヶ月の休養というと現場では2ヶ月、私は1ヶ月、すぐれたアーティストは12週間の休みで復帰しています。リスクはありますが、自己責任で、ギリギリの感覚を自ら知っていたら処方ができるのです。

プロのスポーツ選手は、すぐれたトレーナー、一般の人なら6ヶ月の休みの必要なケガを1ヶ月くらいで治し、ゲームに復帰できるのです。

 人間の大きな可能性を一般の人、それよりも劣っていたかもしれないがために、のどを損ねた人を基準にするなら、リスクの大きい分、医者もトレーナーも慎重にならざるをえません。私がそれを養成所とスクールの違いとして述べてきました。

 

〇一流のプロに学ぶ

 

 トレーナーは一流のアーティストに接して、その資質や声そのものを学ばなくてはなりません。本当に大切な鋭い勘や判断力が磨かれません。私がここのトレーナーにプロをつけているのは、そこから学ばせたいからです。

 

 医者もトレーナーも長く経験を積み、そこから学ぶと、決して部分的な処方を全体的な調整や条件づくりよりも優先しないはずです。決まったやり方でなく、多様多彩なやり方をします。体も心も、人は部分が組み合さっているのでなく、全体で一つなのです。

 初心者や一般の人には、体力づくりや柔軟運動が、のどでどう出すかよりも大切です。ヴォイストレーニングよりも、心身を鍛えたり整えたりするほうが、声に効果的です。私はそこからお勧めしています。引き受けたら、すぐ発声を学ぶのがよいことではないのです。

 イメージづくりのほうが、のどの使い方やならし方にこだわるよりも大切です。そこに、優れた判断力のあるトレーナーの力が必要です。

 

〇こだわりをなくす

 

 声に問題のある人は、リズムや音程に問題のある人と似て、一つひとつにこだわりすぎることが少なくありません。トレーナーの指導下でも一つひとつ自分で「合っている、間違っている」とチェックするような人です。トレーナーにもいますが、医者の取り組み方に似ています。

 もっとも大きな根本的な問題は、そこまで生きてきたところでの感覚(聞き方)とその処理のしかたの不適合です。それは、よいものを入れて、感覚から変えていくのです。

これまで日常であったものを少しずつ入れかえていくので、時間もかかります。補強すべき体や心の鍛錬も時間がかかります。しかし、続けることでしか変わりません。何事であれ、続けることで人は気づいたり体得して変わります。ようやくこれまでにない大きな能力を得ます。

 

〇できても身についていない

 

 「外郎売り」や「早口ことば」も、本質的なことを知っていていわないのは騙すようなものですから、次のように説明しています。

 「今日復習をしないと明日忘れて、あさって、ひっかかります。1週間続けたら、1週間もちます。忘れないために毎日2年間続けたらほぼマスターできます。忘れても、今度は半分以下の時間で、できるようになります。35年と続けると声もよくなっていきます」

 アナウンサーをみてください。アナウンスのスクールで2年ほど練習して入社できたとします。半年後か1年後にTVに出たときは、口をはっきり開けて、伝えるのが精一杯です。ヴィジュアルの表情の力も借りてもたせているので、少しでも噛んだらとても目立ちます。(表情で話力をカバーできるかわいさ、かっこよさで選ばれます。日本ほど同じようなタイプのアナウンサーがそろっているTV局は、海外にはあまりないでしょう。)

 2030年後まで残ったアナウンサーは、口はさほど開けていないし、少し噛んでも聞き手にはわかりません。声にも個性が出て魅力的になっています。話だけでなく声のトレーナーとしても通じるほどの人もいます。

 発音に引っかからないようにいえることは前提ですが、目的ではないのです。声をよくすることは別です。ですからアナウンサーがここに通いにいらっしゃるのです。ここのトレーナーは、発声共鳴にそった声色中心に、何十年もかけずに変えていくお手伝いをしているのです。

 

〇声以外の強化

 

 私は十代で近所の声楽家(ソプラノ)の先生がつきました。今と同じくらい高い音は、何とか出たのですが調子によってうまく出たり出なかったりでした。共鳴をみけんにという、声楽の教科書の教え方です。今でも一般的に行なわれていますから、「間違った教え方」とは思いません。心身の状態のよいときは少々よくできて、よくないときは、できなかったのです。

 初心者が心身の状態によって、できが左右されるのは当然です。今の私であったなら、その最高音は、心身の状態のよいときだけ出し、そうでないときは、痛めないように無理をしなかったかもしれません。ある程度は、のどを鍛えるつもりで、挑戦していました。私の場合は、スポーツで心身は人並み以上でした。高音に関しては、調整でよいでしょう。一般の人なら、少々鍛える必要があるのですが、高音を使って行なうほうがよいかどうかは、タイプによるでしょう。

 基本となるヴォイトレにおいて、声のよしあしよりも、声を出すことやそれ以外のトレーニングで声を出せるような心身の調整やより必要なものの強化が、積み重ねられているかということです。

 呼吸、発声、共鳴が変わるのは、そのイメージ、感覚、それを支える体や心が変わっていくということです。

 

〇トレーナーの盲点

 

声楽家や歌手のなかには、自分がすぐれている(そのために苦労せずにできた)ために誰でもイメージ=使い方だけで声が変わると思っている人がいます(いろいろ変わるのは確かですが大体どれも使えない)。そういうトレーナーは同じ優れたレベルの心身条件をもつ人にはよいのですが、一般の人にはなかなか通じません(自分よりも長い時間をかけても自分並みに育てられないトレーナーが多いのは、自分よりもへたな人しか教えていないから、そのことにも気づかないのです)。

 

○体で覚える基本

 

 なぜ2年やると次は忘れても早くできるのかというと、頭でなく体が覚えたからです。車や自転車の運転と同じです。ですから、私の最初の声楽の先生は優秀ゆえに声を正していくことしか頭になかった、長く通っているうちに呼吸が伴ってくるというスタイルです。

 私の心身は、クラブ活動でそこそこ鍛えていたつもりでした。声は他の人より全く鍛えられておらず、声の劣等生でした。声の音色をしっかりとみるトレーナーに会わなければ、人並みの声ももてなかったでしょう。私なりに誰よりも時間をかけて、息や声を鍛えていったので、今さら検証はできません。

 

PS.2年間というのは18時間です。2年間では5千時間。発声は12時間とすると、8年間かかります。1時間としたら、16年間というところです。20歳で始めたら、30代半ばに整うというのは、オペラ歌手なら大よそ合っているのではないでしょうか。

 

〇指導のプロセスのチェック

 

 私の研究所では、複数のトレーナーで指導を分担してきました。私の指導の判断は、誰よりも多くの人の声だけでなく、トレーナーの指導のプロセスをも長年にわたりみてきたことです。結果を捉え、絶えず検証してきた経験からきています。

 ここからは私論となります。のどの状態をよくすることは、ワークショップで心身を使える状態によくすることと同じで、即効的なものです。他の人が調整するのは、医者の処方するステロイドと同じです。マッサージも同じです。

 そういうことを体験した人が、同じことのくり返しの後、ここにくるのは、同じことのくり返しと気づくからです。あるドクターのことばでは「パッシブで、アグレッシブでない」ということです。そういうことでは不毛です。 

トレーナーや医者が、あなたの心身や声の状態を一時よくしても、その日は声の調子はよくなりますが、日が経てば、同じに戻ります。自分で変えたのでなければ、何かを得られたのではないのです。気づいてくるから、伸びます。

 

〇タフな声のフォーム

 

 子供がバッテイングセンターでうまく打ちたいなら、誰かにフォームを手とり足とり教えてもらえばよいのです。ややムリな体勢だと思えても、モノになれば、それなりにいけそうなフォームになります。しかし、その人がいなくなれば、大半は元のフォームに戻ります。ムリな体勢と思うのは、それを支える体、筋肉、感覚がないから、元の自分のバランスに戻るのです。ムリがしぜんになるまで、何かをしなくてはならないのです。それがトレーニング、あたりまえのことです

 声についても同じです。多くの人は、声が出やすいフォームでなく、立ちやすい姿勢、楽な姿勢で生きています。その日常性を変えるのは、他人の手を借りても一日ではできません。そういうレッスンやそういう治療に意味がないとはいいません。整体やカイロで調整して、とてもよいパフォーマンスを得る人もいます。

 

 私は最悪の心身状態、のどの状態でも仕事をせざるをえなかった経験上、あまりに不安でないかと思うのです。私自身、他人の手や自分の心身の調整のよしあしで左右されてしまうような、不安定かつ頼りない声では通じない年月を生きてきたからいえるのです。アーティスト以上にトレーナーも自分の声に責任をもたざるをえないのです。ですから、私がプロの人に求めるのは、そのくらいにはタフな声です。

 

〇強い必要性

 

 リピートと空回りは違います。整体やカイロに通うよりも、それから脱却できるように考えてみてはいかがでしょう。お金もバカになりません。リラックスのトレーナーのように、相談相手が欲しいというなら、それもよいでしょう。

 サプリやマッサージには頼っていません。それがよいのでも偉いのでなく、時間とお金の使い方です。のどの管理は、心身からです。管理や保守、守るより、ますます強化する、鍛えるという攻めのことばのほうがよいですね。

 いつも医者に通わざるをえなくなっている人は一度、相談にいらしてください。違うお医者さんをお勧めすることもあります。

 多くの人は、調整より強化、状態より条件を変える必要があります。そのことをわかるために、オペラや声楽という大上段の目標から強い必要性を与えます。遠回りのようで早い、確実です。基本、基礎とは、本人が習得できてから気づくしかないのです。そして、いつも誰もが問うことです。

 

 

Q.息や声の深さを自分でわかるという目安はありますか。

 

〇息と声の深さ

 

お一人ではどうでしょうか。身体が動くようになってきたら、一体感があること、息だけや声だけなら、私やトレーナーと、どれかのトレーニングや息や声を出し合って比べるのも悪くはないのですが、人と競うものではありません。過去の自分よりも力がついてきたらよいでしょう。息吐きは、耐久力でもみられますが、やりすぎると危険です。

 表現の必要性によっても違うので、ゴルフ選手になるのに100メートル走や腕立てを競うほどのギャップがあることではないでしょうか。もちろん10メートル走るにも息がもたないとか、腕立てが10回もできないという人は、プロのゴルフ選手にはいないでしょう。プロでも70歳くらいになればわかりませんが、ゴルフは極めてメンタルにも負うので少し似ています。

 体と技術はあるところまで相関すると思います。身体としてなら、フィットネスジムやパーソナルトレーナーの基準でよいでしょう。総合的に捉えるか、過去の自分との実感でみてくださいということです。

 

〇やさしく歌いたい

 

Q.プロ歌手のようにやさしく伝わるように歌えません。どんなトレーニングが必要ですか。

 

これは結構、答えにくい問題です。歌手のキーにわせようとすると、それが合っていないと、遠回りになります。自分の歌いやすい声域にしてください。小さな声でも「使う声域」をていねいにカバーすること、声に「やさしく」伝わる感じが出るのをつかむことです。

 呼吸法、発声法、レガート、ロングトーンなど、基本トレーニングを徹底しましょう。

 カラオケレベルでなく、プロのようにというのでしたら、強く、大きく、器づくりからはじめないと本当のやさしさは伝わりません。どこかを「やさしく」聞かせようとするのでなく、全体の構成から、相対的に「やさしさ」を出す必要があるからです。

 歌の流れ(フレーズ)と音色(トーン)に注目してください。このバランスを支える呼吸、体をつくりましょう。

 あなたが「やさしく伝わる」と思う歌手を何人か聞いて比べるとよいでしょう。まねやすい人からコピーして相違点を学んでください。

 

Q.歌のサビの音をはずさず盛り上げ、しっかり歌うためにどういうトレーニングが必要ですか。

 

〇しっかりメリハリつけて歌うために

 

歌のメリハリを発声からみると、

1.ロングトーン

2.クレッシェンド

3.デクレッシェンド

4.13の組み合わせ

 となります。長さ、強さ、そして変化のつけ方です。ここに、音色(トーン)や、発声の仕方、さらに地声、裏声などを考えると、いろんなパターンがあります。それぞれにトレーニングもあります。

 

Q.一本調子をさけるためにはどうすればよいですか。

 

一本調子は、均等に息も声も伸ばし、均等に切るからです。モールス信号みたいに、メロディの高さと長さだけをとっているからです。イメージの問題が第一、次に強弱フレーズのイメージ、それがあっても声が自由に動かなければ、メリハリはつきません。

 

―      (長)

― - ― - ― - ― - (長短)

 

 一時メロディを壊して、短いのはさらに短く、長いのを25倍くらいにとらせ、まず、長短の差を大きくさせます。次に、その長さを戻して強弱にします。

 曲が壊れてもよいから、思い切ってやることです。そこで何かインパクトがなければ、正しく合わせても伝わらないのです。

 いつも階段のように幅と高さを同じにするなといっています。古い寺の階段のように、味のあるメリハリを出します。最後に楽譜に合わせて確かめていくのです。

 総じて、声量やフォルテッシモのトレーニング中心でよいでしょう。大きく出すのはそれを使うためではなく、より小さく使うためです。

 

〇バランス構成と展開

 

Q.歌うときの緊張と弛緩のバランスをどうコントロールすればよいですか。

 

これはメンタルトレーニングの専門書をヒントにしてください。(rf

 

Q.構成や展開について詳しく知りたいです。

 

私は次の3つでみています。

1.切りかえて、展開させる(ドラマ性)

2.ピークでの働きかける力と納め方

3.結末、エンディングと余韻での印象

 

Q.プロはジャンルを超えて歌えるのですか。

 

アーティストの売り、勝負どころはそれぞれに異なります。全体の捉え方も、一点で勝負するタイプ、全体でならして雰囲気のタイプでは違います。そのタイプと曲との相性があります。

 演歌の人がポップスを歌ってもなかなかうまくいきません。分野を超えて、完全にこなせたのは、日本では美空ひばりさんくらいでしょう。

 「演歌の力」というCDが出ています。演歌歌手が創唱したポピュラー歌手よりうまく歌っているのもありますが、演歌歌手の演歌の完成度には及びません。

 

〇歌唱のテクニックと疲れ

 

Q.歌唱テクニックとは、なんでしょうか。

 

私は、その歌い手特有のオリジナルのフレーズとみています。これが役者の歌と区別するものと思います。大きなフレーズでの中で使われる声質(音色)、これが日本では役者のほうが個性的です。音楽として、それを最大に活かした動きがでると魅力的です。

 

Q.歌唱のテクニックを捨てるというのはなぜですか。

 

一般的には、ヴィブラートやシャウトとか、声の使い方の多彩さや器用さを指すことが多いです。一時、ミュージカルなどによく使われていたフェイクっぽいものなどです。ミュージカルでは音大出身が多いのでオペラのテクニックが流用されています。そこだけが目立って好感が持てません。こういうものをテクニックというなら、否定的な意味になります。

 テクニカルなことに優れた歌手は、たくさんいます。ホイットニー・ヒューストンやマライヤ・キャリーなども、そういう例でしょう。

 

〇感情表現と声

 

Q.情感や心を入れたいので、くせをつけると、つっぱったり、かすれたりします。

 

個性はくせでなく、オリジナリティとはいっています。くせも個性の一つです。私が考えるに、音楽としてはくせは邪魔ですが、人間味、人間性として魅力になりうるのです。しかし、私はその人独自の音色や声のおき方に出ることを求め、それをニュアンスといっています。

 

Q.歌での感情表現は声でつくるのですか。

 

私はエンターテイメントとしてより、ミュージシャンとしての歌い手をみますから、くせや色が音楽のインパクトやスケールを制限するときは、除きます。しかし、それでも出てしまうのは、よいとします。感情や心は入れようとしないほうが、本当は伝わります。つくるといやらしくなり、色づいても飽きられやすくなるからです。

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